みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画版も公開された『太陽は動かない』についてお話していこうと思います。
暗い過去を背負い、仲間重いな熱い先輩エージェントの鷹野。
そして、遊び人でチャラチャラした表の顔とは裏腹にナイーブな後輩エージェントの田岡。
前者を藤原竜也さんが、後者を竹内涼真さんが演じているのですが、本当に小説を読んでいた時のイメージそのままですね。
特に竹内涼真さんのチャラさとナイーブさの同居は、「これぞ田岡!」って感じでしたし、原作を読んだ人間としても、非常に満足できました。
その一方で、この『太陽は動かない』という作品を2時間程度の映画に落とし込むと言うのは、とんでもないことですよね。
というのも、原作は文庫本で500ページを上回る大作であり、物語のスケールがとにかく大きいのです。
日本と中国、アメリカ、韓国と言った複数の国の国家と大企業、スパイの思惑が絡み合う壮大な物語になっていて、そこに近年のウイグルと中国を巡る問題や、次世代エネルギーの開発利権の話も絡んでくるので、とにかく複雑なんですよね。
スパイ映画って海外では多数作られていて、利害関係や人間関係が複雑と言えば『裏切りのサーカス』なんかが挙げられるでしょうか。
ただ、大半のスパイ映画は、どちらかと言うとアクション要素がメインで、利害関係が複雑に作られている作品は稀かなと思います。
今回の『太陽は動かない』の映画版も、原作をかなりスリム化して作られた映画になっており、どちらかと言うと、アクションメインになっていましたね。
ですので、「点」と「点」が徐々に「線」になっていくようなスパイ小説の醍醐味を味わいたいという方は、吉田修一さんの原作を読むことをおすすめします。
一方で、とにかくアクションをメインに楽しみたいという方は、映画版の方で十分だと思いますかね。
そういったある種の「区分け」が為されているという点で、映画版と原作の関係性としては、個人的には結構アリなんじゃないか?と思っている次第です。
監督は、とりあえず『海猿』をやりたかったんでしょうね…。
さて、今回はそんな『太陽は動かない』について個人的に感じたことや考えたことを綴っていきたいと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事です。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『太陽は動かない』
あらすじ(原作)
ある日、ベトナムのとある病院で「Hiroyuki Majima」という男が何者か殺害された。
時を同じくして、ベトナムのサイゴンの高級ホテルでは、大規模な油田開発に関わる要人たちが集うパーティーが催されていた。
AN通信のエージェントの鷹野は相棒の田岡とともに会場を訪れ、この儲け話に食いつかず、不穏な動きを見せる「香港トラスト銀行」のアンディ・黄と、中国の石油会社CNOXの要人たちを注視していた。
その会場には、アメリカのスパイであるミスターホワイト、韓国のスパイであるデヴィッド・キム、アンディ・黄に寄り添う美女AYAKOらが集っており、それぞれの思惑が交錯する。
そして、鷹野は、とある情報筋から妙な噂を聞きつける。それは、数日後に行われる天津でのサッカー日韓戦の会場となるスタジアムに爆弾が仕掛けられると言うのだ。
アンディ・黄や中国の石油会社CNOXが、ウイグルの過激派を焚き付けて実行に移させようとしているという話も挙がるのだが、その背後には中国という国家と暗躍するアンディ・黄らのどす黒い野望が見え隠れしていた。
鷹野と田岡は何とかして彼らの野望を打ち砕くべく奮闘するが…。
キャラクター/キャスト
鷹野一彦:藤原竜也
本作の主人公でAN通信のエージェント。表向きはアジア各地の情報を収集し、webなどで発信する小さなメディアだが、その実は諜報組織である。
幼い頃に両親に捨てられ、風間武に見出され、後にエージェントとして活躍するようになった。
田岡を自分の弟のように思っているところがあり、彼が囚われた時は胸の爆弾のタイムリミットを回避するべく、定期連絡を偽装するなどの策を講じた。
田岡亮一:竹内涼真
