(C)2018 吉本興業
目次
はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回は映画『美人が婚活してみたら』についてお話していこうと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
映画『美人が婚活してみたら』
あらすじ
30代になり、不倫の恋ばかりしてきたタカコは、デザイナーとして働き、会社と家を往復するだけの毎日だった。
彼女は夜な夜な友人で、既婚者のケイコと飲み明かし、「死にたい」とため息をついていた。
そんなある日、彼女はケイコに「何かしたいことないの?」と聞かれ、咄嗟に「結婚したい!」と答える。
その夜から、彼女は婚活サイトに登録し、美人故にたくさんのリクエストを受けることとなる。
そうして彼女は2人の男性に出会うことになる。
- 園木:婚活サイトで出会った優しく温和だが、どこか頼りなくだらしない印象を与える商社マン
- 矢田部:イケメン歯科医だが、離婚歴があり、女性遊びが激しい。
2人への思いの間に揺れるタカコ。
これは自分が本当に「やりたいこと」に気づくまでに少し時間がかかってしまう1人の女性の物語だ。
スタッフ・キャスト
- 監督:大九明子
- 原作:とあるアラ子
- 脚本:じろう
原作は、漫画アプリ「Vコミ」で長期間ランキング1位を獲得し続けた同名の人気コミックで、著者はとあるアラ子さんでした。
そして監督を務めたのが、大九明子さんですね。
2017年12月に映画『勝手にふるえてろ』が公開され、映画ファンからも高い評価を獲得し、注目を集めた大九監督の新作が公開となりました。
彼女は元々はお笑い芸人で、コントを執筆しており、その後、映画クリエイターとして活躍するようになったという異色の経歴の持ち主です。
女性を主人公に据え、女性監督だからこその独特の視点で心情描写を出来る点が強みであり、それが見事に映画としてハマったのが『勝手にふるえてろ』と言えるでしょう。
そして今回は脚本にシソンヌのじろうを起用しています。
シソンヌは、2014年にキングオブコントで優勝を果たした実力派コント芸人です。
演技派のコントに定評があり、あり得ないシチュエーションをその演技力で実現させてしまうというスタイルが高く評価されています。
そんな監督×脚本コンビで制作されたからこそ『美人が婚活してみたら』という映画は、非常にコント風味を感じさせる作品になっていたんでしょうね。
- 黒川芽以:タカコ
- 臼田あさ美:ケイコ
- 中村倫也:園木
- 田中圭:矢田部
映画『二十六夜待ち』にて大胆な濡れ場を披露した黒川芽以さん。
今作では、30代になり婚活を始め、自分の本当にやりたいことは何なのかを模索する女性の機微を見事に表現しています。
そして『美人が婚活してみたら』の中でも見事な濡れ場を披露されています。
黒川さん自身も30代前半ということもあり、キャラクターにマッチしておりましたし、何と言っても官能的なエロスが漂っていますよね。
日本にも女優は数多くいますが、これほど艶めかしい濡れ場を演出できる女優は数少ないでしょう。
そして2017年公開の『南瓜とマヨネーズ』で同じく「こじらせ女子」を見事に演じた臼田あさ美さんも参加しています。
他にも、田中圭さんと中村倫也さんが出演しており、男性キャスト陣も役者のキャラクター性にぴったりでした。
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『美人が婚活してみたら』感想・解説
大九監督らしい映像表現が巧い
大九監督は『勝手にふるえてろ』や『でーれーガールズ』なんかでもそうでしたが、きちんと「画」を持っている映画監督だと思います。
今作『美人が婚活してみたら』の冒頭では、主人公のタカコが公園にやって来て、ベンチに座り、犬やハトに餌をあげるというシーンが描かれます。
このシーンはロングショットの長回しで撮られていて、彼女が講演に入って来て、ベンチに座り、ポップコーンを食べるところまでがワンカットです。
映画におけるファーストシーンの重要性は言うまでもありません。ここで失敗すると、観客を引き込むことに失敗し、その後挽回したとしても印象を覆せないことすらあります。
大九監督は、そんなファーストシーンに我々の日常の延長線にあるような「ありふれた風景」を映像をノーカットで用いることで、観客を引き込むことに成功しています。
さらに面白いのが、このシーンの「餌やり」の意味合いが後に分かってくるという点です。
『美人が婚活してみたら』予告編より引用 (C)2018 吉本興業
このシーンを見ただけでは、彼女が講演で犬とそして鳩に餌をあげている描写の意味は分かりません。
ただ彼女が婚活をする中で、どういう葛藤をし、どんな選択をしたのかが、この冒頭のワンシーンに実は集約されているんです。
- 犬=本当に好意を寄せ、本気で恋ができる男性
- 鳩=自分が美人だからいって群がってくる多くの男性たち
つまり、彼女は当初犬に餌をあげようとしていましたよね。
犬という生き物は、人間と信頼関係を気付くことが可能です。だからこそ彼女が放り投げたポップコーンは警戒され、口にされることはありませんでした。
そして彼女は持っていたポップコーンを公園に群がる鳩たちにばら撒きます。
すると彼らは何の警戒もすることなく集まって来て、餌を貪り、それが終わると去っていくのです。
