映画「セレニティー 平穏の海」より引用
目次
はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はNetflixにて配信中の映画『セレニティー 平穏の海』についてお話していこうと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
『セレニティー 平穏の海』
あらすじ
ベイカー・ディルは南の海に浮かぶ「プリマス島」で漁師を営んでいた。
彼はハーマン・メルヴィルの『白鯨』ないしヘミングウェイの『老人の海』に登場する漁師を思わせるキャラクターであった。
自らが「ジャスティス」と名付けた巨大なマグロを釣り上げることを夢見ており、それ以外の魚には目もくれようとしなかった。
彼の漁には、利益がなく、仕事と生活を維持するために女に自分の身体を売っていた。
そんなある日、彼の下にかつて別れた元妻カレンが訪ねてくる。
彼女は、自分が今の夫であるフランクから暴力を振るわれており、さらに彼がキューバのマフィアと関係があることから別れることもできないと明かす。
さらには、ベイカーとカレンの間に生まれた子供にも虐待的な仕打ちをしていると告げたのである。
そんな彼女の依頼は、大金と引き換えに、夫のフランクを殺してほしいというものだった・・・。
キャスト・スタッフ
- 監督:スティーヴン・ナイト
- 脚本:スティーヴン・ナイト
ステイサム映画にしては、シリアスで真面目ということでも知られている『ハミングバード』
あとは、ワンシチュエーション×全編主人公の電話で展開される映画『オン・ザ・ハイウェイ』
その他脚本を担当した作品も数多く存在してはいますが、何というか玉石混交で、安定感に欠ける印象です。
そして今回の『セレニティー 平穏の海』についても脚本としては微妙ですが、アイデアが奇抜かつ斬新でなかなか面白い映画に仕上がっていました。
- ベイカー・ディル :マシュー・マコノヒー
- カレン:アン・ハサウェイ
- フランク:ジェイソン・クラーク
ただ、この『セレニティー 平穏の海』は、本来は北米で大規模後悔する予定だったそうなんですが、関係者試写での評判が悪く、配給が広告・マーケティングに力を注がなかったようです。
結果的に全米公開初週に400~500万ドル程度の興行収入しか稼ぎ出せず、キャスト陣もこういった経緯には怒りをあらわにしていたとも言われています。
マシューマコノヒーは2013年に『ダラスバイヤーズクラブ』にてアカデミー賞主演男優賞を獲得した名優です。
そして本作には、アン・ハサウェイも出演していますね。
こちらも2012年に『レ・ミゼラブル』にて助演男優賞を受賞した名優ですよね。
他にもカレンの夫で、性行為をするときに女性に傷をつけることで快感を得る金持ちのフランクをジェイソン・クラークが演じています。
先日公開されたディミアン・チャゼル監督の『ファーストマン』にも出演していました。
スポンサードリンク
『セレニティー 平穏の海』感想・解説
Netflixは相変わらず変な映画が多いぜ(笑)
Netflix配信限定扱いになる映画って、今年のアカデミー賞で監督賞などを受賞した『ROMA』のような硬派な映画もありつつですが、かなりキテレツな映画が多い印象です。
今年の初めに見た『アポストル 復讐の掟』なんて作品も、超絶スタントが売りの『ザ・レイド』の監督が撮影しているので、てっきりハードボイルドアクション映画だと思ってたんですよ。
グロ描写とゴア描写を増し増しにした、宗教映画というか土着信仰映画みたいな印象で、とにかくぶっ飛びまくったプロットになっていました。
先月配信が始まったNetflixオリジナル映画である『ベルベットバズソー』も、アートが人を襲うというトンデモ設定な映画でして、とにかく斬新でした。
もちろん映画館で公開している映画もそうなんですが、Netflixオリジナルや独占配信映画って出来が良い作品とそうでない作品の差があまりにも大きいような気がします。
