はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
みなさんは伊藤計劃という作家はご存知でしょうか?最近では彼の長編小説である「虐殺器官」や「ハーモニー」 がアニメ映画化されたことで、知名度は以前よりも上がっているように思います。
今回はそんな伊藤計劃さんの短編小説のお話になります。
良かったら最後までお付き合いください。
伊藤計劃とは?
この伊藤計劃という作家を簡単にではありますが紹介しておきたいと思います。伊藤計劃は2006年に「虐殺器官」を書きあげ、同作品で小松左京賞の最終候補に残ります。予選で全審査員から満点の評価を受けながら、最終的には受賞を逃してしまいます。その後加筆修正を経て、ハヤカワ文庫から同作品を発売し、作家デビューします。
日本SF界に革命を起こしたともいえる同作品は数々の賞を受賞します。そして2008年には自身が大ファンを自称していた小島秀夫氏の「メタルギアソリッド4」のノベライズを担当し、高い評価を獲得しました。しかし、患っていた肺がんが悪化し、2009年3月に亡くなってしまいます。同年12月に発売となった「ハーモニー」が彼の最後の長編小説となりました。
今回紹介するのは、そんな彼が著した短編を収録した短編集「The Indifference Engine」に収録されている「セカイ、蛮族、ぼく」という短編に関してです。この短編集には、「虐殺器官」のスピンオフとなる「The Indifference Engine」、小島秀夫氏の「スナッチャー」から着想を得たという「虐殺器官」の原型となる「Heavenscape」、メタルギアソリッド3のその後の世界を描く「フォックスの葬送」そして彼が最後に残した「屍者の帝国」の序文などが収録されています。
そんな名だたる短編が1冊に収録された何とも豪華な短編集なのですが、私が一際惹かれたのは、わずか7ページの短編である「セカイ、蛮族、ぼく」という小説だったのです。
『セカイ、蛮族。ぼく」の解説と考察
なぜ、このわずか7ページの短編にこれほど惹きつけられたのか?それはこの凄まじいまでに衝撃的な書き出し3行ゆえです。
「『遅刻遅刻遅刻ぅ~』
と甲高い声で叫ぶその口で同時に食パンをくわえた器用な女の子が、勢い良く曲り角から
飛び出してきてぼくに激しくぶつかって転倒したので犯した。」
(「The Indifference Engine」収録「セカイ、蛮族、ぼく」伊藤計劃 早川書房 より引用)
この書き出しのあまりの衝撃の大きさゆえに私は自分の目を疑いました。シチュエーション自体は日本のマンガ作品によくあるボーイミーツガールもののステレオタイプともいえるものです。しかし、よくよく考えると可笑しいですよね。そうです。「犯した」の部分ですよね。日本ボーイミーツガールものの古典がわずか3文字で完全に覆されているのです。
その理由がそれに続く文章で述べられています。
「それはぼくが蛮族だからだ。」
(「The Indifference Engine」収録「セカイ、蛮族、ぼく」伊藤計劃 早川書房 より引用)
そして別の表現でこうも書かれています。
「ぼくはマルコマンニ人だ。」
(「The Indifference Engine」収録「セカイ、蛮族、ぼく」伊藤計劃 早川書房 より引用)
「マルコマンニ人」という表現が非常に卑猥に聞こえてくるという点はさておきましょう(笑)。「ぼく」は自分が蛮族だから、曲がり角でぶつかった女の子を犯したのだと述べているんですね。彼が述べているこの理由は、納得できるようで、納得できない部分がありますよね。それは自分の価値観では、物差しでは全く推し量ることのできない領域で起こっている事案なんですね。
そして、その後の文章を読むと、ますますこの理由への疑問が募ってきます。
「父さんはそういってガハハと下品な笑い声をあげる。ぼくの気持ちにはおかまいなしだーマルコマンニに生まれてきたことを心の底から嫌悪している、このぼくの心には。」
(「The Indifference Engine」収録「セカイ、蛮族、ぼく」伊藤計劃 早川書房 より引用)
この一節を読むと、彼が自分が蛮族であることを、父親を通して、嫌悪しているということが明確にわかります。つまり彼は自分の蛮族の血を心から嫌悪しているわけですね。
では、なぜ曲がり角でぶつかった女の子を犯すという、蛮族的な行為を働いたのでしょうか?謎が深まりますよね。
そして彼は、学校での給食の時間に、蛮族たる食事として生肉を教室の端で頬張ります。そんな彼の下にクラスの委員長の女の子が、マンガに登場しそうな典型的なツンデレ調のセリフと共に彼に「文明的」なお弁当を提供しようとします。そして彼はそれに対して次のような行動をとります。
「やれやれ。僕は強姦した。委員長の言葉と来たら、いちいち蛮族のぼくをいらいらさせる。泣き叫ぶ委員長の服を引き裂きながら、ぼくは黙々と自分の種族の血に従う。」
(「The Indifference Engine」収録「セカイ、蛮族、ぼく」伊藤計劃 早川書房 より引用)
また、女性を犯してしまう「ぼく」ですが、彼はあくまで蛮族というものに反抗的で嫌悪感を抱いているということを鑑みると全く理解の範疇を超えた行動ですよね。自分は蛮族を嫌悪しているのに、自ら蛮族的な行動をとっているわけですから矛盾そのものであるわけです。
