(C)2019映画「七つの会議」製作委員会
はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね『七つの会議』についてお話していこうと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
『七つの会議』
あらすじ
一部上場企業のソニックの子会社である中堅電機メーカーである東京建電で、ある時不可解なことが起こり始める。
営業一課の「居眠りぐうたら社員」である八角民夫。
その一方で営業一課にて課長を務め、八角よりも年下ながら圧倒的な成績を残している坂戸宣彦。
坂戸はそんな八角に苛立ち、営業会議の席でも激しく叱責するなど、厳しく当たるようになる。
すると八角は坂戸の自分に対する一連の行動を「パワハラ」であるとして会社のパワハラ委員会に訴え出る。
会社の社員のほとんどがこの訴えは退けられるだろうと見ていたが、その予想に反して坂戸は実質的には「左遷」とも言われる処分(人事部付け)を下されてしまう。
その後、営業一課の課長を原島万二という男が引き継ぐが、そこでも不可解なことが起こる。
なんと、原島は自社製品に用いられていた「ネジ」をこれまで委託していた業者から他の業者へと転注し、その結果コストアップしてしまい、さらには営業一課の成績を落としていたのである。
経理課課長代理の新田雄介はそんな原島の行動を疑問視し、独自に調査を始める。
しかし、真実に迫ろうとした矢先に過去の不倫を槍玉に上げられ、大阪支社への実質上の左遷を命じられてしまう。
その頃、営業部長の北川によって左遷を命じられ、カスタマー室の室長に任命されていた佐野健一郎は、会社に寄せられるクレームの中に椅子の座面が外れたという内容が増えていることに気がつく。
会社内外の人間が少しずつ不可解な事象に気がつき、その実態を探るうちに徐々に明らかになる東京建電の闇。
働くことの「正義」を現代に問う究極の企業群像劇だ!!
著者:池井戸潤
小説を書けば、ヒットとそれに伴う「映像化」までがほとんど約束されているという凄まじい需要ですよね。
そしてテレビドラマとして映像化された『半沢直樹』『花咲舞が黙ってない』『下町ロケット』『陸王』といった作品は、どれも高視聴率を記録しています。
さらに昨年は映画化された『空飛ぶタイヤ』も6月の閑散期公開ながら興行収入17億円に到達する快挙を見せています。
元銀行員としてビジネス書を書いていた池井戸さんは『果つる底なき』以降、銀行員経験を生かした金融界や経済界の「闇」とそこに立ち向かおうとする正義の物語を書き始めました。
2011年には、『下町ロケット』にて直木賞を獲得し、高い評価を獲得しています。
今回映画化される『七つの会議』という作品は、池井戸さんが2012年に発表した作品で、8つの短編から構成される群像劇テイストとなっています。
そうなんですよね。個人的にはかなり映画化しにくい小説だとは思っています。
これを1本の映画として仕上げるには、ある程度キャラクターの設定や展開を改変していかないと難しいかなという思いはあります。
おそらくですが映画版は群像劇テイストの原作の中から「居眠り八角」というキャラクターにフォーカスして、『半沢直樹』的な映画に改変してくるのではないでしょうか?
予告編で過剰に「八角VS北川」的な構図を煽っているのも印象的です。
正直原作通りの群像劇にしてしまうと、1本の映画としては話が空中分解してしまうので、1人の人物を主人公に据えて進めていくというアプローチで来るとすれば、それは妥当な改変かと思われます。
映画版スタッフ
- 監督:福澤克雄
- 脚本:丑尾健太郎
福澤克雄さんは『半沢直樹』『ルーズヴェルト・ゲーム』『下町ロケット』『陸王』など、これまでの池井戸原作のテレビドラマにて演出として常に参加してこられました。
また昨年は映画『祈りの幕が下りる時』の監督も務めていました。
そして福澤克雄さんと脚本の丑尾健太郎さんはこれまでにもドラマ『小さな巨人』や『ブラックペアン』にてタッグを組んでいます。
まあこの2人が主要スタッフとして活躍した『小さな巨人』なんかを見てみると、今回の『七つの会議』はテイスト的にはかなり近いものがありますよね(笑)
だからこそ『半沢直樹』や『小さな巨人』のようなタイプの作品がお好きな方は今回の『七つの会議』絶対に見に行くべきだと思いますよ。
映画版キャスト:池井戸映像化作品常連組が集結?
