(C)Universal Pictures
はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『ファーストマン』についてお話していこうと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む解説・考察記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
『ファーストマン』
あらすじ
本作はニール・アームストロングについての自伝的映画となっております。
飛行研究センターでパイロットとして働くニールは、ある日X-15機を飛ばしている際に、操縦ミスを起こしてしまう。
命に別状こそありませんでしたが、彼は上司から報告書を提出するよう求められ、飛行禁止処分の可能性を仄めかされます。
一方で、家では2歳の娘であるカレンがコバルト放射線治療を受け、必死に闘病生活を送っていました。
しかし事故と同時期にカレンは治療の甲斐なく命を落としてしまいました。
その頃、新聞でNASAのジェミニ計画の宇宙飛行士を募集しているという記事を見かけたニールは、それに応募し、見事に宇宙飛行士として選ばれます。
こうして1960年代の手探りの宇宙探査計画と、そしてあのニール・アームストロングの物語が動き出したのでした・・・。
スタッフ・キャスト
- 監督:ディミアン・チャゼル
- 脚本:ジョシュ・シンガー
本作『ファーストマン』の監督を務めたのは、ディミアン・チャゼルですね。
『セッション』で衝撃の長編映画デビューを果たし、2016年に公開された『ララランド』では、アカデミー賞に多数ノミネートするなどの実績を残しました。
そして脚本を担当したジョシュ・シンガーもまた注目の映画脚本家の1人ですよね。
何と言っても2015年の映画『スポットライト』では、アカデミー賞の脚本賞も獲得しています。
そして今回、彼が著した脚本のスクリプトを徹底解説した本が発売されていますので、気になった方は購入してみてください。
とにかく脚本全てと、その日本語訳、さらにはディミアン・チャゼルやジョシュ・シンガーらの解説もついていて、より深く映画を味わえること間違いなしです。
またその他にも実力派スタッフが多数参加しています。
- 撮影:リヌス・サンドグレン
- 美術:ネイサン・クロウリー
- 音楽:ジャスティン・ハーウィッツ
まず、最初に触れたいのが、美術のネイサン・クロウリーですね。
彼はクリストファーノーラン監督の『インターステラ―』に参加していた人物で、そのSF描写と彼の実物撮影へのこだわりを実現した人物です。
ちなみに今回のファーストマンはスクリーンに映像を投影して、それをさらにカメラで撮影するという独特の方法で飛行機やロケットに登場している時のシーンを撮影しています。
映画『ファーストマン』撮影風景
他にも音楽には前作『ララランド』にてアカデミー賞を受賞しているジャスティン・ハーウィッツが参加しています。
では、最後にキャストです。
- ライアン・ゴズリング:ニール・アームストロング
- クレア・フォイ:ジャネット・アームストロング
まずライアン・ゴズリングについては前作『ララランド』でもディミアン・チャゼル監督とタッグを組んでいます。
甘いマスクを持った俳優なんですが、本当に表情の作り込みが巧くて、今回の『ファーストマン』のようなアップで無言の表情をひたすらに撮り続けるようなタイプの映画だと本当に独壇場ですよね。
そして妻のジャネットを演じているのがクレア・フォイですね。
基本的にはドラマが主戦場だった英国人女優ですが、近年は今年の1月に日本で公開された『蜘蛛の巣を払う女』にも出演し、今まさに注目度が高まっている女優です。
より詳しい作品情報を知りたい方は映画公式サイトへどうぞ!!
