はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
さて、いよいよ4月1日から映画「暗黒女子」が公開されますね。
私は、まだ映画版は見ていない状態でして、原作とYouTubeにアップされている本編冒頭13分映像のみを鑑賞して、今回の記事を書いております。映画版の本編に関しましては、公開され次第見に行ってこようと思います。
良かったら最後までお付き合いください。
あらすじ・概要
秋吉理香子の同名ミステリー小説を、NHK連続テレビ小説「まれ」の清水富美加と「MARS ただ、君を愛してる」の飯豊まりえのダブル主演で実写映画化。聖母マリア女子高等学院で、経営者の娘にして全校生徒の憧れの存在である白石いつみが、校舎の屋上から謎の転落死を遂げた。彼女の手には、なぜかすずらんの花が握られていた。真相が謎に包まれる中、いつみが主宰していた文学サークルの誰かが彼女を殺したという噂が流れる。いつみから文学サークルの会長を引き継いだ親友の澄川小百合は、「白石いつみの死」をテーマに部員たちが書いた物語を朗読する定例会を開催。部員たちはそれぞれ「犯人」を告発する作品を発表していくが……。「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」など数々のヒットアニメを手がけた岡田麿里が実写映画の脚本を初めて担当し、「百瀬、こっちを向いて。」の耶雲哉治監督がメガホンをとった。
(映画com.より引用)
キャスト・スタッフをご紹介!
主演:清水富美加(澄川小百合)
まず主演の清水富美加さんは、先日の事務所退所&出家騒動で話題になりましたね。しかし、冒頭13分映像を見る限りでも、その演技力は言うまでもなく素晴らしいものでありましたし、騒動の事は一旦頭の片隅に追いやって、純粋に彼女の演技を評価するべきだと感じました。
・主演:飯豊まりえ(白石いつみ)
もう一人の主演は「MARS ただ、君を愛してる」や「きょうのキラ君」といった作品でヒロイン役を演じた飯豊まりえさんですね。白石いつみという本作の核となるキャラクターを演じるため、いつも以上に演技力が求められる役どころだと思います。彼女が女優として今後どう成長していけるかの試金石ともいえる今回の配役ではないでしょうか。
監督:耶雲哉治
本作の監督である耶雲監督は「百瀬、こっちを向いて。」でメガホンを取ったことでも知られています。ドロドロとしたプロットにもかかわらず、キラキラとした透明感のある画面作りが印象的でした。本作はそんなキラキラや透明感とは全く逆のものが求められる一方で、白石いつみという本作の中核的キャラクターを描く上で彼のそんな手腕が発揮されるのではないかと期待しております。
脚本:岡田磨里
岡田磨里さんはアニメの脚本家としてよく知られていますね。彼女の書く脚本はすごく女性の陰湿な部分や繊細な感情を描くことに長けた方なので、今回の抜擢はすごく良かったと思います。「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」や「心が叫びたがってるんだ」などの脚本としても知られています。
原作:「暗黒少女」秋吉理香子
この原作は、しばしば「イヤミス」なんて呼ばれていますが、「イヤミス」というのは「読んで嫌な気持ちになるミステリー」のことですね。この原作は、確かに最高に後味が悪いです。読んだ後にすごく酷い気分になります。嫌な気持ちだなんて生易しいものではありません。個人的には貴志祐介さんの「クリムゾンの迷宮」を読んでいるときと同じ気分でしたね。ミステリーと言うよりも、もはやホラーですね。
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キャラクター整理
ここから、キャラクターの整理をしていくのですが、原作では登場する古賀園子というキャラクターがおそらく映画版には登場しません。尺の都合でカットになったものと思われますが、ここではあえて紹介させていただきます。