今回の映画『七つの会議』のキャスト陣はもう超豪華!!と言っても過言ではありませんよね。
まず主人公の八角民夫を演じているのは、野村萬斎さんですね。
彼の代表作はもちろん『シンゴジラ』ですよね!!
はい、野村さんは『シンゴジラ』にシンゴジラ役で出演されています(笑)
能楽や狂言のテイストをゴジラに取り入れるという斬新な試みをやって見せた野村さん。
そんな彼が今回は営業部の「ぐうたら」係長である八角を演じます。
池井戸作品映像化の名物と言えば、
- 顔芸対決
- 目力対決
- セリフ絞り出し対決
などの「過剰演技」合戦ですが、野村さんであれば、問題なく、その戦いについてくることができるでしょう。
- 香川照之:『半沢直樹』『ルーズヴェルトゲーム』
- 及川光博:『半沢直樹』
- 片岡愛之助:『半沢直樹』
- 木下ほうか:『空飛ぶタイヤ』『下町ロケット』
- 世良公則:『下町ロケット』
- 北大路欣也:『半沢直樹』
- 音尾琢真:『陸王』『花咲舞が黙ってない』
特に香川照之さんと片岡愛之助さん、そして及川光博さんといった『半沢直樹』の中でも特に印象的だったキャストが共演しているという点は非常に嬉しいですね。
あの究極の顔芸対決がまた見られるのか!!と非常にワクワクしております。
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『七つの会議』感想
働いてる人なら誰しも共感しうる群像劇
(C)2019映画「七つの会議」製作委員会
この『七つの会議』という小説には合計で8つの短編が収録されていて、それらが1つの事件に関係しているという群像出来の体裁を取っています。
その中には、実に様々なエピソードが描かれています。
- 自分が認められないことにいら立ち、自分の力を誇示しようと躍起になる新田。
- 会社で働き続けることに不安を感じ、自分の生き方を見つけるために退職の道を選ぶ浜本。
- 出世をするために上司に取り繕い、部下には厳しい佐野。
- 何とかして良い営業成績を上げようと努力し、道を踏み外してしまう坂戸。
- ぐうたら中間管理職の八角。
- とにかく部下に厳しい部長の北川。
とにかくいろいろな立場の人物が出てきますし、様々な考え方で「働く」ということに向き合う様子が描かれます。
だからこそ自分の職場にいるよねこんな人・・・とか自分ってこのキャラクターに似てるかも・・・みたいな感触があって、物語をすごく身近に感じるんですよね。
何を隠そう当ブログ管理人はドラマ『半沢直樹』を見たり、小説『下町ロケット』を読んでいた頃はまだ社会人ではなかったもので、あまり魅力が分からなかったんですよね。
純粋に面白いエンターテインメント作品だなぁくらいにしか感じていませんでした。
しかし、社会人になってから読んだ池井戸作品である「七つの会議』は非常に身近に感じられる物語になっていました。
特に本筋にはあまり関係がないながらも、浜本優衣の短編は何だか考えさせられる内容でした。
池井戸さんもこの作品に関しては、こう述べておられます。
この本では、一つの大きな不祥事が話に乗っかっているため、クライムノベルという形になっていますが、サラリーマンの日常生活の中にある小さな謎を解き明かすミステリーというつもりで書いてきました。
サラリーマンっていろいろなことを日々組織の中で疑問に思いながら生きています。
例えば、1人の社員が会社を辞めたとします。その社員は辞める原因を誰にも明かしませんでした。
皆さんの職場でもこんなことはありませんでしたか?
きっとあると思いますし、そうなるといろんな憶測が飛び交うことになりますよね。
会社の人間関係、会社の待遇、会社の不祥事・・・?
