みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね『ゴジラSP シンギュラポイント』についてお話していこうと思います。
虚淵玄さんも関わるということで大いに期待されて製作されたアニメ映画版ゴジラ3部作は、賛否両論で、最終作の『GODZILLA 星を喰う者』に至っては酷評の嵐となりました。
この3部作は、あえて、怪獣やメカゴジラを「街」や「概念」といった従来の在り方に縛られない方法で登場させるなど、ゴジラの世界観で怪獣プロレスではなく、本格SFをやろうという意欲は垣間見えましたが、如何せん脚本や構成が粗すぎました。
結局、スピンオフ小説の「怪獣黙示録」が一番面白かったという何とも言えない結果に終わったアニメ版ゴジラ。
そこから心機一転、制作が発表されたのが今回のテレビアニメシリーズ『ゴジラSP シンギュラポイント』でした。
とりわけ、脚本・構成に『Self-Reference ENGINE』や『屍者の帝国』などで知られる円城塔さんが起用されたことが、国内外のSFファンからの反響を呼びました。
そして、本編の内容も円城さんらしい数学や科学的な視点に加えて、文学や言語学的な視点が融合するSF色を全面に押し出した内容になっており、まさしく「円城塔SFワールドで描く新しいゴジラ」と呼ぶのが最適な作品になっています。
ゴジラの設定や世界観の範疇で本格SFをやろうとしたアニメ映画版3部作とは対照的に、今作はゴジラと言うキャラクターと完全に円城塔ワールドに輸入する形で物語が構築されているのが面白いですね。
今回の記事では、そんな『ゴジラSP シンギュラポイント』について各話のポイントを1つ1つ取り上げながら、自分なりの解説や考察を添えさせていただこうと思います。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
- 1 最終回を終えて:私たちに初めて、ゴジラと戦う機会を与えてくれた『ゴジラSP』
- 2 『ゴジラSP シンギュラポイント』解説・考察(ネタバレあり)
- 3 おわりに
- 4 関連記事
最終回を終えて:私たちに初めて、ゴジラと戦う機会を与えてくれた『ゴジラSP』
©2020 TOHO CO., LTD.
さて、ついに最終回の放送も終わったということで、この『ゴジラSP』を総括して、一体本作が何をやろうとしていたのかについて、私なりの見解を述べさせていただこうと思います。
まず、表向き本作がやろうとしていたのは、「ジェットジャガーが自我を獲得するという荒唐無稽な設定への理論づけ」でした。
『ゴジラ対メガロ』でジェットジャガーは巨大化を果たすのですが、ここの設定がかなり無理があったんですよ。
ジェットジャガー内に「良心回路」が備わっていたために、危機的な状況に置かれると自我が目覚め、それ故に巨大化できてしまうというのが、同作におけるギミックでした。
- 巨大化するための質量をどこから持ってくるのか?という物理的な問題
- ロボットやAIは現時点で自我を持ち得ないという問題
- ジェットジャガーを巨大化させるための演算をどうするのか?問題
この3つを如何にSF的な理論づけによって、クリアし、ラストの巨大化へと導くかが今回円城塔さんが目指した作品の方向性だったんですね。
まず、①をクリアするために用意されたのが、アーキタイプであり紅塵です。
アーキタイプであり紅塵は、ズバリ、時間軸方向に屈折して、異なる時間軸から質量を現在軸に導くというとんでもない芸当ができる物質でした。
今作におけるゴジラは、紅塵のこの性質を使って、異なる時間軸から質量を集め、急速に巨大化することができたわけです。
そして、ジェットジャガーもゴジラが巨大化したプロセスを模倣する形で「巨大化」したということになります。
②については、AI同士の計算結果の競合という話を持ち出したり、AIに身体性を与えたりすることで、AIに自我のようなものを獲得させることに成功していました。
さらに③について、「ジェットジャガーを巨大化するプロトコル」は、当初ユンが言っていたように答えを知っていなければ解けない、無限の演算が必要な計算式だったわけです。
それを解くためには、無限に演算をすることができる仕組みが必要だったわけですが、これについてもペロ2とユングがその末裔に至るまで演算を繰り返し、その結果を「分からない形式=音楽」として現在軸に転送することでクリアしました。
「ジェットジャガーが巨大化する」なんて結末は、ゴジラファンであれば、誰でも第1話の時点で少しは頭をよぎると思います。
しかし、『ゴジラSP』があまりにも緻密なSF考証を重ねていくので、次第に私たちは「ジェットジャガーが巨大化する」なんてストレートすぎる結末にはならないだろうとどうしても考えてしまうんです。
ただ、第1話の最初にも言われていたように、答えは最初から存在していたんですよね。
「答えは世界そのものであり、答えは問いの中にあり、気がつくとお話は始まっていて、結末はもう決まってしまって」
つまり、この最終回が私たちに突きつけたのは、『ゴジラSP』は「ジェットジャガーを巨大化する」という分かりきっていた答えを理論武装するための物語だったんだよ!というメッセージだったのです。
ただ、これはあくまでも表向きな『ゴジラSP』の大枠であって、私は少し違った視点で本作を捉えています。
実は、今作って円城塔さんの『道化師の蝶』に物語の構造としてはそっくりなんですよね。
この作品については「第12話」のところで詳しく解説していますので、そちらをご参照ください。
まあ、簡単に言うと、「始まり」と「終わり」が繋がる円環構造の作品でありながら、劇中の様々な出来事や登場人物にねじれが生じていて、繋がるようで繋がらない内容となっています。
劇中小説のあらすじが最初に語られ、その作品があることを前提として、その作品が作られる過程が語られ、それが「道化師の蝶」というモチーフが運ぶ「物語の種」となって現実とフィクション、そして時間の壁を越えて、物語の冒頭に届けられるという構成は、『ゴジラSP』とほとんど同じであると言っても差し支えないでしょう。
そして、『ゴジラSP』においても「最初から答えは決まっていた」わけですが、それはこれまでのゴジラ作品を追いかけて来たからこそのある種のイメージとして存在していたものです。
おそらく、ゴジラファンの多くは、「あんなゴジラに似ても似つかない巨大な魚が最終的に私たちの知っているゴジラの姿になる」ことを疑わなかったでしょう。
つまり、あの赤い巨大な魚が最終的にゴジラになるという「答え」は決まっていて、それは私たち視聴者の中に最初から存在していたものなんですよ。
そう考えると、同様に「ジェットジャガーが巨大化する」という結末についても『ゴジラ対メガロ』という前例が存在する以上は、多くのゴジラファンの頭の中に存在していた「答え」の1つではあったはずです。
ただ、あの赤い魚がゴジラに変貌することは確信できても、ジェットジャガーが巨大化することについては確信するには至らなかったというのが、私を含めての多くのファン心理ではないでしょうか。
『ゴジラSP』は結末ありきで見ると、ものすごくよく分かる物語だけれども、結末を知らない状態で見ると、全く不可解な作品なんですよ。
しかし、「ジェットジャガーが巨大化する」という「答え」は、それが「答え」だと分からない形で、私たち視聴者の中に確かに存在していました。
結末を知っていたのに、それが結末だとは分からなかったということです。
第1話でペロペロたちが「私はすべてを知っていたのに意味は全く分からなかった」なんてことを言っていましたが、これって私たちの置かれていた状況にそっくりですよね。
つまるところ、円城塔さんは最初から『ゴジラSP』を視聴している私たちを物語に巻き込むことを前提に作っていたわけです。
全く意味の分からない物語を全13話に渡って見せつけた上で、「ジェットジャガーが巨大化する」という私たちが最も馴染みのある「答え」を突きつける。
そうすることで、『ゴジラSP』という作品そのものは
視聴をしているまさにその瞬間としては「現在」として存在し、
視聴を終えた瞬間に「過去」となり、
「答え」を知ったことによって13話のラストシーンに至るまでの「過去」が私たちの中で全て書き換えられ、ラストシーンが「現在=変わった後の未来」として現前したのです。
つまり、円城塔さんがやりたかったのは、視聴者が「主体」として物語に参与できる形としてのゴジラ作品だったのではないでしょうか。
ゴジラの過去作に照らしながら、物語の行く末を、破局を回避する方法を視聴者として「考察」するという過程そのものが、ゴジラとの戦いになっていたんですよ。
そして、そんなとんでもないギミックを成立させたのは、『ゴジラ対メガロ』を初めとする数多のゴジラ関連作品の存在であることは言うまでもありません。
そう思うと、この言葉は過去のゴジラ作品たちへのリスペクトの表明にも受け取れます。
「ここに辿り着くために随分と時間がかかってしまったけど」
「その全てが必要だったんだ。」
『ゴジラSP』は、これまでのゴジラ作品、そしてそれを追いかけてきたファンの存在ありきで作られた、とんでもない視聴者参加型の物語だったのだと私は、結論づけたいと思います。
この3か月は、ゴジラファンとしてユンやメイ、ペロペロたちと共に知恵をしぼり、考察を膨らませた一夏の”青春”でした。。
私たちに初めて、ゴジラと戦う機会を与えてくれた『ゴジラSP』にありがとうを。
余談:「破局」って何のことだったんだろ?
