【ネタバレ】『樹海村』感想・考察:ホラーというよりヒューマンドラマじゃない?

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね映画『樹海村』についてお話していこうと思います。

ナガ
前作の『犬鳴村』は本当に何とも言えない内容だったね…。

詳しくは同作の記事も書いておりますので、そちらを見ていただければと思います。

端的にまとめますと、前半はJホラーの黄金期の再来を予感させる素晴らしい出来で、中盤はなぜか謎解きミステリ、後半の村突入パートが単純に怖くないand面白くないという印象でした。

小中千昭さんというホラー映画の脚本家としても知られる方が、自身の著書『恐怖の作法』の中でホラー映画は「段取り」が肝心であるということを述べておられました。

つまり、ホラー映画においては「正体は何か?」「オチはどうなるのか?」といった結果ではなく、そこに至るまでの「過程」において恐怖が生じるものなのだということです。

そして、『犬鳴村』その一番ホラー映画としての盛り上がるはずの「未知のものへの恐怖と好奇心」が入り混じる中盤のパートを人間側のゴタゴタで処理してしまっています。

そのため、終盤の村への潜入パートに入ると、ほとんど「種明かし」が終わってしまっていて、「未知の要素」がほとんど残っていないんですよね。

そう言った事情もあり、序盤は本当によく出来ていた作品ですが、改善の余地は多く残されていると感じました。

さて、今回の『樹海村』ですが、前作の『犬鳴村』とほとんど同じ構成で作られていて、全く同じに近い弱点を背負っています。

しかもタチが悪いのが、前作の『犬鳴村』では中盤のミステリ要素が一応はホラー要素にリンクしていたのに対し、今作ではなぜかホラー要素ではなくヒューマンドラマ要素にリンクしているんですよ。

そのため、鑑賞直後のツイートでもこのように表現しています。

ホラーというよりも、ドキドキ要素有のヒューマンドラマと形容する方がしっくりくる作品かもしれません。

ナガ
え、一番割合が多いのが「木」ってどういうことだって?

後から詳しく説明しますが、この映画正直怖いのは、「木」なんですよ(笑)

おそらく『犬鳴村』が大ヒットしたので、予算がかなり下りたのだと思いますが、画作りからVFXからかなりお金がかかっていて、チープさは微塵も感じませんでした。

それ故に、妙にリアルな質感をしていて、表面の苔の湿気や幹のごつごつした感じを映像を通じて肌感覚で味わえてしまうような感覚があり、とにかく「怖い」のです。

まあこれについては作品を見ていただいた方が分かりやすいと思うので、ぜひ見てください。

ナガ
ちなみに『犬鳴村』の続編要素は、この男の子がまた登場するくらいですね。

映画『犬鳴村』より引用

そういう意味では、前作を見ておくと、今作での彼の登場シーンにニヤッとできるでしょう。

では、ここからは当ブログ管理人が今作『樹海村』について個人的に感じたことや考えたことを綴っていこうと思います。

本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・考察記事です。

作品を未鑑賞の方はお気をつけください。

良かったら最後までお付き合いください。




『樹海村』

動画レビューも公開!

本作についての個人的な感想や意見を小ネタも交えながら5分程度の動画にまとめてみました。

ブログ記事はネタバレを含む内容になりますので、もし作品を鑑賞前ということであれば、参考程度ということで、動画の方をご覧いただけますと嬉しいです。

ナガ
ぜひぜひご覧ください!

 

あらすじ

自殺の名所として世界的にも広く知られる富士の樹海にはこんな逸話が遺されていた。

かつて身体的ないし知能的に障害を抱えている人間を「生贄」として樹海に連行し、その奥深くに取り残して帰ってきたのだと。

そして、その「生贄」の生き残りたちが、そこで村を形成したのだと。

また、その村には、村人たちの指を切断して詰め込んであった「呪いの箱」があったと言われている。その箱は時折樹海の外に現れては、関わった人を樹海送りにするのだとか。

響と鳴は小さい頃に母親を亡くし、祖母に育てられてきた。しかし、響は子どもの頃から何かが「見える」体質で、姉の鳴はそんな妹を気味悪がっていた。

ある日、鳴の友人である輝と美優が結婚し、引っ越しをするということで、響と一緒にその手伝いをしに行くこととなる。

すると、響はその家の軒下に何か不思議なものの気配を感じ取る。

輝が軒下に潜ってみると、そこには謎の箱のような形状のものが置かれていた。

その箱を見るや否や、恐れおののき、発狂し始める響。

家の大家が、その箱を前の住人の持ち物だろうと引き取ることになるのだが、その刹那、事件は起きる。

何と車に乗り込もうとした大家の男性は、突然走ってきたトラックに追突されて、即死してしまう。

そうして響と鳴は自分たちの母親の記憶、そして樹海村との繋がりと対峙することになるのだが…。

 

