アイキャッチ画像:© 2018 SONY PICTURES ENTERTAINMENT (JAPAN) INC. ALL RIGHTS RESERVED.
目次
はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『イコライザー2』についてお話していこうと思います。
本記事は一部作品のネタバレになるような内容を含む感想と解説になります。ですので作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
『イコライザー2』
あらすじ
前作でホームセンター店員として働いていたロバート・マッコールが何と転職!!
次なる職はタクシー運転手に!!
しかし、それは表の顔。彼の正体は元CIAエージェントで、この世の悪を裁いていくビジランテ、通称「イコライザー」でした。
なんですが、前作でも「19秒」で悪を成敗するシーンって1回しか登場しませんでしたし、元々「16秒」で倒そうとしていて、結果として「28秒」かかってそこから戦闘開始までの「7秒」と戦闘後の「2秒」を差し引いて、19秒かかりましたというだけの話なんです。
正直このキャッチコピーよく分からないですよね。それにも関わらず、続編でもこの「19秒でこの世の不正を完全抹消する「仕事」請負人」というフレーズが付き纏っています。ちなみに劇中では時計を扱うシーンそのものが前作よりも少なくなっています。
ある日、CIA時代の元上官で前作にも登場した親友のスーザンが何者かに殺害されてしまいます。
ロバート・マッコールは彼女の死の真相を突き止めるべく、捜査を開始します。すると浮かび上がってきたのは、手口から推測して、彼女を殺害したのはマッコールと同じ特殊訓練を受けているという人物であるという事実でした。
ロバート・マッコールは「悪」を討ち、世界を「イコライズ」することができるのか?
スタッフ・キャスト
本作『イコライザー2』の監督を務めるのは、前作から引き続いてアントワン・フークアですね。前作でも黒澤明監督作品に影響を受けたであろうカットを盛り込み圧巻のアクションシーンを実現した、彼が続編となる本作でもさらにパワーアップしたバトルシーンを実現しています。
とにかく作品の後半に登場する迫力のカーチェイスや銃撃戦はとんでもない緊迫感と臨場感なので、ぜひとも劇場で見て欲しいですし、欲を言えば音響の良い映画館で見て欲しいですね。
ちなみに前作以降の彼の監督作品としては『マグニフィセントセブン』や『サウスポー』が挙げられます。前者は個人的にもおすすめしたい「荒野の七人」のリメイク版になります。良かったら鑑賞してみてください。
脚本を担当するのも前作からの続投でリチャード・ウェンクですね。『マグニフィセントセブン』でもアントワン・フークア監督とタッグを組んでいます。
前作はロバート・マッコールを引き立てるための脚本を書いてきたという印象ですが、今回はかなり作品の毛色が変わっていて、アメリカにおける「黒人問題」への言及が明確になされていますね。この点は賛否分かれるところでしょう。
前作ではマウロ・フィオーレが撮影監督を務めていたのですが、今回はボーンシリーズなどで知られるオリヴァー・ウッドが撮影監督を務めました。前作とはアクションシーンの撮影のアプローチが変わったなと感じる部分が何度かあったので、撮影監督が変わったということであれば腑に落ちますね。
そしてキャストに関してですが、主人公のロバート・マッコールを演じるのはもちろんデンゼル・ワシントンです。
前作の『イコライザー』から4年が経過していますが、少し落ち着いた印象が増していてロバート・マッコールというキャラクターにも味が出ていました。
そのようですね。これまで数多くの作品に出演してきたにもかかわらず、そのフィルモグラフィーに続編映画がないというのも興味深いお話ですよね。彼についてのお話は後の章でもう少し詳しくお話しますので、ここではこれくらいにさせていただきます。
スーザンの同僚CIAのエージェントであるデイブ・ヨークを演じるのはペドロ・パスカルですね。もしかすると名前と顔だけでは浮かばないという方が多いのではないかと思いますが、彼は『キングスマン ザゴールデンサークル』にもウイスキー役として出演しています。(投げ縄で闘ってた人です。)
そしてスーザン・プラマーの役には前作から引き続きメリッサ・レオが出演しています。
前作からキャストがガラッと変わった『イコライザー2』ですが、それでも全く完成度が落ちた印象はありませんし、むしろアクションシーンに関しては前作とは違った在り方を模索しているような印象で、非常に意欲的な続編作品に仕上がっていたと感じました。
前作ファンも、そしてまだ前作を見ていない方も必見の一作です。
より詳しい情報は映画公式サイトへどうぞ!
