目次
はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね本日より公開の映画『ジュラシックワールド2 炎の王国』についての感想や考察を書いていこうと思います。
考察をしていく関係で所々ネタバレになるような内容が含まれますので、作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
『ジュラシックワールド2 炎の王国』
あらすじ・概要
シリーズ14年ぶりの新作として2015年に公開され、記録的な大ヒットとなった「ジュラシック・ワールド」の続編。
前作でハイブリッド恐竜のインドミナス・レックスとT-REXが激闘を繰り広げ崩壊したテーマパーク「ジュラシック・ワールド」を有したイスラ・ヌブラル島。
そこに火山の大噴火の兆候が表れ、恐竜たちの生死を自然に委ねるか、あるいは危険を冒してでも救い出すか、人間たちは判断を迫られていた。
そんな中、恐竜行動学のエキスパートのオーウェンはテーマパークの運営責任者だったクレアとともに、恐竜たちを救うべく行動を開始するが、その矢先に島の火山で大噴火が発生する。
恐竜と心を通わせるオーウェンを演じるクリス・プラット、クレア役のブラウス・ダラス・ハワードらメインキャストが続投。
監督は前作のコリン・トレボロウに代わり、「永遠のこどもたち」「インポッシブル」などで注目されたスペインの出身のJ・A・バヨナが新たに務める。
(映画com.より引用)
ジュラシックシリーズ史上最恐の作品!!
ジュラシックシリーズは、スティーブン・スピルバーグ監督が手掛けた『ジュラシックパーク』に端を発する映画シリーズです。
基本的には人間のエゴや生命倫理に関する問いかけを根底に据えており、深く考えさせる内容でありながら、人間と恐竜が対峙する最高級のパニック映画でもあります。
例えば、シリーズ第一作目の厨房でラプトルと人間たちが対峙するシーンを覚えている方は多いのではないでしょうか?
姿の見えないラプトルが物音と共に迫ってくる恐怖。時折見せる影。そして突然現れる姿。
リドリースコットの『エイリアン』なんかもこういった手法を多用していますが、観客に驚きを与える上で最高の見せ方といえます。
他にもシリーズ第2作『ロストワールド』で見られた人間の寝室に突然現れるTレックスの影のシーンですよね。
自分たちが普段何気なく生活している空間に突然現れる異物の影という、非日常の到来をたったワンカットでこの上なく印象的に伝えてくれる映像でした。
映画『ジュラシックワールド2 炎の王国』はそんなスティーブンスピルバーグ監督がメガホンをとったシリーズ第1作・第2作を思わせる恐竜の描写が目立っていて、とにかく恐竜の影と足音だけが暗闇に響くという演出で、我々を恐怖のどん底に陥れてきます。
これって言わばホラー映画の鉄則を踏襲しているんですよね。結局人間が一番怖いものって姿や実体が見えないものだと思うんですよ。
だからこそ、恐怖の対象の姿を映し出してしまいたい気持ちを抑えて抑えて、極限まで恐怖心を煽った状態で姿を見せてきます。
この恐怖の対象が「見えていない」、言わば空白の時間をいかに操るかが観客の恐怖心の程度に大きく左右することは自明です。
映画の教科書とも言えるヒッチコック監督の『サイコ』の有名なシャワーシーンを思い出してみてください。
この殺人シーンの優れた点って、シャワーカーテンの向こうから影が迫って来る映像にあるんですよ。恐怖の対象は、姿を見せずに迫ってくるから怖いということを最も端的に表した名シーンですね。
今作『ジュラシックワールド2 炎の王国』もまたその「空白の時間」の操り方が巧すぎますね。
だからこそ観客はもうどうしたって恐ろしいんですよ。おそらくジュラシックシリーズ史上最も恐竜が怖く見えた映画だったのではないでしょうか。
ここからネタバレ注意です!!
