(C)柏葉幸子・講談社/2019「バースデー・ワンダーランド」製作委員会
目次
はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『バースデーワンダーランド』についてお話していこうと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
『バースデーワンダーランド』
あらすじ
ある日、アカネは学校で友人が仲間外れにされているのを見て見ぬふりして傷つけてしまう。
そんな自分への罪悪感でいっぱいになった彼女は、誕生日の前日に学校を仮病で休む。
すると、アカネの母は彼女に、友人で雑貨屋を営んでいるチィの家を訪れて、予約しておいた誕生日プレゼントを受け取ってきてほしいとお使いを頼む。
気乗りしないながら、渋々チィの家へとやって来たが、彼女は誕生日プレゼントの準備なんて聞いてないと告げる。
チィの店を散策していたアカネは偶然手形のような石の置物を見つけ、直感的に自分の手をはめ込む。
手はその手形にぴったりとハマり、しかも手が抜けなくなってしまう。
すると、ミドリの店の地下室から突然ヒポクラテスと名乗る錬金術師が現れ、「アカネ=ワンダーランドの救世主」なのだと告げる。
半ば強引に連れていかれる形でチィと共に地下室へと降りていくと、そこには美しい異世界が広がっていたのだった。
そしてヒポクラテスは、アカネに色が失われつつあるこの世界に色を取り戻す手伝いをしてほしいと告げるのでした。
スタッフ・キャスト
- 監督:原恵一
- 原作:柏葉幸子
- 脚本:丸尾みほ
- 作画監督:浦上貴之 他
- 演出:長友孝和
- 色彩設計:楠本麻耶
- 美術監督:中村隆
- CG監督:遠藤工
- 撮影監督:田中宏侍
- 編集:西山茂
- 音楽:富貴晴美
- テーマソング:milet
原作は柏葉幸子さんの名作児童文学「地下室からのふしぎな旅」となっています。
そして監督を務めるのが、『クレヨンしんちゃん オトナ帝国の逆襲』や『河童のクゥと夏休み』などの意欲的な劇場版アニメ作品の数々を世に送り出してきた原恵一さんです。
日本だけでなく世界的にも高く評価されている日本のアニメクリエイターの1人である彼の新作ということで、非常に注目が集まる1作となっていますね。
脚本を担当した丸尾みほさんは『百日紅 Miss HOKUSAI』や『カラフル』などの原監督作品でも脚本を担当しており、彼の作品には欠かせない存在の1人とも言えるでしょう。
彼女の脚本は、基本的に淡々とした語り口と構成で物語を進行していくスタイルだと思っていて、その中にエモさを爆発させる瞬間を点で配置することで、その一瞬の観客の感情の高ぶりを引き出してくれるような印象ですね。
今作『バースデーワンダーランド』なんかでは、その特長がダイレクトに反映されていたと思います。
他にも当ブログ管理人がプロットをダメダメと酷評しつつも作画や風景描写が素晴らしいと評した東映の『ポッピンQ』で作画監督を務めていた浦上貴之さんが今作でも作画監督として参加しています。
その他にも実力のあるスタッフたちが集結していますね。
最後に音楽ですが、miletさんの『wonderland』という楽曲が今作の主題歌にもなっています。
- 松岡茉優:アカネ
- 杏:チィ
- 麻生久美子:ミドリ
- 東山奈央:ピポ
- 藤原啓治:ザン・グ
- 市村正親:ヒポクラテス
まず、主人公のアカネを演じたのが松岡茉優さんです。
ただ声優としての経験はまだあまりなくて、メイン級扱いで作品に参加するのは、今作が初めてではないでしょうか?
