みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『るろうに剣心 The Final』についてお話していこうと思います。
作品のGWに本来であれば上映されていた作品なのですが、なんと丸1年延期となり、ようやく公開される運びとなりました。
シリーズ第1作が2012年に公開されると、興行収入30億円突破のスマッシュヒットを記録。さらに前後編で公開された続編はそれぞれ興行収入50億円突破、40億円突破と1作目を上回る特大のヒットを記録しました。
そして、今回「The Final」と「The Beginning」の2本立てで、剣心の妻であった巴の弟にあたる雪代縁の壮絶な復讐劇を描いた「人誅編」と剣心と巴の過去を描いた「追憶編」を映像化します。
ただ原作を読んでいると、どうしても「京都編」の志々雄真実のインパクトが強すぎて、この縁との戦いを描くシリーズのクライマックスはトーンダウンしたような印象も受けました。
そのため、今回映像化に当たって、『るろうに剣心』の実写シリーズの集大成としてどう盛り上げてくれるのかに注目したいと思っています。
前作の『京都大火編』『伝説の最期編』の時は原作が最高すぎたので、かなり端折られてしまいショックを受けた部分もありました。
一方で今回はむしろ原作を上手く改変して、原作以上のものを作って欲しいという期待すら抱いています。
また、『るろうに剣心』シリーズと言えば、やはりアクションが最大の見どころです。
ここまでも日本の実写映画の常識を覆すようなアクションを見せてくれましたが、今回それを超えるものを見せてくれるのか…。そこも個人的には期待しております。
「るろうに剣心」を超えられるのは、きっと「るろうに剣心」だけのはず!
ということで、今回の記事では個人的に作品について感じたことや考えたことをお話していきます。
本記事は原作とそして実写版両方のネタバレになるような内容を含む感想・考察記事です。
特に「追憶編」の詳細を知らない人で、「The Final」は見たよ!という方は、「原作の大まかな流れと見どころ」という章(特にピンク色の文字)については飛ばして読んでいただけると幸いです!
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
『るろうに剣心 The Final』
あらすじ
京都での戦いを終えた剣心は薫たちとの平和な暮らしを謳歌していた。
その頃、藤田は横浜で志々雄に武器や軍艦を売買したとされる上海からやって来た不審な男を目撃し、逮捕する。
仲間の手引きで釈放された雪代縁を名乗るその男は、ある夜「人誅」を始めると宣言し、仲間の1人である鯨皮兵庫にアームストロング砲で料理屋の「赤べこ」を攻撃させる。
さらに、乾天門や乙和瓢湖といった仲間を剣心に関わった人間のところへと派遣し、皆殺しにしようと試みる。
剣心は一連の襲撃事件が自分に対する私怨からくるものだと察知し、自分のために自分の周囲の人たちが傷ついていく様に傷心する。
ある日、彼が街の外れを歩いていると、雪代縁が突然彼の目の前に現れる。
その姿を見た剣心は、彼が自分が惨殺した妻「緋村巴」の弟であることを知り、同時に彼が今回の一連の復讐の首謀者であると悟るのだった。
近日中に東京をターゲットに「人誅」を開始すると宣言する縁。
一方で、剣心は薫たち仲間に今回の敵が、自分への私怨を持った雪代縁という男であることを打ち明け、これまで隠してきた十字傷の過去について語り始めるのだった…。
スタッフ・キャスト
- 監督:大友啓史
- 原作:和月伸宏
- 脚本:大友啓史
- アクション監督:谷垣健治
- 撮影監督:石坂拓郎
- 照明:平野勝利
- 録音:湯脇房雄
- 美術:橋本創
- キャラクターデザイン:澤田石和寛
- VFXスーパーバイザー:小坂一順
- 編集:今井剛
- 音楽:佐藤直紀
- 主題歌:ONE OK ROCK
まずは監督・脚本を担当したのが、これまでの3作品に引き続き大友啓史さんですね。
2012年公開の同シリーズの1作目が彼の出世作であり、その後も『3月のライオン』や『ミュージアム』などの優れたマンガの実写化を手掛けてきました。
撮影には石坂拓郎さん、照明には平野勝利さん、編集には今井剛さんとこれまでのシリーズを支えてきた面々が今回の完結編を支えているのが、また熱いですね。
劇伴音楽を佐藤直紀さん提供し、主題歌はONE OK ROCKの「Renegades」に決まりました。
- 緋村剣心:佐藤健