また、冒頭13分映像を見ると、美礼の朗読小説のタイトルが「太陽のような人」に改編されていたため、他のキャラクターの朗読小説のタイトルも変更されている可能性が高いです。 また美礼のエピソードで原作には登場しない谷崎潤一郎の「癇癪老人日記」が登場してました。老人の性について描いた文学作品ですが、これを取り入れた真意に関してはちょっとはかりかねます。
また、キャラクター整理はメインキャラクターからではなくて、本編の小説の朗読順で紹介していきます。
二谷美礼
©2017「暗黒女子」製作委員会 「暗黒女子」冒頭13分映像より引用
・朗読作品:「居場所」
・学年:高等部1年生
・趣味:読書
・文学サロン入部の経緯:母子家庭で家計が苦しかったが、聖母女学院に憧れ、必死に勉強して学年に一人の特待生枠を獲得して入学するも、校風になじめず、自分の居場所が見つけられない。そんな時にいつみに声をかけられて、趣味が読書だったことといつみに惹かれたこともあって入部を決意した。
・疑っている人物:古賀園子
家計が苦しいため、校則でアルバイト禁止にもかかわらずアルバイトをしていたところを、いつみに気づかれて彼女から弟の家庭教師のバイトを頼まれる。そしていつみの邸宅に出入りしていた時に、偶然いつみと父親の口論を目撃してしまった。
後日、いつみに問いただすと、どうやら園子と学園の理事長である父親が不倫関係にあるということだった。そのことで悩んでいた故にいつみを殺したのが園子であることは自明であり、いつみが手に持っていたすずらんは園子が使っていた香水のことを示していると主張している。
(映画版では父親を誘惑していたのが、園子から志夜になっていると思われます。)
・すずらんのアイテム:バレッタ(髪飾り)
・いつみに握られていた秘密:不特定多数の男性との援助交際
・いつみへの反抗余地:いつみの邸宅に出入りできた
小南あかね
©2017「暗黒女子」製作委員会 「暗黒女子」冒頭13分映像より引用
・朗読作品:「マカロナージュ」
・学年:高等部2年生
・趣味:料理・お菓子作り
・文学サロン入部の経緯:両親が料亭「こみなみ」を経営していて、その影響で料理が好きになったが、両親は料理に不誠実な兄を後継者に据えると決めており、自分を相手にしてくれないことに不満を抱えていた。そんな時父の知り合いが店舗跡地を譲ってくれるという話が浮上し、そこであかねがオーナーをさせてもらえることになる。しかし、ある日両親の料亭が放火事件にあい、その話は白紙になってしまった。そんな時にいつみに声をかけられて、サロンのキッチンに魅せられ入部を決意した。
・疑っている人物:二谷美礼
いつみは、美礼が家庭教師として無理矢理邸宅に押しかけ、挙句の果てには美礼が金品を盗難しているとあかねに相談を持ち掛けた。そして、ある日いつみが大切にしていたバレッタ(髪飾り)を盗まれたと耳にする。いつみは美礼と放課後にテラスで相談するとだけ言い残し、そのまま転落してしまったということだ。
・すずらんのアイテム:すずらんの形をしたあざ
・いつみに握られていた秘密:料亭に放火した犯人が自分であること
・いつみへの反抗余地:いつみの手帳を拾ったこと・いつみの食の変化に気がついたこと
ディアナ・デチェヴァ
©2017「暗黒女子」製作委員会 「暗黒女子」冒頭13分映像より引用
・朗読作品:「春のバルカン」
・学年:ブルガリアからの留学生
・趣味:日本語の勉強
・文学サロン入部の経緯:姉のエマが行っていたホームステイプログラムで、日本からいつみがブルガリアに2週間滞在していて、その時にいつみに惹かれた。そして、その2年後にいつみから聖母女学院への留学の声がかかるが、自身の足の障害のこともあり、姉のエマに留学を譲るも、姉が仕事中に要塞跡から転落し留学を断念せざるを得ない状況になってしまう。その代わりとして日本に留学し、いつみに日本語の勉強も兼ねてと文学サロンへの入部を勧められる。
・疑っている人物:高岡志夜
いつみがブルガリアに2回目のホームステイのためにやって来た時に、志夜が同行してきた。彼女はブルガリアの名所や遺跡に何の興味も示さず、その上いつみに対して日常的に陰湿な嫌がらせを繰り返していた。そして時には殺意すら感じるほどであったという。志夜は自分が著した「君影草」という小説をいつみに批判されることに非常に腹を立てており、そのことでイースターの祝祭の時に口論になっているところをディアナは偶然目撃した。そのことから志夜に疑いをかけている。
