みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね『東京リベンジャーズ』についてお話していこうと思います。
『新宿スワン』でお馴染みの和久井健さんの作品なんですが、この短いスパンで特大ヒットの作品を2作も作れてしまうのは本当に凄いですね。
物語としては、極めて王道なヤンキー漫画ではあるのですが、そこにタイムリープの要素が絡むことで、これまでにないユニークな内容となっています。
当ブログ管理人は、実写映画版が公開されたら見に行こうかな…くらいの気持ちだったのですが、Netflixにアニメシリーズが配信されていたので、軽い気持ちで見始めたところ、一気に引き込まれました。
これまでヤンキー漫画を読んだことがない自分ですら、ドハマりしてしまう面白さ。とにかく騙されたと思って、アニメか原作の方をチェックしてみて欲しいです。
今回の記事では、そんな『東京リベンジャーズ』の魅力を語りつつ、各巻の見どころや感想についても書いていけたらと考えています。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事です。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『東京リベンジャーズ』の魅力を5つの観点から解説・考察(ネタバレあり)
①タイムリープルールの緩さが生むダイナミズム
記事の冒頭にも書きましたが、『東京リベンジャーズ』はヤンキー漫画にタイムリープの設定を加えた作品となっています。
タイムリープを扱った作品でしばしば話題になるのが、いわゆる「タイムパラドックス」ですね。
有名なのが「親殺しのパラドックス」というやつですが、これはある人が過去に戻って自分の祖父を殺した場合に、現在軸で自分が生まれていないことになるが、そうなった場合に誰が祖父を殺すのか?を巡って矛盾が生じるという概念です。
こうした時間を超えて事象を改変することにより生じるパラドックスを逆手に取って、それを引き起こさないようにするためのドタバタ劇を描いた『サマータイムマシーンブルース』のような作品もあります。
ただ、何とかして矛盾が起きないようにと考え始めると、どうしても辻褄を合わせる方向に注意が向いてしまって、物語そのものの面白さが減退してしまうという本末転倒なことにもなりかねません。
そのため『東京リベンジャーズ』は、こうしたタイムリープの劇中でのルール設定についてかなりルーズに作ってあります。
端的に言えば、「過去を変えれば、現在が変わり、同時に現在に至るまでの全てが書き換えられる」という1点突破なんですよね。
もちろん、SF的な視点から言えば、いろいろとツッコミたくなる部分はあります。
例えば、主人公が過去を改変したことで、当初の世界線では死ぬはずではなかったキャラクターが命を落としたりなんて展開もありましたが、もしそのキャラクターが現在軸で結婚して、子どもを授かっていたとしたら、その人物は生まれてこないということになるでしょう。
こうしたタイムリープによって主人公の主観で見える範囲の外の世界に起きる変化については、その全てが無視されていると言っても過言ではありません。
しかし、その思い切りの良さが『東京リベンジャーズ』という作品の物語の推進力ないしダイナミズムを生み出していることは間違いないと思います。
本作のタイムリープを巡る現実改変は、プログラミングのようなトライアルエラーのプロセスとして演出されていました。
つまり、主人公が過去を変える、現実に戻って来る、上手く行っていないのでまた過去に戻る、また現実に戻って来るという試行錯誤の連続としてタイムリープを描いているのです。
また、この設定のシンプルさが各キャラクターたちの行動を明確にする方向に繋がっているのも良さだと思います。
タイムリープのルールを複雑にすればするほどに、武道が過去でできることに制約がかかっていき、出来ないことや注意すべきことが出てきてしまいますよね。
でも、それって単なる「辻褄合わせ」であって、物語を面白くする方向にはあまり働かない要素なんです。
『東京リベンジャーズ』は、とにかく「過去」を変えれば、「未来(現在)」は救われるという理念だけを武道に与えて行動させています。
Ⓒ和久井健・講談社
そのため、武道は未来でどんなことをしてでも、どんな方法をとってでも「過去」を変えればよいということで、余計なことを考えなくて済むわけです。
