みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『アンモナイトの目覚め』についてお話していこうと思います。
昨年公開された作品だと『燃ゆる女の肖像』もありましたし、近年は『君の名前で僕を呼んで』など同性が惹かれ合う様を描いた繊細な映画は数多く公開されています。
『アンモナイトの目覚め』も予告編だけだと、そうした作品の系譜で、キャストをケイト・ウィンスレットとシアーシャ・ローナンに変えただけなんじゃないか?と少し侮っていたところもありました。
しかし、今作はそうした鑑賞前の想像をはるかに上回って来る出来栄えだったと思います。
アンモナイトないし化石というものは、基本的に土や石、岩の中から掘り出したり、磨きだしたりして、そのカタチが見えてくるものです。
そうした「化石を探り当てて」いくプロセスと、人間の表面には表れない感情を掘り出していくプロセスを見事にリンクさせて絶妙な作劇で描き切ったのが本作だと思いました。
『アンモナイトの目覚め』を見始めると、登場人物の行動やバックグラウンドに不可解さをいくつか感じる部分があることでしょう。
しかし、それらは意図的に隠されており、物語が進むにつれて、少しずつ掘り出され、磨きだされ、その輪郭が浮かび上がって来ます。
その繊細さ、丁寧さがあまりにも傑出しており、じわじわとこの映画に引き込まれていきました。
今回はそんな本作の作劇の丁寧さ、描写やモチーフに背後にあるものについて自分なりに解説させていただきます。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む解説・考察記事です。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『アンモナイトの目覚め』
あらすじ
舞台は1840年代、イギリス南西部の海沿いの町ライム。
古生物学者メアリー・アニングは、世間とのつながりを絶ち、浜辺で化石を探し求める生活を続けていた。
かつて彼女の発掘したイクチオサウルスの化石が大発見として大英博物館に展示されたが、女性であるメアリーの名は博物館のラベルにすら記載されなかった。
そのためメアリーは、ライムの町でアンモナイトを発掘し、掘り当てた化石で土産物にアレンジして販売し、細々と生計を立てている。
ある日、町にやって来た裕福な化石収集家から彼の妻で鬱病気味のシャーロットの面倒を見て欲しいと頼まれる。
報酬がもらえるからと渋々彼女を引き受けたメアリーは美しく可憐なシャーロットに次第にひかれていく。
過去のトラウマに苛まれ、夫に縛られた生活を送るシャーロットもまた自由に生きるメアリーに憧れのような感情を抱くようになる。
次第に身を寄せ合うようになる2人だが、メアリーがこの町にいられる期間は残りわずかとなっていた…。
スタッフ・キャスト
- 監督:フランシス・リー
- 脚本:フランシス・リー
- 撮影:ステファーヌ・フォンテーヌ
- 編集:クリス・ワイアット
- 音楽:ハウシュカ ダスティン・オハローラン
監督・脚本のフランシス・リーは『ゴッズオウンカントリー』で注目を集めた監督ですね。
こちらも青年同士が惹かれ合う様を丁寧かつ繊細なタッチで描きだした作品で、高い評価を受けました。
撮影には『君と歩く世界』や『はじまりへの旅』などで知られるステファーヌ・フォンテーヌが起用されています。
個人的に『君の歩く世界』の海の描写が大好きだったので、今作『アンモナイトの目覚め』も海の描写が多い作品と知り、期待していました。
編集には、『ゴッズオウンカントリー』のクリス・ワイアット、劇伴音楽には『LION』などで知られるハウシュカとダスティン・オハローランの2人がクレジットされています。
- メアリー・アニング:ケイト・ウィンスレット
- シャーロット・マーチソン:シアーシャ・ローナン
- モリー・アニング:ジェマ・ジョーンズ
- ロデリック・マーチソン:ジェームズ・マッカードル
- ドクター・リーバーソン:アレック・セカレアヌ
- エリザベス・フィルポット:フィオナ・ショウ
主人公で化石採集家のメアリーを『タイタニック』や『エターナルサンシャイン』のケイト・ウィンスレットが演じています。
そしてメアリーと惹かれ合う貴婦人シャーロットを『ブルックリン』や『レディバード』などで高く評価されてきたシアーシャ・ローナンが演じていますね。
他にも、『ハリーポッター』シリーズでペチュニア・ダーズリーを演じていたフィオナ・ショウらが脇を固め、静かで重厚なドラマを支えています。
『アンモナイトの目覚め』解説・考察(ネタバレあり)
多くのものが「隠された」ドラマ
この『アンモナイトの目覚め』という作品を見ると、多くの人が疑問を抱くと思います。
