アイキャッチ画像:©2016「幼な子われらに生まれ」製作委員会「幼な子われらに生まれ」予告編より引用
はじめに
みなさまこんにちは。ナガと申します。
今回は、いよいよ8月26日に公開が迫った映画「幼な子われらに生まれ」の原作を読みまして、その感想を交えながら、なぜ本作を今になって映画化したのか?本作を今を生きる我々が見ておくべき理由は何なのか?について考えていきたいと思います。
「幼な子われらに生まれ」という作品は重松清さんが1996年に著した作品です。何と今から21年も前の作品なんですね。そんな作品を今になってどうして映画化しなくてはならなかったんだろう?とどうしても考えてしまいました。
そのため、映画公開を前に書店に足を運び、原作小説を購入し、そして4時間ほどで読破しました。
この作品を読み終えてまず第一に感じたのは、本当にこの作品は21年も前の作品なのか?という驚きでした。本作が描き出した「家族」の何たるかは、この書籍が発売された当時よりも、今のほうがずっと重みを増しているように感じられます。
重松清さんには先見の明があったのでしょうか?
なぜ今を生きる我々が本作を見るべきなのか?今回はしっかりと解説していきたいと思います。最後までお付き合いいただけると幸いです。
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「家族」って何だろう?
皆さまは「家族」って何だろう?と問われるとどう答えますか?
すごくシンプルな問いですが、答えるのはすごく難しいと思います。私自身もきれいな答えを返せる自信はありません。
そこで、社会学者森岡清美さんの「家族の定義」を引用させていただきます。
家族とは「夫婦環形を基礎として、親子・きょうだいなど近親者を主要な構成員とする、感情融合に支えられた、第1次的な福祉追求の集団である。」
森岡さんは自身の著書の中で家族の定義をこのように述べておられます。
「第1次的な福祉追求の集団である」という点が不明瞭かと思いますので解説しておきます。経済的な安定や豊かさ、健康、精神的な安息などの福祉そのものは家族でなければ生み出せないものではありません。
しかし、家族内ではその構成員の福祉に特に大きな責任を持っています。つまり家族はその福祉に第一次的な重要性を持っているのです。
しかし、この「家族の定義」は1967年の著書で述べられたもので、もはや現代の家族において通用するかと言われると未知数なのです。
この著書が書かれた後、1970年代後半から高度経済成長期に入ると、「家族」というものはどんどんと多様化していくことになります。
1つ目の要因としては、離婚率の増加です。日本における離婚率は70年代、80年代に急速に増加に転じました。
日本における現在の婚姻率は5.2%で、離婚率は1.77%です。つまり3組に1組は離婚してしまっているという現状があります。
離婚の原因としては、性格の不一致や不貞行為といった個人的な要因、経済的困難といった社会的要因など多岐にわたると考えられています。離婚が増加するということは母子家庭、父子家庭が顕在化することは必至ですよね。加えて、再婚した場合に親子で血縁的なつながりがないというケースも多くなってきます。
2つ目の要因としては、男女の役割の変化、自己実現欲求の変化にあると考えています。伝統的な日本の考え方では、「男は外で仕事、女は家庭を守り、子を育てる」という家族形態が普通とされていました。
しかし、高度経済成長期を経て、女性の社会進出が徐々に進み、この考え方はもはや時代遅れと否定されるまでになりました。
そうなってくると、家族の結束、集合性というものは徐々に弱まっていきますよね。
「男は外で仕事、女も外で仕事」となりますと、家族という空間がもっていた重要度は下がっていきます。これは両性が共に家庭の外に自己実現の場を見出す事ができるようになったことが大きいです。
この結果、子供を設けない夫婦、単身赴任家庭などの家族形態が顕在化してきました。
ここでもう一度考えてみましょう。
「家族」ってなんだろう?と問われたらどう答えますか?