そして今回ご紹介する『セレニティー平穏の海』に関しては、完全に後者に分類されます(笑)
確かにプロットやアイデアは非常に斬新だったと思いますし、流石は『オン・ザ・ハイウェイ』を作ったスティーブン・ナイトだと思いましたよ。
ただ、それだけなんですよね。
他に特に秀でたところも無ければ、脚本も酷くて、いわゆる「どんでん返し系」の映画としても完成度に難があります。
アイデアはすごく良かったと思うんですが、それを「映画」として見せきる段階に達しないまま、アイデア先行でとりあえず作った映画というのが、私の講評です。
Netflixは定額見放題という特性があるからこそ、映画館での公開は厳しいというようなジャンルや設定の映画が多く配信されます。
この役割は非常に重要だと思いますし、そのおかげで本来であれば作られなかったかもしれない映画が日の目を見ることができている側面は多分にあるでしょう。
しかし、奇抜性ばかりに富んでいて、完成度が低く、だから映画館で放映されないんだろうなぁ・・・と合点がいってしまう映画も非常に多い印象です。
今年のアカデミー賞では、スティーブン・スピルバーグ監督がNetflix作品を賞レースで扱うことについての是非を問いかけ、大きな話題になりました。
当ブログ管理人としてもNetflixオリジナル映画(配給映画)についてはしばしば鑑賞させていただいております。
1つ気になるのは、賞レースを意識した完成度の高い映画を推すのか、それともサンダンス映画祭に代表されるような奇抜でアイディア性の高い作品を推すのかの方向性がブレて見える点です。
『セレニティー平穏の海』は(北米では劇場公開されていますが)、やっぱり配信で時間つぶしがてらでなければ、見ようとすら思わないクオリティです。ただアイデアと発想は素晴らしいと思います。
年々、Netflixが力を伸ばし、日本のアニメコンテンツなどにも力を入れる一方で、どういう映画ブランドとして確立を狙っていくのかが、非常に楽しみです。
斬新な設定を落とし込めていない
『セレニティー平穏の海』の事前情報を聞いた時に、壊れた家族関係を、親子関係を清算するヒューマンドラマだと思ってました(笑)
ヘミングウェイの『老人と海』に登場する老人のように巨大マグロを釣り上げることに固執するマシューマコノヒー演じるベイカー・ディル。
そんなことを思っていたら完全に裏切られましたよ(笑)
似ている映画を上げるとすれば、むしろ『シックスセンス』や『インセプション』、『あやつり糸の世界』の類なんですよね、これ・・・。
いわゆるどんでん返し系と言いますか、ポストモダニズム主題系の映画の色合いが強いですね。
自分が今、生きている世界に疑問を呈することで、その正体を暴き出し、自分の存在について探っていくというタイプの映画ということですね。
その中でゲームというデバイスを使って、登場人物がゲームのキャラクターなんだという流れに持って行こうとした点は非常に巧かったと思います。
ここがすごく勿体ないと思いました。
どんでん返し系の映画における「ターニングポイント」は観客をアッと言わせるためのある種の「飛び道具」です。
それでも先ほど挙げた『シックスセンス』や『あやつり糸の世界』、その他だと『ファイトクラブ』のような映画ってきちんとプロットや主題性がその「道具」を使う側に回れています。
そう考えてみた時に、『セレニティー平穏の海』という作品にはそれが欠落しています。
この映画において、中盤~後半の「どんでん返し部分」に至るまでの物語の推進力となっていたのは、「ベイカー・ディルが息子のためにフランクを殺害するのか?」という疑問です。
本作においては、その疑問と親子の物語が密接に繋がっていたわけで、それがあくまでも中心命題でなくてはなかったはずです。
しかし、「どんでん返し」の飛び道具を使った瞬間に、この主題性が一気に薄れるんですよね。
それまで重要だったはずの「ベイカー・ディルが息子のためにフランクを殺害するのか?」という疑問が、一気に薄れ、ミステリ要素に観客の注意が引っ張られていきます。