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『ジュラシックワールド2 炎の王国』感想・考察
原題の”Fallen Kingdom”に込められた意味とは?
さて、本作は邦題こそ『ジュラシックワールド2 炎の王国』というタイトルになっていますが、原題につけられたサブタイトルはズバリ“Fallen Kingdom”です。
これは直訳すると「王国の落日」みたいなものでしょうか。つまり王国の崩壊を示唆するタイトルです。
本作の前半部分でパークが作られていたあの島が火山で崩壊し、恐竜たちの「王国」が崩壊しました。
つまりこの「王国の落日」というのはそれを示唆しているんだと予告編ではリードしてあったんですが、本編を見るとどうもそれがミスリードらしいということは容易に分かりますよね。
さて、恐竜といった太古の生命体が絶滅し、その後地球を支配しているのはどの生命体なのかと言うと、それは言うまでもなく人間です。人間はこの地球という王国で支配者に君臨する存在となったわけです。
本作『ジュラシックワールド2 炎の王国』が描いたのは、そんな人間たちが当たり前のように支配者として君臨してきた「王国」の崩壊を描いた映画なんですよ。
遺伝子工学で生命を自分たちの思うがままにするという人間のエゴが牙をむき、やがてはわが身を滅ぼさせるのだという警鐘が込められたジュラシックシリーズ。
これまでの作品では、それでも人間の地球の支配者たる地位は揺るぎませんでした。あくまでも恐竜は人間の管理下に置かれていたからです。
しかし、恐竜たちはもはや人間たちの手から解き放たれました。
つまりそこに待っているのは、弱肉強食の時代です。人間と恐竜、どちらかが王国の覇権を握るのか、それとも共存を図るのか。
その答えは3部作の最終作である次回作に託されたわけですが、パークという人間のエゴからついに恐竜たちが解き放つ様を描いた本作はシリーズで最も議論を呼ぶ作品になることでしょう。
考察:未来に対する責任を負うということ
さて映画『ジュラシックワールド2 炎の王国』で非常に重要なキーワードの1つとなったのが、間違いなく「未来に対する責任」でしょう。
これはジュラシックシリーズのある種のパラダイムシフトだと思うんですね。
なぜならこのシリーズが今まで描いてきたのは、「恐竜を生み出してしまったこと」に対する反省と責任だったからです。
シリーズ第1作で人間は恐竜を太古の昔から蘇らせてしまうという生命を弄ぶような行為を行ってしまうのです。
ハロルド博士は子供たちに本物の恐竜を見せてやりたいという思いからだったわけですが、彼は結局その行動を深く悔いることになります。
そして第2作の『ロストワールド』では、一転して恐竜たちを保護することを訴えます。つまり、自分が恐竜を生み出してしまったという過去に対する清算をしようとしているわけです。
でも、ここで考えて欲しいのは人間ってつくづく過去にばかり責任を感じる生き物だということです。
自分が既にしてしまったことについては反省し、責任を感じるのに、今まさに自分が起こした行動が未来にどんな影響を与え、それがどう跳ね返ってくるのかという想像をして、それに対する責任を負うという認識が薄いんです。
我々の科学は次々に新しい技術を開発し、世に送り出していきます。
しかし、その技術が未来に一体どんな影響を与えるのか、その可能性が顕在化した時にどうするのかそういう未来志向の視点がどうしても欠けてしまう傾向が強いと私は思うんですね。
そして問題が顕在化して、その可能性が「過去」になった時に初めて「責任」という言葉が発生します。
「未来に対する責任」とは、自分がいま考えていること、行動に移すことが未来にどのような影響を与えるかを考え、それに対して「責任」を負った上で実行に移すことです。
