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目次
はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『ファンタスティックビースト2 黒い魔法使いの誕生』についてお話していこうと思います。
本記事は一部作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説と考察を綴った記事になります。
作品を未鑑賞の方はお気をつけくださいますよう、よろしくお願いいたします。
参考:『ファンタスティックビースト2』キャスト・あらすじ・登場人物のグリンデルバルドって?
良かったら最後までお付き合いください。
『ファンタスティックビースト2 黒い魔法使いの誕生』
あらすじ
物語の舞台は1928年のロンドン。
アメリカでの一件があり、イギリスへと帰国していたニュート。
魔法動物の調査のために旅行を申請するも、これまで起こしてきたトラブルが祟り、上手くいかない。
そんな彼の下をクイニーとジェイコブが訪ねてくる。
2人は真剣交際しており、結婚も視野に入れてはいるものの当時の社会において魔法使いとマグル(ノーマジ)の結婚は認められていなかった。
クイニーとジェイコブは衝突してしまい、彼女はパリで闇祓いをしているティナの下へと向かう。
また時を同じくして、アメリカからヨーロッパへと護送中だった闇の魔法使いグリンデンバルドが脱走してしまう。
ダンブルドアから彼を打倒するよう頼まれたニュートは、クイニーを追いかけようとするジェイコブと共にパリへと向かう。
その頃、クリーデンスもまたヨーロッパを訪れており、自分の出自を求めて旅をしていたのだった。
作品情報
本作の監督を務めたのは、映画『ハリーポッター』シリーズではお馴染みのデヴィッド・イェーツ監督ですね。
『ハリーポッター』シリーズの中でもダークファンタジー色の強い不死鳥の騎士団以降の監督を務めているということで、『ファンタスティックビースト2 黒い魔法使いの誕生』のような作風には合っていると思いました。
そして脚本を務めているのが、『ハリーポッター』シリーズの産みの親でもあるJ.K.ローリングですね。
彼女が描いた脚本に関して、前作の『ファンタスティックビーストと魔法使いの旅』は個人的にも上手くまとまっていると感じましたし、満足していたのですが、今作に関しては彼女の悪いところが出まくっていると思いました。
これに関しては、後程詳しく書いていきます。
劇伴音楽には、前作から引き続きファンタジー映画音楽を数多く手がけてきたジェームズ・ニュートン・ハワードが参加しています。
主人公のニュート・スキャマンダー役には、前作から引き続きエディ・レッドメインが起用されています。
『博士と彼女のセオリー』や『リリーのすべて』といった作品に出演し、アカデミー賞主演男優賞を獲得するなどし、演技力が高く評価されている俳優です。
他にもティナ役のキャサリン・ウォーターストン、ジェイコブ役のダン・フォグラー、クイニー役のアリソン・スドルが揃って続投しています。
そうなんです。ポールトーマスアンダーソン監督の『インヒアレントヴァイス』で注目されたのがきっかけでブレイクしたわけですが、ファンタビ出演以降はさらに活躍の場を広げていますよね。
また若かりしアルバス・ダンブルドア役にはジュード・ロウが参加し、さらには本作のヴィラン、グリンデルバルドを演じるのはジョニー・デップです。
より詳しい作品情報を知りたい方は映画公式サイトへどうぞ!
参考:『ファンタスティックビ―ストと黒い魔法使いの誕生』公式サイト
ぜひぜひ劇場でご覧ください!
本作をIMAX3Dで見て欲しい理由
映画『ファンタスティックビースト2 黒い魔法使いの誕生』を劇場で見る方は可能であれば、IMAX3Dで鑑賞すると良いと思います。
というのも実はこの作品はIMAX3Dで鑑賞しなければ、お目にかかれない演出が施されています。
それが「フレームブレイク」という演出です。
下の画像を参照してみてください!!
