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目次
はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『運び屋』についてお話していこうと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む解説・考察記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
『運び屋』
あらすじ
かつてアール・ストーンは自身でデイリリー農園を経営し、成功を収め、誰もが認める存在だった。
しかし、時代の流れと共に取り残され、12年が経過したころには農園が経営破たんし、差し押さえられてしまう。
仕事を失ったアールだったが、彼はこれまでの人生で家族よりも仕事を優先してきた背景があり、家族に頼ることはできなかった。
そんな時、孫娘ジェニーの友人から「ある場所からある場所へと運転するだけでお金がもらえる仕事」を紹介される。
孫娘の結婚式のために資金を提供する必要があった彼は、その仕事で金を手に入れ、家族との繋がりを取り戻そうとする。
深く考えることなく、言われるがままに中身の分からない荷物を運び、金を得る。
アールはそんな仕事を繰り返して、少しずつ家族、生活、友人、そして失われかけていた活力を取り戻していくこととなる。
ある日いつものように仕事をしていた際、ひょんなことから荷物の中身を見てしまったアール。
何とその中身は大量のドラッグだったのです・・・。
一方で、テキサス州にコリン・ベイツ捜査官が赴任し、麻薬捜査を担当することとなっていたのだった。
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キャスト・スタッフ
- 監督・製作:クリント・イーストウッド
- 脚本:ニック・シェンク
まず監督・製作を担当したのは映画好きなら誰もが知るクリント・イーストウッドですね。
ちなみに当ブログ管理人の2018年ベスト映画においても彼の『15時17分、パリ行き』を第2位に選出しています。
既に88歳になり、キャリアの晩年も晩年に差し掛かろうというのに、映画監督としての創作意欲は全く衰えるところを知りません。
それどころか近年は『アメリカンスナイパー』『ハドソン川の奇跡』『15時17分、パリ行き』といったこれまでのアプローチとは異なる挑戦的な作品を世に送り出し続けています。
そして今作『運び屋』は映画『グラントリノ』以来の実に10年ぶりの監督・出演作になるわけですが、これは彼の3度目の遺言映画でもあります。
彼がこれまでに公開時に俳優業を引退して監督業に専念すると語った映画はこれまでにも何度かあります。
1つには『許されざる者』そして『グラントリノ』も挙げられるでしょうか。
この2つはまさにクリント・イーストウッドの「継承」の映画でもあり、「告白」の映画でもあります。
その点で今回の『運び屋』は先述の2つと合わせて彼の人生を描いた三部作と言えるでしょうか。
そして脚本を担当したニック・シェンクですが、彼は10年前に『グラントリノ』で原案・脚本を担当した人物です。
では、ここからキャストについてのお話になります。
- クリント・イーストウッド:アール・ストーン
- ブラッドリー・クーパー:コリン・ベイツ捜査官
- ローレンス・フィッシュバーン:主任特別捜査官
- マイケル・ペーニャ:トレビノ捜査官
- ダイアン・ウィースト:メアリー
- アンディ・ガルシア:ラトン
- イグナシオ・セリッチオ:フリオ
- アリソン・イーストウッド:アイリス
優れた俳優でありながら、昨年は『アリースター誕生』にて長編映画監督を担当し、高く評価されたブラッドリー・クーパーは、名実ともにクリント・イーストウッドの後継者だと言われています。
そんな彼が今回クリント演じるアールと対峙する捜査官役として出演している点は、後ほど解説しますが、非常に意義深いものがあります。
他にも『アントマン』のチャーミングなキャラクターで注目されたマイケル・ペーニャが同じく捜査官のトレビノ役で出演している点も要注目です。
また、クリントの実の娘であるアリソン・イーストウッドが、まさしくアールの娘役で出演しているのも非常に興味深いものがあります。
より詳しい作品情報を知りたい方は映画公式サイトへどうぞ!!