鷹野の部下として活躍するエージェント。鷹野とは違い胸の爆弾のことやAN通信という組織にも懐疑心を持っている。
かなりの「チャラ男」で、任務中にも女性をナンパしたり、オフの時間にはナイトクラブに足を運んだりして、ドラッグでハメを外し過ぎることもあった。
そうした表の顔とは裏腹にナイーブで弱気な性格であり、自身がCNOX側の人間に囚われた時には、一刻も早い「死」を願っていたほどだった。
AYAKO:ハン・ヒョジュ
アンディ・黄の新しいガールフレンドと噂される絶世の美女。
デヴィッド・キムに近寄り、彼に次世代エネルギー開発のキーマンである小田部教授の娘のフィアンセになるようにけしかけるなど不穏な動きを見せている。
その一方で、アンディ・黄の意にそわないような行動も見せており、その正体は謎に包まれている。
映画版では、フリーのエージェントで独自の損得勘定で行動しており、金になる情報が入ったと見るや、スパッとアンディ・黄を裏切るなどの行動も見せる。
デヴィッド・キム:ピョン・ヨハン
韓国の諜報組織に所属する凄腕のエージェント。
鷹野とはこれまでも何度も諜報活動を巡って、敵対している様で、因縁の関係とも言える。
次世代エネルギー開発のキーマンである小田部教授の娘に近寄り、彼女を恋に落とす。その傍らで、父である小田部教授に中国側に寝返るようにけしかける。
山下竜二:市原隼人
鷹野や田岡らの先輩エージェントにあたる人物。
映画版では冒頭のチェイスパートであっさりと退場してしまうので、彼の見せ場をチェックしておきたい方は、WOWOWのドラマ版『太陽は動かない THE ECLIPSE』をチェックしてください。
菊池詩織:南沙良
鷹野と柳が高校生時代、エージェントになる前のわずかな時間を島で一緒に過ごした少女。
東京で好意を寄せていた先輩に酷い扱いを受け、そのショックから島へと移住してきた。
柳勇次:加藤清史郎
鷹野と少年時代を共に過ごした少年。
AN通信のエージェントになるための試験に抜擢されるが、その際に渡された情報を持って逃亡した。
その後、行方不明となっていたが、映画版のラストでは彼がまだ生きていることが明かされている。
ちなみに彼と鷹野の物語の続きについては、原作の完結編『ウォーターゲーム』の方で描かれているので、気になる方はチェックしてみてください。
アンディ・黄:翁華栄
香港トラスト銀行の代表で、世界的な大富豪。
新しく発見された巨大な油田には見向きもせず、その傍らでレクテナを利用した宇宙での発電と、そこからの送電システムの開発に投資をしている。
中国のCNOXと結託し、日本に不利益をもたらしつつ、有用な技術だけを所得するなど野望のためなら手段は選ばない。
小田部教授:勝野洋
衛星で発電されたエネルギーを地球に送電する画期的なシステムを開発した京都大学の教授。
種子島で極秘裏に衛星を打ち上げ、自身で送電システムの開発成功を発表する予定だったが、デヴィッド・キムに娘を半ば「人質」に取られたことで、CNOX側につくことを決める。
河上満太郎:鶴見辰吾
日本のMETで大規模なソーラーパネル開発の責任者を務める。
まだ小さかった子どもを亡くした過去があり、それ故に生きていれば自分と同じくらいの年齢であったであろう鷹野に特別な思いを寄せる。
風間武:佐藤浩市
AN通信の立ち上げにも関わったとされる人物。
両親に壮絶な虐待を受けた鷹野を受け入れ、親元に帰す代わりに、エージェントにした。
鷹野や田岡のことを我が子のように心配しながらも、組織を維持するために、制限時間を過ぎれば、例え彼らであっても胸の爆弾が爆発するのは止む無しと考える冷徹な側面もある。
スタッフ
- 監督:羽住英一郎
- 原作:吉田修一
- 脚本:林民夫
- 撮影:江崎朋生
- 照明:三善章誉
- 録音:小松崎永行
- 特機:実原康之
- 操演:字田川幸夫
- アクションコーディネーター:諸鍛治裕太
- VFXプロデューサー:赤羽智史
- 編集:西尾光男
- 音楽:菅野祐悟
映画としての出来栄えは、それほど期待できない可能性はありますが、邦画アクションでこれほど大規模な作品を打診されるのは、やはり彼くらいのものでしょうか。
