映画『ロッキー4』より引用
目次
はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『クリード2炎の宿敵』についてお話していこうと思います。
当ブログでは既に本作の感想・解説記事を書いております。良かったらそちらも読みに来てください。
今回の記事では、とりわけイワン・ドラゴというキャラクターに絞った内容を書いていきます。
良かったら最後までお付き合いください。
『クリード2炎の宿敵』は『ロッキー』シリーズの続編?
『クリード チャンプを継ぐ男』という作品は「ロッキー」のスピンオフとして作られたわけですが、もはやリブート作品としての枠組みを超越していました。
「ロッキー」シリーズの要素も受け継ぎつつも凡庸な再始動企画ではなく、きちんと新世代のアドニス・クリードの物語として確立された映画に仕上がっていたのです。
それでいて、ボクシングシーンへのこだわりも並々ならぬものになっていて、「ロッキー」シリーズのようなパワー重視、ダイナミズム重視、映像的快楽重視のアンリアルなファイトを脱構築しました。
アドニスがライトヘビー級という階級を選んだこともあり、スピード感に溢れ、「ロッキー」シリーズとは一線を画した全く新しいファイトシーンが採用されたのも『クリードチャンプを継ぐ男』が成功した理由の1つでしょう。
その他にも数え切れないほどに前作の傑出したポイントはありますが、それらはやはり、ライアン・クーグラーという気代の才能が監督と脚本を担当したことによるものが大きいのでしょう。
ハリウッドは近年、リブート映画や過去の名作の続編にお熱な様子ですが、その中でも『クリード チャンプを継ぐ男』は他の類似映画たちとは完全に別格の存在でした。
一方で「ロッキー」シリーズで脚本を担当してきたシルヴェスター・スタローンが脚本に戻り、そして新鋭の監督スティーヴン・ケープル・Jr.をつけた『クリード2 炎の宿敵』は「ロッキー」シリーズの続編としての色濃くしています。
まず、先ほど指摘した前作が有していたボクシングシーンのシャープネスは影を潜め、アドニス・クリードがヘビー級で出場していることも相まって、「ロッキー」シリーズのような映像的快楽優先のファイトへと回帰しています。
それに加えて、アドニス・クリードの物語でありながら、ロッキーやイヴァン・ドラゴといった「ロッキー」シリーズのフォールアウトたちの物語が強調され、存在感を発揮していました。
そう考えていくと、『クリード2炎の宿敵』という作品は、『クリード チャンプを継ぐ男』の続編であるというよりも「ロッキー」シリーズの続編という位置づけが的確なようにも思えます。
前作よりも「ロッキー」シリーズを追いかけてきたかどうかで、入れ込む熱量が変わることも必至でしょう。
こういう作りにしたことで一長一短あることとは思いますが、「ロッキー」シリーズを追いかけてきた往年のファンにはたまらない映画になっているのではないでしょうか?
