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目次
はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回は映画『ブラッククランズマン』についてお話していこうと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む解説・考察記事となります。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
『ブラッククランズマン』
あらすじ
ロン・ストールワースが白人至上主義団体「KKK(クー・クラックス・クラン)」潜入捜査した実話をつづった同名のノンフィクション小説を映画化した。
コロラドスプリングスの警察署で、初の黒人刑事として採用されたロン・ストールワースは職場で白人による差別的な嫌がらせに遭っていた。
情報課に配属された彼は、ある日新聞で見かけた白人至上主義団体「KKK(クー・クラックス・クラン)」の募集に電話で応募をする。
電話で黒人やユダヤ人への差別意識を熱弁した彼は、支部長の男に気に入られ、メンバーに会うこととなる。
そこでロンは、署に組織への潜入捜査を提案し、同僚の白人刑事フリップに協力してもらい捜査を進めることとなる。
電話で話す時はロン、実際に会うときはフリップという体制で捜査は展開されていく。
すると、2人は組織の中で過激な爆破計画が進行していることを悟るのだった・・・。
スタッフ・キャスト
- 監督・脚本:スパイク・リー
- 製作:ジョーダン・ピール
これまで作家性の強い作品から、興行を意識した大作まで数多くの作品を手掛けてきたスパイク・リー監督の新作が公開されました。
『ドゥ・ザ・ライト・シング』でアカデミー賞脚本賞にノミネートし、その後『マルコムX』のような対策も手掛けるなど̪、かつては高い評価を獲得していました。
『ブラッククランズマン』はそんなスパイク・リー監督の復活を印象づける作品にもなっています。
ちなみに今年のアカデミー賞にて、作品賞や監督賞など全6部門にノミネートされ、脚色賞を受賞しています。
彼は『グリーンブック』の作品賞受賞が決まった際に、黒人の映画監督として「受け入れられない。」とし、その場を立ち去ろうとしていました。
監督や脚本家の性的、人種差別的なスキャンダルがあるにもかかわらず、作品賞や脚本賞を受賞したという事実に納得がいかなかったのでしょう。
そんな立場を表明したことも、『ブラッククランズマン』のような作品を見ると、合点がいきます。
そして製作を務めたのは、こちらも『ゲットアウト』にてアカデミー賞で脚本賞を受賞したジョーダン・ピールです。
もともと『ブラッククランズマン』の原作の映画化権を保有していたのは、ジョーダン・ピールだったんですが、その企画をスパイク・リー監督に委ねたようです。
ジョーダン・ピールにその原作を手渡されたときに、スパイク・リー監督は「盲目の黒人が自分が白人であると勘違いしてKKKに加入するコメディ」だと思っていたようです。
そして「笑える映画にしろ」とだけ伝えられ、映画化企画を引き受ける形になりました。
- ジョン・デビッド・ワシントン:ロン・ストールワース
- アダム・ドライバー:フリップ・ジマーマン
- ローラ・ハリアー:パトリス・デュマス
- トファー・グレイス:デビッド・デューク
- ヤスペル・ペーコネン:フェリックス
- コーリー・ホーキンズ:クワメ・トゥーレ
本作で主人公のロン・ストールワースを演じたジョン・デビッド・ワシントンの父親は何とあのデンゼル・ワシントンです。
デンゼル・ワシントンは、まさにアメリカ映画界において黒人差別と闘い続けてきた人物ですし、彼がその遺志を継ぐ者と今作に出演した意義は大きいでしょう。
ジョン・デビッド・ワシントンは本作でゴールデングローブ賞の主演男優賞にノミネートするなどし、高い評価を獲得しました。
そして主人公のロンの相棒となるフリップ役を演じたのはアダム・ドライバーでした。
ディズニースターウォーズシリーズのヴィラン、カイロレン役として近年知名度が上がっていますが、その他にも『パターソン』や『ローガンラッキー』など話題作品多数出演しています。
本作を見ていて、個人的に演技が素晴らしいと感じたのは、クワメ・トゥーレを演じたコーリー・ホーキンズですね。
