みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『PとJK』についてお話していきます。
自分で言うのもあれですが、本当にしょうもないです!!
「解説」の章から読んでいただいて大丈夫です!!
目次
イントロ
さて本日はですね 、3月25日から公開の映画「PとJK」についての感想と解説を書いていきたいと思うわけですね。
もうね~僕はがっかりですよ!!がっかりしました!!心の底から失望しましたよ!!
え??そんなに映画がひどかったのかって??
そうじゃない・・・・そうじゃないんですよっっっっ!!!!
僕は普段こういったいわゆる「ティーン向けの恋愛映画」を劇場で見ることがあまりないんですね。というのもあって今回はすごく期待して見に行ったわけですよ!!
何を期待してたのかって??
決まってるじゃないですか!!JKいっぱいの映画館で映画を見ることに決まってるじゃないですか!!(最低)
この手の映画を初日に見に行けば、まあ間違いなく座席を若い女の子たちが埋め尽くしているわけですよ!!
それが楽しみで見に行ったのに、全然若い女の子というかJKがいなかったんだけど!!
どういう事なの??
正直、期待値的には、映画本編:劇場のJK=3:7くらいだったんだけども??(笑)
こんなことを嘆いても仕方がないので、一応ちゃんと見に行った証拠にチケットの画像も挙げておきますね~!!
んん??ちょっと待ってよ・・・。20時50分スタート。
つまり上映終了時刻は23:00過ぎごろ。あれあれ??
大阪府の条例により、18歳未満の方は22:00以降に終了する回にはご入場いただけません。
また、16歳未満の方で保護者同伴でない場合は、19:00以降に終了する回にはご入場いただけません。
映画館の注意事項にこんなのがあったような気がするぞ・・・。
つまるところ、レイトショーにJKがいるわけないじゃん!!!(笑)
なんという、大失態!!!
自分としたことが、大きなミステイクを犯してしまったようだ・・・。
なんで・・・なんで、せっかくの大チャンスにこんな初歩的なミスに気付かなかったんだろうか??
このタイプの映画を普段見ないから、チケット買うときもすごく緊張したんですよ!!!
劇場まで行って、その劇場に無人券売機がないことが分かって、有人カウンターで買わなきゃならないと分かったときの圧倒的絶望感!!(笑)
しかもその有人カウンターを見ると、スタッフが全員女性!!!
カウンターに立っている女性が超大型巨人に見えましたよ・・・(笑)
©諫山創・講談社 「進撃の巨人」第1巻より引用
公開初日に「PとJK」を1人で見に行くような僕は、もう緊張でおかしくなりそうでしたよ。
ああ、ここで「キングコングのチケットください。」って言えるなら、どれだけ気が楽か・・・。
でも、今日は「PとJK」を見るんだ!!と気を奮い立たせていざ有人チケットカウンターへ!!
しかし、緊張のせいか、上手く言葉が出てこない・・・。そしてようやく口から絞り出した言葉は・・・。
「ぴ、ぴ、ぴーとじぇじぇじぇーけーのチケットください・・・。」
警察が3人くらいいるし、驚いたり感動したりした時に用いられる岩手県の方言が飛び出すし・・・。
「じぇじぇじぇ。」「じぇじぇじぇ。」
ただのコミュ障じゃねえかぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!
激しい自己嫌悪に襲われながら、何とかチケットを購入し、座席に・・・。
スクリーン内を見回すと、2人組・4人組の方が大半でした。僕は1人で気が引けたので、前方の席でポツンと座っていました。
すると、僕の右方に男性のお一人様が!!謎の親近感を感じましたよ(笑)。
心の中で、「俺はお前の仲間だからな!!」と謎の連帯感を感じてましたから!!まあ相手方がどのように感じていたのかは知る余地もありませんが・・・。
先ほど、映画本編:劇場のJK=3:7くらいの期待値だったと言いましたね。
レイトショーをチョイスした時点で僕の楽しみは70%カットされてしまったわけですよ!!(笑)
でもね。映画本編が最高すぎましたよ!!最高すぎました!!映画本編が失われた70%をきっちりと埋めてくれました。
暫定ではありますが、今年ナンバー1のダークホース映画だったと思います。
素晴らしかった。素晴らしかったです。
「JKと結婚したくなる映画オブ・ザ・イヤー」を受賞する勢いの映画でした!!