スタッフ・キャスト

スタッフ
  • 監督:清水崇
  • 脚本:保坂大輔 清水崇
  • 撮影:福本淳
  • 照明:市川徳充
  • 美術:寒河江陽子
  • 録音:西山徹
  • 編集:鈴木理
  • 音響効果:赤澤勇二
  • 音楽:大間々昂
  • 主題歌:CHiCO with HoneyWorks
ナガ
主題歌がHoneyWorksだったのは、ちょっと驚きでした(笑)

さて、監督を務めるのは『呪怨』でおなじみの清水崇さんですね。

それ以外の作品となると『こどもつかい』や小芝風花さん主演の実写版『魔女の宅急便』を手掛けるなどホラー以外の作品にも挑戦しているようです。

脚本には『ラビットホラー』や前作の『犬鳴村』などで知られる保坂大輔さんが共同脚本として名を連ねています。

撮影や照明、編集にも前作と同じスタッフが携わっており、どちらかと言うとホラーというよりはヒューマンドラマのイメージが強い面々が名を連ねていますね。

キャスト
  • 天沢響:山田杏奈
  • 天沢鳴:山口まゆ
  • 阿久津輝:神尾楓珠
  • 鷲尾真二郎:倉悠貴
  • 片瀬美優:工藤遥
  • アキナ:大谷凜香
  • 野尻雄二:塚地武雅
  • 天沢琴音:安達祐実
  • 天沢唯子:原日出子
  • 出口民綱:國村隼
ナガ
山田杏奈さんの恐怖におびえる演技が、これまた一級品でしたね!

昨年の『ジオラマボーイパノラマガール』でも注目されましたが、『ミスミソウ』以来次々映画やドラマに出演を果たしている山田杏奈さんが今作の主演を務めました。

そして、彼女の姉の役を演じているのが、映画『くちびるに歌を』などでも知られる山口まゆさんですね。

彼女が今回の「村潜入要員」だったわけですが、非常に素晴らしい演技でした。

その他にも昨年公開の『のぼる小寺さん』で高い評価を受けた工藤遥さんも重要なキャラクターで出演していますね。

脇には、安達祐実さんや國村隼さんらが名を連ねており、特に「國村さん×森」は韓国映画の『コクソン』を強く思い出してしまって、トラウマが蘇るので、勘弁していただきたいです(笑)

映画com作品ページ
ナガ
ぜひぜひ劇場でご覧ください!



『樹海村』感想・考察(ネタバレあり)

相変わらず前半の完成度は高い!

(C)2021「樹海村」製作委員会

前作の『犬鳴村』のレビューの時も物語の序盤は本当によく出来ているという評価を下したかと思います。

今回も同様の評価を下せますし、予算が増して映像のリッチさが増した分、完成度は高まったのではないでしょうか。

『樹海村』の前半パートが素晴らしいのは、観客へのイメージの刷り込みと緩急のつけ方なんですよね。

ナガ
まず個人的にグッときたのは、空白の空間の使い方です。

ホラー映画で画面の中に、扉や窓、隣の部屋といった空白の空間を示唆するものが映り込んでいると、観客は当然そこから何かが現れるのではないかと警戒しますよね。

今作の序盤に、山田杏奈さんが演じる響が自室のPCでオカルト系のYouTube動画を見ているシーンがありました。

この時、彼女をモニター側からのショットで捉えることで、その向こうにある廊下へと開け放たれた扉が映し出されているのです。

当然この空間を使って何かが起きるわけですが、それがホラー的な演出で「祖母が晩ご飯の支度ができたことを知らせに来た」というだけなんですよね。

つまり、何かあると思わせておいて、何もないというホラー映画を多く見てきた観客の先入観のようなものを、この最初の演出で崩しにかかっているんです。

その後も『樹海村』の中では、こうした不自然に開け放たれた空間がたびたび映画の中に登場しますが、単に祖母や姉、友人が現れるだけだったり、何も起きなかったりします。

ただ、その中に時折「何かが起きる」というパターンを混入させてあるんですよね。

おそらく、空白の空間が映像の中にあって、そこから何か恐怖の対象が現れるという演出をいきなりやってしまっていたら、観客は身構えてしまうと思うんです。

しかし、最初の描写で祖母が表れて安心という流れを作っておくことで、観客はその空白に何が現れるのか、何が起きるのか、そもそも何も起きないのかというカオスの中で、注意を払い続けなければなりません。

こうした刷り込みないし印象づけが上手くいっていたことで今作の序盤は非常にホラー的な演出が機能していたと思います。

ナガ
刷り込みが為されているだけで、観客は無意識に画面内の「空白」に警戒してくれますからね!