こうしたタイムリープというSF設定を巡るある種のシンプルさが、『東京リベンジャーズ』という作品がSF×ヤンキー漫画という異色のジャンルながらも、王道から決して外れない面白さを有している大きな理由なのではないでしょうか。
ただ、1つだけ本作のタイムリープには「ルール」のようなものがあります。
それは、12年前の同じ日にしか戻れないということ。
これが次の章でお話する本作の物語の「重み」に繋がっていきます。
②不可逆性があるからこその「死」の重み
さて、先ほど本作のタイムループの唯一のルールとも言える「12年前の同じ日にしか戻れない」を挙げました。
タイムリープができるなら何度も何度も戻って成功するまでやり直したらよいじゃんとつい思ってしまうんですが、このルールがあるために同じ過去軸をやり直せるのは一度までという制約が発生しています。
これが、作品における緊張感を生んでおり、同時にその不可逆性が主人公である武道の成長にも繋がっていくのです。
そして、この設定がもたらした最大の功績は1つ1つの「死」に重さを与えることができるという点ですね。
そもそも『東京リベンジャーズ』は、主人公の武道が現在軸において命を落とした日向を取り戻そうとするところから物語が始まっています。
つまり、作品の前提条件の時点で、死人を生き返らせるという設定を持ち出してしまっているわけで、それは「死」というものの重みを奪うことにも繋がります。
加えて、基本的に本作の現代パートにおける死人は、過去を改変すれば生き返りますので、この点でも「死」が簡単に書き換えられてしまう可能性を孕んでいるわけです。
このように「死」というものが簡単に書き換えられる可逆性のあるものとして描かれてしまうと、物語から緊張感が失われ、劇中の「死」が軽くなってしまいます。
そこを上手く補完しているのが、まさしく「12年前の同じ日にしか戻れない」というルールです。
これにより過去軸においては、1度死んだ人間はどうやっても取り戻すことができないという設定になっているんですよね。
『東京リベンジャーズ』は、ヤンキーたちによる抗争の物語ではありますので、基本的に暴力というものが常態化しており、読み進めれば読み進めるほどに当たり前になっていきます。
そうした暴力の常態化は、作品の中における「痛み」や「死」に対する感覚を徐々に鈍らせてしまうのです。
しかし、この作品は暴力描写をガンガン描きつつも、「死」というものの重さを持続することに成功しているんですよ。
そこには、先ほども指摘したように過去軸のやり直しが一度だけというルール的な部分も絡んでいますが、それに加えてマイキーが総長を務める東京卍會が「殺し」を絶対に認めないというポリシーというかプライドめいたものを持っているのも大きいのかなと思いました。
Ⓒ和久井健・講談社
彼らはヤンキーであり、喧嘩上等、暴力上等の人間ではあるのですが、絶対に相手を「死」に至らしめるところまではやりませんし、仲間が相手を「死」に至らしめるような行動を取る場合には、きちんと内部で糾弾する体制が備わっています。
このように主人公サイドのキャラクターたちが総じて「死」というものをちゃんと重く捉えているんですよね。
さらに言うと、『東京リベンジャーズ』における敵キャラクターたちは総じて「死」を軽視しています。
とりわけ第1部のメインヴィランでもある稀咲 鉄太は、多くのキャラクターたちが素手による闘いをしている中で、平気で銃を取り出して、命を奪おうとしますよね。
つまり、「死」というものを重く捉えている主人公側と、それを軽んじる敵という構図を作り上げているわけで、これが作品を通底する「死」の重さを支えているわけです。
戦争映画で1人1人の兵士の死が「軽く」見えてしまうことがあるように、本作のような暴力や喧嘩が蔓延した物語においては、つい人間の感じる「痛み」やその先にある「死」に読み手が麻痺してしまうという現象が起きかねません。
そうならないように『東京リベンジャーズ』という作品は、物語の構図やルール設定の部分でよくコントロールができていると思いました。
③一見王道だが、王道ではない主人公像
ここからは本作のキャラクター面の魅力について語らせていただこうと思います。
まずは、武道についてお話していくのですが、一見すると彼はいわゆる「落ちこぼれ系」の少年マンガにおける王道の主人公です。
