(C)2018「ハナレイ・ベイ」製作委員会
目次
はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『ハナレイベイ』についての感想や解説を書いていこうと思います。
作品の内容的にあまりネタバレどうこうという話にはならないと思うんですが、前情報なしで映画を見たいという方はこの段階で読むのを止めることを推奨します。
良かったら最後までお付き合いください。
映画『ハナレイベイ』
あらすじ
ある日、タカシはサーフィンをするためにハワイのハナレイベイへと向かう。
そこで1か月ほど滞在していた彼だったが、帰国直前にサメに襲われて命を落とす。
タカシの母サチは1人、ハナレイベイへと向かう。身辺整理や葬儀を済ませ、タカシの私物も片づけてしまった彼女。
そこから10年間、彼女は何かを追い求めるかのようにハナレイベイへと足を運び続ける。
彼女はハワイの大自然と向き合う中で、徐々に自分の息子に対する思いを自覚するようになる。
生前、憎らしいとまで思っていた自分の息子を、彼女はどうしようもなく愛していたのだ。
これは祈りとそして希望の物語である。
スタッフ・キャスト
本作の監督・脚本・編集を務めるのが松永大司さんですね。
2015年公開の『トイレのピエタ』で大きな注目を集めた映画監督でもあります。
これが彼の長編映画デビュー作なんですが、既に独特の空気感を確立しているような様子すら見受けられます。
ドキュメンタリー映画で培われたであろう写実性が強い作風でありながら、映像で観客に訴えかけようとする姿勢が一貫していて、1つの作品の中に「パンチライン」になるような画が何度となく挿入されています。
そのため『トイレのピエタ』を見た時に、今後の作品も非常に楽しみだと感じていた次第です。
少なくともヴィム・ヴェンダースのようなタイプの映画監督が大好きな当ブログ管理人としては、非常に好きなテイストの映画を撮るクリエイターだと認識しておりました。
撮影を務めたのが、近藤龍人さんです。
この方は今年公開の『万引き家族』でも撮影を担当されていて、是枝監督がカンヌ映画祭にてパルムドールを受賞する足掛かりにもなった存在です。
役者との距離感を意識しつつ、絶妙な画を模索していく彼のスタイルは是枝監督も自身の絵コンテを放棄してでも、その案を採用していたという程です。
以下ニュース記事からの引用です。
また、当初は自ら書いた画コンテを基に撮影を進めていくはずだったという是枝監督だが、撮影を数シーン終えたところで、「リハーサルをして、役者が動くのを見ていたら、近藤さんが僕の画コンテとは違う場所で見ていたんです。
それで近藤さんのところへ行くと、ああ、このポジションのほうが確かにいいなと。そういうことが何度かくり返されたので、基本的に近藤さんにお任せすることにしました。画コンテは鼻紙にしてくださいって言って」と、考えを改めたことを明かしている。
(Real Sound 「是枝裕和監督も称賛 『万引き家族』撮影・近藤龍人×照明・藤井勇の是枝組初参加コンビに注目」より引用)
そういうことですね。
映画『ハナレイベイ』に魅力的な画が多いのは、松永監督の作家性もありつつ、近藤龍人さんの撮影技術と発想力にも裏打ちされているということです。
本作『ハナレイベイ』で主演を務めたのが吉田羊さんです。
もう疑う余地のない位に演技が上手い女優です。
特に本作のような少し芯のあるキャラクターを演じさせると日本では右に出るものはいないんじゃないかと思わされます。
そうですね。確かに吉田さんはコメディに出演すると、演技が上手すぎるがゆえに作品から浮いてしまう印象があります。
その点で本作は彼女の実力が100%発揮される舞台だったのでは?と考えております。
息子のタカシを演じたのが佐野玲於さんですね。
当ブログ管理人としては、今年『虹色デイズ』に出演されているのを見て、初めて知りました。
本作『ハナレイベイ』では、憎たらしい存在でありながら、それでも愛らしさを拭いきれない絶妙な人間性を演出されていて、非常に素晴らしい演技だったと思います。
もう1人の物語のキーマンである高橋を村上虹郎さんが演じています。
天真爛漫で、無邪気な表面とは裏腹に、理知的な人間性を孕んでいるというこれまた難しいキャラクターを演じているんですが、見事に演じ切っておられました。