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解説と考察: 続・ブルーな物語としての古事記(ネタバレあり)
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ディミアン・チャゼル監督は2016年に『ララランド』を発表し、アカデミー賞作品賞の受賞目前までたどり着いた。(一度はコールされたものの、プレゼンターのミスだったと発覚した。)
『ファーストマン』の脚本を担当したジョシュ・シンガーは「ディミアンがちょっとしたミュージカル映画を撮るあいだ、に脚本のアウトラインを書き上げた」と語っている(笑)
ミュージカル映画の歴史の中に「ララランド以前」「ララランド以後」の境界を作るであろうと言われたその革命的な手腕は誰もが認めるところのものとなった。
そしてそんな彼が興味を持ち、自ら映画化にすると乗り出したのが、あのニール・アームストロングの物語である。
しかしもはやアメリカの神話と言っても過言ではないであろう人物の映画をどのような角度から撮るというのだろうか?
ディミアン・チャゼル監督の答えは至極単純で、神話たる彼の物語を脱構築し、「1人の男」が激動の60年代に何を見て、何を聞いて、何を体感したのかを追体験できるような映画を撮ると方向性を定めたのだ。
そうして彼は脚本を務めるジョシュ・シンガーと共に製作を開始するわけだが、そこで彼らは世間にあまり知られていない、ニール・アームストロングの過去を知ることになる。
それこそが今作『ファーストマン』の中心に据えられた「娘カレンの死」である。
彼らはそれを知った時に、すぐにカレンの死という視点からニール・アームストロングの個人的な物語を展開していくという発想に辿り着いたという。
冒頭のあらすじでも触れたが、娘のカレンが死んだのは、本作のファーストシーンであるニールの飛行機事故よりも実は時系列的に前の話なのだ。
つまりディミアン・チャゼル監督は、ニールに深い喪失感を与えたカレンの死を作中で描くために、あえて時系列を改変したのである。
そして劇中では、序盤に本作の方向性を決定づけるカットがある。
それがカレンが棺に入れられ、土葬されていくカットである。
この時、ふと見上げたニールは空にうっすらと光る月を見るのだ。
ジョシュ・シンガーの執筆した脚本には「空に月が輝いている」といった類の書き込みは存在しないが、ディミアン・チャゼル監督は確信犯的に土葬されるカレンと空に輝く月を結びつけているのだ。
英語において「月(moon)」を代名詞に置き換えると、sheとなることは有名な話であるが、ギリシア神話や東洋の逸話でもしばしばそうであるように、月とは女性を強く連想させるモチーフである。
つまりニールが月を目指す行為というのは、死んでしまった娘カレン(=she=moon)へと辿り着こうとする行為の表象であり、娘との再会を望む親子愛の表象とも言えるだろう。
この視点で物語を捉えた時に、宇宙とはある種の「死の国」のようであり、ニールがカレンを求めて月を目指すという行為が『古事記』においてイザナギがイザナミを追って「黄泉の国」へと足を踏み入れた神話にリンクを感じないだろうか。
何とも面白いのが、この映画には「宇宙=死の空間」を想起させるような描写がいくつも散りばめられている。
まずはやはり60年代のあの窮屈なロケットの描写であろう。
あれは間違いなく冒頭のカレンの葬儀の際に登場した「棺」とリンクしており、「ロケット=宇宙(死の空間)へと向かうもの」として捉えた上で意図的にシミュラーに描いている。
また、最初にニールがドッキングのテストをするためにロケットで宇宙へと飛び立つシーンで、離陸前にコンソールに止まったハエの姿を見る。
これはルカ・グァダニーノ監督の『君の名前で僕を呼んで』の中でも印象的に登場した生き物であるが、とりわけ「死の臭い」を増幅させる生物であることは言うまでもないだろう。
このシーンに関してはジョシュ・シンガーの脚本に「ハエ」の描写について明確に記載されており、極めて意図的にロケット内部に「死の臭い」を漂わせようとしたことが伺える。
さて、ここからニールが月に至り、帰還するまでの物語を解説するには、ディミアン・チャゼルと「ブルー」の関係性を説明しておく必要があるだろう。
良かったら詳しく解説してある『ララランド』の記事も読んでみて欲しい。
彼は実に『ララランド』という映画を実に「青く」染め上げて見せた。
そして『ファーストマン』という映画でも、もはや確信犯的に「ブルー」を取り入れているのである。
皆さんも良かったらこの脚本の解説本が詳しいので、購入してみて欲しいのだが、脚本の至るところに「BLUE」という単語が散りばめられているのである。
その言及は空の色であったり、部屋の色であったり、登場人物の瞳の色にまで及んでいる。
例えば、冒頭のカットの脚本を見てみよう。
A pair of BLUE EYES. TICKING back and forth.
