アイキャッチ画像:(C)Les Films Pelleas, Les Films du Belier, Films Distribution / ReallyLikeFilms 映画「あさがくるまえに」イメージソングMVより引用
目次
はじめに
みなさまこんにちは。ナガと申します。
今回はですね、映画「あさがくるまえに」について語っていきたいと考えています。
タイトルにも書かせていただきましたが、2017年に私が見てきた新作映画約45作品の中でもダントツの珍作、奇作だったと思います。
何と言いますか、想像していた映画と180度違う映画だったので衝撃でした。例えるなれば、ナポリタンを注文したら、二郎系の増し増しラーメンが提供された、そんな感じです。
正直言って、この映画についての自分の考えがまだ完全には固まり切っておりません。今回は自分自身の思考の整理も兼ねて、書いていこうと思います。
良かったら最後までお付き合いください。
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あらすじ・概要
心臓移植をめぐって繰り広げられる喪失と再生の物語を、「預言者」のタハール・ラヒム、「毛皮のヴィーナス」のエマニュエル・セニエ、「Mommy マミー」のアンヌ・ドルバル共演で描いたフランス製ヒューマンドラマ。「聖少女アンナ」「スザンヌ」で注目された新鋭女性監督カテル・キレベレが、メイリス・ド・ケランガルのベストセラー小説をもとに映画化し、命のやりとりに直面した人々の葛藤を静謐なタッチで描き出す。夜明け前、青年シモンは恋人が眠るベッドをそっと抜け出し、友人たちと一緒にサーフィンに出かける。しかしその帰り道に自動車事故に巻き込まれ、病院で脳死と判定されてしまう。報せを受けて病院に駆けつけたシモンの両親は現実を受け入れられないまま、医者から臓器移植コーディネーターのトマを紹介される。一方、パリで暮らす音楽家の女性クレアは重い心臓疾患で臓器提供を待っていたが、若くない自分が他人の命と引き換えに延命することに疑問を感じていた。
(映画com.より引用)
予告編
「あさがくるまえに」ってどんな映画なの?
「あさがくるまえに」の予告編を見た方は、最初にこの作品に抱いたイメージはどんなものだったでしょうか?
ジャンル的には医療モノ、とりわけ終末医療や臓器移植にスポットが当たった作品であることは何となく察したと思うのです。私自身もその点については考えが及んでいました。
皆さん、この予告編の映像やこの手のジャンルの定石から考えると、「あさがくるまえに」という作品は、脳死状態に陥ったシモンの両親やガールフレンドが、彼の臓器移植に際して葛藤する作品であるなんてイメージを持ちませんか?
つまり両親や恋人との「愛」と言うところにフォーカスしていく作品なのだろう、と普通は想像してしまうと思うんですよ。
ただ、そういった家族愛や異性愛なんかを絡めた、終末医療モノの映画を求めてこの作品を見に行くとすごくモヤモヤした気持ちで劇場を出ることになると思います。
本作には、脳死状態のシモン、その家族や恋人、さらに主人公から臓器提供を受ける女性、そしてその家族などなど、医療モノに絡めたヒューマンドラマを展開するには十分すぎるほどの役者がそろっています。
しかし、本作の主人公は、実は臓器移植コーディネーターのトマです。
(C)Les Films Pelleas, Les Films du Belier, Films Distribution / ReallyLikeFilms 映画「あさがくるまえに」イメージソングMVより引用
本作のポスターを改めてご覧になってみてください。移植のために臓器摘出を待つシモンとその彼を見つめる男性が映し出されています。この男性こそがトマなのです。
秦基博とのコラボMVはミスリード
実は、上に動画を掲載してみましたが、本作「あさがくるまえに」は秦基博さんの同名の楽曲「朝が来る前に」とコラボして、オリジナルミュージックビデオを製作しているんですよね。
今作の邦題が決定した際に、配給が秦基博さんの同名の楽曲の存在を知り、それが監督であるカテル・キレヴェレさんに伝わったことからコラボレーションの計画は動き出したと言います。監督も本作を日本の若者に見てもらうために、秦基博さんの楽曲とのコラボは有効であると判断したそうですね。
ただ、この「朝が来る前に」という楽曲って元は「恋人たちの『旅立ち』と『別れ』」をテーマにした楽曲なんですよね。ですので、そのイメージを映画に重ねてこのMVを見てしまうと、この映画も「恋人たちの『別れ』」をテーマにした映画なんだなって勝手に想像してしまうんですよね。現に予告編では、本編にわずかしか登場しないシモンのガールフレンドが、メインキャラクターであると言わんばかりに押し出されていました。
これは、完全にミスリードじゃないですかね?