・すずらんのアイテム:故郷の村の花がすずらん(学校の花壇に植えていた)
・いつみに握られていた秘密:自分が留学に行くために姉のエマを要塞跡から突き落としたこと
・いつみへの反抗余地:いつみと北条先生の関係を知っていた?(北条先生がブルガリアに同行していたため)・いつみの身体的変化に気づいていた
古賀園子
(おそらく映画版に登場しません)
・朗読作品:「ラミアーの宴」
・学年:高等部3年
・目標:学校推薦を勝ち取り医学部へ入学すること
・文学サロン入部の経緯:特に文学に興味があったわけではなかったが、いつみに誘われるがままに入部した。
・疑っている人物:ディアナ・デチェヴァ
ディアナが早朝の学校で、いつも持ち歩いているいつみを模した人形にナイフを突き立てて呪文のようなものを唱えていることを偶然目撃してしまった。そしてその日からいつみの体調がどんどんと悪化していった。事情を調べていくと、いつみが来年度の留学生の指定国を別の国に変えることを推奨していたために、ディアナはブルガリアから留学生を取ってもらえなくなることを危惧して呪術的な方法でいつみを苦しめ、死に追いやったのではないかと推測している。
・すずらんのアイテム:すずらんの香りの香水
・いつみに握られていた秘密:学校のネットワークに侵入し、自分の成績を改竄していた。
・いつみへの反抗余地:実行委員としていつみの邸宅に出入りできたこと・モチベーションを上げるためにと近隣の病院巡りをしていたこと(いつみの妊娠の情報を掴めた?)
高岡志夜
©2017「暗黒女子」製作委員会 「暗黒女子」冒頭13分映像より引用
・朗読作品:「天空神の去勢」
・学年:高等部2年
・仕事:ライトノベルの作家(賞を受賞している)
・文学サロン入部の経緯:自身が著したライトノベル「君影草」が賞を受賞したことで、いつみの目にとまり、声をかけられそのまま入部した。
・疑っている人物:小南あかね
「ヴィーナスの乳首」というモーツァルトの「アマデウス」由来のお菓子をサロンのキッチンで作っているあかねを目撃した時に、あかねが何かを隠したことから、いつみはサロンで何かを食べた時に具合が悪いと言っていることに気づき、あかねが何らかの薬物を混入させているのではないかと疑い始めた。動機としては、いつみが自分の卒業と共にサロンを閉鎖しようと考えているために自分の調理場が失われることを危惧しているのではないかと考えている。そして、テラスでいつみを突き落とすあかねの姿を目撃したとも告げた。
・すずらんのアイテム:自身の著書「君影草」はすずらんを意味している
・いつみに握られていた秘密:自身の著書が海外の短編小説の盗作であること
・いつみへの反抗余地:ブルガリアに北条先生といつみと共に同行していた
白石いつみ
©2017「暗黒女子」製作委員会 「暗黒女子」冒頭13分映像より引用
・朗読小説:「死者の呟き」
・学年:高等部3年
・文学サロンを作った目的:思いを寄せる国語教師の北条先生との密会をする場所を作るため
・抱えていた秘密:北条先生との子供を身籠ってしまったこと
・文学サロンに他の部員を招き入れた理由
自分が常に人生の主役であるためには、適正な脇役が必要であり、そしてその脇役は主役に従順でなくてはならないとの考えから、重大な秘密を握ることに成功した生徒を文学サロンへと招き入れ、自身の従順な下僕として扱おうとした。
・脇役たちへの復讐
文学サロンの小百合以外の部員たちが結託して自分の妊娠の証拠をつかみ、父親にリークしたことでいつみは(「すずらん」と名付けていた)身籠っていた子供を中絶、北条先生は解雇されてしまった。その復讐として、自分がすずらんを遺書代わりに携えて死ぬことで、部員たちに警察の捜査が及ぶ恐怖を与えようとした。
・実際は・・・
事前に小百合と結託して、飛び降りても死なないように細工をしてあり、死んだように見せかけて実は北条先生と駆け落ちしていた。
澄川小百合
©2017「暗黒女子」製作委員会 「暗黒女子」冒頭13分映像より引用
・学年:高等部3年
・白石いつみとの関係
