はじめに
みなさんこんにちは。ナガです。
今回はマイクミルズ監督の『人生はビギナーズ』についてお話してみようと思います。
良かったら最後までお付き合いください。
「人生はビギナーズ」批評
雨の日はどうにも外出するのが面倒である。一日中雨の止まない陰鬱な日には、まだ見たことの無い映画のDVDの並べて、どれを見ようかなんて吟味してみるのだ。そんな自分だけの時間に心が躍る。その中から1つを選んで再生し、画面に映し出される映像に傾倒する。ふと、スマートフォンの通知が鳴り、友人から今から出てこないか?というお誘いのメッセージが表示されている。普段なら、足取り軽く友人の下へ向かうのだが、あいにく今日は雨である。手短に断りのレスポンスを入れて、再び映画の世界へと戻っていく。自分だけの空間。自分だけのスクリーン。雨の日は「孤独」を選ぶのだ。
映画は、ユアンマクレガー演じる主人公オリヴァ―が大量のゴミを家の前に積み上げているシーンから始まる。その表情は美しい朝焼けの映像には似合わぬ陰鬱な表情である。まるで自分が手塩に掛けて育てた愛弟子が悪の道へと堕ちていったと言わんばかりだ。その表情の裏に隠されたものはすぐに明らかになる。父が死んだ。そして少し遡るならば、父がゲイであるとカミングアウトしたのだ。
(C)2010 Beginners Movie, LLC. All Rights Reserved. 映画「人生はビギナーズ」予告編より引用
オリヴァ―はふと思う。父は本当に母のことを愛していたのだろうか?ゲイであるという自分の本心を押し込めて、母と結婚し、自分に生を宿した父。彼の母に対する愛は本物だったのか?
オリヴァ―は何人もの女性と関係を結んできたが、すぐに上手くいかなくなってしまう。自分がその女性を本当に愛しているのか?自分自身が信じられなくなってしまうのである。その状態で一緒にいることに耐えられなくなり、恋愛関係は破綻してしまう。彼は「愛」を信じられず、「孤独」を愛していまうのだ。一人で過ごす部屋。空白の空間。孤独。それらは彼にとって安寧の地なのだ。
一方の父ハルは彼とは違う生き方をしてきた。「孤独」を良しとせず、常に「愛」に貪欲に生きてきた。彼はどんな「愛」でも信じようとして生きてきた、信じて生きてきたのだ。だからこそ、ゲイでありながらも、共に長い年月を歩んできた妻への思いも紛れもない「愛」だった。そしてその「愛」を失ったからこそ、彼女の死後に、自分がゲイであることを明かし男性の恋人を家に迎え入れた。1人で過ごす部屋。空白の空間。孤独。それらをハルは良しとせず、常に誰かをその空間に迎え入れることを望んだ。
オリヴァ―は一人の女性と出会い、愛するようになる。しかし、そんな彼の胸の奥につっかえているのは、父の母に対する「愛」の真偽である。彼は、そのアナという女性に惹かれながらも、父親の残像が常によぎり、自分の彼女に対する「愛」を信じられずにいる。彼は、末期がんに侵された父との最期の時間を思い返しながら、少しずつ考えを改めようとしていく。
(C)2010 Beginners Movie, LLC. All Rights Reserved. 映画「人生はビギナーズ」予告編より引用
最後に彼が選んだのは「孤独」だったのか?それとも「愛」だったのか?そのオリヴァ―の選択に向けて本作の全ての物語が繋がっていく。
マイク・ミルズの映画と言えば、今年公開された「20センチュリーウーマン」も印象的であった。この作品は、彼自身の母親をモチーフにして作られたという。一方で、本作「人生はビギナーズ」は、彼の父親をモチーフにして作られたそうである。どちらの作品も、マイク・ミルズ自身が両親から受けた影響や教えなんかが色濃く反映されているように感じる。
そんな彼自身の人生をモチーフにした作品だからこそ、彼の映画は「アルバム」のような印象を与える。本作「人生はビギナーズ」でも父の生きてきた時代、自分の子供時代、父が病に犯された最期の時間、現在とさまざまな時代が織り込まれて、多層的に作品を構成している。そしてどの時代を描くシーンであってもまず、その時代の文化、社会、芸術、音楽なんかを写真や絵などの媒体で映像の間に挿入している。このスタイルは特徴的である。そしてこのスタイルが彼の作品の「記録」としての役割を増長させているのだ。
マイク・ミルズにとっては、「人生はビギナーズ」や「20センチュリーウーマン」といった作品はもはやただの映画では無い。これらは彼の人生の、彼の両親の人生の「記録」に近い重要性を孕んでいるのであろう。
色褪せない甘美な「記録」としてこの映画は撮られたのである。ティーカップの芋虫、朝焼けに染まる家の前のゴミの山、古書店のセックス本、窓辺の枯れ花、美しい街に不釣り合いな落書き、昼間の花火。言葉で聴くとどれも奇妙で、不格好な響きである。しかし、マイク・ミルズのフィルターを通して見ると、その全てが甘く美しく見え、我々はそのハッと息をのむような魅力に酔いしれる。この映画はまさにそんなマイク・ミ
