みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『ドントブリーズ2』についてお話していこうと思います。
舐めていた盲目の退役軍人がやばかったというワンアイデアだけでここまで面白いのか!という驚きのあった前作。
ただ、前作のラストで老人ノーマンが生き残ったことを仄めかす描写があり、続編があるのではないかと噂されていました。
結果的にこうして続編が作られることとなったわけですが、正直難しいだろうな…というのは容易に予測できましたよね。
なぜなら、先ほども書きましたが今作はほとんど「ワンアイデア」の設定を膨らませて作った映画だったので、2度目は普通「ない」んですよ。
同じことをやるとどうしても1作目を超えられなくなるでしょうし、だからと言って『ドントブリーズ』というタイトルを冠している以上、その設定からは逃れられません。
今回の『ドントブリーズ2』はそれでもかなり知恵を絞って前作からのマンネリが生まれないように尽力していたと思いますし、より主題性を強調することで物語の主張を前作以上に強いものにしようと試みていました。
しかし、手を変え品を変えしても、なぜか『ドントブリーズ』の続編であるという事実が足を引っ張ってしまう結果に終わったような気がしています。
この記事ではそんな『ドントブリーズ2』について個人的に感じたことや考えたことをお話していこうと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む解説・考察記事です。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『ドントブリーズ2』解説・考察(ネタバレあり)
なぜこんなにも続編であることが「足枷」になったのか?
© 2021 Sony Pictures Digital Productions Inc. All rights reserved.
『ドントブリーズ』という作品の面白さとリアリティはどこにあったのかを考えたときに、それは盲目の老人のテリトリーに足を踏み入れることに対する恐怖だったのだと思います。
普通に考えれば、盲目の老人が目の見える人間と戦って勝てるわけがないのは自明ですよね。(距離を取って音を立てずに銃で撃てば終わりですから…)
ただ、ノーマンの自宅という彼が物の配置や間取りまでを全てインプットした空間に足を踏み入れたのであれば、話は別です。
彼は足音や呼吸音、音の反響、匂いで即座に居場所を突き止め、襲い掛かってきます。そこに「目が見える」ことのアドバンテージはありません。
さらに『ドントブリーズ』が衝撃的だったのは、中盤に侵入者たちが慣れてきたころに、ノーマンが家を停電させ、真暗闇の両者が視界を失った状態での戦いを描きます。
そうなると、一転して自分の家のことを知り尽くしているノーマンの方に地の利がありますよね。
このように、通常であれば戦闘において絶対的なディアドバンテージである「盲目」という設定を舞台設定によって、極めてリアルにストロングポイントへと変貌させたことが『ドントブリーズ』という作品が高く評価された理由でした。
ただ、今回の『ドントブリーズ2』は、その点で「盲目の退役軍人の老人が…」という設定があまり活きていません。
まず、前作同様の自宅でギャングたちを迎え撃つパートですが、「盲目」という設定が活きるアクションがほとんど皆無なんですよね。
元軍人なので、ほどほどに腕っぷしの立つ老人くらいの描かれ方しかしておらず、ガス爆発で敵の1人を焼死させるシーンにしても、植物園で敵の1人を斧を振り下ろして殺害するシーンにしても、全くもって「盲目の老人」という設定である必要性がないのです。
前作のような、自分のテリトリーだからこそ家に置かれたものや仕掛けたギミックを使って迎え撃つといった『ホームアローン』的な描写もなく、本当に普通のアクション映画でした。
さらに、クライマックスの展開がこれまたあまりにも無理があったような気がします。
というのも、前作でノーマンが目の見える侵入者たちと互角以上に渡り合う展開にリアリティがあったのは、舞台があくまでも彼のテリトリーだったからなんですよね。
しかし、『ドントブリーズ2』ではノーマンが敵のアジトに忍び込んで、そこで敵を次々に倒していく展開を描きました。
まず、敵のアジトに行っていきなり建物のブレーカーの場所を突き止めて、それをストップさせるという描写がいきなり無理があったと思います。
自分の家ならまだしも、初めて訪れた建物のブレーカーの場所が即座に見つけるなんて、普通に目が見えていても難しいでしょう。
にも関わらず、展開の都合上、ノーマンが建物のブレーカーを落とすというリアリティに欠ける描写を入れざるを得なかったんですかね。
