【ネタバレあり】『アポストル 復讐の掟』解説・考察:真の信仰とは何だったのか

映画『アポストル復讐の掟』より引用

はじめに

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですね映画『アポストル復讐の掟』についてお話していこうと思います。

本作はNetflixオリジナル映画でして、現在配信中です。

また、本記事は一部作品のネタバレになるような要素を含む解説・考察記事になります。作品を未鑑賞の方はお気をつけください。

良かったら最後までお付き合いください。

『アポストル復讐の掟』

あらすじ

主人公のトーマス・リチャードソンは、妹のジェニファーが謎のカルト集団に拉致されてしまったことを知る。

そんな矢先に、父親宛てでカルト集団から身代金の要求が届く。

しかし、父親は既にまともな判断ができる状態ではなく、代わりにトーマスがこの事件に対処することとなる。

トーマスはカルトの信者のふりをして、教団の本拠地である島に潜り込む。

そこでは独自の女神信仰が根付いており、預言者を謳うマルコムのもと恐怖と暴力の下に支配されていた。

トーマスは捜査を続けるうちに、妹のジェニファーが女神の生贄として囚われていることを知る。

部外者が紛れ込んでいるという警戒態勢の中で、危険を冒し、捜索を続ける中で彼は島の隠している衝撃の事実に直面することとなる。

トーマスは無事に妹のジェニファーを助け出すことができるのだろうか?

スタッフ・キャスト

本作『アポストル復讐の掟』の監督を務めたのは、ギャレス・エヴァンスです。

ナガ
この映画はギャレス・エヴァンス監督作というのがミスリードすぎるよね(笑)

そうなんですよ。彼はあの『ザ・レイド』シリーズの監督・脚本として知られている人物なんです。

ナガ
ゴリゴリのアクション映画だよね!!

とにかくアクションがすごくて、今でも有名な作品の1つです。

そんなギャレス・エヴァンス監督の作品で、しかも「復讐の掟」なんてサブタイトルがつけられていたら、そりゃ誰しもアクション映画だと勘違いするじゃないですか(笑)

ただ、どちらかというとこの映画はマーティン・スコセッシ監督の『沈黙 サイレンス』やジブリ映画の『もののけ姫』に近い仕上がりになっていて、予想を裏切られました。

ただアクションこそ目立ちはしないものの人体欠損描写はかなり攻めたものになっていて、彼らしい作風を感じられたシーンもありました。

キャストに関してですが、主人公のトーマスを演じているのは、ダン・スティーヴンスです。

ナガ
2017年にディズニー映画の『美女と野獣』で野獣役を演じたことでも話題になっていたよね!!

海外の批評家からも彼の演技が絶賛されていますが、妹と信仰を失いながらも懸命に生き、戦おうとする孤独な男を熱演する姿には私自身も胸を打たれました。

島で預言者として君臨するマルコムを演じているのは、マイケル・シーンです。

近年も『ノクターナルアニマルズ』『パッセンジャー』などの話題作に出演しており、ご存知の方も多いのではないでしょうか。

他にもマルコムの娘アンドレアをルーシー・ボイントンが演じています。

2017年に日本で公開された『シングストリート』でヒロインを演じたことでも話題になりましたが、現在世界中で大ヒット中の『ボヘミアンラプソディ』に出演していることも知られています。

このようにNetflixオリジナル映画でありながら、豪華スタッフ・キャストによって製作された映画ということで、必見の作品かと思います。

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『アポストル復讐の掟』解説

ギャレス・エヴァンスらしいグロテスクな描写

先ほど本作『アポストル復讐の掟』のギャレス・エヴァンス監督は『ザ・レイド』のようなハードボイルドアクション映画のイメージが強いと指摘しました。

そして本作は、『沈黙サイレンス』や『もののけ姫』感が強いのですが、やっぱり流石とも言えるグロテスクな描写の数々が飛び出します。

ナガ
グロが苦手な方は要注意かも知れないね!