- 神谷薫:武井咲
- 雪代縁:新田真剣佑
- 相楽左之助:青木崇高
- 高荷恵:蒼井優
- 四乃森蒼紫:伊勢谷友介
- 巻町操:土屋太鳳
- 沢下条張:三浦涼介
- 呉黒星:音尾琢真
- 辰巳:北村一輝
- 雪代巴:有村架純
- 藤田五郎(斎藤一):江口洋介
- 明神弥彦:大西利空
- 鯨皮兵庫:阿部進之介
- 乙和瓢湖:柳俊太郎
- 八ツ目無名異:成田瑛基
悲しみを奥に秘めた目とその表層に纏った狂気のギャップをこの上なく完璧に見せてくれた新田真剣佑さんは今作のMVPと言っても過言ではないですね。
一方で、主には後編の「The Beginning」の方での出演にはなると思いますが、「追憶編」のキャラクターである巴役には有村架純さん、辰巳役には北村一輝さんが起用されています。
その他新規キャストとしては、黒星役に音尾琢真さん、縁の「6人の同志」をそれぞれ阿部進之介さん、柳俊太郎さん、成田瑛基さんらが演じています。
その他にもシリーズではお馴染みのキャスト陣が再集結し、日本映画として屈指の豪華キャストを誇る映画に仕上がっています。
『るろうに剣心 The Final』感想・考察
原作の再構築の巧さに唸る
まず、今回の『るろうに剣心 The Final』は、後述しますが原作の第18巻から最終巻にあたる第28巻までの内容を2時間18分の本編にするというとんでもない映画になっています。
前作の『京都大火編』『伝説の最期編』は第8巻から第17巻の内容を約2時間20分の映画2本立てで描くという構成でしたので、かなり圧縮はされてはいましたが、それでもある程度は原作の流れを汲めていました。
ただ、今作の場合は、前作とは比にならないレベルの圧縮具合なので、「The Final」と「The Beginning」の2本立てで「追憶編」を交えつつ、「人誅編」を描いてくれると想定した人は面食らったと思います。
しかし、それだけの圧縮具合にも関わらず、大友啓史さんが自ら手掛けたとされる脚本は非常によくまとまっており、それでいて原作のエッセンスを巧く拾ってくれています。
まず、原作の「人誅編」は剣心以外のキャラクターの個別の物語が掘り下げられるなど、スポットが当たる人物が多いのが特徴の章です。
そこを今回の「The Final」では、剣心と縁の過去を巡る因縁と、現在そして未来を賭けた闘いに焦点化することで、大幅に物語をスリム化しています。
さらに、剣心が薫の「死」によって廃人化するパートを全面的にカットし、原作では2回に分けて行われた彼と縁の対決を1回に絞り、映画として1つの完結した物語へと再構築していったのです。
『3月のライオン』の時にも思いましたが、大友啓史監督は原作を解体して、映画用の1つの物語へと再編していくという点では非常に優れたクリエイターでしょう。
しかし、ただ闇雲に物語を短くして、1つの物語にするというだけであれば、その質を問わなければ誰にでもできることです。
大友啓史さんの脚本が非常に優れていたのは、これだけ大幅に展開を変えておきながら、セリフや視覚情報の面できちんと原作のエッセンスを取り込んである点なんですよ。
例えばですが予告編にも使われていた
「やはり話すべきでござるかな」
(『るろうに剣心』19巻より引用)
「あんなつらそうな剣心初めて見た」
(『るろうに剣心』19巻より引用)
(C)和月伸宏/集英社 (C)2020映画「るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning」製作委員会
といったセリフは、原作を1コマレベルで再現したものになっており、原作を読んだ人間としては、思わずグッとくる瞬間でしょう。
MCUやDC映画でも、アメコミの原作のセリフや構図を1コマレベルで再現する手法はしばしば取り入れられますが、『るろうに剣心』もそうしたファンサービスが随所に散りばめられた映画となっています。
そして、展開としては変わっているのに、原作の視覚的な構図を踏襲している場面も非常に多く、こういうところが原作ファンをも唸らせる実写版のテクニックなんだなと感じました。
例えば、細かいのですが今回の『るろうに剣心 The Final』で蒼紫が八ツ目無名異と戦った後に通りで女性を庇って建物の下敷きになる場面がありましたよね。
(『るろうに剣心』24巻より引用)
これは、場面やストーリー上の位置づけは全く異なりますが、原作で外印を倒した時に蒼紫が瓦礫の下敷きになっていたのと全く同じ構図になっている点に気づきましたか?
