みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね、映画「ポンチョに夜明けの風はらませて」について語っていきたいと思います。
旅の中で、少しずつ登場人物の関係が変化したり、心情が変化したりという、そのプロセスを描くというのがロードムービーです。
個人的には、ロードムービーには映画の全部が詰まっていると思っています。そして、今作は非常にロードムービーとして優れています。
その魅力について今回は語っていきます。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『ポンチョに夜明けの風はらませて』
あらすじ・概要
デビュー作「世界グッドモーニング!!」が世界各地の映画祭で注目を集めた気鋭監督・廣原暁が、早見和真の同名青春小説を若手実力派俳優の共演で実写映画化。
男子高校生の又八、ジン、ジャンボの3人組は、将来に希望を持てないまま平凡な日々を過ごす一方で、「変わりたい」という漠然とした願望を抱えていた。
仲間の中田と企てた卒業式乗っ取りライブを目前にしたある日、3人はジャンボの父親の車に乗って高校最後の旅に出る。
一癖も二癖もある人々との出会いを通して少しずつ成長しながら、何かに導かれるようにそれぞれの生き方を発見していく3人だったが……。
「淵に立つ」の太賀がお調子者の主人公・又八役で主演し、「東京難民」の中村蒼が知的でクールなジン役、「ちはやふる」の矢本悠馬が心優しいジャンボ役、「ヒミズ」の染谷将太が3人の帰りを待つ中田役をそれぞれ演じる。
(映画com.より引用)
予告編
キャラクター&キャスト解説
又八:太賀
(C)2017「ポンチョに夜明けの風はらませて」製作委員会 映画「ポンチョに夜明けの風はらませて」予告編より引用
太賀さんは最近人気急上昇中の俳優です。
大規模上映作品への出演はそれほど多くないですが、昨年も「淵に立つ」や「アズミハルコは行方不明」といった話題作に出演し、今年も本作、そして「南瓜とマヨネーズ」といった意欲作に多く出演しています。
又八というキャラクターは能天気で、楽観的な性格です。
人生何とかなる、何とか上手くいくという考えの持ち主です。
ただ、やると決めたことには真っ直ぐで、諦めの悪い性格をしています。
本作のタイトルに「ポンチョ」というワードが入っているのは、本作における彼の物語が強く関係しています。ぜひ本編を見て確認してみてください。
ジン:中村蒼
(C)2017「ポンチョに夜明けの風はらませて」製作委員会 映画「ポンチョに夜明けの風はらませて」予告編より引用
中村蒼さんは、数多くの作品に出演してきたイケメン俳優です。
ただ、持ち味はその甘いマスクだけなんかでは決してありません。彼の演技は主役というよりも脇役、助演に回った時に映えると個人的には感じています。
昨年出演していた「バースデーカード」という作品でも主演である橋本愛の演じたキャラクターに思いを寄せる青年を演じていましたが、とても素晴らしかったです。
自分が主役になるというよりも、作品を絶妙に脇から支える名俳優だと個人的には感じています。
ジンは、決して学力が高そうとは言えない高校に又八らと在学していながら、日本最高峰の国立大学を受験できる頭脳を持っている青年です。
又八とは対照的な性格で、何事も考えに考え抜いて、合理的にかつ時に狡猾にタスクをこなしていくタイプの人間です。そのため、自分が見切りをつけるとすぐに諦めようとしてしまいます。
ジャンボ:矢本悠馬
(C)2017「ポンチョに夜明けの風はらませて」製作委員会 映画「ポンチョに夜明けの風はらませて」予告編より引用
矢本悠馬と聞くと誰?って思う人は多いと思います。
自分も昨年の映画「ちはやふる」で初めて彼を知りました。映画「ちはやふる」で肉まんくんを演じていたのが、この矢本悠馬さんです。
ちょっと情けないというか頼りない印象を与える演技をするんですが、その愛らしさが絶妙に作品に華を添えるんですよね。
本作「ポンチョに夜明けの風はらませて」でもすごく良い味を出しているので必見です。
ジャンボはちん〇がでかすぎること(ジャンボってそこかよ)と小便が一度出始めたら全然止まらないことで悩んでいる高校生です。自分の父親が経営しているとんかつ屋を継ぐという将来を半ば諦め気味に受け入れています。