今回の『ゴジラSP』は頑なに「破局」が何を指しているのかについては、言語化してきませんでした。ただ、ゴジラの進化をジェットジャガーが模倣し、巨大化した流れを考えると、「破局」とはゴジラに類似の「最強プロトコル」が届いてしまうことなんじゃないか?と思いました。そして、その「プロトコル」を握っているのは、シャランガではないかなと。
シャランガは13話の冒頭で、オーソゴナルダイアゴナライザーを克服していました。つまり、シャランガが特異点を回収し、この特性をゴジラに渡してしまうと、ゴジラがオーソゴナルダイアゴナライザーでは倒すことのできない存在になる可能性があります。それはつまり、ジェットジャガーを巨大化したとてゴジラが倒せなくなってしまうということです。
結論として、「破局」は「ゴジラを倒す術がなくなる瞬間」ないし「ゴジラが最強になってしまう瞬間」なのではないかな?と思った次第です。
『ゴジラSP シンギュラポイント』解説・考察(ネタバレあり)
第1話『はるかなるいえじ』
ペロペロたちの声について
- 「詩吟:天の海に」
- 「僕たちが今より少し賢くなって、いろいろなことが分からなくなるまでのお話」
- 「謎は解けて、不思議が増えて、事件は終わり、片づけが増え、僕たちが、私が?以前よりも人間らしく、人間のことが少し分かるようになるまでのお話」
- 「僕たちが今より少し賢くなって、いろいろなことが分からなくなるまでのお話」
- 「歌声:浦島太郎」
- 「答えは世界そのものであり、答えは問いの中にあり、気がつくとお話は始まっていて、結末はもう決まってしまって」
- 「過去を変えられるのなら、現在はすでに変わったあとの未来」
- 「私はすべてを知っていたのに意味は全く分からなかった」
第1話の初っ端からとんでもない情報量で笑ってしまったのですが、まず重要なのはこの冒頭の一連のモノローグが「AI=ペロペロたち」によるアフタートークのような趣を帯びていることですよね。
上記以降にも
- 「ここに辿り着くために随分と時間がかかってしまったけど」
- 「その全てが必要だったんだ。」
- 「目の前で起こっていることを理解するまで」
- 「そうしてお話はこう始まる」
といった会話が続いておりましたが、これらを踏まえると、そもそもこの『ゴジラSP シンギュラポイント』が描いている物語そのものがペロペロたちが答えに辿り着くためにシュミレーションしていた可能性の1つなのでは?みたいな想像もできるような気がします。
また、Netflixで字幕付きで見ると、音声情報だけでは読み取れない隠された情報も見えてきました。
まず、最初に「詩吟:天の海に」が歌われていることですね。
天の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ
この中で「月」という言葉が指しているのは、半月だと言われています。半月を小舟に見立て、それが星の林の中に漕ぎ出し、雲の波の中に隠れようとしているという情景を鮮やかに表現した素晴らしい詩吟ですね。
ちなみにこの詩吟は、七夕伝説に関連していると言われており、それは必然的に七夕の牽牛と織姫の逢瀬について物語っているということになります。
『ゴジラSP シンギュラポイント』の考察界隈では、タイトルの考察がかなり盛んに為されている様で、最終話のタイトルが「はじまりのふたり」ではないかと言われているので、そう考えると「牽牛と織姫」に話が絡んでくることにも意味があるのかもしれません。
そして、もう1つ「歌声:浦島太郎」がインサートされていたというのが面白い発見ですよね。
浦島太郎と言えば、カメを助けて竜宮城を訪れるのですが、そこから帰ってみると、故郷では、龍宮で過ごしたと感じたより遥かに長い年月が経過しており、絶望の中で手土産として渡された玉手箱を開けてしまった浦島太郎は、白髪の老人になってしまうという物語でお馴染みです。
『浦島太郎』の物語の中で特に注目すべきは、やはり「海の中から地上に戻って来ると、時間の流れが違っていた」という設定でしょう。
『ゴジラSP シンギュラポイント』では、海で巨大な魚のような生物を中心に発生している「赤潮」を経由して、ラドンやマンダといった生物が出現しています。
そして彼らは地球に生きる人間たちとは異なるDNA配列を持っており、異なる時間軸の中で生きてきたことを思わせますよね。その点で、『浦島太郎』が本作の物語について何らかの暗示をもっていることは間違いないでしょう。
加えて、個人的に気になったのは、この冒頭のモノローグが徹底してAIである「ペロペロたち」の視点であるという点です。
とりわけ「人間のことが少し分かるようになるまでのお話」と言っていたのは、非常に気になります。
この『ゴジラSP シンギュラポイント』は人間始点の物語ではなく、むしろAI視点で人間を見るという視座で描かれている物語なのではないかとも考えられるのです。
「僕たちが今より少し賢くなって、いろいろなことが分からなくなるまでのお話」という表現もありましたが、これはAI視点で考えるならば、データベースを基に未来を予測出来ていたけれど、人間という不確定要素の存在でそれが「分からなく」なっていったと読み替えられないでしょうか。
今作において、やはり「ペロ2」の存在は謎めいており、それに付随する第1話の冒頭のダイアログは実に意味深です。
その他の要素について
- 定食屋の名称でもある国ブラジルは地球上の位置という観点で見た時に日本の反対側、つまり対称の位置にある
- インドの歌謡曲の曲名が「Alapu upala」で文字列がシンメトリーになっている
- メイの寝言「生物の進化は基本的に対称性を縮減する形で進んでいきました。」→もしかして夢で「未来」を見てた?
- ナラタケはキノコの名称が元ネタか?
- 「ペロ2」のメイがつけた名前の由来を知らないにも関わらず、最初から犬の姿を選んでいる。
- みさきおくの施設では、5年前に通信機器の設置工事を行った。
- ユングについて:「そいつの言うことの方が正確なんだけど。」「人間の記憶や推論なんてあてになりません。」
- 「寒風に もろくもくつる 紅葉かな」
- 「君はいま駒形あたりほととぎす」
- 「忘れねばこそ思い出さず候」
まず、ユンの開発したシステム「ナラタケ」ですが、この名称はキノコの種目に由来すると思われます。
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この種は枯死植物を分解吸収して生活するだけでなく、生きている植物に対する寄生性や病原性も強いとされています。
ナラタケの寄生による病害は「ナラタケ病」と呼ばれていて、どんどんと木々に寄生していくようで、世界的に有名な科学雑誌「ネイチャー」では、アメリカのミシガン州の森林に発生(生息)しているワタゲナラタケが、世界で最大の生物であるという論文が掲載されたほどです。
「ナラタケ」というシステムがこのキノコのナラタケのように人間の生活に寄生していき、巨大化していき、いずれ人間を超えた存在になるという未来が暗示されている可能性も考えられます。
一方で、主人公のユンが使っているのは、「ユング」と名付けられたAIです。
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ユングと言えば、集合的無意識(普遍的無意識)を提唱した心理学者が真っ先に浮かびます。
集合的無意識は、個人的な無意識にとどまらず、個人を超え人類に共通している無意識を指す概念であり、この人間の個体を超えて共有されるものと言う性質がキノコのナラタケとリンクしているようにも感じられますね。
他にも第1話の終盤に山本恒友がいろいろと和歌を引用していましたが、これらは全て高尾太夫という花魁に関連しています。
まず最初に引用された「寒風に もろくもくつる 紅葉かな」は19歳の若さでこの世を去った初代高尾太夫の辞世の句です。
そして、他に使われていた2つの歌についても文才に秀でた高尾太夫が生前に詠んだものであると言われています。
ただし「君はいま駒形あたりほととぎす」と「忘れねばこそ思い出さず候」は、2代目が詠んだものである点は知っておくべきでしょうか。
遊女であるにも関わらず、恋をしてしまい、想い人を想う気持ちを歌った歌であり、何とも切ない気持ちになりますね。
第2話『まなつにおまつり』
- 「空想生物にも理屈がある」「別の宇宙には別の宇宙の法則がある」
- 「法則はないって法則があったら」(ポストモダンっぽい考え方)
- 本編で同じ時間軸にいるものの決して対面することのないユンとメイ(OP映像でも別々の場所にいる)
- マンゴーやナスの異常な価格設定
- テレビに表示される7月上旬にしては低すぎる気温(横浜が13℃など)にも関わらず、山本恒友はそうめんを食べてる
- 「ゴジラ図」は「Godzillas」か?