というのも、登場人物のバックグラウンドや関係性に関する説明が完全に抜け落ちた状態で、物語が展開されていくからです。
例えば、主人公のメアリーの母親が白い陶器のオブジェを8体暖炉の上に置いていて、それをいつも大切そうに磨いていますよね。
ただ、この描写について特に言及されることはなく、物語が進行していくため、観客は妙な違和感と疑問を抱えたままになるわけです。
他にも、本作には「隠された」ものがたくさん散りばめられていました。
- ①母モリーが有精卵から出て来たひよこにひどく動揺したわけ
- ②貴婦人シャーロットが鬱気味になり、ライムの町にやって来た背景
- ③メアリーがノートに描いてあるイクチオサウルスの化石
- ④メアリーとエリザベスの関係性
これらの要素は、全て最初に描かれた時には、その意味が観客には分からないようになっています。
そして、まさしく化石を掘り当てていくかのように、少しずつ削り出し、磨き上げて、これらのカタチを浮かび上がらせていくところに本作の作劇の繊細さがありました。
(C)The British Film Institute, The British Broadcasting Corporation & Fossil Films Limited 2019
①については、最初に挙げた8体の陶器のオブジェとリンクしていますが、モリーが自分の子どもの多くを失ったことに起因していたことが後に明らかになります。
そして、結局映画の最後の最後まで明確に明かされることはないのですが、モリーの子どもの死にリンクして描かれるのが、②のシャーロットがライムに来た背景ですね。
彼女もまた、子どもを失ったという経験をしており、それに伴って夫との関係もぎくしゃくしています。
終盤に、彼女の屋敷の空き部屋をメアリーのために…という提案がありましたが、あの部屋って本来「子ども部屋」にするための部屋だったんじゃないかと思いましたね。
つまり、子どもを失ってぽっかりと開いた空白を、シャーロットはメアリーをあてがうことで埋めようとしていたのでしょう。
しかし、子どもを失った時のことなんかが明確に描写されることなく、その周辺を掘り下げることで、ぼんやりと輪郭を浮かび上がらせていくところに「化石堀り」的なプロセスを見出すことができます。
③についても、彼女が11歳の時に描いたものであり、映画のファーストカットで映し出された化石と同じであるということ以外の情報は明かされず、それに対してメアリーがどんな感情を持っているのかが描かれないのです。
(C)The British Film Institute, The British Broadcasting Corporation & Fossil Films Limited 2019
しかし、シャーロットとの関わりの中でその思いが明らかになっていき、ラストシークエンスへとリンクしていきます。
④についても、2人の邂逅が描かれたのは、彼女がシャーロットのための軟膏を取りに行った場面でしたが、なぜその関係がぎくしゃくしているのかが伏せられています。
ただ、メアリーが生活している風景が無味乾燥で淡白な海の風景であるのに対して、エリザベスの生活している風景は山間の花と美しい自然に囲まれたコテージです。
この2人の暮らしている生活圏の対照的な風景が何となく2人が正反対の存在であることを仄めかしていました。
そして、パーティーの場面で、シャーロットとエリザベスが親密そうに話をしているのを見て、メアリーが逃げ出した場面もすごく意味を持ってきますよね。
最後には、エリザベスが元ガールフレンドであったことが明かされますが、こうした描写の連続の中で、核心部分を伏せたままで物語を展開していくというアプローチが素晴らしかったと思います。
繊細でもどかしい思いの可視化
そして「隠されて」いたのは、設定やバックグラウンドだけではありませんでした。
登場人物の感情表現についても、何と言うか「奥ゆかしさ」を感じさせるようなものになっていて、引き込まれました。
まず、メアリーとシャーロットが海辺で視線を交錯させるシーンは、もう芸術品と呼んでも差し支えないほどの逸品でした。
(C)The British Film Institute, The British Broadcasting Corporation & Fossil Films Limited 2019
メアリーは海の方を見つめているのですが、視線の端にシャーロットを捉えていて、注意を引かれてしまっているわけですよ。いわゆる「チラ見」ってやつです。
しかし、メアリーが視線を向けている時に、シャーロットがメアリーを見ていないので、その視線が交錯することはないんですよ。
ただ、シャーロットの方も実はチラチラとメアリーに視線を向けてはいるんですね。その2人の視線が交わりそうで、交わらないもどかしさに胸がいっぱいになりました。