映画『PとJK』
あらすじ・概要
亀梨和也と土屋太鳳が共演し、廣木隆一監督のメガホンにより、三次マキ原作の同名コミックを映画化。
警察官(P=POLICE)と女子高生(JK)による秘密の年の差結婚を描いたラブストーリー。警察官の功太は合コンで大学生のカコと出会い、2人は惹かれあう。
しかし、大学生だと思っていたカコが実は女子高生だと知り、功太はカコを冷たくあしらう。
互いの気持ちに気づきながら、警察官という立場から女子高生とは付き合えないと自制していた功太だったが、カコの一途な思いを知り、彼女と正々堂々と一緒にいられるようにと、カコへ「結婚しよう」とプロポーズをする。
(映画com.より引用)
略感
まず、鑑賞前、僕はこの作品に対してただの「ティーン向け恋愛映画」以上のイメージを持っておりませんでした。
しかしですよ。映画を見終えた今、確信を持って言えます!!
この映画は、ただの「ティーン向け恋愛映画」なんかじゃないぞ!!
大切なことなのでもう一度言っておきます。
「PとJK」はただの「ティーン向け恋愛映画」なんかじゃないぞ!!
そうなんですよ。この映画、恋愛描写がすごく抑えめなんです。だから、そういう描写を期待して見に来られた方には幾分物足りない映画に仕上がっていたかもしれません。
この映画って実は大人向けなんじゃないかなあとすごく感じたんですね。
今回の記事では、その点に関して解説をしていきたいなあと考えております!!
映画『PとJK』感想・解説:これはただのティーン向け恋愛映画じゃない!
本作はですね、「PとJK」なんてタイトルではありますが、「功太」、「歌子」そして「大神」の3人の物語であります。
今回はそんな3人のキャラクターに焦点を当てて、解説したいと思います。
「功太」の葛藤について
みなさんは、「将来の夢は何ですか?」と聞かれたら、何と答えますか?または何と答えていましたか?
この質問に対して、日本人は「職業」や「肩書き」を返すことが多いと思うんですね。
これは私自身もそうでした。
しかしですね、この質問を私が留学生の友人にしてみると、全く違った答えが返ってくるんですよ。
彼らは「どう生きていきたいか」や「単純に何をしてみたいか」といったことを「将来の夢」として挙げる傾向にあります。
つまり、日本人にとって、「職業」や「肩書き」というものは「自分」を構成する要素の中でも非常に大きなウエイトを占めているんですね。
まず、功太と歌子の関係性における功太の物語を語るなれば、この部分が大きな課題として描かれています。
©2017「PとJK」製作委員会 「PとJK」予告編より引用
本作における功太は、すごく「警察官」という職業に囚われたキャラクターとして登場するんですね。
まず、なぜこうなったのか?ということですが、彼は高校生時代に非常に反社会的な行動を取っていました。
それは、「自分」というものが見つけられず、一人苦悩していた時期でもありました。そんな時に、自分の目の前で「警察官」である父親が殉死してしまいました。
これが彼の「警察官」になるきっかけになったのです。
何もなかった功太は、父親の死を契機に、「大切な人を命を賭して守りたい」という強い思いをもって「警察官」になろうと決意したのです。
ゆえに、彼には「警察官」以外の自分というものが分からないんですね。
確固たる「自分」を見いだせないままに、「警察官」という職業が肩書きが「自分」なんだと錯覚してしまったわけです。
だからこそ功太は、妻である歌子に対してあくまで「警察官」と「女子高生」という立場で接してしまうんですよ。
彼は、歌子に防犯ブザーをプレゼントしたり、法律に則るために歌子に対して結婚というアプローチをかけたり、何より「命を賭しても守るというスタンス」を終始貫いているんですね。
しかし、そんな彼は歌子と関わっていく中で、その課題に嫌でも直面することになります。