『運び屋』解説・考察
クリント・イーストウッドという生き方
まずは彼の経歴をざっくりとまとめたので見ていきましょう。
1949年 | 映画監督のハワード・ホークスとジョン・フォードに出会い影響を受ける |
1951年 | アメリカ陸軍に召集されてフォート・オードに派遣される。(この時に墜落事故を経験し、生命の危機を感じたことを語っている) |
1953年 | 秘書マーガレット・ネヴィル・ジョンソンと出会い、結婚した |
1954年 | ユニバーサルと契約を結び、俳優としてのキャリアをスタートさせる(駆け出しの頃は演技が淡白であると評され、あまり高くは評価されていなかった) |
~1957年 | 映画やドラマに脇役として出演を続け、何とか生活費を稼ぎ、オーディションに挑戦する日々を続けていた |
1958年 | 西部劇ドラマ『ローハイド』に出演したことで人気に火がついた (彼は手に入れた給与ですぐに高級車を買おうとしたため、代理人のレオナルドによって預金を厳しく管理されていたなんてエピソードも存在している) |
1960年頃 | 『ローハイド』が人気を博し、多忙な日々を送っていた (共演者によるとイーストウッドは既婚女性と共にトレーラーの中に引きこもり、疲れた様子で午後の撮影に参加していたとか?) |
1963年 | セルジオ・レオーネ監督から『荒野の用心棒』出演の打診を受ける (脚本を読んだクリントは黒澤明の影響を見出し、出演を決めた。これが後にクリント・イーストウッドが黒澤明に感謝を告げるエピソードに繋がる) |
1964年 | 『夕陽のガンマン』の制作が決まり、ここでもクリントは主演を務める |
1966年 | 『続・夕陽のガンマン』の制作がスタート |
1967/68年 | 自身の映画製作会社を設立し、『奴らを高く吊るせ』を製作し、大ヒットを収め。高い評価を得た |
1970年~ | 『真昼の死闘』『戦略大作戦』『白い肌の異常な夜』などの作品にて立て続けに主演を務めた |
1970年 | イーストウッドの父が死亡し、深い悲しみを背負う |
1971年 | 彼の代表作の1つでもある『ダーティハリー』の制作がスタートする。クリントはハリー・キャラハン役で主演を務めた。 また同年に公開された『恐怖のメロディ』で初監督を務めている |
1985年 | マーガレット・ネヴィル・ジョンソンと離婚している |
1992年 | 師であるセルジオ・レオーネとドン・シーゲルに捧げた映画『許されざる者』を製作。その年のアカデミー賞で監督賞、作品賞を受賞する快挙を成し遂げた。 |
2004年 | 『ミリオンダラーベイビー』で再びアカデミー賞作品賞・監督賞を受賞した |
2008年 | 『グラントリノ』が公開され、高く評価される (この時、実質的な俳優業からの引退を示唆した。) |
ただこういった彼の経歴を見ていると、実に例の3部作が「イーストウッドの人生そのもの」ってことが分かるんですよ。
- 『許されざる者』自身を象徴する西部劇との別れと継承
- 『グラントリノ』:古き良きアメリカを背負う自分自身の人生に対する1つの解答とその継承
- 『運び屋』:自分自身の映画人生の清算とその継承
『許されざる者』が彼自身のアイコンとなっていた「西部劇」というジャンルとのある種の決別を示したジャンル映画になっていることは先ほどの年表からも伺えると思います。
その一方で、『グラントリノ』となると、映画という彼の仕事の枠組みを超えて、古き良きアメリカを背負ってきた彼自身の映画にもなっています。
そして今作『運び屋』になると、それは彼の映画の人生清算と告白、そして次の世代への敬称の物語のように思えます。
- 映画監督として成功しながら、家族との関係性は上手くいかなかった。(2度の離婚を経験している)
- 軍人の経験がある。
- 給料を手に入れると、すぐに車を買おうとした。(年代物のフォードに乗っている)
- 映画の撮影前にもハメを外すほどに女性に目がなかった。
アールは朝鮮戦争への従軍経験があり、家族との関係が上手くいっておらず、90歳近いながら女性好きで、運び屋の仕事での最初の給料で車を購入しています。
『運び屋』という作品において、90歳近いながらうきうきと旅行に行く感覚で運び屋の仕事を続けるアールは、晩年になっても生き生きと映画を撮り続ける彼自身の投影です。
そしてこの映画が描くのが、彼自身にとっての映画キャリアの終わりについてですよね。
劇中でアールは、自分のペースで気楽に撮影を進めていたわけですが、途中でカルテルの体制が変わり、納期や規則が厳格化されてしまいます。
これがどんな意味を持っていたのかというと、アールにとっての「運び屋」という行為を旅行の延長線から「仕事」へと変えてしまったということでしょう。
つまりクリント・イーストウッドにとって映画とは、仕事ではなく、自分のペースで心から楽しみながら撮るものであって、余計な支持を入れられたり、納期や規則を意識させられながら「仕事」として撮るものではないという考え方なのではないでしょうか。