つまり彼女は最初から「犬」を手に入れたかったんです。
しかし、本心を見失い「鳩」をおびき寄せることで、その中の1匹を「犬」に見立てようと暗示をかけてしまいます。
それこそが彼女にとっての婚活であり、恋愛プロセスをカットした結婚という発想でした。
冒頭の時点でこういうメタファー的な扱いになっていることは分からないのですが、後でじわじわとボディブローのように味わいが増していくファーストシーンでした。
また、やっぱり素晴らしかったのが終盤の海辺の道をタカコが飛行機と並走するシーンですよね。
『美人が婚活してみたら』予告編より引用 (C)2018 吉本興業
映画『勝手にふるえてろ』や『でーれーガールズ』でもそうでしたが、大九監督の映画って水辺のシーンが多いんですよね。
とりわけ水辺を走る(歩く)シーンが多用されるのは、極めて意図的と言えるでしょう。
そして今作『美人が婚活してみたら』でも、タカコが園木とホテルで別れた後に水辺を歩くシーンがありましたが、その時に着陸前の飛行機をフレームに捉えています。
このシーンは、彼女が恋愛をショートカットして結婚へと辿り着こうとするプロセスが自分の望んでいたものではなかったことを悟るシーンです。
つまり、自分は「飛行機=他の婚活で結婚に辿り着く女性たち」のようにはなれないと理解したシーンということです。
だからこそ飛行機は彼女を追い越していき、右から左へとフレームアウトし、残された彼女は泣きながら夜道を歩きます。
こんな具合に大九監督は、きちんと観客を引き込む「画」を持っていて、それを作品の中に散りばめているので魅力的なんですよ。
結婚=ゴールインなのか?
日本で芸能人が結婚した時の報道でしばしば「ゴールイン」という言葉が使われているのを目にします。
『美人が婚活してみたら』という作品は、30代の女性視点で描かれる婚活コメディみたいな部分はありますが、主題としては「結婚」について改めて考えてみるという側面が見受けられます。
本作で主人公となる2人の女性は、それぞれに立場が異なる人物です。
- タカコ:結婚するために婚活をしており、とりあえずは結婚する相手を見つけることがゴール。
- ケイコ:結婚しているが、夫婦関係は冷え切っており、姑との関係に悩んでいる。
この2つの視点が織り交ぜて、描かれるのが本作の面白さです。
ただこの映画は、婚活をする女性を否定しているわけでも、結婚して家庭に入り主婦として毎日懸命に汗水を流されている方を否定しているわけでもありません。
どちらの立場にあったとしても、自分が本当にやりたいことを忘れないことが大切だと伝えようとしています。
結婚を目的に考えるのではなく、結婚を「自分が愛する人と一緒にいるための手段」「自分が本当にやりたいことをするための手段」と考えてみませんか?という提案なんですよ。
そんなことを言っている余裕はないという考え方を持っている方ももちろんいらっしゃると思いますが、やはり結婚は「ゴール」ではなく、「プロセス」の1つでしかありません。
「ゴール」とは終着点であり、その先に何もありません。
しかし、結婚を経て、夫婦は2人の物語を始めていくことになるわけですよ。
作中でケイコが実母から「早く子供を産みなさいよ~。」とプレッシャーをかけられているシーンがありましたよね。
あれもすごくリアルですし、子供を産むことが結婚という「ゴール」に当たり前のように付属する「おまけ」だと考えられているからこそ日本に伝統的に存在する価値観の押しつけです。
そうではなく、結婚するという選択も、子供を産むという選択もあくまでも「プロセス」なのであって、その先に自分たちの望む未来があるからこそすべき選択です。
だからこそ『美人が婚活してみたら』という作品の中で2人が辿りつくゴールは印象的です。
タカコは自分が心の底から恋をしたかったんだと気がつきます。
そしてケイコもまた、結婚という「ゴール」のために諦めていた夢を再び追い求めることにしました。
「自分らしく」生きることと、結婚を「goal」としてではなく、「way」として捉えることの重要性を考えさせられる映画になっていたと思います。
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コントと映画の境界線
大九監督が元々お笑い芸人であり、コントを書いていたという経験が彼女の作風に大きな影響を与えていることは言うまでもありません。
そして今作では脚本にキングオブコントを勝ち取った経験のあるシソンヌのじろうが参加したことで、より一層コントチックな作風になっています。
そこでまず、考えてみたいのがコントというものの性質についてです。
ベルクソンは喜劇の中に仕掛けられた「笑い」のメカニズムについて以下の3つの重要性を指摘しています。
- 繰り返し
- 反転
- 交錯
確かに日本のお笑いを見ていても、そしてコントを見ていてもこの3つのテクニックが使われていることは多いですよね。
「繰り返し」はお笑い用語に置き換えると「かぶせ」というテクニックのことになると思います。これは多くの芸人が基本事項として把握し、活用していますよね。
他にも「反転」なんかもコントや漫才で多く使われています。パンクブーブーの漫才コントなんかはこの「反転」の技法が生きてますよね。
そしたらそいつがよ、『なんだてめえは、何か文句でもあんのか?コラァ!」 / みたいな目をしてきたわけよ!