「警察官じゃない功太君はどこにいるの?」
彼の言動というものは、常に「警察官として」という枕詞がついているんですね。だからこそ結婚して、「夫」としての側面が見えない功太に対して歌子は不満を募らせてしまうのです。
そんな彼に影響を与えたのは2人の父親でした。それは歌子の父親とそして亡くなった自分の父親です。
功太は先ほども言いましたが、「警察官として命を賭して歌子を守る」というスタンスが非常に強いんですね。
それはあくまで「力」でもって彼女を守るということです。
しかし、歌子の父親は功太に対して結婚を認める際に言いました。
「こんな俺でも家族を、歌子を守ってきたんだ。」と。
弱くてとても痛いとまでは至らないようなパンチ。歌子の父親と功太にとって「守る」という言葉の意味が大きく異なることが明確に示されたシーンでもありました。
そして物語の終盤、彼は自宅で柱につけられた、身長を示す線を見つけます。
そこに見た父親の姿。そして父親の葬儀の日を思い出します。父親を失ったことで功太は、そして家族は計り知れない悲しみを背負いました。
父親と上手く関係を築けなかった自分、「警察官」として以外の父親の側面を見てこなかった自分。父が死んで初めて、父親ともっと話したかったなあと後悔したわけです。
そして、そんな回想を経て、柱に刻まれた父の文字を再び見た時、自分が目を背けてきただけで、父親が「警察官」としてだけでなく、家族を支える「父親」としても生きていたということを初めて理解するんですね。
2人の「父親」の生き方に、功太は大きく影響されることになります。
確かに純粋に「警察官」としての使命を考えるならば、命を賭して誰かを守るという姿勢は間違っていないのかもしれません。
しかし、彼は歌子の夫としても生きていかなければならないのです。
だからこそ「死ぬ覚悟」を持つことが「守る」ということにはなりません。
彼は歌子のために「生きる覚悟」を持たなければならないのです。
そんな「警察官」として、そして歌子という女性と一緒に生きていく1人の人間としてどう生きていくのか?という彼の思いが、防災教室での彼の言葉に反映されていました。
「宇宙兄弟」というマンガにこんなセリフがあったのをふと思い出しましたよ。
BJ「『死ぬ覚悟』ってある?」
吾妻「…ブライアン、宇宙飛行士としてプライドの無い答えかもしれないけど、死ぬ覚悟はありません。考えるなら生きる事を考えます」
BJ「そうか。それでいぞアズマ。たいていの宇宙飛行士はYESと答えるけどな、口では何とでも言える。薄っぺらいYESだ。死ぬ覚悟なんていらねえぞ。必要なのは『生きる覚悟』だ。NOと言える奴がいたら、そいつは信じていい」
(「宇宙兄弟」第27話より)
つまり、「警察官」も「自分」ではあるんですが、それは自分の一側面に過ぎないんですね。
大切なことはそれを自分の一部分だと受け入れて、その上で「自分」としてどう生きるか?ということなんですよ。
そして、本作における功太は「警察官」としての自分と、「歌子の夫」としての自分との均衡点に自分の生き方を見出したのです。
ラストシーンでは功太は警察の制服を着て、歌子と学校を歩いていき、最後にはハネムーン仕様にアレンジされたパトカーに乗り込みます。
ミュージカルのシーンは言わば、作中でのフィクションです。
だから功太と歌子の願望の表出が現れたシーンと考える事ができます。
これはまさしく、功太自身が「警察官」という肩書きを自分の一部として受け入れて、その上で「自分」としてどう生きたいかを見出したということを象徴的に描き出したシーンだったと捉える事ができるのです。
歌子の願望とその打破に見る「少女漫画的王子様」の否定
次に解説していきたいのは、「功太」と「歌子」の関係における「歌子」の物語についてです。
彼女の物語を解説するにあたって注目したいのは、「少女漫画的王子様」の否定ということですね。
