目次
はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
今日は、みなさんに「狂覗」という作品を紹介させていただきたいと思います。
普段は作品を見た方に向けて、解説・考察記事を書いているのですが、今回紹介する作品は公開規模もかなり少ないうえに、内容的にストーリーに関するネタバレをしてしまうと、作品を鑑賞した時の衝撃が半減してしまうと思われますので、ネタバレ無しで解説していきたいと思います。
この記事を読んで、映画「狂覗」を見たいなあと思っていただけたなら幸いです。
あらすじ・概要
©2017 POP CO.LTD 映画「狂覗」予告編より引用
中学校教師が瀕死の状態で発見され、その犯人が同校の学生である可能性が強まっていた。責任を押し付けられた科学教師の森は教師を招集し、体育の授業で生徒たちが教室に不在の中、秘密裏に抜き打ちの荷物検査を開始する。検査のため招集された4人の教師のひとり、国語教諭の谷野は森の教え子で、教師になってから事故をおこし、教職から遠ざかり、森の手によって職場復帰を果たしていた。5人の教師による荷物検査によって、教師の知らない中学生たちの現実、さらに教師たちの実態も明らかとなっていく中、容姿端麗で成績優秀な万田という女子生徒の知られざる顔が浮かび上がっていく。
(映画com.より引用)
本作は、宮沢章夫の傑作戯曲「14歳の国」をベースとして、中学生の性事情を交えながら現代の教育問題に斬りこむサイコ・ミステリー映画となっています。本作は藤井秀剛監督を初めとして、若手実力俳優たちが参加し、わずか5日間で撮影を終えたということですが、撮影期間の短さを微塵も感じさせない完成度に仕上がっています。
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現代の教育問題について
©2017 POP CO.LTD 映画「狂覗」予告編より引用
本作の方向性として、「いじめ被害者数」と「教師による性犯罪数」が過去最高の数値を記録したことに対して問題提起する作品であるということがフライヤーに記されています。
いじめ被害者数について
まず「いじめの被害者数」ということですが、これはデータ上は間違いなく増えています。しかし、それはあくまでデータ上の話です。というのもいじめの件数が純粋に増えたというよりも、いじめの認知件数が増えたという側面が強いのが現実だからです。近年、いじめによる自殺がニュースで取り上げられるようになったことで、社会や学校がいじめに敏感になり、いじめが発見されるケースが徐々に増えているのです。
これがどういう意味かといいますと、教師の見ていた「学校」と生徒の見ていた「学校」には大きな隔離があるということが徐々に浮き彫りになってきたということです。仲良しグループ一つを捉えるにしても、教師側から見えている姿と、他の生徒たちから見えている姿は大きく異なっているということが分かってきたのです。
教師から見ると一見平和な「14歳の国」。しかし、教師の見えないところでその「14歳の国」は大きな歪みを抱えているのです。そして、自殺という悲惨な事故がきっかけになって、その歪みが少しずつ認知されるようになったのです。
そのため、いじめという行為は許されるものではありませんが、いじめの認知件数が増えているというデータは必ずしも悲観すべきものではありません。今まで以上に認知できるようになってきたということです。
教師による性犯罪数について
劇中でも登場する援助交際や学校内でのセクハラ・わいせつ行為など教員の性犯罪数も近年上昇傾向にあります。これには2つの要因があると考えています。
1つ目は教員採用試験の倍率が低下傾向にあり、教員の質の低下が指摘されていることです。2000年には、教員の競争倍率は全国平均約13倍だったにもかかわらず、2015年のデータではなんと約5倍にまで減少しています。これは教員志願者が減ったというよりは、退職者が多く採用人数が増加傾向にあるにもかかわらず、志願者が増えていないという側面が強いです。
特に小学校教員では、倍率が2倍台になる地域もあり、採用試験の競争力低下が問題になっています。
この結果として、教員の質というものが低下してきているのではないか?ということが現在指摘されています。その結果として教員として不適切な行動を取る人が増えてきてしまったのではないか?ということです。
2つ目は教員の労働状況が厳しいということです。2013年の国際教員指導環境調査TALISでは驚くべきデータが出ました。何と日本の教員の平均勤務時間は週53.9時間で、参加した34カ国の中で最長で、参加国の中で唯一50時間をオーバーしていたのです。
課外活動の指導や一般的な事務業務に多くの時間を取られており、これが教員にとって精神的な重荷になっていることが考えられます。こうしたストレスフルな労働環境が教員の精神面に悪影響を与えていることは自明です。
教師の見る「学校」と生徒の見る「学校」
先ほども教師の見る「学校」と生徒の見る「学校」の隔離についてお話ししました。そして近年、教師側がその隔離をようやく認知できるようになりつつあることを挙げました。
一方で、私は現在もその隔離は大きくなり続けているのではないか?と考えています。