女神への供物と称して、村人たちが自分の血を瓶に溜めたりといった描写もなかなかな先制パンチなのですが、中盤にはとんでもないシーンが登場します。

ナガ
島の青年が・・・。

島の青年がドリルで脳みそをくり抜かれるシーンですね。

映画『アポストル復讐の掟』より引用

ナガ
はっきり言っちゃった(笑)

とにかく手が震えましたね・・・。

そしてその後もトーマスが処刑されそうになるシーンで彼の指が思いっきり千切れたり・・・。

ナガ
思い出しただけでも。きついね(笑)

ただこういう描写を逃げずにきちんとストレートに表現してくれたことでトーマスが置かれた状況の切迫感が強まり、ファンタジー的な設定や世界観にもリアリティを見出せたように思います。

やはり「痛み」は映画と我々の境界線を突き崩して、ダイレクトに訴えかけてきますね。

緊迫感の巧さと狂気性の物足りなさ

『ザ・レイド』のギャレス・エヴァンス監督の映画だったということもあり、緊迫感を煽る描写は圧巻でしたね。

特に血が溜まっている下水道のような場所で、女神がトーマスを追いかけるシーンは凄まじかったです。

異形の存在が表出し、突然迫ってくるというシチュエーションをこの上なく切迫感を孕ませて演出していますし、カメラワークも見事でした。

また、島に潜り込んだスパイ的な存在の主人公が経験する「ばれる・ばれない」の極限のスリラーも楽しめます。

暗闇の中でどこから視線が向けられているのか、誰を信じれば良いのか、誰を疑えば良いのか・・・。

中盤までは物語性も一貫していましたし、演出もビシッとハマっていて、素晴らしかったように思います。

ただ、後半にかけてあのカルト組織の「狂気性」をもっと押し出してほしかったようには感じます。

前半にどんな秘密が隠されていたんだろうと鑑賞している側は、かなり興味をそそられるんですが、隠されている秘密はその期待に応えるほどのものではありません。

また、前半の雰囲気から一転して、後半にファンタジー路線に舵を切られていくのでその辺りでもう少し巧くやって欲しかったもあります。

ファンタジー路線が見ている人の予想を裏切るというよりも、期待を裏切る方向へと機能しているように感じられたのが少し勿体なかったですね。

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『アポストル復讐の掟』考察

父性的なキリストへの棄教

『アポストル復讐の掟』という作品は、タイトルからして復讐に燃える男のハードボイルドアクションムービーを想起させるんですが、どちらかと言うと宗教映画、カルト映画の色合いが強いですね。

この作品を見ていて、真っ先に思い出したのは、遠藤周作原作、マーティン・スコセッシ監督の『沈黙 サイレンス』でした。

主人公のトーマス・リチャードソンは元々キリスト教の宣教師だったわけですが、義和団事件を機に信仰を失ってしまいました。

義和団事件とは1900年に中国で起こった排外主義的な運動です。

これは19世紀に中国国内に広がったキリスト教によって中国の伝統的な風習や価値観が変化しつつあることに対する強い反発の表れでもありました。

この運動の最中にキリスト教の宣教師、信徒、協会が襲撃されてしまうこととなったわけですが、映画『アポストル復讐の掟』において、トーマスもこれに巻き込まれました。

その際にトーマスが助けを求めたのは、イエス・キリストでした。同胞が次々に殺され、自身も壮絶な拷問に会う中で、彼はイエスに、神々に助けを求めましたが、その叫びもむなしく、「救い」が顕現することはありませんでした。

これは『沈黙サイレンス』でフェレイラが直面した絶望に似ていますよね。

ナガ
つまり「神の沈黙」というやつだね!!

そうなんです。キリスト教的な価値観においては、祈りを捧げ、信仰を貫いていればイエスが、神々が救いの手を差し伸べてくださるとされています。

『沈黙サイレンス』という作品では、見えない何かに祈り続ける西洋人と、見える偶像に祈り続ける日本人の対比も浮き彫りになっていました。

映画『アポストル復讐の掟』でトーマスが見放されたのは、父性的なキリストです。

絶対的で、厳格な父性的な性格を持つ西洋的なキリスト像。そんな「父」に救いを求めますが、彼の下に「救い」がもたらされることはありませんでした。

そんな絶望の先に、彼が見出したのは「妹」という存在でしたよね。

母性的なキリスト像への到達

そしてトーマス・リチャードソンは妹を心の支えにして生きるようになるわけです。

この自分の身近にいる存在を信仰するようになるという変化は、これまでの宣教師としての彼の生き方とは全く異なる生き方をもたらしています。

まず、見えない「父なる神」ではなく、見える「人」を心の支えにするようになったという点も大きな変化でありますが、身近な女性に思いを馳せるようになったのも興味深いポイントです。