吉田羊さんも素晴らしかったんですが、若手俳優の2人がそれぞれに素晴らしい貢献をしていて、その関係性が作品の価値を高めている印象ですよね。
また、ワンシーンしか登場していないんですが、サチの夫で麻薬中毒の亮を演じた栗原類さんがとんでもないインパクトだったので少しだけ触れておきます。
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映画『ハナレイベイ』感想
このシンプルさに惚れないはずがない
この映画は上映時間が97分でして、2時間尺の長編映画が一般的になりつつある昨今では比較的短めの作品と言えます。
さらに言うと、物語としてもワンテーマで、キャストの人数も最小限、登場する舞台も最小限です。
つまり『ハナレイベイ』はとにかくミニマルな作りの映画なんですね。
これまた面白いのがこの作品の原作って実はあの村上春樹さんなんですよ。
ハルキストの方々に怒られそうなんですが、私は村上さんの小説って「情報過多」というイメージがあります。
彼の小説の特徴は、やはりその独特の表現ということになるのでしょうが、それにしても小説としては描写しすぎな部分が散見されます。
これも言葉遊び的な側面から言うと面白いんですが、小説としての評価となると、個人的にはあまり高くなりません。
ただそんな「情報過多」の代名詞とも言える村上春樹さんの小説をベースにして作られた『ハナレイベイ』という映画は驚くほどに原作とは対照的です。
徹底的に映像に全てが委ねられたシンプルかつ、原初的な作りが冴えていて、すごくスマートな映画になっています。
これは私が常々思っていることなんですが、最近の邦画って「ビジュアルノベル」チックな作りになっているものが多すぎるんですよ。
せっかく映像という武器があるにもかかわらず、セリフやナレーションで状況や心情を全て説明してしまう映画が後を絶ちません。
こんなものは映画として全く持って価値がないというよりも映画である意味がないんですよね。
ハリウッド映画界でもアカデミー賞レースに絡んでくるような作品はそういった映像でのテーリングが徹底されています。
それを追求する作品がもっと現れないと、日本の映画は国内市場から出られないままになってしまうと思うんです。
そういう意味で『ハナレイベイ』は、1つ日本映画に忘れられた映画言語を取り戻してくれているようでもありますし、そんな映画を作った松永監督に敬意を表したいです。
吉田羊VS自然、その画にすべてを託した
人が何かによって殺されたとします。
それが病気であれば、病気を怨めばよいのかもしれませんし、はたまたそれが寿命だったと受け入れることも容易いのかもしれません。
それが他人であれば、その人に怒りと憎しみを向けることで、自分の心の安定化を図るのかもしれません。
しかし、それが自然であったならば、一体どこに自分の感情をぶつければ良いのでしょうか?
本作『ハナレイベイ』の最大の巧さの1つはタカシの死因になった「大きなサメ」を一度も登場させていないことです。
「大きなサメ」を登場させてしまえば、この映画を見ている我々は明確にタカシの死の原因を断定できてしまいます。
しかし、この映画が見せてくれるのは、歯型のついたサーフボードと、噛み千切られて無くなったタカシの右足のみです。
つまり我々は「大きなサメ」が彼を殺害したという事実だけは認識できるものの、その実体を掴むことはできないという何とも不思議な浮遊感を味わうこととなります。
そしてその浮遊感を利用して、松永監督は「大きなサメ」という存在をハナレイベイの大自然へと投影していきます。
この方向付けによって、見事にタカシはハナレイベイの大自然によって殺されたのだという構図へとすり替えることに成功しています。
そうして幾度となく吉田羊演じるサチに自然と対峙させます。
怒りをぶつけるには、憎しみをぶつけるには、あまりにも大きすぎる存在。それでも確かに息子の命を奪った存在。
憎たらしすぎるほどに美しいハナレイベイの自然がただ吉田羊と正対しています。
この映画はその画にもはやすべてを託しているんですよね。
サチはその大自然と対立するのか?拒絶するのか?受け入れるのか?愛するのか?