まず一つにはスマートフォンやSNSの普及が挙げられます。いまや小中学生で自分のスマートフォンを持っているこの割合は8割を超えています。この結果、LINEやTwitterといったSNSで生徒同士が活発にコミュニケーションを取るようになりました。
©2017 POP CO.LTD 映画「狂覗」予告編より引用
しかし、このLINE等でのやり取りは秘密性が非常に高いです。そのため、教師からその内容を認知することはとても難しいのです。また、SNSやインターネット上でのいじめは短期間で深刻化しやすいという危険もはらんでいます。
このようにスマートフォンやSNSが生徒たちに「自分たちの世界」を作り出す余地となり、教師からは見ることのできない世界を拡大しているのです。この結果として、教師の見る「学校」と生徒の見る「学校」の隔離は拡大しているように思われます。
また、それに加えて教師と生徒の距離が離れつつあるということも挙げられます。近年、規制等がどんどんと厳格化され、教師は生徒との関わりにおいて制限されることが増えてきています。また先ほども指摘した教師の労働時間問題も大きく関係しています。教師が一般事務等に時間を割くことを求められるために、生徒と十分に交流する時間を持つ事ができなくなってきている現状があります。
こういった事情から教員たちは、生徒たちの世界の存在を認知し始めたものの、その未知の領域がどんどんと拡大していっているというジレンマを抱えているように思います。逆に言うと生徒たちは教師との距離感が遠くなり、生徒たちも教師たちの世界というものが見えづらくなってきているようにも思います。
教師の見る「学校」と生徒の見る「学校」の隔離が激しくなると、どうにかしてお互いがお互いの世界を「覗」いてやろうと躍起になってしまうんですね。人間というものは誰しも未知のものを一番恐れます。未知のものを何とかして自分の知るところにしたいというのは人間の本能的な欲望です。
映画「狂覗」では、そんな欲望から教師は内密の荷物検査をして、何とか「14歳の国」を覗いてやろうと画策します。その中で徐々に垣間見えてくる「14歳の国」の正体。トランス状態に陥っているかのような映像で描き出される「14歳の国」と通常のタッチで描かれる教師たちの国。しかし、徐々にその構図も曖昧になっていきます。
©2017 POP CO.LTD 映画「狂覗」予告編より引用
現在と過去と幻想が入り交じり、誰が狂っているのか?誰が覗いているのか?がどんどん分からなくなっていき、終盤にはとんでもない結末が待ち受けているのです。
ネタバレはできません。自分の目で確かめてみてください。
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「目」は何を意味しているのか?
本作には印象的に「目」のモチーフが挿入されています。
みなさんはこの絵をご存知ですか?
http://lempicka7art.blog.fc2.com/blog-entry-48.htmlより引用
見たことがあるという方も多くいらっしゃると思います。オディロン・ルドンの「眼は奇妙な気球のように無限に向かう」という作品です。マンガ「惡の華」なんかで知った人も多いように思います。
ルドンにとって眼というものはイメージの源であり、意識の象徴であるとされていました。そのためこの作品は眼が人の頭部、つまり脳を高みへと引き上げている様子が描かれています。目を通して、物事の深淵を見つめた時にこそ、人間の真の想像力が目覚めるということをルドンはこの作品で仄めかしています。
本作では、教師たちが秘密の荷物検査を通して、自らの目で「14歳の国」の深淵を「覗」こうと画策します。そして、目から入ってきた情報がどんどんと教師たちの想像を膨らませていき、やがて混沌と狂気の渦に巻き込まれていきます。本作の目のモチーフはルドンが描いた眼のイメージに通ずるものを感じさせます。
また、かつての古代エジプトで、「真実と判断の女神」マートの「万物照覧の目」というものが存在していました。
http://gakkenmu.jp/archive/5146/より引用
これが源流となったためか、この「万物照覧の目」というものは、女性と結び付けられることが多く、有名な話であれば、メドゥーサの持つ目もこの「万物照覧の目」に影響を受けていると考えられます。よって女性の目というものが、真実を判断するものであり、恐怖を想起させるものであり、霊的な力を持つものとされてきたのです。
今回は本作を見るうえで、役に立つと思われる「ルドンの眼」と「万物照覧の目」を紹介してみました。ぜひぜひこれを頭に入れたうえで、本作に多く登場する目のモチーフの意味するものを考察してみてください。
おわりに
こんなに濃い82分が他にあるだろうか?というくらいに冒頭からラストまで緊張感が張り詰めています。また、意味深に挿入された数々の視点が誰がどこから「覗」いているのだろうか?という恐怖心を煽り、見ている我々までもが誰かに「覗」かれているのではないかと錯覚するほどです。
加えて、全く読めない展開に我々は翻弄されます。現実なのか妄想なのか?現在なのか過去なのか?すべての境界が曖昧になり、我々はある種のトランス状態に陥ります。
そして描かれる真実。ぜひご自分の目で確かめてみてください。
「狂」っているのは教師か?生徒か?
「覗」いているのは教師か?生徒か?
とんでもない日本産サイコ・ミステリーがまた一つ世に放たれました。ぜひぜひ映画館でご覧になってください。