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目次
はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『アクアマン』についてお話していこうと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
『アクアマン』
あらすじ
本作『アクアマン』は時系列的には、『シャスティスリーグ』よりも後になります。
一応劇中で「ステッペンウルフ」を倒したという説明があるので、そこの意味を理解するには見ておく必要があります。
ただ、『アクアマン』に関しては、ほとんど完全に1本で完結している映画ですし、ユニバース映画の中の1本であるという印象はほとんど受けませんでした。
ですので、これまでのDCユニバース作品をチェックしていないという方も気軽に見に行ける映画になっていると思います。
人間とアトランティスの王女の間に生まれた子供であるアーサー。
しかし、アトランティスからの追っ手に母アトランナが捕らえられてしまい、後に処刑されてしまったことを知る。
自分のせいで母親が死んでしまったという後悔を抱えつつも、困っている人を助けずにはいられない優しい青年に育っていました。
そんな時、人間の潜水艦が海の王国に襲撃をかけるという事件が勃発し、「海の覇王」を自称するオーム(アーサーの異父兄弟)はその報復として人間に戦争を仕掛けようと画策する。
それを知ったアーサーは何とかして伝説のトライデントを発見し、自身が王位を継承することで戦争を食い止めようとするのだった。
スタッフ・キャスト
- 監督:ジェームズ・ワン
- 脚本:デビッド・レスリー・ジョンソン&ウィル・ビール
本作の監督を務めるのは、あのジェームズ・ワン監督です!
やはり何と言っても有名なのは、やはり『死霊館』でしょうね。
ホラー映画って数多くありますが、「本気で怖い!!」って感じた作品って意外と数えるほどしかないんですよ。
ただ『死霊館』は間違いなくその内の1つですね。
演出やカメラワークが神がかっていて、ジェームズ・ワン監督が「天才」であることがはっきりと分かります。
あとはやっぱり『ワイルドスピード:スカイミッション』が知名度が高いでしょうか?
当ブログ管理人としてもやはりシリーズ最高傑作であることは間違いないと思います。
視覚的な見せ場の多さやアクションシーンの見せ方なんかも非常に巧くて、すごく洗練されたカーアクションムービーに仕上がっていたと思います。
ブライアンの一件を抜きにしても間違いなく傑作と呼べる作品だったと思います。
そんなジェームズ・ワン監督がDCユニバースに参戦ということで、嫌でも期待値が高まりますね。
脚本を担当したのは、デビッド・レスリー・ジョンソン&ウィル・ビールですね。
前者は『エスター』や『死霊館 エンフィールド事件』などの脚本を担当したことでも知られています。
ちなみに後者は『L.A.ギャングストーリー』の脚本を担当していました。(正直個人的にはイマイチでした。)
- ジェイソン・モモア:アーサー・カリー&アクアマン
- アンバー・ハード:メラ
- ウィレム・デフォー:バルコ
- パトリック・ウィルソン:オーム
- ドルフ・ラングレン:ネレウス
- ニコール・キッドマン:アトランナ
かなりがっしりとした肉体を持ちながら、その仕草が非常にキュートでして、日本でも多くのファンがいる俳優ですよね。
映画『ジャスティスリーグ』も映画として少し物足りなさがありましたが、ジェイソン・モモアが演じたアクアマンは絶賛されていて、単独作が待ち望まれておりました。
メラ役のアンバー・バードは『リリーのすべて』に出演されているのは、記憶に新しいですね。
他にもネレウス役にドルフ・ラングレンが起用されています!!
他にも良く脱がされている女優ニコール・キッドマンも出演しています。
撮影秘話で明かされていましたが、やらせなしのガチだそうで・・・。
より詳しい作品情報を知りたい方は映画公式サイトへどうぞ!!
特大の大ヒット!興行収入は?