スポンサードリンク
感想:やっぱり痺れるデンゼル・ワシントンのアクションシーン(ネタバレ含む)
デンゼル・ワシントン演じるロバート・マッコールというキャラクターは元CIAエージェントで、既に一線を退いているというキャラクターなんですが、前作ではホームセンター、今作ではタクシー運転手として真面目に勤務していて、困っている人を見過ごせないという非常に真面目で、勤勉な人物です。
そういう表の顔と、一たび悪と対峙した時の「イコライザー」としての表情や言動のギャップが凄まじいんですよね。複数人を相手しても、あっという間に片づけていく映像シーンクエンスはもう圧巻で、見ていて身体に電流が走ったような快感を覚えます。
ここまでは普通のアクション映画でも変わらないことなんですが、私が思う「イコライザー」特有のアクションシーンの妙が2つあります。
- 身の回りにあるものを使って戦うこと
- ロバート・マッコールが傷を負わされること
この2つの事実が『イコライザー』におけるロバート・マッコールというキャラクターとそのアクションシーンを一層引き立てていたのだと個人的には考えております。
まず1つ目これは「必殺仕事人」と同じ戦い方ですよね。手持ちの銃や素手で戦うだけではなくて、戦いの中で身の回りに置かれているものや落ちているもの、敵から奪ったものを駆使して闘う姿というのが何というかロマンを凝縮した感じで最高にテンションが上がります。
モスクワマフィアたちをホームセンターに置かれている工具なんかを武器にして次々に倒していくシークエンスは圧巻でした。
そしてもう1つのロバート・マッコールが傷を負わされることですが、これが個人的にはすごく好きなんですよ。
というのも『イコライザー』のような「主人公無敵タイプ」のアクション映画において、基本的に主人公が「負けるかも」みたいなシチュエーションに追い込まれることは少ないように思います。
ハチミツやドアノブといったこれまた身の回りにあるものを使って、戦いの最中に自分で応急処置を施したりしてしまうシーンがあったりして本当に勝てるか勝てないかの瀬戸際で戦っているんだという緊迫感が伝わってきます。
ジェイソン・ステイサムなんかがアクション映画の主役を務めると、ひたすらに主人公が無双する映画が出来上がったりしますが、『イコライザー』は主人公無双タイプの作品でありながら、先ほど挙げた2つのポイントを盛り込むことでアクション映画としての硬派さを増しています。
そう考えていくと、実は『イコライザー2』ってアクション自体の毛色も前作とは異なるのではないかと思います。
そうなんです。前作では頻繁に登場していた時計なんですが、続編となる本作では影が薄くなっています。
さらにロバート・マッコールが前作よりもパワーアップしていて、キズを負って負わせての一進一退の攻防というシチュエーションが無くなってしまいました。とにかく「悪」に制裁を下すという「必殺仕事人」感が強まったとでも言いましょうか。
確かにそれは間違いありません。しかし、今作のラストバトルはかなり前作と違うのが非常にFPS風の味付けが強い銃撃戦が展開される点ですね。時にPOV視点(一人称視点)の映像なんかも混ぜながら展開される一連のシークエンスは、前作を超える緊迫感を孕んでいると言っても過言ではないように思います。
特に最後の最後の「一騎打ち」の場面って『メタルギアソリッド4』のラストのスネークVSリキッドの場面を想起させる映像になっています。2人の男が繰り広げるCQC(近接格闘)対決はもう見ている我々の方まで張り詰めた空気感が漂ってくるほどの迫力でした。
確かに前作の良かった部分というのが、少し失われた印象もあるんですが、前作には無かった新しいアプローチもたくさん見られ、やはり他の主人公無双系映画とは一線を画する何かを感じさせてくれる内容でした。
全くトーンダウンしてませんよ!!!
