みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『まともじゃないのは君も一緒』についてお話していきます。
今作は、いわゆる登場人物同士の「掛け合い」を主体にした映画なのですが、このタイプの作品は、作り手や演者の技量がモロに出てしまうので難しいんですよね。
編集や演出を一歩間違えると冗長に感じさせるものになってしまいますし、演者の技量が脚本に追いつかないと会話劇に魅力を見出しづらくなってしまいます。
ただ、『まともじゃないのは君も一緒』については、こうした難しいジャンルに挑みつつ、そうしたハードルを軽々と飛び越えており、約90分の時間が一瞬に感じられるほどにテンポの良い作品となっています。
もちろん編集や撮影も優れていて、映像的な視点で見てもよく出来た映画なのですが、それ以上に主演の2人の演技がずば抜けていますね。
後程詳しくお話しますので、ここでは軽く触れるにとどめますが、とにかく成田凌さんの演技が凄まじくて、衝撃を受けました。
いや、『スマホを落としただけなのに』や『窮鼠はチーズの夢を見る』くらいから演技がとんでもないことは分かっていましたが、今作はまた1つ上の次元に到達していたなと感じます。
何はともあれ、2021年必見の邦画の1つだと思いますが、監督を務めたのは『婚前特急』や『セーラー服と機関銃 卒業』などで知られる前田弘二さん。
そして脚本を『そこのみにて光輝く』や『映画クレヨンしんちゃん 激突!ラクガキングダムとほぼ四人の勇者』など傑出した脚本を提供し続ける高田亮さんが手がけました。
脚本のクオリティがとにかく高いなと思っておりましたが、彼のこれまで脚本を担当してきた作品のラインナップを見て納得しました。どれもハイクオリティでかつオリジナリティ溢れるものばかりです。
また、今作で際立っていた編集の責賞には、『おらおらでひとりいぐも』や『あの頃』などでも知られる佐藤崇さんが起用されています。
こうした実力派の制作陣に、清原果耶さんと成田凌さんという若手俳優をリードする2人が加わり、絶妙なハーモニーを奏で、何とも愛おしい作品が出来上がりましたね。
さて、ここからは本作を見て、個人的に感じたことや考えたことをお話させていただきます。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事です。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『まともじゃないのは君も一緒』感想・解説(ネタバレあり)
登場人物の掛け合いにおける「韻」と「逸脱」
さて、今作『まともじゃないのは君も一緒』は清原果耶さん演じる香住と成田凌さん演じる康臣のキャラクターが繰り広げる会話や掛け合いを主体とした作品になっています。
2人の演技が素晴らしいことは後ほど詳しくお話するとして、本作が脚本や編集といった映画の作りの部分でいかに優れていたかをまずはお話させてください。
今作が優れていたのは、ズバリ会話の中に「韻」と「逸脱」を盛り込み、リズムやテンポが一様にならないように計算されていたことだと思います。
今作においては香住と康臣、美奈子と功、康臣と美奈子、香住と功というように会話のカップリングに応じてある程度それぞれのキャラクターの立ち回りや会話のリズムが決められています。
例えば香住と康臣のやり取りにおいては、前者が一方的に話しかけ、後者はそれを聞いて従っているという状況になっています。
(C)2020「まともじゃないのは君も一緒」製作委員会
しかし、これが康臣と美奈子というカップリングになると、比較的台頭に話しており、むしろ康臣の方が会話の主導権を握っている印象すら与えてくれますね。
このようにキャラクターのカップリングによって立ち回りとリズムを決め打ちし、それを織り交ぜながら物語を展開していくことで会話にバリエーションが生まれ、映画全体で見た時にトーンが一様にならないのです。
会話劇ないし登場人物のモノローグを主体として展開していくアニメの代表格として『化物語』がありますが、これも主人公の阿良々木暦自体の立ち回りやキャラクターが決まっていて、その会話の相手となるヒロイン次第で掛け合いのリズムが変化するというアプローチをとっていました。
そして『化物語』でいうところの主人公、阿良々木暦の会話における立ち回りの不変性は、繰り返されることで作品の中である種の「韻」として機能するようになっているのも特徴的です。
