みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『マスカレードナイト』についてお話していこうと思います。
前作の『マスカレードホテル』も原作と映画共に鑑賞しましたが、ミステリとしてはほどほどという印象でした。
特に映画版はあまりにもポスターの作り方が下手すぎて、すぐに犯人が分かってしまうというお粗末な感じでしたし、ミステリとしては、そんなに巧いなとは感じなかったです。
一方でその続編となる今作『マスカレードナイト』はミステリとしてもなかなかよくできていると思いましたし、それ以上に続編としての作り込みがかなり巧妙だと思いました。
前作における登場人物たちの関係性をきちんと物語に反映していることはもちろんとして、前作で描かれた展開を伏線やミスリードに使うトリックは、かなり面白かったですね。
『マスカレードホテル』にイマイチ乗れなくて、今作はもう良いかな…と思っている方がいたら、騙されたと思って見ても損はしないと思いますよ!
とは言っても、映画としては「スペシャルドラマに毛が生えたクオリティ」なので、純粋に物語だけを追いたいという方には、原作の方をおすすめします。
では、ここからはそんな『マスカレードナイト』について自分なりに感じたことや考えたことをお話して行こうと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事です。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
映画『マスカレードナイト』感想・解説(ネタバレあり)
ミステリとしての伏線の仕込みの面白さ
(C)2021 東野圭吾/集英社・映画「マスカレード・ナイト」製作委員会
本作『マスカレードナイト』は、前作と同様にホテルコルテシアを舞台にして、そこを訪れる「お客様」の中に潜む凶悪犯を見つけ出すことを物語のゴールとしています。
そのため、物語の全体を2つのパートに分けるとすると、前半が怪しい「お客様」の接客編で、後半が凶悪犯との対峙編ということになるでしょう。
この構成そのものは前作と近く、それほど大きな変化はないと思います。
ミステリにおいては、ある程度犯人の候補になり得る人間の情報を開示していくのがセオリーなのですが、本シリーズでは、それをホテルマンによる接客という形で、進めていくわけですね。
まず、一番最初の田中みな実さん演じる女性客のエピソードですが、一見すると映画の本筋にはあまり関係していないように思われるかもしれません。
しかし、彼女の「人の顔を見ることが怖い」という性質は、実は後に明かされる犯人の殺害方法に結びついているんですよね。
それ以降の物語においては「不倫(ラブアフェア)」と「勝負」が重要なキーワードとなって物語が展開されていきます。
前者の「不倫(ラブアフェア)」はとりわけ物語のミスリードとして観客をかく乱する役割を果たしていました。
不倫に対しては誰しもがネガティブな印象を持ちますし、今回の『マスカレードナイト』においては事件の被害者が不倫関係の渦中にあったり、誰のか分からない子どもを妊娠していたりと、何となく犯人が男女の恋愛絡みの動機を持っているのではないかという方向に観客を誘導していきます。
そのため、恋人にプロポーズをしたり、その直後に見ず知らずの女性にナンパをしたりしようとする日下部、存在しない夫との宿泊を申し込んでいた中根緑、家族でホテルに来ているがその不倫相手も同じホテルに宿泊している曽根、過去に被害者女性と関係があった浦辺たちが捜査線上に浮上するわけです。
ここまで「不倫(ラブアフェア)」をしきりに物語の中で匂わせてきたんだから、その疑惑がある人物が犯人だろうと観客の思考のベクトルを誘導していく中で、本作は実に丁寧に1人だけ「梯子」を外すんですよ。
それが存在しない夫との宿泊を申し込んでいた中根緑で、彼女の夫はすでに亡くなっていて、夫との思い出の場所であったホテルコルテシアと、挙式を挙げる予定だった式場を見たかったというバックグラウンドを開示し、1人だけ犯人レースから下す素振りを見せました。
これにより、後に劇中で木村拓哉さんが演じる新田が言葉にしたように、強い疑いが晴れた人物は最も怪しまれなくなるというミステリ特有の現象が生じるわけです。
犯人を観客の意識のポケットに隠すという手法はミステリでは王道中の王道ではあるのですが、このように上手く使うと観客に驚きを与えることができますし、ミスリードの仕方もなかなか上手かったと思います。
そして、もう1つ、後者の「勝負」ですよね。
これは物語のテーマの部分にも関わってきますが、『マスカレードナイト』においては警察とホテルの「勝負」、そして山岸と久我の「勝負」が描かれていました。
警察は捜査のために「お客様」の仮面をはがなければならない、一方でホテルは「お客様」の仮面を守らなければなりません。
また、山岸と氏原は物語の冒頭にロサンゼルスの系列店への栄転をかけて、「勝負」をすることを宿命づけられています。