白石いつみのためにいろいろと協力していた。それはすべていつみの美しさを守るためだったと明かしています。また、いつみと北条先生の関係を取り持ってきたのも、禁断の愛によってますます魔性の美しさを増していく「白石いつみ」という作品を愛でていたためだった。しかし、すべての計画を終えて、北条先生との将来について嬉しそうに話す平凡な母親としての表情に呆然としてしまう。
・自分が主役に・・・
あまりにも平凡ないつみを見ていると、ふと自分こそ主役にふさわしいのではないかという考えが頭をよぎり、最終的にはいつみをすずらんの毒を混入したアールグレイティーで毒殺する。
闇鍋の正体とは
©2017「暗黒女子」製作委員会 「暗黒女子」冒頭13分映像より引用
本作では、登場人物たちが文学サロンで闇鍋をしながら、「いつみの死」に関する自作小説を朗読しています。そんな闇鍋の中身は終盤も終盤まで明らかにされないんですね。
闇鍋に関していくつかルールがありますが、食べられないものを入れてもいいけど、不衛生なものはダメという指定があるんですね。
そして、何が入っていたのかと言うと、これはもう言うまでもないのですが、白石いつみの肉と血だったということですね。
(小説版ではいつみの時計が鍋から出てくるのですが、映画版は指輪になってるみたいですね。)
最後の最期でカニバリズム要素まで登場するとは、もう後味が悪いにもほどがありますね。この作品は。
「キリストは、その聖体と聖血を弟子や信者に分け与えることによって、永遠に生き続けることとなりました。同じように、いつみと一心同体になって、彼女の麗しさを忘れることなく、これからの人生を送るーそれこそが、いつみを裏切ったあなたたちの務めだと思います。」
(「暗黒女子」双葉社/秋吉理香子より引用)
つまり、いつみの血と肉は神聖なものであるため、闇鍋のルールに則しているということでしょうか?いやはや戦慄ですね。
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いくつかの用語を解説
エズラ・パウンドの『ヒュー・セルウィン・モーバリー』
これは、美礼が文学サロンへ入部した時に、いつみがシェルフから取り出した貴重な詩集でした。
エズラ・パウンドの詩集「ヒュー・セルウィン・モーバリー(Hugh Selwyn Mauberley)」から「自らの墓のためのオード(Ode pour l’election de son sepulchre)」(壺齋散人訳)三年もの間 時代と折り合いがあわずあいつは死んだ芸術を蘇らせようとしたそれは旧い意味合いでの荘重な詩だったがどうもスタートから間違っていたようだだが あいつが半ば野蛮な国に 時期はずれに生まれたことを考えれば そうともいえぬあいつは断固として どんぐりからユリの花を咲かせようとしたんだカパネウスだよ 疑似餌につられたマスのようなもんだ「我らはトロイアでの苦しみを知る」この言葉が耳に響きわたり岩陰に出来た波の通い路にあいつは身を潜めることにしたんだ あの年あいつのペネローペは 本当はフローベールだったんだあいつは頑丈な岩陰で釣り糸を垂れ日時計に書かれたことわざなんかよりキルケの髪の毛の優雅さが気になったんだお祭りの時節だったにもかかわらずあいつはわずか30歳の若さで人々の記憶から忘れ去られ文学史に何の痕跡も残さなかった
この詩はエズラ・パウンド自身がこれまでの自分と決別する意志を示すために作ったとされている。「お祭りの時節だったにもかかわらず あいつはわずか30歳の若さで」なんて記述を見ると、イースター祭の頃に高校3年生にして一度死に、それまでの自分と決別して北条先生との人生を選ぼうとするいつみの将来が暗示されていたようですね。
スタンダール『赤と黒』
続いて紹介するのは、園子が読んでいた小説ですね。スタンダールという作家の『赤と黒』という作品になります。