既に全世界で公開されている『アクアマン』は、各国でナンバーワンヒットを記録し、とんでもない成績を残しています。
DCユニバースの他の作品と比較してみましても全世界興行収入では圧倒的な成績を記録しています。
- 『アクアマン』:約11億ドル
- 『バットマンVSスーパーマン』:約7.8億ドル
- 『ワンダーウーマン』:約7.2億ドル
さらにこれまで全世界興行収入でDCの作品の最高記録を保持していた『ダークナイトライジング』を上回り、歴代最高となっているのも素晴らしいですよね。
その圧倒的な成績には、中国で3億ドル近くを稼ぎ出したことが大きく関係していると言えるでしょう。
『シティハンター』強しですよね。
ただ初日の金曜日も上々の滑り出しの様なので、アメコミ映画は初動型ということを加味しても10億円は超えてきそうな印象です。
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『アクアマン』感想
ジェームズ・ワン監督のバランス感覚に惚れる
『ワイルドスピード:スカイミッション』を見た時にも思ったんですが、ジェームズ・ワン監督の映画ってとにかく「お祭り」感覚でいろんな要素がてんこ盛りですよね。
カーアクションとスパイミッション要素が絶妙なバランスで配合されていて、古き良き『ワイルドスピード』要素と5作目の『ワイルドスピードMEGAMAX』以降顕著なスパイミッション要素がきちんと1つの映画の中で纏まっていました。
そして今回もそんなジェームズ・ワン監督のバランス感覚の良さが際立っていたように思いました。
この記事ではそれを5つのポイントに絞ってご紹介していこうと思います。
本来のDCらしさとザックスナイダーDCらしさ
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DCユニバースって最初の作品は『マンオブスチール』になるんですが、正式にユニバースになりますよ!ということで公開されたのは、『バットマンVSスーパーマン』が最初です。
この時点では、DCユニバースの目指す方向性は明確だったんですよね。
神話性を高め、さらにザックスナイダーお得意の重厚でダークで、1カット1カットの画力で圧倒するような作品が「DCEU」なんだ!!ときちんとブランディング出来ていたように思います。
ただそれが崩れ始めたのが、間違いなく『スーサイドスクワッド』です。
この映画は『サボタージュ』や『フュ―リー』のデヴィッド・エアー監督が起用され、当初はダーク路線が明確に打ち出されていました。
しかし、デヴィッドエアー監督版が関係者試写で不評に終わり、さらにはポップ路線を前面に押し出した予告編が好評となったことで、方針にブレが生じました。
結果的に当初の監督が意図したダーク路線半分、予告編のようなポップな作風半分の折衷案を劇場公開版とする方向性が決まりました。
この決定によって完全にDCEUはポリシーを見失ってしまいました。
その後の『ワンダーウーマン』は批評性は高いものの、映画としては正直中盤の「ノーマンズランド」のくだり以外は見所に欠けたなぁと個人的には感じてしまいました。
そして、何と言ってもDCの迷走を明確にしたのが、ヒーローアッセンブルとして公開された『ジャスティスリーグ』です。
『ジャスティスリーグ』は当初ザックスナイダー監督が3部作を構想していたとも言われていますが、諸事情あり、途中で降板という形になってしまいました。
その後を引き継いだのが、ジョス・ウェドン監督でした。彼はMCUで『アベンジャーズ』や『アベンジャーズ エイジオブウルトロン』の監督を務めた人物ですね。
ヒーローアッセンブルを撮るのは非常に巧い監督なんですが、如何せん作風がライトでして、重厚かつ画力で魅せていこうというスタンスだったDCEUの路線からは完全に逸脱した人選でした。
結果的にライバルユニバースからの引き抜きという大きな迷走により、DCはキャストの降板騒動やベンアフレック版『バットマン』のゴタゴタなど悪循環に陥っていきました。
そんな瞑想に迷走を重ねて、袋小路に迷い込んでいたDCEUにジェームズ・ワン監督は間違いなく希望を示してくれました。
何が素晴らしいってザックスナイダーが打ち出した重厚でダークな路線と、DCコミックスが本来持っていたコミカルさを絶妙なバランスで配合してくれたことですよ。
重厚でかつ画力のあるカットを作品の要所要所にきちんと配置しつつも、コミカル要素やコメディ要素をこれまた的確なタイミングで盛り込み、これが「DCEUだ!」という新しいスタンダードを提示してくれました。
いやはやジェームズ・ワン監督はDCの救世主ですね。
ヒーロー映画と自身の作家性の融合
ジェームズ・ワン監督は記事の最初にも触れたんですが、『死霊館』シリーズが非常に有名な監督なんです。
だからこそそういったホラー映画の演出も取り入れてきているんですよね。
ヒーロー映画だから、ユニバース映画だからといってそこに終始するのではなくて、きちんと自分の強みを出していこうという心意気を感じますよね。
『インディジョーンズ』シリーズの要素を取り入れたような宝探し要素も、1つの映画に「ツアー」のような感覚を取り入れる彼らしさにも思えます。
アクションシーンであっても自分が得意とする画をきちんと入れてきてましたよね。
グルグルと回転するようなカメラワークで、登場人物の戦いを舐めるように捉える独特のカットは散見されましたし、後は『ワイルドスピード:スカイミッション』でも印象的だった空からのダイブアクションなんかもありました。
こういう風に自分の持ち味をきちんと観客にも分かる形で見せられるのは、紛れもなく才能だと感じさせられましたね。