また、前作同様に良かったのは、緩急のつけ方です。

例えば、作品の中盤頃に鳴が好意を寄せている真二郎という青年が、彼女の自宅にやって来て料理をしているシーンがあるのですが、ここで突然彼が自分の指を切断し始めました。

観客は、この描写で一気に恐怖感を煽られるのですが、一旦鳴がそれを制止し、救急車の搬送を要請するために電話をし始めて、事なきを得たかに思わせます。

しかし、その直後に彼が自分の首を切って自殺を遂げてしまう描写を繋げてあるのです。

「恐怖→安心→更なる恐怖」という構成で、しっかりと観客の精神状態に緩急をつけることで、より恐怖感が増幅するように計算されているわけですね。

また、精神病院で響の担当医が落下して自死をし、たまたま下にいた輝が巻き込まれてしまうシーンもそうです。

ホラー映画において病院という場所は前作の『犬鳴村』でもそうでしたが、恐怖の温床みたいな場所と言えます。

つまり、病院の出口という場所は、何となくホラー映画を見なれば観客にとっては一安心できる場所なんですよ。

しかし、そこでしかも昼間のシーンにいきなり、塚地武雅さんが演じる医師が転落してきて、安心していた観客を恐怖のどん底に叩き落すという流れはお見事という他ありません。

こうしたホラー映画の正攻法的な演出とそこに少し「外し」や「アクセント」を加えるアプローチが有効に機能し、相変わらず前半から中盤くらいにかけては本当に素晴らしい出来だったと言えます。



なぜか「木」が怖いホラー映画になってしまった?

(C)2021「樹海村」製作委員会

さて、前半でかなり恐怖感を煽っておいて、中盤過ぎくらいからいよいよ「樹海村への潜入パート」が始まります。

ここで、観客としては一体樹海村にはどんな恐怖が隠されているんだ…という期待感で胸がいっぱいになります。

ちなみに前作の『犬鳴村』では犬人間が登場するというサプライズがありました。まあ正直あまり怖いとかでは無かったですが、サプライズ要因としては面白かったと思います。

とりわけ今回の『樹海村』においては、樹海の奥に村があったくらいの情報しか判明していない状態で、鳴や他のキャラクターたちが樹海に占有する算段になるので、かなり「未知のものへの好奇心」は煽ってくれました。

しかし、樹海の奥に行けど行けど、そこに村があったという以上の情報が出てくるわけでもなく、結局はその元村人たちの亡霊が入ってきた人間を取り込もうとするという以上の何かがあるわけではないのです。

前作の『犬鳴村』はもうほとんど村のこと分かっちゃったじゃんという状態で村に潜入する算段となりました。

逆に『樹海村』は、まだまだ村があったくらいの情報しかないぞという状態で村に潜入する算段になるのに、結局それ以上の何かはないので、ホラー要素も想定の範囲内に着地してしまうという印象でした。

それでも、冒頭にホラー映画は「結果」じゃなくて、「過程」だと述べたように、そこに至る段取りがきちんと演出できていれば、満足できたと思います。

しかし、肝心のホラー描写についても、どちらかというとゾンビパニック映画のような趣が強くて、スリルはあるけれども、恐怖はないという感じでした。

ですので、基本的に『樹海村』は人間やクリーチャーが出てきて、それが「怖い」というタイプのホラー映画ではないですし、それを狙っていたのだとしたら、致命的にまずいと思います。

しかし、この作品には、そうしたものを差し置いて、観客の恐怖の対象となり得る「あるもの」が存在しています。

それが「木」なのです。

今回の『樹海村』はとにかく潤沢に予算が下りたのか、葉や木の幹のカラーリングに並々ならぬこだわりを詰め込んでありました。

葉の緑は明らかに私たちが普段見ているそれよりも色濃度が濃く処理されており、木の幹も、どす黒さが際立つように加工されていると思います。

普通葉や木の幹ってもう少し日光が当たって、柔らかい色味になるはずなのですが、今作においては徹底的に光の反射を抑え、色濃度を高くすることによって、映像の視覚的な迫力がとんでもないことになっていました。