さらに、いくら何でも、初めて足を踏み入れた建物でノーマンがあれだけ全てを知り尽くしたかのように動けるというのはあり得ないでしょう。
ラストバトルの舞台も大きな「穴」があるという独特の部屋で繰り広げられるため、どう活きてくるのだろうか?とワクワクしながら見ていましたが、全く活かせてなかったですよね。
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フェニックス(タラ)が絶命した実母の車いすに引っ張られて”ファイト一発”状態になるだけで、ノーマン自身の戦闘にはあの「穴」が全然絡んでこないので、舞台装置を使えていません。
このように前作が巧妙な舞台装置によってリアリティを持たせていた設定が、今作では一気にリアリティを失い、ホラー映画としての緊張感や恐怖感も減退した印象を受けました。
『ドントブリーズ2』は『ドントブリーズ』というタイトルを冠した作品であるという足かせに苦しみ、普通によくできた映画なのに、続編であるがゆえに評価しづらいという珍しい作品になってしまいましたね。
“No Country for Old Men”的なテーマ性が光る
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『ドントブリーズ2』は続編としてはかなり苦しい内容にはなってしまいましたが、1つの物語としては主題も明確で非常によくできていたと思います。
今回の登場人物たちは、ほとんどが退役した軍人たちなんですよね。
ノーマンは、人殺し、誘拐、監禁、レイプなど様々な悪事に手を染めてきて、今回は偶然拾った孤児の女の子を育てていました。
一方のライアンたち武装集団もまた、薬物の販売や誘拐、殺人などの犯罪に手を染めてきましたね。
アメリカにおいては、ベトナム戦争やイラク戦争から帰国後にPTSDを抱えている人が数十万にいると言われており、さらには米国で処刑された死刑囚の少なくとも10%が退役軍人だとする報告書もあるそうです。
今作のキャラクターたちも、退役軍人であり、そして犯罪者であり、戦争から抜け出せずに、平和なアメリカに戻ってきても依然として暴力を行使し続けています。
しかし、今作においてノーマンはそんな自身の人生を悔み、贖罪を果たそうとしていました。
家が全焼し、孤児となった少女を育て上げたのも、彼なりの人生の「贖罪」なのです。
ただ、家を、そしてフェニックスを守るために戦う中で、彼は自分の中の恐ろしく暴力的な人格から逃れることができなくなっていきます。
というよりも、そうした暴力行為を何とも思っておらず、感覚が麻痺してしまっているのでしょう。
だからこそ、フェニックスに「もうやめて!」と制止されたときに、ハッと我に返ります。
彼は自分が無意識に自分の中の「怪物」に身を委ねてしまっていることを悟ったのです。
そうした自覚が、屋根裏で暴れ犬と戦闘している時に明確に芽生え、彼は犬を射殺することを躊躇います。
ライアンたちがどんな親なのかを知っている彼は、彼女を助けるために再び暴力と殺戮に手を染めることを決意しました。
その決意は、自分が「怪物」なのであるという自覚をもって為され、同時にもうフェニックスとは一緒にいられないことを意味するものでしたね。
そうして、ノーマンは「暴力」を一手に引き受けて、フェニックスを守ろうとしました。
この映画は、全体を通して見た時に、「目には目を、歯には歯を」という言葉に象徴されるリベンジの構図が通底していました。
家が燃え、娘を失ったライアンが、今度はノーマンの家を燃やし奪われた娘を取り返す。
生きるために娘の心臓を切り取ろうとした母が、娘に腕を切断される。
そして、ノーマンを殺害しようとしたライアンが、ノーマンに目をつぶされる。
まさしく「因果応報」の構図が全体を通じて意識されていたわけですが、そうした暴力と復讐のループからフェニックスを自由にさせることこそが、ノーマンの最後の願いであり、祈りでした。
自らのうちに「怪物」を飼っている退役軍人の老人には、もうこの国に居場所はない。
であるならば、せめてその「怪物」を未来に残さないために、自分自身が背負って彼女を自由にしてやろうという、現代の“No Country for Old Men”的な思想を打ち出します。
ハリウッド映画界にしてもそうですが、近年過去に差別的な振る舞いや性的暴行を働いた著名人たちが次々に暴き出され、過去の罪と向き合うことを余儀なくされていますよね。
そうした振る舞いが見逃され、握りつぶされる時代は終わりました。
「怪物」を内に飼う古い人間には、もう居場所などないのだと『ドントブリーズ2』のクライマックスは痛烈に宣言します。
「近寄るな。今すぐに行け。もう私と一緒にいてはならない。」
