みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね、スタンリーキューブリック監督の不朽の名作「シャイニング」についてお話していこうと思います。
今作の舞台となったオーバールックホテルは、『レディプレイヤー1』に登場したことで再注目されていますね。
さて、古典的ホラーの名作として知られる本作ですが、やはり非常に謎が多いのが特徴です。
というのも、原作者のスティーヴン・キングは、この映画版に納得していなくて、原作と異なる部分が非常に多いのです。
そもそも「シャイニング」というのは、異能のことで、続編となる『ドクタースリープ』もそうですが、少し異能バトルもの的な雰囲気もあるのです。
そこをガッツリ削除して、ホラー映画に仕立て上げたことで、原作とは深く断絶されることとなったわけですが、映画は映画でやはり非常に良く出来ています。
今回はあくまでもスタンリーキューブリック監督の映画版に絞ってお話を進めていこうと思います。
ネタバレを交えた解説や考察が主となりますので。作品をご覧になっていない方はご注意ください。
良かったら最後までお付き合いください。
動画解説もあります!
ブログほどの情報量は詰め込めないので、少しライトめな内容になっており、詳細なネタバレは含みません。
もし作品を鑑賞していない方がいらっしゃいましたら、こちらの動画を見て、作品を見て、その後にブログを読んでいただけると嬉しいです。
『シャイニング』
あらすじ
主人公のジャックは妻のウェンディと息子のダニーを連れて、冬の間山奥のホテルの管理人として住み込みで働くこととなります。
ただ…そのホテルがとんでもない場所だったのです…。
オーバールックホテルと呼ばれるそのホテルは呪われた場所であり、ホテルにはたくさんの”悪意”が渦巻いていました。
ジャックは小説家になることを志していましたが、なかなか原稿も進みません。
そんな創作に起因する焦燥感に駆られたジャックの心は、徐々にホテルの”悪意”たちに蝕れていきます。
次第に彼は、現実と幻想の区別も曖昧になり、家族にまで牙をむくようになるのだが…。
スタッフ
では本作『シャイニング』における注目のスタッフ陣についてお話しておこうと思います。
監督は『2001年宇宙の旅』や『時計仕掛けのオレンジ』などの名作を多く手がけたスタンリー・キューブリックです。
映画ファンであれば、1度は聞いたことのある名前だと思いますが、この監督はとにかくディテールへの執念とも言えるこだわりが特徴的です。
そのこだわりのあまり、かの有名なジャックが扉の裂け目から顔を出すシーンでは、「ジャック・ニコルソンの狂気に満ちた表情」を撮るためにわずか2秒程度のシーンに2週間かけ、190以上のテイクを費やしたとも言われています。
10回くらいで現場の空気的にも限界だろ…と素人目線だと思ってしまうんですが、これだけこだわれるからこそ素晴らしい作品が生まれるんでしょうね。
そして原作者は衝撃のラストでおなじみの『ミスト』や殺人ピエロに子どもたちが立ち向かうホラー映画『IT』などで知られるスティーブン・キングです。
ただ、このスティーブン・キングとスタンリー・キューブリックが映画版を巡ってバチバチとやり合ってしまったんですよ。
発端は、原作と映画版があまりにも違っていたからなのですが、この一連の騒動についてはスティーヴン・スピルバーグ監督の『レディプレイヤー1』でネタにされるなどしています。
その後も、原作者のキングが怒りのあまり自らが製作総指揮・脚本を手がけるドラマシリーズを制作したり、なんて余波もありました。
また、本作の撮影にはジョン・オルコットが起用されています。
彼は、『2001年宇宙の旅』の撮影途中で撮影監督をジェフリー・アンスワースから引き継ぎ、スタンリー・キューブリックから認められました。
今や、キューブリック作品には欠かせない撮影監督ですよね。
『シャイニング』解説・考察(ネタバレあり)
本作において印象的に登場するのが、鏡ですよね。
特に主人公のジャックが登場するシーンでは非常に印象的に鏡が画面に挿入されています。
本作に登場する3つの「鏡」
ホテルのバー
映画「シャイニング」より引用
このシーンでは、誰もいないはずのバーをジャックが訪れると、ロイドというバーテンダーが現れて、彼にバーボンを振る舞います。
