【ネタバレあり】『エターナルズ』解説・考察:神話を人間賛歌へと兌換するMCUの新たな1歩

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね映画『エターナルズ』についてお話していこうと思います。

ナガ
個人的には公開間にこんなツイートをしてしまうくらいのテンションだったんだけどね…(笑)

まず、アメコミの原作を読む機会が少ないので、「エターナルズってなんやねん!」という思いが強かったですし、ポスターを見ても「いや知ってる奴おらんやん!」という気持ちにしかなりませんでした。

しかも、この『エターナルズ』ですが、北米でのアーリーレビューでかなり評価が割れているのです。

北米大手批評家レビューサイトRotten Tomatoesでは、批評家からの支持率が60%を割り込んでおり、これはMCUの映画作品の中では最も低い数値となっています。

そのため完全に「知り合いのいない飲み会」状態であり、さらにあまり楽しくなさそうという二重苦だったのですが、鑑賞を終えた今、それは杞憂だったと言えるでしょう。

エターナルズの面々は個性的で、映画を見終わる頃にはほとんど全員の名前と顔が一致するようになりましたし、作品もMCU史上、いやヒーロー映画史上最も攻めた作りであると言っても過言ではない挑戦的な内容に仕上がっていました。

後ほど詳しく掘り下げてお話をしますが、この『エターナルズ』という作品の評価がアメリカ本国でも真っ二つに分かれてしまうのは理解できます。

それを隔てるのは、あなたのこの作品に求めるものが「MCU最新作」なのか「クロエ・ジャオ監督最新作」なのかだと私は思うのです。

クロエ・ジャオは、中国にルーツを持つ映画監督で、2021年に日本でも公開された『ノマドランド』でアカデミー賞作品賞を受賞しました。

ケヴィン・ファイギがそれよりずっと前から彼女に目をつけていた先見の明には驚かされますが、今回の『エターナルズ』という作品は、彼女のブレイク作である『ザ・ライダー』に非常に似ています。

エターナルズというキャラクターないしモチーフを用いて、自身がかつて撮った『ザ・ライダー』というフレームを進化させたと言っても良いでしょう。

それ故に、作品としてはどう考えても「MCU最新作」というより「クロエ・ジャオ監督最新作」の趣が強いのです。

しかし、どうしても「MCU最新作」という期待は大きく、その点で一定数の人の期待を裏切る内容であることは間違いありません。

『ノマドランド』を想起させる映像詩的な演出と編集は、他のMCUとは一線を画しますし、『ザ・ライダー』を踏襲した物語の作りと主題性はこれまでのMCUとは全く違うベクトルに向かっています。

この良くも悪くもMCUの新しいチャレンジである『エターナルズ』だからこそ評価が割れるわけで、むしろ作り手としてもこの展開を望んでいたんじゃないかと思いました。

以前に『シャンチー』の記事でも書きましたが、

MCUの作り上げたユニバースは、単にヒーローがアッセンブルするだけの映画ではなく、いろいろなジャンル映画が融合するのが強みなのであり、それこそが「MCUの懐の深さ」なのだ!

という点を、今回の『エターナルズ』で改めて確認しました。

どんどんと「ジャンル」を拡張させていくMCUのフェーズ4にふさわしい意欲作だったと言えるのではないでしょうか。

それではここからは映画『エターナルズ』について個人的に感じたことや考えたことを掘り下げてお話していこうと思います。

本記事は作品のネタバレになるような内容を含む解説・考察記事です。

作品を未鑑賞の方はお気をつけください。

良かったら最後までお付き合いください。




『エターナルズ』解説・考察(ネタバレあり)

エターナルズという主体、『ザ・ライダー』のフレーム

今回の『エターナルズ』を見る前に予習しておくべきMCU作品は特にないと思います。

強いて言うなれば、「セレスティアルズ」という超常的な存在が少しだけ登場した『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズを知っておくとベターくらいでしょう。

同作では、劇中に登場したコレクターの映像の中で『エターナルズ』に登場するのと全く同じビジュアルのセレスティアルズが登場していて、この時はパワーストーンを使って惑星を滅ぼしていましたね。

(C)Marvel Studios 2021

一方で、この『エターナルズ』クロエ・ジャオ監督作品として紐解くのであれば、間違いなく見ておかなければならないのが『ザ・ライダー』です。

『ザ・ライダー』は第33回インディペンデント・スピリット・アワードで作品賞や監督賞などにノミネートされ、さらに第53回全米映画批評家協会賞で作品賞を受賞、第70回カンヌ国際映画祭では芸術映画賞を受賞といきなり高評価で迎えられ、話題になりました。