その結果、生じたのが「木が怖い」という不思議な恐怖感です。

木の根のうねり、どす黒い幹の力強さ、光を反射しない葉の不気味さ、そして時折人間を取り込もうとする不気味な動き。

ナガ
本当に怖い…。日常生活に差し支えるぞ、これは(笑)

ということで、今回の『樹海村』はオカルトチックな伝承が数多く残っている樹海に潜入するというシチュエーションスリラーとしてはかなり成功していたと言えます。

一方で物語ないし脚本は散漫で、恐怖感を煽ることに完全に失敗していました。

ナガ
もっと謎があると思わせておいて、結局なんの謎も無くて、ただゾンビが追いかけてくるだけ。それでは観客は怖がらないですよ…。

個人的に今作のシチュエーションというか物語の作りそのものは『サスペリア』に似ているのかなと思いました。

樹海の奥で謎の儀式が行われていて、箱に触れた人間はそちら側に取り込まれてしまうという構造もそうですが、何となく終盤の森からの脱出パートも似てますね。

ただ、『サスペリア』には確かに存在していた「何かとんでもない恐怖」のほんの一端に触れてしまったという感触が脱落しており、ただのゾンビに追いかけられているだけというシチュエーションになっていたのは致命的です。

「恐怖の村」シリーズは今後も継続なのかもしれませんが、もし次回作があるのであれば、良い加減「村への潜入パート」をちゃんと怖くしてくれと強く申し上げたいですね。



ミステリ要素がなぜかヒューマンドラマにリンクしている

(C)2021「樹海村」製作委員会

そして、これについては明確に『犬鳴村』よりも悪化した点だと思いますが、ミステリパートの作中での機能の仕方ですね。

前作の『犬鳴村』でも主人公の家に秘密があり、それを紐解いていく過程で村の正体が明かされていくというプロセスが描かれていました。

ただ、前作のミステリ要素は、一応ホラー要素に繋がっていて、あんまり効果的とは思いませんでしたが、かろうじてアリかなくらいには思っていました。

しかし、なぜか今回の『樹海村』では、ミステリ要素がホラー要素に噛み合わず、むしろヒューマンドラマの方向に機能してしまっているんですよ。

この作品における最大の謎は、村で何が行われていたか、箱の正体は何なのかと言ったことではなく、なぜか鳴と響の母親がなぜ、どうやって樹海村で命を落としたのか?なんですよね。

ナガ
いや、なんでそこに力点を置いちゃうんだろ…(笑)

それがホラー要素に繋がるとしたら、クリーチャー化した母親が2人に襲い掛かって来るとかそういうことなのか?なんて鑑賞中は考えていました。

しかし、『樹海村』で描かれるのは、むしろ「母の子を思う愛情」や「姉妹がお互いを思い合う愛情」なので、今作はホラー映画というよりヒューマンドラマなんですよね。

冷静に考えて、『樹海村』のような宣伝の仕方をしている作品を見に来て、怖がるでもなく、驚くでもなく、しっとりと親子愛に涙したい観客ってどれくらいいるんですかね?

ナガ
少なくとも自分は求めていませんでしたが…。

自分のルーツにオカルトが関わっているという展開は、オカルトホラーの十八番とも言える展開だと思います。

しかし、それが恐怖と言うより感動の方面で機能すると言うのは、これまた斬新ですね。

ただ、姉妹愛を描いた作品なのだとしたら、ラストのいわゆる「呪いの箱はこれからも…」的なポストクレジットの映像がノイズに思えます。

樹海の村人のゾンビからの逃亡シーンの最後の最後に、響が鳴を庇って命を落としました。その時に響は鳴に「これからもずっと一緒だよ。」という言葉を残しているのです。

ヒューマンドラマ的に考えるとしたら、これは姉妹愛を強調する重要なセリフでしょう。

しかし、この映画はポストクレジットに、おそらく結婚して子どもが生まれた鳴の家にあの箱が再び現れるという描写を描いてあるので、すごく邪悪はセリフに思えてくるんですよ。