ロイドから振舞われる「酒」によって、ジャックの狂気は一層加速していくのです。
ただ、このロイドというバーテンダーそのものもジャックにしか見えていない幻覚なんですよね。
その後のシーンで、妻のウェンディがやって来て、カウンターに座っているジャックを後方から捉えたカットでは、そこにロイドと言う男はおらず、ただバーのカウンター奥には「鏡」が存在しているだけになっています。
ここに現実と幻影の境界線としての「鏡」の存在意義を読み取ることができると言えるでしょうか。
237号室のバスルーム
映画「シャイニング」より引用
このシーンのシチュエーションはバスルームですから、当然「鏡」は存在しています。
しかし、ジャックが美女の幻影を魅せられているときはほとんど画面の中に鏡が映し出されていない点は要注目ですよね。
その美女が醜悪な姿へと変貌を遂げると突如として画面に鏡が映し出され、ジャックはハッとさせられます。
グレイディとのトイレでの会話シーン
映画「シャイニング」より引用
ジャックがデルバート・グレイディという男とバーのトイレで会話をするシーンがありました。
このグレイディという姓は、かつてホテルの管理人をしていて家族を惨殺したというチャールズ・グレイディと同じものです。
このシーンではジャックが、グレイディが鏡に映っているかを確認するという描写があるんですが、この時絶妙にカメラは「鏡」のカットを挿入しないんです。
さて、ここまで3つの代表的な鏡のシーンを紹介してみました。
ただもっと言うなれば、本作で一番最初に登場する鏡のシーンというのは別にあって、それがダニーが自宅のバスルームの鏡でトニーと呼ばれる謎の存在と会話をしているシーンです。
このシーンのカメラワークに注目して見ると、非常に面白いのですが徐々にダニーではなくて鏡の方にクローズアップしていって、最終的には鏡に映るダニーだけを捉えます。
映画「シャイニング」より引用
このシーンが1つ作品の重要なキーポイントになっていることは言うまでもないと思います。
「シャイニング」という映画の中には鏡の内の世界と鏡の外の世界という2つのレイヤーが存在していると考えられます。そして鏡の内側の世界はフィクションであり幻影、鏡の外の世界は現実という構造になっているのではないかということが容易に推測できます。
つまりこの鏡の中に映るダニーのクローズアップショットというのは、彼が鏡の内の世界、つまりフィクションの世界にもアクセスできる人物であることを示唆しています。
フィクションとリアルから読み解く映画『シャイニング』
さて、ここから自分が提示したい説の論拠となる映画「シャイニング」内の描写や設定をいくつか紹介し、その解説を加えていこうと思います。
ジャックは小説家志望である
本作を読み解く上で個人的に最も重要であると考えている要素が実はこれだと思うんです。
記事の冒頭に『シャイニング』は小説と映画で大きくない様が異なるとお伝えしたかと思います。
そうした数多くの違いの中の1つに、ジャックが「小説の原稿執筆が進まないことからくる焦燥感によって狂っていく」というものがあるのです。
ジャックという人物は小説家になりたいと考えている人物で、オーバールックホテルがあまりにも静かすぎて退屈してしまうのではないかという先方からの懸念にも新作を書くための静寂が欲しいからちょうど良いと答えていますし、劇中でも執筆をしていることが示唆される描写がいくつか存在しています。
小説家とはやはり芸術家のジャンルの1つになるわけですが、芸術家が狂気に飲み込まれていくという作品は実は世の中に数多く存在しています。芸術家とは世俗を超越した人間だという見方はいつの時代にも存在しています。
有名なもので言うと芥川龍之介の「地獄変」はまさしく芸術家の狂気を描いた作品と言えるでしょう。自分の見たものしか描けないという絵師が地獄の炎の絵を描くためだけに、自分の娘を実際に焼き殺してしまうんです。
他にもゴーギャンをモチーフにしたと言われるサマセット・モームの「月と六ペンス」という作品も有名です。絵に没頭するがあまり家族や収入といった世俗的な価値観に縛られない男を描いているわけです。
細かいシーンなのですが、バーのシーンでジャックがお金を払おうとすると財布の中に一銭も入っていないんです。
お金というのはいわば世俗的なものの象徴として捉えられますよね。