他にも、外印を実写版では1作目に登場させてしまった都合で、今回の「The Final」で登場させることが難しいという制約がありました。
これは、「人誅編」のキーである薫の死体人形を登場させることができないということであり、そこをどうクリアしてくるのかが今回1つ焦点だったと思います。
そして今回の映画版は非常に巧い改変を施していました。
というのも、縁が神谷道場に現れた時に死体袋を持っているんですよ。
ここで当然原作を読んだ人は、「え、外印いないけど、やっぱり薫の偽装死体のくだりをやってくれるんだ!」と期待しますよね。
しかし、そこで「沢下条張」の死体と縁からの果たし状が登場するという形で、観客の期待や想定を「裏切る」わけです。
こうした原作を読んでいる人に向けた巧妙なミスリードも巧かったと思います。
と言った具合に、今回の『るろうに剣心 The Final』は、非常に巧く原作を再構築してくれているわけですが、次の章では原作の詳細に触れつつ、今回の映画版がどのように原作のエピソードを取捨選択したのかを可視化します。
原作の大まかな流れと見どころ
『るろうに剣心』の実写シリーズは基本的に尺の都合で原作とは違った展開になります。
『京都編』を映像化した『京都大火編』と『伝説の最期編』も要所要所では原作を踏襲しつつも、オリジナルの展開に仕上がっていました。
とりわけ今回の『人誅編』の映像化である「The Beginning」と「The Final」についても前述の通りで、オリジナル要素を多く盛り込みつつも原作を再構築した1つの物語になっていました。
- 「6人の同志」である外印や戌亥番神が第1作で登場したため今作には登場しない
- 縁のターゲットが原作ではあくまでも剣心の周囲のごくわずかな人間だったが、東京全体引いては国全体になっている
- 操や蒼紫が縁との戦いの前に東京に到着している
- 外印が登場しないため薫の偽装死体、剣心廃人化の展開はカットされている
- 剣心と縁の対峙が原作では2度行われているが、映画版では1度に集約されている
- 黒星の用心棒の4人は特に活躍の場がない
- 弥彦や左之助がほとんど活躍しない
- 宗次郎がサプライズ登場
細かいところで言うと、もっといろいろあるんですが、全て挙げるのは難しいのでこのあたりにしておきますね。
ここからは、比較用ということも兼ねて簡単に原作の第18巻以降の大まかな流れを整理しておこうと思います。
各巻のポイントを5つずつここではご紹介すると共に、「The Final」で扱われたところを青色、「The Beginning」で扱われそうなところをピンク色で着色していきますね。
第18巻
- 上海を拠点に武器商人としてその名を轟かせている雪代縁という男が日本に戻って来る。
- 「京都編」の十本刀の1人だった”丸鬼”の夷腕坊の正体が傀儡使いの外印であると判明し、志々雄の背後にも縁の存在があったことが判明する。
- かつて抜刀斎に右腕を切り落とされた鯨波という男が、右腕に縁の手配したアームストロング砲を装着して、「赤べこ」を砲撃する。
- 横浜の洋館に縁の協力者たち「6人の同志」が集う。
・傀儡使いの外印
・武身合体の鯨波兵庫
・無敵鉄甲の戌亥番神
・人間暗器の乙和瓢湖
・人体精製の八ツ目無名異 - 縁は剣心に関わりのある人を襲撃し始める。戌亥番神と乙和瓢湖が剣心の関わりのある人の自宅2か所を同時に襲撃し、それぞれ左之助と剣心が応戦する。
戌亥番神がのポジションが乾天門というキャラクターに置き換わっていますし、傀儡使いの外印の外印も登場しないので、このあたりは変更せざるを得ませんでした。
ただ、乾天門と左之助の戦いが無かったのは、個人的には少し残念でした。
乾天門が一応は戌亥番神のポジションを受け継いでいるだけに、あの無敵鉄甲を「二重の極み」で突き崩そうとする、泥臭くも熱い拳のぶつかり合いはぜひとも見たかったです。
第19巻
- 戌亥番神と左之助、乙和瓢湖と剣心の戦闘が始まる。左之助は二重の極みを叩きこむも番神の無敵鉄甲を突き破れない。剣心は瓢湖を追い詰めるも、暗器で逃げられてしまう。
- 「人誅の時間」だとして、戌亥番神と乙和瓢湖が襲撃した場所がそれぞれ爆破されてしまう。剣心と左之助の機転で何とか死者を出すことはなかった。
- 剣心が橋の上で雪代縁と再会を果たし、10日後に神谷道場にて「決戦」を行うと告げられる。
- 剣心は「人斬りとしての罪」を償うための方法を見つけられず苦悩する。
- 仲間たちが巻き込まれることも覚悟し、剣心は巴と過ごした頃の日々を薫たちに話し始める。
・1864年の京都で「清里」という1人の男を剣心は殺害していた。
・剣心は桂小五郎に才能を見出され、京都で「人斬り」として暗躍していたのだった。
・夜道で襲撃を受け、人斬りをしていたところを通りかかった雪代巴という女性に見られてしまう。
今回の実写版の予告編では後編にあたる「The Beginning」の方で「追憶編」の内容に言及する予定になっています。