つまり、それは自分たちが「恐竜を生み出してしまった」という過去に対する「責任」を感じているのではもう遅いんですよ。恐竜という存在は現に蘇ってしまったわけですからね。
だからこそジュラシックシリーズは今作『ジュラシックワールド2 炎の王国』にて、そういった過去に対する自省的な視点を一気に振り払い、恐竜が共存する世界で人間がどう生きていくのかという未来志向の視点へとパラダイムシフトしたのです。
インドミナスレックスとインドラプトル
さて映画『ジュラシックワールド』で人工的に作られた恐竜として生み出されたのがインドミナスレックスという白いTレックスでした。
今作『ジュラシックワールド2 炎の王国』は前作では描けなかった遺伝子工学で生み出された恐竜の悲哀みたいなものも描いていますよね。
インドミナスレックスはただひたすらに人類を襲う恐怖の権化として人類に迫ってきました。
この恐竜はあくまでも「ジュラシックワールドで最も凶暴な恐竜を作ること」が主眼に置かれて遺伝子操作され、その点では完成形だったんです。
だからこそ彼は自分に書き込まれた遺伝子に忠実に人間を狡猾な手法で殺戮していきました。
そこに戸惑いの様な姿は見られませんでした。だからこそこのインドミナスレックスには、遺伝子操作された生き物の悲哀みたいなものを感じることはあまりありませんでした。
一方で、『ジュラシックワールド2 炎の王国』のインドラプトルは未完成のプロトタイプなんですよね。
さらに言えば、純粋に人間のための兵器として作られた恐竜です。
そのため遺伝子情報の中には人間に従うようにするためのものも書き込まれているのでしょう。
しかし、インドラプトルは映画で描かれたように人間を襲い始めます。
ただその姿がインドミナスレックスと決定的に違うのは、インドラプトルには自分に書き込まれた遺伝子に対する「戸惑い」、自分が作られたことに対する「悲哀」みたいなものが強く感じられる点です。
自分と似た形をしたラプトルのブルーと対峙した時によりそれが明確になりますよね。
いったい自分は何者なんだろうかと知能が高い恐竜だからこそ考えてしまうインドラプトルの悲しき姿に思わず涙がこぼれました。
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“振り返った”ブルーに見出せる可能性
さて、物語の終盤で印象的だったのがラプトルのブルーがオーウェンの下から去っていくシーンですよね。
このシーンでまず、なぜブルーは彼の下を去ったのかということが気になります。
(C)Universal Pictures from『Jurassic world fallen kingdom』movie trailer
それっておそらくオーウェン自身の行動にあると思うんです。
ブルーはインドラプトルがオーウェンたちに襲い掛かった時に、掛け値なしに真っ直ぐ助けに向かいました。まさしく人間と恐竜の絆が明確になったシーンだと思います。
しかし、その後のシーンで牢獄の中で充満するガスによって命を落としかけている恐竜たちを前にして、オーウェンは恐竜たちを外の世界へと逃がすことに否定的な姿勢を示しました。
このシーンはまさにオーウェンという人物が見せている自分はエゴで恐竜を救おうとしているわけではないという欺瞞を暴いたシーンとも言えます。
彼は表面的に否定していますが、その心の奥底には無意識のうちにエゴを抱え込んでいるんです。
だからこそブルーはオーウェンに引き留められた際に檻を一瞥して彼の下を去ったんだと思います。
言葉の上では「安全なところに・・・」とは言っているオーウェンですが、結局彼の本心もまた恐竜たちを捕らえて売りさばこうとした人間たちと同じエゴに支配されているんです。
だからこそブルーは敏感にそれを察知して、彼の下を離れたんでしょうね。
そしてですよ。注目したいのが去り際のシーンなんですが、このシーンに『ライフオブパイ』のトラの去り際を思い出したのは私だけでしょうか?