『MOZU』なんかは日本の作品としては規格外のアクションドラマ・映画でしたし、そういう意味でも『太陽は動かない』にも期待できますね。
脚本には、『ラストレシピ』や『空飛ぶタイヤ』、『糸』などの典型的な邦画大作を多く手掛けてきた林民夫さんが起用されています。
撮影・照明には『37セカンズ』で高い評価を獲得した江崎朋生さんと三善章誉さんのコンビが起用されています。
編集には、『MOZU』の西尾光男さんが起用され、劇伴音楽をアニメ『PSYCHO-PASS』シリーズなどでも知られる菅野祐悟さんが提供しました。
『太陽は動かない』感想・解説(ネタバレあり)
硬派でソリッドなスパイ小説がなぜこうなった…。
(C)吉田修一/幻冬舎 (C)2020「太陽は動かない」製作委員会
『太陽は動かない』の映画版を先に見た人は、こう思ったかもしれません。
ただ、この映画版を見ると、そう思うのも無理はないと思います。
なぜなら、最終的に判明する各キャラクターの利害関係が、劇中の行動とイマイチ一致しないからなんですよね。
例えば、映画版のAYAKOはフリーエージェントでアンディ・黄をあっさりと裏切って、デヴィッド・キムにつくと見せかけて、最終的には彼も裏切って、インドで開発された新しい素材の利権を手に入れるところに落ち着いています。
彼女が「利益を得られるのであれば、何でもする」という理念の持ち主なのは分かりますし、デヴィッド・キムを利用して、小田部教授の技術とインドの少年の新素材を回収しようとしていたのも分かります。
ただ、そうなのだとしたら終盤に単身でモスクワ行きの列車に乗り込んでくる意味がイマイチ分かりません。
彼女はこの時点で、アンディ・黄とも対立していますし、デヴィッド・キムに前回会った時に薬を盛っているわけですから疑われているはずです。
それ故に、リスクを冒してあの列車に乗り込んでくる意図がイマイチ分からないんですよね。
小田部教授を手に入れようとしている割には、準備不足ですし、インドの少年の開発した新素材の利権獲得が目的ならわざわざリスクを冒す必要もありません。
また、あの時列車が停車するように仕向けていたのは、アンディ・黄側の人間だと思うのですが、それにも関わらず彼女までもが用意周到に車を用意していた流れもよく分からないんですよ。
しかも、アンディ・黄の傭兵たちを追いかけようとするのですが、1人で乗り込んで教授を回収しようと言うのは、いささか無謀ですよね。
そう考えていくと、やっぱり1つ1つの行動にイマイチ説明がつかないのです。
彼は韓国の産業スパイで、最終的にはアンディ・黄を失脚させるために動いていたことが判明します。
その割に彼を失脚させるために取った手段もイマイチよく分かりませんし、失脚が目的だった割には小田部教授やインドの少年の新技術のことなどにまで深追いしていて、何がしたいのかがぼんやりしていました。
しかも、彼と小田部教授の娘の関係性も圧倒的に描写不足で、物語の中での位置づけも不明瞭です。
原作では、デヴィッド・キムというスパイが1人の人間として彼女との「普通の恋や暮らし」を夢見るという、『天元突破グレンラガン』のヴィラルが見た「幸せな夢」的な趣があったからこそ良かったんですけどね。
(『天元突破グレンラガン』より引用)
有能なスパイの割に、あっさりと睡眠薬を盛られたりしていて、バカっぽいのも笑えてきます。
普通、この手のスパイ映画って、人物同士の利害関係が明らかになっていくと、「あの時のあの行動ってそういうことか!」的な驚きと発見があるものです。
しかし、映画版の『太陽は動かない』は、最終的な利害関係が明らかになると、とにかく「いや、アホなん?」とツッコミたくなるような展開が多すぎて、スパイ映画としての醍醐味に欠けています。
吉田修一さんの原作の方は、その点で見事にまとまっているのですが、いささか尺を取りすぎるので、再現は難しいと鑑賞前から思ってはいました。
ただ、それにしてもここまでスパイ要素を適当にやられてしまうと、楽しめるものも楽しめないなと感じましたね。
原作との違いや登場人物の利害関係
鷹野と田岡:日本の諜報組織だが、日本のためにというよりは自分たちの利益のために動いていて、最も情報を高く売る方法を模索している。
(C)吉田修一/幻冬舎 (C)2020「太陽は動かない」製作委員会