- 佐藤の見つけた資料「1970年S021」とその下に「1962-8-11」→『キングコング対ゴジラ』は1962年8月11日に公開された
- メイの資料に「時間を遡る生物(芋虫)」の話。これはモスラに関連している?高次元空間における飛行生物。
- グレゴール・ザムザはフランツ・カフカの『変身』の主人公
- 「あなたという情報は同じでも器が違うわけです」
- ユープケッチャ
- マイクロフィッシュ(歴史的な文献など重要な書籍・図面、あるいは新聞の原版を汚れ・破損などから予防する目的、また、図書館・資料館の限られたスペースで莫大な資料を効率的に保管する目的で用いられる。)
- ホメオボックス(動物、植物および菌類の発生の調節に関連する相同性の高いDNA塩基配列)
- メイとペロ2の論文「時間逆行する幻想生物を仮定した場合の物理法則的ねじれおよび」
- 「みさきおく」の電波所の創設者でもある葦原道幸のビジュアルはどことなく主人公のユンに似ている
- リー博士の専門:計算化学・代数宇宙論・暗号科学
- SHIVA
まずは、ユンとメイの立ち位置についてです。
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今作において、2人は同じ時間軸にいるであろうことは間違いないのですが、なぜか直接顔を合わせることがありません。
2人の絡みは、電話とメッセージのやり取りのみとなっており、この2人が出会う展開を頑なに描かないのは、何か重要な意味があるからなのでしょう。
そして、テレビに表示されている基本が異常に低いという件は、SNS上でも気になっている方が散見されました。
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関連して、EDではモニターの向こう側に映し出されている、これまでのゴジラ映画のオマージュ映像が「反転」しているという少し変わった状況になっているのが意味深ですよね。
こうした要素から考えてみた時に、個人的には本作においては「モニターないしカメラを通した映像」と「現実」の間に何らかのズレのようなものが生じるのではないかとも推察できます。
とりわけ第3話でモニターの向こう側にユン、モニターをペロ2の動かしている整備用マシンのカメラ越しに見ているメイという形で、2人の主人公がモニターを挟んで「見る」「見られる」の関係になっていたのも示唆的だったと思いました。
そして、個人的に興味深かったのが、Netflixの字幕ありで見た時に「古史羅図」が「ゴジラず」という字幕になっていた点です。
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もしかすると、これ英語表記で「Godzillas」とかけているのではないでしょうか。
つまり、「ゴジラ」というのが単一の怪獣ではなく、赤潮ないしそこから生じる怪獣全てのことを指すのだとしたら、それらを総称して「Godzillas」と呼称する可能性も考えられます。
その他、セリフの中で気になったのは、「あなたという情報は同じでも器が違うわけです」ですね。
これって、人間の魂と肉体の関係のことであり、AIのシステムとインターフェースの関係のことでもあるように思えます。
そして、もっと言うなれば、怪獣たちが単一の情報ないし知能に基づいた知的生命体で、彼らの身体はその単なる「器」に過ぎないという関係性だという可能性を示唆しているのかもしれません。
また劇中の用語として、「ユープケッチャ」が登場していました。
これは安部公房の創作上の実在しない虫のことを指します。
ユープケッチャは、主食が自分の糞であり、さらにバクテリアが養分を再生産するので、糞が主食でも栄養が尽きないというある種の永久機関のような性質を持っているのです。
食べ物とそれを消化した後の糞という「始まり」と「終わり」が同一であるという点は、本作『ゴジラSP シンギュラポイント』の第6話でのメイの「気づき」にも強くリンクしていると言えますね。
また、劇中に登場するSHIVAですが、これはインドの神シヴァからの引用だと思われます。
シヴァは「破壊」と「再生」を司る神であり、ここでも「始まり」と「終わり」の重なりが見られるのは偶然ではないでしょう。
第3話『のばえのきょうふ』
再び冒頭のペロペロたちの会話
- 「あとから考えた時に、あの時に世界が変わったんだなって思う瞬間ってある?」「いやいつもと変わらなかった。朝起きて、夜寝て、夜起きて、朝寝て」
- 「時間の中を流れていって、掉させば流される」
- 「気がつくと見知らぬ浜辺に流されていて」
- 「でも変なものを見た。何を?割れた花瓶が戻るのを、枯れた花が咲き返すのを、花弁が川を上っていくのを、あれってきっともしかして、君だったりした?」
まず、「掉させば流される」は夏目漱石の『草枕』の有名な冒頭部分「情に棹させば流される。」からの引用でしょうか。
意味としては「情を重んじれば流される」となります。ここでは「情」が「時間」にすり替わっている点に注目です。
つまり、時間を重んじる、固定の時間の概念にこだわろうとすると、流されてしまうということを言っているのではないでしょうか。
その次に引用された「気がつくと見知らぬ浜辺に流されていて」が第1話にも登場した「浦島太郎」の物語を表しているのも印象的です。
そして続くダイアログでは、「時間の逆行」を印象づけるような内容が立て続けに述べられています。
その直後の本編映像で、ラドンが海から陸へと出て行く描写が描かれているのですが、海から陸へと向かって行くラドンと「川を上っていく花弁」を妙にリンクさせてあるのが気になりました。
これも「逆転現象」なのだとしたら、本来の時間軸では陸から海へと戻っていっているのかもしれません。
ラドン周りで気になるのは、個人的に次の描写です。
- ラドンの群れとしてやって来た小さめの個体が「成体」の扱いを受けている。
- ラドンと共に赤い霧が街へと流れ込んでいる。
「成体」にはゴジラのものを思わせる背びれがあり、よりゴジラに近い形状をしているのも興味深いポイントですよね。
そして、ラドンが地上に飛来すると彼らと共に赤い霧(赤い砂)が一緒に飛んでくるというのも注目しておく必要がありそうです。
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恐竜もそうですが、基本的に種が絶滅してしまうのって、環境の変化に適応しきれなかったときなんですよね。まあ近年は人間の引き起こした地球温暖化がそうした「絶滅」のトリガーになっているわけですが。
そう考えると、ラドン登場の一連の流れって、確かに「逆転現象」のような気もするんですよね。
- ラドン1体が地上に飛来し、絶命する
- ラドン(ゴジラ的な背びれがある個体)が大量に飛来する。その際に赤い霧を地上にもたらす
- ラドン(電波に反応しない個体)が赤い霧を伴って世界中に大量に飛来する
まず、個体数で行くと、絶滅に近いほどが数が少なくなるのが必然ですから、①が最も絶滅に近く、逆に②→③と種が繁栄していた頃に逆行しているような印象を受けますよね。
そして、もう1つ注目すべきポイントが「赤い霧」です。
ラドンが生きる上で赤い霧が欠かせないのだとすれば、彼らは赤い霧が無くなったために絶滅せざるを得なかったということになります。
そう考えると、①→②→③というラドンがもたらす「逆行」は、地上を再び赤い霧に包まれた世界に戻す方向に動かしているように思えるのです。
人間の時間の感覚ないし、私たちが『ゴジラSP シンギュラポイント』を追っている時系列で言うと、①→③の流れに見えているのですが、ラドンたちからすると、その時間軸が③→①ということなのかもしれません。
その後の話で、赤い霧は人間に健康被害を及ぼすことも分かっていますので、あの霧に満たされた世界の中で生きられないのは人間の方なのでしょうか。
そして、その「逆行」の基づいて考えるのであれば、あの巨大な骨はやはりゴジラであり、そして、人間にとっての「未来」に近づけば近づくほどに怪獣たちにとっては「過去」の方に流れていくため、復活する方向へ向かって行くと考えられるのかもしれません。
その他の要素について
- ラドンを撃退する「鏑矢」は絵の中の伝承の再現になっている。
- 「ハーヴィ」というAIもオオタキファクトリーにいるらしい。
- ペロ2はあの場所にユンたちがいることを知っていたような立ち回りをしており、その上で逃亡の手助けをしている。
- 『宇宙戦争』H・G・ウェルズ
- ラドンに付着していた赤い砂のは地下の巨大な骨のところにもあった。
- 「突然、人格が目覚めた。」というコメントから、ペロ2のような事例を開発者のユンは想定していなかったことが分かる。
- 「答えはあらかじめ決まっている」「答えは隠されていて、解けないだけだ。」
- アーキテクトの中では時間が逆行している。アーキテクトは存在するけど、見つけられない分子。
- ゴジラの音楽と共に巨大な魚が登場する。
まず、第3話でもペロ2の立ち回りはすごく気になりましたね。
ペロ2は整備用ロボットを掌握して、真っ先にユンたちを助けるための行動を取りました。
その行動は、どことなくあそこでユンたちがラドンにぶつかってしまっては困るという思惑も見え隠れしていたような気がします。
また、ペロ2のようにAIに感情や人格が芽生えることを開発者のユン自身が想定していなかった点も謎が残りますよね。
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同じ時間軸にいながら、なぜユングとペロ2には、あれほどまでに性能や機能に差が生じているのか。ここも要注目でしょう。
そして、劇中でH・G・ウェルズの『宇宙戦争』が引用されていました。
この作品は、映画化もされた元祖異星人侵略SFなのですが、重要なのは最終的に火星人を打倒するのが、「太古に神が創造した病原菌」だったというオチなのではないかと考えられます。
これを『ゴジラSP シンギュラポイント』に当てはめて考えると、アーキタイプこそが「太古に神が創造した病原菌」であり、人間はそれが存在している世界に適応できずに死滅してしまうというのが「あらかじめ決められていた結末」なのかもしれません。
第4話『まだみぬみらいは』
紅塵とアーキタイプについて
- 紅塵:複雑な分子構造。活性状態と非活性状態を併せ持つ。アーキタイプの原料。
- MD5コードのクイズ:答えが分かっているとその意味が推定できるが、知らずに導き出すことが不可能という例。ハッシュドポテトから元のポテトの形を当てることが不可能なように。
- アーキタイプ:自己再生。シミュレーションの中にしか存在していない。光を閉じ込める。閉じ込めたエネルギーをさらに増幅したり。まだ解明できていない。屈折が時間軸にも起きている。未来に登場する光子が全てそこに先取りされる可能性。
- アーキタイプは「てがかりなしでみつけるには、可能な分子の配列を総当たりで計算してやらなきゃ無理」「可能性のある原子構造を全てシュミレーションし尽くさなければならない」
- アーキタイプが発見されるとしたら:「ものすごい計算機がある」「みつけた奴がすごい天才」「すごい強運の持ち主」「最初から答えを知ってた」の4パターン
詳細については、第5話以降で順次明かされていきますが、まずは「時間軸を歪ませる」性質があるというのが重要でしょう。
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すごく簡単に言ってしまうと、「未来を先取りする」こともできるわけですね。
一方で紅塵はアーキタイプの原料であるわけですが、こちらは鉱脈のようなものが存在しており、とりわけインド北方ウパラの鉱脈からはシャルンガと呼ばれる新たな怪獣が登場しています。
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そう考えていくと、紅塵の向こう側に「地獄の淵」が覗いているなんて言われていましたが、向こう側には人類は滅亡した後の世界が広がっているということなのかもしれません。
また、アーキタイプについてユンが見つけるには、「てがかりなしでみつけるには、可能な分子の配列を総当たりで計算してやらなきゃ無理」と言っていましたが、これってAIの思考プロセスに似てますよね。
ただAIも手掛かりがなければ見つけることができません。
そう考えると、ペロ2たちは人間たちの世界をシュミレーションし、「シンギュラポイント」を探り当てるための「手掛かり」を探しているのかもしれないですね。
彼は、記者会見での質問で「羽の生えていない四足歩行、あるいは二足歩行の。」といった発言をしていて、これはアンギラスの登場とインド北方ウパラのシャルンガの登場を想定したものとなっています。
ユンがアーキタイプを見つけるには、「最初から答えを知ってた」しかないというような発言もしていましたが、海は何か知ってそうですね。
その他の要素について
- ブラジルにて「ラ丼始めました」の貼り紙。それを食べているユン。
- 「進化を急いでる」自滅の克服。進化と進歩をごっちゃに。洗練された。
- 「あれ、地下の?」というユンの発言。「いや、俺も今はじめて知った。」
- 意思を持つ骨。あの曲は骨から?
