【ネタバレあり】Netflix『リラックマとカオルさん』感想・解説:3歩歩いて2歩下がる生き方

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はじめに

みなさんこんにちは。ナガと申します。

今回はですねNetflixアニメの『リラックマとカオルさん』についてお話していこうと思います。

本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となります。

作品を未鑑賞の方はお気をつけください。

良かったら最後までお付き合いください。

 

作品情報

まず、本作『リラックマとカオルさん』の監督を務めたのが小林雅仁さんですね。

今作はNetflix配給で、しかもこま撮りアニメで4Kカメラ撮影だったということで非常に挑戦的な作品であったことを明かしています。

そして、何よりも注目なのが、今作の脚本を担当した荻上直子さんですよね。

彼女はいわゆる「スローライフ系」と呼ばれるジャンルの映画やドラマで親しまれている映画クリエイターです。

ナガ
代表作としては以下のような作品が挙げられるでしょう!
  • 『かもめ食堂』
  • 『めがね』
  • 『レンタネコ』
  • 『彼らが本気で編むときは、』

当ブログ管理人としては、『めがね』『彼らが本気で編むときは、』がおすすめです。

とりわけ『かもめ食堂』『めがね』が荻上さんらしい作風になっていて、『レンタネコ』はおそらく今回の『リラックマとカオルさん』にも大きな影響を与えた作品です。

『彼らが本気で編むときは、』は彼女がとある性的マイノリティの息子とその母について記された新聞記事を読んだことがきっかけとなって製作された作品で、それまでの作品とは少し毛色の違う内容になっております。

そして今作『リラックマとカオルさん』は、「スローライフ系」と呼ばれる荻上さんの真骨頂が反映されつつも、『レンタネコ』的な作品構造や近年の社会派な作風も盛り込まれています。

ナガ
ぜひぜひNetflixにてご覧ください!!

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『リラックマとカオルさん』感想・解説

ストップモーションだからこその「不完全さ」

今作『リラックマとカオルさん』は、ストップモーションアニメーションで製作されています。

これまで日本でも、そして海外でもこの手法で製作された作品が多数存在していますが、個人的に印象的なのは、やはりウェスアンダーソン監督『犬ヶ島』でしょうか。

劇中に登場する900以上のキャラクターのパペットを1から作成し、その細部のパーツに至るまでこだわって製作したというとんでもない作品になっています。

アニメーション監督のマーク・ウェアリングは作品について以下のように述べています。

本作のアニメーション監督であるマーク・ウェアリングも「ウェスは手作り感を残すことに非常にこだわった。観客にクラフト技術を見てもらいたいのだと思う。彼はアニメーションのポンという音やひび割れの感覚が好きだ。動物たちの毛が毛羽立つ様や衣装の動きを見せたかったんだと思う。」とウェスとの撮影を振り返っています。

cinefil『犬ヶ島』ウェス・アンダーソンのこだわりが詰まった、驚愕のパペット制作過程が明らかにー前代未聞の、その数900以上のパペット作り!より)

私も個人的にストップモーションの魅力は「手作り感」が生み出す「不完全さ」にあると思っています。

通常のアニメーションであれば、どんどんと技術が進歩してきたことで非常に滑らかな登場人物の動きを実現することができます。

しかし、ストップモーションには、動きや表現の制約があり、それでいて移動や動作、演出にしてもかなりの点で「ハンドメイド感」からくる「不完全さ」を露呈することとなります。

ただこれが作品に良い味を出していて、それについて本作の小林雅仁監督も以下のように述べていました。

僕は、ストップモーションアニメというのは、全て表現しきれないところに見る人の感情や想像の入り込む余地があると感じています。今作でも、基本は2コマ打ちの1秒12コマですが、表現しすぎず人に優しくない分、没入できるところが見る人の想像力を膨らませる表現方法だと思います。

ねとらぼ「その映像は、どこで止めても美しい――小林雅仁監督に聞く「リラックマとカオルさん」の実在性と普遍性」より)

例えば登場人物の表情1つとっても、実写の映像や一般的なアニメーションの方がより繊細で、緻密な感情を表現することが可能です。

一方で、ストップモーションだと動きにぎこちなさがあり、繊細な表現はできない一方で、おもちゃ箱を覗いているかのような不思議な感覚があり、その「ぎこちなさ」故に親しみやすさがあります。

だからこそ世界観やそこに息づくキャラクターたちが身近に感じられる上に、自分の感情を投影しやすいという特性があります。

今作『リラックマとカオルさん』は、完璧じゃなくてもあるがままの何気ない日常に楽しみを見出しながら生きていこうというテーマ性を表現した作品になっています。

その点で、その「不完全さ」が作品のテーマ性にも非常に親和性が高いように感じられました。

 

荻上直子脚本の視点

まず、本作の基本的な設定が『レンタネコ』に似ているのは間違いないです。

第12話の「出会い」を見ると、その構造が理解できますよね。

結婚ができない、しがないOLの主人公であるカオルさんが、「猫が欲しい!」という願望を抱いた結果、部屋で飼っていた「黄色い鳥」が檻を飛び出して動き出し、リラックマやコリラックマまで現れたという大筋でした。