他にも彼女と一緒に旅に出るチィを杏さんが演じていますね。
杏さんは原監督の映画『百日紅 Miss HOKUSAI』にて主演を務められていて、すごく実写の映画ベースのボイスアクトができる方だと思っております。
またミドリ役を演じられた麻生久美子さんも原監督作品に何度か出演していて、こちらも同様に実写映画ベースの声の演技が作品のエッセンスになっていました。
一方でワンダーランドの住人であるヒポクラテスやピポを演じていたのが、それぞれ市村正親さんと東山奈央さんとなっています。
前者は舞台で主に活躍されている俳優ですが、アニメへの出演経験も豊富でどちらかと言うと本職の声優よりの演技ができる人物です。
また、東山奈央さんは日本のアニメ作品において、王道の「アニメ声」を魅力として活躍されてきた声優でもあります。
このように、今作のキャスティングは、とりわけメインキャストに関しては、現実世界とワンダーランドできちんとボイスアクトの区分けをできるように行われています。
現実世界の住人には、松岡茉優さんをはじめとした実写ベースのボイスアクトを、ワンダーランドの住人には、いわゆる日本のアニメチックなボイスアクトを求めていますよね。
この2つの方向性の違う声の演技が融合することによって、不思議な化学反応を生み出し、作品を豊かなものにしていることは間違いないでしょう。
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『バースデーワンダーランド』感想・解説
見下ろす構図を意識したファーストカット
映像作品において、ファーストカットは観客にとって「作品の第一印象」になるわけですから、当然こだわりを見せなければなりません。
そんな中で、今回『バースデーワンダーランド』のファーストカットに用いられたのが、アカネが窓から家の庭を見下ろしているシーンでした。
実は、このシーンって極めて意図的に最初のシーンに使われています。
主人公のアカネはその出で立ちからして小学生といっても高学年でしょう。
つまりまだまだ子供ではあるわけですが、自分のこれまで過ごしてきた小学校という世界の中では年長者にあたる存在なんですよ。
劇中で彼女が、チィの恋愛観をネタにし、自分は男子を好きになることなんてないと発言しているシーンがありますが、これは彼女が自分の小さな世界だけを見て、世界を知ったかのように達観している様子が浮き彫りになる会話でもありました。
だからこそ今作のファーストカットは、部屋の窓から自分が知り尽くしている日常の風景を「見下ろす」構図でアカネを映し出したんです。
そして、対照的にワンダーランドを訪れたアカネには「見上げる」構図のシーンが多くなります。
ワンダーランドを訪れた後のシーンでアカネが世界の広さや美しさに気がついていく様子を強調するために、あえて作品の最初のシーンでそれと反対の意味を持つカットを取り入れているんですね。
躍動的でリアルな動きが光るアニメーション
アニメーションを製作するにあたって動きの表現ってすごく難しいんですよ。
画を動かすという都合上、アニメメディアはどちらかと言うと画に「軽さ」を出せてしまうんですね。
ただ、それがアニメーションの1つの大きな武器にもなっていて、実写では作り出せないようなスピード感とリズム感を映像の中に生み出すことが可能です。
その一方で、生身の人間らしい動きの妙をアニメの中に宿すとなると、すごく難しかったりします。
単純にリアル志向のキャラクターデザインをすれば良いという次元の話ではなく、キャラクターの身のこなし方、筋肉の使い方、重力の可視化などなどこだわる必要がある要素が山ほどあります。
これにすごくこだわったアニメーションの例として当ブログ管理人が挙げたいのが『天体のメソッド』という作品のED映像です。
見れるチャンスがある方には、ぜひともこのED映像は見ておいてほしいんですが、とにかくキャラクターへの重力負荷の可視化と歩いている時の筋肉の動き、上半身の使い方など徹底的にリアルベースで研究され、描写されています。
これはED映像という短い尺なので、ここまで徹底的にこだわれたという側面はあると思いますが、それにしても『バースデーワンダーランド』のキャラクターたちの「動き」のアニメーションは素晴らしいと思います。
キャラクターにきちんと「重力」があり、それでいてアニメーション特有のスピード感や躍動感も失われていません。
冒頭のアカネが自転車に乗っている時の、足の筋肉の使い方や、それに伴う上半身の揺れ方なども徹底的にこだわって描かれていました。
また、ワンダーランドの世界の中で、終盤に登場した馬のシーンも印象的です。