中田:染谷将太
(C)2017「ポンチョに夜明けの風はらませて」製作委員会 映画「ポンチョに夜明けの風はらませて」予告編より引用
染谷将太さんに関しては有名ですし、もう解説の必要も無いでしょう。
彼の演技について知りたいということであれば、「ヒミズ」と「みんな!エスパーだよ!」を見てください。以上です。
本作に出演している俳優陣の中でもビックネームである染谷さんが演じているにもかかわらず、この中田というキャラクターは出番が少ないです。それでも彼なりの成長とゴールがちゃんと描かれているので必見です。
愛:佐津川愛美
(C)2017「ポンチョに夜明けの風はらませて」製作委員会 映画「ポンチョに夜明けの風はらませて」予告編より引用
佐津川愛美さんは数多くの映画作品に出演しております。
その中で私がもっとも印象に残っているのは、昨年の「ヒメアノ~ル」という作品に出演していた彼女ですね。清楚系の美女なんですが、実はビッチというキャラクターを演じていたのですが、その二面性の使い分けを上手く演じていて、それが本作の演技にも良い影響を与えているように感じました。
愛は人気グラビアアイドルですが、自分はハードロック?パンク?のミュージシャン路線で売り出してほしいようで、マネージャーに反抗しています。
今回はひょんなことから又八たちの旅についていくこととなります。
マリア:阿部純子
(C)2017「ポンチョに夜明けの風はらませて」製作委員会 映画「ポンチョに夜明けの風はらませて」予告編より引用
阿部純子さんが出演している作品を見るのは、本作が初めてでした。
まだまだ若手の女優さんということで、これからのステップアップに期待が高まります。本作「ポンチョに夜明けの風はらませて」では、閉塞感とその解放を絶妙に演じられていて、素晴らしいと思いました。
マリアはナースシチュのソープで働く女性ですね。日々の仕事に閉塞感を感じています。
ある日、ひょんなことからジャンボくんのジャンボち〇ちんを挿入することになり、なんやかんやで又八に同行することになります。
『ポンチョに夜明けの風はらませて』感想・解説(ネタバレあり)
ロードムービーは映画の王様
好きな映画のジャンルは?と聞かれたら、私は即答します。
「ロードムービーです!!」
私の中で、ロードムービーというジャンルは映画界のキングです。
ロードムービーにこそ映画の本質があると私は何のためらいも無く断言します。それくらいにロードムービーというジャンルを重要視しています。
それは私が自分の評価観としてたびたびお話ししていることにも深く関係します。
映画を見る上で私が一番重要視しているのは、「映像が物語に先行しているかどうか」なんですよ。
映像が物語の奴隷になっている作品には問答無用で低評価をつけます。
映画というものはそもそもフランスのリュミエール兄弟のシネマトグラフから始まりましたよね。
その当時の映画の意義というのは「記録」なんですよ。時間というものは不可逆で、一瞬です。そのため同じ瞬間を2度経験するということは不可能なんです。
ただ、それを可能にしてくれたのが映画だったんですよ。
映画という媒体は、現前した瞬間に消失していく一瞬を半永久的に留め置くことのできるものなのです。
そして、それを見返していくことで、一度見ただけでは気がつかなかったところに気がついて、そこに「物語」が付与されていきます。これが映画の原点なんです。
映画が娯楽として確立されている現代であっても、私はその映画の本質にできるだけ忠実な作品を評価したいと考えているんですね。
そのため、物語を表現するために撮られた映像が織り成すビジュアルノベルのような映画には全く魅力を感じません。映像があって、その連続性が最終的に物語を紡いでいく、映画はこうであって欲しいと個人的にはどうしても考えてしまいます。
そしてそれをまさに体現しているのがロードムービーというジャンルなんですよ。
ロードムービーって白紙のキャンバスに色を付けていく作業なんですよね。ゴールなんて決まっていませんし、色を付けている最中はどんな絵が完成するかも分かりません。でも終わってみたら、それが一つの絵として完成するんです。
これってまさに映画の本質です。