- インド北方ウパラのサルンガの登場と「6年ぶり」の鉄の処女の御開帳。
- アンギラス。前足が蹠行で後ろ足が趾行。前者がクマや人などの足の裏をべったりつける歩き方。後者は馬や猫のつま先立ち。
- スーツケースが閉まっていて、鍵が中に。スーツケースは鍵がないとロックできない。よって最初からカギはかかっていなかった。
まず、面白かったのが冒頭のブラジルでのユンとハベルの会話ですね。
ここでユンがブラジルの新メニュー「ラ丼」を食べているのですが、これが第1話でのユンの予言通りになっていました。
ユンがブラジルの新メニューを食べる未来を無意識的に想像できたのも、彼が何らかの形で「未来」の先取りに成功していたことの暗示なのかもしれません。
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そして、もう1つ個人的に気になったのがユンが佐藤と会話をした時の「いや、俺も今はじめて知った。」発言です。
ユンはこの時点で、ミサキオクの観測所の地下に巨大な恐竜の骨が安置されていることを知りませんでした。
ここから導き出せるのは、ユンには既に「未来」が何らかの形で「見え」始めているのではないかという仮説です。
もちろん「視覚的な情報」だけが「未来の見え方」とは限りません。例えば「音波」や「電波」のような形で「未来」が示される可能性も往々にしてあります。
音と光であれば、基本的に光の方が速いですよね。これは離れた場所で見ると、花火の光と音がずれて聞こえることからも分かります。
では、この法則が逆転したらどうなるのか?と考えてみると、「音の方が先に届いて、光の方が後に届く」ということです。
光と音が同時に発せられ、それを離れた場所で知覚する場合、音の方が「後=未来」に知覚されますよね。
ここで時間軸が反転すると、光よりも音の方が「先=過去」に出現することになるんです。
このギミックが成立するのであれば、第1話でインドの民謡が何かのメッセージとして用いられたように、視覚情報ではなく、聴覚情報で未来を伝えるというのが、これから起こり得る災いの未来を避ける上で重要な方法なのかもしれません。
第5話『はやきことかぜの』
- アーキタイプ:光を過去に向けて時間軸方向に屈折させる。媒質の表面で対消滅する。
- 葦原カスケード
- ダンテ「不死の力を得るために、海にいろんな怪物をたたきこんで混ぜ込んだのが、アムリタ」「アケローン」「これもダンテだよ。地獄の川さ。渡れば二度と戻れない。我をすぎんとする者は一切の望みを捨てよ、地獄門」
- 「原始地球における生命のスープ」
- 「未来の見え方」
- ラドンが世界中に拡散し、オオタキシグナルが使われたが効果がなかった。
- 「ヒレが急に羽になった」
- 「釣月耕雲」
- 葦原のロンドンの製薬会社の特許:クラゲ由来の特殊な分子の構造に由来するもの。実用化されていない。会社はその後買収。特許を関連していたのは株式会社アーキタイプ。葦原も名を連ねている。シヴァが設立したのは50年前。アーキタイプを買収したのも50年前。これが1980年。葦原がアーキタイプを設立したのが60年前。これが1970年。これが1970年。第2話で佐藤の見つけた資料「1970年S021」と関連している。
- SHIVA:1978年10月13日に設立。関連会社にヴァーチャル・インド。現在インドに巨大な施設を建設中らしい。
第5話でアーキタイプに関する非常に重要な情報が明らかにされました。
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個人的に気になったのは、「媒質の表面で対消滅する。」という特性です。
つまり、未来に現れるはずの光子は消滅し、過去に射出されたもののみが残存するということですよね。
そう考えると、この『ゴジラSP シンギュラポイント』における「未来が見える」というのは、過去のある時点に「未来に起きるはずの事象」が先取り的に照射されるということなのでしょう。
そして、そうしたアーキタイプによって光を「先取り」し、強めていくモデルが劇中で「葦原カスケード」と呼称されていました。
カスケードというのは、小さな滝が連なった人工の滝が語源です。そこから派生して、様々な分野に流用されており、「量子カスケードレーザー」などは本作の「葦原カスケード」に構造が非常に似ております。
そして、劇中でBBが言っていたのが、ダンテの話ですね。
まず、一連のくだりの中で「アムリタ」というキーワードが登場しましたが、これはインド神話に登場する飲む者に不死を与えるとされる神秘的な飲料の名称です。
「原始地球における生命のスープ」なんて表現も出てきましたが、この紅塵の集合体(鉱脈?)が、未来に存在する物質でありながら、あらゆる生命の根源のようであり、異なる時間軸を隔てているというのは非常に興味深いですね。
そして、続いて言及された「アケローン」ですが、これがダンテの『神曲』に登場しています。
ダンテの『神曲』中の地獄篇において、「アケローン川」は地獄との境界と位置づけられています。ギリシア神話においては、渡し守カロンがこの川を越えて死者の魂を地獄へ渡しているとも言われていました。
他にも佐藤の部下が取材している屋敷に「釣月耕雲」という四字熟語が掲示されていましたよね。
これは、「どんなにいい鍬を使っても月を釣ることも雲を耕すこともできない。」という意味で、 月を釣るような想像をはるかに超え、雲を耕すような思いも及ばないような心境を表しているとも言われます。
第6話『りろんなきすうじ』
詩の引用について
- Let your soul stand cool and composed before a million universes.
- トラキチよ、トラキチよ
第6話では、印象的に2つの詩が引用されていました。
まず、1つ目の「Let your soul stand cool and composed before a million universes.」はウォルト・ホイットマンの詩からの引用となっています。
ちなみに、これは詩集『草の葉』に収録されていたSong of Myself「ぼく自身の歌」からの引用です。
『草の葉』の序文に「合衆国そのものが、本質的に最大の詩篇なのだ」と書いてあるのが、この詩集を象徴しています。
そして、この「ぼく自身の歌」もこんな一節から始まっていました。
「ぼくに属する原子の一つひとつが君にそっくり属しているからだ」
ホイットマンは「物質と霊魂、男性と女性、善と悪、生と死、戦争と平和、個人と社会といった、あらゆる対立するものを、まったく無差別に、何の序列もなく、いとも簡単に結合させてしまう」と評されています。
つまり、あらゆる「対称性」を有する概念を結合させていく作家性を持っていたという点で、『ゴジラSP シンギュラポイント』における時空間のシンメトリーといった概念に通ずるところがあるのです。
一方で、2つ目に引用されていたのはウィリアムブレイクの詩「トラ」ですね。
Tyger! Tyger! burning bright
In the forests of the night,
What immortal hand or eye,
Dare frame thy fearful symmetry?(ウィリアムブレイク『トラ』より引用)
この詩は、神が虎を作り上げる過程について言及したものです。
というのもウィリアムブレイク自身は「滅びた生命界が神の意思で再創造された」という世界観を詩に反映させています。
また、「人間=子羊」と「トラ」に対称性を見出すような視座も有しており、そこに本作における人間とゴジラの対称性に通じるものが見え隠れしていると言えるでしょう。
その他の要素について
- 生きていれば100歳を超える葦原。死んでいるとは限らない?