「自然の円環の中へと還っていった」のだと説明された息子タカシの存在が映画が進行するにつれてハナレイベイの大海原に同化していき、その憎たらしくも美しい自然を彼女は受け入れようとします。
きっとそれはタカシを受け入れるということでもあったと思います。
余分なセリフや演出の一切を排除し、この構図だけを97分にわたって描き続けたその大胆さにも驚きです。
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映画『ハナレイベイ』解説
海とミネラルウォーター、汗
本作を水の主題系として捉えていくと非常に面白いのではないかと思います。
まず、最も印象的なのが海です。海はタカシの命を奪った場所でもあり、彼がサーフィンを堪能していた場所でもあります。
それと対照的に描かれているのが、ミネラルウォーターです。
水質的な側面を鑑みると海水とミネラルウォーターは対照的ですね。
これが物語にどう関係しているのかと言いますと、実はサチが息子に対して抱いている感情や、息子に対して取っている姿勢を表現するツールとして効果的に機能しています。
まず、ミネラルウォーターと海、これは全く相いれない存在です。
物語の中でサチは終始、ミネラルウォーターを飲んでいて、ハナレイベイを10年近く訪れているにもかかわらず、海には近づこうとしていません。
サチはただミネラルウォーター片手に木陰で本を読んでいるだけです。
これは息子とまだ向き合おうとしていないサチの姿勢や、息子に対して抱いている憎しみが先行している様子を端的に表現しています。
そんな一貫した姿勢を見せているサチですが高橋との交流を通じて少しずつその考え方に変化が生じます。
終盤になると、大きめのサイズのミネラルウォーターを購入し、海辺で息子の亡霊探しに奔走します。
この時、それまで木陰にいたためか見せなかった汗が彼女の首筋に滲むようになります。
汗って普通の水とは異なっていて、塩分を含んでいるんです。
そのためミネラルウォーターよりも海水に近いという位置づけができます。
つまり、彼女が汗を流し始めたという映像表象は、彼女の心が少しずつタカシへと近づいていっていることや、彼に向き合おうとしていることを端的に表現しているわけです。
そして物語の最後に彼女は海水に足を浸し、海を1人見つめます。
海というモチーフがタカシを象徴するものであったことを考えると、このシーンはようやくサチが息子への愛を受け止めることができた瞬間とも言えます。
このように3つの「水」に纏わるモチーフを効果的に作品に組み込むことで、映画『ハナレイベイ』は映像だけで登場人物の心情の変化を表現しきっています。
隠されていた物わかりの良さ
何も考えていないバカな若者の典型とも言える存在としてサーファーが登場しているわけですが、特にサチに大きな影響を与えたのが高橋の存在でしょう。
サチは高橋に対して「世間知らず」だとか「何も知らない」といった言葉を投げかけるんですが、そんな彼は彼女に「何も知らないのは、叔母さんの方だ。」と返答しています。
そんな高橋は英語を話せるにもかかわらず、英語が分からないふりをしていました。
つまり、何も知らないように見える人が意外と敏感にいろいろな物事を感じ取っているという文脈が高橋の存在によって物語られています。
そしてそれが誰のことを指しているのかというと、タカシのことになるわけです。
彼はおそらく自分の母親が自分に対して「憎しみ」めいた感情を向けていたことを「知らないふり」をしていて、実はものすごく敏感に感じ取っていたんだと思います。
サチはろくでなしの夫に苦しめられたことから生じた憎しみをその血が流れている息子にも投影しているように思えます。
劇中の回想シーンで夫に暴力を振るわれた後に恨めしそうに泣いている赤ん坊がいるベビーベットを睨んでいたあの視線は忘れられません。
サチは何にも分かっていないと高を括っているんですが、それでもタカシは全てを悟っています。
だからこそ自分も母親と距離を取ってしまいますし、母親以外の女性に「愛情」を求めるのですが、それもまた上手く行きません。
結果的に親子は分かりあえないままに永遠の別れを迎えることとなりました。
しかし、サチは高橋という息子の面影が重なる存在を通じて、息子が「気づいていないふり」をしていたんだという事実に気づかされます。