有名どころで言うと、『NARUTO』の主人公うずまきナルトを想起させるキャラクターではないでしょうか。
ただ、1つ面白い点があって、『東京リベンジャーズ』の中で武道というキャラクターは喧嘩が強くなるという観点で見ると、ほとんど成長しないんですよ。
つまり、彼が喧嘩の腕を上げて、序盤には倒せなかったような強い敵をバタバタと倒せるようになるという分かりやすいバトル漫画的な成長を描いていないのです。
『NARUTO』のように落ちこぼれの主人公が戦いのスキルを磨いて頂点を目指すというストーリーでももちろん成立はしたと思いますが、そうした王道と少し距離を置いたのが『東京リベンジャーズ』の面白さでもあります。
一方で、武道が全く成長しないのかと聞かれると、そうではありません。もちろん彼も物語を通じて、大きく成長していきます。
ただ、武道の成長については、身体的、暴力的な部分での成長というよりは、精神的な成長を主として描かれていました。
Ⓒ和久井健・講談社
暴力や喧嘩という観点で見ると、『東京リベンジャーズ』では、序盤も序盤に最強のキャラクターであるマイキーが登場しますし、彼は作品を通じて最強です。
だからこそ、本作は武道をマイキーのようなキャラクターと「暴力」という1つの尺度の範疇で優劣を競わせるようなことはしません。
東京卍會には腕っぷしの立つキャラクターはたくさんいますし、そんな中で「暴力」の部分で武道がメンバーたちに一目置かれる存在になるというのは、物語のスタート地点を考えてもかなり無理があると思います。
だからこそ、武道には武道にしかない「強さ」を与えているのです。
それは諦めないということ、そして何度でも立ち上がり続けることで味方を勇気づけ、鼓舞することができる「強さ」です。
ヤンキー漫画という暴力の世界の中で、暴力以外の強さで周囲の人間を認めさせ、勇気づけ、支えになっていくという武道の主人公像は非常に新しいと思いますし、そこが彼が周囲に認められていく展開の説得力になっています。
④何かが欠けていることが生むキャラクターたちの魅力
そして、武道以外のキャラクターについても非常に魅力的に描かれていると思います。
『東京リベンジャーズ』のキャラクターたちはもちろん1人1人に特有の魅力がありますが、彼ら全員を通底する魅力って何だろうと考えた時に見えてくるのは、「何かが欠けている」点なのかもしれません。
例えば、東京卍會の総長でもあるマイキーは、非常に陽気な性格でメンバーから慕われ、喧嘩においても右に出る者はいないという一見すると完璧な人間に見えますよね。
しかし、彼は精神的に非常に脆い部分を内包しており、ドラケンやエマ、そして武道といった周囲の人間に強く依存持している部分があるんです。
確かにそう見えるんですが、ドラケンも物語の後半でエマという女性にすごく精神的に支えられていた事実が明らかになって、その喪失感から「殺し」に手を出してしまう展開が描かれていました。
Ⓒ和久井健・講談社
今挙げたキャラクターは、代表例に過ぎないのですが、このように『東京リベンジャーズ』のキャラクターたちは、「欠点」をそれぞれが抱えています。
マイキーやドラケンのような傑出した存在であっても、完全無欠ではなく、どこかに隙や弱さを内包しているのです。
しかし、その「欠け」こそが日本人の心をくすぐる「美」なんですよね。
日本では古来より、満月、十五夜の月に求めるのではなく、雲間に見え隠れする月に感ずる心こそが至高という「欠けたもの」に価値を見出す心の在り様が尊ばれてきました。
「茶の湯」の文化においても、茶碗は磁器的な対称的完全性よりも、陶器的な非対称的な歪みの「不完全性」に価値があるとされていました。
日本人には、そうした「不完全性」に魅力を感じるマインドが備わっているんです。
そして、『東京リベンジャーズ』のキャラクターたちは、それぞれが「不完全性」を有しています。どんなキャラクターであっても全てが満たされているということはあり得ません。
だからこそ、彼らは仲間を作り、それを補い合おうとするんですよね。
『東京リベンジャーズ』の第1部の後半に天竺の総長である黒川 イザナというこれまたぶっ飛んだキャラクターが登場します。
彼は自分自身にあまり存在価値を見出しておらず、幼少の頃にそんな自分を認めてくれた真一郎が彼にとっての全てだったんですよね。
彼さえいてくれれば、自分は完璧な存在でいられる。そういう何か1つがかけているというよりは、根本的に何もかもが欠けているキャラクターとしてイザナは描かれます。