このように作中でいくつかの「勝負」が描かれていますが、これがそっくりそのまま犯人の動機へと還元されていくのはすごく流れとして綺麗だったのではないでしょうか。
『マスカレードナイト』は、犯人のバックグラウンドや動機、殺害方法にまつわるヒントを物語の中に丁寧に散りばめてあります。
そして、いくつかの点は巧妙なミスリードであり、いくつかの点は一見すると何のヒントでもないのに実は重要な点であったりしました。
ミステリにおいては、犯人を辿り着きうる情報は犯人が判明するまでの間にすべて開示されていることが望ましいとされています。
本作は、その点でも誠実に作られたミステリだと思いますし、そうした情報の隠し方も絶妙だったと思いました。
映画としては「大作邦画」特有の味つけではありましたが、物語そのものは前作よりもかなりクオリティが上がっていたので、個人的にはおすすめできます。
『マスカレードホテル』の続編としての巧さ
(C)2021 東野圭吾/集英社・映画「マスカレード・ナイト」製作委員会
そして、大前提として本作『マスカレードナイト』が『マスカレードホテル』の続編にあたる作品だという点は忘れてはいけません。
ミステリでシリーズものと言えば「シャーロックホームズ」シリーズや「名探偵ポワロ」シリーズのような金字塔が存在します。
『マスカレードホテル』では、刑事の新田とホテルマンの山岸という正反対の人間が出会うことによる対立と協力を1つの事件を通じて描きました。
これにより、新田はある程度ホテルマンとしての振る舞いや信条を理解しており、その一方で山岸もまた刑事という人種のことを少し理解しています。
このある程度の相互理解が深まった状態で今回の『マスカレードナイト』は物語をスタートさせることで、キャラクターをさらに深堀りできるわけですね。
また、この2人の関係の深まりを外様のホテルマンである氏原を登場させることによって対比的に印象づけるのも見事でした。
山岸がある程度新田が無茶をしていても「またあいつやってらぁ…」くらいなあきれ顔で見守っている姿には、彼女の根底に彼に対する信頼感があることを伺わせます。
一方で、そうした関係が築かれていない氏原とのやり取りにおいて、氏原は厳しく新田の行動を制限しようとしていました。
(C)2021 東野圭吾/集英社・映画「マスカレード・ナイト」製作委員会
こうしたキャラクター同士の関係性を財産として物語の面白さにつなげられるのは、ミステリをシリーズ化する上でのメリットでしょう。
また、ファンサービス的な位置づけも強いシーンではありますが、2人の将来的な関係性の変化をも想起させるのが、ホテルのチャペルでのシーンです。
チャペルで新田と山岸が立っているあのカットは、もしかすると今後あの2人が恋人同士になるのでは?なんて想像を膨らませてくれました。
そしてもう1つ。前作の展開をフックにした観客のミスリードの仕方が絶妙に巧かったことに個人的には感動しました。
前作の『マスカレードホテル』では山岸が1人で老婆の部屋に向かったところ、その正体が判明し、彼女は部屋に監禁されてしまいます。
結果的に新田が駆けつけて事なきを得るのですが、その際に山岸が閉じ込められている部屋のシグナルとなったのが、ホテルコルテシアのペーパーウェイトでした。
今回の『マスカレードナイト』では、山岸が中根緑の部屋を訪れた際に前作のデジャビュのようなことが起き、焦った新田は彼女の部屋へと駆けつけます。
この中盤にあった一連の展開が前作での犯人発覚劇を思わせるように作られているのは、新田が中根緑の部屋のペーパーウェイトを確認していたことからも明らかです。
つまり、本作は前作の真相判明の経緯のデジャビュを劇中に内包させることで、中根緑が犯人ではないかと疑わせ、さらにはその誤解を解くことで彼女を犯人候補から遠ざけるというミスリードをやっていました。
「シャーロックホームズ」シリーズや「名探偵ポワロ」シリーズもそうですが、ミステリは基本的に舞台が次々に変わっていくところに面白さがあります。
「名探偵ポワロ」であれば、オリエント急行であったり、ナイル川の船上であったりと事件が起きる国や場所、条件が大きく変わりますよね。
しかし『マスカレードホテル』『マスカレードナイト』はホテルコルテシアという場所軸を固定しており、ここから逃れることができません。
これはミステリにおいてはかなり致命的な弱点の1つだと言えます。
ただ『マスカレードナイト』はそんな弱点を上手く利用し、逆に強みに変えていると見ることもできますよね。
劇中でキャラクターたちが「またぁ?」としきりに小言を言っていましたが、前作と全く同じ場所だからこそ、同じ出来事を再現できる強みがあり、それが無意識のうちに観客の思考を誘導するわけです。
そう考えると、『マスカレードナイト』は続編として完璧ですし、お手本ともいえる作りだったと言えるのではないでしょうか。
「勝負」を巡って物語と主題を融和させる
(C)2021 東野圭吾/集英社・映画「マスカレード・ナイト」製作委員会
最後に本作のテーマ的な部分の描き方の巧さについて語っておこうと思います。