会社という組織には、その大小に関わらず「謎」があります。
『七つの会議』という作品は、それぞれのキャラクターが日常の「謎」に迫っていく中で、思わぬ「答え」に辿り着いていく物語でもあります。
それが自分に良い方向に作用するか、それとも悪い方向に左右するのかは正直分かりません。
ただその姿勢が大切なんだと思いますし、まさしく劇中の浜本優衣のような「気づき」が重要なのだと思いました。
会社という組織って長くいればいるほど、当たり前になって気がつかないことがあったりします。
「謎」が「謎」ではなくなっていく時、それが生み出すのは慣れに伴う「停滞」です。
日々、組織の中の小さな「謎」を解消していく。その小さな小さな「ミステリー」が組織やそこで働く人のためになるという労働賛歌がこの作品では謳われているように感じました。
今まさに「働く人」である方にも、もちろん鑑賞して、いろいろと自分自身のことについて考えてみて欲しい内容ですし、これから「働く」ことを控えている方々にも、分からないなりに読んで欲しい内容です。
何はともあれ、個人的にはすごく共感でき、そして自分自身の向上心を掻き立てられる内容でした。
1つの作品としては歯切れが悪い
この『七つの会議』という作品は、少し特殊な事情の中で生まれた作品です。
当時のインタビューで池井戸さんはこうお話されています。
―この『七つの会議』はもともと日本経済新聞電子版に連載されていた作品ですが、8話構成の連作短編になったのはそのためですか?
池井戸 「特にそういうわけではありませんが、そもそも連載は長く続けるとついてこられなくなる読者が多いので、長編でも、一つずつ話が積み上がっていくような構造にしたんです。実は連載では第7話までしか書いてなくて、自分の中では事件は終わってしまっていたのですが、よくよく考えてみると、この会社、もう少し何かありそうだなという気がしてきたので単行本化するにあたり残りの一話を加筆することにしました」
正直7つ目の短編のラストが多くの謎を明らかにしないままではありますが、かなり綺麗に纏まっているんです。
7つ目の短編の最後にて、八角が世間に東京建電の闇をリークし、隠蔽しようとしていた「ネジ」の偽装工作を明るみに出しました。
特に解決したという印象はないんですが、この日本経済新聞の連載における最終話となった第7話は、企業の巨悪に鉄槌が下されたことが明らかになったわけで、ここで物語としては十分な落としどころに思えます。
もっと言えば「7つ」の短編で終わっておけば『七つの会議』というタイトルがもっとしっくり来たのかもしれません。
しかし、池井戸さんはもう少し真相を描きたくて、坂戸がなぜ事件を起こしてしまったのかという真相や、偽装ネジを製造していた業者の闇なんかにも踏み込んだ第8の短編を小説家にあたって収録しました。
ただ、そうした割には描かれていない部分があまりにも多すぎてどうしても不完全燃焼のまま終わってしまう感があります。
それくらいに最後の最後まで謎は謎のままで、中途半端に事件が解決して幕切れるので、それなら7つ目の短編のラストですっきりと締めておけばよかったのではないかと考えてしまいます。
そこが本作の問題点かと思いますので、映画版ではきちんと1つの物語として過不足なく纏めて欲しいと思います。
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『七つの会議』解説
『七つの会議』というタイトルの意味
さて、本作の『七つの会議』というタイトルに皆さんは何を思い浮かべますか?
もちろんこのタイトルは本作が群像劇であるという性質にも起因しています。
それぞれの短編に東京建電の巨大な闇に絡んでくる重要な「会議」が映し出されるというところからも「七つの会議」というタイトルは妥当と言えるでしょう。
ただこれっておそらく「七つの大罪」に絡めたタイトルだと思うんです。
予告編のラストでタイトルが表示されるカットをご覧ください。
(C)2019映画「七つの会議」製作委員会
実はこのカットがとある絵画に似ているんです。
ヒエロニムス・ボッシュ『七つの大罪』
この絵画において中央に描かれているのは、言うまでもなくイエス・キリストです。
一方の『七つの会議』のカットにおいて、中央を飛んでいるのは飛行機です。
本作において飛行機は重要なモチーフの1つであり、ここに用いられた座席の「ネジ」のリコールをするかどうかというところで東京建電は岐路に立たされます。
罪の十字架を背負うのか、それとも十字架に背を向けるのか・・・。
こういう絵画的な側面から鑑みても『七つの会議』というタイトルが『七つの大罪』から影響を受けていることが伺えます。
