みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『翔んで埼玉』についてお話してこうと思います。
日本アカデミー賞に最多ノミネートされたということでも大きな話題になっており、とりわけ映画ファンからは懐疑的な視点もちらついていますが、作品そのものは非常に良く出来ています。
エンタメ性が非常に高く、作品の出来も安定しており、構成も非常に丁寧です。
ビジュアル的な面で色物と判断されてしまいそうな作品ですが、クオリティはしっかりとしておりますので、ぜひ多くの人にご覧いただきたいですね。
さて、本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
映画『翔んで埼玉』
あらすじ
結納を間近に控え、ようやく埼玉県から出て、東京で暮らせると期待に胸を膨らませる菅原愛海。
彼女は結納の会場に両親の車で向かっている最中であった。
そんな時、ラジオから「埼玉県の都市伝説」として埼玉県民が過去に受けてきた迫害の歴史が語られる。
かつて東京都民からひどい迫害を受けた埼玉県民は、身を潜めてひっそりと暮らしていました。
東京都知事の息子あり、東京の超エリート高校である白鵬堂学院にて生徒会長を務める壇ノ浦百美。
ある日、彼はアメリカ帰りで都会度指数が異常に高い謎の転校生、麻実麗と出会います。
麻実麗は優秀すぎるために百美の嫉妬を買ってしまい、窮地に陥りますが、機転を利かせ、その能力で彼を圧倒します。
百美は麻実に淡い恋心を抱き、キスをされたことで、その恋の炎は一層燃え上がっていきます。
しかし、麻実が遊園地で埼玉県民を助けようとしたことで、彼が埼玉県出身であったという衝撃の事実が露呈してしまう。
百美はその事実に驚きを隠せない様子だったが、自分の胸の高鳴りを信じて、彼についていく決心をするのだった。
そしてその裏では、密かに東京都知事の陰謀や、千葉解放戦線の策謀が巡らされていたのであった・・・。
キャスト・スタッフ
- 原作:魔夜峰央
「パタリロ!」で知られる漫画家の魔夜峰央が1982年、当時自らも居を構えていた埼玉県を自虐的に描いたギャグ漫画として発表し、30年以上を経た2015年に復刊されるとSNSなどで反響を呼んだ。
(映画comより引用)
不勉強で原作は読めていないのですが、映画がこの仕上がりであれば、当然原作も面白いんだろうなとは確信せずにはいられない出来でした。
機会があれば、原作も読んでみようと思います。
続いてスタッフの紹介です!
- 監督:武内英樹
- 脚本:徳永友一
監督の武内英樹さんは実写『のだめカンタービレ』シリーズや『テルマエロマエ』シリーズで知られる映画監督です。
その実写シリーズが傑出した作品かと聞かれると、難しいところではありますが、非常にクオリティが安定していて、原作ファンも楽しめる仕上がりになっていました。
そして昨年の2018年に公開された『今夜、ロマンス劇場で』はもちろん『カイロの紫のバラ』のパクリじゃねえか!ということでいろいろと言われてはいましたが、個人的には大好きな作品でした。
一方、脚本の徳永友一さんはドラマ畑出身の脚本家で、長編映画の脚本の経験が少ないということです。
良い意味で「映画っぽさ」に縛られない脚本が『翔んで埼玉』の作風にマッチしていましたし、その点で徳永さんを起用したのは良かったと思います。
最後にキャスト陣です!!
- 二階堂ふみ:壇ノ浦百美
- GACKT:麻実麗
GACKTさんってもはやアーティストのイメージがなくて、芸能人格付けチェックで、連勝し続けているというイメージしかありません。
と思ったら、『翔んで埼玉』の中で格付けチェックのパロディやってましたね!!(笑)
あと埼玉陣営にGACKTさんがいる状態で、千葉県側がYOSHIKIの横断幕を掲げるシーンはめちゃくちゃ笑いました。
終始アホみたいな展開が続くのですが、その中で常にGACKTさんはクールで冷静な様子を見せていて、そのギャップでもう腹筋がぶっ壊れました・・・。
そしてもう1人の主人公である百美を演じたのは、二階堂ふみさんです。
二階堂さんは最近『SCOOP』や『何者』、『リバーズエッジ』などの比較的シリアス調の配役が多くて、あまりコメディエンヌ的なイメージがありませんでした。
ですので、良い意味ですごく新鮮に感じられましたね。
ちなみにGACKTさんと二階堂ふみさんは2人とも沖縄県出身です。
全く、沖縄県はどれだけ美男美女を輩出するんだよ・・・(笑)
より詳しい作品情報を知りたい方は映画公式サイトへどうぞ!!