この映画におけるトラはすごくメタファー表象的な意味合いが強いので、単純には言えないのですが、『ライフオブパイ』の終盤でパイの下をトラが去っていく時、トラはパイのことを振り返らないんですよ。
これは「パイが辛く暗い過去をもう振り返らない」という強い意志の表れだと解釈されています。
一方の『ジュラシックワールド2 炎の王国』におけるブルーは森の中へと去っていく一瞬の刹那に、オーウェンの方を振り返っています。
つまりこの「振り返る」という行為は、次回作でオーウェンに残された彼自身の成長の可能性を示唆していると同時に、恐竜と人間の平和的な共存の可能性を残しているとも捉えられるんですね。
だからこそ「振り返る」という動作自体は何気ない行動かもしれませんが、私はブルーのあの行動に次回作で示されるであろう希望の可能性を見出す事ができました。
メイジーってスピルバーグ監督だよね
(C)Universal Pictures from『Jurassic world fallen kingdom』movie trailer
この記事の冒頭でも書きましたが、映画『ジュラシックパーク』とその続編『ロストワールド』を手掛けたのはスティーブン・スピルバーグ監督です。世界で最も有名な映画監督の1人ですので、知らないという方も珍しいのではないでしょうか。
そんな『ジュラシックパーク』『ロストワールド』においてスピルバーグ監督自身が投影されていたのは、言うまでもなくハロルド博士です。
『ジュラシックパーク』の原作を読んでいる人なら知っていると思うんですが、ハロルド博士って原作だととんでもない悪人なんですよ。ひたすらに恐竜ビジネスを追求する利潤至上主義者の様な顔をちらつかせています。
そんなキャラクターが映画版では大きく設定を改変されています。
子供に夢を魅せたいという動機で恐竜を復元したことやシリーズ第2作目で魅せた恐竜たちを保護したいという意志なんかは非常にスピルバーグ監督らしい設定だったと言えるでしょう。
さて、ここで少し話が変わるのですが、スティーブン・スピルバーグ監督がどのような幼少期を送ってきたかってご存じでしょうか?彼の作品は見たことあっても、意外と監督自身の背景というものは知られていないものです。
スティーブン・スピルバーグ監督はまだ幼い頃に両親が離婚してしまい、母親がいない環境で育ったんですね。
さらには、当時の彼は父親が離婚の原因だったと知らされていたため、父親に強い嫌悪感を感じていたそうです。
後に実は離婚の発端は母親の浮気だったことが分かり、スピルバーグ監督は父親と和解することになります。こういった複雑な父と子の関係が彼の作品には反映されていますね。
そしてもう1つ重要な事実が、彼はユダヤ系でした。
そこに失読症という障がいが重なり、彼は幼少の頃いじめを受けていたそうです。そんな時に彼を救ったのが映画でした。それが彼の映画監督としてのキャリアのルーツということにもなりますね。
さて、こういうスピルバーグ監督のキャリアを踏まえて考えた時に、本作『ジュラシックワールド2 炎の王国』の重要キャラクターであるメイジーという少女って実にスピルバーグ監督の幼少期を思わせる要素が詰まっていませんか?
