(C)2019「君は月夜に光り輝く」製作委員会
はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『君は月夜に光り輝く』についてお話していこうと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となります。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
『君は月夜に光り輝く』
あらすじ
高校1年生の岡田卓也は、クラスメートで病気のために学校に来られない渡良瀬まみずという少女に色紙を届けることとなる。
まみずは身体が謎の発光をするという「発光病」という不治の病に侵されており、余命宣告されていた。
卓也は彼女の下を訪れることは、一度きりのことだと思っていたが、友人の香山に勧められ、もう1度会いに行くこととなる。
その際に彼女が父親から貰ったとして大切にしていたスノードームを壊してしまった。
「大切なもの」を壊してしまったという罪悪感から、彼は三度、まみずの病室を訪れることとなる。
すると、彼女は部屋で「死ぬまでにしたいことリスト」を自身のノートに綴っていたのだった。
其れを見た卓也は、半ば無意識的にそれを手伝わせてほしいと申し出る。
そんないきさつがありながら、卓也とまみずの不思議な関係がスタートすることとなる。
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キャスト・スタッフ
- 監督:月川翔
- 脚本:月川翔
当ブログでは、たびたび月川監督の作品を取り上げさせていただいておりまして、彼は今、日本で一番「役者を生き生きと撮れる映画監督」だと思っております。
とりわけ『君の膵臓をたべたい』の浜辺美波、『響』の平手友梨奈の2人は印象的でしたが、その2人の他にも北村匠海やアヤカウィルソンなど、彼の映画で輝きを放った俳優は数多くいます。
今回の映画に際しても月川監督はTwitterで「2人(北村匠海と永野芽郁)のお芝居からは、台本上の言葉だけでは表現しきれないような感情の奥行きが感じられ、日々発見の連続でした。」と語っておられました。
そうなんですよ。実は月川監督はこれまで脚本は担当しておりませんでした。
脚本と聞くと、ストーリーのことだと思うかもしれませんが、それは半分が正解で、半分が不正解です。
脚本というのは、簡単に言うと映画の設計図のことです。
つまりこのシーンで、どういう描写があって、俳優がどんな感情で、どんな演技をするのかというところまである程度言及できてしまうんですね。
これまでの作風からして、月川監督は「役者ファースト」で、多くを演じる側に委ねて作品を撮っているように思えます。
それが先ほど引用した「台本上の言葉だけでは表現しきれないような感情の奥行きが感じられ」という言葉にも如実に表れていると言えるのではないでしょうか。
つまり台本はあくまでも台本として、撮影を進める中でその言葉を超えた何かを役者に見せてもらいたいし、それを収めるのが自分の仕事だと言わんばかりですよね。
そういう意味でも、彼が今回脚本をも自分で担当したという事実は、月川監督らしさを高めるうえで、非常に重要になってくるでしょう。
- 永野芽郁:渡良瀬まみず
- 北村匠海:岡田卓也
- 甲斐翔真:香山彰
- 松本穂香:岡田鳴子
やはり月川監督作品のヒロインには要注目で、これまでも小松奈菜、miwa、浜辺美波、土屋太鳳、平手友梨奈など若手・新人女優を大胆に起用し、その魅力を輝かせてきました。
作風は違うんですが、女性を輝かせる映画という視点では岩井俊二監督に近いものを持っているのかもしれませんね。
そして今回のヒロインに抜擢された永野芽郁さんは、昨年放送されていた朝ドラ『半分、青い』でも主演を務め、認知度を高めた女優と言えるでしょう。
彼女はこれまで『俺物語』『ひるなかの流星』『帝一の國』などの漫画の実写化映画に数多く出演し、いわゆる今日の若手女優の王道路線を走って来たと思います。
ただ、やっぱり起爆剤になるような、役者としての彼女を確立するに至るような作品には出会えていないような印象を受けます。