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『翔んで埼玉』感想・解説(ネタバレあり)
これは日本にしか生み出せないエンタメ映画だ
今作『翔んで埼玉』は基本的に頭を空っぽにして楽しめる娯楽映画ではあるんですが、見終わった後に自分の地元について改めて考えてみたくなる映画です。
自分の生まれた場所、自分の住んでいる場所ってやっぱり人それぞれ思うところは異なると思うんです。
同じ場所で生まれ育ったとしても、その場所に感じる愛着は違うと思いますし、その場所に留まってずっと生きていきたいと思う人間もいれば、逆に早く外に出たいという欲求を募らせる人もいることでしょう。
ただ、多くの人に共通しているのは、自分の地元について話す時って自嘲気味になるんですよね。
こんな感じで自分で自分の地元について語る時ってすごく卑下したような口ぶりになりがちですし、日本人であまり自分の地元は素晴らしい!!と声高に叫ぶ人って少ないんです。
これ日本という国単位に拡大しても同じことが言えると思います。
日本人ってやっぱり愛国心が弱いというよりも、あまりそれを表に出したがらない民族だと思っています。
でも、それと全く同じことを他人から言われたらどうでしょうか??
こんなことを面と向かって言われたら、あなたはどう感じますか。どう反応しますか。
おそらく私も含めて、多くの人が一抹の悔しい気持ちをかみ殺して、自嘲気味に「そうなんだよ。」と消極的な相槌を打つと思います。
では、日本人には愛国心や郷土愛といったものは存在していないんでしょうか?
それは違うと私は思っています。
日本人は誰しも自分の地元にある程度の愛着を持っているはずです。
ただ、それを表に出すことは恥ずかしく感じられますし、ある程度自嘲気味でいた方が「空気を読んでいる」と見なされて都合が良いんです。
しかし、表面的にはそうであったとしても日本人の根底には「郷土愛」は確かに根付いているんですよ。
ただそれを表に出さないのが、「今風」なのだというある種のファッションなんだと思います。
これに関して『世界が憧れる日本人という生き方』という本の一節が興味深いので一部引用させていただきます。
この本の著者は『秘密のケンミンSHOW』という番組をアメリカに持ち込めば、流行するのではないかという発想に辿り着きましたが、ハリウッドで暮らすアメリカ人にそれを見せると、これはアメリカでは流行らないと一蹴されてしまいました。
様々な文化様式の違い、ダイアレクトといわれる訛りも存在するアメリカだが、国民意識の根底にあるのは郷土色というよりも「アメリカン(アメリカ人)」という感覚だ。
日本人であるという感覚と同レベルで、道産子、東北人、東京人、関西人、九州人、ウチナンチュなどの郷土人感覚の強い日本人。どこに移住しようと、故郷を持ち歩く、郷土愛が強いのが日本人らしさなのだ。
(『世界が憧れる日本人という生き方』より引用)
我々は普段何気なく上記の様な「郷土人」を想起させる言葉を使っていますが、その時点で「郷土愛」が強いことの表れとも言えるんですね。
アメリカ人の「愛国心」と呼ばれるものとは、日本人の「郷土愛」はその意味合いやニュアンスが異なってくるで
ただそれを積極的に表に出そうとするか、あまり表に出そうとしないかという点で国民性の違いは現れています。
そう考えると、『翔んで埼玉』という作品は日本という土壌だからこそ作り出し得た作品だと思います。
この作品には、日本人の根底にはあるけれども、積極的には表に出せないし、空気を読んで自嘲気味になってしまう「郷土人感覚が全編にわたって反映されています。
国同士、民族同士で行われてきたような迫害を、「郷土」間で行うという感覚や描写は日本でしか考えられないような描写です。
だからこそ『翔んで埼玉』という作品は、日本という土壌でしか生まれ得ないエンターテインメントなんだと思いました。
原作愛溢れる丁寧な実写版
日本では毎年多くのマンガ実写映画が製作されます。
しかし、その中でもこれほどまでにバランスの良い作品って早々ないと思います。