母親がいなくなったこと、そしてベンジャミンロックウッドが父親代わりになって彼女を育てていること。メイジーを取り巻く家庭環境はスピルバーグ監督自身のそれに近似するところがあります。
また彼女は物語の中で自分がクローン人間であることを明かされますよね。この事実によって遺伝子工学によって生み出された存在としてメイシーは虐げられる側だった恐竜たちと自分の姿を重ねることになります。
作中のワンシーンでガラスに映るメイシーの顔にインドラプトルの顔が重なるワンシーンがありましたが、あの映像が如何に示唆的だったのかも伺えますね。
そして映画を見ていると、恐竜たちが人間から受けている仕打ちが非常に見覚えのあるものばかりだとは感じませんでしたか。それは、人種差別なんですよ。
例えば、人間は恐竜たちを彼らの住処から無理矢理檻に閉じ込めて、自分たちの世界へと連れてきて、その生命に値段をつけてビジネスをしようとしたわけです。これってまさしく奴隷の歴史を踏襲していますよね。奴隷船でありますとか、奴隷売買の人類の暗い歴史が蘇るシーンでもあります。
また檻に閉じ込められた恐竜たちがガスによって苦しめられている終盤のシーンは、ナチスドイツが第2次世界大戦中に行ったホロコーストのガス室が想起される映像です。
こう考えていくと、家庭環境、恐竜という画面の向こうの未知の生命体への憧れ、被差別的立ち位置という共通点が見られ、メイジーというキャラクターにはすごくスピルバーグ監督の影を感じてしまうんです。
つまりですよ、本作の一番描きたかったことってもしかすると、映画『ジュラシックパーク』の世界を生み出したスティーブン・スピルバーグ監督自身に、恐竜をどうするのかという選択を迫るというシチュエーションだったのではないかとどうしても私は勘ぐってしまうのです。
『ロストワールド』って、本作『ジュラシックワールド2 炎の王国』の中でベンジャミン・ロックウッドがやろうとしていたことを成し遂げたところで幕切れになっているんですよね。
人間は恐竜の島を作って、そこに恐竜たちを住まわせ、人間の干渉外としたわけです。ただそれって結局は人間のエゴの範疇ではないですか?
人間は自分たちの支配者としての地位を保ったまま、恐竜の命をも救うというただの美談なんですよ。だからこそ本作『ジュラシックワールド2 炎の王国』はスピルバーグ監督に改めて問うたのではないでしょうか?
もし恐竜を保護するという決断をしたならば、その瞬間に人間の「王国」が崩壊するという状況になった時に、それでもあなたは同じ決断を出来ますか?とこの映画は彼に問うたのではないでしょうか。
そしてその問いに答えを出したのが幼少期のスピルバーグ監督の面影を感じさせるメイジーだったのは偶然ではないはずです。
だからこそ私はこの『ジュラシックワールド2 炎の王国』にすごく『E.T.』を見た時に感じたのと同じ感情を抱いたんですよね。
宇宙人を捕らえて研究してしまえば、人類の発達に役立つことは間違いないでしょう。それでもエリオットはE.T.を地球から逃がす決断をしたんです。友人を、命ある生命体を世界を敵に回してでも守り切ったんです。
そんなスピルバーグ監督ならきっと、いや間違いなくあのスイッチを押したことでしょう。
そこなんだよ!!(笑)
ただこの監督が撮影した『怪物はささやく』っていう映画がありましてね、これが本作のメイジーの描写にすごく近しいところがあるんですよね。だから間違いなくこの映画はフアン・アントニオ・バヨナ監督印の映画なんです。
ただそれでも私はどうしてもメイジーという少女にスピルバーグ監督の面影を見てしまいました。まあこれは私の妄想ですし、妄想して楽しむぶんには自由ですよね(笑)
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おわりに
いかがだったでしょうか?
今回は映画『ジュラシックワールド2:炎の王国』についてお話してきました。
さて、ここまで長々とお話してきたわけですが、この映画北米の大手批評家サイトのRotten Tomatoesだと批評家、観客評価共に50%付近でして、かなり評価が低い映画になっているんです。
ただそんな前評判を他所に個人的には前作の『ジュラシックワールド』を大きく上回る出来栄えだったと思いますし、世界観の拡張のさせ方が『キングスマン:ゴールデンサークル』や『スターウォーズ:最後のジェダイ』よりもずっと巧かったように感じました。
また映像の力も凄まじくて、トリケラトプスの頭部骨格に貫かれて絶命するインドラプトルなんて画を考えたのは一体どこの誰なんですか・・・。凄すぎるでしょう・・・。
太古に存在していた遺物と化した野性の恐竜が、人類のエゴの象徴を貫いている極めて印象的な映像でして、ワンカットが絵画の一枚に見えてくるような美しいカットです。
他にももう映像だけで観客を虜にしてしまうようなシーンの連続で、終始テンションが爆上がりでしたね(語彙力)。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。