こんにちは、ナガです。
今回はですね映画『ファンタスティックプラネット』についてお話していこうと思います。
1973年にフランスで公開されると、大きな話題となり、世界中のアニメクリエイターたちを虜にし、多大な影響を与えた作品です。
日本でもジブリの宮崎駿監督が多大な影響を受けたと言われていますね。
特に『風の谷のナウシカ』にその影響が見られますが、彼は本作を賞賛しつつも、本作のアニメーションとしてのモーションについては懐疑的だったとも言われています。
また、日本では1985年に上映されましたが、なんと2021年5月にリバイバル上映が決まり、再び注目を集めています。
今作のタイトルを聞くと、多くの人が「気持ち悪い」「不気味」「グロテスク」「狂気」といったセンセーショナルなイメージを挙げると思います。
でもこうした要素を持つ作品は毎年いくつも公開されていますよね。
しかし、『ファンタスティックプラネット』はそれでもなお色褪せない不朽の名作として新たなファンを獲得し続けているのです。
そこで今回は、簡単にあらすじや世界観の説明した上で、本作が名作と呼ばれる理由を4つの観点から解説していきます。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む解説・考察記事です。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『ファンタスティックプラネット』
動画解説
あらすじ
『ファンタスティックプラネット』の舞台はドラーグ族とオム族(人間)が暮らしているとある惑星です。
ドラーグ族は、オム族の十倍以上の身長、青い皮膚、魚のヒレの様な耳、真っ赤な目を持ち、その惑星の生態系の頂点に立つ存在です。
一方のオム族、こちらがいわゆる「人間」にあたるのですが、彼らは原始的な生活を営んでおり、大多数はまともな知性を持っていません。
そして、多くの人が度肝を抜かれた本作のファーストシーンでも描かれているのですが、ドラーグ族は基本的に人間をペット、おもちゃ、そして奴隷にしてその命を弄んでいるのです。
ただ、ドラーグ族は、オム族(人間)が高度な知能を持っている可能性を懸念しており、自分たちの優位を守るために、「害虫駆除」感覚で定期的に大量虐殺しています。
そんな本作の主人公がテールという1人の少年。
彼は母を殺されたのちに、ドラーグ族の少女ティバに拾われてペットになるのですが、ある日、彼らが知能を高めるために用いている「学習器」を持って逃亡します。
この「学習器」によって、人間は、これまで持っていなかった知能を手にすることになったのです。
そうして生き残りをかけたドラーグ族とオム族の闘いが始まるのでした…。
作品概要
本作はステファン・ウルのSF小説『オム族がいっぱい』を原作として作られたアニメ映画です。
アニメーションについては、脚本も担当しているローラン・トポールが4年もの年月をかけて原画を仕上げたと言われています。
後程解説しますが、本作は「切り絵アニメ」という少し特殊な方法で作られており、それ故に相当の手間暇がかかった作品となったのです。
監督を務めたのは、フランスのアニメーション作家として知られるルネ・ラルーですね。
『時の支配者』なんかも有名で、こちらも日本のアニメクリエイターに多大な影響を与えたことで有名です。
フランス映画として有名ですが、実はフランス・チェコスロヴァキア合作で制作された作品で、そうした事情もあってか「冷戦」についての言及も作品の中で為されているような印象は受けました。
『ファンタスティックプラネット』が名作である4つの理由を解説・考察(ネタバレ)
では、ここからはなぜ『ファンタスティックプラネット』という作品が、ここまで名作とされているのかを自分なりに分析してみようと思います。
「気持ち悪い」「グロテスク」「恐ろしい」といった印象が先行している作品なのですが、その背後には計算された「不気味さ」のようなものがあるのではないでしょうか。
①あまりにも淡々とした「残酷さ」
まず、この映画『ファンタスティックプラネット』ですが、先ほどのあらすじのところでも説明しましたが、人間がドラーグ族という異生物に大量虐殺される描写があります。
そう聞くと、血肉が飛び散って、人間の悲鳴が響き渡るようなセンセーショナルな虐殺シーンを想像するじゃないですか?
ただ、この映画の虐殺シーンにそうした「グロテスクさ」を感じることはほとんどありません。
例えば、暑い夏の日、自室に蚊が飛んでいたとしましょう。普通は手で叩いたり、蚊取り線香などの薬剤を使ったりして排除しようとしますよね。
じゃあ、この時みなさんは蚊の命を奪ったことに対して、罪悪感を抱いたり、グロテスクさを感じたりしますか?