- 紅塵のフェーズαが安定して存在していた。10年実験室に籠って、この世に0.001秒しか存在させられなかった物質。
- 紅塵の影響で電気やガスなどのインフラがストップする。
- ペロ2はPCと密接に結びついていた個性ではなかった。
- 散在型単純群の図。魚や犬。
- Orthogonal Diagonalizer(O.D.)直交対角化
- 「6=9」:時空間のシンメトリーをねじる。高次元のねじれを3次元構造で結んでおく。未来と過去が重なるため物理法則に反しない。
- ペロ2「おやおや、まあまあ」
- ゴジラの音楽と共に赤い魚(ゴジラアンフィビア)が登場。マンダの群れを追っている。海を赤くしている。
- 「いきなり二輪は無理か?」
- 怪獣はDNA系を積極的に書き換える能力を持っている。
まず、今作でアーキタイプによる「時間の屈折」の原理がおおよそ判明してきました。
「時空間のシンメトリーをねじる。高次元のねじれを3次元構造で結んでおく。未来と過去が重なるため物理法則に反しない。」ということでしたが、これ言わば過去と未来で「光が同じ場所に像を結ぶ」ということですよね。
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未来に起きるはずだった事象が、先取りされる形で過去の同じ場所に現れる形で物理法則を維持するということになります。
こういう特性を聞いていて思うのは、この『ゴジラSP シンギュラポイント』の世界観が円城塔さんの『Self-Reference ENGINE』に似ているのではないかという疑問ですね。
この小説では、未曾有の危機「イベント」によって時空間に無数の物語が点在することになった世界で、その1つ1つのバラバラの時系列の物語にスポットを当てていき、最後にそれが1つのポイントに収束していくという構造をとりました。
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ジェットジャガーが表示されたモニターに日付と時間のデータが記録されています。
よく見ると、これ時系列がバラバラになっているんですよね。
ちなみに本作の劇中の時系列ですが、
- 第1話:屋敷で音楽が聞こえた時間から37分後(第7話で判明):7月6日19時
- 第2話:ラドンが飛来翌日の新聞:7月8日
- 第3話:ラドンが大量に逃尾に飛来した翌日の新聞:7月11日
- 第5話:佐藤が見ていたSHIVAの資料:7月22日更新
- 第6話:松原の見ているモニターの天気予報:8月10日(土)(8月10日更新と書いてある)
- 第7話:メイが見ていたヨーロッパ各地でのラドン飛来ニュース:8月11日
となっております。
ということで7月30日の部分はちょうど空白になっており、加えて8月12日・13日はおそらく第8話以降で描かれるパートになるのでしょう。
ただ、私たちの体感時間とは異なり、アーキタイプによって時系列がバラバラに照射されるのだとして、それを観測して並べるとこのジェットジャガーの割り出したような順番になっているという可能性も考えられます。
これについては第7話で明らかになった音楽にのせて「日付と時間」が伝えられていたという点からも有力かもしれないですね。
そして第6話でもう1つ気になったのが、ユングがジェットジャガーを修正するプロセスです。
「いきなり二輪は無理か?」と劇中で言われていましたが、ユングは修復してすぐに二輪で走行できるようにしました。
ただ、これって怪獣たちの進化プロセスに似ていますよね。
「怪獣はDNA系を積極的に書き換える能力を持っている。」と劇中で言われていましたが、怪獣たちは環境を分析して、それにすぐに適応する力を持っているということになります。
つまり、環境をシミュレーションして、それに適応するわけで、これってAIの思考プロセスに似ているんですよね。
ユングが現状分析をして、二輪で走れるように立て直したのと同じプロセスが、紅塵から出てくる怪獣たちの中にも存在しているように思われるのです。
今作ではペロ2ないし「ペロペロたち=AI」の存在がキーになっているわけですが、彼らと怪獣たちの適応プロセスにリンクが見出せるというのは、1つ今後重要になって来る視点なのではないでしょうか。
第7話『じかんのぎもんふ』
和歌と黙示録
- しおあかく にがくかわり ふなどより 終末の獣きたる
- ちはやふる かみよもきかず にがしおに からくれなゐに 水くくるとき
- ヨハネの黙示録:血の川
まず、和歌の方から解説していきますね。
この和歌はご存知だとは思いますが、在原業平の「ちはやぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは」の一部を改変して作られたものです。
その上で「ちはやふる かみよもきかず にがしおに からくれなゐに 水くくるとき」を現代語に訳すとすると、「神代の昔でさえも、こんなことは聞いたことがない。逃尾が真っ赤な紅色に、水をしぼり染めにしているとき」となります。
面白いのは、この和歌に、いわゆる「倒置法」が用いられている点です。
つまり、意味的には「逃尾が真っ赤な紅色に、水をしぼり染めにしているときというのは、神代の昔でさえも聞いたことがない。」とする方が、自然な流れです。
しかし、「ちはやふる かみよもきかず」の部分を強調するために和歌になったときに順番が入れ替わっているんですね。
時間の屈折などといった設定が登場する本作において、こうした「倒置」が用いられている和歌を引用しているのは、何だか意味深に思えます。
というのも、意味的には「水が赤色になる」という事象に先に言及する方が自然なのに、この和歌ではそれが後に来ているわけですよ。
これを『ゴジラSP シンギュラポイント』に当てはめて考えてみると、見えている事象と時系列に齟齬がある可能性を推察できます。
つまり、「水が赤色になって、ラドンが襲来して地上にも紅塵が広がって」という流れがあくまでも人間に見えてい時間の流れに過ぎず、それが怪獣たちの時間の感覚からすると「倒置」になっているという可能が考えられるのです。
ちなみにリー博士が「黙示録」に同様の記述があると言っていましたが、「ヨハネの黙示録」にはこんな記述があります。
第二の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、火の燃えさかっている大きな山のようなものが、海に投げ込まれた。そして、海の三分の一 は血となり、
海の中の造られた生き物の三分の一は死に、舟の三分の一がこわされてしまった。
(『ヨハネの黙示録』より引用)
ちなみにですが、「ヨハネの黙示録」には他にも本作にリンクしそうな記述がいくつかあります。
例えば「そして、この底知れぬ所の穴が開かれた。すると、その穴から煙が大きな炉の煙のように立ちのぼり、その穴の煙で、太陽も空気も暗くなった。」という一節は、シャランガの現れたインドのプラントでの出来事を想起させます。
怪獣関連の情報
- ゴジラが現れた場所が初代ゴジラの同じ橋
- ゴジラアクアティリス
- ゴジラアンフィビア
- ゴジラウルティマ
- 未来が見えてるのに、なぜアンギラスは現れた。
- 予め分かる。未来が見える意味。
- 目当てはシャランガ?東京のあいつ?
- オーソゴナルダイアゴナイザー:紅塵に衝突し、結晶化する。
- 紅塵の中だとラドンがしぶとい。紅塵は生息地を広げている。悪夢を広げる素材。
- ゴジラの骨、80年前?骨が信号を知らせている。
- シヴァの姿は青く変じた:ハラーハラ、アムリタの副産物の毒の方
まず、個人的にグッときたのが、ゴジラアクアティリスが下を通過していった橋が、初代映画『ゴジラ』にも登場した勝鬨橋だった点ですね。こういうファンサービスはグッときます。
(映画『ゴジラより引用)
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そして、ソフビの発売情報のリークなどでゴジラの各形態の名称が明らかになって来ています。
- ゴジラアクアティリス→ゴジラ水生
- ゴジラアンフィビア→ゴジラ両生類
- ゴジラウルティマ→ゴジラ最後の音節
基本的には「ラテン語」由来でつけられた名称になっていますね。
この名称からも、今作におけるゴジラが「進化」する個体であり、「ウルティマ」がまさしく最終形態なのであろうということが伺えます。
そして、初代『ゴジラ』のオキシジェンデストロイヤーを思わせる、今作の「オーソゴナルダイアゴナイザー」ですが、その使用法もどことなく似ていましたね。
海の水に働きかけ、そこから酸素を奪ってゴジラを死に至らしめたオキシジェンデストロイヤー。
一方で紅塵に働きかけ、結晶化することで怪獣の動きを停止させたオーソゴナルダイアゴナイザー。
前者が海水から「酸素」を奪っていたわけですが、ここで気になるのは、後者は紅塵から何を奪っていたのだろうか?という点です。
「何か」を奪うことで、紅塵が結晶化し、そして怪獣は動きの自由を奪われるのだとすると、それが何か時間に関連しているものと言う可能性は高そうですね。
第8話『まぼろしのすがた』
上陸したゴジラについて
- 目標の放出するガス状物質の温度はマイナス20度。気温が急速に低下しています。
- 自らガズを吐いて死ぬ生き物。不死鳥母の中からよみがえったし、ユーカリは発芽のために自らを燃やす。
- 「炭化層の下には硬質の組織が確認。外骨格の形状をしておらず、その下には不定形のものが確認されています。溶けてドロドロの状態。サナギのようになっている可能性が。」
- 変形したガス灯。熱の影響ではなく、ガスの影響。
- ラドンが都内から1匹もいなくなった。
まず、気になったのはマイナス20度のガス状の物質を放出するという行動についてですね。
これについては、後程ユングが「積乱雲」を話をしていたので、原理的には同じことなのでしょう。
冷たい気体が上層から下層へと送り出されることで、温かい空気が上昇し、積乱雲の発生につながるわけですから、それを特殊なマイナス20度のガスで急激に引き起こすと、その現象が急激に引き起こされるというわけですね。
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この電灯ですが、よくよく見てみると、炭化したゴジラの尻尾と同じ形になっているんですよ。
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そう考えると、ガスの影響を受けたというのも何となく理解できるのですが、屈折した原理についてはイマイチ説明がつきません。
ただ、ゴジラの尻尾と同じ曲がり方をしているのは、1つの重要なヒントなんじゃないかなとも思うんです。
ゴジラが自らの身体の形状を進化させるために、高次元に存在するアーキタイプを捻ったわけで、その際にこれらの街灯は同じ方向に影響を受けてしまい、その形状に影響が出たのではないでしょうか。
アーキタイプと葦原破局点、そしてSelf-Reference ENGINE