そんな人生にぽっかりとあいた穴を優しく埋めてくれるのが、『レンタネコ』では猫たちでしたし、『リラックマとカオルさん』では、リラックマたちでした。

その一方で、本作には数々の社会的な問題が内包されています。

『彼らが本気で編むときは、』を製作する際に荻上さんはこんなことを述べておられました。

いつまでも癒し系、と呼ばれたくありませんしね。いい加減、次のヒット作を早く生まないと、一生言われそうなので。世の中が移り変わっていくのに、自分のイメージが変わらないのはどうだろう。『かもめ食堂』のような作品を楽しみにしている方がいるといっても、監督としてはどんどん新しいものに挑戦していきたいと思っています。

オリコン「荻上直子監督、5年ぶり新作での挑戦「もう“癒し系”と呼ばれたくない」」より引用)

彼女は『彼らが本気で編むときは、』という作品を、自身の映画人生の第2章の幕開けとも位置付けていたわけですが、今回の『リラックマとカオルさん』は、まさに第2章の彼女らしい作品です。

例えば、本作に登場するトキオくんという男の子は、両親が離婚しており、母親が仕事でなかなか家にいないという状態で、毎日寂しい想いをしているようでした。他にも橋の下では、ホームレスの男性が釣りをしながら暮らしていました。

荻上さんらしいスローライフ系作品かと思いきや、作品の端々に近年の社会問題を彷彿させるような主題が織り込まれています。

そして主人公のカオルさんの描き方は、女性クリエイターらしいものになっていると思いました。

これについても彼女が『彼らが本気で編むときは、』を製作した際に述べていたことが反映されているように感じました。

実際にセクシュアル・マイノリティの存在を許せない人は、アメリカにも日本にも確実にいます。宗教的問題として許せない、あるいは生理的に不快という人もいるでしょう。でも、そうした人たちも、一方で子どもを愛し、家族を大切に考えているのです。マイノリティだけしか登場しない作品だとファンタジーになってしまいます。私はマイノリティを排除する人間も普通の人間であることを描きたかったのです。

オリコン「荻上直子監督、5年ぶり新作での挑戦「もう“癒し系”と呼ばれたくない」」より引用)

ここが、私もすごく頷けたところなんですが、マイノリティを題材にした作品って、近年ハリウッド映画でもどんどんと増えてきています。

しかし、そういった作品を描くにあたってマイノリティを描くことに留意するがあまり、彼らをマイノリティであると自覚させる存在を描くことを忘れがちになってしまうんですよ。

その点で、荻上監督『彼らが本気で編むときは、』という作品は非常にリアルでした。

マイノリティを拒絶する人、嫌悪する人を描き出したことで、マイノリティの人たちの置かれている状況が明らかになり、物語に説得力が生まれました。

今回の『リラックマとカオルさん』は、カオルさんという様々なコンプレックスを抱える女性の置かれる状況をより浮き彫りにするために、職場の同僚や彼女の友人の描き方に留意が成されています。

同僚は彼女を合コンに呼ぶなんてありえない、真面目過ぎると揶揄し、友人は結婚できないカオルさんを暗に下に見ているようですらありました。

本作はスローライフ系の色合いも残しつつも、カオルさんを取り巻く状況を時に残酷にかつリアルに描写することで、彼女の悩みや苦悩を精緻に描くことに成功しているのです。

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リラックマという存在

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リラックマというキャラクターは、やはり基本的には可愛い印象が強く子どもに親しまれることを意図した印象を受けるのは事実です。

しかし、その一方でリラックマはこれまで「大人向け」のキャラクターとしてもブランディングされてきたキャラクターでもあります。

とりわけ大人の働く女性のための「癒し」をメインコンセプトとして据えた商品展開は多く成されてきた印象です。

だからこそ今回の『リラックマとカオルさん』という作品は、リラックマというキャラクターの方向性を決める上でも重要な作品だったと思います。

加えて、リラックマというキャラクターがこれまで子供たちだけでなく、大人に向けても展開されてきたことが今作に生きているとも言うことができるでしょうか。

今作におけるリラックマという存在を考えるときに、一体彼らが実在しているように感じられる人たちはどれくらいいるのかという疑問がありますよね。

リラックマやコリラックマを「秘密の友達」的な扱いをするのであれば、カオルさんだけに見えるという設定にすれば良いのでしょうが、そうはなっていませんでしたよね。

確かに第12話の「出会い」で明かされたように、カオルさんがストレスを感じ、猫を飼いたいと願うようになったことが1つの契機として彼女の家に住み着くようになりました。

ただ、彼女の家の近所に住むトキオくんにも見えていましたし、何より第10話の「ハワイ」でもわかる通りで、日本中ないし全世界中の人々にもその姿が目視されることが確認できています。