「これからもお姉ちゃんと一緒」と言うのは、あの箱がこれからも代々あの家に受け継がれていくことを示唆した言葉なのか…と。

単純に本作のヒューマンドラマ要素とオカルトホラー要素の食い合わせはかなり悪いと感じました。

ナガ
なんでそこを広げちゃうんだろ…という。

樹海村の謎に迫っていく話が見たいのに、樹海村に関係のある親子の「母を訪ねて樹海三千里」を見せつけられるという不思議な映画なのです。

映画を見終わってから、冷静に考えてみても、やっぱりホラー映画見に来て、ウェットなヒューマンドラマみたい人いるのか?という疑問は拭いきれませんでした。

そのため、正統派のホラー映画というよりは、どうしても映像的なリッチさと樹海というシチュエーションだけで何とか後半のパートを耐え忍んだ感動ゾンビパニック映画という印象が強くなってしまいましたね。

まあ山田杏奈さんの演技が巧いので、何となく涙を誘われてはしまうのですが、やっぱりなんか違うよな…という違和感にスクリーンを出た後、急激に襲われるような、そんな作品と言えるのではないでしょうか。

 

絶対にやってはならない結末が描かれている

(C)2021「樹海村」製作委員会

はい、記事の最後に本作『樹海村』の結末部分についてお話させていただきます。

まず、すごく簡単に説明しますと、

  1. 樹海村のオカルトは、「呪いの箱」が出現した家の人間の命を奪って、村に取り込んでしまうというもの
  2. 樹海村は、かつて「人減らし」として障害のある人間や老人が捨てられた樹海の奥地で、彼らが形成した村
  3. かつて母親が2人の娘である鳴と響を守るために、自分が箱を樹海村へと返しに行き、ある種の「生贄」になった
  4. 最後には妹の響が姉を守る形で村に取り込まれ、姉は何とか脱出に成功する

となっています。

私が個人的に大きな不満を抱いたのは、2と4の噛み合わせの悪さです。

まず、妹の響は作中で、「幽霊が見える」と発言していたために、統合失調症と診断され、入院させられてしまうんですよね。

つまり、彼女はかつて「人減らし」のために社会から排除される側の立場の人間であるわけです。

しかし、上記の4で書いたように、本作の結末部分では響が樹海村に取り込まれて、命を落とすことになります。

ナガ
あれ?これってどうもおかしくないですか?

つまり、響という「障害者」のレッテルが貼られた人間が樹海村に取り込まれてしまうという展開を描いてしまうと、それは過去の悲劇の「再生産」にしかならないんですよね。

だからこそ、今作のラストで描くべきは、響という世間から「障害者」のレッテルを貼られた人間が、受け入れられるという展開だったと思います。

ナガ
というか、これしかないと思うんですけどね…。

そうでないと、この映画が描いてきたことって一体何だったの?と首を傾げるほかありません。何の解決もしていないわけですから。

オカルトの中で、「人減らし」が行われていたという話を挙げるのは良いと思いますが、それが現代に再生産されるラストが良いとは私には思えませんでした。

みなさんはどう思われましたか…?



おわりに

いかがだったでしょうか。

今回は映画『樹海村』についてお話してきました。

ナガ
前回の『犬鳴村』と全く同じ長所と短所を抱えていて、評価も似たようなものになりましたね…。

ただ、映像面は明らかにパワーアップしており、逆に物語面では大幅にトーンダウンしていると思います。

この映画を見て抱いたのは、いくら何でも最近のJホラーは観客を怖がらせることを放棄してないか?という印象です。

昨年の『犬鳴村』のネタバラシ済みお化け屋敷展開もそうですし、『事故物件』の完全なるお笑いホラー演出もそうですよね。

『女優霊』『仄暗い水の底から』のような体の芯からじわじわとこみ上げてきて震え上がるような、そんなJホラー黄金期のような作品はもう現れないのかと、妙に寂しい気持ちになってしまいます。

決して『樹海村』も完全否定されるような作品ではなく、要所要所に光るものはありました。

しかし、作品全体として一貫して観客を恐怖に陥れてやろうという意図が見えづらく、感動のヒューマンドラマに逃げ込んでしまうというのが近年のJホラーの「悪癖」を象徴しているかのようです。

繰り返しになりますが、もし「恐怖の村シリーズ」で次回作を作るのであれば、ちゃんと「村への潜入パート」が怖い映画にしてください。

ナガ
そこが怖くないと、そもそも「恐怖の村」シリーズと言われてもピンとこないですよ…。

今回も読んでくださった方、ありがとうございました。

 

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