さらに1つ1つの罪に関連するキャラクターや展開が描かれているのも興味深いポイントです。
- 傲慢
- 嫉妬
- 憤怒
- 怠惰
- 強欲
- 暴食
- 色欲
まず、「傲慢」という点に関して、これに合致するキャラクターは北川誠、佐野健一郎、新田雄介といった人物が挙げられるでしょう。
特に、新田というキャラクターは非常に自尊心が高く、自分を中心に世界が回っていると考えているほどに傲慢な人間です。
だからこそ彼は自分を卑下するような態度を取った営業一課の原島や八角を許すことができず、彼らを追及しようと躍起になった結果、闇に葬られてしまいました。
他にもカスタマー室の室長である佐野は、北川から「他人からの評価と自己評価が剥離している」と評されています。
その他のキャラクターたちにも「傲慢」というキーワードは見え隠れしていますね。
他にも「嫉妬」で言うと、やはり本作における事件の引き金を引いてしまった坂戸は挙がってくると思われます。
彼が「基準に満たないネジ」に手を出し、コストカットを図ったのはまさしく自分の兄に対する「嫉妬」からでした。
良く出来る兄を何とかして超えたい、兄に認められる人間になりたいそんな「嫉妬」の情が彼に絶対に越えてはいけないラインを越えさせてしまったのです。
「憤怒」なんかは営業部長の北川によく似合う言葉ですね。彼は常に部下を過剰に厳しく叱責していましたし、その「厳しさ」が坂戸に罪を犯させてしまいました。
「怠惰」はまさしく「居眠り八角」を体現する言葉でしょう。
あとは言うまでもなく「強欲」は絡んできますよね。
企業の利潤至上主義が、罪を認め、社会的責任と賠償を背負うことから目を背けさせ、巨大な隠蔽工作へと突き進ませてしまいました。
そして「暴食」なんですが、これもおそらく池井戸さんはかなり意図的に入れてきています。
ただ、この食にまつわるエピソードを取り入れることで半ば強引に「暴食」の要素を反映させているんです。
最後に「色欲」ですが、これは新田と浜本の不倫に関係していると言えるでしょうか。
このように『七つの会議』という作品は、現代の企業エンターテインメントに「七つの大罪」というモチーフを持ち込んだ作品という意味合いもあるのだと私は考えています。
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元ネタ・モデルはどの企業?
これに関しては、著者の池井戸さんも明確にはしていません。
インタビューではこう述べています。
隣のカウンター席に座っていた40代くらいのサラリーマン2人組が『知ってる?あいつ、パワハラ委員会にかけられるんだって』という噂話をしていたんです。
この噂話に影響を受け、彼はこの作品に着手したそうです。
だからこそサラリーマンの何気ない日常の「謎解き」を主軸に据えた作品になっていたわけです。
そしてそれを1つの物語につなぎとめる、つまり群像劇として成立させるための基盤として用意されたのが「企業の不祥事」という設定でした。
この作品は、2011年5月から2012年5月まで『日本経済新聞電子版』に連載されていました。
そう考えると、2011年3月に起きた東日本大震災とそれに伴う東京電力の対応と隠蔽が関与していたという可能性は考えられるでしょうか。
たださすがに連載開始時期と近すぎるので、何とも言えないところです。
同じ池井戸作品でも『空飛ぶタイヤ』なんかは三菱自動車のリコール隠しが題材になっていることがほとんど明確になっているようなものもあるわけですが、今作に関しては明確にはなっていないというのが正直なところでしょう。
池井戸潤とネジ
『半沢直樹』より引用
『七つの会議』という作品における最重要モチーフとも言える「ネジ」
これは劇中でも「産業の塩」と呼ばれているように、その国の産業を根底から支える小さな、それでいて重要な基盤です。
しかし、重要でありながら、非常に地味で見えにくい部品であり、だからこそ重要であるにもかかわらず、軽視されてしまうのかもしれません。
池井戸潤さんは『半沢直樹』の中でも、主人公の父親がねじ工場を営んでおり、その際に銀行からの融資を打ち切られ、父が自殺してしまったという設定を取り入れています。
彼の作品が常に中心に据えているのは、弱き正義が立ち上がり、強き悪を懲悪するという王道の物語です。
今作『七つの会議』において「ネジ」を軽視し、虐げようとしたのは坂戸であり、そのバックにある東京建電の巨悪でした。
『半沢直樹』においては、大和田常務が「半沢ネジ」への融資を打ち切り、倒産させ、社長だった直樹の父を自殺に追い込みました。