マチルドはジュリアンの子を妊娠し、2人の関係はラ・モール侯爵の知るところとなる。侯爵は2人の結婚に反対するが、マチルドが家出も辞さない覚悟をみせたため、やむなくジュリアンをある貴族のご落胤ということにし、陸軍騎兵中尉にとりたてた上で、レナール夫人のところにジュリアンの身元照会を要求する手紙を送る。しかし、ジュリアンとの不倫の関係を反省し、贖罪の日々を送っていたレナール夫人は、聴罪司祭に言われるまま「ジュリアン・ソレルは良家の妻や娘を誘惑しては出世の踏み台にしている」と書いて送り返してきたため、侯爵は激怒し、ジュリアンとマチルドの結婚を取り消す。レナール夫人の裏切りに怒ったジュリアンは故郷に戻り、彼女を射殺しようとするが、傷を負わせただけで失敗し、捕らえられ、裁判で死刑を宣告される。マチルドはジュリアンを救うため奔走するものの、レナール夫人の手紙が本心からのものでなく、いまだ夫人が自分を愛していることを知ったジュリアンは、死刑を運命として受け入れる。(Wikipedia「赤と黒」より引用)
まず、『赤と黒』というのは、19世紀の階級闘争をモチーフに作られた作品なんですね。そして、本作「暗黒少女」に登場する聖母女学院ないし文学サロンというのは、ある種の主役・脇役の階級闘争状態にあるんですね。そういう意味でも以上に近い作品だと思いますし、何より、レナール夫人はいつみと重なる点がありますよね。この作品も、いつみの行く末をある意味暗示していたように思いました。
フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』
この作品は、まずニック・キャラウェイという人物が信頼できない語り手としてギャツビーについて語っていくという構成を取っています。その点で構成は「暗黒少女」にも非常に近いと考えます。
また、富と成功を一途に求めそれを達成するも、愛情を手に入れられず最後は射殺されてしまうという悲痛なギャツビーの運命が、本作におけるいつみの運命を暗示しているかのようにもとることができます。
コリント人への第一の手紙:第13章
これは、聖母女学園に設置されている大鏡にエッジングされている、新約聖書の第1コリント書13章の一部ですね。大鏡にエッジングされていたのは下記の⑫の文章です。
⑪わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。⑫わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。⑬このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。
後にわかるのですが、この大鏡は後ろが秘密の通路になっていて、いつみと北条先生の密会のために使われていたんですね。今は一部分にすぎないが、後に完全に知るであろうという文章はもはやいつみから裏切り者の部員たちへのメッセージのようですね。
そして、その⑫に続く⑬でいつまでも存続するもののうちでもっとも大いなるものは「愛」であると述べている点は、この事件の全貌が明らかになったのちに残るのが、いつみと北条先生との「愛」であるという意味がほのめかされているように思います。
ピーター・シェーファー『アマデウス』
「アマデウス」は高岡志夜の朗読で登場した戯曲で、本作「暗黒女子」においても非常に重要な作品となっています。
サリエリは、若い頃は音楽への愛と敬虔な信仰心に生きており、オーストリア皇帝ヨーゼフ2世に仕える作曲家として、人々から尊敬されていた。しかし彼の前に天才作曲家ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトが現れたことが、サリエリの人生のすべてを変えてしまう。その類い稀なる音楽の才能は大衆から称賛され、天真爛漫かつ下品で礼儀知らずな人間性は他の作曲家から軽蔑を受ける。しかしただ一人サリエリだけは、「モーツァルトの才能が神の寵愛を受ける唯一最高のものであること」を理解してしまい、自分はモーツァルトの真価が分かる才能しかない凡庸な人間だと思い知らされる。そしてモーツァルトへの激しい嫉妬に苛まされるサリエリの苦悩が、大きな悲劇を生んでいく。
(Wikipedia「アマデウス」より引用)
サリエリは結果的にモーツァルトの妨害をして、彼を貧困の淵に追いやるんですね。そんな彼の下にサリエリはレクイエムの作曲の話を持ち掛けます。モーツァルトは「魔笛」を完成させ、その初演の途中で倒れてしまいます。自分の死期が近いことを悟ったモーツァルトはサリエリを助手としてレクイエムの作曲を続けます。そして、静かに息を引き取りました。