ただ、彼は真一郎やエマがマイキーの傍にいることを悟り、自分には何もないのだという絶望感の中でその生涯を終えようとしました。
しかし、イザナには彼のことを認め、慕ってくれた鶴蝶というたった1人の理解者がいてくれたんですよね。
Ⓒ和久井健・講談社
全てが満たされていなかった彼の人生が少しだけ満たされるこの最期の瞬間にとてつもない感動を覚えたことは言うまでもありません。
『東京リベンジャーズ』はこのように、完全に見えるものが少しだけ欠けていたり、何もないものと思われていたものが少しだけ満たされていたりといった、すごく日本人的な「美」の心を体現するようなキャラクター設計が巧いと思っています。
漫画を読んでいると、ほとんど無意識に惹かれてしまうのですが、その理由を紐解いてみると、こういうロジックがあるんじゃないかなと個人的には感じた次第です。
⑤女性のキャラクターの描き方
これは私の完全な偏見ですが、ヤンキー漫画ってどうしてもゴリゴリの男性社会にスポットを当てる作品なので、女性キャラクターの扱いって限られてしまうイメージがあります。
まずは、男性キャラクターの「弱み」としての存在です。
ヤンキーが構想や利害関係に巻き込まれていく中で、愛する女性、大切な女性が狙われたり、人質にされたりして、身動きが取れなくなってしまう。こうした展開はよくあるものの1つだと思います。
そして、もう1つは男性キャラクターに「守られる者」としての存在ですね。
ヤンキーが大切な女性を「守る」ために戦うのは、ヤンキー漫画としては王道の構図ですし、その守りたいという思いが男性キャラクターを強くしていきます。
今作『東京リベンジャーズ』についても、確かに上記の2つの女性キャラクターの描き方を盛り込んであるのは事実です。
主人公の花垣 武道がタイムリープを経験することになったのは、そもそも橘 日向という恋人を守りたい思いからでしたし、その思いが彼を強くしていきました。
また、東京卍會の総長であり、本作のキーキャラクターである佐野 万次郎にとってエマという妹が「弱み」であったという展開も描かれていましたね。
こうしたヤンキー漫画にほとんど馴染みがないような自分でも想像ができてしまう「王道」な女性キャラクターに関する描写がある一方で、『東京リベンジャーズ』は違った側面で彼女たちにフィーチャーしています。
というのも、本作はヤンキーの男性社会における「強さ」と対比する形で、女性の「強さ」を描いているんですよ。
顕著なのは、本作のメインヒロインでもある橘 日向です。
彼女は、花垣 武道にとって「守るべき存在」ではありますが、その一方で彼女自身も「私が武道くんを守る」と明言しているんですよね。
物語の序盤では、東京卍會のマイキーとドラケンに絡まれている武道を見て、一歩も引くことなくその前に立ちはだかろうとしました。
こうした立ち振る舞いもグッときますが、個人的に印象に残っているのは、電車の中でお年寄りに席を譲ろうとしない学生を彼女が諭したシーンです。
Ⓒ和久井健・講談社/アニメ「東京リベンジャーズ」製作委員会
この時、武道は何らかの暴力的・恐喝的行為で学生たちに圧をかけようとしていたのだと思います。
しかし、彼女はそれを遮って学生たちに間違いを認めさせ、素直に行動を改めさせるのです。
こういう強さって、マイキーやドラケンといったヤンキーの男性キャラクターたちにはないもので、日向にしかない「強さ」なんですよね。
他にも個人的に印象に残っているのは、物語の中盤に登場した柚葉ですね。
彼女は、母親が死んでから黒龍の総長であり兄でもある柴 大寿の暴力を、弟を守るために一身に受け続けてきました。
ヤンキーの世界における「強さ」は当然暴力を受けたら、それを倍以上にして返すことだと思います。そこでの「強さ」は当然暴力ということになります。
しかし、柚葉はひたすらにその「暴力」を、弟を守るために受け続けるという選択をしました。
でも、これもまた「強さ」の形だと思うんですよね。
他の誰にもできない、彼女の大切な人を守りたいという心からの思いから生じる「強さ」が確かに描かれていました。
そして、もう1人『東京リベンジャーズ』における重要な女性キャラクターと言えば、やはりエマですよね。
エマは、マイキーの妹であり、ドラケンに好意を寄せているのですが、この2人の心の「支え」でもありました。
Ⓒ和久井健・講談社