それでいて、自身の作家性を押し出してはいるものの、それが作品ノイズにならないギリギリのラインが守られているので、見事です。
海と陸のアクションシーン
『アクアマン』なんて映画のタイトルですので、当然アクションシーンは基本的に水の中だろうなんて思う方は多いでしょうが、実はこの映画、海と陸のアクションシーンが丁度5:5の割合です。
だってわざわざシチリアやサハラのシーンってわざわざ描く必要はなさそうですし、陸で戦わせるシーンなんて少なめでも良いじゃないですか。
それなのに『アクアマン』はご丁寧に水中でのアクションシーンとほとんど同量に近い形で陸上でのアクションシーンも取り入れています。
これおそらくですが、かなり意図的に構築されたバランスだと思います。
まず、『アクアマン』は水中でのアクションシークエンスを1つの売りにしていたわけですが、全編を水中でのアクション中心に組み立ててしまうと、どうしても慣れが生じてきて、後半には関心が無くなっています。
だからこそ陸上での戦闘シーンを挟むことで、コントラストを生み出しているんですよ。
それに加えて、陸上のシーンという通常のアクションシークエンスがあることで、水中のアクションシーンの微細な演出にも気がつきやすくなります。
もちろんこの映画では、水中での物理法則はある程度無視されています。
ですので、単純に水の中のシーンばかりを見せ続けられていると、正直「この映画のアクション水の中とは言うけど設定無茶苦茶だよな・・・。」なんて状態になりかねないわけですよ。
ただ、地上のシーンや空中からのシーンがあることでそういった「水中のシーンでついた嘘」が気になりにくくなる効果があります。
陸上のシーンや空中でのシーンと水中のシーンで多少の描き分けをしておけば、水中のシーン単体では「眉唾もの」だったとしても、相対的に鑑賞に耐えうる代物に見えてくるんですね。
こういうところのケアまで行き届いているあたりはさすがの一言ですね。
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社会派とエンタメ
今年のアカデミー賞にMCUから『ブラックパンサー』がノミネートされ、ヒーロー映画初の快挙だとして話題になっています。
ただ当ブログ管理人としては、この映画はそんなに推せない映画でもあります。
確かにハリウッドが「反トランプ」の主張を持っていることは分かるんですが、それにしてもここまで堂々と「反トランプ」に振り切った内容を描いたヒーロー映画って正直受け入れがたい部分があります。
というよりもヒーロー映画としての語り口よりも、政治的な部分の描写を描きたくて作ったんじゃないかみたいな展開もあって、個人的にはどうしてもヒーロー映画として格落ちな作品です。
『アクアマン』って基本的にはエンタメに全振りですし、何なら白人が善人で、黒人が悪人みたいな最近のポリコレの流れには特に迎合する気はない印象すら見受けられます。
ただ、かなり気がつきにくいところで、実は社会派な内容を内包させているんですよ。
非常に目につきやすいのは、環境問題だと思うんですが、実はもう1点この映画は今日の社会問題に絡めたトピックを実に巧妙な形で潜り込ませています。(後ほど解説で書きます。)
『ブラックパンサー』ってこういう今日の政治描写を盛り込んでみましたよ!!っていう「したり顔」が見え透いてて、フィクションに集中できない印象すらありました。
そう考えてみますと、『アクアマン』の社会派な側面の盛り込み方は絶妙で、鑑賞している我々がそれに気がついて現実に引き戻されないように、そっと添えてある程度です。
こういうフィクションとソーシャルなコンテクストのバランスも非常に的確だと感じさせられました。
キテレツなビジュアルと神話性
2018年に公開されたリュック・ベッソンの『ヴァレリアン』を思わせるようなキテレツなビジュアルを全面に盛り込みつつもきちんと「神話」として完成させてきた点も素晴らしかったですね。
DCは「神話」を描くというのは、崩れかけてはいましたが、やはり重要なコンセプトですので、死守しなければならない防衛ラインです。
『アクアマン』って予告編を見た時点で分かると思うんですが、日本の戦隊ものみたいな敵が出てきたり、とんでもないコスチュームの海底人が登場したりとまあビジュアルがキテレツです。
MCUの方向性は基本的に「いかにしてコミックスのキャラクターが現実に存在していると思わせるか?」というところにあります。
つまりヒーローたちが戦う映画の中の世界と我々が普通に生きているこの世界があたかも繋がっている、ないし同じ世界であるかのように錯覚させるような志向に注力しています。
では、DCはどうなのかというと、DCは「神話」を描くんですよ。
つまり、我々が住んでいる世界とは一線を画した、ヒーローという神々の物語を描くというスタンスであります。
そう考えた時に、実に『アクアマン』という映画のDCのバランサー的側面が際立っているように思えるのです。
原作コミックスをそのまま再現し、平面の世界から飛び出してきたようなキャラクターが文字通りキテレツなビジュアルで実写映画の中に混入しています。
それでもジェームズ・ワン監督は、きちんとこの映画が「神話」であるということを見失わないように要所要所で印象的なカットを取り入れてきています。
このMCUとは違うDCの映像的な方向性を打ち出しつつも、DCEUが基本路線としてきた「神話性」をきちんと維持したという働きは筆舌に尽くしがたいものがあると感じましたね。
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『アクアマン』解説
なぜシチリアとサハラ砂漠だったのか?