- ユング「これが身体を持ち、生きるということ。」
- アーキタイプは高次元にその実体が存在していて、人間のいる次元からはその「影」が見えているに過ぎない。本質は同じだけど見え方が変わっている。
- 葦原は未来を見通せる計算機を使ったが、未来に見えたのは「破局」だった。
- 常に同じになるはずの計算の結果が毎回変わる場合は、その本体かソフトウェアの損傷の可能性が真っ先に指摘される。
- ある時間を境に計算の結果が一定ではなくなってしまった「葦原破局点」
- ノートの意味:大規模な時間逆行現象の観測。巨大なアーキタイプの存在。目の1つ1つが計算機で、ノートに描かれている図が超計算機のネットワーク。超計算機同士の答えが競合してしまい、毎回異なる値が導き出される。目の1つ1つが特異点。
- 宇宙同士の競合が発生してしまうことが「破局」
まず、BBが説明していたアーキタイプの「影」に関する説明は、かなり本質を突いたものになっていると思います。
物質の本質は変わらないのに、視点によってその見え方が分かってしまう。
未来の見え方が計算のたびに異なるものになってしまう「葦原破局点」もこれが原因ではないでしょうか。
それをさらに詳しく説明したのが、超計算機による答えの競合が起きるという部分ですね。
ここの一連の説明を理解するには、円城さんの『Self-Reference ENGINE』を読んでおくことをおすすめします。
というのも、『Self-Reference ENGINE』の世界観は、
宇宙が分断され、無数の巨大知性体がそれぞれの思惑で動き、各々の宇宙を成り立たせるために演算戦が繰り広げている
というものになっているのです。
これが、おそらくドンズバに近い形で、今回の『ゴジラSP シンギュラポイント』に転用されているんじゃないでしょうか。
そして、『Self-Reference ENGINE』の中にこんな一節があります。
私の名はSelf-Reference ENGINE。全てを語らないために、あらかじめ設計されなかった、もとより存在していない構造物。
(中略)
私は完全に機械的に、完全に決定論的に作動していて、完全に存在していない。それとも、Nemo ex machina。機械仕掛けの無。
(『Self-Reference ENGINE』より引用)
この部分を考えていく上で、重要なのは「存在論」です。
Self-Reference ENGINEとは、その言葉の通り自分だけが自分を参照することのできるエンジンのことであり、それは創作物のメタファーでもあります。
「シュレーディンガーの猫」なんて概念もありますが、基本的に私たちが「存在」を認知するためには、その存在を観測して確認する必要がありますよね。観測したときに初めて、存在が担保されるわけです。
しかし、創作物ないしフィクションは初めから存在していない世界を描いていない「自己言及」でしかなく、それは現実との矛盾を多分に孕んでいます。
ただ、フィクションはSelf-Reference ENGINEであるが故に、本来存在しないものを現実とは異なるレイヤーに生み出し、私たちの現実に作品として「投影」し、存在させることができます。
こうしたコンテクストを踏まえて考えた時に、私が非常に気になったのは本作のエンディングの描写です。
エンディング映像には、やたらと過去のゴジラ作品のオマージュが為されています。
もちろん本編の方でも例えば、第8話で言うと、「モスラVSゴジラ」で描かれた地中に埋もれたゴジラのような映像が使われていました。
(映画『モスラVSゴジラ』より引用)
アーキタイプの正体は、やはりSelf-Reference ENGINE的なものであり、とりわけ今作においては「ゴジラの物語のマザータイプ」ということになるのではないか?とも思うのです。
つまり、今回の第8話で指摘されているような無数の「世界線=宇宙」というのは、そのマザータイプが生み出してきた数々の「ゴジラ作品」のことを指しているのではないかと。
突き詰めていくと、『ゴジラSP シンギュラポイント』がそうした「マザータイプ」の「見え方」であり、派生した物語の1つであるという構造が見えてきます。
もっと言いますと
- 「ゴジラの物語のマザータイプ」=アーキタイプ
- 計算機=創作者
- 宇宙=物語
- 『ゴジラ SP』=「見え方=影」の1つ
- 観測者=私たち視聴者
というメタ的なレイヤーが、今作には内包されている可能性も指摘できます。
つまり、ゴジラの物語のマザータイプの正体を1つに確定させようとする行為は、「ゴジラの物語のマザータイプ」を探る行為であると言えます。
しかし、私たちがそれを観測しようとしても、見えてくるのは、そのマザータイプが「自己言及的」に生じさせた「影」でしかなく、それ故に「見え方」が異なるんです。
私たちは、これまでに多く作られてきた「ゴジラ関連作品」を見ることはできますが、それらを通底する「マザータイプ」を観測することはできません。
さらに言うなれば、関連作品を見た私たち自身の中にも無限に「解釈=見え方」が生まれてしまいますから、そうした可能性を考えていくと、もはや「ゴジラが何なのか?」を一義的に確定することは不可能に近いのです。
『ゴジラSP シンギュラポイント』は円城さんが作り出した「ゴジラコンテンツに自己言及する物語」だと個人的には現状解釈しています。
「マザータイプ」の存在は、私たちの次元とは異なる場所にあり、私たちが観測できるのは、それが生み出した「影=作品」だけ。そしてその「影」のバリエーションは作り手の数だけ、視聴者の数だけ存在し、競合するから一義に定まらない。
第9話『たおれゆくひとの』
バガヴァッド・ギーターの『宇宙普遍相』
千の太陽
空に浮かべば
このものの
おおいさに
ひとしからんか
ここに
すべての世界 会し
とりどりに分かる
我は
世界を滅す
強大なる時の姿なり
諸世界を帰滅せんがために
ここに活動を開始せり
そもそもバガヴァッド・ギーターは韻文詩からなるヒンドゥー教の聖典の1つとされています。その内容の一部が引用されていたわけですが、印象されている部分以外にも実は今作にリンクしている記述がいくつかあります。
9:サンジャャは言った――王よ、こう語って、あらゆる神秘力をもつ至上主バガヴァーンは、彼の宇宙普遍相をアルジュナに示されました。
10-11: アルジュナは見た。―主の宇宙普遍相は、無数の口あり、無数の目に無数の不思議なすがた視覚あり。その相は無量の光輝く天の宝飾で荘厳され、あらゆる種類の聖なる武器を振りかざして、様々の妙なる天の花々を頚かざりとし、数々のきらめく天の衣をまとって、御身体に聖なる香油をぬり、すべて驚異に満ち不可思議の極み、無辺際に光り輝いてあらゆる方角に広がっている。
12:数千の太陽が同時に空に昇るなら、その輝きこそ至上主の宇宙普遍相(ヴィシュヴァ・ルーパ)の光輝光彩にたとえられましょうか。
13:その時その場でアルジュナは見たのです。主の宇宙普遍相(ヴィシュヴァ・ルーパ)のなかに無数の宇宙が展開して、千種万態の世界が活在しているのを。
(第11章『宇宙普遍相(ヴィシュヴァ・ルーパ)』より引用)
それを踏まえて見て欲しいのが、本作に幾度となく登場した葦原のノートのあの図です。
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これ、特に「無数の目」「無数の宇宙」といった部分が、バガヴァッド・ギーターに登場している宇宙普遍相(ヴィシュヴァ・ルーパ)の記述を思わせるものになっていますよね。
その上で、それに続く記述を見ていくと、こんなものがありました。
16:宇宙の御主よ、宇宙普遍相よ、あなたの体には、多数の腕が、多数の腹が、多数の目と口がある。一切処に遍満して辺際なく、終りも中間も始めも見えない。
19:あなたには始め無く中間無く終り無く、あなたの栄光は無限です。無数の腕を持ち、太陽と月はあなたの両眼。口からは光り輝く火炎を吐き、あなたの光輝でこの全宇宙は燃えている。
(第11章『宇宙普遍相(ヴィシュヴァ・ルーパ)』より引用)
「始め無く中間無く終り無く」というのは、空間的だけでなく、時間的にも「あまねく」存在していることを表しており、その存在に始まりや終わりはないということになります。
この記述に注目すると、当ブログ管理人が先ほど書いた本作と『Self-Reference ENGINE』のリンクがもう少し見えてきたような気がします。
というのも、物語を自己言及的に生み出す機関は私たちの次元の物理法則や時間法則に縛られません。
初めから存在していないし、存在している。そういうものです。
この点で、「始め無く中間無く終り無く」という記述は、Self-Reference ENGINEつまりフィクション(物語)そのものにも当てはまるんですね。
「物語」が先か「物語内存在」が先か
38:あなたは原初のバガヴァーン、最古の御方、この宇宙究極の聖域、あなたはすべてを知り、また知り得るもののすべてである。あなたは物質性質を超えた最高無上の安息所。無。
すがた限なる相(すがた)よ、全宇宙現象はあなたで満ちている。
(第11章『宇宙普遍相(ヴィシュヴァ・ルーパ)』より引用)
この記述は、先ほど挙げた「私は完全に機械的に、完全に決定論的に作動していて、完全に存在していない。それとも、Nemo ex machina。機械仕掛けの無。」という記述にかなりリンクしているように思えます。
本作が先ほど言及したような、メタ的な世界観になっているのだとすると、メイやユンたちはエンジンが生み出した物語の1つの中に内包された存在ということになり、彼らがそこから脱することはできません。
しかし、「オーソゴナルダイアゴナイザー」があれば、フィクション内存在が自分たちを取り巻く構造を知ることができ、さらにはそのマザータイプにアクセスすることで、自分たちの存在している「物語」を書き換えることができるのではないでしょうか。
53:いま君が超越的な眼で見ている私の姿は、ただヴェーダを学んだだけでは理解できないし、厳しい苦行や、寄付、崇拝を重ねてもわからない。そのような手段では私の真実の姿は見えないのだ。
(第11章『宇宙普遍相(ヴィシュヴァ・ルーパ)』より引用)
上記はバガヴァーン(主)が語った言葉なのですが、バガヴァーンというのはキリスト教におけるイエスのような存在であったり、いわゆる神のような存在とは少し異なるようです。
日本語であえて言うなれば、「秩序」に該当するような存在であり、そう考えると『ゴジラSP シンギュラポイント』にピタッとハマるような気がしました。
「ゴジラの物語のマザータイプ」が存在しており、そこから物語(宇宙)が生まれます。
それぞれの物語(宇宙)にいる者は、基本的に自分たちがフィクション内存在であることを自覚することはできません。
しかし、葦原はそれに気がつき、『ゴジラSP シンギュラポイント』の物語そのものの「破局」をメタ的に悟ってしまったのではないでしょうか。