(C)The British Film Institute, The British Broadcasting Corporation & Fossil Films Limited 2019
本作『アンモナイトの目覚め』は、そんな繊細で、奥ゆかしい感情表現に溢れています。
そして、何と言っても私が一番グッときたのは、メアリーとシャーロットの性的な交わりに関する描写です。
最初に2人が交わったときは、キスから始まり、メアリーがシャーロットのものを舐めるという形で描写されていました。
しかし、2人の次の「交わり」の描写については、これが明確に描かれていません。
カメラをメアリーの部屋の扉を挟んだ手前側に配置し、直接的に2人の交わりが見えないように演出してあるのです。
ただ、そこから2人の喘ぎ声が漏れ聞こえてくるという形で、その扉の向こうで起きていることを観客に想像させるように意図されています。
大抵の映画であれば、ここでダイレクトに身体的な交わりを可視化してしまうと思うのですが、『アンモナイトの目覚め』はここで「見せない」という段階を踏んでいるわけです。
その代わりに、部屋から漏れ聞こえてくる声と、朝を満たされた表情で迎える2人の姿という「周辺」情報を描写し、「核心部分=身体的な交わり」の輪郭を浮かび上がらせるように演出されていました。
この「隠す」というステップが感情表現のための演出としても作品を通して効果的に機能していたのが印象的でしたね。
また、この段階があることで、別れの前夜に2人が交わる場面を可視化したときの、インパクトや感情の爆発にも繋がっていきます。
このように『アンモナイトの目覚め』という作品は、感情表現をコアとなる感情の周辺を少しずつ掘り下げていき、輪郭をぼんやりと浮かび上がらせていきつつ、最後に核心に迫るというプロセスを一貫して採用していました。
このプロセスもまた、メアリーが化石を石や岩の中から見つけ出していく過程に重なるものです。
ラストシークエンスに込められた「自由」というメッセージ
そして『アンモナイトの目覚め』において圧倒的なのが、終盤のメアリーがロンドンに渡ってからの一連のシークエンスでしょう。
ここで、先述したメアリーがノートに描いていたイクチオサウルスの化石に込められた意味が明らかになっていきます。
ロンドンにあるシャーロットの自宅を訪れたメアリーは、彼女が自分のために部屋を用意して住まわせようとしていたことに憤慨し、立ち去りました。
(C)The British Film Institute, The British Broadcasting Corporation & Fossil Films Limited 2019
この時のメアリーの発言から、彼女にとって何よりも大切なのは、名誉や安定ではなく、「自由」なのだということが伺えます。
シャーロットは、夫に束縛され、何も決められない環境に身を置いていたために「自由」を渇望していましたが、立ち直った彼女は自らを安定させるために、その枠にメアリーを押し込めようとしました。
つまり、シャーロットは自分が夫から受けたのと、同じ扱いをメアリーに対してしてしまったというのが、あのシーンの本質なのです。
思えば、ライムで過ごしていた時もこうした2人の「ズレ」は顔を覗かせていました。
というのも、メアリーは店に置いてある化石たちに「値段」つまりプライスタグをつけることを嫌がっているようなところがありましたよね。
モリーがシャーロットの作った鏡に値札をつけようとしていた時もそうでしたし、海でシャーロットと見つけた化石の商談の時も、相手の言い値で納得したら売るみたいなアプローチを取っていました。
というよりも、化石に何か余計な情報を付加することを嫌っていて、純粋にその化石の価値を知った上で、それに見合う対価を払って欲しいというのが彼女の思いなのでしょう。
しかし、シャーロットはどちらかと言うと「商売人」気質なところがありましたよね。
化石を取るためにかかった時間や労力、メアリーの知識や経験の価値をひけらかし、それらがこの化石の付加価値になっているのだと、ある種の「価値づけ」をしたわけです。
これは実はメアリーにとっては、自分の化石との向き合い方とは異なるのだと思います。
多くの観客は、物語の最初にメアリーの採取したイクチオサウルスの化石に無関係な男性の名前が書かれたラベルがつけられ、大英博物館に展示されている描写がインサートされたことで、本作の主眼が「いかに女性の功績が隠されてきたか?」にあるのだろうと何となく思いをめぐらせることでしょう。
しかし、今作が描きだしたメアリーの本当の思いはそんなところにはありません。
彼女は、むしろ自分の名前がラベルに書かれ、それが添付されることで化石から純粋性や事由が奪われてしまうのではないかという目線を持っているのだと思います。