(和訳:2つの青い目が前に後ろに絶え間なく動く)
わざわざここに「青い目」という表現を入れてくるあたり、ディミアン・チャゼルとジョシュ・シンガーは意図的に『ファーストマン』を、『ララランド』より続く「続・ブルーの物語」にしようとしている点が伺える。
では、『ファーストマン』における「ブルー」とは何を意味していたのであろうか?
それはニール・アームストロングが抱えていたブルーでセンチメンタルな感情を描写したという本作の作品としてのスタンスにも通ずるところがある。
ただやはり『ファーストマン』における「ブルー」の主眼は我々の住んでいるこの地球の色であるというところにあるだろう。
小林康夫氏は『青の美術史』の中で以下のように記述している。
このとき(=ガガーリンの初の有人宇宙飛行)以来、地球上のすべての言語にとって、「青」はこれまでになかった画期的な、新しいコノテーションを獲得します。以来、青は、地球の色であり、われわれの棲む地球は、「青い惑星」でもあるのです。
(小林康夫『青の美術史』より引用)
そしてもう1つ印象的にかつ集中的に「ブルー」が使われている描写がこの映画にはあります。
それはどこかと言いますと、ニール・アームストロングの家でのシーンなんですよね。
- ニールの私服のシャツの色
- 「月の狂騒曲」をバックにニールがジャネットと踊るシーン
- 休暇中に子供たちとプールで遊んでいるシーン
- 夜のキッチン(ダイニング)のシーン
思えば実に、多くのニールの家族に纏わる描写は「ブルー」で彩られているのである。
なぜこういったカラーの演出を施す必要があったのだろうか?
それは「地球とニールの家庭」をまさしく「home」という言葉の下に結び付けるためではなかっただろうか?
終盤に地球に戻ってきたニールの隔離部屋に置かれていたお祝いの品に「Welcome to Home」の文字が書かれていたのも印象的である。
宇宙という壮大な空間で見た時に、「ブルー」な地球は我々の「home」であるのだが、ディミアン・チャゼルは地球の中において「ブルー」なあの家をニールにとっての「地球」として位置付けているようなのだ。
しかし、興味深いのは、序盤に多かった「ブルー」の描写は中盤にかけてどんどんと減っていく。
それは、ニールが家族との間に溝を感じ、あの家を「home」であると感じられなくなってきている心情の変化を如実に表現している。
その上で、彼の家に置かれているテレビは残酷にも「ブルー」な光を放っている。
そこに映し出されているのは、宇宙探査に纏わるニュース映像であり、ニールが常人では考えられないような狂気現場にある種「home」のような安心感を覚え始めている様子すら伺えるのだ。
もっと言うと、「ブルー」とは「死」を内包する色とも言われており、この視点から見ると、テレビから放たれる宇宙探査ニュースの光を見つめるニールの姿は「死に惹かれている」ようですらある。
さて、ここからニールがアポロ11号で月に旅立ってった後の話をしよう。
彼は出発前に家族との大きな溝を感じ、それを埋めきれないままにカレンの死という喪失感を埋めるために月へと旅立つのである。
ここで1つ脚本を確認しておくと、非常に面白い記述がある。
The sedan pulls off and tension LEAVES Neil’s face. He looks out out at the houses slipping away… and we see RELIEF.