さて、先ほど『アクアマン』には気づかれにくい形で今日の社会問題がアタッチされていると指摘しましたが、それに関連するのが「シチリアとサハラ砂漠」です。
近年アフリカとイタリアの間で問題になっていたのが、アフリカ大陸から船で地中海を超えてイタリアへと渡ってくる移民・難民のトピックです。
もちろんイタリア国内でもこの受け入れを巡っては賛否両論あります。
ただ2018年にイタリアで発足した右派政権は移民に対してかなり厳格な対応を見せることを仄めかしています。
2018年の7月にはドイツの慈善団体が地中海で救助し、イタリアへと連れてきた600人の難民の上陸を拒否したなど緊張感が高まっているのです。
そんな近年の移民・難民の情勢の中で立地的にも最前線にあたるのが「シチリア島」という場所でもあります。
それを考えると、サハラ砂漠からシチリア島へとアーサーたちが旅をしていくベクトルや、彼がシチリア島を訪れたことで「争い」を持ち込んでしまったという展開は実に示唆的なんですよ。
(西サハラに位置するモロッコはイタリアやスペインへの移民流出が多い)
つまりシチリア島ないしイタリアに住んでいる人にとって、移民・難民というある種の得体の知れない恐怖は「海からやって来るもの」という認識が強いわけです。
その認識を当てはめて考えることで、今回強調された「陸と海の2つの世界」という基本設定が実は今日の移民問題に関わってくるものであることが透けて見えるようになっています。
だからこそ2つの世界を繋ぐ王としてアクアマンが君臨する瞬間というのは、まさに今日の我々が生きる社会にフィクションが示す希望の光です。
加えて、アーサーの父トムが灯台の桟橋にて毎日「海からやって来るもの」を待ちわびているのも実はすごく重要な切り口です。
ちょっとハッピーエンド過ぎて、リアリティがないじゃないかと思われるかもしれません。
それでもDC映画は「神話」を描くというスタンスなのであれば、この描き方でも私は良いと思っています。
加えて、ブラックマンタに今作の中では「救済」を与えなかった点もポイントだと私は考えております。
アーサーが王になって2つの世界を結ぶだの、平和だのと綺麗ごとを並べている傍らで、そこから排除され、不満をため込んで人がいるという構図は何とも現実味があって恐ろしいです。
『アクアマン』の続編でこのキャラクターが孕んだ闇にどう立ち向かうのかという難しい問いを積み残せたことも非常に大きいと思いますし、そこを乗り越えることで初めてアーサーの「平和をもたらす者」としての真価が問われると思っています。
ただ、展開的な部分で続編への布石を投じただけでなく、アーサーが超えるべき壁の存在をきちんと示唆しつつ『アクアマン』というヒーロービギンズを締めくくった点は間違いなく評価に値するでしょう。
灯台というモチーフ
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「灯台」と聞くと、やはりヴァージニア・ウルフの『灯台へ』が頭に浮かびました。
わしがともした小さな灯りは、弱々しくとも、一、二年は光を放つかもしれぬ。だがやがてもっと大きな灯りにかき消され、時を経てさらに大きな明るみの中に飲みこまれるに違いない。
(ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』より引用)
灯台というモチーフが灯すのは、夜の闇の中で小さく輝き、かき消されそうになりながらも灯りをともし続ける「生命」の輝きでもあります。
現にヴァージニア・ウルフはその灯台というモチーフを「手の届かないところにある希望」というタッチで表現していますし、一方で「生命の輝き」という意味合いで登場させています。
灯台が灯すのは、本当に小さな小さな光です。
それが夜の闇にポツンと浮かんでいる様は、言い様もない孤独感を強調します。
それでも自分の命の火を灯し続け、岬に立ち愛する人を待ち続けたトム。そしてアトランナとの再会。
『アクアマン』という映画は繁華街のネオンのように強い光を作品の中で多用していて、海の中のシーンもかなり明るいものとなっています。
そんな目を引かれやすい強い光があまたある中で、ジェームズ・ワン監督はそれと対比的に「灯台」というモチーフを登場させることでその存在を際立たせました。