冒頭に長めの演説シーンがあるんですが、あまりの力の入り様に圧倒されました。この演説は必見ですので、ぜひぜひご覧ください。
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『ブラッククランズマン』解説・考察(ネタバレあり)
スパイク・リーが仕掛けるネオブラックスプロイテーション
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1970年代にアメリカで大流行したのが、公民権運動に便乗して製作されたブラックスプロイテーション映画でした。
ロンとパトリスが歩きながら、話しているシーンがありましたが、その時に話題になっていたのがそうです。
『ヒットマン』や『コフィー』などのタイトルが挙げられていましたが、このジャンルの映画には共通点があります。
それは、簡単に騙される麻薬組織の人物、腐敗した警官、政府役人のような悪徳な白人が登場し、それを「クールな」黒人が打倒するという物語になっているということです。
ただ、こういった映画における黒人は麻薬密売人のようなステレオタイプ的な人物像で描かれ、これが黒人の差別に反対する組織等から抗議を集めてしまい廃れていきました。
というのも、ブラックスプロイテーション映画とは、白人の映画人たちが、黒人たちを利用して作り出した映画群に過ぎなかったのです。
そして80年代以降公民権運動期に育ったスパイク・リー監督の世代が黒人映画監督として台頭し、黒人の視点から映画を撮るようになるのです。
近年は、ジョーダン・ピール監督やバリー・ジェンキンス監督の様な黒人の視点で、黒人を主題にした映画を撮る監督が多くいます。
その一方でハリウッド映画界は「ポリティカルコレストネス」を盾に、白人視点で黒人差別を題材とした作品を乱発し、黒人差別が解決つされつつあることを仄めかすキャンペーンを展開しています。
1950年代にシドニー・ポワチエという黒人俳優がいました。
彼は、公民権運動の最中で「白人側の理想的な黒人像」を映画の中で演じ、1963年の映画『野のユリ』にて、黒人初のアカデミー賞主演俳優賞を受賞しています。
しかし、『ブラッククランズマン』の舞台にもなっている1970年代になると、彼の映画界における存在感は薄れていくこととなります。
それは本作で描かれたように、黒人たちが「ブラックパワー」というスローガンのもとに、白人社会に抵抗する立場を取るようになったからです。
つまり、それまでは白人社会に受け入れられることが黒人の目標だったのに対して、70年代に入ると、黒人であることの誇りとクールさを前面に押し出すようになったということです。
これにより、白人社会に迎合したアイコンとして宣伝されていたシドニー・ポワチエは、もはや黒人たちの象徴足り得なくなったわけです。
これを踏まえて考えると、スパイク・リー監督の目には近年の白人ハリウッド映画界のポリコレ潮流は、そんな黒人を白人社会に迎合させようとする傾向の再来のように映っているのではないでしょうか?
だからこそ彼はこの『ブラッククランズマン』という作品をアイロニーを込めて、ブラックスプロイテーションとして撮ったのでしょう。
この映画において、基本的にはKKKは欺かれる側の「まぬけな」人間たちばかりですし、一方で主人公のロンは黒人でありながらクールな警察官で、しかも勧善懲悪を志しています。
しかし、その一方で面白いのがこの映画って確かにブラックスプロイテーション的なんですが、それでいて黒人監督が撮っています。
それ故にこの映画にロンというステレオタイプから離れた黒人アイコンを置き、一方でステレオタイプ的な白人キャラクターをKKKに配置して、勧善懲悪をするだけならば、それはかつて白人が黒人に対して取った方針の繰り返しでしかないんです。
スパイク・リー監督ってそのあたりをきちんと理解していて、1970年代という白人と黒人の分離を描くに当たって、フラットな視点でどちらにも理があり、どちらにも否があるという描き方を選んでいます。
まさしくそうで、あの一連のシーンは白人とそして黒人の双方に「愚かさ」を感じさせるテイストで描いています。
彼は確かに60・70年代のブラックスプロイテーションのスタイルを本作に反映させています。