『まともじゃないのは君も一緒』においても、清原果耶さんのまくしたてるような語り、成田凌さんの少し奇怪で理屈っぽい話し方や動きは映画の中で反芻されていき、「韻」として積み重なっていきます。
音楽を聴いていて、旋律や歌詞に「韻」が踏まれていると、私たちは無意識のうちに心地良さを感じますよね。
そういう感覚が、この映画にもあって、観客は次第に同じシチュエーションの会話劇の繰り返しに「心地良さ」を感じるようになります。
しかし、この脚本はそうした「心地良さ」が「冗長さ」に変わる直前に、次の展開へと舵を切ってくれます。
それが美奈子というジョーカーの投入です。
(C)2020「まともじゃないのは君も一緒」製作委員会
彼女は香住とは対照的に康臣の話を聞き、彼に主導権を預けるようなタイプの女性です。
会話における「韻」が彼女の登場によって、その繰り返しから「逸脱」していき、新たなリズムを生み出すようになります。
そして、そこで起きた「逸脱」が、巡り巡って香住と康臣の会話の方にも影響を与えるのです。
それが言うまでもなく、予備校のデスクで康臣が香住に対して、「功のような男は許せない」と声を荒げたシーンですね。
音楽においても旋律や歌詞の「韻」の積み重ねから「逸脱」する時というのはその部分を強調したいという意図がある時です。
『まともじゃないのは君も一緒』においても、2人の関係性の大きな転換点となる康臣が声を荒げるシーンはまさしく作品における強調ポイントでした。
(C)2020「まともじゃないのは君も一緒」製作委員会
そして、このシーンがこれほどまでに作中で際立ち、観客の心に残るものになったのは、そこに至るまでしっかりと「韻」を踏んできた積み重ねがあるからであり、そこからの極めて唐突な「逸脱」を演出したからなのです。
こう考えていくと、いかに本作の会話劇が理詰めでしっかりと計算されたうえに構築されたものだったかが分かりますよね。
清原果耶さんと成田凌さんが突く絶妙な「ライン」
さて、ここから主演のお2人の演技についてお話していくわけですが、もう私なんかがどうこう言うまでもなく卓越した演技です。
特に成田凌さんの方は、1人で全部持って行ってしまうような存在感でしたし、とんでもない役者に成長してしまったなという印象を受けました。
その上で、私が2人の演技に驚かされたのは、「不快」「気持ち悪い」「うざい」といったネガティブな感情を観客がギリギリ抱かないような絶妙なラインの演技をしていることなんです。
例えば、清原果耶さんの演じた香住というキャラクターは自分のことを棚に上げて康臣に上から目線で話したり、取っている行動もストーカー染みていたりと冷静に考えると「ヤバい」人なんですよ。
(C)2020「まともじゃないのは君も一緒」製作委員会
おそらく小説で、彼女の言動を読んだとしたら、多くの人が「ウザい」「不快」「嫌い」といったネガティブな感情を抱くことになると思います。
しかし、清原さんは絶妙にそうはならないように香住というキャラクター像を作り上げているのです。
迷いながらも一生懸命に頑張っていて、間違ったことをしたり、言ったりもしているけれど、それでも自分の思いと向き合おうと努力している「がむしゃらさ」を押し出すことで、そのネガティブな部分を補完してくれているんですね。
ただ、これが本当に難しくて、『まともじゃないのは君も一緒』という作品の性質上、観客に香住というキャラクターが「まとも」や「普通」だと思われてはいけません。
しかし、「ウザい」「不快」「嫌い」だとは思わせてはいけないわけで、そのスレスレの絶妙な演技を求められていたのだと思います。
そして彼女は見事にその役を全うしているわけですから、やはりその演技力はずば抜けていると感じました。
一方の、成田凌さんが演じた康臣もまた「気持ち悪い」というラインを超えてしまうと観客の心が離れてしまいますから、それを超えないギリギリのラインで「奇怪さ」「異常」を見せる必要がありました。
(C)2020「まともじゃないのは君も一緒」製作委員会
ただ、成田さんが巧いのは、役に自分を寄せるというよりは、自分のワールドで役を昇華させる技術を持っていることなのかなと今作を見ていて思いましたね。
つまり、康臣というキャラクターの特徴を乗せた状態の自分がどうすれば、観客に受け入れられるのか、好意的に思ってもらえるのかという俯瞰の視点で演技をしているような趣があるのです。