そんな中で月川監督の作品に出演するということで、これが彼女にとっての1つのターニングポイントになるのではないかと当ブログ管理人はひそかに期待をしております。
そしてもう1人の主人公でもある岡田卓也を演じるのが、北村匠海さんですね。
彼は月川監督の『君の膵臓をたべたい』にも出演しているということで、今回の『君は月夜に光り輝く』と非常に似た立ち位置のキャラクターを演じることになりました。
ただ、『君の膵臓をたべたい』と『センセイ君主』の浜辺美波を見ていて、思っていたんですが、月川監督はお気に入りのキャストを2度、3度起用したとしても、それは「同じ演技」が欲しいからではないんでしょうね。
同じキャストを起用するのは、お気に入りだからということではなく、その俳優の違った側面を見せて欲しいという要求があるからこそなんだと思います。
そういう意味でも北村匠海さんが非常に似た役どころで抜擢こそされましたが、監督の意図としては、彼の役者としての成長や懐の深さを見せて欲しいという思惑ありきなのでしょう。
最後に今回のいわゆる期待の新鋭・新人枠には、甲斐翔真さんが収まるでしょう。
彼が演じる香山というキャラクターは、物語のキーにもなってくるので、非常に繊細な演技が求められるでしょう。
原作情報
『君は月夜に光り輝く』
後ほど詳しく書く予定ですが、原作と映画ではかなり作品のテイストが違います。
映画版は、基本的にまみずと卓也にフォーカスし、2人の関係性の変化を2時間弱の物語の中で描き、完結させています。
一方の原作では、2人の物語に加えて、もう1つ重要な柱があります。
このキャラクターが卓也とそしてまみずと関わり合う中で、もう1つの重要なテーマが描かれているのです。
映画版はこの部分に関しては完全にカットしているので、映画を見た方は、ぜひ原作も併せて読んでみてください。
『君は月夜に光り輝く+FRAGMENTS』
これは原作の後日談となる短編集です。
ただ、後日談だからと言って、映画版から『君は月夜に光り輝く+FRAGMENTS』へと進むと、話がさっぱり分からないと思います。
というのも、この後日譚のメインは映画版ではスポットが当たらなかった香山の物語だからです。
その他にも、『君は月夜に光り輝く』をまみず視点で回想した短編や、卓也が医学部に進学したエピソードなどが収録されています。
香山が「まみずの死」を、彼女に積極的に携わりこそしなかったが、彼女のことを愛していた人間としてどう受け止めるのかが、新しい人間関係の中で描かれます。
原作の『君は月夜に光り輝く』を読んで、気に入った方、香山というキャラクターについてもっと掘り下げたいと思った方は読んでみると良いと思います。
主題歌:SEKAI NO OWARI『蜜の月』
人気アーティストSEKAI NO OWARIのアルバムに収録されている新曲『蜜の月』を今回の映画用にアレンジしています。
『EARTH』や『天使と悪魔』等の楽曲をリリースしていた頃(まだ『世界の終わり』表記だった頃)は、LIVEにも足を運ぶほどのファンでしたが、すっかり最近は耳にすることが無くなってしまっていました。
久々に聞いてみると、これはまた素晴らしい楽曲でした・・・。
出だしは静かなメロディとまどろむような深瀬さんの歌声で進行していくんですが、サビに向かって、徐々にテンポとリズムが増していき、身体を思わず揺らしながら聴いてしまいますね。
希望に満ちた、豊かな歌詞とメロディではあるんですが、突き抜けたような明るさではなく、どこか闇を孕んでいて、脆さを感じさせるところも『君は月夜に光り輝く』の主題歌として最適だと思いました。
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『君は月夜に光り輝く』感想・解説(ネタバレあり)
月川監督らしい良作
冒頭でも少しお話しましたが、私は月川監督の作品は基本的に大好きです。
彼に役者を撮らせると、やはりその隠れた魅力が引き出され、映像の中で生き生きと踊り始めるんですよね。
今回の『君は月夜に光り輝く』についてもメインキャラクターを演じた北村匠海さんと永野芽郁さん、あとは今田美桜さん。この3人はとりわけ印象的でした。
北村匠海の脆さと危うさ