つまり銀行や巨大企業という日本の産業を育て、大きくしていく役割を担っている組織が、産業の最も末端ながら、一番底の部分で支えてくれている「ネジ」という部品を軽視している様を強調しているのです。
そしてそれを軽視するものには、「罰」がもたらされることとなります。
今回の作品において、東京建電は「ネジ」のコストダウンに躍起になり、基準を満たしていない粗悪な製品に手をつけ、社会的信用の失墜と巨額の賠償金請求に見舞われました。
「大は小を兼ねる」と言いますが、人は「大」に固執するがあまり、「小」を軽視してしまう傾向にあります。
小さな企業、大きな企業の中の一社員、そんなちっぽけな存在は「ネジ」同様に軽視され、虐げられ、トカゲのしっぽのように切り捨てられてしまうのかもしれません。
しかし、池井戸潤さんはこれまでの作品でもそうでしたが、そんな社会を支える「ネジ」として生きる1人1人の人間に価値があると我々に訴えかけています。
池井戸作品において「ネジ」というモチーフが重要な役割を担うのは、きっと偶然ではないでしょう。
北川から八角に証拠となる「ネジ」が手渡され、「これは俺たちのモラルだ!」というセリフが発せられる一幕もありましたね。
原作と映画版の違い(ネタバレ注意)
まあ予想通りではあるんですが、映画版の『七つの会議』はかなり脚色が施されております。
個人的にはこの原作ってサラリーマン版『氷菓』(古典部シリーズ)だと思っていたんです。
サラリーマンが日常の業務の中で何気なく感じた疑問の正体を解き明かそうとしていくうちに、巨悪の存在にぶつかるという構成が本作の最大の魅力でもあったはずです。
もちろん良かった部分もありますが、『七つの会議』をわざわざ映像化するのであれば、そこをしっかり見せて欲しかったなと思ってしまうわけです。
では、ここからいくつかの点に分けて、映画版と原作の違いをお話していこうと思います。
八角はそもそも主人公ではない
原作はここまでもお話してきたように別々の主人公をそれぞれに据えた7つの短編と1つのエピローグから成る小説です。
そのため原作では八角というキャラクターは、あくまでも短編の1つにおける主人公であるという見方で捉えるのが正しい人物かと思われます。
そうなんですよ。
2時間尺で主人公が7人も登場する短編の連続をやってしまうと、1つの物語として成立させるのは難しくなってしまいます。
原作の良さを生かして、短編の連続から東京建電の巨悪のシルエットを浮かび上がらせていくというアプローチも出来たとは思いますが、大作映画でその構成は受け入れられないでしょう。
そう考えると、映画版で原作のキャラクターを尊重しつつも、彼らの謎の先に「八角」という存在が立ちはだかっているという構造に物語をコンバートした点は妥当と言えるかと思います。
浜本優衣と原島万二という探偵役
ここも原作からかなり変化したポイントですね。
そもそも原作での2人はあまり物語の本筋には関係してきません。
- 原島:上からの命令で一課の課長になり、「ねじ六」への転注を進めた。
- 浜本:不倫して、会社が嫌になって、辞表を出して、ドーナツ企画を出した。
ただ映画版が全ての謎の先に「八角」という存在を置き、群像劇的な構造をある程度踏襲したことによって、ある種の「狂言回し」的な役割をする人物が必要になったんだと思います。
つまり、今どういう状況で、何が起こっていて、何が謎なのかという疑問を観客と同じ立場で考えられる人間が必要だったということですね。
その点で、原島と浜本の2人を「探偵役」に据えたことで、この映画は大作映画として非常に万人に見やすい作りになったように感じました。
ただその弊害として思ったんですが・・・
原島は仮にも一課の課長なのに、「探偵」ごっこばかりして全然仕事してないという有り様に・・・。
佐野のエピソードが全カット
これは映画の尺を考えると当然のカットかなと思います。
原作では1つの短編の主人公だった佐野のエピソードでは営業部長の北川と製造部長の稲葉の関係性であったり、東京建電の巨悪にじわじわと迫っていくプロセスも描かれていました。
佐野という人物は、元々は北川の腰巾着の様な立ち位置だったんですが、稲葉と内通しており、それがために左遷させられたという背景を持っています。
だからこそ営業部にも製造部にも強い復讐心を抱いていて、それが秘密へと迫っていく推進力にもなっていました。
ちなみに映画版では、工場にネジのサンプルを取りに行ったのは浜本と原島でしたが、原作ではこの佐野の役割でした。
もっと言うと原作では、佐野は映画版のように左遷はされていません。
北川に告発文を提出して、真実を告げられて、自分が信頼していた「宮野社長=不正を嫌う男」という方程式が崩れ去り、絶望してしまったという様子は映し出されていました。