解説:本に隠された『イコライザー2』のメッセージ
『イコライザー』という作品を読み解く上で絶対に避けては通れないのが劇中に登場する本です。
例えば前作においては『老人と海』や『ドン・キホーテ』が登場していましたし、今作には『世界と僕のあいだに』や『失われた時を求めて』、『アメリカの息子』といった作品が登場しました。
老人と海:ヘミングウェイ
当ブログ管理人は中学生の時に『老人と海』で読書感想文を書きました。それくらいに以前から思い入れの深い作品なのですが、前作の『イコライザー』の冒頭のダイナーのシーンでロバート・マッコールは若い娼婦のテリーとこんな話をしています。
テリー:「魚は釣れたの?」
ロバート:「ああ、彼は釣ったよ」
テリー:「じゃあハッピーエンドね」
ロバート:「いや、そう単純じゃない。彼は釣った魚を船にくくりつけて港まで運んだが、途中で魚をサメに喰われてしまうんだ」
テリー:「じゃあ無駄骨ってわけ」
ロバート:「そうとも言えない、彼は闘うべき相手と出会うことが出来たんだ」
(映画『イコライザー』より引用)
このやり取りが一体どんな意味を持っていたのかを考えていくと、『イコライザー』という映画にこの本が登場することが必然であることはお分かりいただけるでしょう。
ロバートが老人だと仮定するならば、魚とはテディ(前作最大の敵)であることが見えてきます。彼はテディと対峙し、彼を打ち倒すのですが、それによってこの世界が「イコライズ」されたのかというと決してそうではないですよね。
彼は世界に蔓延る数え切れないほどの巨悪のうちの1つでしかないわけですから。しかし、彼を倒したことが無意味だったのかと聞かれるとそうではないですよね。なぜならロバートは「イコライザー」としての生き方を見出すことができたからです。
『ドン・キホーテ』:セルバンテス
「騎士のいない時代に騎士であろうとする男の話」として『イコライザー』の中に登場したのが『ドン・キホーテ』という作品です。
ドン・キホーテという人物は騎士道物語の読みすぎで、自分が騎士であると錯覚し、世の中の不正を正そうと旅に出る人物です。若い娼婦でありながら、将来は歌手になることを目指すテリーはその話を聞いて劇中のドン・キホーテの姿を自分に重ねます。
歌手になど慣れないと自覚しながら、その憧れを捨てきれず、いつかは夢をかなえることができるのではないかと理想にしがみつき続ける自分を嘲っているように感じられますね。
『失われた時を求めて』:マルセル・プルースト
今作の中でロバート・マッコールが妻を偲んで読んでいた「名作文学100冊」の最後の1冊が登場するのですが、それがこの本です。
私もこのシリーズを全て読めているわけではないんですが、このプルーストの『失われた時を求めて』を求めての第1章はまず、夜眠れずに半睡状態でベッドの上で過ごしている語り手が、自分がかつて過ごした7つほどの様々な部屋を回想していくというところから始まります。
この眠れない語り手が、不眠に悩まされるロバート・マッコールの姿に重なることは言うまでもないですよね。そこからさらに解釈を膨らませていくと、ロバートが自分の妻を、そして妻と過ごしたあの家を強く思っていることが想起できます。
彼は妻の念願だった「名作文学100冊」の読破にあたって、最後にこの本を読み、かつての美しい日々を回顧していたのでしょう。
『イコライザー2』の終盤に登場するロバート・マッコールがマイルズにこの本を読ませているシーンを見ていると、彼らが親子の様に見えてきて、妻との幸せがこの家で続いていたらならば、こんな光景がいつか実現していたのかもしれないと思わされ、涙がこぼれました。
『アメリカの息子』:リチャード・ライト
リチャード・ライトの『アメリカの息子』という作品を関口功氏は「黒人文学=抗議小説という定式を確立したところに、この小説の大きな意味がある。」と語っておられます。
この作品は誤って白人の女性を殺害してしまったアメリカの青年が死刑になるまでの物語を描いています。
『アメリカの息子』という作品には、ポストモダニズム的な視点が内包されていて、黒人の青年が罪を犯さざるを得ない状況を産んだアメリカという国こそが真の加害者なのではないかという痛烈な脱構築的批判を打ち出しています。
そんな黒人文学のパイオニアとも言える1冊がロバート・マッコールの家のシェルターのキーを隠しているのも運命的なものを感じますね。
スポンサードリンク
『世界と僕のあいだに』とデンゼル・ワシントンという俳優
『イコライザー2』の中で最も注目すべき本はやはりタナハシ・コーツ著の『世界と僕のあいだに』でしょう。劇中でロバート・マッコールがマイルズにこの本を手渡していました。
当ブログ管理人もこの本は読んだことがあるのですが、もう自分の常識を根底から揺るがされたというほどに衝撃を受けた1冊です。
アメリカで黒人として生きるというのは、どういうことなのかを父から息子への書簡形式で綴った一冊でして、発売以来世界中に大きな影響を及ぼした1冊とも言われています。
この書籍は徹底的にアメリカにおける白人と黒人の対立構造にフォーカスしていて、オバマ大統領が提唱していたような「橋渡し」などという甘いアプローチには断固として反対であると言わんばかりに、ひたすらに黒人が今もなお虐げられている現状を赤裸々に綴っています。
近年ハリウッド映画界でもポリティカルコレクトネスや黒人差別排斥を謳った作品が多く登場していますが、この本を読むとそんなものはもはや紛い物の「幻想」に過ぎないのではないか?綺麗ごとに過ぎないのではないか?と考えさせられます。
アメリカには公民権法制定後も、そして黒人大統領が誕生した後も、黒人に対する差別が根強く残っていて、その現状は何ら改善などされていません。結局はアメリカ人の抱く「自由と平等を愛する国」というのは白人の幻想であり、結局そこに黒人など含まれてなどいないのです。
父から息子に宛てられたこの書簡の中で、「アメリカは誰にでも機会を与える素晴らしい国」だが黒人にはそれは不可能であり、夢を持つことなどできないのであるという現実を突きつけています。
『世界と僕のあいだに』という本がこういった内容であるということを踏まえて考えていくと、『イコライザー2』見え方は大きく変わってくるのではないかと思います。
今作に登場するマイルズという黒人青年は夢を持っていますが、それを実現することを半ば諦めていて、仲間と共にドラッグに手を出したりと言った退廃的な生活を送っているという側面があります。これはまさに「夢を持てない」黒人たちの掃き溜めのような場所です。アメリカという国に絶望し、自暴自棄になってしまった彼らの現状がそこにはあります。
© 2018 SONY PICTURES ENTERTAINMENT (JAPAN) INC. ALL RIGHTS RESERVED.