フレームブレイク概要
左右の画像を比較していただけると違いが一目瞭然だと思います。
3Dの映像って基本的にスクリーンから自分の方向へ飛び出してくるような感覚の映像なんですが、あくまでも映像が投射されている範囲内で飛び出すに留まっています。
しかし「フレームブレイク」の演出によって3D映像が映像を投射されている範囲を超えて飛び出しているように見えるというわけです。
ちなみに前作の『ファンタスティックビーストと魔法使いの旅』でもこの「フレームブレイク」の演出が大変好評で、当ブログ管理人も公開当時非常に驚かされました。
もちろんなかなかIMAXシアターに見に行くチャンスがないという方もいらっしゃるとは思いますが、チャンスがある方はぜひぜひIMAX3Dでファンタビ最新作を体感してみてください。
北米での評価
北米で11月16日より公開となった映画『ファンタスティックビースト2 黒い魔法使いの誕生』ですが評価はあまり芳しくないようです。
(Rotten Tomatoesより引用)
批評家からの支持率がなんと僅かに39%に留まっていて、これは『ハリーポッター』シリーズと比較してもダントツで最低の支持率です。
一方でオーディエンスからの支持率は72%と比較的悪くない数値を叩き出しています。
最近だとトムハーディー主演の『ヴェノム』も批評家とオーディエンスでかなり評価が割れました。
参考:【ネタバレあり】『ヴェノム』解説:批評家とオーディエンスの評価の落差はヒーローユニバース疲れの表れか?
こういう現象が起きると、批評家の評価はあてにならないという声が決まって挙がってくるんですが、今作『ファンタスティックビースト2 黒い魔法使いの誕生』に関して言うならば、私はこの評価の隔離に納得できます。
今回の映画は『ハリーポッター』シリーズのファンムービーとしては優秀なんですよ。
ただ、1つの映画としてはあまりにも高評価には値しない状態でして、そういう背景もあって見ている視点が異なる批評家とオーディエンスで評価が割れるのはある意味で当然なんです。
まあ結局は皆様自身が、楽しめたかどうかが一番大切ですので、こういった評価云々は頭の片隅に置いておくくらいで十分だと思います。
前作『ファンタスティックビーストと魔法使いの旅』について
前作『ファンタスティックビーストと魔法使いの旅』のあらすじや今作に繋がる要素を今作のネタバレなしで記事にまとめました。
作品を未鑑賞の方はまずこちらの記事を読んでいただけると嬉しいです。
『ファンタスティックビースト2 黒い魔法使いの誕生』解説
まずは、本作と前作や『ハリーポッター』シリーズとの繋がりが感じられる、鑑賞前に知っておくと良いいくつかのポイントを解説してみようと思います。
暴れ柳
暴れ柳の画像(『ハリーポッター アズカバンの囚人より引用)
『ハリーポッター』シリーズの中でも2作目と3作目で特に印象的に登場した「暴れ柳」が『ファンタスティックビースト2 黒い魔法使いの誕生』でも登場しました。
『ハリーポッター 秘密の部屋』では冒頭のシーンで、ハリーとロンが乗車していた空飛ぶ車に襲い掛かりました。
『ハリーポッター アズカバンの囚人』では終盤にハリーとハーマイオニーが根元に潜り込むために苦戦するシーンがありましたね。
賢者の石
『ハリーポッター』シリーズ第1作の『ハリーポッター 賢者の石』に登場した不死の力が宿ると言われている「賢者の石」が『ファンタスティックビースト2 黒い魔法使いの誕生』にも少し繋がってきています。
というのも本作にはニコラス・フラメルが登場しています。
この人物は実在していて、実際には出版業者だったとも、錬金術師だったとも言われているようですが、本シリーズでは「賢者の石」を作り出した人物なのです。
フェニックス(不死鳥)
不死鳥(『ハリーポッターと秘密の部屋』より引用)
『ハリーポッター』シリーズでは、ダンブルドアのペットのフォークスとして登場していたフェニックスが、今作にも登場しています。
第2作の『ハリーポッターと秘密の部屋』では、バジリスクと戦闘中のハリーの下に帽子を持って飛んで来るシーンがありましたよね。
またシリーズ第5作・第6作にも出演しているので、チェックしてみてください。
加えて、本作の中でも明かされますがこの不死鳥はダンブルドア家の象徴的存在であるという点も重要です。
ナギニ
ナギニ (C)2018 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved. Wizarding World TM Publishing Rights
『ハリーポッター』シリーズを追いかけてきた人であれば、予告編で一番驚かされたのは、やはりナギニが美しい女性だったという設定でしょう。
『ハリーポッター』シリーズでは終盤に登場するナギニですが、この蛇はヴォルデモートに仕えており、彼の分霊箱の1つとして扱われています。
ちなみに本作『ファンタスティックビースト2 黒い魔法使いの誕生』では女性のナギニが登場しますが、彼女が後に蛇の姿のままになってしまうであろう理由もきちんと提示されます。
ナギニについて復習しておきたい方は死の秘宝Part1&2を復習しておくと良いと思いますよ。
みぞの鏡
『ハリーポッターと賢者の石』にて初登場した「みぞの鏡」が『ファンタスティックビースト2 黒い魔法使いの誕生』にも登場しています。
この鏡は、その鏡を見ている人の最も強い欲望(願望)を具現化し、幻影として見せるという力を有しています。
作中でハリーはこの鏡に魅せられてしまい、しばしば訪れるようになるのですが、ダンブルドア校長に、忠告され、その後、鏡は別の場所へと移されています。
若かりしダンブルドアは一体なぜあの鏡の中にグリンデルバルドを見たのでしょうか?