(和訳:車が動き出し、ニールの顔から緊張が消える。走り出す車の中から家々を見つめている彼は…我々には安心しているようにすら見える。)
なんとニールは家族のいるあの家から離れることにある種の「安心感」を感じているのである。
この脚本の記述から考えると、ニールがあの「ブルー」の家を「帰るべき場所」と捉えていない様子すら伺えるのだ。
そしてミッションへと彼は向かっていくこととなる。
ロケットの発射シーンにおいてジョシュ・シンガーの脚本にはこう書かれている。
More so as blue sky RAPIDLY TURNED BLACK.
(和訳:青い空があっという間に真っ暗になる)
ここでも極めて意図的に「ブルー」の演出が施されていることに気がつく。
そして真っ黒な「宇宙=黄泉の国」の中でニールはカレン(=she=moon)の下を目指すこととなる。
おそらく家を出てきた時の様子から考えてもニールはほとんど死ぬつもりでこの計画に参加していたことであろう。
死してでも、愛する娘と共に生きる道を選択しようとしたのであろうか?
しかし、彼は月を遊歩している最中で、ふと「ブルー」に輝く地球(=home)を「振り返って見て」しまったのである。
『古事記』におけるイザナギとイザナミの物語においても「見る」という行為はタブーであるし、旧約聖書のソドムとゴモラの逸話においても「振り返って見る」行為はタブーであった。
だからこそ彼はもはや「死の国」に留まることが許されない身となってしまったのだ。
そうして愛娘のブレスレットを月(=she)にプレゼントし、彼はようやく自分の中でカレンの死に折り合いをつけることとなる。
そしていよいよ『ファーストマン』の伝説的なラストシーンを解説していくこととなる。
一体なにがそんなに素晴らしかったというのか?
『ララランド』でもセブとミアが終盤に「見つめ合う」シーンがあったが、あれはメデューサの眼差しを想起させるもので、2人がもはや会うことはないだろう未来を示唆するものであった。
しかし、今作『ファーストマン』は明確にハッピーエンドであり、2人が今後再び心を通わせていくことを予見させるものとなっている。
というのもこのシーンに関する脚本の中にジョシュ・シンガーは明確に「HOPE」という言葉を用いているのだ。
それに基づいて解釈していくと、『ファーストマン』という映画のラストシーンは素晴らしいとしか言いようがない。
この2人の面会のシーンは、ニールが隔離室にいるということで「完全には地球に帰還していない」状態で行われている。
ここを押さえておくと、このシーンの見え方は全く変わってくることとなる。
つまりニールがあのガラス越しに見ている光景というのは、彼が宇宙にいた時にヘルメットのガラス越しに見ている光景と重なっているわけだ。
その上で、注目すべきはクレア・フォイの瞳である。
そこには、瞳がまるで「地球」のように「ブルー」に輝いているのである。
その青い球体をニールが隔離室のガラス越しに妻ジャネットの瞳の中に見るという行為は、彼がヘルメットのガラス越しに月から「地球」を見るという行為とほとんど同義に描かれているのではないだろうか?
そう考えると、あのラストシーンは「ジャネット=地球=home」であることを示唆する幕切れなのである。
だからこそ『ファーストマン』のラストシーンは明確に「HOPE」を描いたと断言できる。
彼は瞳の中に映るあの「地球」に辿り着けるはずなのだ。
何故ならニール・アームストロングは月への飛行という途方もない偉業をやってのけた男なのだから。
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おわりに
いかがだったでしょうか?
今回は映画『ファーストマン』についてお話してきました。
いつもとは少し違った文体でお送りしてみましたが、いつもよりも言いたいことを簡潔にまとめたつもりです。
ディミアン・チャゼル監督による壮大な「青」の物語を1人でも多くの方に体験してほしいですね。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。
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・映画『ファーストマン』の月面のシーンが海外で炎上?
参考:『ファーストマン』においてディミアン・チャゼルはなぜ星条旗を立てるシーンを描かなかったのか?