だからロードムービーは映画界のキングなんです。
ロードムービーの王様ヴィム・ヴェンダース
ロードムービーは映画界のキングと先ほどから繰り返し述べてきましたが、じゃあそのロードムービー界の中のキングは誰なんだ?と言いますと、ドイツ映画界の巨匠ヴィム・ヴェンダースなんですね。
さらに、彼のロードムービーの中でも一際輝くのが「さすらい」という作品です。これは私のオールタイムベスト映画トップテンに必ず入る作品なんですね。
この映画の撮影秘話がとんでもないんです。
ヴィム・ヴェンダース監督は、トラックの運転手を撮りたいですとか、ドイツのこのルートで映画を撮ってみたいですとか、地方の廃れ行く映画館を登場させたいと言った撮りたい映像をひたすらロケハンで見つけ出して、ほとんど脚本も作らずにこの「さすらい」という映画の撮影を始めたんです。
そして、撮影をしながらその現場の中で、どんどんと物語が紡がれていきました。
この話を書籍で読んだときに、すごく感激したんですよね。これこそが本物の映画であり、本物のロードムービーだって確信しました。
ロードムービーって基本的に着地点は決まっていないんですよね。
まさに「さすら」うようにして映像が連続していき、その帰結として何らかの変化と答えが提示され、そこでようやく物語として帰結するんです。
ただ、普通映画を作るときには脚本段階でその作業を済ませてしまいますよね。
一方で、ヴィム・ヴェンダース監督はその過程をまさに撮影しながら、実演して見せたわけです。だからこそ彼は今でも「ロードムービーのキング」なんですよ。
今、あの傑作ロードムービー「さすらい」を撮れる監督は存在しないと思います。
ヴェンダース・ロードムービーの面影を感じさせる本作
(C)2017「ポンチョに夜明けの風はらませて」製作委員会 映画「ポンチョに夜明けの風はらませて」予告編より引用
さてここからは本作「ポンチョに夜明けの風はらませて」に話を戻しましょう。
この映画は紛れもなく、ロードムービーなんですが、何がどうすごいのか?ということがなかなか伝わりにくいと思うんです。
ロードムービーをざっくり2つに分けることができます。目的やゴールが明確に定まっている状態でスタートする作品。そしてそれらが定まっていない状態でスタートする作品です。
数々のロードムービーを見てきましたが、個人的には前者が多いように思います。
特に近年のロードムービーは前者の方に傾いています。2015年に日本で公開された傑作ロードムービー「私たちのハァハァ」も完全に前者に分類されるタイプでした。
他にも数々例はありますが、とりあえずキャラクターたちが旅を始める時点で、どこかを目指しているですとか、何かがしたくて飛び出すというケースは非常に多いわけです。その方が映画としてまとまりやすいですしね。
一方で、本作「ポンチョに夜明けの風はらませて」は完全に後者に分類されます。主人公たちは目的やゴールも無く、ただただ行き当たりばったりで、それこそ「さすら」うように旅を続けます。
その旅の中で、登場人物の考え方や意識なんかがどんどんと変化していって、そして彼らが出した「答え」として物語が帰結していきます。
つまり、作為性というものが、あまり感じられないように作られているんですよね。
卒業式を目前に控えた高校生たちの、自分のイメージを守ることに疲れたグラビアアイドルの、日々の生活に閉塞感を感じるソープ嬢の、それぞれの人生のその一瞬を切り取っただけ、そんな手触りを感じさせる映画なんです。
これが作られたものだなんて映画を見ているときには全く考えもしませんでした。
ただ見ている。その没入感を作り出せる廣原監督の手腕にはただただ脱帽です。
だからこそ、映画「ポンチョに夜明けの風はらませて」は本物のロードムービーなんです。
撮りたい映像をちゃんと持っている廣原監督
廣原監督の前作は「HOMESICK」という作品なんですね。
私はこの作品も鑑賞したんですが、本作との共通点から彼の撮りたい映像というのがどこにあるのか?というのを考えてみました。
私は、廣原監督が一番描きたいのは「破壊」だと思うんです。
そしてそれを映像として見せるために、作品に印象的なモチーフを登場させて、それを映像に収めることで表現しようとしているのだと考えています。