つまりジャックがあの世界でお金を持ってないというのは、彼の世俗的な価値観からの解放への願いとも見て取れます。
ジャックの創作物たち
本作ではジャックという創作者がいて、彼がこの映画の中に現実を超越したもう1つのレイヤーを構築しているようにも見て取れます。
彼は冒頭のホテル管理人になるための面接でオーバールックホテルで過去に起こったグレイディという男による家族惨殺事件をホテルの支配人の口から聞いています。
これがジャックがオーバールックホテルにもう1つのレイヤーを構築するきっかけとも言えるでしょう。
芸術家は見たもの、聞いたもの、感じたもの、何かに感化されて創作意欲を得る人種とも言えます。
彼がオーバールックホテルにまつわる興味深い話に影響され、それを自分の作品のモチーフにしたいと考えたと考えるのはとても自然なことだと思います。
そしてそれを暗示するシーンとしてジャックがホテルの庭園にあるラビリンスの模型を見つめているシーンが挙げられます。
映画「シャイニング」より引用
このシーンではラビリンスの模型をジャックが見つめているんですが、そのミニチュアの中で妻のウェンディと息子のダニーが歩いている様子がリンクして映し出されるんです。
そのため創作者ジャックとその世界に迷い込む妻と息子という映画「シャイニング」後半の展開がこのシーンで示唆的に描写されているわけです。
また本作で一度だけ妻のウェンディのフィルターを通して、ジャックの書いた小説が映し出されるシーンがあります。
有名な”Dull boy”の文章であるわけですが、この原稿で注目していただきたいのは、文章はすべて同じ1文で構成されているのですが、段落がきちんと変えられていたり、引用部分が存在していたりと体裁自体はまるで本物の小説かのようになっているわけです。
映画「シャイニング」より引用
これらのシーンは「シャイニング」という作品においてジャックが創作者であるという立場を明確にしています。
またバーでバーボンを飲んだことがジャックが狂気に身を落としていく契機ともなるわけですが、メルヘンなんかでもそうでしたがお酒というモチーフは異世界トリップの契機として数多くの作品で扱われているものです。
先ほどもお話しましたが、日本で大ヒットした「君の名は。」における口噛み酒によるトリップもそういったモチーフとして用いられています。
父と息子、夫と妻のコンテクスト
映画「シャイニング」より引用
先ほどから述べているように本作では、世俗的な価値観を脱却しようとする芸術家ジャックが描かれているのではないかといるように思われます。
一方で妻のウェンディは彼に夫としての役割を、ダニーは彼に父親としての役割を求めるんです。
ダニーはジャックに父親としていて欲しいと思っているからか、彼に「ママをいじめないで」と懇願するなど、これからも良き父親でいて欲しいと願っていることが伺えます。
また妻のウェンディは狂気に身を落としていくジャックをなんとか引き留めようとしますし、彼にこれからも夫として添い遂げていて欲しいという願いが見て取れます。
ウェンディやダニーはジャックに世俗的な役割を強いるのですが、ジャックは芸術家志望であり、そんな世俗を超越したところに行きたいと願っているために、家族が邪魔になるわけです。
またウィンディはジャックの書いた文章を理解できないというのも重要なシーンでした。
彼女には芸術家としてのジャックの姿が理解できないのです。だからこそオーバールックホテルから家に帰ろうと彼に提案するわけです。それはフィクションの狂気へと身を委ねていく彼を世俗的な価値観へと引き戻そうとする行為でもあります。
2人のシャイニングの使い手
本作で未来を見通すことのできる力「シャイニング」の使い手としてダニーとハロランという2人の存在が登場します。
作中では未来を見通すことのできる力とされていますが、私はこれをフィクションないし芸術家のビジョンにアクセスできる力だと解釈しました。
まずダニーに関して彼がなぜジャックの創るフィクションにアクセスできたのかと言うと、それは彼が子供だからだという安直な推論を提示します。まだ社会的な価値観や考え方に縛られていない、柔軟な発想と思考を持っているからこそシャイニングの力を持っているのだと思います。
そうなるとハロランは子供じゃないという指摘が待っています。ただハロランというキャラクターは実は特殊な性質を持っているんです。