プロット的な側面から見ましても、原作の素材を生かしつつも、現代パートやエピローグを加える工夫を付け加えていて、単純な再現には終始していません。
単純に再現に走るのが一番悪手なので、きちんと2時間尺の映画として「面白い」ものを作ろうとしたアプローチは評価されるべきでしょう。
その一方で、ビジュアル面では原作を完璧に再現しているというよりも、原作よりも『翔んで埼玉』じゃないか?とすら思ってしまうレベルでした。
というのも、もうGACKTと二階堂ふみのビジュアルがこの上なくマンガチックというか、2次元からそのまま飛び出してきたような印象を与えるんですよ。
魔夜峰央「翔んで埼玉」より引用
(C)2019 映画「翔んで埼玉」製作委員会
確かに『翔んで埼玉』の世界観が極めてぶっ飛んでいて、現実離れしているからこそこのキテレツなビジュアルが映像に馴染んでいるという事情もあるんですが、それを差し引いてもクオリティは高いと思います。
最近の邦画のマンガ実写を見ていると、ビジュアル面での再現も中途半端でかつプロットも原作を踏襲しようと必死で、映画として面白くない作品が目立ちます。
そんな中で今作は、ビジュアル面での再現度を120%に仕上げ、プロット的にも原作の素材を損なわないように味付けし、エンタメ映画としてかっちりと仕上げてきました。
これからもマンガの実写映画は数多く作られることになるのでしょうが、これくらいのクオリティで仕上げて欲しいものです。
小ネタ満載・パロディ満載で腹筋崩壊
本作の予告編をご覧になったX JAPANのYOSHIKIさんがこんなツイートをしていたようです。
なにこれ。。びっくり。。許可した?
まーいいか。笑 https://t.co/y3HHVG0eUP— Yoshiki (@YoshikiOfficial) 2019年2月21日
さすがに映画を製作するに当たって、許可を取っていないということはないとは思います。
YOSHIKIさんもそうですが、他にも埼玉を含む関東圏のローカルネタが矢継ぎ早に繰り出されて、終始笑い転げておりました。
まずはやはりバストサイズ弄りから!!(笑)
ねとらぼ(https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1207/13/news106.html)より引用
日本一バストサイズの平均が小さくて、かつ日本一巨乳好き男性の割合が高いのがなんと埼玉県なのです・・・。
これ確か発表された2012年当時、結構ネタにされていましたし、少し懐かしめの埼玉ネタという印象です。
あとはやっぱり特産品弄りは鉄板ですよね。
埼玉県の草加せんべい。
いつの間にか草加せんべいは「東京のお土産」になっていたようです・・・。
あとはやっぱり千葉県のピーナッツと九十九里浜の地引網弄りですよね(笑)
あとは、地理的な面での弄りですよね。
埼玉は「海がない」から、トンネルを掘ってまで海を手に入れようとしたというエピソードがもう涙ぐましいですよね(笑)
似たような地理的な弄りって日本全国どこにでもありまよね。
例えば、京都府民と滋賀県民の間には、しばしばこんなやり取りがあります。
- 京都府民:「滋賀県はほとんど琵琶湖しかないよねwww」
- 滋賀県民:「琵琶湖の水止めるで」
ちなみに「琵琶湖の水止めるで」が本当に可能なのか、取材をした記事があるので引用しておきます。
「終わった……大阪や京都の人間は、『琵琶湖の水を止めるで!』って言われたら、素直に滋賀県民の靴を舐めるしかないんですね」
「ところが、川を止めちゃうと、今度は水が溢れ出して、琵琶湖周辺はあっという間に水没してしまいます」
イーアイデム(https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/galaxy021)より引用
この関係って非常に面白いですよね!!
琵琶湖のある滋賀県とその下流にある河川のある大阪や京都は互いに持ちつ持たれつの関係にあるということです。
あとは何と言っても輩出有名人バトルでしょうね!!