また、「The Final」では、「追憶編」にあたる回想をダイジェスト方式でサラッと消化しており、一応物語の流れ自体は原作を踏襲したようです。
この「追憶編」の内容に関しては、もう少し詳細が描かれたアニメのOVA版もあるので、こちらも併せて鑑賞しておくのがおすすめです。
第20巻
- 剣心は人斬りを見て、意識を失ってしまった巴を自分の宿泊している宿に連れ帰った。
- 巴は剣心の近くにいるようになり、徐々に2人は心を通わせていき、それに伴って剣心は「人斬り」をすることに躊躇いを感じるようになる。
- 新撰組の襲撃で宿泊していた宿が破壊され、2人は郊外の小さな家で夫婦生活を始めることとなる。
- 巴は幼馴染で夫になる予定だった人が命を落としたことがきっかけで京都に来たと明かす。さらに彼女と彼女の弟の縁は抜刀斎を殺害を目論む組織「闇乃武」の刺客であったことが明らかになる。
- 巴は剣心への愛ゆえに組織を裏切ろうとして幽閉される。救出に向かった剣心だが、敵に視覚や聴覚を奪われてしまい窮地に陥る。
ハイライト的に今回の「The Final」でも情報を見せてくれてはいましたが、その全容が明かされるのは次作でということになるのでしょう。
先ほども書いたばかりですが、「追憶編」は本当に傑作で、しかもマンガとアニメでは微妙に描写も異なるので、ぜひ両方堪能していただきたいです。
第21巻
- 「闇乃武」のボスである辰巳と対峙するが、五感の大半を奪われた剣心は苦戦。すると剣心が切りかかるのに合わせて、巴が辰巳の懐に入り小刀を突き立てる。しかし、巴自身は剣心に斬られて絶命してしまう。
- 剣心は巴の遺した日記を読みながら、自分がかつて京都で殺害した「清里」が巴の夫になる予定の男だったと知る。剣心は深い絶望から鳥羽伏見の戦いの後に「人斬り」を辞める。
- 剣心の長い長い過去の話を聞かされた一同は、それぞれに決戦に向けて動き始める。薫は京都にいる巻町操に「巴の日記」を持ってきて欲しいと依頼する。
- 決戦前夜、薫は剣心に「ずっと一緒にいて欲しい」と告白する。
- 決戦当日、気球に乗った縁たちが道場にやって来る。戌亥番神と左之助の再戦。乙和瓢湖と弥彦の戦い。そして剣心と外印の戦い。それぞれの戦いが始まる。一方その頃、斎藤はもぬけの殻になった横浜のアジトを部下に捜索させていた。
縁たちが気球に乗って剣心の前に現れるといった視覚的な演出は実写版にも継承されていましたね。
一方で、③の巴の日記のくだりについては、実写版で縁と剣心の決戦が1度だけに絞られた事情もあり、前倒しになっていました。
第22巻
- 剣心は苦戦しながらも何とか外印の用いる機巧人形の弱点を見出し、人形の体内に異物を打ち込んで勝利する。
- 左之助は番神に苦戦を強いられるが、右腕が壊れることをも覚悟した渾身の「二重の極み」を叩き込み、無敵鉄甲を破ることに成功する。
- 弥彦は暗器を用いる乙和瓢湖に翻弄され、絶体絶命の状況に陥るが、剣心に「不殺の信念」を託され、奮起し、薫から受け継いだ神谷流の奥義で仕留める。
- 縁は気球の上から高みの見物をしており、他の仲間が全滅したら自らが剣心と戦うと宣言する。
- 人体精製の八ツ目無名異が満身創痍の3人に襲い掛かろうとするが、藤田が現れ、彼が戦うこととなる。
縁側の「同志」と剣心側の人間の対峙のマッチアップが原作とは変更になっていました。
実写版では「鯨波兵庫VS剣心」「蒼紫&操VS八ツ目無名異」「縁VS左之助&弥彦」に変更されており、藤田は横浜で敵の陽動作戦の渦中にあるという状況でした。
個人的には、原作の弥彦や左之助の戦いが大好きなので、完全にカットされていたのは少し惜しい気もしました。
第23巻
- 藤田と八ツ目無名異の戦いが始まり、人体、とりわけ腕を変幻自在に動かす戦い方に翻弄されつつも、牙突で腕を破壊し、斎藤が勝利する。
- いよいよ縁と剣心の戦いが始まる。一方でまだ存命だった外印は「人誅」の完成に向けて秘密裏に行動を開始する。
- 縁は上海で倭刀による剣技を極めており、日本刀よりも長いリーチで剣心を追い詰めていく。
- 九頭龍閃や天翔龍閃などの奥義を駆使して一気に片をつけようとする剣心だったが、その攻撃をすべて縁に受けきられてしまう。縁は精神が肉体を凌駕しているために、痛みを感じなくなっていた。
- 剣心を仲間に任せ、縁は剣心の最も大切な人である薫を殺害するべく動き出す。煙幕の中で必死に縁を止めようともがく剣心。しかし先に薫の下に辿り着いたのは縁だった。
今回の「The Final」では、前作で習得した奥義「天翔龍閃」を使うような場面が見られず、縁との奥義のぶつかり合いもありませんでした。
ただ戦闘パートについてはカットされた一方で、縁が剣心よりも先に神谷道場に辿り着いて薫を誘拐してしまうという展開については、「死体偽装」のギミックは除いて踏襲されていました。
第24巻
- 剣心は必死に敵を振り払い、薫の下にかけつけるも、既に彼女は縁に殺害されてしまった後だった。