「シャイニング」という作品はスティーブンキング原作なんですが、彼が著した「IT」という作品に同名のコックが登場するんです。
つまりハロランというキャラクターがそもそもフィクション世界の住人であると考えられるわけです。
フィクション世界の住人だからこそジャックのヴィジョンにもアクセスできる、つまりシャイニングの力を有しているのではないかと推測したわけです。
フィクション世界に迷い込むウェンディとダニー
物語後半では、ダニーが「未来のヴィジョン」として見ていた世界にウェンディとダニーが迷い込むという展開が描かれます。
ここではもはや鏡というモチーフは登場しません。このことからも彼らがジャックが創作者として君臨する世界に飲み込まれていることが示唆されています。
有名な「REDRUM」のカット。
これが反転するということは世界が反転したということで、つまり鏡の中の世界(フィクション世界)へとダニーたちが突入したことを示しているようにも取れます。
映画「シャイニング」より引用
謎の赤い液体があふれ出てくるカット。冒頭から印象的に映し出されていたこのイメージにウェンディが実際に直面することとなります。
映画「シャイニング」より引用
ホテルの一室にいる不思議な客人。
映画「シャイニング」より引用
このように鏡が画面から排除され、それでも尚狂気的な出来事が連続するということで、本作の終盤部分は2人がジャックの創作したもう1つのオーバールックホテルのレイヤーにいることが明らかになっています。
オーバールックホテルとの連絡が途絶えるという情報も、このレイヤーが現実世界から切り離されたものであるということを示したという点で印象的でした。
映すものと写すもの、ラストシーンの意味とは?
さてここまで挙げてきた論拠を元にいよいよ本作の解説・考察の結論を出していきたいと思います。
私の映画「シャイニング」に対する視点は一貫していて、鏡の中の世界と外の世界という2つのレイヤーが存在していて、中の世界はフィクション世界でありジャックがそれを司っているという世界観であると捉えています。
そしてジャックが芸術家の狂気に飲み込まれていき、それを取り戻そうとする世俗的な価値観の象徴として妻のウェンディと息子のダニーがいるわけです。
では本作のラストシーンに意味深に映し出されたあの写真は一体何を意味するのでしょうか?というところが最大の疑問となってきますよね。
映画「シャイニング」より引用
これに関して鏡と写真というものの性質を比較すると面白いと思うんです。
鏡とは物体を映すもので、その中に映し出されたものは動的に運動することができます。
一方で写真とは物体を写すもので、その中に写し出されたものは静的にその一瞬に固定されます。
鏡というものが異世界の入り口と機能し、それを介して中と外を行き来することは可能だとすると、写真は逆その内側の世界に対象を固定し動けなくしてしまいます。
本作では徹底的に鏡というモチーフがジャックのフィクション世界のレイヤーの存在を示唆するものとして登場しました。
そして物語の終盤では鏡が無くとも奇妙な出来事が可視化されるようになり、ウェンディと息子のダニーがジャックの世界に迷い込んだことが示唆されました。そこから2人は何とかして逃亡を図るんですよね。
最終的にジャックは庭園のラビリンスに迷い込んで、凍死してしまいます。
ラビリンスというのは先ほども挙げたように本作において印象的な創作物の1つです。
つまり、このシーンというのは、ジャックが自分の創り出した世界に取り残されたことを表しているのではないでしょうか。
映画「シャイニング」より引用
またフィクション世界に影響され、それを描くために妻と息子の殺害を再現しようとするジャックは芥川龍之介の「地獄変」で描かれた絵師に重なる部分もありますよね。
そしてラストシーンです。印象的に映し出される写真は「オーバールックホテル 1921年 7月21日」のものです。「シャイニング」の舞台設定が70年代80年代ごろだったと推定するとこれはかなりの矛盾をはらんでいるものです。
この写真に映し出されているのは、いわばフィクション世界なんだと思うんです。
つまりこのラストシーンというのは、狂気の中に飲み込まれた芸術家がフィクション世界へと取り込まれ、現実世界ないし世俗的な価値観に戻れなくなったことを意味しているのではないでしょうか?