つまり、彼女の「強さ」がマイキーやドラケンの「強さ」に繋がっていたわけで、それはどんな暴力にも代えがたいものなのです。
『東京リベンジャーズ』は、このようにこれまでのヤンキー漫画におけるステレオタイプ的な女性キャラクター像を踏襲しつつも、そこに男性キャラクターたちとは違った「強さ」を持たせる形で、その魅力を引き出しています。
ただ「守られる」存在、男性キャラクターの「弱み」となる存在として描くのではなく、彼女たちにしかない「強さ」がきちんと描かれていることで、『東京リベンジャーズ』はヤンキー漫画でありながら、女性キャラクターたちの存在感も際立つ作品となり得たのです。
『東京リベンジャーズ』あらすじ・見どころ・感想
タイムリープで12年前へ
原作:1巻~2巻
- 2017年の世界でフリーターとしてダラダラと過ごしていた花垣 武道はテレビニュースでかつての恋人、橘 日向が「東京卍會」の抗争に巻き込まれて命を落としたことを知る。
- 武道は何者かに駅のホームから突き落とされた拍子に、12年前の同じ日にタイムリープしてしまう。
- タイムリープした過去の世界で橘 日向の弟である直人を救い、「君と君の姉は12年後の同じ日に命を落とすんだ。」と告げる。
- 2017年の世界に戻ると、駅のホームから突き落とされかけた武道が、成長して警察官になった直人に救われた未来へと書き換えられていた。
- 直人は武道と自分が握手をするとタイムリープが発生することを知り、武道に過去を変えて日向を救って欲しいと懇願。武道も彼女を救いたい一心で、その思いに応える。
- 過去の世界では、キヨマサの奴隷として扱われ、彼の運営する喧嘩賭博で見世物として喧嘩をさせられる。
現実世界でダメダメな人間が異世界転生して最強に!みたいなライトノベルが一時期大流行していましたが、本作も設定だけ見たらそんな印象を受けるかもしれません。
しかし、『東京リベンジャーズ』の場合はタイムリープした瞬間から超絶ハードモードで、いきなりキヨマサと呼ばれる「東京卍會」の中ボス的な立ち位置の男に武道はボコボコにされます。
さらに、キヨマサの奴隷のような扱いを受けるようになり、喧嘩賭博に巻き込まれていくわけですが、せっかくタイムリープしたのに自分の無力さに打ちひしがれるという出だしが何ともグッときました。
そして、そこからの武道の覚悟、マイキー登場の流れは本当に最高でした。
特に、最初はキヨマサという中ボスが武道を苦しめる全てのような存在感を放っているんですが、マイキーが現れた瞬間に一気に彼が小者に降格して、作品の世界観が一気に広がるんですよ。
特に、マイキーは現代パートでしきりに直人が「東京卍會」の総長で、極悪人だと繰り返し言っていただけに、その登場シーンには鳥肌が立ちました。
キヨマサというキャラクターの扱い、そしてマイキーを登場させるタイミングで一気に読者を引き込むというところまで計算されつくした導入だなと思います。
「8・3抗争」編
原作:2~5巻
- 武道は「東京卍會」の総長マイキーと副総長ドラケンに気に入られ、2人と共に行動するようになる。
- 「東京卍會」は仲間の1人が恋人もろとも「愛美愛主(メビウス)」にボコボコにされたことを受け、復讐として彼らと抗争を勃発させることを決意する。
- 武道は抗争の影に後に「東京卍會」を極悪組織に変貌させてしまう稀咲という男の存在があることを知り、抗争を止めようとするが、抗争は止まらない。
- 「東京卍會」の前に「愛美愛主(メビウス)」のリーダー長内と構成員が現れ、一悶着起きる。マイキーがその場を収めたかに思えたが、自分の部下を長内にボコボコにされたことに復讐心を燃やしていた参番隊隊長のパーちん(林田)が長内を包丁で突き刺してしまう。
- 「東京卍會」の創設メンバーでもあるパーちん(林田)が逮捕されたことで、マイキーとドラケンが対立。武道の介入で、何とか2人の対立は収まったが、8・3の抗争当日に向けて、不穏な空気が漂っていた。
- プライドをズタズタにされたキヨマサとパーちん逮捕に対するドラケンの対応に不満を持つ参番隊副隊長のペーやん(林)が「愛美愛主(メビウス)」側につきドラケンの殺害を計画していた。
- ドラケンはキヨマサに刺されてしまうが、武道の活躍もあり、一命をとりとめた。
- 2017年の世界に戻ると、橘 日向が生きている世界に改変されていたが、その日の夜、彼女は武道の目の前で車に撥ねられて命を落とす。