まあ『アクアマン』に関して言うなれば、ジュール・ヴェルヌの『地の果ての燈台』に触れるべきなんでしょうけどね。
まだ読めてないので、『アクアマン』を見たのを契機に読んでみようと思います。
物語のマザータイプが反映された『アクアマン』
『アクアマン』は文字通り全世界で大ヒットを記録しているわけですが、やはり『スターウォーズ』もそうなんですが、全世界的に受け入れられる作品には物語のマザータイプが反映されているように思えます。
物語のマザータイプというのは、ホメロスの『オデュッセイア』に端を発する英雄譚の形式です。
この形式は基本的に3つの構成から成立しています。
- セパレーション(出発)
- イニシエーション(冒険)
- リターン(帰還)
まず、「セパレーション」では冒険のはじまりの契機が描かれます。
ここではしばしば『スターウォーズ』のルークにとってのオビワンのような助言を与える者が登場し、最初の障壁が現れます。
これが『アクアマン』においては、バルコであり、オームでありました。
そして続く「イニシエーション」では、主人公に英雄になるための試練が課せられます。
その中で特に印象的なのが、自分の家族や決闘を巡る告知がなされることと、ある種の「アナザーワールド」に突入する必要性があることです。
本作においては、「隠された母」であるアトランナの存在がアーサーに明かされることや自分の血統であるポセイドンを巡る試練が課されたりしています。
加えて海溝王国から母が追いやられていた地球のコアというある種のアナザーワールドへのリープを果たしています。
そうして試練を乗り越え、トライデントを手にしたアーサーは「リターン」のフェーズへと移行していきます。
つまり「英雄の帰還」というわけです。
こういう典型的な英雄譚のマザータイプが『アクアマン』には反映されています。
ただ、この1種の王道感が全世界で大ヒットする要因にもなり得たのかもしれませんね。
ちなみにもう少し踏み込むと、この映画ってオイディプス王の「父殺し」も絡んできます。
確かにそれは間違いありません。
ただ、血統的に自分の祖先にあたるとも言えるポセイドンの亡骸からトライデントを引き抜くことで彼の存在を終わらせたのは1つ「父殺し」のモチーフです。
さらに注目したいのはラストバトルです。
ラストバトルでオームが持っていたのは、自分の義父の矛ですよね。そしてそれを砕いて、彼を打倒したわけです。
これも実は隠された「父殺し」のモチーフだったりしています。
このギリシア悲劇的なモチーフを表面的には分からない形で潜り込ませているのも非常に面白いと思います。
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おわりに
いかがだったでしょうか?
今回はですね映画『アクアマン』についてお話してきました。
当ブログ管理人としては、これまで『バットマンVSスーパーマン』(アルティメットエディション)がDCの中で最高評価でしたが、それを上回ったように感じました。
そしてDCEUがジェームズ・ワン監督がもたらしてくれた「バランス」を経て、今後どのようにコンテンツを展開していくのかが何とも楽しみなところではあります。
特に次の『シャザム』はかなりDCコミックスらしさ全開の作品なので、ジェームズ・ワン監督が『アクアマン』をニュートラルな映画に仕上げてくれた点は生きてくるでしょうね。
『アクアマン』を見て、DCEUへの期待値が戻って来ました!!
今回も読んでくださった方ありがとうございました。
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・『アクアマン』の流れに乗ったDCが再び傑作を世に送り出した!?
ジェームズワンが大好きで、今日アクアマンを見終わったときにDCの映画のくせにけっこうおもしろかったじゃないか。
と思ってたらスタッフロールで彼の名前が出て驚いて帰宅したところです。
こういうわかりやすい映画は大好物なのですが、ジェームズワン氏について想い面白く読ませていただきました。
ありがとうございました。
斬高原さんコメントありがとうございます!
ジェームズワン監督が大好きなんですね!
自分も薄々感じてはいましたが、今回で彼が天才だと確信してしまいました(^^)
崩れかけていたDCユニバースを蘇らせた功績は大きいですよね!