現に私は、恋人たちの悲しい別れを美しい映像とともに描いた感動のヒューマンドラマを想像して見に行ったのですが、実際に見終わった後に考えてみますと、この映画って救命病棟24時みたいな作品ですよね・・・(笑)。
映画の評価というか印象って前情報や先入観にすごく左右されるんだなって思いました。上映前にこんなイメージを持っていたがために、私は本作「あさがくるまえに」に珍作であるとか奇作であるという評価を下しているのだと思います。
まさに救命病棟24時
本作を見た方でお気づきになられた方がどれくらいいらっしゃるでしょうか・・・はたまた私の思考力が弱いだけなのでしょうか・・・。
実はこの作品って、冒頭からラストまでで1日しか経過してないんですよね。
シモンが朝、交通事故で脳死状態に陥ってから、翌朝彼の心臓を移植されたクレールが目覚めるまでわずか1日の物語なんですね。
(C)Les Films Pelleas, Les Films du Belier, Films Distribution / ReallyLikeFilms 映画「あさがくるまえに」イメージソングMVより引用
ただこれは個人的には編集というかストーリー構成が悪いと思うんですね。最初にシモン側のことをひたすらに描いて、その後に移植される側のクレールのことをひたすら描きます。この構成は完全に悪手でしたね。本作はわずか1日で起きた物語であるということが事情に重要だと思うんですよ。
ある朝、1人の少年が脳死状態に陥って、そして翌朝にその少年から心臓を移植された女性が目覚める。このわずか1日の間に行われて「命のやり取り」であるということをもっと強調するべきだったんじゃないかと思うんですね。
監督も、本作を製作するにあたって臓器移植の現場の最前線を描きたいと仰っていましたが、それを鮮烈に描きたいのであれば、尚更「1日の物語」という点を強調しておくべきだったと思うんですよね。それだけに本作の映画構成と言いますか編集には不満が残ります。
臓器移植コーディネーター、トマの物語
(C)Les Films Pelleas, Les Films du Belier, Films Distribution / ReallyLikeFilms 映画「あさがくるまえに」イメージソングMVより引用
最初にも申し上げましたが、本作の真の主人公っておそらくシモンではなくて、臓器移植コーディネーターのトマなんですよね。
臓器移植の現場、脳死状態の患者・その家族と関わっていくことへの彼の苦悩と葛藤、そして意義みたいなものに本作はフォーカスしているように感じられました。
シモンが運び込まれた病院の院長は、シモンをあくまで臓器提供の対象、つまりドナーとしか見ていませんでした。ですので、トマの提案で、シモンの両親が臓器移植に了承してくれた際に、院長は思わずガッツポーズ。しかしそんな院長に冷ややかな目を向けるトマ。
このシーンに彼がこの仕事に関わることへの大きな苦悩と葛藤を感じました。確かに臓器移植コーディネーターというのは、臓器移植を通じて多くの人の命を救う仕事です。しかし。同時に脳死状態の、心臓がまだ動いている人の命を終わらせているんですよね。
だからこそ、彼はシモンの両親の臓器提供への承諾にも素直に喜ぶ事ができないんですよね。
そんな彼だからこそ、シモンの心臓摘出手術の際に、彼にガールフレンドが選んだ波の音を聞かせたのです。
臓器提供者は、ただ臓器を提供してくれる「死体」ではありません。臓器提供者の心臓はまだ動いているのです。機械に生かされている状態ではありますが、紛れもなくまだ生きている人間です。ゆえに人間らしく、尊厳を持って死んでいく権利があります。
トマはそんな臓器提供者たちにせめて人間らしい最期を提供してあげることが、臓器を提供してくれた人への感謝であり、その人の人生の肯定であり、敬意なのだと考えているのです。
臓器提供に際して、その決断に苦しむ家族や恋人の姿ではなくて、そこに当事者としてかかわるトマの内面に焦点を当てた点は本作の評価されるべき点なのではないかと思います。
トマとゴシキヒワ
次に、主人公のトマの思考に大きく関係していると思われるゴシキヒワに焦点を当ててみたいと思います。
本作の中盤で、トマが自分の部屋でゴシキヒワが鳴いている動画を見て、いつかゴシキヒワを飼いたいとナースたちに話している場面がありましたよね。