2021年の7月に公開される実写映画版もおそらくこの「8・3抗争編」を中心に作られると思われます。
このパートに入ると、武道がどんどんと「東京卍會」の内部へと介入していくことになるんですが、とにかく事前に直人から聞かされていた情報とのギャップも相まってマイキーとドラケンがとにかく魅力的に映るんですよね。
特に、林田の親友が「愛美愛主」のメンバーに暴行された後、その巻沿いを食らった親友の彼女の見舞いに訪れ、彼女の親に頭を下げ、万次郎に「人を想う心を持て!」と諭していたシーンなんかは、2人の絶妙な補完関係を伺わせます。
マイキーには、危うい一面があって、それをドラケンが支えているという関係を明示した直後に、その2人の関係が破綻の危機を迎えるという急転直下の展開を持ってくるので、心臓がバクバクしました。
この「8・3抗争編」の1つの焦点となっているのは、「殺し」なんだと思います。
「愛美愛主」は、暴力で人を殺すこともためらわない様な連中で、対照的に「東京卍會」はそうした非道な行為を認めないという姿勢を持っていました。
しかし、そうした衝動に時折身を委ねてしまいそうになる危うさを抱えたマイキーがいたり、長内を前に包丁で殺人未遂を犯してしまうパーちんがいたりと、「東京卍會」内部にもそうした「殺し」の空気感が漂っています。
そして、それを許容しようとするマイキーと断じて認めないドラケンの間で対立が起き、最終的には後者が生死の境を彷徨ったことで、マイキーを初めとする「東京卍會」のメンバーが命の重みを知るというところに物語が収まるのです。
このように「殺し」を拒絶すること、そして命の重さを知ることという観点で、抗争が起きたり、内部分裂が起きたりしながらも、マイキーとドラケン、そして「東京卍會」の面々が絆を強めていく過程に胸が熱くなりました。
序盤も序盤ですが、テーマ性の部分と物語がガッチリと噛み合っており、映画のような1本完結の作品の軸としても最適のエピソードだと思います。
「血のハロウィン」編
原作:5巻~8巻
- 2017年で結局橘 日向の死を見届けることになった武道は再び過去に戻り、自分が「東京卍會」のトップに立つと宣言する。
- マイキーは「愛美愛主」の残党を「東京卍會」に引き入れ、彼らをパーちん無き参番隊に配属すると、その隊長に稀咲を据える。
- 時を同じくして「東京卍會」の創設メンバーであり、壱番隊の隊長でもあった場地が「東京卍會」を抜けて「芭流覇羅」に加入する。
- 武道は正式に「東京卍會」のメンバーとなり、マイキーから場地を「芭流覇羅」から連れ戻すという勅命を受ける。
- 「芭流覇羅」には、同じく「東京卍會」の創設メンバーであった一虎がおり、彼はマイキーを殺すことに並々ならぬ執念を燃やしていた。
- 一虎は、マイキーの誕生日プレゼントを用意する為に場地と共にバイクを盗む過程でマイキーの兄である真一郎を殺害してしまい、少年院に入所していたことから、マイキーに逆恨みをしている。
- 10月31日に決戦が行われることが決まり、武道は場地の部下であった松野 千冬と共に、「芭流覇羅」と稀咲の繋がりを探り始めた。
- 2017年に戻り武道は「血のハロウィン」の顛末を死刑囚として収監されているドラケンから聞く。彼によると、抗争の後に「芭流覇羅」に「東京卍會」は乗っ取られ、マイキーを総長に据え、新しい組織へと変貌するのだという。
- また、ドラケンは「血のハロウィン」で「東京卍會」が敗れた原因はマイキーが兄とそして親友の場地を殺された復讐心に身を任せて一虎を殺してしまうことだと告げる。
- 武道は千冬と共に、場地が殺されることがマイキー暴走のトリガーだと考え、何とかしてそれを防ぐことを決意し、「血のハロウィン」当日を迎える。
- 「東京卍會」は「芭流覇羅」に人数で押されるが、隊長格の活躍もあり、何とか踏みとどまる。そんな中でマイキーが窮地に陥るが、それを稀咲が助ける。
- 稀咲は戦いの中でマイキーに恩を売り、組織内での序列を高めようとしていたのだが、そこに場地が現れて、稀咲に攻撃を仕掛ける。しかし、そんな場地に一虎が背後から忍び寄り、ナイフを突き立てる。
- 一虎を振り切り、場地は稀咲を追い詰めるが、あと一歩のところで、先刻のナイフの傷が原因で意識を失ってしまう。それを見たマイキーは怒り狂い、一虎を殺そうとする。
