アイキャッチ画像:(C)2018 映画「青夏」製作委員会
目次
はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『青夏』の話題についてお話していこうと思います。
この記事では、前半はネタバレなしで作品の紹介や感想を書いていき、後半ではネタバレありで作品の解説を書いていきたいと思います。
途中まではこれからこの作品を見る人に向けて書いていくつもりなので、作品を未見の方も読んでいただけると思います。ネタバレになる内容に触れる際は改めて注意書きを明記します。
良かったら最後までお付き合いください。
『青夏』感想
みなさんが思っているよりもずっと深い作品!
このブログって普段は作品を見た方に向けての作品解説や考察がメインで、あまり作品を未見の方には優しくないんですよね。
ただ1人でも作品を見るために足を運ぶ人が増えて欲しいと考えた時に、作品の展開に深く言及せずに、その魅力を伝えることができるかというのは、ブログを書く者としての技量が問われるところです。
さて映画館によく足を運ぶ人であれば、この特報を目にしたことがあるのではないでしょうか?私も映画館で映画を見るたびに、幕間の時間にこの特報を見せられました。
そう感じてしまうのも無理はない特報映像だったと思います。かくいう私自身も同じ気持ちでした。少女漫画の実写映画が比較的好きで、おそらく今まで40作品以上見ている私ですら、全く見に行く気が起こりませんでした。
しかしです。劇場で60秒版の本予告が流れ始めた頃から、私の気持ちが大きく変化し始めました。
「夏だけの期間限定の恋」という印象が非常に強いこの作品ですが、これってまさしく青春映画の超王道を行く設定ではないですか?
みなさんは、青春映画がなぜこんなにも魅力的で、多くの人の心を惹きつけてやまないのかを考えたことがありますでしょうか?
それはですよ。「終わり」があるからなんです。青春というのは、人生のほんのごくわずかな限られた時間で、それは極めて刹那的です。
ただ青春というものは、「終わり」があるからこそその輝きを一層眩いものにするんですよね。
さらにその光というのは、過ぎ去ってしまえば、もう二度と手に入れることが出来ないものです。
だからこそ青春映画が多くの人を惹きつけることは必然なんです。
今まさに青春の真っ只中にいる学生たちにとっては、公開しない青春を送るためのバイブルのように映り、青春を過ぎ去ってしまってしまった人にとっては、昔を懐かしむような思いや自分が手に入れたくても手に入れられなかった輝きを体感できる時間になります。
かく言う私は、青春映画を見終わった後はいつもこんな感じです↓
はい、絶望感MAXです(笑)
私はいつも青春映画を見るたびに、こんなキラキラした青春送りたかったよ・・・。などと感傷に浸り、学生時代の様々な出来事に思いを馳せては、あの頃に戻りたいぜ・・・などとぼやいております。
でもこの時間ってすごく私にとっては大切で、何というか映画を見るという行為を通じて、疑似的に失われた青春を取り戻している感覚なんですよね(笑)
映画館行くと、一般料金1800円で、つかの間ではありますが青春時代に戻った気分になれるって最高じゃないですか?
さて、少し私の個人的な話に脱線しつつあるので、映画『青夏』に話を戻しましょう。この映画をこの夏の一押し青春映画として私が勧めたいのは、この映画がただ恋愛を描いただけの作品ではないからなんですよ。
高校生の男女の恋愛を描いた少女漫画の実写映画なんてもう毎年鑑賞しきれないほどに世に送り出されています。だからこそそういう映画はよほど出来が良いとかでない限りはおすすめできません。
しかしこの映画『青夏』は恋愛だけじゃないんです!!ここがどうしても私がみなさんにお伝えしたいポイントです。
そう思った、そこのあなた。ちょっと待っていただきたい。そうじゃないんです。
この『青夏』という作品の柱は「恋愛」と、そして「夢」なんですよ。
田舎と都会という距離を隔てた設定は実は「遠距離恋愛」の葛藤を描くための舞台装置では決してないということを分かっていただきたいのです。
近年田舎から都会への人口流出というのは、日本の社会問題にもなっていますよね。大学進学のための若者が都会に出ていって、そのまま帰ってこなくなり、田舎では労働人口がどんどんと減少していく傾向はもちろん危惧されるものです。
本作の主人公である吟蔵は、そんな田舎(上湖)の酒屋の息子でして、将来は父親の経営するその店の跡を継ぐことがある種、宿命づけられた存在です。また、彼自身も田舎から若者が出ていってしまう現状を危惧していて、自分は残らないとという責任感を感じているんです。
しかし、吟蔵には1つの夢があります。それはデザイナーになることです。彼は自分の実家である酒屋のポストカードやフライヤーのデザインを手掛けるなど、デザインの仕事にすごく興味を持っているんです。
そのためには東京に行って、美術学校に通って勉強しなければならないということは彼自身も分かっているんですが、上湖に残らなければならないという責任感と自分に才能がないことが分かってしまうことへの恐怖感から一歩踏み出すことが出来ずにいます。
そんな彼の考えに変化をもたらすのが「東京」から来た理緒であるのはある種の必然だとは思いませんか?「東京」からやって来た少女が自分のデザインを認めてくれる、自分に才能があると言ってくれる、東京に行けば良いのにと手をこまねいてくれる。
そして理緒のことが好きになってしまう。
彼女との出会いが吟蔵に「東京行き」の可能性をちらつかせるんです。そして彼は上湖の未来のために自分が残らなければならないという思いと自分が本当にやりたいことを出来る未来との間で葛藤することになります。
デザイナーになるのか?