- 戦いが終わり、薫が埋葬されると、剣心は廃人のようになり落人群で動かず、言葉も発しない状態になっていた。
- 京都から操と共に東京へとやって来た蒼紫は、薫の死に不信感を抱き、埋葬した亡骸を今一度確認するべきだと主張する。亡骸を切り裂いてみると、何と薫の死体は偽装だったことが判明した。
- 薫は縁のアジトがある離島に幽閉されていた。縁は黒星に自分の組織を譲る約束をしていた。隙を突いて自らを殺めようとした薫を縁は返り討ちにしようとするが姉の亡霊が薫に重なり、迷いが生じる。
- 外印が薫の埋葬された墓地に現れ、それを待ち伏せていた蒼紫との戦いが始まる。外印の目的は自分の最高傑作とも言える薫の亡骸を回収することだった。
縁が薫をとある島に幽閉してという展開のみが継承され、「死体偽装」の話はまるっとカットになったので、剣心廃人化も描かれていません。
剣心が廃人化している間に、他のキャラクターたちが現在や未来を見据えて成長していき、それが剣心を過去から呼び戻す流れなので、カットしてはいけない部分ではあると思います。
ここを切ってしまうと、どうしてもエモーションの部分で物語が軽くなってしまうんですよね。ただ、今回の「The Final」は尺の都合上無理が生じるので、カットは止む無しだったのでしょう。
第25巻
- 先の戦いで逮捕されていた武身合体の鯨波兵庫が脱獄し、剣心と再戦すべく街を破壊し始める。その報を聞きつけた弥彦は街を守るために単身で立ち向かう。
- 神谷活心流の奥義を会得した弥彦だったが、鯨波の圧倒的な力に推されていく。燕は彼を失いたくない一心で、落人群にいる剣心を呼び戻しに行く。
- 未だ過去に囚われている剣心は寄り添ってくれた1人の老人(後に巴の父親と判明)に諭され、生きる気力を取り戻し、弥彦を助けるべく戦場へと舞い戻る。
- 絶体絶命の弥彦の前に剣心が現れ、渾身の九頭龍閃で鯨波を打倒する。
- 剣心が復活したことを知った縁は、もはや自ら手を下すほか「人誅」の完成はあり得ないと悟る。
「人誅編」の肝は個人的にこの第25巻の内容にあると思っています。
詳細は後述しますが、弥彦という未来を象徴するキャラクターが剣心の過去の亡霊に単身で立ち向かう様が、彼に1つの「答え」をもたらす重要なパートだからです。
一方で、私は「The Beginning」でこれに近い内容を描くんじゃないかという期待も持っています。これも後述します。
第26巻
- 左之助は信州で依然として放浪を続けていた。そこで生糸の生産に関わる利権や土地を巡る争いに巻き込まれる。
- 左之助は、生糸生産のために宿場を一掃しようと考えている有力者の男、不動沢から、強く反発している1人の老人を排除して欲しいと依頼され、喧嘩に飢えた彼はその依頼を引き受ける。
- その老人とは、他でもない左之助の父親であった。左之助はかつて信州で暮らしていたが、赤報隊に入隊すべく故郷を出たのだった。
- 父は不動沢の軍勢に1人で立ち向かおうとするが、それを察知した左之助は父を気絶させ、単身で戦場に乗り込み、見事勝利する。
- 左之助も東京に戻り、剣心も復活した。そして一行は藤田の手に入れた情報を基に薫が幽閉されている島へと上陸する。
これまで描かれてこなかった左之助の過去が明かされる重要なパートなのですが、サブプロットではあるので、今回の実写版でのカットは当然でしょうか。
ただ、親子の関係を描いた非常に胸が熱くなる物語なので、実写版と併せて読んでいただきたいです。
第27巻
- 上陸した一行は、縁の配下である黒星の4人の用心棒と戦うこととなる。
- 「朱雀双剣」「青龍太刀」「白虎掌拳」「玄武蛇棍」の4人と、蒼紫、藤田、左之助、弥彦の4人がそれぞれ交戦状態に突入、敵を圧倒してあっさりと決着する。
- 浜辺に縁が現れ、いよいよ剣心との最終決戦が始まる。倭刀を使いこなす縁に剣心は追い詰められていく。
- 剣心は縁に「自害しろ!」と迫られるが、「剣と心を賭してこの闘いの人生を完遂する」という答えを出し、縁を打倒する覚悟を決める。
- 縁はもう1つ隠していた力である「狂経脈」を用い、圧倒的な反応速度で剣心を圧倒する。
「朱雀双剣」「青龍太刀」「白虎掌拳」「玄武蛇棍」っぽい4人が黒星の用心棒をしていたので、もしかして戦う場面が描かれるのでは?と淡い期待をしていました。
ただ、出てきただけで特に活躍はせず、倒されたわけでもないのにいつの間にか退場しているという妙な位置づけになっていましたね(笑)
後半の展開は基本的に踏襲されていますが、「狂経脈」といった奥義系の描写は一切なく、戦いの舞台も「南の島」的なところではなくなっていました。
第28巻
- 剣心は「狂経脈」が神経を極限まで研ぎ澄ますものであると悟り、「龍鳴閃」という神速の納刀術を用い、縁の神経系にダメージを与える。
- 剣心と縁の奥義同士がぶつかり、どちらも満身創痍の状態になる。その刹那気を失っていた黒星が目を覚まし、持っていた銃で剣心に発砲する。