物語は、マルコマンニ人に和平を申し入れてきた文明人の象徴たるローマ人を父が殺害し、宣戦布告をしたところで幕切れます。「ぼく」は蛮族として戦わざるを得ないという宿命を背負うわけであります。そして終盤に非常に重要な一節が登場します。
「セカイは、ぼくを、ぼくがそうありたいようには決してさせてくれない。」
(「The Indifference Engine」収録「セカイ、蛮族、ぼく」伊藤計劃 早川書房 より引用)
ここに彼が蛮族を嫌悪しながらも、蛮族として生きざるを得ない理由が詰まっているのです。
彼が女の子を犯し、生肉を頬張るのは、その生き方しか知らないからなのです。蛮族に反抗しようとしているのに、蛮族的な行動をとってしまうのは、「ぼく」の中に「文明」が存在しないからなのです。「下品」を嫌悪しているのに、「下品」な行動しか取れないのは、「ぼく」の中に「品」という概念そのものが備わっていないからなのです。
それゆえに、作中における「ぼく」の行動と感情の不一致を、「文明」的で「品」を備えた我々の価値観で推し量ろうとすると、それはもう矛盾でしかないわけです。しかし、彼にそもそも「文明」も「品」も備わっていないのだとしたら、この行動には何の矛盾も生じないわけです。彼は自分の血に従って生きているに過ぎないのです。
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関連作品として考えられる「ある子供」
この短編を読んだとき、私はとある映画を思い出しました。フランスの映画作品で、ャン=ピエール・ダルデンヌとリュック・ダルデンヌの兄弟が監督を務めた「ある子供」という2005年の映画作品です。この作品は第58回カンヌ映画祭でパルム・ドール賞を受賞している作品ですのでご存知の方もいらっしゃると思います。
(映画「ある子供」より引用)
簡単なあらすじを紹介しておきます。主人公は20歳の青年ブリュノと18歳の少女ソニアのカップルです。彼らは、生活保護とブリュノの窃盗で得たお金で生計を立てていました。しかし、2人の間に子供ができたことを機に、ソニアはブリュノに対して、窃盗から足を洗って定職に就くようにと、仕事を紹介するのですが、ブリュノはそれを断り、窃盗を続けます。金の工面に困ったブリュノは、お金と引き換えにして、子供を養子として売り飛ばしてしまいます。ソニアは怒り狂って、ブリュノを家から追い出します。
この映画を初めて見たときの私は、主人公のブリュノの行動が全く理解できませんでしたし、何とも許すことができませんでした。それはまさしく彼が、私の価値観では推し量れない、私の理解の範疇を超えた存在だったからでしょう。
しかし、2回目を見てみたときに、この映画が、ブリュノの行動が少し違って見えました。なぜ、彼が窃盗で生計を立てることを気にも留めないのか?なぜ自分の子供を金目当てに売り飛ばすなんてことができてしまうのか?それは彼には我々が一般的に備えている「道徳観」や「倫理観」というものが備わっていないのではないかと思ったわけです。
そう考える、彼の行動には何の矛盾もないわけです。彼の犯した「非倫理的」な行動は、彼にとっては何の問題もないごく当たり前の行動でなのです。
つまり、彼にはこういう生き方しかできない。道徳や倫理という概念そのものを持ち合わせてないがゆえに道徳的、倫理的な生き方をすることができないないしそんな生き方を知らないのです。
その点で、自身の生き方に何の疑問も抱いていないジャンヌと自身の生き方に嫌悪感を抱いている「ぼく」と微細な差異はあれど、彼ら2人は非常に類似した存在であるわけです。
彼らはそうとしか生きることができない人種なのです。
この考え方は伊藤計劃の同短編集に収録されている「The Indifference Engine」に登場する主人公の少年兵にも当てはめることができます。
映画作品や文学作品を鑑賞する際に、登場人物の行動原理が理解できない、行動が許せないということがあると思います。しかし、それは我々が、自分の価値観や道徳観に縛られているがゆえに生じる矛盾であったり怒りであったりという場合も考えられるわけです。そのため、そういう場合には一旦、我々は自分の物差しや尺度を捨てたうえで、登場人物の行動を精査してみる必要があるのです。そうすることで、それまで見えなかった何かが見えてくるかもしれないのです。
おわりに
映画や文学作品、その他の芸術を鑑賞する際に知っておくと面白い見方を、伊藤計劃氏の7ページあまりの短編から改めて教えられたように感じたので、今回記事にしてみました。
この短編集をお勧めさせていただくとともに、ぜひ映画「ある子供」もチェックしてみてください。
また当ブログでは映画『虐殺器官』の考察記事も書いております。そちらの方も良かったらチェックしてみてください。
加えて当ブログ管理人が今まで出会った数々の書籍の中で最も印象深い10冊をご紹介した記事も書きました。こちらも併せてお楽しみいただけたらと思います。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。
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