それとも田舎で酒屋を継ぐのか?
自分が本当にやりたいことは何なのか?
そんな吟蔵がどんな決断を下したのか?それをぜひ劇場で見届けて欲しいと思います。
この『青夏』という映画はもちろん吟蔵と理緒の恋愛描写も魅力的なのですが、それ以上に「青春」とそしてそれにつきまとう自分の将来を自分の意志で選択するという大きな壁が描かれている点が個人的に高評価です。
先ほども書きましたが「青春」は、とても眩く輝かしいものですが、いつか終わりを告げるものです。そしてそれが終わった時に、自分はどんな人間になりたいのか?自分は何をしたいのか?これがはっきりしていないときっと後悔することになります。
だからこそこの『青夏』という作品を、今まさに青春を謳歌している人たちには、自分がいつか迫られる将来の選択の際に、どう決断すればよいのか?を考える1つのバイブルとして見ることができると思います。
また青春を終えてしまい、映画館で一般料金1800円を支払う必要があるそこのあなたには、青春を思い出すと同時に、今自分が本当にやりたいことが出来ているのか?と自問する良い機会になると思います。
「青春」はいつか終わります。「青夏」だっていつか終わります。でも「人生」だっていつか終わってしまうんです。だったら勢い任せでも自分のやりたいことをやってみる決断は無駄じゃないはず。そのためのほんの少しの勢いと勇気をくれるのが、この『青夏』という作品だと私は思っています。
映画『青夏』が映画館で見られるのは、この夏「限定」ですよ”!!
迷っているのであれば、飛び込んでしまいましょう!!
ぜひ映画館へ!!
青春映画と映画(映像)撮影
(C)2018 映画「青夏」製作委員会
ここから少しネタバレを含む内容になるので、作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
青春を描いた作品において時々、映画撮影が登場することがあります。これに関しては映画ではカットされてしまったので、挙げて良いのかどうかは分かりませんが、『聲の形』という作品も原作では、映画撮影を作品の重要な要素として用いていました。
他にも私が大好きな『あの夏で待ってる』という青春アニメでも、映画撮影が登場人物たちの関係性を変化させていく装置として用いられています。
そして本作『青夏』にも映画(PV映像)を撮影するシーンが登場しています。
では、なぜ青春を描いた物語において映画(映像)を撮影する描写が使われるのかと言いますと、それは映画と言うのは、戻らない時間をフィルムの中に閉じ込めて、半永久のものにするという、時間の不可逆性に抗うためのデバイスでもあるわけです。
だからこそ映画撮影という行為は、「青春」という刹那的で、不可逆な時間を切り取って、永遠の輝きにするという役割を作品の中で担っているのです。
この『青夏』という作品の中で印象的なのが、理緒が東京に帰る日の前日に、自分たちで撮影した映画(上湖のPV映像)がスクリーンに映っている様を見ながら、ひと夏の経験に思いを馳せるというシーンです。
私がこのシーンを見ていて、思い出したのはヴィムヴェンダースの『パリ、テキサス』ですね。
『パリ、テキサス』の中でも、家族を捨てて放浪していた男が、かつて撮影した家族の幸せな様子を切り取ったフィルム映像を見て、静かに感傷に浸るという名シーンがあります。
時間の不可逆性に逆らい、自分が通り過ぎてきた時間を追体験できることこそが映像ないし映画メディアの強みであり、その映画の原初的な特性を利用したのが、青春物語における映画(映像)撮影なんですよ。
理緒が上湖で過ごしたひと夏のあっという間の日々。
その日々は一瞬で、あっという間に最後の日を迎えてしまいます。しかし、その「青夏」は映像の中に刻まれることで永遠となり、時間を超えて彼らの心を突き動かしていきます。
主題歌の『青と夏』が最高すぎた!
本作の主題歌を担当するのがMrs. GREEN APPLEさんで、曲目は「青と夏」なんですね。
公式からMVのショートバージョンが上がっているので、ぜひこちらを聞いてみて欲しいのですが、この曲とにかく最高です!!『青夏』の予告編でこの曲が流れた時に、自分の中でこの映画に対する関心が沸き上がったというくらいには、素晴らしい楽曲です。
具体的にこの曲のどこに心惹かれたのかと言いますと、サビの終盤の歌詞なんですよね。
映画じゃない 主役は誰だ
映画じゃない 僕らの番だ
(Mrs. GREEN APPLE『青と夏』より引用)
この歌詞すごくないですか?だってこの「青と夏」って曲は映画の主題歌なんですよ!