- それを身を挺して庇おうとする薫。それを見た縁は黒星を殴り倒し、その命を奪おうとする。しかし、剣心に静止され、ついに闘いが決着する。
- 剣心は戦いを終え、京都にある巴の墓参りに薫とともに訪れる。
- 剣心の仲間たち、関わった者たちもそれぞれの未来のために行動を始める。
特に剣心と縁の戦いの決着部分については、原作をほとんど踏襲していました。
一方で描かれていなかったのが、剣心を含めたキャラクターたちのその後の物語ですが、おそらくここを「The Beginning」で描くつもりなんじゃないかなと個人的には考えています。
「追憶編」だけで2時間20分尺は流石に長すぎるので、その内容を経て、剣心と薫の祝言であったり、他のキャラクターたちの成長や旅立ちであったりを描くのではないでしょうか。
天気や風景を使い分ける演出の巧さ
ここまではストーリー的な部分にスポットを当ててきましたが、次に映像の部分にフォーカスしてお話しようと思います。
今回の『るろうに剣心 The Final』はシリーズの中でもずば抜けて映像に重厚感がある1本に仕上がっていました。
その中でも私が特に注目したのは、「天気」の使い分けの巧さです。
前作の『伝説の最期編』で、剣心と師匠の殺陣の撮影中に突然雨が降り出し、急遽プロットを雨の中での戦いに切り替えたというエピソードは有名ですよね。
まず、雨についてですが、これが言わば「過去」の象徴として扱われていました。
剣心が縁に再会した後には、1人で雨に打たれ、物思いに耽る表情が印象的を印象的に切り取り、その深い哀しみと後悔、罪悪感を浮かび上がらせたのです。
(C)和月伸宏/集英社 (C)2020映画「るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning」製作委員会
一方の縁は、雨音を聞きながら「姉さんも怒っているのだな。」と解釈しており、やはり彼にとっても過去を象徴するものとして雨が使われています。
ただ、剣心には薫がいます。薫は過去を象徴する雨に濡れる剣心に対して傘を差し出しました。
こうした雨から剣心を守る役割を果たしているという点で、薫は剣心にとっての現在や未来の象徴であることもここで仄めかされています。
そして、もう1つ重要な天気が雪ですね。
雪は剣心と縁の運命を決定づけた「巴の死」を強く想起させるものです。
(C)和月伸宏/集英社 (C)2020映画「るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning」製作委員会
劇中で何度も何度も剣心が巴を斬る瞬間の映像がインサートされたことで、観客の中にもそうした雪のイメージが刷り込まれていきました。
そして、何とも面白かったのは、原作の剣心と縁のラストバトルがいわゆる「南の島」的なところの浜辺で行われたのに対して、実写版では粉雪が舞う中でのラストバトルというシチュエーションを選択しているのです。
というのも、ラストバトルを「雪」というモチーフでもって、過去の「巴の死」とリンクさせることに成功しているからなんですよ。
(C)和月伸宏/集英社 (C)2020映画「るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning」製作委員会
あの森での出来事を想起させるような雪の舞う中での闘いを描き、そこで、縁が薫を身を挺して救うという戦いの落としどころを描いた点が、まさしく過去からの脱却を可視化していて、お見事だなと思わず唸りました。
そして、基本的に終始映像全体を暗めのライティングや夜の風景主体で仕上げている『るろうに剣心 The Final』ですが、ラストバトルの後には「太陽」が、これまた印象的に用いられました。
特に、獄中で縁が巴の日記を読む場面で、これまで「雨」や「雪」に囚われてきた縁の世界に淡く優しい陽の光が差し込むという演出は完璧という他なかったと思います。
加えて、巴の墓地を原作のように京都の共同墓地的な場所ではなく、彼女が剣心に斬られた場所を思わせる森の中に置いたのも非常に効果的な演出でした。
あの森とそして巴の墓は、剣心の止まっていた時間の象徴とも言えます。つまり彼を今に至るまでずっと縛り続けていた「過去」の風景なのです。
そんな場所から剣心と、そして「現在」や「未来」を象徴する薫が手を取り合って歩きだす光景は紛れもなく過去への「さよなら」を描いています。
しかも、この手を取り合う描写も原作の別の場面からの引用で、ファンとしても心を鷲掴みにされるラストシーンだったと思いますね。
映像面というと、どうしてもアクション部分にスポットが当たりがちな作品ですが、こうしたロケーションの使い方も非常に巧く、その点でも優れた作品であることが分かります。
アクションシーンのリアルと原作のバランス
さて、多くの人に言われているのが実写版『るろ剣』はやっぱりアクションシーンがすごい!ってことですよね。