ベイカー・ディルがゲームの登場人物の1人だったという「斬新さ」に、「家族の物語」「親子の物語」という本来のメインストリームが完全についてこれておらず、「どんでん返し」のサプライズが独り歩きしてしまっているんです。
まさに「道具」に物語や主題性が使われてしまっている例だと思います。
最後の最後には、親子の物語にきちんと回帰するのですが、そのラストに辿り着かせるのに、「ゲームの世界」という斬新な舞台装置が必要だったのかには、疑問が残るんですね。
これまで数多くの「どんでん返し」系の映画が作られてきたと思いますが、その中でも「傑作」と呼ばれているものと見比べてみると、本作の物足りなさが浮き彫りになるでしょう。
スポンサードリンク
「ジャスティス」と「セレニティー」に込められた意味
本作には印象的な2つの言葉が登場します。
それが「ジャスティス」と「セレニティー」ですよね。
- 「ジャスティス」:正義
- 「セレニティー」:静寂
そしてそれぞれが何のことを指していたのかというと、以下のようになりますね。
- 「ジャスティス」→巨大マグロ
- 「セレニティー」→ベイカー・ディルの乗っている船
これを踏まえて、物語を振り返ってみると、実は本作のプロットは実に示唆的です。
まず、本作の中盤以降では「ジャスティス」を釣り上げるのか、それともフランクを殺害するのかという選択が主人公に迫りました。
この映画を見ていると、しきりに「プリマス島」には凶器がなく、殺人もないという点が強調され、それによってベイカー・ディルがフランクを殺害するという行為が旧約聖書のカインに重なるようになっています。
つまり「ジャスティス」の対岸に置かれているのは、聖書的な「罪」であり「悪」なのです。
その決断をする際に、彼は自身の「セレニティー」という名前を冠した船から、フランクを海へと陥れます。
つまりフランクを殺害することで、ベイカー・ディルが自分たち親子の「静寂」と「平穏」を手に入れたということがここで明確になると言えるでしょうか。
聖書的には、モーセの十戒などで「殺人」は明確に禁止事項として挙げられています。
ただベイカー・ディルは息子への愛ゆえに、「殺人」という罪を犯すわけですし、息子の方も父への愛ゆえに2人の「平穏」を取り戻すために、フランクを殺害するという罪を犯します。
確かにベイカーは巨大マグロを釣り上げるという「ジャスティス」を志向することはなく、フランクを殺害する道を選んでしまいました。(正当防衛は「許されて」いる。)
結局のところ「ジャスティス」は彼の前に姿を現すことはありません。海のどこかに消えてしまったままです。
きっとどこの世界にも「正義」は存在していないし、ましてや聖書が保証するような明確な「正義」はどこにも存在しないのでしょう。
だからこそそれを手に入れることは難しいのです。
宗教とは、信仰とは、自らの心の「セレニティー」を保つためのものであり、それが「正義」だの「悪」だのを規定するものではないことを把握しておく必要があります。
ベイカーの息子は、「ゲーム」の世界を作り、そこに死んでしまったはずの「父」を「復活」させ、自らの心の支えとしたわけですから、「プリマス島」とは彼にとって内なる「聖書」のようなものなのかもしれません。
Netflixには、『アポストル 復讐の掟』や『アナイアレイション』など、宗教的な信仰に対する疑念が伺える作品があります。
信仰とは、寄り掛かるものではなく、あくまでも自分が立つための支えとするものです。
『セレニティー平穏の海』という作品は、そんな信仰というものの在り方を考えさせてくれる人間賛歌とも言えるかもしれません。
おわりに
いかがだったでしょうか?
今回は映画『セレニティー平穏の海』についてお話してみました。
幾分映画の中に一貫した主題性や秀でたポイントが見出しにくいので、非常に書きづらかったです・・・。
Netflixを契約しているよ!!という方はご覧になってみても良いかもしれません。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。