- しかし、そんなマイキーの前にかろうじて息があった場地が現れ、「自分は一虎に殺されたわけではないのだ。だから恨むな。」とマイキーに告げて、自分に刃物を突き立てて自殺してしまう。
- 「血のハロウィン」は場地の思いを汲んだマイキーが手を引き上げ、一虎が場地殺害の責任を負う形で収束する。
- 戦いを終え、後日武道は、「東京卍會」の壱番隊隊長に指名される。
この「血のハロウィン」のエピソードが個人的には、現時点では一番気に入っています。
というのも、「東京卍會」の創設時の話から始まって、その頃からの因縁がマイキーたちに暗い影を落としているという作品の中でもかなり重要なパートなんですよね。
新しく登場する創設メンバーの1人で「芭流覇羅」に属している一虎は正直、かなり狂っていて、個人的にもなかなか感情移入しづらい部分はありました。
ただ、何と言っても場地さんが最高にかっこいいのが、この「血のハロウィン」編です。
Ⓒ和久井健・講談社
いきなりマイキーを裏切って、「芭流覇羅」側についたと思ったら、それは稀咲と「芭流覇羅」の繋がりを探って、「東京卍會」から彼を排除するためだったんですよね。
抗争の最中、一虎にナイフを突き立てられてどんどんと体力を消耗していく中、次々に稀咲の手下を倒し、彼を打倒する一歩手前まで迫る姿。痺れないわけがないだろう…。
そして、「東京卍會」とその創設メンバー、さらにマイキーを守るために、彼が下す、「自死」という決断。
正直、場地さんはこの『東京リベンジャーズ』の中で最もかっこいい生き様を見せてくれたと思います。
また、「血のハロウィン」の中で、改めて浮かび上がったのが、マイキーの危うさです。
彼は、幼少の頃から心の中に不安定な部分を持っていて、それを支えてくれていたのが、兄の真一郎でした。
だからこそ、そんな兄を奪った、さらに親友の場地を殺した一虎に対して、冷静ではいられないわけですが、そんな彼を必死で止めようとするのが、他でもない場地でした。
「血のハロウィン」編の1つの大きな主題は「赦す」ということであり、「背負う」ということでもあります。
復讐に手を染めるというのは、簡単なことですが、それは「赦す」こと、そして「背負う」ことから逃げているに過ぎません。
そしてマイキーは、まさしくその復讐への衝動を稀咲に利用されました。
だからこそ、そんな稀咲に対するマイキーなりのカウンターが「赦す」という行為だったのであり、同時に一虎の「背負う」という意志だったのです。
前の「8・3抗争」編はどちらかというと、マイキーとドラケンの話なんですが、今回の「血のハロウィン」編は専ら「東京卍會」の話なので、一気に彼らの魅力に引き込まれました。
「聖夜決戦」編
原作:9巻~12巻
- 過去で壱番隊隊長になり、現代に戻ると、武道は「東京卍會」の幹部の1人となっていた。彼は稀咲に連れられ、千冬と共に彼がオーナーの店に行くのだが、そこで睡眠剤入りの酒を飲まされ、千冬は射殺。さらに武道も追い詰められるが、直人に助けられる。
- 直人は助けるかと思いきや、その場で武道を現行犯逮捕し、この現代では、他でもない武道自身が千堂に橘 日向を殺害する指令を出していたことを知り、絶望する。絶望の中で、直人に説得され、タイムリープする。
- タイムリープした先で、武道は偶然「東京卍會」弐番隊副隊長の柴 八戒と彼の姉である柴 柚葉に出会う。武道は彼らに連れられて八戒の自宅に向かうが、その最中に彼の兄である柴 大寿が総長を務める組織「黒龍」に邂逅する。
- 武道は、柴 大寿に半殺しにされ、絶体絶命の危機に陥るが、八戒が「東京卍會」を抜けて、「黒龍」に入ることを決断したことで、その場は収まる。
- 武道は、壱番隊の副隊長である千冬に相談し、何とか八戒を救うべく、「東京卍會」の面々に掛け合うが、協力は得られない。そんな2人に手を差し伸べたのは、稀咲と彼の部下、半間だった。疑いながらも2人は稀咲らとチームを組むことに決める。
- 八戒が大寿をクリスマスの日に教会で殺害しようとしているという目測を立てた4人は、12月25日に先回りして教会に向かい、大寿を打倒する作戦を立てる。
- 作戦結構当日、武道は日向の父に交際を反対されたこと、そして自分の行動が彼女の身に危険を及ぼす可能性を考慮し、別れを告げる。
- 教会で大寿と対峙する武道。しかし、稀咲と半間が裏切り、千冬も足止めを食らうなどし、ピンチを迎える。
- 教会には、柴 八戒と彼の姉である柴 柚葉が現れ、八戒が大寿につかまっている隙に、柚葉が太寿にナイフを突き立てる。