しかし、それでいて白人と黒人どちらを辱めるでもなく、どちらをステレオタイプ的に描くのでもなく、どちらもの過ちを認めた上で、お互いに尊重し合う未来を模索しているんです。
言うなれば、これはネオ・ブラックスプロイテーションと言えるでしょう。
原作との違い:フリップというユダヤ人捜査官を据えた利点
本作にはロン・ストールワースが自ら著した同名の小説原作が存在しています。
実はその中では、ロンの相棒となる捜査官の人種は明かされていないんですね。
そこでスパイク・リー監督は、捜査官の名前をフリップ(ユダヤ人名)に設定し、そしてアダム・ドライバーに演じさせました。
この小さな改変が『ブラッククランズマン』という作品に与えた影響は決して小さくありません。
このポイントは非常に重要です。
というのもあの捜査官がアメリカにおける「被差別人種」でないとなると、その人物がロンの捜査に協力する動機が映画としてどうしても不透明になるんですね。
だからこそ、フリップというユダヤ人キャラクターを据えることで、物語に推進力とそして緊張感をもたらしました。
- フリップがユダヤ人としての自分を自覚するまでのサブプロットを追加された。
- 彼がユダヤ人であることで、KKKのメンバーに発覚すれば殺されるという臨場感と緊迫感が生まれた。
- 彼がロンの捜査に協力する動機が生まれた。
脚色という観点で見ると、他にも終盤のロンがデュークに電話をし、真実を告げたシーンも史実ではありません。
しかし、あのシーンがあることで、本作はあくまでも「ブラックスプロイテーション」になぞらえて作った映画なのだという証明になります。
この辺りがやはり巧いですし、アカデミー賞で脚色賞を受賞できた理由もこういった部分に見え隠れしているのでしょう。
ロンをデンゼル・ワシントンの息子が演じる意義
本作の主人公であるロンを演じるのは、デンゼル・ワシントンの息子であるジョン・デビッド・ワシントンです。
デンゼル・ワシントンは幼少期を公民権法が制定される前のアメリカで過ごしていて、黒人差別の悲惨な現実を誰よりも理解している俳優の1人です。
しかし、そんな境遇に生まれながらも、努力に努力を重ねて必死に這い上がってきたとんでもない人物です。
彼は俳優になってからも徹底的にハリッド映画界に蔓延る「白人の幻想」に抗ってきました。彼は徹底的に「黒人らしい」役を受けようとはしなかったんですね。
当時エディ・マーフィが黒人コメディ俳優としてブレイクしていたのは有名な話です。その頃のアメリカの黒人俳優のイメージは基本的に「コメディ要員」でした。
そんな伝統をデンゼル・ワシントンは社会派な映画に多数出演することで覆してきました。
つまり、彼はハリウッド映画界における黒人俳優の道を切り開いてきたパイオニアなんですよ。
実は9歳の頃に彼は、父のデンゼル・ワシントンと共にスパイク・リー監督の映画に出てます。
そんな彼の息子が成長し、父の遺志を継ぐ俳優となり、そして公民権運動時代に育ったスパイク・リー監督と共に、現代のアメリカの状況に立ち向かう映画を作り上げたのです。
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スパイク・リーがラストシーンに施した仕掛け
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本作のラストシークエンスを見て、笑った人、驚いた人、呆然とした人、意味不明だと思った人、様々な反応があったことでしょう。
ロンとパトリスが銃を構えて、ドアを開けると、突然ジョーダン・ピール監督の『ゲットアウト』よろしくの催眠世界に突入するかのような映像が始まります。
しかし、そんな2人が突きつけられるのは、我々が今まさに生きている時代のに起きている数々の事件でした。
原作がある作品に、自分の政治的思想を強く絡めて脚色するという手法は、去年の原田監督の『検察側の罪人』を思い出させてくれました。
ただあのラストシーンは、まさしくスパイク・リー監督自身の覚悟の表れですよね。
映し出されたのは、ヴァージニア州で開かれた右翼団体の集会であり、そんな白人至上主義者たちの1人が車で反対デモの列に突っ込みました。
そんな悲劇が2017年に未だに起こっており、その光景が『ブラッククランズマン』冒頭の南北戦争にリンクするのは言うまでもありません。