ボガート
ボガートのシーン(『ハリーポッターとアズカバンの囚人』より引用)
これは『ハリーポッターとアズカバンの囚人』で印象的に登場した魔法生物です。
リーマス・ルーピンによる「闇の魔術に対する防衛術」の授業の中で、生徒たちがボガートと対峙し、「リディクラス」の魔法をかける練習が行われていました。
『ファンタスティックビースト2 黒い魔法使いの誕生』の中では、若かりしダンブルドアが全く同じ内容の授業を生徒にしているシーンが映し出されます。
つまりダンブルドアはかつて「闇の魔術に対する防衛術」の教員をしていたということになりますね。
破れぬ誓い
『ハリーポッターと謎のプリンス』の中でスネイプとナルシッサ・マルフォイが結んでいた誓いのことですね。
これは誓いを結んだ2人のうちのどちらかが契約不履行を起こせば、2人ともが命を落とすという恐ろしい契約です。
「破れぬ誓い」は『ファンタスティックビースト2 黒い魔法使いの誕生』に登場しますし、今作ではこれに類似する「血の契約」というものが登場します。
本作でもかなり重要なキーワードになるので要注目です。
リタ・レストレンジ
リタ・レストレンジ (C)2018 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved. Wizarding World TM Publishing Rights
前作『ファンタスティックビーストと魔法使いの旅』の中で名前が挙がったリタ・レストレンジが今作でメインキャラクターの1人として登場します。
ちなみに前作でニュートが大切にしていた写真の中にリタが映りこんでいたので、多くの人は彼女はニュートの恋人になるのではと予見していたかもしれませんが、本作では彼の兄テセウスの婚約者として登場します。
ダンブルドアの過去
アルバス・ダンブルドア(『ハリーポッターと不死鳥の騎士団』より引用)
『ハリーポッター』シリーズでも有名なアルバス・ダンブルドアの過去について、映画版では、あまり語られていないのですが、原作の『ハリー・ポッターと死の秘宝』では詳しく語られています。
まず彼の悲壮な過去は、妹のアリアナがマグルたちに暴行されたことから始まりました。
これにより彼女は自分のうちにある魔法力を制御することができなくなり、時々その力が暴走して周囲を危険に陥れるようになってしまいました。
さて、妹がそんなことになってしまい、アルバスの父はマグルたちに復讐をしようとしてしまい、アズカバンに送られることになってしまいます。
そしてアルバスは母と共に妹の面倒を見ながら生活を続けるのですが、妹が14歳の時に起こった魔法力の暴走により母親が死んでしまいます。
その結果、妹の面倒をアルバスが1人で見ることになってしまうのですが、そこに本作にも登場するグリンデルバルドが現れます。
アルバスはグリンデルバルドと意気投合し、常に連れ添うようになり、最終的には妹のことをほったらかすようになってしまったのでした。
すると弟のアバーフォース・ダンブルドア(映画『ハリーポッター』シリーズでも何度か登場)がそんな2人に激怒し、3人は口論の末に、魔法を使って互いに攻撃し合います。
その争いに誘発される形で、妹のアリアナは魔法力を暴走させてしまい、なんと命を落としてしまいます。
この一件が原因でダンブルドアとグリンデルバルドは決別の道を選ぶことになりました。
『ファンタスティックビースト2 黒い魔法使いの誕生』における2人の関係性の下地にはこういう背景があるということを頭に入れておくと良いでしょう。
『ファンタスティックビースト2 黒い魔法使いの誕生』感想
王道ファンタジーからダーク路線へ
前作の『ファンタスティックビーストと魔法使いの旅』はどちらかというと『ハリーポッター』シリーズ初期の王道ファンタジー路線を継承する作品に仕上がっていて、ジュブナイル小説のような味わいすらありました。
魔法生物たちがコミカルに活躍し、あまりダークな展開には足を踏み入れないように作られた明るく親しみやすい魔法映画になっていたため、その点で支持されていたイメージです。
しかし、そんなシリーズ第2作目となる『ファンタスティックビースト2 黒い魔法使いの誕生』は一気にダークファンタジー路線へと舵を切っています。