先ほど少し書いたように本作の中には主に3つの「勝負」が内包されています。
1つ目は警察とホテルの「勝負」です。
警察は捜査のために「お客様」の仮面をはがなければならない、一方でホテルは「お客様」の仮面を守らなければなりません。
2つ目は山岸と氏原のロサンゼルス支店への栄転を巡る「勝負」ですよね。
また、山岸と氏原は物語の冒頭にロサンゼルスの系列店への栄転をかけて、「勝負」をすることを宿命づけられています。
そして、3つ目が警察と犯人の「勝負」です。
犯人は自分の妹が警察の杜撰な対応によって命を落としたことを恨んでおり、それ故に警察の権威を失墜させようと、警備が万全な中での犯行を選びました。
この3つの戦いが同時進行的に描かれ、駆け引きが為されていくわけですが、新田と山岸を中心にしてそうした「勝負」という構図が書き換えられていきます。
というのも、1つ目の警察とホテルの「勝負」については、お互いの目的が「お客様」の命を守ることであるという利害で一致し融和へと向かっていきました。
2つ目の山岸と氏原の「勝負」については、勝負にこだわる氏原とあまりこだわらず目の前のお客様に懸命になる山岸という構図が明確になり、後者が評価されました。
つまり、この物語においては「お客様」や「命」というかけがえのないものと向き合う際に「勝負」という概念は成立しえないのだということが示されたのです。
何よりも大切なのは、「勝負」をして勝つことではありません。
警察にとって「事件の解決」とは究極的にはゴールではなく、それは市民の命を守るためのプロセスにすぎませんよね。
同時にホテルマンにとっても「お客様」に上質な体験をしていただくことが何よりも大切なことであり、自分の出世ですらもそのためのプロセスとして位置づけられます。
つまり、こうした場における「勝負」というのは、あくまでも自分が大切にするゴールにたどり着くための1つのプロセスなのであって、それに勝つことが「目的」になると本末転倒なんですよ。
だからこそ、『マスカレードナイト』における犯人は「勝負」にこだわりすぎるがあまり、もっと大切なことを見失ってしまいまい、結果的に自分の望みを達成することができませんでした。
そんな犯人の「勝利」の妨げになったのが、「勝負」にこだわらなかった山岸の時計でしたが、これは本作のテーマを象徴するモチーフとも言えます。
時間を気にしていては、お客様に最高の体験をもたらすことはできない。それは時間を守ることが目的になってしまうからです。
手段と目標、プロセスとゴール。
私たちも仕事や生活の何気ないところで、この関係性が入れ替わってしまい、いつしか手段やプロセスを守ることに固執するようになってしまうものです。
しかし、そうしたしがらみから解かれ、きちんと自分のゴールを見据えて行動することにこそ真の価値があるのだと『マスカレードナイト』はミステリを通じて思い出させてくれます。
本作のラストシーンで新田は山岸に日本に戻ってきた日のディナーを予約して欲しいと依頼していました。
ただ、山岸の返事は「NO」であり、去り際に彼女は「最高のホテルマンになって戻ってきます。」とだけ告げました。
山岸は「最高のホテルマンに。お客様に最高の体験を。」という目標を常に見失うことはありません。
彼女はもしかすると新田に惹かれ始めているのかもしれません。
だからこそ彼女は自身の目指すゴールをブレさせないためにと「ディナーを共にする」という約束を断ったのではないでしょうか。
それでも、新田が山岸にとって特別な存在であることに変わりはありません。
なぜなら、新田は彼女が初めて「無理です。」と告げた相手だからです。
彼女が彼のことを「お客様」を超えた関係だと思っているのではないかということが、何となくラストシーンからも伺えます。
キャラクタームービーとして、そしてホテルコルテシアという1つの舞台を軸にしたミステリシリーズとして、この『マスカレードナイト』の続編が再び映画館に戻ってくる日を楽しみにしています。
おわりに
いかがでしょうか。
今回は映画『マスカレードナイト』についてお話してきました。
ちなみに原作の方では『マスカレードイブ』という『マスカレード・ホテル』の前日憚となる連作短編集が存在しています。
『マスカレードホテル』『マスカレードナイト』をご覧になって、山岸や新田のキャラクターに惹かれたよ!という方は、この短編集を読むと、2人のバックグラウンドがもっと掘り下げられるので、個人的にはおすすめです。
現状発売されている原作はこれで消化してしまったことにはなりますが、今回もヒットすると思いますし、ぜひとも3作目も期待したいところですね。
ただ、プロットはよくできているんですが、映画としての作りこみが相変わらずスペシャルドラマクオリティなのは気になります。
プロットの良さに頼らず、もう少し撮影や編集に気を遣ってほしいですし、そうした視覚的な要素で観客に魅せるということを追求してほしいです。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。