『クリード2 炎の宿敵』考察:イワン・ドラゴという男
まずさ・・・
- アイヴァン・ドラゴ
- イヴァン・ドラゴ
- イワン・ドラゴ
どれが良いのかよく分からないんですよ(笑)
字幕は「イワン・ドラゴ」表記なんですが、劇中では英語発音では「アイヴァン・ドラゴ」の一方で、ロシアでは「イヴァン・ドラゴ」と発音されています。
一応当ブログでは、字幕に表示される「イワン・ドラゴ」表記で進めます。
あと、最近ファンタビ2公開の影響で、『パリ―ポッター』を見すぎて「ドラコ・マルフォイ」という名前を耳にしすぎたせいか「ドラゴ」と「ドラコ」をめちゃくちゃ間違えがちです(笑)
閑話休題。
『クリード2炎の宿敵』はやはりドラゴ親子の物語であるという側面が強いです。
今回はそこについてお話していければと思います。
イワン・ドラゴの非人間性
イワン・ドラゴというキャラクターはそもそも『ロッキー4』にて初登場しました。
イワン・ドラゴというキャラクターは徹底的に「人間性」というものを脱臭された人間であるといえます。
そのトレーニング方法は徹底的にオートメーション化され、科学的にかつ効率的に行われる「実験」のような方法で行われています。
「改造人間」という言葉でも評されるように、機械にパンチを打ち込み、その強度をデータ化し、数値ベースで実力を高めてきたイワン・ドラゴはまるで「機械」です。
また、彼は「ソ連 VS アメリカ」という冷戦構造において、ソ連が力を示すための政治的な道具にされているという側面が強いのです。
つまり冷戦下においてソ連がアメリカに対して力を誇示するための「道具」であって、プロパガンダのための「広告塔」の様な存在ということでもあります。
そういう「人間性」を感じさせないボクサーとして「ロッキー」シリーズに登場し、その異質な存在感と共にシリーズの象徴とも言えるアポロ・クリードを葬り去りました。
そんなイワン・ドラゴが『ロッキー4』という作品の終盤のロッキーとの決戦の中で「人間性」に目覚めていきます。
自分の内側にある秘めたる情熱が溢れ出し、それがあの言葉でもって結実します。
「俺が戦うのは、俺のためだ!俺のためだ!」
1人のボクサーとして、1人の人間として意志と、情熱を持ち、ロッキーに立ち向かう男の姿に感動を覚えないはずがありません。
怒りと憎しみに震えるモンスターとして
そんなイワン・ドラゴというキャラクターが再び登場したのが『クリード2炎の宿敵』という作品であるわけですが、その背負ってきた宿命は涙が出るほどに過酷なものでした。
彼は妻に捨てられ、国に捨てられ、地位も名誉も家族も何もかもを失ってウクライナの小さな家で、息子と2人で暮らしていました。
彼に残されているのは、もはや怒りと憎しみの感情だけです。
そして彼は自身が抱え続けた、その怒りと憎しみの全てを息子のヴィクター・ドラゴに「宿命」として背負わせ、ある種の代理戦争を仕掛けます。
自らが冷戦下のソ連によって代理戦争の駒にされたイワンは、息子を自分の復讐のための駒にして、自分を捨てた国や自分の家族を奪ったロッキーを見返そうとするのです。
前作『クリード チャンプを継ぐ男』のラストシーンと全く同じ構図で、ドラゴ親子がフィラデルフィア美術館のステップの上から街を眺めるシーンがあります。
©2018 Warner Bros. All Rights Reserved.
フィラデルフィアの街に向けられた、これまで成し遂げてきた過去を懐古する老練ロッキーとこれから自分が成し遂げていく未来に胸をふくらませる若者アドニスの2つの視線が対照的な名シーンでした。
しかし、『クリード2炎の宿敵』に登場するドラゴ親子のこのシーンは異質です。
なぜなら、イワン・ドラゴが有した怒りと憎しみの感情を投影したフィラデルフィアの光景と全く同じものを息子のヴィクター・ドラゴもまた見ています。
つまり少なくとも本作の終盤に至るまではヴィクター・ドラゴというキャラクターは、父の怒りや憎しみ、復讐心といった負の感情を具現化した存在でしかないのです。
ロシアでの国賓を交えた会食のシーンも印象的です。
ヴィクター・ドラゴは自分を見捨てた、ルドミラ・ドラゴという女性に並々ならぬ怒りを覚えていますが、父イワンは大事な場だからきちんと出席するようにと息子を諭しています。
このシーンもまたイワンが息子に自分の望みを投影しようとしている節が垣間見えるところです。
「俺は負けた。」
「おまえは勝った。」
(『クリード2炎の宿敵』より引用)
これはまさしくイワンが自分を息子に投影していることの表れです。
彼は息子に自分と同じような道を歩ませようとしていて、しかも同じ道の先で成功させようとしています。
だからこそ冷戦が終わった21世紀のロシアにおいてイワンは息子のヴィクターをロシアという国に認められたボクサーとして成功させようとしているのです。
というのもロシアを追われて、ウクライナにいるわけですから「ウクライナのボクサー」としてデビューしたってヴィクターとしては何の問題もないじゃないですか?