あのバラク・オバマ元アメリカ大統領も、その年のお気に入り作品に挙げるなどし、注目されましたね。

この作品の主人公は、アメリカ中西部のサウスダコタに生きるロデオライダー(カウボーイ)の青年ブレイディなのですが、彼は落馬事故で頭部に重傷を負ってしまい、ロデオライダーとしての生命を実質的に絶たれてしまいます。

物心ついた頃から馬に乗っていることが当たり前だった青年から「馬に乗ること」を残酷にも奪ってしまう。その時、彼に残されるものは一体何なのだろうか。

ロデオ復帰と引退の間で揺れるブレイディ、そんな彼の葛藤が雄大な自然の映像の中で描かれ、馬と人、人と人の営みの中で、彼を彼たらしめる何かを探す物語が静かに展開されていきます。

つまり『ザ・ライダー』という作品はライダーの青年から「ライダー」というアイデンティティを奪った時に、何が残るのか、何に希望を見出して生きていくのか?という問いに焦点を当てることで人間というものの奥深さを描こうと試みたのです。

そして、同じくクロエ・ジャオ監督が手がけた今回の『エターナルズ』では、主体をエターナルズという超常的な存在へと変えて、全く同じアプローチが展開されています。

エターナルズの面々は、「エターナルズ」として作られ、地球に行き人類の発展を手助けし、ディヴィアンツたちを殲滅せよという指令を与えられていました。

そうした確固たる使命があるが故に、彼らは自分たちが何者なのかを顧みることはなく、自分たちの果たしている役割や取っている行動の意味について深く考えることもないのです。

しかし、そんなエターナルズからディヴィアンツという「敵」を奪ってしまえばどうでしょうか。

自分たちに与えられた使命が欺瞞であり、本当は人間を助けるためではなく、滅ぼすために地球に送り込まれたのだという真実が判明した時、彼らは自分たちのアイデンティティを保つことができるのでしょうか。

クロエ・ジャオ監督は、本作において、こうしたエターナルズの面々の内面で起きる自分たちの確固たるアイデンティティの崩壊にスポットを当てています。

そして、それが失われてしまった時に、彼らに残されたものとは何なのか、はたまた彼らが自分たちの中に見出すものは何なのかを雄大な自然と地球の営みの描写の連続の中から導き出そうと試みました。

新しいセレスティアルズを生み出すために人類を犠牲にするというエターナルズとしての使命を全うするのか。それともそれを裏切ってでも人間を守るのか。

神話の物語が徐々に、1人1人のヒーローの、もっと言うなれば1人1人の人間の物語へと兌換されていき、人間の本質を問うようなその作品性は、これまでのMCUとは明確に一線を画するものでした。

そのため、クロエ・ジャオ監督が、そしてケヴィン・ファイギがここまで「MCUらしさ」をそぎ落とした作品をフェーズ4のこのタイミングで送り出したことにも全く同じ意味があるのではないかと勘ぐってしまいます。

これまでのMCUが確立してきたアイデンティティのようなもののほとんどが感じられず、見知ったキャラクターも登場しない本作は本当にMCUと言えるのか?

MCUでありながら、「MCUらしさ」をそぎ落とされた『エターナルズ』という作品は、『ザ・ライダー』におけるロデオライダーを奪われたブレイディそのものです。

だからこそ、私たちは『エターナルズ』という作品を見ることで、もう一度MCUとは何だったのか?MCUをMCUたらしめるものは何なのか?という本質的な問いに目を向けることができるのではないでしょうか。

ぜひ、このあまりにもチャレンジングなMCUの新しい1歩を劇場で見届けてほしいと思っております。



「エターナルズ」とは何か?=「人間」とは何か?

(C)Marvel Studios 2021

『エターナルズ』という作品の何が素晴らしかったのか、それはエターナルズというある種の超人的な存在を主題にして、彼らの自問と葛藤を通して「人間とは何か?」を描き出そうと試みたことではないでしょうか。

先ほども述べたように、クロエ・ジャオ監督は本作においてエターナルズからその使命と正義を剝奪することで、彼らに自分たちの存在意義を再考させるアプローチをとりました。

つまり、作品の中心にあったのは紛れもなく「エターナルズとは何か?」であり、もっと解像度を上げると「セルシとは何なのか?」「イカリスとは何なのか?」という個々の問いに繋がっていくでしょう。