©2017「PとJK」製作委員会 「PとJK」予告編より引用
「歌子」と言うキャラクターはすごく「王子様」への憧れが強い、典型的な少女漫画的ヒロインです。
だからこそ、自分を不良たちから守ってくれた功太に憧れと恋心を抱くわけです。
つまり、歌子はそれこそ功太に対して、「どんな時も自分を守ってくれるヒーロー」という印象を持っているんですよ。
歌子が功太の警察の制服を抱きしめるシーンがありましたよね。
あのシーンは個人的にすごく歌子が持っている功太への思いを象徴しているシーンだなと感じました。
歌子は功太と言うよりも、「自分を守ってくれる王子様」に恋をしているということが象徴的に示されていたと思います。
©2017「PとJK」製作委員会 「PとJK」予告編より引用
しかし、功太が自分を守ろうとして、命の危険にさらされたとき、初めて歌子は、そんな「少女漫画的ヒロイン」の立ち位置から解き放たれるんですね。そのため一度は功太を遠ざけてしまいます。
そして、歌子は高校の防災教室で功太の思いを聞きます。
「大切な人と一緒に生きていくことが、守るってことなんだ。」と。
ここで歌子は、自分が功太に求めてきた「少女漫画的王子様」の偶像を取り払い、一緒に生きていくパートナーとして功太を見る事ができるようになるんですね。
本作「PとJK」は確かに、少女漫画作品なんですが、この映画版を見ると、ある意味では「少女漫画」のステレオタイプに対するアンチテーゼのような内容だと感じました。
「功太」と「歌子」の物語に関する解説を締めくくるならば、これは異なる年齢、異なる職業、異なる生い立ち、全く違う立場に生きる1組の男女が、いや1組の夫婦が「夫婦」というものに対する価値観をすり合わせていく物語だったというわけです。
個人的に男女が「愛」の重みをすり合わせていくという点で「存在の耐えられない軽さ」なんて映画に通ずる部分も感じました。
「未来」の自分から「過去」の自分へ贈る
本作において、「功太」と「大神」は当初、対照的なキャラクターとして描かれています。
前者はまじめな警察官、後者は不良の高校生です。しかし、物語が進むにつれて、功太は高校生時代、大神と同じような不良青年だったことが分かります。
しかし、先ほどから何度も書いてきたように、功太は「警察官」としての生き方しか知らないんですね。だからこそ、功太は大神とあくまで「警察官」と「非行少年」という構図でしか接しようとしないのです。
功太は、歌子や2人の父親の影響を受けて、徐々に「自分」としての生き方を見出していきます。
そして、「警察官」としてではなく、大神を見守る1人の人間として、もっと言うなれば大神の「父親」として接するようになっていきます。
そして、物語の終盤に、功太は引っ越していく大神に声をかけます。
「君はなんにでもなれる。」
この言葉は、功太から大神への言葉であることに間違いはないのですが、それ以上に今の功太から高校時代の功太への言葉でもあったわけです。
功太は、父親が死んで一人孤独に戦ってきました。
しかし、歌子に出会って、自分を支えてくれる人に出会って初めて、誰かと共に生きていくことの尊さと心強さを知ったのです。
だからこそ、同じような境遇にあった自分だからこそ大神にしてあげられることがある、それを知った今だからこそ、過去の自分に言ってあげられることがあるのです。
このセリフは功太が「父親」として大神にかけた言葉のようであり、一方で、功太が自分の父親からかけてもらいたかった言葉だったんじゃないかなとも思いました。
シュガーソングとビターステップ
「シュガーソングとビターステップ」は学園祭のシーンで吹奏楽部が演奏していた曲目ですね。
この曲にすごく印象的な歌詞があるんですよ。
ママレード&シュガーソング、ピーナッツ&ビターステップ