では、『リラックマとカオルさん』という作品においてリラックマという存在は一体どんな意味を持っているのでしょうか。

そう考えた時に、リラックマという存在は荻上監督が手がけた『レンタネコ』の猫と同様に、誰もが心の中に孕んでいる「穴」を優しく埋めてくれる存在だと思うんです。

カオルさんが日々の生活の中で感じていた苦悩の果てにリラックマに出会ったように、トキオくんがリラックマに引き寄せられたのも親と一緒に過ごす時間が取れない寂しさからでした。

川沿いで釣りをしているホームレスのおじさんだって心の中にぽっかりとあいた穴をリラックマたちが埋めてくれているようにも感じていたのでしょう。

そして、第10話の「ハワイ」でも分かるように、日本にもそして世界中にも何らかの心の「穴」を抱えて生きている人がたくさんいて、そういう人たちがリラックマを見て、その瞬間だけでもその「穴」の存在を忘れられるんですよ。

今作のコンセプトとして「がんばる、を忘れる10分間」というものが据えられていますが、これもやっぱり日々の生活の中でぽっかりと空いた心の「穴」を埋めてくれる存在としてのリラックマを強調しています。

自由気ままで生きるリラックマという存在は、みんながこういう生き方を出来ていたならそれほど必要とされることも、人気になることもないでしょう。

しかし、現代を生きる我々はどこか毎日の生活に「モヤモヤ」を抱えていて、だからこそリラックマという存在に惹かれるカオルさんを初めとするキャラクターたちに共感できるのです。

そして『リラックマとカオルさん』という作品がこれほどまでに話題になるのもまた、多くの人が「モヤモヤ」を抱えて生きている証なのかもしれません。

 

三歩歩いて二歩下がる生き方

くるりの岸田繫さんが書き下ろした『SAMPO』という楽曲の歌詞にこんな一節があります。

3歩歩いて2歩下がる

明日になれば たぶん

分かるんじゃないかな

(くるり『SAMPO』より引用)

この歌詞が示している通りで、今作が描こうとしているのは、まさに「3歩歩いて2歩下がる」生き方なんだと思いました。

劇中でカオルさんは幾度となくネガティブな経験をしますよね。

例えば、第3話の雨の日が続く憂鬱な気分であったり、職場で真面目過ぎると揶揄されたりという状況も彼女にとってはネガティブな経験です。

他にも第7話の「ダイエット」で描かれたように、恋に落ちたことがきっかけで大量の買い物をしてしまい、とんでもない額の請求が来てしまったこともありました。

こういったネガティブな経験がシリーズのいたるところで描かれながらも、そういった失敗をケセラセラと笑い飛ばしながら、ポジティブに切り替えて前に進んでいこうとするカオルさんの姿が描かれているのです。

そしてそれこそがリラックマという存在が彼女と共にいてくれることの強みであり、私たちがこの作品を見る意義にも繋がっていきます。

私たちはきっと誰しもが「2歩下がること」をネガティブに捉えて生きているんだと思います。

しかし、この作品が教えてくれるように「2歩下がることは3歩進む」ために必要なことなんですよ。

誰だって間違いは犯すし、毎日の中で苦しいことや悲しいことを抱えながら生きていかなければなりません。

それでもそれが自分にとって必要なことだと、自分が「3歩」進むために必要なことなんだと思えたならば、少し気持ちが軽くなるような気がします。

子どもは間違いを犯しても、失敗をしても「成長過程」だからということで見逃されることが多いです。

ただ大人になると、特に仕事を始めるとそういった間違いやミスはどんどんと許されない方向へと向かっていきますし、だからこそそれをネガティブに考えてしまう傾向は強くなります。

今作『リラックマとカオルさん』がどちらかというと大人向けのコンテンツであるという側面を鑑みても、今作は子どもの頃誰しもが当たり前にしていた「3歩歩いて2歩下がる」という生き方を大人にも思い出してほしいという願いが込められているように感じられました。

この作品自体に人に大きな影響を与えるような力はないと思います。

それでも、『リラックマとカオルさん』を見てあなたが少しでも前向きになれたなら、そこに本作の作られた意義は間違いなくあります。

 

おわりに

いかがだったでしょうか。

今回は『リラックマとカオルさん』についてお話してきました。

荻上さんが脚本を書いたということで、当ブログ管理人も鑑賞したのですが、彼女のスローライフ系の作風はそのままに、現代的なテーマや、「モヤモヤ」を抱えながら生きる現代人へのメッセージ性も内包された素晴らしい作品になっていました。

きっとこの作品が大きな話題になるということ自体が、日本でも多くの人が何か心にぽっかりと空いた「穴」を抱えながら生きているということを意味しているんだと思います。

それを少しだけ忘れさせてくれるのが、この作品であり、リラックマという存在でもあるんですね。

「リラックマかわいい!」だけでははない、深いメッセージ性が根底に据えられた『リラックマとカオルさん』という作品をぜひぜひご覧になってみてください。

今回も読んでくださった方、ありがとうございました。

 

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