- ここで柴の家族の複雑な関係性が明らかになる。太寿は母亡き後、八戒や柚葉に暴力を振るうようになる。姉であった柚葉は八戒を守るために、暴力は全て自分が引き受けると宣言し、今までその痛みに耐えてきた。
- そんな姉に守られる存在から変わりたいと切に願う八戒。そして三ツ谷、千冬との合流。さらにマイキーやドラケンの救援もあり、「東京卍會」の面々は何とか「黒龍」を退けることに成功し、八戒を連れ戻した。
- 「聖夜決戦」後に武道は日向と復縁し、さらに稀咲と半間は裏切り行為が故に、組織から除名処分となる。
『東京リベンジャーズ』は、ここまでのエピソードでも「殺し」は許されないという姿勢を明確に打ち出してきました。
その上で、この「聖夜決戦」編では、「殺し」に傾倒することは「弱さ」だと断言しているんですよね。
八戒は兄の太寿を打倒することに決めるのですが、彼が撮ることのできる手段は刃物で彼を「殺す」という選択だけでした。
一方で、姉の柚葉は、稀咲に唆されてしまったものの、これまでずっと暴力に頼ることなく、ひたすらに耐えるという形で弟の身を守ってきたわけです。
この柚葉というキャラクターが持っている「強さ」は、本シリーズにこれまで登場したどのキャラクターとも異なる異質なものだと思います。
『東京リベンジャーズ』という作品は、ヤンキー漫画でありながら、喧嘩に強いことだけを「強さ」としては描いていませんし、柚葉のようなキャラクターの存在が物語に深みを与えていることは言うまでもないでしょう。
そして、この「聖夜決戦」編では、とにかく主人公の武道が大活躍します。
彼は、刃物を手に持ち、太寿を殺すことで自分が今置かれている状況から脱したいと考える八戒を必死で静止し、ボロボロになりながら太寿に向かって行きます。
勝ち目はない。それでも諦めない姿に八戒は心を動かされていきました。
Ⓒ和久井健・講談社
マイキーのような圧倒的な強さとカリスマ性で人を惹きつける人間がいる一方で、武道は泥臭く、愚直で、諦めないその心で周囲の人間を惹きつけ、動かしていくんですよね。
喧嘩にはめっぽう弱いにもかかわらず、「東京卍會」で彼が一目置かれ、多くの人から頼られる理由が、このエピソードには凝縮されていると思います。
また、先ほど引用したコマにも書かれているようにこの「聖夜決戦」編のテーマは「仲間がいることの強さ」でした。
八戒や柚葉は太寿に立ち向かった際に、誰かに頼るのではなく、自分の力だけで何とかしようとしてしまいました。
しかし、困難を乗り越えるためには、やっぱり1人では無理で、誰かと助け合い、支え合わなければなりません。だからこそ武道は太寿を恐れる八戒に対し、仲間である自分たちを頼れ!とエールを送るのです。
1人じゃない。それだけのことがどれほど心強いか。
「聖夜決戦」編は、武道が千冬と2人だけで行動を起こそうとしたところを、仲間たちに助けられるというエピソードでもあり、太寿に1人で立ち向かおうとした八戒や柚葉たちが救われる話であり、孤高の存在であろうとした太寿が打倒される話でもあります。
仲間を持たぬ者が敗れ、仲間を持つ者が勝利する。
物語の展開、キャラクターのバックグラウンド、そしてテーマがまさしくガッチリと噛み合った非常に素晴らしいエピソードだったと言えるでしょう。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は『東京リベンジャーズ』についてお話してきました。
ヒット作品には、ヒットするロジックがあるということで、個人的に本作の魅力をいろいろな観点から考えてきました。
少年マンガとしては王道も王道の物語だと感じるかもしれませんが、キャラクターの作り込みが素晴らしいですし、タイムリープ設定の持ち込み方、そして「死」を重さをきちんとコントロールする意識も称賛に値します。
原作については22巻で一応「橘 日向の命を救う」という第1部は終了となり、ここから「マイキーを救う」という第2部に突入していきます。
舞台は現代パートになるのかなと思っていたんですが、どうやら高校時代にタイムリープして何かをやり直していく物語になるようです。
どんな展開になるのか、なかなか想像もつきませんが、全員が幸せになれる未来のカタチを模索する武道の闘いを見守りたいと思います。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。