ルズ自身の頭の中にあるアルバムに刻まれた、思い出の1ページなのだ。
一方で、本作では「部屋」というモチーフが印象的に登場する。誰にも「愛」を向ける事ができず、1人で暮らすオリヴァ―の部屋。様々な土地を転々としているためほとんど顧みられないアナのアパートの一室。アナがLAで滞在している豪華だが無機質なホテルの一室。「部屋」というものは自分の心的領域を表しているのである。空白の部屋に誰も入れず、自分だけで佇むということはつまり「孤独」でを受け入れるということだ。一方で、空白の部屋に誰かを招き入れて、共に過ごすというのは「孤独」からの脱却を意味する。そう考えると、本作「人生はビギナーズ」の終盤の展開は筋書以上に深い意味があると読み取れる。この「部屋」というモチーフの使い方は、ポールトーマスアンダーソン監督の「ザ・マスター」なんかにも見て取れよう。
では「孤独」というものは、不必要なものなのだろうか?というとそれは違う。人は誰しも「孤独」を抱えている。パーティーで友人と楽しいひと時を過ごしても、帰途につくと急に「孤独」を感じるときがある。私自身も、そんな経験が何度もある。友人と酒を飲んで、酔っぱらって楽しい気分のまま自宅を目指す。夜風が吹いて、ふと酔いから醒めて、我に返る。そんな時、急に寂しさと孤独に襲われる。でも、これって人として正常なんじゃないだろうか?
本作では、「孤独は間違いだ!」を仄めかすセリフが登場していた。
The pen is not your friend.
The paper is not your friend.
The party and we are your friends.
Your friends are your friends.
「ペンも紙も君の友人ではなく、パーティーと我々が君の友人だ。」そんな趣旨のセリフである。このセリフには、「孤独」というものは悪であるという意図が含まれているように感じた。だからこそ作中のオリヴァ―もこのセリフには何ともピンときていないようであった。
「孤独」そのものは悪ではないし、「孤独」を愛することもまた悪ではないのだ。では、何が悪なのか?それは「孤独」を緩やかで慢性的な病のように自分の中に内包し、その状態に慣れてしまうことである。「孤独」という空白の空間は、最初は不安かもしれないが、留まれば留まるほどに安心感と安らぎを感じる場所になってしまう。留まれば留まるほどに、そこを苦痛と感じなくなってしまうのである。だからそこに慣れてしまってはいけないのだ。そして一度慣れてしまうと、そこから出ることは大きな苦痛を伴うものになる。
本作で一番印象的だったシーンの1つが、オリヴァ―が自分の部屋で一緒に暮らさないか?とアナに提案した際の彼女の表情を映し出した一連のシーンである。10秒ほど彼女の表情の変化だけが映し出される。これまで、自分が安住してきた孤独という名の「空白の空間」から脱出するための手が差し伸べられたのだが、素直に受け入れられない。でも、ここから出なければという焦燥感もある。オリヴァ―への愛もある。彼女がこれまで生きてくる中で体験してきたあらゆる感情という感情があのシーンの彼女の頭の中には渦巻いているのだ。そしてようやく彼女は言葉を紡ぎ出す。あの苦しみと幸せを同時に噛みしめるかのようなメラニーローランの表情はおそらく彼女のベストアクトであろう。
アメリカのジャーナリストであるピート・ハミルは「孤独」を受け入れて、初めて人を愛することができるという趣旨の発言を残しているが、本作「人生はビギナーズ」が我々に語りかけてくるのは、まさにそういうメッセージである。
ただ、それを説教くさく感じさせないところが、マイク・ミルズの際立った才能である。美しい映像と、優しい物語と、懐かしい音楽たちがそっと我々に気づかせてくれるのだ。きっとそれはマイク・ミルズ自身が両親との生活の中で学んだことなのであり、我々は彼のフィルターを通して形作られたその美しい映像を介して彼自身の思い出をそして学びを追体験できるようになっている。ゆえに彼の映画は懐かしい匂いに包まれているのだ。
雨の日は「孤独」を選ぶ。そして映画に耽る。これは私の人生において必要な時間なのだと思う。そして次の日からは人生を再び歩き始めるのだ。
(C)2010 Beginners Movie, LLC. All Rights Reserved. 映画「人生はビギナーズ」予告編より引用
オリヴァ―とアナが2人で話している。
「これからどうする?」
「分からない。」
「試してみる?」
その提案に微笑み返すアナ。「孤独」を知った2人だからこそ辿りつけた「愛」の形が2人の表情から見て取れる。彼らの物語はここからまた始まるんだ。
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