そしてあのラストシーンがあったからこそ本作は現代に描かれる意義を有していると言えるでしょう。
今の時代にどうしても作られる必要があった映画
さて、ここからお話していくのは、なぜこの映画を今、スパイク・リー監督が作る必要があったのかということです。
近年、アメリカではドナルド・トランプ氏が大統領に就任したことをきっかけには白人とそしてマイノリティの間の分断を再び深めようとしています。
彼が当選した際には、アフリカ系米国人やユダヤ人などのマイノリティを批判する白人分離主義者グループであるKKKがノースカロライナにて、トランプ氏の勝利を祝う集会を開催しようと計画していました。
また対抗勢力となる左派の人々も、トランプ大統領の就任式を妨害しようとする抗議活動を展開していきました。
かつてKKKは南北戦争後に、南部で黒人の投票権が認められなくなると共にじわじわと衰退していき、事実上消滅してしまっていました。
しかし、1915年に映画『國民の創生』が大ヒットしたことで、市民権を獲得し、再び復活する運びとなったのです。
実は現代のアメリカにおいて、トランプが大統領に就任したという事実は、KKKないしアメリカ白人至上主義者たちにとっては「國民の創生」の大ヒットに近似する意味合いを有しています。
つまり移民や難民をアメリカから分離させ、もう一度偉大なアメリカを作るんだと語っているトランプはそういった人たちにある種の「正当性」を与えてしまいかねないのです。
そして彼の当選を祝う集会が計画されたことなどは、まさしくそれが現実になってしまったことを表しています。
つまりアメリカは『ブラッククランズマン』の中でも描かれていた南北戦争の惨劇と、そして70年代の黒人VS白人の壮絶な争いという歴史と過ちを三度繰り返す方向に突き進んでいるのです。
スパイク・リー監督は、そんな悲劇が繰り返されることを強く危惧しているように見受けられます。
そしてそれに対して、白人が描いたポリコレ的な黒人映画というお茶を濁すような方法で、融和を図るハリウッド映画界にも警鐘を鳴らしているのかもしれません。
彼は、『ブラッククランズマン』をジョーダン・ピール監督の要望通りに「笑える映画」に仕上げました。
本作に登場する人物は、黒人であろうと、白人であろうと、人種に関係なくどこか「愚かに」描かれています。
しかし、忘れないでいただきたいのが今この映画を見ながら、「なんて愚かなんだ!!」嘲笑っているのは自分たち自身なんですよ。
スパイク・リー監督は、この映画を愚かだと感じるならば、無用な争いを止めるべきであり、他の民族を虐げるのではなく、自分たち自身が誇りを持つことで「特別な存在」として生きていこうと伝えようとしているように感じられます。
劇中でデビッド・デュークとロンが「アメリカ・ファースト」と発言しているシーンがありました。
トランプ大統領やデビッド・デューク、ネオナチ、KKKらが掲げる「アメリカ・ファースト」には純粋な白人しか含まれていないのでしょう。
しかし、真に目指すべきはその後にロンが発した「アメリカ・ファースト」に込められた、アメリカに生きるあらゆる人種の人々を指しての方だろう。
スパイク・リー監督はとんでもない映画を2018年(2019年)のアメリカないし世界に送り出し、そして映画監督としても復活を遂げたのです。
おわりに
いかがだったでしょうか?
今回は映画『ブラッククランズマン』についてお話してきました。
実は『Mary Don’t You Weep』という楽曲で、古くから伝わるアフリカ系アメリカ人の黒人霊歌だったんです。
60年代に展開された公民権運動では、この楽曲が繰り返し歌われ、黒人の誇りを体現する楽曲として認知されました。
虐げられたマイノリティたちを励ますという意味合いも込めて、スパイク・リー監督はこの楽曲を採用したんでしょうか?
もう作品自体に情報量が溢れすぎていて、とても1回の鑑賞では全容を把握できるはずもないのですが、非常に興味深い作品に仕上がっていたと思います。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。
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バラージさんご指摘ありがとうございます。
表現を誤っておりました。
訂正させていただきました。