エターナルズの面々は、16世紀にディヴィアンツが絶滅したことで、解散し、個々に人間の世界に溶け込んで暮らすようになりました。

その中で、人間の営みに触れ、彼らは「エターナルズとして」ではない、自分たちのアイデンティティの端緒を見出し始めるのです。

私たちは、生まれながらにして人間であり、当事者であるがゆえに、自分たちの営みや存在について改めて疑問を持って掘り下げるということは少ないかもしれません。

しかし、今作はエターナルズという外部の存在を軸に据えることによって、そうした根源的な問いを成立させることに成功しています。

アリシェムのためにという画一的な思想と使命に裏打ちされていた彼らが、人間の営みに触れ、愛に触れ、愚かさに触れる中で自分たちの存在を顧み、多様化していきました。

映画版の『エターナルズ』のキャラクターたちは原作からかなり脚色がなされているようで、人種や性の多様性が担保されています。

白色人種と有色人種(アジア系、アフリカ系、南米系など)の多様性やLGBTQとも言われる性の多様性が描かれ、同時に宗教や信条、価値観、生活方式の多様性も描かれていました。

しかし、こうした多様性が超常的な存在であるエターナルズに争いを勃発させます。

アリシェムのためにという画一的な思想と使命に従う限りにおいて、彼らが争う必要はありませんが、そうでないならば当然対立が生じることになりますよね。

イカリスは自分たちを作り出したアリシェムの指針に従うべきだとして、人間をセレスティアルズ誕生の生贄にすることを望みます。

一方で、人間の営みに深く入り込み、その奥深さに触れたセルシたちは、人間を滅ぼすことはセレスティアルズ誕生の代償としてあまりにも大きすぎると考え、アリシェムの指針に反発しました。

人間は、どんどんと技術を発展させ、その思想を多様化させていき、そのプロセスで対立し、争いを起こすようになりましたが、本作でエターナルズが辿って道筋もそれに通じるものがあります。

つまり、クロエ・ジャオ監督は「エターナルズとは何か?」という問いが「人間とは何か?」という問いに直結するように描いているのです。

そして、この作品が導き出す人間を人間たらしめるその最たるものは「多様性」なのだと思いました。

劇中で、ドルイグが自分の力で人間すべてを操ることはしなかった理由について、それでは「多様性が失われてしまうから」と語っていましたよね。

おそらくドルイグが人間という生命体を一括で単一の思想のもとに動かすことができれば、争いなんてものはなくなります。

しかし、そんな人間の愚かさでさえも、人間のアイデンティティを構成するものの1つであり、多様性を担保するものなのです。

ファストスは自分が人間に与えた技術によって、戦争が起き、原子爆弾が投下され、多くの人間が犠牲になったことに深い罪悪感を覚えました。

それでも、彼は愛する人と出会い、家族を持ち、その営みの中で、愚かさも含めて人間を愛そうと考えを改めるのです。

人間に溶け込むことで、エターナルズという神的な存在は、どんどんと多様化していきます。

それにより、内面が豊かになり、愛を知り、家族を知り、しかしその一方で対立や争いをももたらしてしまいました。

しかし、作品の中でエイジャックが言っていたように、そうした清濁併せ吞むような多様性こそが人間の美しさであり、尊さなのです。

『エターナルズ』は、人間の営みをエターナルズという超常的な存在によって客観視させると共に、彼らが人間に近づいていき、多様化していくプロセスを見せることで、「人間とは何か?」という問いを観客に客観的に考えさせることに成功しています。

『ザ・ライダー』『ノマドランド』で人間の多様な営みにスポットを当て、自然や生き物との関わりの中でその何たるかを見出そうとしてきたクロエ・ジャオ監督にしかできない切り口のヒーロー映画だと思いました。

 

神話を人間讃歌へと兌換する

(C)Marvel Studios 2021

ここまで、お話してきたようにクロエ・ジャオ監督はエターナルズという存在を変容させ、多様化させることによって、人間の何たるか、その輪郭を浮かび上がらせようと試みました。

この方向性を担保するうえで、本作のキャラクターたちの名前が数々の神話からの引用になっていたのは、非常に都合がよかったと言えるのかもしれません。

セナはギリシア神話に登場する女神で、技術・学芸や戦いなどをつかさどるアテナから引用してつけられた名前です。

イカリスは、クレタ島の迷宮ラビリントスから、父の考案した蝋の翼で脱出に成功したという逸話を持つ青年イカロスの名前から引用されていますね。

他にもセルシはキルケ、マッカリはマーキュリー、ファストスはヘーパイストスなどから引用されています。

他にも古代メソポタミア、シュメール初期王朝時代の伝説的な王の名前と全く同じのギルガメッシュなんてキャラクターも登場しました。

こうしたキャラクターの名前が象徴するように、本作が描いたのはある種の「神話」です。

劇中でスプライトがイカリスの逸話を口述で伝えることで、それが神話と化していったことや、ギルガメッシュの物語(フィクション)が『ギルガメシュ叙事詩』という英雄譚へと編纂されていったことなどが語られていました。