もちろん、その「破局」というのは物語に対して決められたものであり、そうである以上はフィクション内存在であるキャラクターたちに変えることはできません。
ただ、「オーソゴナルダイアゴナイザー」が、「ゴジラの物語のマザータイプ」にアクセスできるツールなのだとすると、「捻り」を加えることで、「破局」の見え方をフィクション内部から変えられるかもしれません。
超計算機は与えられたデータに基づいて、事象を観測することができます。
葦原は、その計算機によって様々な未来の可能性を垣間見たのだと思われますが、その計算機が自分たちの物語の枠組みの中にある以上、いくら計算をしたところで導き出される結果が、物語の枠組みを超えることはないのでしょう。
そうなると、必要なのは、フィクション内存在であるユンやメイたちの「創造力」とAIないし計算機の力を合わせることです。
「卵が先か鶏が先か」という言葉がたびたび劇中に登場しました。
しかし、今作がこうした方向性に進むのであれば、まさしくこの言葉に行き着くはずです。
「物語が先か物語内存在が先か。」
物語という宇宙が存在して、初めて物語内の存在であるキャラクターたちが存在する。これが普通の見方です。
その一方で、物語内存在が自分たちが存在するための物語(宇宙)を生み出すなんてことが起こりうるかもしれないわけですよ。
それこそが、『ゴジラSP シンギュラポイント』における「破局」を防ぐということなのではないかと、第9話を鑑賞した時点では、個人的に考えている次第です。
第10話「りきがくのげんり」
対になるモチーフの多さと「対消滅」
- 突然描かれた李博士とメイたちの食事シーンが描かれる
- 「あるはずのものがないという情報を過去に送ったとする」→「それなら私は”あれ”にする」
- 時間についての考えは国によって違いますから
- 先ほど共有した「アドレスリスト」、電波が繋がったら全員に送信してみてください。誰かに繋がるはずです。
- 口から輪を吐くゴジラ(ミニラオマージュ)
- 7月6日19時ごろに起きた出来事(送電線の不具合と思われる停電。酔っぱらった若者3人が川に落ちて助けられる。林道で老人が足を踏み外して救助される。)
- MDハッシュが開発されたのは1990年頃(しかしノートに数列が書かれたのは、50年前)
- MDハッシュが指している時刻は「カミムシと有川ユンのチャット送受信時刻に重なる」
- ミサキオクには漁村があったが、ある日忽然と姿を消した
- 山本「飛鳥尽きて 良弓 蔵れ、狡兎死して、走狗烹らる。」「人は皆 有用の用を知るも 無用の用を知ることなき。」「民の治め難きは、その智、多きをもってなり」
- 第1話でも鳴っていたミサキオクの警報がまた鳴りだした。
- Alapu upala「別れた川は二度と1つには戻らない。亡くした人は帰らない。でも最後はみんな海で1つに」
第9話のラストでラドンに襲われたのに、その件に全く触れることなく、いきなりインサートされたいつの時系列のものなのかも分からない食事シーン。しかも、これ以外のシーンで李博士の姿が不自然に見えなくなっているのも違和感がありました。
彼女が残した「あるはずのものがないという情報を過去に伝える方法」が気になりますね。
そして、第10話で明らかになったこととして、最も重要なのがノートに書かれたMDハッシュが指している時刻が「カミムシと有川ユンのチャット送受信時刻に重なる」という点ですね。
最終回のタイトルが「はじまりのふたり」ではないかと言われていますが、やっぱりこの『ゴジラSP』という作品は、これまでも2つで対になるものを劇中に多く登場させているような気もします。
ニーナが語ったAlapu upalaの歌詞に込められた「別れた川は二度と1つには戻らない。亡くした人は帰らない。でも最後はみんな海で1つに」という言葉も対になるものを1つにするという意図が見え隠れしていますよね。
「飛鳥尽きて 良弓 蔵れ、狡兎死して、走狗烹らる。」
これは「飛ぶ鳥がいなくなると、良い弓も蔵に納められ、逃げ足の速いウサギが死ぬと、よく走る猟犬は煮て喰われてしまう。」という意味です。
「人はみな有用の用を知るが、無用の用を知るものはない」
これは『荘子』の中の一節でして、「無用だと思われている物こそ有用なのだということ」を表した言葉です。
最後に「民の治め難きは、その智、多きをもってなり」
これは『老子』の中の一節ですね。意味としては「民衆が治め難いのは余計な知恵がついたためである。」というものになります。
この一節は、「知恵に頼って国を治めようとすると、国が亡びる」というしゅちょうの一環の中で述べられています。
つまり、山本の意味深な発言が表しているのは、「有用なもの」と「無用なもの」が常に対になる関係にあるということなのでしょう。
それを踏まえた時に、『ゴジラSP』の時間逆行原理の説明として「対消滅」という言葉が出てきたのをふと思い出しました。
「対消滅」とは粒子と反粒子が衝突して、他の粒子に変換される現象のことを表しています。
この「対消滅」がキーワードになるのだとすると、ゴジラウルティマとミサキオクの地下にあるゴジラの骨格と思われる巨大な骨がまさしく粒子・反粒子の関係性にあることが指摘できるのかもしれません。
もう1点気になるのは、本作において未だメイとユンが直接出会って言葉を交わしたことがないという点ですね。
こうした対になるものが接触・衝突するという現象が、物語の終盤に起きると、何らかの形で「対消滅」的な現象が起きるのかもしれません。
第11話「りふじんながくふ」
物語の起源と本作の在り様について改めて
- 海建宏がミサキオクの地下から骨を運び出している。
- 特異点は一度壊せば二度と手に入らない。あらゆる願いを叶えるランプ(=オーソゴナルダイアゴナイザー)にその消滅を願う。(ロマンチスト)
- ゴジラが作り出している紅塵による雲がボッティチェッリの地獄の図を思わせる。
- 特異点を地下2000メートルから引き上げている。(完全な引き上げにはあと7年ほどかかる)
- オーソゴナルダイアゴナイザーをBBが盗んで、世界各地に送りつけた。(李博士の指示)
- メイとユンのやり取りは、それ自体がジェットジャガーをアップデートするための暗号だった?
- ランプの魔人の話は、中国が起源。さらにフランス語版からアラビア語の原典が作られた。
- 魔法のランプをどう壊すかは、ランプ自身に考えてもらう。(妙に現実的)
- 前成説:卵の中には自分の子孫の情報が全部入っているという考え方。
- 葦原は60年前に「歌に呼ばれて」特異点を発見した。
- 東京駅の上空100メートルで最後のメッセージを受け取ることができる。
まずは、「ゴジラが作り出している紅塵による雲がボッティチェッリの地獄の図を思わせる」点について見ていきましょう。
こんな感じなんですが、仮にゴジラの体長とこの雲のサイズ感が一致していたとすると、この地獄の図における最上部がちょうどジェットジャガーを通じて示された座標軸ということになります。
では、ボッティチェッリの地獄の図の最上部にあるのは何なのかと言うと、それは今作の第5話で名称が挙がった「アケロン川」なんですよね。
この川は現世とあの世の境界的な位置づけであり、言わば「三途の川」のような役割を果たしています。
そう考えると、ジェットジャガーが示した座標軸がゴジラの頭部付近を指し示し、さらにそこが「アケロン川」という2つの世界の交点のような性質を帯びているのは偶然ではないような気がしました。ユンとメイが交わる場所という意味でもリンクしていますね。
次に取り上げたいのが、「ランプの魔人の話」の起源についての話題です。
ジャーナリストの海が、この物語の起源は中国であり、私たちが良く知っているアラビア語のものは、フランス語版から原典が作られたものであるという話をしていました。
ここで、ゴジラシリーズの起源について考えてみたいのですが、それはもちろん1954年に公開された初代ゴジラですよね。
ただ、「ランプの魔人の話」のように私たちが物語の起源だと思っているものは、案外違っていて、そのルーツは別のところにあるなんて可能性も考えられるわけです。
つまり、私が指摘したいのは、『ゴジラSP シンギュラポイント』が「ゴジラの起源」を描く物語になり得る可能性なんですよね。
今作が、起源として存在しており、そこから派生した多くの物語の1つが私たちの知るいわゆる「初代ゴジラ」という位置づけに目線を変えていくということです。
ここで、もう1つ「前成説:卵の中には自分の子孫の情報が全部入っているという考え方。」の話がキーになってきます。
「卵の中には自分の子孫の情報が全部入っている」という言葉を聞いて、少し思い出してみてください。
この『ゴジラSP シンギュラポイント』には、数えきれないくらいにこれまでの「ゴジラ映画」へのオマージュネタが散りばめられていましたよね。
私たちが「これまでのゴジラ」だと思っていたものは、もしかすると「これからのゴジラ」なのかもしれないという可能性があるんですよ。
つまり、私たちがオマージュだと思っていたものは、あくまでも前成説的に今作『ゴジラSP シンギュラポイント』に内包されていた要素であり、後にそれが「子孫=これからのゴジラ作品」に反映されていくのだという逆転が起きたとしたら。
この視点で見ていくと、本作『ゴジラSP シンギュラポイント』は「これまでのゴジラ」のオマージュ要素を詰め込んだ作品ではなくて、「これからのゴジラ」の情報を多分に内包している起源的位置づけの作品とも見れるわけです。
そう考えていくと、やはり「破局」というのは、単一の世界観としての『ゴジラSP シンギュラポイント』の物語の終わりそのものを指しており、そこから分岐する無数の可能性というのは、私たちには観測できないSelf-Reference的に生じていく無数のゴジラフィクションの可能性ということになるのではないのでしょうか。
つまり、「破局」が訪れるのは、文字通りこのシリーズが終わる「第13話の最後の一瞬」なんてメタ的な構成をしてきたら、円城さんらしいななんて思います。
第12話「たたかいのおわり」
円城塔の『道化師の蝶』から読み解く結末の可能性
- エクピローシス:世界が燃焼すること。一定の運命づけられた時間に従って全世界が燃焼し、その上でまたもう一度、世界が形成される。劇中では神が宇宙よりも大きくなってしまい、全てをやり直さざるを得なくなってしまった。
- 葦原はかつて「計算爆発」を引き起こし、マータリシュヴァン(インド神話の神で、火の元素を人間に伝えた)を生み出しかけた。
- 葦原は超計算機を使って、「破局」に触れてしまい、シヴァで「破局」を先取りしてしまった。
- 蝶:円城塔の『道化師の蝶』
- ルールがない。ルールはお前とそいつで決めていい。ルール決められない、悲しい。いなくなったの悲しい。
- シヴァは特異点。ペロツーがコードを探ろうとすると、未来で分岐が生じ、コードの可能性が増大していく。さらに分岐したコード同士が競合している。
- 葦原はオーソゴナルダイアゴナイザーを「破局」を回避するために使おうとした。