北村匠海さんは『君の膵臓をたべたい』においても、似たようなキャラクターを演じていることは先ほど指摘しました。
原作を読んでいると、北村さんの演じる卓也というキャラクターが死への眺望を持っている危うい青年であることが明確に示されています。
ただ、映画版では、香山のエピソードが一通りカットされたことで、ダイレクトに彼の「危うさと脆さ」に言及されることは無くなりました。
しかし、そこをプロットとして語らずともある程度補完できてしまうのが、北村匠海さんという俳優の凄みだと思いました。
基本的に北村匠海さんは、表情豊かに魅せるタイプの役者ではないのかなと思います。
それは『勝手にふるえてろ』でもそうでしたし、昨年の年末公開の『春待つ僕ら』でもそうでした。
そういう何かを心の中で押し殺しているような、感情を抑圧しているような表情がとにかく印象的で、それ故に少し力を加えると崩れてしまいそうな「脆さ」があります。
また、時折感情を爆発させる場面があるのですが、その時にこれまでの「溜め」があるからこそシーンを一層エモーショナルにすることができます。
この緩急のつけ方が絶妙に巧いからこそ、北村匠海さんは無表情なキャラクターを演じる時にこそ雄弁ですし、その表情の裏に抱えている思いを観客に伝えることができています。
永野芽郁の眼が魅せる心情
月川監督の演技指導でそうなったのか、それとも台本を解釈して意図的に永野さんが演じたのかは分かりませんが、彼女の眼の演技が今回本当に素晴らしかったです。
これに関しては、『君は月夜に光り輝く+FRAGMENTS』の方を読んでいただけると、まみず視点で物語が展開されるのでより分かりやすいと思います。
私はいつものようにノートのページをめくった。なるべく、くだらないのがいい。暗くならないような、シリアスじゃない。バカバカしいリクエストがいい。真面目じゃなくて、ふざけているのだと思われたい。
そして愛想を尽かして欲しい。うんざりして、もう二度と関わりたくないと、彼の方から思ってほしい。
『君は月夜に光り輝く+FRAGMENTS』より引用
まみずが卓也に対して「死ぬまでにしたいことリスト」からリクエストしているのは、言わば自分の本心を隠すためでもあるんですよ。
一緒にいたいけど、付き合わせるのは嫌だし、執着を持って欲しくないから突き放したい。そんな相反する思いが渦巻きながら、彼女はリクエストを続けています。
だからこそ前半のまみずを演じる永野さんって眼が泳いでいることが多いんですよ。その眼の動きが、彼女の中で渦巻く複雑な感情や動揺を視覚的に伝えてくれます。
加えて、永野さんって天真爛漫で、やはり可愛らしいイメージが強いということもあって、時折見せる凛とした視線が非常に魅力的です。
今回は、感情の揺れや動揺を表現するために、眼をかなり泳がせていたこともあって、重要な場面でそのキリッとした視線が効果的に作用していました。
個人的に素晴らしいと感じたのが、天体観測をするために卓也とまみずが屋上に出たシーンです。
この時、まみずはあくまでも冗談という体で卓也に「私も卓也君のこと好きだよ。」と告げています。
これまでのシーンで基本的に何かしら含みを持たせている時や、本心でないことを言うときの永野さんは目をキョロキョロとさせていたんですが、ここでは冗談と言いながら凛とした眼つきで卓也を見つめています。
彼女の眼の演技を見た瞬間に、「あっ!これが彼女の本心なんだ。」と観客に伝わるように演技が区分けされているんですね。
この辺りが非常に巧かったと思いますし、これを引き出した月川監督も素晴らしいなと思いました。
今田美桜が鏡にだけ見せた本心
今田美桜が演じたリコというメイドカフェでメイドとして働いている女子高生は、卓也に仄かに好意を寄せています。
しかし、積極的にその好意を伝えようとはしませんし、デートに誘ってみて、反応がイマイチだったら「冗談だよ」と茶化してしまったりしています。
ただ、その直後のシーンでロッカーを開けた彼女の表情を小さな鏡が捉えているんですが、ここがまた素晴らしいんですよ。
この時、観客は卓也にもそして誰にも見せたくないであろう、本心が宿った彼女の表情を一抹の罪悪感を感じながら垣間見させられるんですよ。
「人間が誰にも見せたくない表情」を月島監督は見事に自らの映画に収めているわけです。