アニメーションの特長を生かしつつも、「重み」のあるキャラクターモーションを心掛けたことで、リアルとファンタジーが絶妙に融合した世界観を実現できていたと思います。
ワンダーランドは現実をあべこべに映す鏡
本作の公開前にこの映画のジェンダー描写に問題があるのではないかという主張がTwitter上で見られましたが、その指摘はちょっと違うのでは?と思ったので、書いておきます。
というのもあくまでもこの映画におけるワンダーランドって我々が生きている世界の「映し鏡」のように描かれています。
それは、ワンダーランドが産業革命を境に我々の世界とは分離していったという側面を持っていることや、アカネが作中で自分の飼い猫から普段の行いを裁判にかけられるというシーンからも明らかです。
つまり、アカネがいる世界とあべこべの世界観を持っているのがワンダーランドなのであり、それ故に普段ぞんざいに扱っている飼い猫からしっぺ返しを食らうなんてことになるんですね。
そう考えると、チィがヒポクラテスから年齢を嘲笑されるような言葉を投げかけられたり、失礼な扱いを受けているシーンも現実をあべこべに映し出した鏡になっているという想像は容易につくはずです。
そして『バースデーワンダーランド』はきちんとそれが理解できる描写を作品の最後に施しています。
現実の世界へと戻ったチィは、部屋にいたお客様の男性をぞんざいに扱い、眠くなれるような曲でも弾いておいてとだけ告げて自分は寝室へと向かってしまいます。
物語の中盤にアカネがチィの恋愛観について話しているシーンで、彼女が自由すぎて振られたんだと明かされていましたが、こういう普段の行いが作品の最後の最後できちんと明らかになっているんですね。
だからこそ、この映画を通して見ると、チィの男性に対する普段の無神経な言動が、ヒポクラテスというワンダーランドの住人からそっくりそのままお返しされているということが理解できます。
ただ、こういうシーンを見て、自分はこういう風にならないようにと観客が思えるのであれば、それで良いと思いますし、自分が他人にしたことは必ず自分に帰って来るんだというイメージを掴んでもらえる描写にもなっていたと思います。
その点で、こういったジェンダー的にどうなのかという言動も児童文学における教訓的に作用していると言えるでしょう。
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一瞬の感動に寄与する淡々とした物語
(C)柏葉幸子・講談社/2019「バースデー・ワンダーランド」製作委員会
今回の『バースデーワンダーランド』の脚本を担当した丸尾みほさんの構成やプロットラインって基本的に淡々と物語を進行させていく印象が強いです。
ですので、映像面でその淡々とした物語をどれだけ生き生きと見せられるのかが1つ重要なポイントにはなってくるのですが、この映画はそれをクリアしています。
今作のワンダーランドの世界はすごく魅力的と言いますか、見たことはないし、言ったことなんてあるはずもないのに、どこか不思議なノスタルジーを感じさせてくれる風景です。
それ故に子供が見ると、純粋にわくわくできる世界観であり、一方で大人が見ても、思わず童心に帰ってキラキラとしたまなざしで見つめてしまうような魅力があります。
このワンダーランドの世界の魅力が物語のある種の淡白さを感じさせない様に作用していて、かつ丸尾みほさんらしいエモーショナルを爆発させる瞬間が作品の中に効果的に配置されています。
当ブログ管理人が、劇場で涙が止まらなくなったのは、やはり以下の2つのシーンです。
- チィとアカネが夜の砂漠で星空を眺めるシーン
- 王子が雫斬りを行うシーン
まず、砂漠で星空を眺めるシーンはまあ王道と言えば王道なんですが、あのシーンってアカネが「世界の広がり」を感じた最初のシーンでもあったと思うんです。
この世界には、自分の知らない美しいものがまだまだたくさんあるんだと教えてくれているとも言えます。
こういう瞬間って誰しもが子供の頃に経験すると思っていて、ただ大人になるにつれて、人は世界を理解した気になってどんどんと忘れてしまうんですよ。
今作にチィという大人のキャラクターが登場することは非常に大切だと思っていて、彼女はこの映画を見ている大人たちに「世界はまだまだ広い」ということを感じさせてくれる役割も果たしています。
また、miletさんの楽曲「wonderland」をバックに行われる雫斬りのシーンは本当に、これまでせき止められていた感情を一気に爆発させてくれるような演出に仕上がっていますよね。