ナガ
つまり「母性的なキリスト像」への以降のプロセスの1つの段階にもなっているんだね。

そしてトーマスがカルト集団の支配する島を訪れ、彼が直面するのは「女神」信仰です。

その土地に寄り添い、土地に実りをもたらす「母性的な神」の存在がそこにはありました。

しかし、人間たちはそんな「女神」に対する信仰を形骸化させ、自分たちの支配権闘争の道具にしています。

そんな人間たちに愛想を尽かしたのか、女神はその島の作物に「毒」を混ぜるようになります。

これは「信仰」というのものが崩れていくことへの報いですよね。

「信仰」本来の根源的な意味が見失われ、形式だけなものへと堕ちていくというのは、ある種の「見えない棄教」です。

しかし、人間たちは愚かにも「信仰」を道具にした支配権闘争を繰り広げ、あろうことか「女神」を自分たちの支配下に置いてしまいました。

映画『アポストル復讐の掟』の終盤で、そんな形骸化し、道具化した女神はトーマスに助けを求めます。

そして彼は女神を焼き払うことで、形式的な信仰から神を解き放ち、「母なる自然」へと帰すことに成功しました。

「信仰」とは何かを問うラストシーン

この映画『アポストル復讐の掟』という作品のラストシーンは信仰とは何なのかという根源的な意味に立ち返ろうとする作品なのだと思います。

当初トーマスが信仰していたのは、キリスト教で、西洋的な価値観で言うと父性的な宗教です。

祈りを捧げることで、いつか救いの手を差し伸べてくれる時を待つ。しかし、彼はそんな救いの手が差し伸べられないことに絶望し、棄教してしまいます。

その後、彼は妹を心の支えにして生き、母性的な信仰へと向かっていきます。しかし、あの島で形骸化した「女神信仰」を目撃し、それを崩壊させます。

ナガ
ではトーマスが辿り着いたゴールはどこにあったのか?

ラストシーンのトーマスの表情は多幸感に満ちていました。

映画『アポストル復讐の掟』より引用

そして母なる大地が彼を包み込み、トーマスは自然と一体化し、あの島の新しい神の座へとつくことになるのでしょう。

人はとても弱い生き物です。だからこそ自分以外の何かを信じることで、現実から逃れようとしますし、その1つのデバイスとして「信仰」や「宗教」が存在しているのかもしれません。

しかし、信仰とは自分が依りかかるためのものではありません。

そして、支配するための道具でも、人を虐げるための道具でもありません。

「信仰」とは、人が生きていく中で、信じることで心の「支え」になるようなものだと本作『アポストル復讐の掟』は我々に告げているように感じられます。

本作の終盤で、彼は自分の心の支えになってくれていた妹のジェニファーを救い出し、力尽きました。

まさしくジェニファーという存在は彼にとって「生きるための支え」でした。

キリスト教を失い、妹のジェニファーを失い、何も信じることができなくなった彼が、自分の心の「支え」を失った彼が最後の最後に「信仰」を取り戻し、「救わ」れる。

現代社会において、宗教は本来の根源的な意味合いを見失いつつあるように思います。

そんな現代にもう一度「宗教」や「信仰」の意義を問いただそうとする本作は、『沈黙』において遠藤周作がかつて問うた内容にも重なる点が多いですね。

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おわりに

いかがだったでしょうか?

今回はNetflixオリジナル映画である『アポストル復讐の掟』について書いてみました。

ゴリゴリのアクション映画だと思って見始めたんですが、信仰についての意味を問う深い宗教映画の色合いだったので、驚かされました。

ただ、もっと宗教組織が孕んだカオスや狂気を見せて欲しかったですし、前半を包み込んでいた緊迫感が後半のファンタジー路線で瓦解していく印象はありました。

それでもこのレベルの映画がNetflixで見られるというのは、素晴らしいことですね。

今回も読んでくださった方ありがとうございました。

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