ゴシキヒワという鳥はキリスト教について勉強していると絶対に名前を聞いたことのある鳥だと思います。またキリスト教絵画にも多く登場する鳥です。
この鳥ってキリストの受難の象徴する鳥と言われているんですよね。上に示した「ヒワの聖母」という絵画は非常に有名です。洗礼者ヨハネが、イエスにゴシキヒワを手渡しているのです。これは、ヨハネがイエスに来たる受難を警告しているという解釈が一般的です。
そもそもなぜゴシキヒワがキリスト教に関連の深い鳥なのかというと、この鳥があざみという木の実の趣旨を好んで食べることに起因するんですよね。アザミは棘のある植物で、アダムとイブの原罪を象徴する植物であると言われています。故にこれを食べるゴシキヒワが、原罪を背負って命を落としたイエスの象徴だとされているんですね。
ただ、私はこういう考え方もできると思うんですよ。ゴシキヒワは、原罪を背負って死に行くイエスの苦しみを少しでも和らげようとしている鳥であるという解釈です。少し飛躍かもしれませんが、「死」の苦しみを和らげようとしているという風に解釈できると感じたのです。
(C)Les Films Pelleas, Les Films du Belier, Films Distribution / ReallyLikeFilms 映画「あさがくるまえに」イメージソングMVより引用
そう考えると、本作で臓器移植コーディネーターとしての仕事に葛藤するトマが、ゴシキヒワを欲しがっているという描写には意味があると思うんですよね。臓器提供者として、臓器移植を待つ人のために命を捧げる人たちに安らかな死を・・・というトマの切なる願いが現れているように感じるのです。
本作が描きたかったもの
(C)Les Films Pelleas, Les Films du Belier, Films Distribution / ReallyLikeFilms 映画「あさがくるまえに」イメージソングMVより引用
脳死は人の死か?というテーマは世界中で終わりのない議論となっています。心臓がまだ動いている人間が本当に死んでいるのだろうか?難しい問題だと思います。
本作はそんな極限の命のやり取りに最前線で関わっている臓器移植コーディネーターにフォーカスしました。
「あさがくるまえに」では、手術シーンで「心臓」がすごく鮮烈かつ大胆に描写されていました。あの心臓の鼓動こそが命の音なんですよね。シモンの心臓の音は脳死状態でも確実に続いています。しかし、摘出されると共にその鼓動は終わりを告げます。そして、臓器が移植されると、再びその心臓は鼓動を刻み始めます。
命ないし生命というものはこうして脈々と続いていくものなんだと思うんですね。1つの命が失われても、またどこかで新しい命が1つ始まります。人間に限らず命というものの輪廻に終わりはないんですね。
(C)Les Films Pelleas, Les Films du Belier, Films Distribution / ReallyLikeFilms 映画「あさがくるまえに」イメージソングMVより引用
ある喪失と再生の物語が我々に強烈に印象づけるのは、そんな命の尊さと偉大さなんですよね。
我々は「あさがくるたびに」自分の心臓が脈を打っていることの尊さに感謝しなければなりません。
おわりに
少し思っていた作品とは違ったので面食らった印象はありますが、監督が描きたかったものは十分に伝わってきたように思います。
命の源たる海をこれほどまでに美しい映像で切り取った点は本作のテーマを体現していたように思います。ただ映画として、編集や構成、脚本の部分にはまだまだブラッシュアップの余地があると感じました。
本作がカテル・キレベレ監督の第3作目の映画だと言いますから、これからの作品で、その鋭い視点を生かして完成度の高い作品を撮ってほしいと思います。
終末医療・臓器移植を扱った作品としてはこれまでにない切り口から挑んだ作品だったということで何とも奇妙な映画ではありましたが、素晴らしい映画だったと思います。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。
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