原作では、鷹野と田岡が別行動する局面が多いのですが、映画版ではバディで行動する場面が多くなっています。
前半の天津の作戦では、田岡がCNOX側の人間に捉えられ、鷹野が定期報告を偽装しながら、彼を救出しました。
後半に入ると、鷹野が囚われている状況下で、田岡が日本で単独行動にて情報収集にあたるなど、成長も見られましたね。
AYAKO:アンディ・黄の付き人的に振舞っていたが、実はアメリカのエージェント。小田部教授を太陽光発電に纏わる新技術を開発した日本人の男性をアンディ・黄の元へと連れていくと見せかけて、アメリカへと密かに連れていく。それを彼に見破られていたことで窮地に陥るが、鷹野と田岡に救出される。
(C)吉田修一/幻冬舎 (C)2020「太陽は動かない」製作委員会
原作では、映画版以上に立ち回りの巧い人物として描かれており、最後の最後までその行動の目的が明かされません。
ポーカーフェイスの完璧なスパイですが、終盤にアンディ・黄の傭兵たちに囚われると、1人の女性としての弱さが表出します。そのギャップもキャラクターの魅力の1つと言えますね。
新型太陽パネルに関わる新しい技術を開発した、広津という男性と「吊り橋効果」的に好意を寄せあう関係になる様も見受けられました。
デヴィッド・キム:韓国の産業スパイ。当初はAYAKOと共にアンディ・黄側につき、小田部教授をCNOXに流す手伝いをする。しかし、その際に恋愛関係を偽装した教授の娘の菜々に本気の愛情を抱くようになり、葛藤する。
(C)吉田修一/幻冬舎 (C)2020「太陽は動かない」製作委員会
映画版では、コロッと睡眠薬で眠らされたり、アホっぽいスパイとして描かれていますが、原作ではやり手のスパイです。
ただ、スパイとして活動するうえで絶対に手に入れられない「普通の幸せ」を小田部教授の娘との出会いで経験し、後ろ髪を引かれるようになります。
それでも、最後はスパイとしての人生を選択し、彼女と別れるのですが、この描写が何とも切ないので、ぜひチェックしていただきたいです。
アンディ・黄:新型のエネルギーで利権を総取りしたいと考えている。冷静で、とにかく用意周到。AYAKOの裏切りについても見越しており、彼女がアメリカへと逃亡した際には速やかに身柄を拘束させた。自分が利権を手にできないと分かると、新しい技術を開発した日本の青年と彼の技術を一緒に海に沈めてしまうなどという発想に至る。
基本的に映画版のアンディ・黄もアホっぽくて、後手後手の対応ばかりでした。
ただ原作の彼は、本当に切れる男でとにかく先手先手であらゆることに対応しています。AYAKOの裏切りを最初から見抜いていたのも驚きでしたね。
五十嵐:日本の新米政治家で、ひょんなことから、太陽光発電に関わる画期的な発明をした青年と出会い、その技術の売り先の決定を委ねられる。日本のためにという信念を貫き、技術を中国側には売らない選択をする。鷹野らの情報と自身の中国の政治家との繋がりを生かしてアンディ・黄を失脚させることに成功する。
中国の北京系グループ:CNOXやアンディ・黄ら上海系のグループと対立する政治グループ。五十嵐からわいろや汚職などのスキャンダルの情報を得たことで、上海系グループを糾弾し、失脚させる。
青木優:AN通信のエージェントではない一般職の女性。鷹野らと出会い、自分もエージェントとして活動したいと考えるようになる。しかし、鷹野にそんな思いを無碍にされ、一時はAYAKOの下でAN通信の情報を横流しにするスパイとして暗躍する。ただ、それも含めて鷹野の作戦であり、彼女はAYAKOの行動を鷹野らに伝える二重スパイとして活躍した。
原作では、上記のような利害関係がクライマックスで明らかにされますし、加えてそれが劇中の行動の「点」と「点」を繋げてくれるものになっています。
そのため、今、登場人物が「何のために何をしているのか」が不明瞭なシーンが多く、それを適当に派手なアクションで誤魔化しているようにしか見えませんでした。
とにかくスパイ映画としては、脚本に難がありすぎますし、説明不足な割に結末の「種明かし」がその不足を補う説明になることもありません。
「結局何がしたかったんや?」というモヤモヤだけが心に残るという何とも後味の悪い映画でした。