彼女のノートには、あの巨大な骨格に「名前」がつけられていませんでしたし、「今はイクチオサウルスと名づけられている」という話ぶりでしたよね。
それ故に、シャーロットが夫の購入したアンモナイトの化石にメアリーの名前のラベルを貼るという行為は、メアリーの神経を逆なでするものになってしまいました。
物語はいよいよラストシークエンスへ突入し、舞台は大英博物館へと移されます。
それは、壁一面に男性の肖像画が掛けられた場所をメアリーが歩いていく場面です。
(C)The British Film Institute, The British Broadcasting Corporation & Fossil Films Limited 2019
この時、カメラが1枚の肖像画の前に立つメアリーを捉え、彼女が背後の肖像画の男性にぴったりと重なる瞬間を作り出します。
なぜ、この描写が凄まじいのかというと、肖像画の中に閉じ込められた男性の偉人と、その枠に収まらず、額縁から飛び出したメアリーという対比を強烈に印象づけるものになっているからです。
女性のヒドゥン・フィギュアズにスポットを当てた作品としては、やはり男性がこれまで女性の功績に自分たちの「ラベル」を上書きしてきたという歴史にスポットを当てるのが自然です。
本作『アンモナイトの目覚め』も途中までは、そうした方向性に進むのだろうということを予感させる内容にはなっていました。
しかし、メアリーという人物はそうした対立軸にすら縛られない女性なんですよね。つまり肖像画のフレームに収まり、「偉人」としてもてはやされることを望んでいないのです。
そうした彼女の本当の思いが、あの肖像画に重なるワンカットで明確に表現されていて、圧巻でしたね。
そして、最後はイクチオサウルスの化石が保管されている場所で、メアリーとシャーロットが対峙するところで物語が幕切れました。
メアリーが豪華なショーケースの中に保管され、ラベルをつけられた化石を見ながら感じていたのは、「後悔」だったのかもしれません。
1年分の生活費と引き換えに、彼女は自分が子どもの頃から憧れ、大切にしていた生き物の化石を売り渡してしまいました。
そうして、化石から自由を奪ってしまったわけで、彼女もまた自分の大切な存在を「金の鳥かご」の中に閉じ込めてしまった人間なのです。
一方で、あの場所に同じく立っていたシャーロットは、メアリーを「金の鳥かご」の中に閉じ込めようとしていた人間です。
だからこそ、シャーロットがメアリーに向けている視線とメアリーがショーケースの中の化石に向けている視線は同種のものなんですよ。
そして、メアリーは「自由」であることを常に大切にしており、だからこそ一度は大切な化石をこの場所に閉じ込めるという決断をしてしまった自分自身を悔いていたようにも見えます。
化石を掘り出すということは、石や岩の中に閉じ込められて見えなくなってしまった過去の生き物たちの姿を見つけ、浮かび上がらせてあげることでもあります。
つまり、彼らを「自由」にしてあげることがメアリーの何よりの願望なのです。
しかし、彼女が化石を売り払ってしまうと、行き着く先は金色の豪華なショーケースであり、結局「自由」を得た化石たちは、また「自由」を奪われるだけですよね。
つまり、閉じ込めるものが石や岩なのか、それともきらびやかな展示棚やショーケースなのか程度の違いしかありません。
それを見事に可視化したのがラストシーンであり、同時にその思いを知ったシャーロットに次の選択が課されています。
彼女たちがどんな選択をするのか。
シャーロットが夫の束縛から真の意味で逃れ、自由になってメアリーと共にライムで暮らすなんて未来もあるのかもしれません。
はたまた2人が「自由」への認識の「ズレ」から結局別れを選んでしまう可能性もあるでしょう。
その「分かれ道」に立たせたところで、物語を終わらせるという決断には脱帽でした。
そして、その余韻が、映画を見終わったからも彼女たちの物語が頭から離れない不思議な感覚に繋がっているのだと、そう思いましたね。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『アンモナイトの目覚め』についてお話してきました。
最近多い同性同士の繊細なラブストーリーや女性のヒドゥン・フィギュアズにスポットを当てる物語だろうと思わせておいて、その枠にはハマらない映画に仕上がっていました。
特に終盤の大英博物館の一連の描写は、もう「芸術品」の域に達したショットの連続で、もう見ているだけで心が震えましたね。
何か物語として大きな展開があるタイプの作品ではないのですが、ぜひその演出や作劇の丁寧さを堪能して欲しいなと思います。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。