そんな老いたノーマンの言葉は、前時代的な暴力性を一身に背負ってこの世界からドロップアウトしようとしているように聞こえます。
クライマックスの戦いの舞台となったあの建物から出て来る者は、フェニックスの他に誰もいません。
そんなアメリカの「偉大な白人男性」の斜陽と、新しい時代への移行を『ドントブリーズ』というシリーズのコンテクストの中で描き切ったのは、野心的だったと言えるのではないでしょうか。
ラストの「あれ」は個人的にはナシが良かったけれど…
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クライマックスの描写に関連して、私が個人的にそれは描かないで欲しかったと思ったのは、フェニックスが実の父であるライアンを殺害する描写です。
先ほど挙げた本作のテーマ性がぶれる要素でもありますし、その暴力性の部分はあくまでもノーマンに引き取って欲しかったというのが正直なところですね。
まず、ノーマンやライアンがなぜあんな人生を送っているのかというと、それは退役軍人であり、従軍している時にたくさんの人を殺めてきた経験がバックグラウンドとしてあるわけですよ。
今作のラストでは、フェニックスを「自由」にするというゴールが定められていたわけですが、そうであれば彼女に「殺し」の経験をさせる描写が良かったとは思いません。
なぜなら、それはノーマンやライアンのような「怪物」をフェニックスから「自由」にしたように見せかけて、彼女の中に「怪物」が生まれるきっかけを残したともいえるからです。
そういう意味でも「暴力」はあの建物の中で、大人たちが引き受け、フェニックスはその連鎖から真に解放された存在として送り出されてほしかったと個人的には思っています。
ただ、制作側としては、ファーストシークエンスとの対比として、フェニックスの成長を可視化し、依然として暴力が渦巻く社会の中で彼女が立ち向かっていける力を持っていることを示そうのしたのかなと邪推しました。
この点については、好みによるも大きいですし、個人的には構図としてフェニックス「殺し」に手を出さないほうが、テーマがより明確になるのではないかと思った次第です。
また、ノーマンに「赦し」を与えるラストについても、かなり賛否分かれそうなポイントではありますが、如何にもキリスト教圏の作品だなという印象を受けました。
『ドントブリーズ2』では、ノーマンがしきりに神の名を口にし、祈りをささげる様を見て取ることができましたね。
彼は軍人として立派に国のために尽くしたにもかかわらず、帰国してからは神に見放されているかのような残酷な仕打ちを受け続けました。
そんな人生の中で、彼は自らの「怪物」を発現させ、暴力に手を染めてしまいましたが、今作の中ではそうした自分の人生を悔い、「贖罪」を果たそうとしています。
「神は平等。」という彼の言葉がありましたが、戦場で多くの人を殺めた彼は、その報いを帰国してから受けたのかもしれません。
それでも、フェニックスを自らの命を賭して救おうとしたことで、彼は「赦し」を得て、人生の最後に救われたのです。
テーマ的な観点から考えると、やはり私としては
- フェニックスはあのままノーマンのところには戻ってこない
- ノーマンは目をつぶしたライアンに襲われるも相打ちになる
という幕切れが一番綺麗だったのではないかと思います。
ただ、フィクションとして「綺麗ごと」に留めたくないからこそ、フェニックスに「殺し」を背負わせたのだと思いますし、キリスト教的な世界観が通底しているからこそ、ノーマンは「赦された」のでしょう。
皆さんは『ドントブリーズ2』のクライマックスについて、どんな幕切れが最もスマートだったと思いますか?
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『ドントブリーズ2』についてお話してきました。
基本的にワンアイデア映画の色が強く、盲目の老人が目の見える襲撃者といかに対等以上に渡り合う物語にリアルさを出すかの1点に力を注いだ作品だったので、その前提がブレると作品としてのアイデンティティも崩壊しますよね。
この記事で言及してきたように、テーマ性や物語の部分に関しては非常によくできていると思いますし、1つの映画としては評価できます。
ただ、『ドントブリーズ』の続編としては全くもってダメだと思いました。
とは言え、水の波紋で敵を察知して一掃するシーンなんかは画的にもキマっていましたし、要所要所で光る部分はありました。
おすすめかどうかと聞かれたら1作目の方をおすすめしますし、「2作目は見ても見なくても良いよ~」と言うと思います。
ただ、見て損はない内容だと思いますので、興味がある方はチェックしてみてください。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。