この映画が、いきなりグリンデルバルドの脱走シーンから始まるという時点で、悪役が台頭する映画であることは印象づけられるのですが、後半に差し掛かるにつれて、展開がどんどんと重たくなっていきます。
前半にジェイコブとクイニーの惚れ薬エピソードがあったり、ニュートがパリの路上で足跡を探すために地面を舐めたりする非常にコメディタッチなシーンが散りばめられているのですが、終盤はもう胸が痛むばかりでした。
前半で王道学園ラブコメを見せておきながら、終盤に一気に見る人を地獄のどん底に叩き落してきた映画『ハリーポッターと謎のプリンス』と本作は個人的には鑑賞を終えた後の後味が似ていました。
前作のような明るく、コミカルな王道ファンタジー路線を期待して本作を見に行くと、少し肩透かしを食らうやもしれません。
それに加えて、『ファンタスティックビースト2 黒い魔法使いの誕生』はファンタジー映画でありながら、リアリスティックでポリティカルな要素を多分に含んでいます。
これまで『ハリーポッターと死の秘宝』や『ファンタスティックビーストと魔法使いの旅』などで、現実世界と魔法世界のリンクは描かれてきてはいましたが、今作はすごく我々が今日生きている社会や歴史なんかにも絡めてきた印象があります。
グリンデルバルドのノーマジの人間たちを支配下に置こうとする行動指針や、マイノリティ的存在を味方につけていくプロセスなんかも非常に興味深いポイントです。
加えて劇中で第2次世界大戦のビジョンが登場したりするなど、ファンタジー映画でありながら非常に現実に即した作りになっているわけです。
これらの点で、前作とは全く空気感の異なる映画になってしまっているわけですが、それを皆さんがどう受け取るか?次第だと思います。
もちろん前作のような路線でもう少し見たかったという人もいるでしょうし、反対に『ハリーポッター』シリーズ後半のようなダークファンタジー路線が好きな方は、本作をすごく気に入ると思います。
J.K.ローリングは脚本向きではない?
本作を見ていて、個人的に一番感じてしまったことをここで書いていこうと思います。
まず大前提としてJ.K.ローリングは素晴らしい作家であるということを最初に書いておきます。
この点に関して、疑いの余地はありません。
シングルマザーとしての厳しい生活や、最愛の母の死といった出来事を乗り越えて、『ハリーポッター』シリーズを世に送り出し、世界中で読まれているという功績は、讃えても讃えきれない偉業です。
そして、彼女が著した『ハリーポッター』シリーズは大人も子供も楽しめる素晴らしい文学作品ですし、情報量が多く、何度も読みこむことで新しい発見が常にあります。
さらに言うと、前作『ファンタスティックビーストと魔法使いの旅』は脚本が非常にソリッドでミニマルだったので、ストーリーとして纏まっていましたし、J.K.ローリングは脚本もきっちりこなせるんだと感心していた次第です。
しかし、『ファンタスティックビースト2 黒い魔法使いの誕生』を見て、はっきりと分かりました。
J.K.ローリングは映画脚本を書くのが上手くないということです。
まずは、『ハリーポッター』シリーズの映画版と原作の関係、とりわけ『炎のゴブレット』以降の作品を思い浮かべていただけると分かりやすいんですが、原作が情報過多すぎて映画版でかなり取捨選択が成されています。
映画『ハリーポッター』シリーズの脚本を担当したのは、『不死鳥の騎士団』を除いてはスティーヴ・クローヴスです。
彼はJ.K.ローリングの作家性やその特徴をきちんと把握した上で、必要なポイントを絞り、原作の多くのパートを削ぎ落しながら映画用の脚本へとブラッシュアップしていきました。
もちろんそれが完璧だったとは言いませんが、原作を読まずともある程度ストーリーラインを把握でき、楽しめるものになっていたという点で彼の功績は偉大です。
この原作と映画版の関係性からも分かる通りで、J.K.ローリングってイマジネーションに溢れた人物なんだと思いますし、だからこそ自分が思いついたことを全部描かないと気が済まない気質を持っているんじゃないか?と推察しています。
その結果こそが『ハリーポッター』シリーズがサブプロットまみれになっており、その多くを削ぎ落しても映画用の脚本として成立してしまうという構造なんだと思います。
つまり映画『ハリーポッター』シリーズにおいてスティーヴ・クローヴスいうフィルターは非常に重要な役割を果たしていたんだと思いますし、『ファンタスティックビースト2 黒い魔法使いの誕生』を見ると、嫌でもそれを思い知らされます。