そしてまたこの時の今田さんの表情が絶妙ですね。
一瞬悔しさや悲しみを表情に宿らせるんですが、すぐにグロスを唇に塗って、表情を作り直し、全く動揺していないかのような素振りで戻っていきます。
演出・撮影そして照明が素晴らしい
この映画を見た時に、月川監督は間違いなくスパイク・ジョーンズ監督の『her 世界でひとつの彼女』を意識していると思いました。
©Warner Bros. Pictures
代行デートの一連のシーンは、間違いなくオマージュだったと思います。
そして本作の撮影に関して良かったのが、撮影用のカメラと共に、北村匠海が撮影に使っていたスマホカメラの映像を意図的に織り交ぜていたところですね。
スマホカメラの映像ってブレブレで、しかもざらざら感があって長時間スクリーンに投影すると、観客にストレスを与えることになってしまいます。
ただ、時折混ぜて用いるのは、非常に効果的で観客が普段私的に撮っている映像のレベルに近いという点で、親近感を与えるんですよ。
またこの映画は基本的に卓也視点で展開される(原作も同様)のですが、スマホカメラの映像をインサートすることで、そこにまみずの視点が介入しています。
これにより観客は、まみずの眼にはどう見えているのか、どんな光景が広がっているのかが自然と追体験できるようになっていて、映画をより深く味わうことができます。
加えて、撮影に関していうならば、今作はまみずと卓也のクローズアップショットが多用されていました。
これにより、どこにも逃げ出せないような閉塞感が映像に生まれ、観客は映画を見ているだけでその息苦しさに窒息してしまいそうになります。
とりわけこの撮影のアプローチは山田尚子監督の『リズと青い鳥』に似ていると感じました。
遠景をぼやかして、登場人物を強調し、画面に閉じ込める手法も非常に似ていました。
続いて、演出に話を移していきますが、やはり印象的なのはラストシークエンスの演出ですよね。
もちろん原作がそうだからというのも多分にあるとは思いますが、月川監督の映画って終盤に手紙やボイスメッセージ等で登場人物の思いを吐露させることが非常に多いんです。
- 『君の膵臓をたべたい』
- 『となりの怪物くん』
- 『センセイ君主』
そして今回はそんな思いの吐露と清算のシーンに『ララランド』へのオマージュとも取れる演出を採用していました。
『君は月夜に光り輝く』の終盤には、終盤に卓也がまみずの残した言葉を聴いている際に、本来はそこいるはずのなかったまみずと一緒に遊園地や海、ショッピングモール、ホームセンター等を訪れる「IF」が描かれます。
(C)2019「君は月夜に光り輝く」製作委員会
この演出はオマージュではありますが、抜群に良かったですね。こんな「IF」もあったのか?という可能性に思わず涙してしまいました。
そして『君は月夜に光り輝く』の映画は照明が非常に優れてましたね。
そんなことを思いながら、本作の撮影監督を担当された宮尾康史さんの実写『ちはやふる』3部作が書かれていて、納得しました。
特に素晴らしかったのが、病室のシーンでの照明の使い分けです。
まず、2人が最初に出会った病室のシーンでは自然光を多く取り入れ、生命力あふれるシーンに仕上げています。この時、永野さんの頬に「赤色」のチークを強めに塗ってあることも、生命力の表出に一役買っていました。
その後、2人が夜の病室でいる時のシーンでは、自然光はほとんどない状態で、青みがかった照明を背後から当て、室内の間接照明の暖かみのある光を数か所に配置しています。
さらに、容体が悪化した後のまみずに卓也が会いに行った際の病室のシーンでは、人工的な極めて強く病院を連想させるような「白色照明」を当てていて、明るいながら「死」の臭いを漂わせています。
また、この時、まみずの頬には赤いチークが塗られておらず、血色が悪くなっていることが強調されている点も素晴らしいですね。
同じシチュエーションのシーンであっても、照明の違いだけでこれほどまでに印象の違いを生み出せる事に関して、素直に感心してしまいました。
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卓也がまみずに惹かれた映画版では描かれなかった理由とは?