映画の主題歌で「映画じゃない」という歌詞を入れてくるセンスに脱帽しましたし、しかもそれが『青夏』という作品の構造に重なっているのが驚きですよね。
先ほど『青夏』という作品では、映画(PV映像)の撮影を理緒たちがするシーンがあると指摘しましたよね。これは彼女たちのひと夏の青春を閉じ込めた映像であり、彼らの青春映画です。
そしてその映像を舞台の表から見つめる理緒、裏方から見つめる吟蔵。
つまりこの作品におけるPV映像(映画)はある種のメタ構造を構築しているんですよね。ここまでの「ひと夏の青春」は君たちの映画。ここからは「映画じゃない」よ。この先の未来を決めるのは君たちだ!!と言わんばかりです。
だからこそ彼らはPV映像(映画)の中に収められた「青夏」のその先の物語を、自分たちで決断し、自分たち主役になる物語を掴み取ろうとするんです。ここから先は「僕らの番」なんですよ!!
そう考えるとMrs. GREEN APPLEさんの「青と夏」という楽曲は、極めて『青夏』という映画と親和性が高い内容になっています。
いやはや恐れ入りました。
運命の王子様は待っていても現れない
本作の主人公である理緒は、少女漫画のような「運命の出会い」に憧れている女子高生です。
少女漫画における「運命」というものは突然自分の前王子様が現れて、そして予定調和かのように恋が始まることを指しています。
王子様は自分が待っていればいつかきっと表れてくれるというある種のシンデレラシンドローム的な願望を理緒は持っています。だからこそ受け身的に、その「運命」の到来を待ちわびているのです。
夏休みに祖母の実家に戻ると、突然自分がずっと待ちわびていた「運命」が降りかかります。しかし、その「王子様」には、許嫁同然の存在がいて、東京に帰ると離れ離れになってしまう上に、一度理緒は告白するも玉砕してしまいます。
自分が待ちわびていた「運命」は「運命」ではなかったと言わんばかりの展開が彼女に次々に降りかかります。
ではそこでこれは「運命」ではなかったと諦めてしまうのか。吟蔵と対照的な存在であり、ライバルとして祐真という東京の高校生が登場します。理緒と彼との出会いはいわゆる合コンです。これって極めて現実的な出会いでして、少女漫画的な「運命の出会い」とは対照的です。
理緒は吟蔵と祐真という2人の男性の間で心を揺さぶられることになるんですが、これは言い換えると「運命」を信じるのか、それとも「運命」を信じることを止めるのかという決断を迫られているということでもあるんですね。
しかし、吟蔵には告白しましたが、振られてしまったことでその「運命」を否定されてしまいます。
では彼女はどう決断したのか。それは自分で「運命」を作り上げることです。つまりステレオタイプ的な、受け身の姿勢で「運命」を待ちわびる少女漫画ヒロイン像を脱して、ここから彼女は能動的に「運命」を切り開こうとする新しいヒロインへと変わっていくんです。
だからこそ『青夏』は、単に少女漫画的な「運命の出会い」や「運命の恋」を描いた作品ではありません。強いて言うなれば、「運命」じゃなかった恋を「運命の恋」にした物語でしょうか。
そういう意味では、少女漫画原作でありながら、少女漫画の殻を破ろうとした作品であると言うこともできますね。
この映画はそういうマンガみたいな「運命」や「奇跡」を信じることを止めてしまった大人にこそ響くものがあるのかもしれません。
自分がほんの少し勇気を出して飛び込めば、そんなフィクショナルで、非現実的な「運命」は現実にできるのかもしれない。そんなことを考えさせてくれる作品でもありますね。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『青夏』についてお話してきました。
本記事は絶賛一色のように書いてきましたが、もちろん全面的に高評価かと聞かれると決してそうではありません。
キャストの演技面に関しては少し苦しい部分を感じましたし、演出的な面での安っぽさや説明的な描写の過剰さなど邦画にありがちな悪さを宿した作品ではあります。
しかし、それ以上にこの物語の魅力は素晴らしいですし、多くの人に見ていただきたいと思います。だからこそ私は自信をもってお勧めできます。
もちろん『青夏』は原作も素晴らしいですが、この作品の特性上すごく映画映えするんですよ。それは「映像の力」をプロットに盛り込んだ作品だからということもできますし、2時間弱という尺の方が刹那的な「青夏」の時間間隔をよりリアルに味わうことができると思うからです。
確かに特報映像は「なんだこれ?」と私自身も感じましたし、正直見に行く気も起きないようなものでした。
でもそれでこの作品を敬遠してしまうのは、少し勿体ないですよ。ぜひぜひ映画館で『青夏』を体感してほしいと思います。
当ブログでは少女漫画の実写化映画25作品のレビュー記事を書いております。こちらでは、一覧で私の作品に対する評価が見られるようになっているので、ぜひぜひチェックしてみてください。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。