編集もアクションも何一つ褒められない…。
(C)吉田修一/幻冬舎 (C)2020「太陽は動かない」製作委員会
この映画の中で1点だけ褒められる点があるとすれば、冒頭のカーチェイスからのアクションパートでしょう。
一連のシーンの何がすごいのかと申し上げますと、先輩エージェントの山下の胸の爆弾のリミットが迫っているという緊迫感です。
爆弾の爆発が迫っているというギリギリの状況で、鷹野と田岡が助けに入って来るのですが、それで一件落着とはならず、山下がギリギリの状況で上手くスマートフォンのボタンをタップできず、爆弾の認証解除に苦心します。
その結果、状況が目まぐるしく変化していき、ようやく認証解除か…いやダメか…でもようやく…いやダメだ…という繰り返しの中で緊迫感を演出します。
そして、いよいよ電話ボックスに入り、何とか爆弾の認証解除か…と思いきや、向かいの道にデヴィッド・キムの姿が映ります。
認証解除に間に合うのか、それともデヴィッド・キムの妨害が入ってしまうのか、鷹野と田岡は間に合うのか、といった複数の人間の思惑と目標が上手く1つのシチュエーションで交錯するように描かれていました。
このようにそれぞれの登場人物が今何を目標にしていて、そのために何をする必要があって、その上で今この「アクション」を取っているというのが明確だと、アクションシーンは臨場感と緊迫感に溢れたものになります。
見せ方も、もっとも追い詰められている山下を中心に据え、そこに携わる敵の組織と鷹野&田岡という構図にしてあるので、非常に分かりやすく、自分もあの空間に巻き込まれているかのような感覚を味わえました。
ただ、この『太陽は動かない』が良かったのは、ここまでです。
これ以降は、状況や設定の説明不足とその割に無駄に心情を語る説明やモノローグ、ナラタージュの連続で、本当に何がしたいのかが分からない映画になっていました。
まず、多くの人が指摘していた点ではありますが、回想シーンの使い方は酷すぎますね。
ただでさえ、登場人物が多くて説明していかなければならない設定も多いはずなのに、序盤はひたすらに鷹野の少年時代の階層がダラダラと続きます。
ちなみに、ここで描かれた内容は、原作だと『森は知っている』の方で描かれてます。
そして、この過去パートがスパイ映画としての本編に密接に関わって来るのかと言われると、そうでもなくて、エモーションとテーマ性の部分でしか関わって来ません。
そのため、冷静に考えて、あの島での少年少女の淡い恋物語みたいなものに尺を割く暇があったら、スパイ映画パートの説明をもう少ししてくれよと言いたくなります。
とは言え、あの島での少年時代のパートは単体では興味がある内容だったので、別建てて見てみたい気はしましたね(笑)
また、今作の1つの大きな見せ場とも言える中国の高層ビルでのアクションシーンですが、ここに鷹野が訓練生時代だった時の初任務をリンクさせるという謎演出が施され、見どころが半減していたのは残念でした。
アクションシーンって、やっぱり「連続性」が大切だと思いますし、だからこそその流れを断ち切って、過去パートの映像を挿入すると、どうしても緊迫感が途切れてしまうんですよ。
仮に過去のパートとリンクさせるのであれば、それが登場人物の成長を表現するものであるという物語的・構図的な意味合いがあるものでなければならないのですが、今作『太陽は動かない』ではそうした意図も見られません。
ただただ、アクションシーンの迫力を削いでまで、過去パートの尺を確保するという謎の演出には開いた口がふさがりませんでした。
このように、映画『太陽は動かない』は全体的に編集が雑で、物語やアクションの「流れ」が定期的に断線され、観客はその度に集中力を削がれていきます。
また、派手さも相まって、「すごい!」とポジティブな意見も散見されるアクションシーンですが、後半になるにつれてどんどんメッキが剥がれていった印象を受けました。
先ほども述べたように、物語における登場人物の利害関係や目的が不明瞭すぎて、アクションシーンに意図や物語性が薄いと言うのも大きな問題です。
ただ、アクションシーン単体で見ても、寄りのカットが多すぎて登場人物が何をしているのかが分からないシーンが多すぎるんですよね。