(C)2019「君は月夜に光り輝く」製作委員会
実は映画版は原作から大幅にカットしている要素があるので、いくつかその意味が不明瞭になっているシーンがあります。
その点に関して解説していけたらと考えています。
一部、原作のネタバレになるような要素を含みますので、ご注意ください。
卓也はまみずに惹かれた理由が原作だともう少し分かりやすく描かれていたんですが、映画版ではかなりぼかされていたので、もしかしたら分かりにくいと感じた方もいるかもしれません。
卓也にとって、交通事故で死んだ(自殺した)姉である鳴子の死ってすごく大きな出来事だったわけですよ。
彼は彼女の部屋の中に置かれていた中原中也の詩集と、その中で線を引かれた一節を目にしてしまい、さらには彼女が自室で首を括るための縄を準備していたところに出くわしています。
愛するものが死んだ時には、
自殺しなきゃあなりません。
愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。
(中原中也『春日狂想』より引用)
この時から彼は姉が「死に惹かれている理由」が気になってしまいました。
それが発展し、彼はある種「死」というものに安らぎと平穏を求め、美しいもののように捉えていたんでしょうね。
そんな卓也の死への眺望が、彼がまみずと出会った時に、彼女への不思議な想いへと溶け込み、2人が関係性を結ぶきっかけになりました。
そしてもう1つ忘れてはいけないのが、原作の終盤で吐露される卓也が姉の鳴子に対して持っていた思いです。
「僕さ、鳴子のことが大好きだった。」
(佐野徹夜『君は月夜に光り輝く』より引用)
この本心が明かされることで、全ての点が線で繋がり、卓也がまみずに惹かれた理由が明らかになります。
思春期と死への眺望という危うさを閉じ込めた青春小説と言う点で、『君は月夜に光り輝く』という作品には、当ブログ管理人のオールタイムベスト映画である『台風クラブ』の香りがするんですよ。
そしてそんな死への眺望を乗り越え、まみずのために生きようという方向へ考えを改めていくところにこの物語の主題があります。
中原中也の『春日狂想』ではこう綴られています。
けれどもそれでも、業(ごう)(?)が深くて、
なおもながらうことともなったら、奉仕(ほうし)の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、奉仕の気持に、ならなきゃあならない。
奉仕の気持に、ならなきゃあならない。(中原中也『春日狂想』より引用)
つまり、愛するものの死に際して、残されたものがするべきことは、後を追って自殺することではなく、その人のために生きようとすること、それ即ち「奉仕の気持」なのです。
劇中に登場した静澤聰の『一条の光』という小説。著者の静澤聰は遺言で自身の墓に名前を残さず、「無」とだけ刻み込んだと言います。
「死=無」ではない。墓標に刻まれるのは、「無」という文字ではなくその人の「名前」であるべきなのです。
死ぬことは、無になることでなく、永遠に刻まれ、残り続けることなのだと、本作は作中小説へのアンチテーゼという形で「生きること」の意義を掲げています。
こういう背景を頭に入れた上で見ると、見え方が変わる映画のシーンを2つほど挙げておきます。
まずは、卓也とまみずが屋上で天体観測をするシーンですね。
このシーンで、まみずが望遠鏡を覗きこもうとしている時に、卓也は彼女ではなく空に浮かぶ月をぼんやりと眺めています。
月は、しばしば「女性」を象徴するモチーフとされることがあります。だからこそ今作においてもまみずと月を結びつけて描いているわけです。
しかし、このシーンで月を眺めながら、彼が頭に浮かべていたのは亡き姉の鳴子だったのではないでしょうか。
死して手に届かないところに行ってしまった「大好きな姉」の存在を想起し、もうすぐ「光り輝いて」死んでしまうまみずを姉に重ねているように見受けられました。
そこに彼の「死への眺望」という心情が明確ではないにせよ、少なからず反映されている点は見逃せません。
また、ラストシーンで卓也たちが乗った車が走り出すシーンがあるんですが、この時、彼らが進む道は2つに分岐した道が1つになっている場所であることが分かります。
車とは本作において姉の鳴子の死を強く連想させるモチーフで、彼女の死以来、卓也の母親は運転をしていません。
だからこそ終盤に彼女が卓也をドライブに誘うシーンが、彼らが鳴子の死を受け入れて前に進もうとする意思の表れに思えます。
それ故にラストシーンもまた、卓也が経験した「2つの死」を受け入れて、彼らのために生きるという決心をすることが明確になっています。
この背景が2つの道が繋がって1本になり、その道を真っ直ぐに進んでいくラストシーンの動線に反映されているように感じられました。
スノードームを壊すという行為の意味
今作において、最も印象的なモチーフを1つ挙げるとすると、それはスノードームです。
スノードームとは、辞書的な定義で言えば、「透明の容器に人形や建物、町並みなどの小型模型と、小さな白い粒を入れ、水で満たして密閉したもの」でしょうか。
そのガラス球の中は、ずっと冬のままで、そしてそこから出ることは出来ません。つまりその内側には外界からの影響が及ばない上に、変わることがないのです。
まさしくその通りです。そしてそんな病室でただ死を待っている彼女に希望を与えたのは誰かというと、それが卓也でした。
故に卓也が彼女のスノードームを壊すのは必然なんですよ。
卓也は、ただ変わらない毎日を過ごしていた彼女に刺激と変化をもたらしました。つまり、あの部屋に閉じ込められた彼女に「四季」をもたらした人物なのです。
そして彼は終盤にまみずのために新しいスノードームを作り始めますよね。
ガラス玉の中に置かれていたオブジェは、まみずが「時が止まれば良いのにと思った」と話していた2人が天体観測をしていた時のやり取りに関連していました。
そうです。2人が結婚し、新郎新婦の関係になっている場面ですよね。
つまり、これは最期の最期にスノードームという永遠に変わらない空間の中に、まみずと卓也の幸せな瞬間を詰め込み、「変わらない」ものとしたわけです。
「カタチあるものはいつか壊れる。」とまみずは言いました。
しかし、彼らが過ごしたひと時の幸せな日々は、永遠に変わらず、そこに留まり続けるのだろうという希望を想起させてもくれますね。
原作との違い?実は単なる「余命もの」ではない!