もっと言うなれば、自分が無意識的に息子に対して、夫に対して抱いていた憎しみを投影していたということにも気がついてしまったのです。
それに気がついた時、初めて彼女は息子のことを夫の幻影としてではなく、「タカシ」として見つめることができたのでしょう。
そこにあったのは、憎しみではなく紛れもない愛です。
ただ、タカシはもうこの世にいないわけで、触れることができません。写真でその姿を眺め、手形に触れることしかできないのです。
手形に触れ、初めて涙を流したサチ。
自分が分かろうとしなかった、理解しようとしなかった息子への思いに気がついた時、せき止められていた感情が一気に表出していました。
「手」に宿るものとは
今作『ハナレイベイ』では「手」というモチーフが印象的に用いられています。
これを考えてみた時に、私の頭に真っ先に浮かんできたのがデューラーの「祈りの手」という作品です。
ルネッサンス期のドイツの画家が描いた作品なんですが、これもまた実はデューラーが大切な人を思って描いたものです。
この絵画が描かれるまでには、非常に深い経緯があります。全てお話すると長くなるので、短めにお話します。
結論から言うと、この手はデューラーの友人ハンスのものです。2人は画家を目指していましたが、貧しかったため片方が働いて、片方が学校に行くというシステムを繰り返すことで2人で夢を叶えようとするんです。
最初にデューラーが絵画の学校に行き、ハンスが炭鉱で働く(ドイツの無産労働者階級は炭鉱で働くしかなかった)のですが、デューラーが画家として活躍し始め、ハンスが学校に行ける状態になるころには、ハンスの手は炭鉱労働でボロボロになり、画家になるには絶望的な状況でした。
デューラーは罪悪感に苛まれます。そんな彼を他所にハンスは部屋でデューラーの成功を祈り続けていたのです。
その姿に感動し、自分を支えてくれた友人への感謝と敬意を表してこの「祈りの手」が描かれました。
そう考えていくと、「手」というモチーフにはその人の思いや生き方が宿っているように感じられます。
『ハナレイベイ』にて印象的に登場した「手形」は、死んでしまったタカシのすべてです。
薬物中毒の夫。地獄のような毎日を必死で生きてこられたのは、息子のおかげだったんだと気づかされるサチ。
気づかないうちに自分を支えてくれていた「手」の存在。
映画『ハナレイベイ』は「手形」1つでいろいろな感情を呼び覚ませてくれますね。
おわりに
いかがだったでしょうか。
村上春樹さんの原作だからというよりは、松永監督の作品だからということで見に行ったんですが、期待値を大きく上回る出来栄えだったことをお伝えしておきます。
今週末は大友監督の『億男』も上映スタートですが、個人的には断然『ハナレイベイ』がおすすめです。
参考:【ネタバレあり】『億男』感想・解説:自分の価値尺度で世界を見ていくことの重要性を説く
私個人としては今作『ハナレイベイ』のような映像で見せる映画作品が日本でもっと増えてくれると嬉しいです。
邦画を見ていて、久しぶりに「あ~映画を見たなぁ~」と感じさせてくれたような気がします。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。
映画の解説ありがとうございます。
葬儀のシーンでお経を唱えていた、井川等視です。
去年29年の7月だったと思います。マネージャーさんから電話で「一式持ってきてください。ある霊園です」と言われました。私は年に2回ほど町田市のお寺さんに行くので車でいきました。
本当は、電車で行かないといけないのですが、荷物が多いので車でいきました。
初めは、お墓で拝むのかなあと思っていたのですが、お墓の事務所にある斎条で撮影しました。
7月だったので、夏服しか持っていません、しょうがないので町田市のそのお寺さんにお願いして、冬服を借りました。
気になっていたので、映画を見ました。私の名前がエンドロールに出ていたので驚きました。
観想としては、せっかっくお葬式をしたのに人の気持ちが休まるのに10年もかかるのかと思いました。
質問などはメール大丈夫です。
井川様コメントいただきありがとうございます。
また撮影時の貴重なエピソードをお話いただき、大変参考になりました。
>せっかくお葬式をしたのに人の気持ちが休まるのに10年もかかるのかと思いました。< 上記の井川様のご立場ならではのご講評が非常に興味深く、考えさせられました。 今後一層のご活躍をお祈り申し上げます。