つまり、『エターナルズ』においては、私たちの知っている神話や英雄譚など数々の逸話の背後にエターナルズの存在があるという構造をとっているわけです。

しかし、先述したように彼らは徐々に人間に染まり、多様化し、確固たる使命を持ち、「人間を導く存在としてのエターナルズ」からは乖離していきます。

神話を強く想起させるキャラクター性と、それらを活かした設定を前提として示しつつも、徐々にそこから脱却していくような作りになっていたわけです。

だからこそ、物語の後半でセレスティアルズに立ち向かうかどうかという大きな問いを前にして、彼らはアリシェムの指針に従うという当然の使命を反故にします。

彼らは神でも、神に近しい存在でもなく、むしろ人間に限りなく近い、愛と愚かさを併せ持つ迷える個として、それぞれに決断を下し行動を起こすのです。

その光景は、神話ではなく、既に兌換された別の何かであり、人間でも神でもないエターナルズたる彼らの戦いでした。

今作の終盤に極めて意図的にインサートされたであろう「神話の再現」がありました。

それは、イカリスの元になっているイカロスの神話ですね。

彼は、クレタ島の迷宮ラビリントスから、父の考案した蝋の翼で脱出するのですが、父の忠告を聞かず天高く飛んでしまったことで、太陽の熱で蝋が溶けてしまい海に落ちて溺死してしまうのです。

イカリスは、セルシという愛する女性を裏切ってしまい、エターナルズの同胞を殺してしまった罪悪感に打ちひしがれながら、自らの決断し、太陽に焼かれて身を滅ぼします。

イカロスの神話という物語を、愚かさと愛を併せ持つエターナルズの1人であるイカリスの迷いとして、葛藤として、そして選択と決断として「描き直し」たわけです。

この描写は本作のやろうとしたことを端的に表しているように思いました。

神話に重ねられたエターナルズの逸話を、血の通った唯一無二のエターナルズの物語として描き直していく。

神話とそこに登場する神々という確立されたキャラクターを分解し、再構築していくことこそが『エターナルズ』という作品の大きな方向性なのだと思います。

多様であるからこそ美しい。確立されていないからこそ、迷い、揺れ、葛藤するからこそ美しい。

物語の最後にエターナルズの1人であるスプライトが、人間になるという選択をし、老いや変化を受け入れる決断を下します。

その決断は愚かに思えるかもしれません。しかし、そういう決断をするエターナルズもいるという事実こそが重要であり、多様であることそのものが美しいのです。

神話をベースにしながらも、それを他でもないエターナルズ固有の物語へと兌換していき、それを人間讃歌として描き切ったクロエ・ジャオ監督の『エターナルズ』はMCUらしくないと言えるかもしれません。

しかし、それでいて極めてチャレンジングで、エポックメーキングなヒーロー映画の新しい1歩だったと言えるのではないでしょうか。



おわりに

いかがだったでしょうか。

今回は映画『エターナルズ』についてお話してきました。

ナガ
まあこれは評価割れるわ…って内容でしたね。

クロエ・ジャオ監督の『ザ・ライダー』を知っていれば、彼女がこの作品で何をやりたかったのかは十分理解できますし、ケヴィン・ファイギが彼女にオファーした理由も分かります。

MCUという作品群をより多様化させていく上で、欠かせない作品であると同時に、「多様であること」そのものに価値を見出すMCUのコンセプトの強度を高めてくれる作品でもあります。

ただ、それ故に私たちがこれまでの作品の中で見出し、積み重ねてきた「MCUらしさ」のようなものはほとんど見られず、それ故に「MCU最新作」という期待値に応えきれず、評価が割れているのだと思いました。

しかし、冒頭にも書いたように、これも「MCUの作品の1つだ」と言えてしまうことこそが、MCUの「懐の深さ」であり、魅力なのだと私は思います。

そして、エターナルズという題材を用い、MCUの枠組みの中にコミットさせながらも、自身の作家性を全面に押し出したクロエ・ジャオという作家の手腕には脱帽でした。

これまでのMCUと比較しても、最も監督の色が出ている作品であることは間違いありません。

MCUの新作を見る前に、過去のシリーズを見ておく予習・復習は定番ですが、今回の『エターナルズ』に関して言うなれば、『ザ・ライダー』をぜひとも見ておいてください。

クロエ・ジャオ監督の作家性を知っているかどうかで大きく見方が変わる作品であることは確実です。

ぜひ、1人でも多くの人にこのチャレンジングなMCUの新しい1歩が届くこと祈りながら、記事を締めくくりたいと思います。

今回も読んでくださった方、ありがとうございました。

 

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