J.K.ローリングは今作の脚本をおそらくは自身がいつも小説を書いているのと同じように書いてしまったんだと思います。
セリフで何でもかんでも説明してみたり、映画のシーン的に全く動きがないパートが多かったり、サブプロットを盛り込みすぎて1人1人のキャラクターを全然描き切れていなかったり、そもそも物語の推進力が弱すぎたりと映画脚本としてはあまりにも小説チックすぎるんです。
確かにこれが小説であったならば、いくらでも分量を増やして「脱線」や「サブプロット」を盛り込み放題にできますし、そうすれば『ハリーポッター』リテラシーのある読者は楽しんで読めることでしょう。
しかし、これはあくまで映画なのですし、尺は2時間~2時間30分と決まっているのですから、あまりにも「脱線」しすぎると、本筋の部分がどんどんと薄まっていくんですよね。明らかに物語のポイントを絞り切れていません。
それこそが『ファンタスティックビースト2 黒い魔法使いの誕生』の弱点だと思います。
終盤の登場人物たちが一堂に会するシーンも、1人1人のキャラクター性をもっと掘り下げた上での群像劇的な邂逅であったならば、もっと盛り上がるシーンになったと思うんですが、それが出来ていないので、如何せんどの人物にもイマイチ思い入れがないという状態に陥ってしまいます。
登場するキャラクター全員に何かとサブプロット的要素を用意しているので、情報量が多すぎて重要な情報まで埋もれてしまっている印象を受けました。
物語の「脱線」と膨大な情報量を詰め込んだスタイルというのは、J.K.ローリングが作家として評価された大きな理由の1つだと思いますし、それがファンの心をつかむ要因になっていることは確かでしょう。
しかし、それは映画の脚本でやってしまうと悪手になってしまいます。
今後「ウィザーディングワールド」ということで『ファンタスティックビースト黒い魔法使いの誕生』5部作を製作していく上で、J.K.ローリング自身に脚本を任せるのかどうかはもう1度検討してみた方が良いと思います。
個人的には原作J.K.ローリングで、脚本にはきちんと彼女の描く物語の魅力や核を理解した上で、それをコントロールしつつ映画的な脚本に落とし込める人物をつけた方が良いんじゃないかと思います。
『ファンタスティックビースト2 黒い魔法使いの誕生』考察
未熟な悪クリーデンスのビギンズとして
『ハリーポッター』シリーズの面白さの1つはやはりハリーという主人公にあると思っています。
ハリーという自分の生まれも境遇も、背負っている運命もまだ何も知らない少年がホグワーツという道の世界へと足を踏み入れ、魔法使いとして成長していく中で徐々に自分の運命と向き合っていく、それこそが『ハリーポッター』シリーズの1つの基軸です。
未熟で無知な少年が、自分のアイデンティティを見つけ、向き合い、その運命と闘う姿が、まさしく王道の英雄譚的ですし、読者は主人公ハリーに共感的になることができます。
一方でファンタビの主人公であるニュートスキャマンダーはホグワーツの卒業生であり、魔法動物を逃がしてしまったりどこか抜けている節はあるものの、人間的にも魔法使いとしても一定の成熟が見られます。
こういうところもあって、個人的にはやっぱり主人公としてはハリーの方に魅力を感じてしまいます。まさに「読者に寄り添った主人公」と言いますか「共に成長していく主人公」と形容できるんじゃないでしょうか。
前作『ファンタスティックビーストと魔法使いの旅』は非常によく纏まっていて、エンタメ映画としても素晴らしい出来だったと思いますが、やはり主人公が「弱い」んですよ。
しかし、続編である『ファンタスティックビースト2 魔法使いの誕生』では、その未熟さと若さ、自分が何者なのかを知らないといったハリーが有していた性質を、クリーデンスに受け継いでいます。
つまり『ハリーポッター』シリーズがハリーという少年の未熟な正義の物語を描いたのに対して、今作はファンタビをクリーデンスという未熟な悪の物語へと方向付けする内容になっていたわけです。
まだ自分が何者なのかを知らない彼は、旅を続ける中で自分の両親の存在や自分の本当の名前を知ろうともがいています。
物語全編にわたってもがき苦しみながら、彼が最後に下す1つの決断。