ロバート・マッコールという男はそんな掃き溜めからマイルズを救い出そうとします。そうして前作でテリーにも言っていたように「君はなりたい自分になれるんだ」「正しき事を為せ」と言った激励の言葉をかけます。
しかし、『世界と僕のあいだに』という書籍の中でも綴られているようにアメリカで夢を追う黒人の立場は非常に厳しいもので、常に虐げられる立場にあります。それでもロバート・マッコールは彼を激励し続け、彼が掃き溜めから這い出すための助けになろうとします。
確かにそうです。ただここでロバート・マッコールという人物をデンゼル・ワシントンという俳優が演じていることに意味が出てきます。
彼は幼少期を公民権法が制定される前のアメリカで過ごしていて、黒人差別の悲惨な現実を誰よりも理解している俳優の1人でもあります。しかし、そんな境遇に生まれながらも、努力に努力を重ねて必死に這い上がってきたとんでもない人物です。
そして彼は俳優になってからも徹底的にハリウッド映画界に蔓延る「白人の幻想」に抗ってきました。彼は徹底的に「黒人らしい」役を受けようとはしなかったんですね。当時エディ・マーフィが黒人コメディ俳優としてブレイクしていたのは有名な話ですが、その頃のアメリカの黒人俳優のイメージは基本的に「コメディ要員」でしかなかったわけです。
そんな伝統をデンゼル・ワシントンは社会派な映画に多数出演することで覆してきたんですよね。つまり、ハリウッド映画界における黒人俳優の道を切り開いてきたパイオニアの1人が彼ということになります。
おそらくロバート・マッコールという役を他の俳優が演じていて、マイルズにどれだけ「君は何にでもなれるんだ。」という言葉をかけていたとしても、何の説得力も無い浅いポリコレ描写として片づけられてしまっていたことでしょう。
しかし、ロバート・マッコールはデンゼル・ワシントンが演じているのです。『世界と僕のあいだに』のような厳しい現状がありながらもそれを切り開いて這い上がってきた彼が言っている。だからこそその言葉には重みと説得力が宿ります。
デンゼル・ワシントンが演じたことで『イコライザー2』はもはや反ポリティカルコレクトネス映画と形容することもできるかもしれません。
ポリティカルコレクトネスという白人が作り上げた「甘い幻想」を打ち砕き、黒人の厳しい現状を映し出しながらも、デンゼル・ワシントンという男が自らの人生の重みを乗せた言葉でもって「希望」を見せるこの映画は近年の上辺だけの反人種差別映画とは一線を画しています。
『イコライザー2』という作品はもはや映画という枠に留まらず、デンゼル・ワシントンが今のアメリカを本当の意味で「イコライズ」していきたいという強い決意を表明した作品なのかもしれません。
おわりに
いかがだったでしょうか。
当ブログの『イコライザー2』記事は劇中に登場する書籍やデンゼル・ワシントンという視点から書いてみました。
アメリカの大手批評家サイトでも51%の支持に留まるなど(前作は60%)、あまり評価は高くない印象はあります。
確かにアクションシーンだけで言うならば、前作の方が私個人としても上だと思っています。しかし、1つの物語として見た時に、この『イコライザー2』という作品はすごく重要な意味合いを持っていると思います。
前作『イコライザー』の冒頭で引用されたマーク・トウェインの言葉がありましたよね。
「人生で最も大事な日は二日ある。生まれた日と、生きる意味を見つけた日だ」
これはまさしく『イコライザー』という作品を象徴する言葉です。誰にでもこの世に生を受け、そして生きる意味を見つける権利があるはずだと。たとえ自分がアメリカに生まれた黒人であったとしてもです。
ポリコレという白人が作り上げた幻想に覆い隠されようとしているアメリカの黒人社会の現状にもう一度フォーカスしようとした『イコライザー2』の作品性を高く評価したいと思いました。
まさにこの映画はロバート・マッコールの映画であり、デンゼル・ワシントンという俳優の映画なのです。
「ならばその世界を変えろ。」
今回も読んでくださった方ありがとうございました。
関連記事
彼が製作を担当したスパイク・リー監督最新作『ブラッククランズマン』の記事もぜひ!