千葉県が埼玉県に対抗して、「小島よしお」と「小倉優子」を繰り出そうとして「弱いっっ!!」と絶叫するシーンは面白かったんですが、その後に登場したのが市原悦子さんなんですよ。
というのも市原悦子さんは今年の1月に亡くなったばかりなんです・・・。
大爆笑してところで、市原さんの横断幕が登場したので、何とも言えない不思議な気持ちになってしまいました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
そして何と最後の最後で「埼玉県=フリーメイソン」説みたいな展開もやって来て、もう最後まで笑わせてくれました。
こんな言葉が思わず脳内再生されそうな展開でした(笑)
もしかしたら、本当に今の日本の各地で「ほどほどに住みやすい田舎」が広がっているのは、埼玉県の陰謀なのかもしれませんね・・・。
信じるか信じないかはあなた次第です!!
現代パートがあることによる脚本の妙
映画やドラマにおいてしばしば「現代パート」なるものが存在しますよね。
物語の本筋が現在よりも過去にある時に、現在にそれを伝承する役割の人間を置くという手法ですね。
ドラマ版の『この世界の片隅に』なんかも取っていたアプローチです。
映画『翔んで埼玉』はその現代劇の使い方が非常に巧かったと思います。
本作の現代劇は突飛でキテレツな世界観を我々の何気なく生きている現代世界と結びつけるための接着剤の様な役割を果たしています。
そうなんですよ。
ただ島崎遥香さんらが出演している現代パートがあることで、見ている私たちは比較的スムーズに本作の世界観に入っていくことができます。
また本作における島崎遥香さん演じる愛海って実は超重要キャラクターだったりします。
島崎遥香さん演じる愛海 (C)2019 映画「翔んで埼玉」製作委員会
皆さんは『ボボボーボ・ボーボボ』というマンガをご存じですか?
あの作品において意外とその重要性に気づかれていないのが、ビュティだったりします。
というのもキテレツで、ぶっ飛んだギャグ漫画やコメディ映画って、その理解不能さゆえに観客を置いてけぼりにしてしまう可能性が高いんですよ。
その中で『ボボボーボ・ボーボボ』におけるビュティのようなツッコミ役がいることで、かろうじてそれを繋ぎ止めることができます。
その点で『翔んで埼玉』における島崎遥香さん演じる愛海も同じ役割を果たしています。
私たちは何気なく映画を見ているわけですが、気がつかないところでその鑑賞の手助けをしてくれているキャラクターがいることを忘れてはいけませんね。
同性愛の扱い方が素晴らしい
本作のメインキャラクターの2人はポスター等を見た段階では気付かなかった方もいらっしゃるかもしれませんが、実は2人とも男性なんですよ。
そして作品の中で麗と百美が、互いに惹かれ合う様子が描かれます。
柳沢みちおのマンガに『翔んだカップル』なんて作品がありましたが、「翔んでる」とは、自由奔放で70年代中期の先進的な女性の事を言っていたようです。
本作はそれをこの世界を取り巻くヘテロセキシャル的な恋愛観に縛られないという解釈で用いられているのかもしれません。
『翔んで埼玉』という作品は確かに2人の同性愛を描いていますし、キスシーンが登場したりもするんですが、その描き方が極めてフラットでかつ主軸には据えられていないんですよ。
ハリウッド映画でも近年同性愛にスポットを当てた作品はたくさんありますが、その多くが同性愛を作品の主題に据えて撮られています。
しかし、今作は同性愛を特別なものとして捉えている様子がなく、むしろ自然な形で映画の副次的要素として作品に溶け込んでいるのです。
私自身も自分が「同性愛」に興味があるわけではないのですが、友人や知り合いにそういう人はいましたし、別にそれを否定する気持ちなんて全くないのですが、やはり心の奥底では意識してしまう部分があります。
そういう「同性愛」をある種特別なものとして捉えてしまっている私自身も差別的ではありませんが、ある種区別してその人を捉えているのかもしれません。
一方でこの『翔んで埼玉』における麗と百美の恋愛譚は、同性愛ではありますが、ほとんどそれを感じさせないというか、それが何ら特別なことではないというタッチで描かれているんです。
だからこそこの作品はそういったマイノリティの描写に関して、時代の1歩先を行っているように思えました。
おわりに
いかがだったでしょうか?
今回はですね映画『翔んで埼玉』についてお話してきました。
コメディ要素全開でありながら、今日の日本人の独特の郷土人感覚を巧く物語に落とし込んでいて、その点も非常に興味深く感じられました。
ぜひぜひ劇場でご覧になって見てください。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。