映画「HOMESICK」ではそれが段ボールの恐竜でした。この作品の主人公は30歳で失業してしまい、自宅からの立ち退きを求められている男性です。そんな彼が近所に住む子供たちと共に作り上げるのがこの段ボールの恐竜なんです。
(C)PFFパートナーズ/東宝 映画「HOMESICK」予告編より引用
そして終盤ではそれを河原で燃やします。
それはまさに主人公が閉塞感と苦悩、葛藤から抜け出し新たな一歩踏み出そうとしていることを象徴的に表しています。その「破壊」を映像に収めることで、廣原監督は主題を映像で表現しようとしているのだと思います。
(C)PFFパートナーズ/東宝 映画「HOMESICK」予告編より引用
一方で映画「ポンチョに夜明けの風はらませて」で破壊されるのは、ジャンボの父の愛車です。
この車に乗って、又八たちは旅をします。この車の「破壊」と本作のテーマ性については、ご覧になった皆さんの解釈に委ねたいと思います。ぜひ注目して見てください。
2種類の映像の使い分け
(C)2017「ポンチョに夜明けの風はらませて」製作委員会 映画「ポンチョに夜明けの風はらませて」予告編より引用
本作「ポンチョに夜明けの風はらませて」では、通常の映画撮影用カメラの映像とハンディカメラで撮ったような映像が、全く違うタッチの映像で組み合わされています。そのため、映画を見ていると時々映像の質感が大きく変化します。
実はこの技法に関しても、先ほど名前を挙げたヴィムヴェンダース監督が面白い試みをしているんです。
それが「都市とモードのビデオノート」という作品です。
作品自体は山本耀司というファッションデザイナーのドキュメンタリーなんですが、注目すべきはその撮影方法です。
通常の映画撮影用カメラとビデオカメラを同時に回して、2つのメディアで同時に映像を撮影しているんですね。
これによって2つのメディアがどう違うのか?それぞれどのような性質を持っているのか?という点が浮き彫りになります。当時は映画とビデオというメディアは対立するものであるという風潮が映画業界の間では強かったために余計にこの作品は衝撃的なものになりました。
さて、話を戻しましょう。最初にも述べたように映画「ポンチョに夜明けの風はらませて」では2つの質感の映像が登場します。
まず、通常の映画撮影用カメラですが、これによって撮られた映像はすごく均質的なんですね。
そのためすごく見やすいんです。ただそのために生きた手触りというものに乏しくなってしまいます。我々がその映画の世界に「侵入者」として介入しているような印象を与えて、もはや我々が映画の世界を邪魔しているような感覚さえ感じさせます。
一方で、ハンディカメラですが、これによって撮られた映像はすごく粗いんですね。そして暗いです。ですので、明らかに映像としては見にくいのです。
自然と我々自身がその映画の中に没入している感覚を強くします。我々が映画の中の世界に「いる」とまで錯覚させてしまいます。
ここが2つのメディアで撮影した映像に感じる個人的な特徴です。廣原監督はこの性質を理解した上で、意図的に使い分けています。どのシーンでハンディカメラで撮影された映像が使われているのかにも注目して見てください。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画「ポンチョに夜明けの風はらませて」についてお話してきました。
廣原監督はまだまだ作品数は少ないですが、現在発表している作品だけを見ても、類まれな才能の持ち主だと思います。
そして前作の「HOMESICK」が「都会のアリス」、今作「ポンチョに夜明けの風はらませて」が「さすらい」や「都市とモードのビデオノート」に通ずるものを感じることから、彼はヴィム・ヴェンダースの系譜であると個人的には考えています。
また、彼自身がこの映像を撮りたい!という確固たる思いを持って、映画を製作していることが作品からひしひしと伝わってくるあたりがまた素晴らしいですよね。こんな物語が撮りたいというよりも、こんな映像が撮りたい、廣原監督はそこから始まっているタイプの映画人だと思うんです。
もうべた褒めしてしまいましたね。彼のこれからの作品がすごく楽しみです。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。