もちろん時代劇の殺陣と香港アクションを融合させたアクション監督の谷垣さんの功績は言うまでもありません。
ただ、個人的には、実写版『るろ剣』のアクションは原作の再現にこだわりすぎないところが素晴らしいと思っております。
というのも、原作はジャンプマンガに典型的な「技名を言ってから斬る!」スタイルの奥義連発のバトル描写が見どころです。
しかし、これをそのまま実写映像で再現しようとすると、どうしても無理が出てしまい、安っぽくなったり、アクションの流れが途切れたり、現実味がなくなったりという弊害が起きます。
そのため、実写シリーズでは、次のようなポイントが徹底されていたように思いました。
- 原作のキャラクターの奥義の動きをアクションの流れの中に取り込む
- 原作のキャラクターの剣筋や身のこなしをベースに殺陣を設計する
- 武器は原作の設定を意識しつつも無理のない程度に再現する
例えば、①ですが、剣心が前作で習得した奥義「天翔龍閃」を殺陣の流れの中で自然に組み込んであり、他の剣劇との境目を無くしてあるんですよね。
②については、縁に顕著でした。例えば、縁は原作でこんな技を使います。
(『るろうに剣心』第23巻より引用)
こうした身体を使った攻撃と倭刀による剣撃を組み合わせるような立ち回りを実は実写版の縁は自然な流れの中で行っています。
また、③ですが、実写版の縁が持っている倭刀は、原作のものと比べると明らかに小さいですよね。
そのため、剣心の使っている刀よりはリーチが長めに作られているものの、原作ほどのサイズはないという中間くらいの再現に留めることで、原作の設定を汲みつつ、それでいて殺陣も犠牲にしないというバランスを実現しています。
こうした闇雲に原作を追いかけすぎない姿勢が、実写版『るろうに剣心』シリーズのアクションシーンの1つの凄みなのだと私は思いました。
特異な2部構成にしたことによる物語の圧縮と弱点
さて、ここから少しネガティブなこともお話させてください。
今回の『るろうに剣心 The Final』はここまでにも述べてきたように、本当によくまとまっていますし、丁寧に原作のエッセンスを取り入れてくれています。
しかし、その一方で物語がすごく「軽い」印象を受けたことは否定できません。
もちろん前述したように原作にあった展開の多くがカットされてしまったこと、とりわけ剣心廃人化の展開がまるっとカットされたことは大きかったでしょうか。
ただ、原作の取捨選択は非常に上手くいっていると思っていて、個人的にはそれほど大きな問題は感じませんでした。
では、一体どこに物足りなさを感じたのか?と聞かれると、やっぱりエモーションの部分なんだと思います。
『るろうに剣心 The Final』はプロットも映像もすごく「きれいに」作ってあります。ただその「きれいさ」が観客の感情を揺さぶるという点では、裏目に出ているような気もするのです。
私は『るろうに剣心』シリーズの素晴らしさを支えているのは、実は左之助や弥彦のような剣心以外のキャラクターだと思っています。
もちろん剣心も強敵に対峙し、敗れ、訓練を積んで成長し、敵を倒すという「友情、努力、勝利」というジャンプマンガの王道を行く主人公ではあります。
ただ、彼はやはり剣客として優れているという設定もあり、どちらかと言うと傑出した剣技で華麗に敵を打倒していくというイメージが強いんですよ。
藤田(斎藤)や蒼紫といったキャラクターもどちらかというと、剣心寄りに描かれていて、自分の技で華麗に敵を倒すというイメージです。
だからこそ、原作では、左之助や弥彦たちが、形にもならないような技でボロボロになりながら敵を倒していく「泥臭さ」が対比的に描かれることで、剣心が際立つという方程式が出来上がっているのです。
(『るろうに剣心』22巻より)
しかし、今回の『るろうに剣心 The Final』は左之助や弥彦の戦闘描写に関しては、ほとんど丸ごとカットされていて、残っているのが剣心や藤田、蒼紫の戦闘パートばかりなので、どうしても原作の魅力の1つである「泥臭さ」みたいなものを欠いていると思いました。
また、「人誅編」は剣心が一度廃人になったところから立ち上がり、再び縁に立ち向かっていくというある種の「ライジングストーリー」が魅力だったわけです。
完全無欠の剣客だった剣心がどうしようもないほどに壊れてしまい、「弱さ」「人間らしさ」を曝け出すところが、ある種の「泥臭さ」になっていました。
ここが丸ごと存在していないのも、本作の剣心が見つけ出す「答え」の重みを今一つ出せなかった原因なのかもしれません。
こうした理由から、良くも悪くも「きれいな」作品に仕上がっていて、感情を揺さぶられない、物語の表層をすくったような内容に感じられたのかもしれません。
アクション面も、言うまでもなくこれまでの3作品より進化しています。カット割りの具合から見ても、佐藤健さんや新田真剣佑さんらが相当殺陣の稽古をしたことは伺えます。