だからこそアールにとっての「運び屋」が仕事になってしまった時、警察があわられ、1つの終止符が打たれます。
ここにクリント・イーストウッドという映画人生のターミナルポイントが見えますし、それこそが彼の映画人生そのものなんでしょうね。
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清算と告白の映画として
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クリント・イーストウッド監督は敬虔なキリスト教徒であり、それでいてアメリカの政治シーンにおいて比較的共和党を支持してきた人物でもあります。
それ故にか作品にキリスト教的な思想が常に見え隠れしています。昨年の『15時17分、パリ行き』にも「フランチェスコの祈り」が登場し、その思想が物語にも絡んできていた。
他にアカデミー賞作品賞を受賞した『ミリオンダラーベイビー』では、教会で牧師と安楽死について語り合いながら、最期はキリスト教の思想に反する行動を描きました。
とりわけ2008年の『グラントリノ』は印象深い内容でした。
特に終盤には、クリント・イーストウッド自ら演じる主人公は、死を前にして、自らの罪を告白し、「懺悔」しようとします。
まず彼がカトリックの神父に告げたのは、家族のことでした。家族と上手く接することができなかったことに対する罪の告白を彼は教会で為しました。
しかし、興味深いのはここで彼はカトリックの懺悔の様式には従おうとしないんです。要は「天使祝詞を10回繰り返してください」という言葉を実行しなかったのです。
さらにその後、少年タオに自らが朝鮮戦争で起こした罪の告白をします。降参しかけていた無抵抗の10代の少年を自らの意志で撃ち殺した罪を口にするのです。
そうして彼はギャングの家へと向かい、自らの死をもってタオの望んだ復讐を果たし、彼が自分と同じ過ちを犯そうとする道から救います。
その死に様が、まるで人類全体の原罪を背負って死んでいったイエス・キリストに重なるように作られているので、この映画はキリスト教に信奉的だと思われがちです。
しかし、クリント・イーストウッドにおいて「因果応報」という言葉が重要であることを理解しておくと、これがイエス・キリスト的な英雄死とは異質なものであることは分かります。
とりわけクリント・イーストウッドの俳優人生を象徴して来た「西部劇」というジャンルは極めて単純明快な勧善懲悪の世界であり、キリスト教的な世界観に裏打ちされたものだったと言えるでしょう。
その一方で彼は1992年に『許されざる者』という自らの西部劇俳優としての人生に対する懺悔の様な映画を作り上げます。
この映画においては、善と悪の境界が極めてアンビギャスに描かれていて、自分の身から出た罪や嘘が自分の身に戻ってくるという「因果応報」の世界観を構築し、そこに西部劇的なプロットを落とし込んでいます。
これまでの西部劇において、主人公が悪人を撃ち殺すシーンなんかは痛快なシーンであるように描かれてきましたが、『許されざる者』においてその爽快感はありません。
ただ「因果応報」の世界観の中で、撃ち殺す人間と撃ち殺される人間がいる。ただそれだけを丹念に描いています。
それ故に『許されざる者』のラストの「西部劇の否定」にも捉えられるセリフが、そんな残酷で悲痛な「因果応報」のループを断ち切ろうとする叫びにも聞こえます。
そしてそう考えた時に、『グラントリノ』のラストシーンがイエス・キリスト的な死ではなく、因果応報の結末であることは言うまでもありません。
彼は自らが朝鮮戦争の際に、無抵抗な少年を撃ち殺したというカルマを背負い、そして最期はその罪が自らにもどってきたというだけなのです。
ただ彼は、次の世代を生きるタオに古き良きアメリカ人が「英雄譚」として背負ってきた、人を殺したという血にまみれた勲章とその因果応報を背負わせたくなかっただけです。
クリント・イーストウッド監督は、キリスト教徒でありながら、作品の中においては、キリスト教的なモチーフをミスリード的に用いる傾向があるように思えます。
さて、長い前置きがありつつようやく本題である『運び屋』へと話を移していきます。
この映画も確かに捉え方によっては、老人が人生の最後に自らの罪を認め、告解することで赦され、救われるという正統なキリスト教的な物語として読み取れるでしょう。
しかし、私にはむしろこの映画は、キリスト教的な神による「救済」に否定的なように感じられました。
アールという男は、自分の家族を蔑ろにし、仕事に打ち込んできました。その結果、家族からは愛僧を尽かされてしまっています。加えて自身の農園が破綻すると、薬物の運び屋という犯罪に手を染めています。
加えて過去には朝鮮戦争に参加したことがあるというクリント・イーストウッド監督作品ではお馴染みの戦争という「罪・カルマ」も彼は背負っているのです。
そういう罪を背負いながら生きてきた彼が、教会に行き、神に「赦し」を乞うたところで、果たして本当にそれが真のい意味での救済になるというのでしょうか?