映像的にもそうなのですが、ここに勇気を出せず1歩を踏み出すことができなかった者たちの物語のカタルシスが同時に押し寄せるので、とんでもなくエモーショナルな一瞬でした。
当ブログ管理人の涙腺もここでぶっ壊れてしまいました。
見て見ぬ振りが世界を壊していく
今作『バースデーワンダーランド』の大きなテーマは、「見て見ぬ振りをしない勇気」だったと思います。
このテーマを、まずアカネが自分の友人が仲間外れにされているのを見て見ぬ振りしてしまうというシチュエーションをベースにして展開していきます。
そして、ワンダーランドの世界では、水が不足し、世界から色が失われていくという非常に大きな問題が起こっています。
これは今、我々の世界で地球規模で起きている環境問題の投影でもあるでしょう。
このように『バースデーワンダーランド』という作品は、現実世界に小学生が身近に感じられる問題を、ファンタジー世界に小学生には想像もつかないような大きな問題を配置してこれをリンクさせて描こうとしています。
この小さい問題と大きな問題をリンクさせて、どちらに向き合う際にも大切なのは「見て見ぬ振りをしない勇気」なのだというメッセージをこの作品は打ち出そうとしています。
その勇気がなかったアカネはワンダーランドの世界でも、誰かが困っている状況で見て見ぬ振りをしてやり過ごそうとしたりと、その1歩が踏み出せないでいます。
しかし、最後には自分と同じように不安や恐怖から目を背けようとしていた王子に出会い、彼と共に勇気を出して1歩を踏み出します。
そしてワンダーランドの世界は色を取り戻していき、救われるのです。
それでいてエンドロールではアカネが学校に戻り、仲間外れにされていた友人に手を差し伸べる姿が映し出されます。
困っている友人にそっと手を差し伸べるという少しの勇気が小学校という小さな世界を変えていくように、見て見ぬ振りをせずに「前のめり」になる勇気が、いずれこの広い世界の大きな問題を解決することにもつながっていくんだという非常にスマートな結論でした。
このようにテーマ性を一貫させつつも、子供に身近な小問題の解決と世界の大問題の解決がリンクしているという構成は、非常に児童文学らしくもあり、物語としても見事でした。
無個性な主人公アカネの意義
本作の主人公アカネのキャラクターや行動について、個性がない、意図がない、意志が見えないといった指摘が散見されます。
確かに、『バースデーワンダーランド』の物語において、彼女は周りに言われるがままに行動しているような少女です。
しかし、重要なのは、彼女が無個性な主人公から小さな一歩を踏み出せるようになるまでのプロセスをこの作品は描いているのだという点です。
彼女は、冒頭、学校のけ者にされる友人のために行動することもできず、また彼女がチィの家に行くきっかけを作ったのも母親で、さらにはワンダーランドに行くことになったのもヒポクラテスの言われるがままです。
それ故に、物語前半の彼女には明確な意思がなく、無個性で魅力がないと言われても仕方がないでしょう。
ただ、それに対して後半では、自らの意思で王子の雫斬りを支える決断をし、エンドロールの一幕では自分の意思で友人の輪を取り持とうとしていました。
主人公アカネは、まだ小学生です。明確な意思を持って行動するといっても、まだまだこれからですよ。
そんな彼女が、何が何だかわからないままで目の前にある自分のできそうなことをやってみようと思えたならば、それは間違いなく大きな成長です。
アカネが無個性で、無意志に感じてしまうことにも本作の物語の意図があるはずなのです。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『バースデーワンダーランド』についてお話してきました。
というか昨年公開された同じく児童文学原作の『若おかみは小学生』の主人公おっこ(小学6年生)と比べると、本作の主人公アカネは小学生感皆無ですよね(笑)
同じ児童文学で小学生のキャラクターでもこうも差が…。おっこちゃんは小学6年生じゃなかったですっけ? pic.twitter.com/w17qOm0s0s
— ナガ@映画垢🐇 (@club_typhoon) 2019年4月26日
ただ、松岡茉優さんのボイスアクトは素晴らしかったと思いますし、そこは流石だと思いました。
何はともあれ、『アベンジャーズ4 エンドゲーム』の公開ですっかり影が薄いので、ぜひぜひ皆様劇場でご覧ください!!
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。
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