それでもロシアのボクサーとしてデビューさせて、ロシアの国賓に気に入られて・・・なんて道を息子に歩ませるのは、どう考えても自分の願望の投影なんですよ。
そういった父親の感情と宿命を強く受け継いだヴィクターは確かに迷いがなく、強いです。しかし、その一方で「自分」を持っていません。
彼はどこまでもイワン・ドラゴの代理戦争の駒でしかありません。
だからこそ今作『クリード2炎の宿敵』は『ロッキー4』のその後を描くイワン・ドラゴという悲しき男の物語という側面も色濃く持っています。
その怒りと憎しみに救済を
©2018 Warner Bros. All Rights Reserved.
そして息子ヴィクターがアドニスとの二度目の決戦にロシアの地で挑むこととなります。
自身の怒りと憎しみと復讐心を昇華させるための絶好のシチュエーションが整ったと言えるでしょう。
しかし、1度目の対戦では圧倒的な力の差があったにもかかわらずアドニスがヴィクターを追い詰めていきます。
そして最終ラウンド間近にヴィクターはほとんどパンチをアドニスにヒットさせることもできないほどにボロボロに打ちのめされ、見かねたロシアの国賓(元妻ルドミラを含む)は去っていってしまいます。
それを見て、がっくりとうなだれるイワン。
そうです。この瞬間に彼の息子を用いた復讐戦は、代理戦争は幕を閉じてしまったのです。
イワン・ドラゴは『ロッキー4』に続いて、『クリード2炎の宿敵』でも敗北を期してしまったわけです。
もはや完全に見放されてしまった自分。そんな時にもリングでアドニスと必死に戦い続ける息子ヴィクター。
この時、イワンは初めて気がついたはずです。
自分の物語を終わらせるべきことに。自分の物語を息子に押しつけるのを止めるべきことに。
それは間違いなくイワン・ドラゴでした。
そのタオルが意味していたのは、アドニスの勝利、ヴィクターの敗北という単純なものではありません。
『ロッキー4』より続いてきたイワン・ドラゴという孤独な男の壮絶な戦いの幕切れです。
そして彼は父として、トレーナーとして息子の傍にい続けることを誓います。
それは自分が負けた後に、トカゲのしっぽを切り捨てるように見放していった周囲の人物たちに対するアンチテーゼとも言えます。
「お前は負けた。」
「でも俺は見捨てない。」
彼が心の中でそう言っているように聞こえたのは、私だけでしょうか?
イワン・ドラゴという孤高のファイターが初めて「父」として息子ヴィクターに向きあい、そして自分の宿命を受け入れた瞬間に涙が止まらなくなりました。
ラストシーンで息子ヴィクターと共にランニングをするイワン。
その姿は、「機械」でもなく「怪物」でもなく、1人の人間として「父」として「どう生きるか。」を決断した彼の姿であるように思えました。
だからこそ私にとっての『クリード2炎の宿敵』は、『ロッキー4』の続編なのです。
おわりに
いかがだったでしょうか?
今回はイワン・ドラゴというキャラクターに焦点を絞ってお話してきました。
『ロッキー4』での登場以来、過酷な運命を背負ってきたキャラクターの1人ですが、これまで冷戦下のプロパガンダ的な側面もありつつ「悪役」同然に描かれ続けた彼が、ようやく報われたという感慨深さに涙が止まらなくなりました。
『クリード2炎の宿敵』はもはやイワン・ドラゴという男のビギンズと言っても過言では無いやもしれません。
『クリード2炎の宿敵』を見た方、これから見に行くよという方で、『ロッキー4』をご覧になっていない方がいましたら、これだけはぜひぜひチェックしておいてほしいかなとも思います。
また冒頭にも書きましたが当ブログでは、本作の感想・解説記事も書いておりますので、良かったらそちらも読みに来てください。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。