イーストウッド監督らしいキリスト教への疑問が本作にも反映されているのだとすると、『運び屋』という映画は自分の罪を「赦す」ことができるのは、自分だけなんだというメッセージ性を打ち出しているように感じられます。
アールは物語の終盤に仕事を遂行するのか、それとも妻の最期を看取るのかという2つの選択を突きつけられます。
そこで彼は後者を選択し、これまで家族に対して犯してきた罪のせめてもの贖罪をしようと務めました。
そして最後には自らが行ってきた麻薬の運び屋という罪に対する罰を自らの意志で受け入れます。
『グラントリノ』においては、自らが奪った命のカルマが自分のところに戻って来て、自分の命をも奪っていくというある種西部劇的チックな「因果応報」の世界観を構築していました。
一方で、『運び屋』という映画は違います。自分が犯した罪に対する罰を、自らが「生きる」という形で実行しなければならないというスタンスで描かれています。
ここに『グラントリノ』からのクリント・イーストウッド自身の心境の変化の様なものを感じることができます。
自らの死でもって「因果応報」のループを断ち切るというマッチョでキリスト教的な贖罪よりも、生きて地道に贖罪を続けるという人間らしい「赦し」への希望に彼は賭けたのではないでしょうか。
その点で、やはり『運び屋』という映画はキリスト教的でありながら、そうではないという映画に思えました。
ブラッドリー・クーパーと継承
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この映画を語っていく上で、欠かすことができないのがブラッドリー・クーパーという俳優の存在です。
昨年の終わりに日本でも公開された映画『アリースター誕生』でも監督を務めた人物なのですが、もともとあの映画の監督を務める予定だったのはクリント・イーストウッドだったんです。
それをブラッドリー・クーパーが引き継ぐ形で映画化し、そして全世界で高い評価を獲得しました。
彼は『アメリカンスナイパー』でも並外れた演技を見せ、アカデミー賞にもノミネートされました。(同じく『アリースター誕生』でもノミネートされていました。)
その一方で、今度は映画監督としても成功を収めようとしているわけです。
つまりブラッドリー・クーパーはハリウッド映画界においては、まさにクリント・イーストウッドの後継者的ポジションにいると考えられているのです。
そして『運び屋』という作品において、彼をアールと対峙することとなる捜査官の役に据えたのは、間違いなく本作が「継承」の映画であるからです。
それでいて、クリント・イーストウッドは「俺のようにはなるなよ」と彼に告げているようでもあります。
実はブラッドリー・クーパーは、2006年に女優のジェニファー・エスポジートと結婚したんですが、翌年の2007年10月には離婚してしまいました。
一方で、現在はロシア人モデルのイリーナ・シェイクと交際していて、2017年には彼女との間に子供を授かっています。
そんな彼に対して、クリント・イーストウッド演じるアールが「家族を1番にしろよ。」と言っているのは、何とも示唆的ではありませんか。
映画監督としてこれからが嘱望されている彼に対して「自分が本当に好きなことをやれ」と告げるのは、彼なりの映画監督としてのポリシーにもとれます。
彼はまさに白人の歴史を背負う映画監督として長年にわたり、第一線で活躍してきました。数々の栄光を勝ち取って来ましたが、家族とは上手くいきませんでした。
彼自身がそういう経験をしてきたからこそ、自分の「後継者」であると嘱望されるブラッドリー・クーパーに同じ過ちは犯してほしくないのでしょう。
裁く側でありかつての若かりしクリント・イーストウッドを想起させるような立ち位置のコリン・ベイツ捜査官を彼に演じさせ、そして老いた罪人である自分に引導を渡す。
クリント・イーストウッドを追いかけてきた1人として、そのバトンリレーに涙があふれて、止まりませんでした。
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おわりに
いかがだったでしょうか?
今回は映画『運び屋』についてお話してきました。
まさにクリント・イーストウッドという映画監督としての人生の集大成とも言える仕上がりでかつ『グラントリノ』からさらに進化していることに驚かされました。
この年齢になっても、まだまだ映画監督として進化し続けるバイタリティーは一体どこから湧いてくるでしょうか。
彼がこれまで問いかけ続けた「因果応報」のテーマと「告解」と「赦し」。
映画人のキャリアも、そして自身の人生も晩年に差し掛かる中で、益々彼の主題性が深化していくのも興味深いところです。
『運び屋』を見ていて、アールが逮捕され、コリン・ベイツに助言をしているシーンで、彼はもう後続に道を譲るんじゃないかな?とも思ってしまいました。
しかし、ラストシーンで彼が刑務所の中でデイリリーを栽培しているシーンで気がつきました。
ということで、次回作が作られるのであれば、楽しみに待ちたいと思います。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。