「神はモーツァルトに音楽を与え、神はサリエリにそれを理解する力のみを与えた」なんてことも言われますが、このモーツァルトとサリエリの関係性はまさしく、いつみと小百合の関係性ではないでしょうか?そうです、神はいつみに美しさを与えて、神は小百合にそれを理解する力のみを与えたんですね。
結果的に、歴史上ではモーツァルトは人物としても、その楽曲も後世に名を残しましたが、サリエリは凡庸な人間として忘れられていきました。
しかし、本作は違います。「暗黒女子」では最後の最後でサリエリがモーツァルトを殺して歴史に名を刻むのです。つまり小百合がいつみを殺して「主役」の座を奪い取るわけです。
「暗黒女子」は「アマデウス」の否定のようなプロットなんですよね。そのため、作品中で、「アマデウス」が「聴くのもつかれるの」といつみに却下されるシーンがありましたが、これは本作が「アマデウス」の否定に向かっていることを暗にほのめかしていたのではないでしょうか。
ファム・ファタール
本作の終盤で小百合がいつみのことを「天性のファム・ファタール」だと評する場面があります。「ファム・ファタール」というのは男を破滅させる魔性の女のことを意味しているんですね。
キリスト教では、ヘロディアの娘であるサロメなんかがこのファム・ファタールであるとされていて、このサロメは母ヘロディアに、洗礼者ヨハネの斬首を求めた張本人なんですね。
こう考えていくと、「暗黒女子」における真のファム・ファタールはいつみではなく小百合だったような気がしてきましたね。
すずらん
©2017「暗黒女子」製作委員会 「暗黒女子」冒頭13分映像より引用
すずらんの花言葉で検索してみると、「幸福が帰る・幸福が再びやって来る・意識しない美しさ・純粋・癒し・平静」などという非常にポジティブな意味のものばかりが出てきます。
それもそのはず。劇中でいつみが自分の子供に名付けようとしていましたからね。
しかし、どうやら裏花言葉というものがあるようで、それが「あなたの死を望みます」という意味だそうです。
「暗黒女子」ではその強い毒性が物語の重要なカギを握っていましたが、その裏花言葉は物語の行く末を暗示していたのかもしれませんね。
「ヴィーナスの腕」
「ヴィーナスの腕」自体は南フランスの伝統的なお菓子でロールケーキのようなものだそうです。ただし本作で登場するのは・・・・。まあ「いつみの切り落とされた腕」と解釈するのが適当でしょうね。
皆さま「ミロのヴィーナス」ってご存知でしょうか?あの像って腕がないですよね。この像は腕がない状態でこそ「完全なる美」であると言われているんですね。
まあ闇鍋にしてしまったということは、いつみの死体がどのような状態になっているのかはわかりませんが、腕を切り落とすことで、小百合がいつみに「完全なる美」を与えたという見方もできるんですね。
オマージュ??
©KADOKAWA1961「黒い十人の女」より引用
「暗黒女子」のレビューを見ていると、「黒い十人の女」のタイトルを上げていらっしゃる方がいたので、冒頭映像13分を見て確認してみると、確かにオマージュとも取れたので紹介させていただきます。
総評
本作はいわゆる叙述トリックタイプのミステリー小説ではありません。しかし、信用できない語り手による朗読という形で展開するというある種のミステリーの王道の形式を取っています。
確かに結末は全く予想もつかないものではありますが、すべて分かったうえで読み返してみると、実は結末に至るヒントが散りばめられていたり、登場する文学作品でもって仄めかされていたりするんですね。
そういう意味では、ミステリー小説として非常にフェアに作られていると思います。
本記事はあくまで原作小説と映画版の冒頭13分の映像を見て書いたものなので、映画版を鑑賞してからまた追記しようと思います。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。
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