そしたら俺も『上等だ!オラ!』 / って気分だったね!
彼らの漫才コントの一節を切り取りましたが、これは観客にしっかりとい状況をイメージさせつつ、それをひっくり返すことで「笑い」を生み出しています。
そして「交錯」はアンジャッシュのすれ違いコントを思い出していただけると、分かりやすいかと思います。登場人物が重大な勘違いをしたまま進行していくことは「笑い」を生み出します。
コント(喜劇)の展開のさせ方の3つの要素をお話してきましたが、『美人が婚活してみたら』という作品は実はこの3つの手法をうまく組み合わせて笑いを取りつつ映画を展開させています。
例えば、「繰り返し」は中村倫也演じる園木の繰り返される足の不気味なステップであったり、冒頭にタカコが男性と会うたびにキテレツな男性ばかりがやって来るという部分に見られます。
「反転」は、メインキャラクターの2人の考え方や価値観の変化を作品のメインプロットとしている点もそうですが、笑いという側面で見ると、例えばタカコが急に職場でキラキラとし始めたシーンはそうでしょう。
「交錯」は、冒頭のタカコが「サクラ」に間違えられるというひと笑いもそうでした。
他にも本作が結婚をしている側から見た、未婚者というステレオタイプへの勘違いとその逆を両者の視点から描いている点も挙げられるでしょうか。
このように「笑い」を取るために重要な構成要素が、コメディ描写としても、プロットそのものの部分でも多分に反映されているのが『美人が婚活してみたら』という作品なのです。
さらに踏み込んでいくと、コントと映画では「間」の使い方が違います。
映画において、「間」というのはある種、余韻をもたらす時間であり、非常に重要な意味合いを持っています。だからこそここにたっぷりを時間を使うことが映画の完成度を向上させる場合もあるのです。
一方で、コントにおいても「間」は重要ではあるのですが、こちらの場合「間」というのは次の山場(笑い)への繋ぎになっている必要があり、あまり長い時間を取ることができません。
だからこそ、いかにして短い時間で「間」を消化し、次の笑いに繋げていくのかが非常に重要になってきます。
それが本作にも表れていて、この映画って基本的に「山場」の繋ぎ繋ぎによって構築されています。
つまり、見せ場を約90分という短い上映時間の中でいかに多く作れるかというまさにコントを製作するような姿勢で作られているのです。
よく言えば、「間」がないためテンポ感が良いとなるわけですが、それにしても「間」がないと余韻が生まれません。
映画とはあくまでも「線」を見せるものであり、コントは「点」を見せるものであるという全く違った特性を有しています。
例えば、終盤のタカコが園木とホテルに行ったシーンですよね。
その中で園木がシャワーを浴びに行った彼女を待っているという場面がありましたよね。
この時、多くの映画監督はシャワーを浴びているタカコの葛藤にスポットを当てるでしょう。
しかし、じろうさんの脚本では、部屋で待っている園木にスポットが当たり、彼がベッドメイキングをしたり、パンツを脱いでみたりというコミカル描写を挿入しています。
『美人が婚活してみたら』予告編より引用 (C)2018 吉本興業
タカコのコンフリクトを描くという観点で見ると、この描写は「線」を断線しており、致命的です。ただ「点」で見ると、笑いを取ることに成功しています。
つまり、コント畑の芸人が脚本を担当したことで、映画であるにもかかわらず「点」を重視するコントチックな映画になってしまったということなのでしょう。
もちろんコントチックに映画を撮ることのメリットは大いにあると思います。
ただこの映画は見せ場や笑いという「点」ばかりを意識した脚本になっていて、物語という1つの「線」で見た時に、断線が多すぎて深みに欠けます。
タカコとケイコの掘り下げもかなり甘くなっていました。
- 90分弱という短い上映時間。
- シソンヌのコントを彷彿させる「美人が婚活をする」というイメージ的にはあり得ない設定を盛り込んだ点。
- コントの展開の基本事項を盛り込み笑いを取る。
- 吉本興業製作
確かに今作は映画ではあるんですが、長尺のコントだったという見立てもできると思います。
おわりに
いかがだったでしょうか?
今回は映画『美人が婚活してみたら』についてお話してきました。
キャスト陣の魅力が爆発しており、さらには大九監督の良さも存分に発揮されていたと言えるでしょう。
ただお笑いコント色が強い作りになっていて、その点で映画ファンの中では賛否が分かれる内容であったことも事実かと思われます。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。
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