『ファンタスティックビースト2 黒い魔法使いの誕生』という作品は、グリンデルバルドのビギンズというよりも、クリーデンスのビギンズとみる方が適当なのかもしれませんね。
ディズニー『スターウォーズ』シリーズもカイロ・レンという未熟なヴィランの存在を打ち出し、それを1つの作品の軸に据えて、物語を展開しています。
未熟な主人公の英雄譚が鉄板だった以前に比べて、近年は未熟なヴィランの台頭にもスポットが当たっているようです。
ジェイコブとクイニーに見る人間の弱さ
クイニー (C)2018 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved. Wizarding World TM Publishing Rights
本作のジェイコブとクイニーは非常に印象的な描かれ方をしています。
そうです、アナキンスカイウォーカーとパドメの関係性です。
アナキンは当時のジェダイコードでは禁止されていたパドメとの恋愛、結婚を経験し、それが彼がダークサイドへと堕ちていく1つの要因になりました。
『ファンタスティックビースト2 黒い魔法使いの誕生』では、ジェイコブとクイニーが互いに思い合っているにもかかわらず、当時の社会では結ばれることが許されない様が描かれています。
ジェイコブは彼女を愛していますが、彼女に不幸な運命を背負わせられないとして結婚を遠ざけていますが、クイニーの方は何とかして結ばれたいと強く願っています。
しかし、その相手を求める強い欲求が、クイニーを次第にグリンデンバルドの方へと引き寄せていきます。彼と共に行動すれば、今の社会を崩壊させ、自分がジェイコブと結ばれる時代が訪れるかもしれないと信じているのです。
クイニーの決断は愚かで、浅はかなものかもしれません。
しかし、どこまでも人間らしい決断だと私は感じました。
『ハリーポッター』シリーズでも恋愛要素は比較的描かれていたように思いますが、物語の本筋というよりはサブプロット的な描かれ方をしていました。
ただジェイコブとクイニーの恋愛は、ファンタビ世界の社会にも密接に関わりを持ち、さらには本作のニュート(ダンブルドア)VSグリンデンバルドの構図にすら絡んでくる素振りを見せ始めています。
第3作以降の彼らの関係性に変化にも要注目ですね。
ファシズムを想起させるグリンデンバルド
グリンデルバルド (C)2018 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved. Wizarding World TM Publishing Rights
本作『ファンタスティックビースト2 黒い魔法使いの誕生』の舞台設定は、1928年のヨーロッパです。
作中の世界と現実世界の歴史は隔離しているのかと思っていましたが、本作を見ていると、ファンタビ世界には「第1次世界大戦」なるものが存在していることが示唆されました。
ちょうど本作の舞台は2つの世界大戦の狭間に位置する時期になっているのも印象的です。
そう考えていくとグリンデルバルドの思想というのは、ファシスト的に捉えることができると思いました。
彼は魔法使いが世界を支配し、自由を手に入れることを野望と語り、そのために人間(マグル)を抑圧し、支配下に置こうとしています。
自分たちの権益のために、異民族を虐げ、支配下に置いてしまおうというある種の選民思想はナチスドイツ政権下のホロコーストを想起させる内容でもあります。
グリンデルバルドがダンブルドアに敗れることになる年が第2次世界大戦が終結する1945年になっているんですが、これに関してはJ.K.ローリングが偶然だと指摘しています。
しかし、『ファンタスティックビースト2 黒い魔法使いの誕生』を見て、そのグリンデルバルドの描き方を見ていると、否が応でも彼とヒトラーのリンクを考えさせられます。
また本作の劇中で「先に手を出したのは自分たちではない」と主張し、その旨を世界中に伝えるよう要請する場面がありましたが、これも実に「ポーランド侵攻」を想起させてくれる内容です。
「ポーランド侵攻」では、ドイツがポーランドに攻撃されたとするある種の自作自演を演じ、その報復としてドイツがポーランドの侵略に乗り出したわけです。
- グリンデルバルドが入っていた牢獄:ヌルメンガード(Nurmengard)
- ヒトラー率いるナチ党の党大会が開催されていた場所:ニュルンベルク(Nuremberg)