最近ツイッターの方でも、邦画は「余命もの」の作品が多すぎると揶揄されていました。
映画版の『君は月夜に光り輝く』だけを見た方は、本作もありがちな「余命もの」の作品の1つだと思われたかもしれません。
ただ、ぜひ原作を読んでみて欲しいのですが、この作品は単なる「余命もの」ではありません。
邦画でありがちなのは、病魔に侵されて、もう長くは生きられないキャラクターが登場する安易な「感動ポルノ」ですが、本作はそのタイプの作品ではありません。
月川監督って『君の膵臓をたべたい』でもそうだったんですが、題材が仮に「余命もの」であったとしても、割と淡々と過剰に演出することなく物語を進行させていきます。
そしてここぞという時に、一気にアクセルを踏んで、感動的なシーンを演出します。
今作『君は月夜に光り輝く』に関しても、そういった良い意味でのドライさと溜めが生きていました。
ただ、原作からかなりメインキャラクターの2人へのフォーカスをきつめにしてしまったので、安易な「余命もの」な印象を与えてしまったのかもしれません。
『君は月夜に光り輝く』という作品には、映画版では明確にされていない(もしくは描かれていない)物語が存在しています。
1つは先ほど言及した卓也と彼の姉との関係性についてで、もう1つはクラスメートの香山の物語です。
原作での香山についての設定で、映画版では明かされていないものをいくつかご紹介しておきます。
- 手当たり次第に女の子をナンパして、いわゆるセフレの関係を築いている。
- 年上好きで、自分のクラスの担任ともセフレの関係にあった。
- 生きることに対して無関心で、人生など適当で良いと投げやりに生きている。
- 高校入試会場で高熱で倒れた香山を介抱してくれたのがまみずだった。
- まみずに告白するために、セフレの関係を全て絶っていった。
そうなんですよ。原作の香山ってかなりの「クソ野郎」で、それでいて「生きることへの執着」がありません。
だからこそ『君は月夜に光り輝く』という作品において、死への憧れを持っている卓也と、生きることに執着がない香山という2人の人物が、死を目前にしたまみずに出会う意味があります。
これは、まみずという存在に出会って、「生きること」を決断できた2人の少年の物語なんですよ。
それ故に、本作を安直に余命ものだとは言ってほしくないんですが、映画版では香山のエピソードもカットされてしまいましたし、卓也の死への憧れもぼかされていたので、無理もないでしょう。
興味を持った方は、ぜひぜひ原作もお手に取ってみて欲しいですね。
おわりに
いかがだったでしょうか?
今回は映画『君は月夜に光り輝く』についてお話してきました。
月川監督作品ということで、かなり期待値が上がってはいましたが、それに応えてくれる良作仕上がっていたと思います。
ただ卓也が姉に対して抱いていた心情についてはかなりぼんやりと描かれているので、原作を読むと、より理解が深まると思いました。
映像も美しく、キャスト陣のクローズアップショットも多いので、映画館で見ると、幸せになれる作品だと思います。
ぜひぜひ劇場でご覧ください!!
今回も読んでくださった方ありがとうございました。