先日のミュージックステーションに星野源さんが出演された際に、「Family Song」にちなんで自身の家族観について話されていました。
©星野源「Family Song」MVより引用
「例えば、友達や仕事仲間も『ファミリー』って言ったりするじゃないですか。広い意味で、これからの時代に向けての『ファミリー』なんです。あと例えば、両親が同性同士の家族だったりするのも、これからどんどん増えてくると思うんですよね。そういう家族も含めた、懐の大きな曲を作りたいなと思って作りました。」
この発言はすごく的を得ていると感じましたし、この歌が今の日本の「家族」というものを包み込んでくれるような歌であるとも感じました。
人気映画「ワイルドスピード」シリーズでも、主人公たちのグループは血のつながりや結婚関係はないけれども、「俺たちはファミリーだ。」としばしば口にしています。
参考:『ワイルドスピード8』にて描かれるファミリーの絆に大号泣!
もう「家族」というものは簡単に定義づけられる時代ではなくなっているんですよね。「家族」というものの在り方は多様化して、複雑化しています。だからこそ「家族」って何だろう?と聞かれて、答えることはすごく難しいんです。人によっても大きく異なると思います。
「幼な子われらに生まれ」が描く世界
今回扱う「幼な子われらに生まれ」が描き出しているのは、まさに伝統的な家族観・ジェンダー観、現代的家族観・ジェンダー観が混在している世界なんですね。
例えば、今作の主人公である浅野忠信演じる田中信は、女性には家庭に入ってほしいという伝統的な家族観を持っている男性です。
©2016「幼な子われらに生まれ」製作委員会「幼な子われらに生まれ」予告編より引用
またその妻である田中麗奈演じる奈苗も女性として家庭を守っていくという考えを持つ人物です。
©2016「幼な子われらに生まれ」製作委員会「幼な子われらに生まれ」予告編より引用
一方で、信の元妻の寺島しのぶ演じる友佳や奈苗の元夫の宮藤官九郎演じる沢田は、家庭の外に家庭に息苦しさを感じ、自己実現の場を家族の外に求める人物です。
©2016「幼な子われらに生まれ」製作委員会「幼な子われらに生まれ」予告編より引用
©2016「幼な子われらに生まれ」製作委員会「幼な子われらに生まれ」予告編より引用
この本が書かれた1996年はおそらく、こういった新旧の家族観・ジェンダー観が混在し、家族というものの多様化が顕在化し始めた時期だったと思います。そして2017年、「家族」というものはこの本が著された当時よりも多様化し、複雑になりました。
そして、本作で描かれているような離婚・再婚が原因で生じる複雑な問題も確実に増えていっています。96年の段階でこの本を著した重松清さんは現在のこの事態を当時すでに予測していたのかもしれません。
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「幼な子われらに生まれ」を今見ておくべき理由
ここからがいわば、今回の記事の本題になります。まず私の考える本作の主題は何か?という点を先に述べておきたいと思います。
本作の主題は「ジェンダー家族」の行き詰まりであると私は考えています。
「ジェンダー家族」そのものの出自は近代ヨーロッパにありますが、日本においてこの家族観が顕在化してきたのは、明治時代のことです。牟田和恵さんの論文「生と性のポリティクスとジェンダー」においては、明治天皇と美子皇后がそのシンボルとなっていたことが指摘されています。
明治天皇が政治や軍事を司る一方で、美子皇后はそれを支える「伴侶」としての務めを果たしました。
この天皇夫婦という象徴的存在の影響や教育勅語の影響によって、「男性は仕事、女性は家庭」というジェンダー観や夫婦は男女から成るものであるという「ジェンダー家族」のイデオロギーが国民に普及していきました。
しかし、先ほども述べてきましたように、家族観やジェンダー観が変化する中で、もうこの「ジェンダー家族」という考え方は通用しなくなってきていると思うのです。一つには女性の役割が大きく変化したことが挙げられます。