おそらく、ほとんどの人が感じないでしょう。
『ファンタスティックプラネット』におけるドラーグ族による人間の虐殺描写って、まさにこれなんですよね。
血が噴き出るでも、悲鳴が聞こえるでもなく、ただ地面に落ちている米粒を踏みつぶすような感覚でオム族(人間)が次々に殺されていく。
この映画のすごいのは、人間の倫理観ではなく、ドラーグ族の倫理観に基づいて物語が形作られているところです。
私たちの倫理観では、人一人の命はすごく重いですよね。しかし、ドラーグ族からすると、人一人の命はすごく軽い。
このギャップを逆手に取った、あまりにも淡々とした「残酷さ」こそが本作の魅力の1つではないかなと思います。
こちらはかなりグロいので、あまりおすすめはしませんが、『BLOOD C』というアニメの虐殺シーンと比較すると、『ファンタスティックプラネット』の虐殺シーンの「静かさ」に改めて感動すると思います。
『BLOOD C』には、絶対に『ファンタスティックプラネット』を意識してるだろ…と思わせる有名な虐殺シーンがあるのですが、こちらは人間が血を吹き出し、悲鳴を上げて、阿鼻叫喚という印象が強くなっています。
つまり、同じ虐殺シーンでも演出と目線次第で「静」と「動」が分かれるんですよ!
これ、非常に興味深い対比だと思いますので、ぜひ見比べてみて欲しいです。
②人間の世界の映し鏡のような「世界観」
そして何と言っても本作が多くの人を今も惹きつけてやまない最大の理由は、人間の社会や歴史の写し鏡のような物語性でしょう。
ナチスによるユダヤ人虐殺の投影
(C)1973 Les Films Armorial – Argos Films
例えば、先ほどドラーグ族による人間の虐殺シーンについてお話しましたが、この一連の描写はナチスによるユダヤ人虐殺をモチーフにしていると思われます。
まず、穴の中に人間を追い詰めて、薬物で一気に…という描写は、完全にナチスの収容施設のガス室を思わせるものですよね。
そして、ユダヤ人の収容所には夜中の脱走者対策として、サーチライトと機関銃が設置されている施設がありました。
これを模して本作の劇中で描かれたのが、人間を光脱毛器みたいな感じでジュッと焼いてしまうこの機械です。
他にも人間を虐殺するために、ドラーグ族たちは奴隷にしている人間を使用している描写がありました。
(C)1973 Les Films Armorial – Argos Films
これは、ナチスの収容所で、同胞の虐殺ほう助のために利用された「ゾンダーコマンド」と呼ばれたユダヤ人から着想を得ていると思われます。
奴隷制度と東西冷戦
それ以外にも、東西冷戦、帝国主義、奴隷制度などなど人間の負の歴史を余すところなく投影した作品になっています。
主人公のオムは、ドラーグ族の少女のペットつまり奴隷として扱われています。
その時の彼は、首と手に鎖をつけられたアフリカ人の古い英国の木版画によく見られるような方法で服従させられていました。
とりわけ、英国の帝国主義者の担当下にあるズールー族の召使いのような格好をしていたのが印象的でしょう。
東西冷戦期には、アメリカとソ連という2つの超大国による宇宙開発を巡る競争が勃発し、どちらが先に月に到達するのか?といった事柄が争点になっていました。
今作『ファンタスティックプラネット』では、物語の最後にオム族(人間)が月のような惑星にロケットで到達し、そこでドラーグ族の弱点を見つけ出します。
物語のラストで、ドラーグ族とオム族は和解を果たしますが、心から分かり合えたというわけではなく、お互いにお互いを牽制し、別々の場所に居住するという道を選択したのも「冷戦」を想起させる落としどころです。
「科学」と「宗教」の対立と共存
また、面白いのが「科学」と「宗教」の関係性の描き方だと思いました。
「科学」と「宗教」と聞くと、2つは対立する概念だ!と反射的に考えるかもしれません。
確かに、地動説やダーウィンの進化論なんかは、当初キリスト教圏で教義に矛盾することから、当初敵視されていたりもしました。
しかし、近年、生命や環境問題に科学が立ち向かっていく中で、宗教や倫理が密接に絡み合うようになったことに代表されるように、「科学」と「宗教」はむしろ共存する概念として捉えられるようになっています。