坂戸の背景が描かれていない
冒頭では一課の課長として目覚ましい活躍を見せていた坂戸。
そしてトーメイテックへのネジの転注と偽装を進めてしまった張本人でもある人物ですが、原作ではもう少し彼の過去にもスポットが当たっています。
彼が今回の事件に手を染めてしまったのは、兄に対する激しい嫉妬心があったからだと原作では記されています。
幼少の頃から常に兄は自分の一歩先を行っていました。
そして銀行で出世街道まっしぐらのエリートだったにもかかわらず、脱サラして、実家の商店を継いだんです。
映画版でも坂戸個人に対して損害賠償請求が行われ、実家にも財産没収などの通達がいくという旨が仄めかされていましたが、原作で、彼はその発言を聞かされた時にすごく狼狽するんです。
それは脱サラしてまで、実家の店を継ぐという重荷を、実母の介護を引き受けるという責任を担ってくれた優秀な兄にどうしても迷惑をかけられないという強い思いがあったからです。
私としましては、映画版『七つの会議』の最大の弱点は「サラリーマンを描けていない」ことだと思いました。
池井戸さんの原作では、それぞれのキャラクターの生い立ちや家庭の状況が逐一詳細に記述されています。
ドラマ『半沢直樹』でも主人公の半沢とそれと対立する大和田の家庭状況や生い立ちは丁寧に描かれていましたよね。
そうなんです。
会社の中でドラマに寄与するだけの存在ではなくて、これまでに生きてきた背景や経歴があり、家庭がある。ちゃんと血の通った1人の人間として生きてるんです。
映画版『七つの会議』の登場人物が揃いも揃って「死んで」いるのは、そういう背景をカットしてしまったからですよ。
そういう意味でも坂戸の背景をきちんと描かなかったことは、あまり良い改変とは言えなかったと思います。
北川の改心
映画版では終盤に北川が改心して、八角と共闘関係になるという描写がありました。
これは原作ではほとんど描かれていない内容でした。
というよりも原作と映画では物事の順序が微妙に違います。
- 宮野社長が改めて「隠蔽」を決定する。
- 八角が本社からの出向である村西に情報をリーク。
- 御前会議が開かれ、徳山社長も隠蔽に加担する。
- 八角がマスコミに情報をリークする。
- 八角が坂戸に転注するよう仕向けた人物を探る。
一方の映画版は違いますよね。
- 宮野社長が改めて「隠蔽」を決定する。
- 八角が本社からの出向である村西に情報をリーク。
- 八角が坂戸に転注するよう仕向けた人物を探る。
- 御前会議が開かれ、徳山社長も隠蔽に加担する。
- 八角がマスコミに情報をリークする。
この時系列の改変からも分かる通りで、原作の時系列で北川が八角と共闘関係になるのは、まずありえません。
八角が最終的に宮野社長がトーメイテックへの転注を支持したという真相に辿り着くに当たって、北川がそれに貢献するということもありませんでした。
映画版では、御前会議等での梨田への対抗心があったからこそマスコミにリークするに当たって2人が協力関係になる展開があり得たわけです。
この改変は個人的に結構好きでして、胸が熱くなる展開でしたね。
2人が会議室で会社のロゴを見つめながら、「俺のサラリーマン人生何だったんだろうな・・・?」とぼやいているシーンは非常にエモーショナルだったように思います。
あとポストクレジットシーンで流れる北川の「その後」のシーンは完全に製作陣が香川照之さんを使って笑いを取りに来ていると思います。
あれは、NHKで昆虫博士をしている時の香川照之さんの顔ですよ(笑)
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おわりに
いかがだったでしょうか?
今回は池井戸潤さんの『七つの会議』についてお話してきました。
彼らしい企業の「巨悪」と個人の正義の戦いの物語にはなっているんですが、いつになく人物1人1人にスポットが当たっていて、その小さな「謎解き」に意味を見出した内容であることが分かります。
あくまでも物語を結びつけるための接着剤として「企業の闇」を登場させているわけですね。
そのため池井戸さんらしくもあり、良い意味で池井戸さんらしくない小品な作品に仕上がっていたと思います。
映画版はおそらく改変が入ると思いますので、ぜひぜひ小説版も併せてご鑑賞されてみてください。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。
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