この感覚を巧く言語化するのは難しいのですが、視覚的には最高な一方で、感情的には乗り切れないもどかしい感覚があったというのが一番近いかもしれません。
アクションシーンが「アクション」としてはすごいんですが、お互いの感情が乗った「闘い」としてはあまり心に響かなかったんです。
『るろうに剣心』の実写シリーズが映像作品としては高く評価される一方で、ドラマ性の部分で原作ファンの心を掴み切れていない理由が今回の「The Final」で1つ見えたような気はしました。
後編の「The Beginning」は一体何を描くのか?その期待も込めて
(『るろうに剣心』19巻より引用)
もう1つ「The Final」について不満があるのですが、ここについては後編の「The Beginning」が解消してくれる可能性はあるので、期待も込めて書かせていただきます。
まず、「人誅編」において重要なキャラクターは実は弥彦なんですよ。
原作でも弥彦が決死の戦いを挑み、「現在」を守ろうとする姿が剣心の止まっていた時計の針を動かしました。
その点で、弥彦は、『るろうに剣心』という作品の「現在」とそして「未来」を象徴するキャラクターなのです。
確かに「The Final」で彼が「強くなりたい」と鍛錬に励む姿は映し出されていましたが、彼が実際に戦場に出て、敵を打倒するような描写はありませんでした。
実写版は、今作に至るまでの弥彦の描写の積み重ねが原作とは異なるので難しかった可能性もありますが、やはり弥彦の描写については原作の「人誅編」での役割を考えると、物足りなさを感じます。
『るろうに剣心』の実写シリーズは、個人的に「キャラクターを育てる」ということをしてこなかった映画だと今回改めて感じました。
それが顕著なのが、弥彦であるわけですが、これまでの3作品でとりあえず原作の物語を追うこととアクションシーンを見せることにこだわったために、弥彦や左之助といったキャラクターの成長をあまり描けていないんですよね。
だからこそ、今回の「The Final」で弥彦が急に「俺も強くなりたい」と言い始める描写に唐突な印象を抱いてしまうのであり、これまでの積み重ねがないので、その思いや決意すらも「軽い」ものに思えてしまうのです。
ここがやはりシリーズのとしての敗北だったと思いますし、そうしたキャラクターをちゃんと育ててこなかったツケを最終章で払うことになっている気がします。
少し話は変わりますが、今回の2部作が「The Final」「The Beginning」というタイトルになったのは、原作の剣心のこの言葉を引用したものではないでしょうか。
(『るろうに剣心』21巻より引用)
つまり、「終わり=別れ」「始まり=旅立ち」というのが、このタイトルに込められた意味なのだと個人的には解釈しています。
とりわけ「The Final」は剣心が、縁という自分の行動が生み出した怪物に対峙し、彼と決着を着ける過程を通じて、巴との過去に「さよなら」を告げるという「別れ」を印象づける内容になっていました。
そうなると、「The Beginning」は「追憶編」の内容と共に、「旅立ち」にあたる内容を描いてくるのではないかと想定されます。
「旅立ち」と言えば、当然思い浮かべるのは、原作28巻で描かれた左之助や弥彦といったそれぞれのキャラクターたちの「旅立ち」のことです。
つまり、私が今回描かれなかったことを不満に思っている、「現在」と「未来」を象徴し、剣心と並び立ってそれらを守り抜いていく者としての弥彦がまだ、続編で描かれる可能性を残しているというわけですね。
こうした事情があるので、今作の「The Final」の時点で描写不足だと槍玉にあげるつもりはありません。
今回は2部作で1つだと思っておりますので、「The Final」が独特な構成になったが故に、余計に「The Beginning」が楽しみになりました。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『るろうに剣心 The Final』についてお話してきました。
基本的にアクションに全振りで、ドラマ部分が原作ファンからも「う~ん」と言われていたシリーズではあるのですが、今回は物語を大胆に省略したことで余計に「軽さ」を感じやすくなっていたと思います。
一方でアクション面は相変わらず素晴らしく、そして今回はロケーションやライティング、天気の使い方といった部分も非常に高く評価できる仕上がりでした。
ただ、ここまで「The Final」が物語の尺を削る必要があったのは、原作の最高傑作とも言われる「追憶編」のパートを「The Beginning」で独立して描きたかったという思惑もあるのでしょう。
そして、「追憶編」だけで2時間20分は流石にもたないと思うので、過去の回想が終わった後に、一体何を描いてくれるのか?にも注目したいですね。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。