例えば、終盤の列車での戦闘シーンですが、田岡がアンディ・黄の傭兵と戦う時に、信号機を確認して、それに相手をぶつけるという演出があるんですが、なんであんなに「見せ方」が下手なのか…。
確かに発想は面白いですし、走行中の列車というシチュエーションを生かした演出ではあります。
しかし、見せ方が下手過ぎて、一瞬何が起こったのかさっぱり分からないんですよね。
本作『太陽は動かない』のアクションはこれに限らず、とにかく何をやっているのかがよくわからない「見せ方が下手すぎるシーン」が散見されます。
胸の爆弾の設定で「二兎」を追った結果がこれか。
加えて言うなれば、胸の爆弾が爆発するというタイムリミット設定の活かし方も冒頭の10分を除くと、総じて下手過ぎましたね。
日本の映画で言うと、『亜人』なんかが「タイムリミット」を意識したソリッドなアクション演出を作り上げていたのは記憶に新しいです。
今作『太陽は動かない』も、冒頭にあれだけドラマシリーズの重要キャラクターを胸の爆弾を爆発させて退場させるという前提を作ったわけですから、それをもっと活かすべきだと思いました。
(C)吉田修一/幻冬舎 (C)2020「太陽は動かない」製作委員会
つまり、タイムリミットが迫っていて、ギリギリのところで戦うような「命のやり取り」をもっと見せて欲しかったということです。
原作では、この点を田岡というキャラクターを使って上手くやっていました。
田岡が敵組織に監禁されて、その間にタイムリミットを迎えそうになり、鷹野は替え玉を用意して風間に報告し、1日の猶予を得ます。
その猶予も迫る中で、何とかして彼を救出しようと、天津のスタジアムの混乱の中で、スリル満点のチェイスを繰り広げるのです。
せっかく「タイムリミット」設定があるわけですから、アクションメインにするにしても、それをもっと活かせたでしょう。
この映画の作り手は、「1日おきに爆発の危機を迎える胸の爆弾」をアクションに活かすというよりは、テーマ性の部分で活かそうとしたのだとは思います。
ただ、その選択がアクションも物語もダメしてしまうと言うのは、何とも皮肉です。
「二兎を追う者は一兎をも得ず」とはこのことでしょうか。
どうせならもっとアクションに全振りして欲しかったですし、アクションも「タイムリミット」設定を取り入れて、キャラクターの立ち位置を明確にして、もう少しまともなカメラワークで撮って欲しかったです。
日本でこうしたアクション映画が撮影されること自体が珍しいので、期待していたのですが、とても褒められるクオリティではないと思いました。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『太陽は動かない』についてお話ししてきました。
ウイグル問題や日本の学術者軽視の問題、中国と日本を巡る情勢など非常に現代性のあるスパイ小説になっているので、非常に楽しめる内容になっていると思います。
とにかく情報量が多く、スケールも大きいので、読み解くにはかなり頭を使いますが、その分クライマックスにかけて物語の謎が解けていくと「そういうことか!」という驚きと発見がありました。
そして、映画版はテーマ性とドラマ性、アクション性とスパイ映画の醍醐味といった全てを盛り込もうと欲張って崩壊した印象は強いですね。
原作のボリュームから考えて、「スパイ映画」の部分をばっさり切り捨てるのは、予想がつきましたが、まさか前作の『森は知っている』の内容にまで手を広げてテーマ性とドラマ性を回収しようとしたのは予想外でした。
個人的には、テーマ性のところは薄めで良かったと思いますし、「1日おきに爆発の危機を迎える」という設定は割り切ってアクションシーンで活きるギミックと位置づけてしまえばよかったと思っています。
スパイ映画としてもう少し脚本がしっかりして、アクションシーンも冒頭のチェイスシーンのような内容が続いていけば、邦画としては破格のアクション映画として評価されたはずです。
事前の予告編では、まさしくそうした映画を期待していただけに、「なぜ、こうなった…」という印象です。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。