こうした流れを踏まえて『ファンタスティックプラネット』を見てみると、実はドラーグ族の世界でも、そしてオム族の世界でも「宗教」の力がすごく強いんですよね。
ドラーグ族の社会では、何よりも「瞑想」の時間が重んじられ、政治の場でも科学的根拠よりも宗教的な権威の方が強いという有様です。
オム族の方でも、「魔術師」なる支配者がいて、テールの運んできた「科学」の象徴たる「学習機」の存在を否定する描写がありました。
しかし、「魔術師」が打倒されると、「学習機」がオム族の科学的な発展を後押ししていき、そこに宗教も共存する世界へと変化していきましたよね。
最終的に、ロケットという「科学」と、未知の世界の希望を信じる「宗教」が合わさってオム族の反撃に繋がっていくという流れも象徴的です。
こうした人間が歴史上辿ってきた「科学」と「宗教」の対立と融和、共存という流れを物語の中に巧く落とし込んである点も、非常に面白いポイントかなと思います。
③気持ち悪すぎる「ビジュアル」
そして、本作の「気持ち悪さ」を象徴するのが、この独特のビジュアルでしょう。
(C)1973 Les Films Armorial – Argos Films
ローラン・トポールが4年をかけて原画デッサンを描いたと言われていますが、どことなくシュールレアリスム絵画のような趣を感じます。
そして、『ファンタスティックプラネット』の映像があまりにも不気味すぎる原因は、そのモーションのぎこちなさではないでしょうか。
撮影の方法としては、いわゆる「ストップモーション」ではあるんですが、近年のパペットを使ったライカ作品や『ウォレスとグルミット』シリーズのような粘土を使ったクレイアニメーションとは一線を画しているのは一目瞭然です。
というのも、そのぎこちなさを実現したのは、切り絵アニメという手法なのです。
これがまた、キャラクターを絵具や色鉛筆で描いて、切り抜き、それを背景の上で動かしてストップモーション的に撮影していくという手間がかかる方法なんですよね。
また、監督のルネ・ラルーが一時期精神病院にいたというのも有名な話で、本作はその時の経験から生まれた作品だと言われています。
切り絵アニメという独特の手法と精神病院にルーツのある監督の視座。
これらが合わさることで、唯一無二の不気味で気持ちの悪いアニメ映画が誕生してしまったというわけです。
④思わず不安になる「音」
そして、最後に触れておきたいのですが、個人的に本作を見ていて、一番頭がおかしくなりそうだったのは、その「音」が原因でした。
例えば、映画の中盤に登場するコウモリ的な怪物。
(C)1973 Les Films Armorial – Argos Films
こいつの鳴き声もパトカーのサイレンを半音下げたみたいな不快な電子音です。
他にも、序盤にまだ赤ん坊の主人公テールがクリスタルに息を吹きかけて割っていくシーンがあるんですが、音が電子音特有のパキパキに尖った感じでめちゃくちゃ耳に不快感が残ります。
加えて、劇伴音楽は総じて1970年代に流行りだった電子音楽を基調としたサイケデリックなものになっており、これも作品の独特な不安感を煽っていました。
余談ですが、独特のビジュアルと音が融合した本作を象徴するようなシーンが映画序盤にあるので、ここはぜひチェックしてみてください。
首輪を生成する機械の甲高い電子音と一定の間隔で赤、青、黄に点滅する映像が完全に見ている人の頭をおかしくするために作られたとしか思えないんですよね(笑)
多分、このシーンだけを24時間見せ続けたら、たいていの人間は壊れますよ…。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『ファンタスティックプラネット』についてお話してきました。
本作が名作として語り継がれる理由を改めて考えてみると、
- 人間の歴史を投影したような物語
- 他に例のない不気味さや不快感を演出した映像と音の融合
が挙げられるのではないでしょうか。
特に映像と音の融合が作り出す気持ち悪さは尋常ではなく、見ているだけで心が不安定になってしまいます。
ただ、『ファンタスティックプラネット』は唯一無二の映像体験ができる作品ですし、気になる方はぜひともチェックしていただきたい1本です。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。