そう考えていくと、グリンデルバルドの行動だけでなく、キャラクター設定なんかにもナチスドイツの影響があるように思えます。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回はハリーポッター魔法ワールド最新作の『ファンタスティックビースト2 黒い魔法使いの誕生』についてお話してきました。
本作は、J.K.ローリングないし『ハリーポッター』ファンの方からは比較的好意的に受け入れられているような印象も見受けられますが、批評家からはかなり手厳しい評価を受けています。
終盤はもう驚きの展開や衝撃の事実露呈の連続だったような気はしますし、これまでシリーズを追いかけてきた人はいろいろを見終わった後に語り合いたくなること間違いなしの内容です。
ただ1本の映画としては、個人的にも不満なところはありますし、J.K.ローリングに「脚本」を任せることについては懐疑的になってしまいました。
前作の『ファンタスティックビーストと魔法使いの旅』はミニマルで、ソリッドな脚本になっていたと思いますし、彼女にはシリーズ第3作以降ではもう少し「映画らしい」脚本を書いて欲しいですね・・・。
私が宣伝するまでもなく多くの方が劇場に足を運ぶことと思いますが、ぜひ劇場で!ぜひIMAX3Dで!
今回も読んでくださった方ありがとうございました。
グリンデルバルドが未来のビジョン見たいのを見た時に戦車の登場や、原爆の際に起こったキノコ雲も見れましたのでなにかしら戦争と関連づけているのではないかなと思います。
さらに、終わり方が不自然だったので次回作があると見ているのですが、ニュートの兄弟のテセウスは1度戦争に行き英雄とファンタビ1作目の会議の時に言われていたので、次はニュートが魔法省側へつき、第二次世界大戦後とは言いませんが同じような形になると思います。
ダンブルドアが次には血の誓いを破り、闘うがアメリカやソ連の時の様に冷戦状態が続くのではないかと見ています。
その間にトム・リドルが出てきたり、クイニー奪還へ向かうと思います。
匿名の支援者さんコメントありがとうございます!
戦争のビジョンは非常に気になりますよね!全5部作ですし、ちょうど2つの世界大戦の狭間に時代を設定してあるので、今後戦争がどう物語に絡むのかも興味深いポイントです。
またダンブルドアとグリンデルバルドの決着が着くのが、1945年になるので、次回作で2人の対決がどんな形で描かれるのかも楽しみです。匿名の支援者さんが仰るような展開も十分にあり得そうですね(^^)
今日、字幕で観てきました! 見終わって自分の中で整理することやハリポタなど見返して調べることとか多いなと感じました。また家族関係や人間関係が良好でない人々の”全ては愛ゆえに”なのでしょうか? 昔のニュートとリタ、いつも微笑ましいニュートとティナに救われましたが。後半はご指摘通り、リタとクリーデンスや純血一族の男性などとの関係のところなど説明説明に終始して、あれあれ?と思ってしまいましたね。ローリング先生行き詰まったかな?とね。こういうところ観客に思わせるようなのはダメでしょうね。それにしても、グリンデルバルドって本当に口が上手い。舌を切ったって本当なのかよ?と。端で見ていると嘘だろ?と思うことでも切羽詰まった人々や弱い心になった人々は簡単に騙される。集会場で命を落とした戦士として一人の女性を讃えていましたが、グリンデルバルドが殺すように仕向けたんでしょう。封建的な時代がそうさせるのか、人間界も魔法界も変わらんなとガッカリさせられることが多かったですね。前作はハリポタのスピンオフとしてじゅうぶん楽しめました。しかし今回はこのような展開にならざるを得なかったと思います。なにしろ5部作ということですからね。終わるまで10年かかるんですかね? いつも映画は2回は観てるんですが2回目観に行くかどうかは分かりません。。。
mayumiさんコメントありがとうございます!!
> 説明説明に終始して、あれあれ?と思ってしまいましたね。
ここは全く同じこと思ってしまいました。映画らしさがなかったですよね…。
グリンデルバルドは凄く良かったんですが、脚本で引き立てられてるというよりは、ジョニーデップの魅力が凄かったという印象でしたね…。
JKローリングは「愛を知ること」の重要性をいつも作品に載せてあるので、今作もまた愛は1つの大きなテーマだったように感じました!