彼は写真に写し出されたことで、その向こう側のフィクション世界に固定され、その世界の住人になってしまったということです。
そう考えるとグレイディとの会話に登場したセリフや彼が息子との会話で述べたセリフの真の意味が透けて見えてきますよね。
「あなたこそここの管理人です・・・ずっと昔から。」
「できたらいつまでもここに永遠にずっと・・・。」
映し出されていたものが写し出されることで、固定化され、永遠となる。
映画「シャイニング」は創作の世界に取り込まれた1人の芸術家の物語とも言えるのではないでしょうか?
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『シャイニング』についてお話してきました。
かなり前に鑑賞して、解釈を放置してきた作品をようやく自分の中で纏めることができました。
これが答えだとは言いません。多様な解釈の内の1つだと思っていただければ幸いです。
スタンリーキューブリックが世に送り出した「シャイニング」という作品は実に多くの余白が残されていて、無限の解釈を付与できることができる作品です。
良かったら皆さまのご意見をコメント欄等で聞かせてください。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。
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映画『シャイニング』のオマージュも散りばめられた傑作ホラー映画『ゲットアウト』の解説記事も書いております。良かったらこちらも読みに来てください。
また当ブログでは同じくスタンリー・キューブリック監督の作品である『2001年宇宙の旅』の記事も扱っております。良かったら読みに来てください。
また、ジョーダン・ピール監督の最新作『アス(Us)』にも本作のオマージュが多く見られます!こちらもぜひチェックしてみてください!
はじめまして。ジローと申します。とても興味深い記事を読ませて頂き有難うございます。
ラストの写真に込められた意味に関しまして、あれはジャックが生まれ変わってることを意味しているとキューブリック自身がネタバレさせているそうです。そのため私はトイレでの会話における「ずっとこのホテルの管理人」というセリフは、彼は潜在的にホテルの所有者であり、ホテルに潜む悪しき意思=亡霊が嘗ての管理人を自分達のもとへ引き込む溜めに狂気に陥しいれたのだと思っています(冒頭でホテルのある土地は嘗てインディアンの墓地だったと語られ、登場人物の会話の根底にはそういった経緯を蔑ろにする白人至上主義的なもの含まれています。又、劇中では語られていませんが、舞台のホテルには他にも曰く付きの事件が起こっているという設定もあります)。現在の彼は小説家としては芽が出ず、アルコール中毒になってしまい己を見失ってしまいやすい状況でしたのでそれを拒めなかった。そういった意味で、鏡の向こう側に入って行ったのだと。因みに、別サイト様ではグレイディも輪廻の一環、つまり過去のジャック自身であるんだと解釈していて、それも面白いと思いました。
後、ハロランは子供の頃おばあちゃんと喋らないでも意思疎通が出来たと語っているので、つまりのところ彼のおばあちゃんも「シャイニング」使いと思われるので、一概に「シャイニン」使いは子供でなくてもよいのだと考えています(でもおばあちゃんも”ハロラン”姓かもしれませんが…)。
ジローさん長文コメントありがとうございます!!
これを書いた後にいろんな考察を読みに行ったので、ジローさんが挙げてくださったような解釈も一応は拝見しました。
かなり不明瞭に作ってある映画だからこそ、いろんな解釈ができて楽しいですよね。