甘くて苦くて目が回りそうです
(「シュガーソングとビターステップ」より)
ここの歌詞は個人的に「青春」そのものだななんて思うんですよ。
目が回るほどに目まぐるしく過ぎていく毎日、嬉しい、楽しい経験もあれば、辛い、悲しい経験もある。それらをすべてひっくるめて「青春」って言葉が成立しうるんだと個人的には考えています。
本作に登場する大神というキャラクターは、家庭の事情があってひたすらに孤独で、辛くて、悲しい青春時代を送っているわけです。
しかし歌子をはじめとするクラスメイトはそんな大神を優しく受け入れようとしてくれます。そんな彼を支えようとしてくれます。
©2017「PとJK」製作委員会 「PとJK」予告編より引用
どんなに辛くても、悲しくても、顔を上げれば仲間がいるんだって、支えてくれる人がいるんだって気づいてほしい。そんなメッセージが大神を巡るドラマに込められているように感じました。
人生はまさに「シュガーソングとビターステップ」なんですね。
酸いも甘いも受け入れて生きていかなければならない。
でも、どんなに辛いことがあっても顔を上げたら、そこには支えてくれる人がいる。どこかありふれていて、でも今を生きる我々にすごく突き刺さるメッセージだと思います。
このメッセージ性は先日公開された市井昌秀監督の映画「ハルチカ」に近いものを感じましたね。
ラストシーンを解説
本作のタイトルは「PとJK」でしたよね。
これがどういう意味かと言うと、それはもう読んで字のごとくで「P(警察官)とJK(女子高生)」です。
1つ気づいたことがあるのですが、本作の「PとJK」というタイトルロゴは本編の最後に登場しましたよね。
そう考えた時に「PとJK」っていうタイトルはもっと何か意味があるものなのではないかと思ったわけです。
そこで注目したのが、ラストシーンであるわけです。学校の講堂で抱きしめ合う警察の制服姿の功太と高校の制服姿の歌子。
確かに「PとJK」ですよ。
なるほど!だからタイトルロゴをラストシーンに持ってきたのか!!と安易な納得は少し待ってほしいのです。
©2017「PとJK」製作委員会 「PとJK」予告編より引用
この二人の関係性がただの「PとJK」だったのはむしろ本編の序盤から中盤にかけてではなかったでしょうか?
結婚して夫婦になったにもかかわらず、あくまで「警察官」として「女子高生」に接する功太。
「自分を守ってくれるヒーロー」に「少女漫画的女子高生ヒロイン」として憧れる歌子。
2人は夫婦になったのに「PとJK」という関係性でしかなかったんですね。
しかし、数々の困難を経て、あのラストシーンに辿りつくわけです。
学校で抱きしめ合うのは「警察官」である功太にとってても、「女子高生」である歌子にとっても間違いなくタブーなわけです。
だから構図としては確かに「PとJK」ではあるのですが、このシーンは、功太と歌子が「PとJK」という関係性を乗り越えたからこそ実現したものであると捉える事ができるのです。
だからこそ、確かに「PとJK」だけどあの2人の関係性はもう「PとJK」なんかじゃないんだよってことをラストシーンで言いたかったのだと思うし、何よりラストシーンにタイトルロゴを持ってきた意味もここにあると思います。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『PとJK』についてお話してきました。
ちょっと語りたいことがあまりにも多すぎて全然まとまりきらなかったことをここにお詫び申し上げます。
「ティーン向け恋愛映画」と切り捨ててしまうにはあまりにももったいない素晴らしい作品だったように感じました。
ターゲットマーケットにこの作品のメッセージが刺さるのかどうかは分かりませんし、個人的にはむしろ大人の男性なんかに見てもらいたい作品だなあと感じました。
今回も読んでくださった方ありがとうございます。