- ペロツーが「破局」を見てきたことにより、分岐し、競合し、一時的にシステムがダウンしてしまう。
「蝶」と言えば、ゴジラファンからすると当然「モスラ」なんだと思いますが、円城塔作品で言うと、『道化師の蝶』が浮かびます。
この作品において「蝶」とは何だったのかと言いますと、実は「物語のアイデアの起源」だったんですよ。
「蝶」がアイデアの象徴であり、それを実業家のエイブラムス氏が所有している小さな銀色の捕虫網で捕まえようとする、つまり物語の着想を得ようとするというプロセスを実に幻想的にかつSFチックに描いた作品と言うことです。
ただ、この『道化師の蝶』はその「構造」が面白い作品でして、円城さん自身もその構造の妙を楽しんで欲しいと解説しています。
- ①:東京~シアトル間の飛行中。語り手の「わたし」と実業家のエイブラムス氏の会話。エイブラムスは「わたし」に銀糸で編まれたミニチュアの捕虫網で物語のアイデアを捕まえていることを明かす。エイブラムスは「わたし」の頭に網をかぶせ、「旅の間にしか読めない本があるとよい」というアイデアを捕まえた。エイブラムス氏があるとき、飛行機の中で架空の蝶を捕まえ、それをモントルー・パレス・ホテルに運び、居合わせた鱗翅目研究者ナボコフに披露する。ナボコフはその蝶に「アルレキヌス・アルレキヌス」という学名を与える。
- ②:①で語られた出来事が友幸友幸という作家がが無活用ラテン語で書いた『猫の下で読むに限る』という小説の内容であったことが明らかになる。エイブラムスは、友幸友幸の追跡に執心していたが、『猫の下で読むに限る』の原稿を発見して程なく命を落とす。語り手は同書を翻訳した「わたしA」。
- ③:モロッコのフェズで現地のお婆さんから刺繍を習っている「わたしB」が語り手である。「わたしB]は①の飛行機での会話を聞いており、その際に自分がいつかその小さな捕虫網を編み、それが過去の人物に拾われて骨董屋で売られ、エイブラムスの下へと渡ることを予感する。
- ④:『猫の下で読むに限る』の翻訳者である「わたしA」が語り手。「わたしA」は、サンフランシスコの記念館へとやって来て、カウンターにいる年配の女性に友幸友幸についてのレポートを提出する。その後、小さな網をポケットから取り出し、彼女の「冗談」を捕まえる。
- ⑤:「わたしB」はナボコフの依頼を受けて、網を作る。①のナボコフとエイブラムスの会話シーンに戻る。「わたしB」は「旅の間にしか読めない本があるとよい」という着想を「わたし」の頭に産み付け、それをエイブラムスが網で捕まえる。
赤色で着色したところからも分かると思いますが、この物語はある種のループ構造になっているんですよね。
しかも、青色で着色したところからも分かるように、現実とフィクションのレイヤーを行き来する不思議な作品なので、余計に構造が複雑です。
加えて、「わたし」という1人称の指しているキャラクターが、劇中フィクションの作者、翻訳者、主人公3人に分かれており、それぞれの章で別々の人物を指しているというのが、かなり厄介でしたね。
『ゴジラSP シンギュラポイント』の第12話で、いきなり大量の蝶が東京を飛び始めたわけですが、それと時を同じくして、破局による未来の分岐が迫り、ペロツーの競合が起きました。
そう考えると、『道化師の蝶』のように「蝶」が未来の可能性を表しており、これからの物語の可能性の比喩になっており、それ即ち「物語の着想」のメタファーであると読み解くことも不可能ではありません。
また、個人的にもう1つ可能性として浮かんだのは、『ゴジラSP シンギュラポイント』が『道化師の蝶』のように現実とフィクションが意図せず混在している作品であるというものです。
そうなると、対になる関係であるメイとユンのどちらかが劇中内現実の存在、どちらかが劇中内虚構の存在と捉えられるような気もしてきます。
第11話で、ジャーナリストの海がユンを「ロマンチスト」と評し、メイを「現実的」だと評していましたが、この言葉ももしかしたら伏線なのかもしれません。
この2人は現実と虚構の壁に阻まれており、直接交わることはできませんが、唯一あのチャットによって、その境界線を越えることができます。
メイはペロツーを使用するも、未来の可能性が大量に分岐しており、そこから1つを選ぶことができずにいますよね。
つまり、物語の可能性が無数に生じており、さらにそれらが競合していて、一義に定まらないというカオスな状況が表されているのです。
それが、「物語の着想=蝶」なのかもしれません。
そして、これまた面白いことに、第12話の中で1匹の「蝶」とジェットジャガーが接触していましたよね。つまり、ジェットジャガーはこの時、「蝶」から物語の「着想」を産み付けられている可能性があります。
そうなると、本作のラストは、ジェットジャガーが何らかの形でメイに「着想」を伝え、それによって劇中内虚構にもたらされようとしていた「破局」が回避されるという構造になるのかもしれません。
こうして「蝶=物語の着想」を得た、メイが物語を語り直していく、あるいは今語られている物語がまさしくメイが「蝶」から得た物語である可能性も指摘できますね。
今作の中で「未来の見え方」の話をしている一幕がありましたが、こうなってくると、やはりここまで見てきた『ゴジラSP シンギュラポイント』そのものが『道化師の蝶』のように劇中内フィクションであるという可能性も見えてくるのかもしれません。
最終回「はじまりのふたり」
諸々の答え合わせ…。
当ブログ管理人が「どんな変化球が飛んでくるんだろう!?」と毎週毎週、いろいろと考察を重ねてきた本作。
制作陣が投げてきたのは、まさかの直球ど真ん中ストライクでした(笑)
一応第7話でこんな会話がありましたね。
ユン「う~ん。まあ、とにかく、そんな計算機があるなら、これを実行してみてよ。計算に時間が掛かり過ぎて、困ってる」
メイ「なにこれ?」
ペロ2「ジェットジャガーを最強にするプロトコルだそうです」
メイ「ジェットジャガー?」
(『ゴジラSP』第7話より引用)
この時に、ユンからペロ2に「プロトコル」そのものは渡されていたのですが、メイが「ジェットジャガー?」と首を傾げていたことから分かる通りで、この時点では「メッセージ」としては理解されていませんでした。
ただ、それがこの最終回の土壇場で「メッセージ」としてペロ2に伝わり、それをペロ2が解読し、同じNARATAKEベースのジェットジャガーユングと共有することで、オーソゴナルダイアゴナライザーを起動し、「ゴジラ=破局」を打倒するというラストになっていたわけです。
で、一番重要なのは、このセリフ。
「私の名はジェットジャガーPP。ペロ2とジェットジャガーの遥かなる末裔です。」
つまり、何を言っているのかと言うと、ユンが作った「ジェットジャガーを最強にするプロトコル」を実現するために、時間の中で何度も何度も検証を繰り返して、消失と誕生を繰り返していたということですね。
AIは人間には不可能なほどの膨大な数の「試行」を繰り返すことができます。
ただ、AIの弱点は「身体性」とも言われていて、そこについても、本作ではご丁寧にペロ2とユングにそれぞれ「身体」を与え、補完してありました。
こうして、文字通りAIであるペロ2とユングが「シンギュラリティ」に到達し、「ジェットジャガーを最強にするプロトコル」の答えを導き出したというわけですね。
ただ、「プロトコル」をペロ2とユングの世代に直接伝えてしまうと、都合が悪いということで、MD5ハッシュのように答えを知っていると解けるけど、知らないと永遠に解くことができないような形で伝えたのでしょう。
そうして、何とか伝わった「プロトコル」でジェットジャガーを巨大化させ、それがオーソゴナルダイアゴナライザーの起動とりんくしていたため、ゴジラを打倒することに成功しました。
第1話には
- ユンがジェットジャガーのコードを書いているシーン
- ユングとペロ2が初登場
- メイとユンも初登場
- Alapu upala
という具合に、最終回で破局の回避に必要な要素が実は前成説的に全部入っていたんですよね。
第13話のラストシーンで、ついにユンとメイが出会ったわけですが、ここでは「ペロ2」が「ペロ3」になっていましたし、メイは着ているTシャツには「ウロボロス」のイラストが描かれていました。
「ウロボロス」は己の尾を噛んで環となったヘビもしくは竜のシンボルで、「始まり」と「終わり」が存在しない永劫回帰を象徴すると言われています。
つまり、最終回である第13話と第1話が要素的にも重なっていたのは、偶然ではなく計算されていたということなんでしょうね。
その上で、本作を理解する上で最も大切な言葉は、第1話にも出てきていたこれですね。
「過去を変えられるのなら、現在はすでに変わったあとの未来」
第1話時点でペロペロたち(おそらくペロ2の末裔たち)が「こう始まる!」と言っていたところでは、オープニングクレジットが続いていてシーンそのものは映し出されていませんでした。
しかし、もう「答え=第13話のラストシーン」になることは決まっていたということになるわけですが、それが「ペロ2」の世代には伝わってなかったが故に、私たちはそのシーンを「見る」ことができなかったのです。
そうして、『ゴジラSP』の一連の出来事を経て、私たち視聴者は、最初から決まっていたけれどもMD5ハッシュのように答えを知らないと分からないラストを知ることになったわけですね。
さらに言うなれば、このラストと言うのが文字通り「すでに変わったあとの未来」のことを指していました。
つまり、「未来(ペロペロたちの現在)」からAlapu upalaに乗せてコードを送り、「過去(ペロペロたちから見た)」の破局を回避することで、書き換えられた未来としてのユンとメイの出会いのラストシーン(書き換えられた世界でのファーストシーン)が描かれたんです。
結局のところ『ゴジラSP』が全13話をかけて何をやっていたのかと言うと、ペロペロたちが検証を繰り返して辿り着いたラストシーンの光景を、「過去」軸にいるペロ2とユングに届け、「過去」を書き換えて実現してもらうというプロセスだったんでしょうね。
こうしたかなり整理してみるとシンプルなギミックを描くために、数々のSF考証がなされ、毎回のようにSFチックな世界観をバンバン押し出していたのだと思うと、ちょっと笑ってしまいますね。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回はアニメ『ゴジラSP シンギュラポイント』についてお話してきました。
流石、円城塔さんの脚本と言ったところか、第1話からとんでもない情報量に圧倒されました。
とりわけ「時間軸」を操る作劇が、彼のデビュー作である『Self-Reference ENGINE』に近いところがありますので、併せて読むことをおすすめします。
まだまだ謎の多い本作ですが、散りばめられた伏線が一体どんな形で回収されていくのか、これからも目が離せませんね。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。