そうした計算によって、康臣の「奇怪さ」や「異常さ」が成田凌さんという俳優のフィルターを通り、「愛くるしさ」へと形を変えて、観客へと伝わってきます。
その上で、先ほどもお話しましたが、作品の主題に沿うように「奇怪さ」や「異常さ」が物足りないと感じるような演技にはなっていません。
ちゃんと「普通じゃなくて」、ちゃんと「気持ち悪い」のに、なぜか愛おしい。
そう思わせるようなキャラクター像を作り上げているのです。
作品のテーマ性をきちんと尊重しつつ、観客がネガティブな感情を抱いてキャラクターから心が離れてしまわない、そのギリギリの「ライン」を突いてくる2人の演技があったからこそ本作は成立したのだと私は思っています。
私の「異常」は誰かの「まとも」
(C)2020「まともじゃないのは君も一緒」製作委員会
さて、最後に本作の物語の部分の感想を綴っていきます。
物語は、「普通」に憧れる康臣と「普通」を知ったかぶりしている香住の2人を中心に展開していきます。
そして、物語を大きく動かしていくのが、康臣が美奈子という女性にアプローチをかけたことでした。
この行動がきっかけで、美奈子の心は夫の功との間で揺れ動き、一方の香住も自分の恋心が康臣の方に向いていることに気がついて動揺し始めます。
終盤に入ると、当初は「普通」に見えていた功と美奈子の夫婦の歪な側面が顔を覗かせ始め、彼らもまた「普通」などではなかったのだということが明らかになっていくのです。
そうして物語は「結び」へと向かっていくわけですが、私は今作の「落としどころ」がすごく好きなんですよね。
まず、功と美奈子の夫婦の迎えた結末が何ともすごいなと思っていて、美奈子は功が嘘つきのろくでもない人間だということも分かった上で、それを受け入れて「現状維持」を選択するんです。
でも、2人の関係を外から見て、あなたが美奈子にアドバイスをするとしたら、絶対に開口一番「あんな男やめとけ。」「YOU別れちゃいないよ。」と言いますよね。
だって、私の尺度からして、不倫をして嘘をついて誤魔化すような男を受け入れて、結婚生活を送っていくことが「普通」じゃないからです。
それでも、美奈子はそれが自分にとっては「普通」だし、正しいことなんだと自らの意志で選び取るんですよね。
そんな彼女に対して康臣がかけた言葉もまた良くて、「あなたがいいならいいんです。それで。」というものでした。
でも、この世界の多くの物事って結局そうなんですよね。
自分が納得してそれでいいと思っていることに対して、外野の人間が「そんなのおかしい」「普通じゃない」いった言葉をかける。
でもそんな言葉をかける方がむしろ「普通じゃない」んだと思います。
私たちが生きていく上で大切にしなければならないのは、私にとっての「異常」はあなたの「普通」、一方で私にとっての「普通」はあなたにとっての「異常」かもしれないという視点を持つことです。
そう考えることで、誰かに自分の「普通」を押しつけたり、逆に相手に相手の「普通」を押しつけられたりしなくて済むようになります。
今作の中で森の話が出てきましたよね。
色々な音を奏でる生き物がいて、それはどれもユニークだけれど、森全体で捉えるとその異音の集まりが1つのハーモニーのようになっていて、調和がとれているという話を康臣がしていました。
きっと、これは私たちの世界もそうで、全員が均一な「普通」を生きているからではなく、多種多様な個性を持つ人間がそれぞれの「異常」を生きている社会だからこそ、全体として調和がとれているのだと思います。
まともじゃないのは君も一緒。
でも「まともじゃない」ことそのものがこの世界では「まとも」なんだとこの映画を見て、気づかされ、深く考えさせられました。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『まともじゃないのは君も一緒』についてお話してきました。
とにかく主演2人の存在感が際立っている作品だとは思いますし、言うまでもなく2人の演技は素晴らしいです。
ただ、脚本や作劇、演出の面でかなり計算された上で、構築された繊細な作品であり、そこが作品としてのソリッドさに繋がっていることは間違いありません。
その上で、主題とその落としどころも抜群で、心惹かれる1本だったと思います。
2021年は素晴らしい邦画が次々に生まれていますが、今作はその中でもぜひ見ておいていただきたい1本です。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。