今や女性も自己実現の場を家族の外に求める時代です。またLGBTが社会進出してきている点も挙げられます。政府が今まで「ジェンダー家族」として括ってきた男女の夫婦という規格はもはや時代遅れなのです。
そんな中で、「幼な子われらに生まれ」が描き出しているのは、離婚・再婚によって成立した夫婦に今までの「ジェンダー家族」の考え方は通用するのかどうかという点です。そして今作では特に父親、浅野忠信が演じる信にスポットが当てられています。
「ジェンダー家族」における「父親」の役割の最たるものは、仕事をしてお金を稼ぎ、それでもって家族の経済的福祉に資することです。しかし、経済的福祉そのものは最初にも挙げたように誰にでも生み出せるものです。つまり、親子の血縁関係があった上で、家族の経済的福祉に第一義的重要性を持つことが「ジェンダー家族」における「父親」として重要な役割なのです。
しかし仮に、親子に血縁関係がないとしたら?本作の中でも述べられていましたが、血縁関係が亡くなってしまうともはやその「父親」はただの「あしながおじさん」へと降格してしまうのです。「幼な子われらに生まれ」に登場する信の家族は、4人ですが、その子供2人は妻の連れ子です。そして、妻のお腹の中には信の血を分けた子供が宿っています。
こうなった時に、もはや「ジェンダー家族」という考え方は通用しないことがお分かりいただけたと思います。つまり「父親」も新たな役割を見つけなければなりませんし、「家族」そのものも旧来とは異なる在り方を模索せねばなりません。
©2016「幼な子われらに生まれ」製作委員会「幼な子われらに生まれ」予告編より引用
本作が描き出したのは、そんな「家族」の脱構築の過程なんですよね。モダン家族からポストモダン家族への移行を描いたとも言い換える事ができます。それは「家族を解体」してしまうということではありません。
「家族」を新たな生の基盤へと変質させていかなければならないということです。
今作を著した重松清さんも、あとがきにて、自分もまだ「家族」の何たるか、「父親」の何たるかについて答えを見出せていないと述べられていました。しかし、本作には重松清さんが示した一つのポストモダン家族の在り方が描かれています。
そして、今を生きる我々はまさにそのポストモダン家族への変容を模索していかなければならない岐路に立たされています。旧来のジェンダー家族はもはや通用しません。そんな岐路に立つ我々にとって、この「幼な子われらに生まれ」という作品は間違いなく一つのヒントになります。
これこそが、本作が21年の時を経て、映画となり公開される意義であると私は考えています。
おわりに
現代を生きる我々に重松清さんが示してくれた、新たな家族の在り方の1つの答えをぜひとも劇場でご覧になって、今一度「家族」について考えてみませんか?
すでに家庭を持っている方、まだ家庭を持っていない方、学生、子供、それぞれの世代がそれぞれの目線で「家族」というものを考えられる非常に素晴らしい作品になっております。ぜひぜひご覧ください。
最後になりますが、いくつか私の「家族」に関するおすすめ映画を紹介しておきたいと思います。
・ウェスアンダーソン「ライフアクアティック」
「家族」にとって、「親子」にとって血のつながりってなんなんでしょうか?血縁関係が「家族」たる「親子」たる所以なのでしょうか? 「家族」を扱う作品を多く手掛けるウェスアンダーソン監督作品の中でも彼の家族観が際立っている作品です。
・荻上直子「彼らが本気で編むときは、」
トランスジェンダーと家族を主題に据えた作品で、まさに現代を生きる我々に「ポストモダン家族」の在り方を突きつける作品となっています。
・小津安二郎「東京物語」
家族映画の代表格といってもよい作品だと思います。ご覧になっている方が多いとは思いますが、未見の方は是非一度ご覧ください。小津安二郎作品は他にも彼の家族観が反映された作品が多数ありますので、ぜひチェックしてみてください。
・細田守:『未来のミライ』
常に写実的でかつドライな視点で家族を捉えてきた細田監督の傑作映画です。家族とは一緒に暮らす中で少しずつ形作られるものだという視点が素晴らしいですね。
良かったらご覧になって見てください。
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