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目次
はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『名探偵ピカチュウ』についてお話していこうと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
『名探偵ピカチュウ』
あらすじ
子どもの頃にポケモンが大好きだった青年ティムは、父親との別離をきっかけにポケモンを遠ざけるようになった。
父親と別れ、祖母と共に暮らしていたが、彼があまりにもポケモンを拒否するため友人にも心配されていた。
そんなある日、父の同僚だったヨシダ警部から、父ハリーが事故で亡くなったとの知らせが入る。
父の遺品整理をするために、父の自宅のあったライムシティに向かティム。
ライムシティは、ポケモンと人間が共に生きる街であり、そこにはポケモンバトルもモンスターボールも存在しなかった。
父の自宅を訪れた彼は、そこで人間の言葉を話すピカチュウと出会う。
何とその不思議なピカチュウは、父ハリーのパートナーだったのだ。
共に事故に巻き込まれていたピカチュウは、ハリーが生きていると確信しており、ティムに捜査に協力するよう申し出る。
1人と1匹によるハリー捜索劇がこうして幕を開けるのだが、そこには巨大な陰謀が渦巻いていたのだった・・・。
スタッフ・キャスト
- 監督:ロブ・レターマン
- 脚本:ダン・ヘルナンデス&ベンジー・サミット&ロブ・レターマン&デレク・コノリー
- 撮影:ジョン・マシソン
- 美術:ナイジェル・フェルプス
- 衣装:スージー・ハーマン
- 編集:マーク・サンガー&ジェームズ・トーマス
- 音楽:ヘンリー・ジャックマン
まず、今回の映画『名探偵ピカチュウ』の監督・脚本を務めたのがロブ・レターマンです。
彼は、『グースバンプス モンスターと秘密の書』や『モンスターVSエイリアン』といった人間とモンスターの活躍や交流を描いた作品を多く手掛けてきたクリエイターで、今作の監督にも適役と言える人選でした。
また共同脚本を担当したスタッフには、『ジュラシックワールド 炎の王国』や『キングコング 骸骨島の巨神』でも脚本を担当していたデレク・コノリーも参加しています。
撮影を担当したのは、アメコミ映画や『PAN ネバーランド、夢のはじまり』のようなファンタジー映画にも携わってきたジョン・マシソンで、異質な存在を現実世界に実存させるという点では、非常に長けた人物だと思います。
- ジャスティス・スミス:ティム
- キャスリン・ニュートン:ルーシー
- ライアン・レイノルズ:名探偵ピカチュウ
- 渡辺謙:ヨシダ警部補
まず、主人公のティムを演じたのが、ジャスティス・スミスですね。
昨年の夏公開された『ジュラシックワールド 炎の王国』でメインキャラクターを演じ、注目されました。
そしてヒロインのルーシーを演じたのがキャスリン・ニュートンでした。
彼女は昨年公開された映画『スリービルボード』にて、被害者の少女を演じていました。何というかこれから人気がグイグイと伸びてきそうな雰囲気がありますよね。
また、名探偵ピカチュウの声を担当しているのが、『デッドプール』などでもおなじみのライアン・レイノルズでした。
サブキャラではありますが、日本人俳優の渡辺謙も出演していましたね。
より詳しい作品情報を知りたい方は公式サイトへどうぞ!!
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『名探偵ピカチュウ』感想・解説
ポケモンに救われた1人として涙が止まらない
当ブログ管理人は、子供の頃からポケモンが大好きだったんですが、おそらく幼稚園くらいの頃からテレビアニメを見ていたように思います。
ちなみに私はロケット団が大好きでした。
今作のキーアイテムとなる精神かく乱作用のある物質「R」は、おそらくロケット団の「R」へのオマージュでしょう。
ロケット団のおもちゃで遊んでいて、今でも実家にはガリガリに齧った跡のあるムサシとコジロウのソフビが押し入れのどこかに眠っているとは思います(笑)
ロケット団に惹かれたのは、「憎めない悪役」という魅力故だったと記憶しています。
彼らは確かに悪役ではあったんですが、ここぞというときには正義のために行動したりすることもあり、「善人」の側面も持ち合わせているんですよ。
とまあ小さい頃はラブリーチャーミングな敵役、ロケット団にぞっこんだったんですが、小学生になった頃に自分にとって大きな出来事がありました。
小学生になると、クラスメートの多くがいわゆる携帯ゲーム機を持っていたんですよ。
当時、『ポケットモンスター ルビー&サファイア』が発売されて、大きな話題になっておりまして、周囲の子どもたちはみんな持っていて、小学校でもその話題で持ちきりでした。
ただ、私自身はポケモンのソフトはおろかゲーム機すら持っていませんでした。
そうなると、どうなるかと言いますと、小学校で友人の会話の輪に入ることができず、孤立してしまうんですよね・・・。
ゲームを持っているかどうかで仲間外れにされるなんて、と思う方もいらっしゃるとは思いますが、小学生低学年の友人関係のきっかけってそんなものだったりします。
当時、あまり自分から人に話しかける勇気も持ち合わせていなかった私は、周囲の輪になじむことができず、さらにはクラスの体格の良いリーダー格の男の子に「いじめ」に近い仕打ちを受けるようになりました。
それでも、両親には心配をかけたくないという心理作用が働いたのか、必死に耐え続けていて、1人で苦しい想いをしていたのは、おぼろげながら覚えています。
しかし、ある時にそういう学校生活に耐えきれなくなって、両親に涙ながらに「友人ができないこと」と「周りはみんなポケモンの話をしていてその話についていけないこと」を相談したんですね。
すると、私の両親は何も言わずに私をおもちゃ屋に連れて行ってくれて、誕生日でも何でもない普通の日だったのに、ゲーム機とポケモンのソフトを買ってくれたんですよ・・・。
忘れもしませんが、その時購入してくれたのがゲームボーイアドバンスSPという2つ折りの携帯ゲーム端末のシルバーと『ポケットモンスター ルビー』でした。
私は今でも、この時両親が自分に取ってくれた行動をすごく感謝しています。
この時、「もっと勇気を出して話しかけてみなさい。」等の突き放すような励ましの言葉をかける選択肢もあったはずなんですが、私の両親はすごく「甘やかして」くれたんですよね・・・。
ただ、これがきっかけで私は話しかけるきっかけができて、友人も増えましたし、自分をいじめていたガキ大将的な男の子ともポケモンのゲームがきっかけで仲良くなることができたんです。
「ポケモン」って確かに単なるコンテンツの1つですし、言ってしまえばモニターの向こう側の存在です。
しかし、「ポケモン」は人と人とを繋げてくれる架け橋にもなってくれる偉大な存在でもあります。
少なくとも小学生時代の私に友人を作るきっかけをくれたのは、「ポケモン」でした。
だからこそ今作『名探偵ピカチュウ』の主人公であるティムってすごくかつての自分に重なる存在に思えました。
人と上手く関わることができなくて、そしてそのきっかけにもなり得る存在であるポケモンも所持していません。
しかし、父が残してくれた言葉を話せるピカチュウと出会ったことで、ポケモンの存在を介して他人と関わることができるようになりました。
ポケモンを単なる「モンスター」や「ツール」として解釈しているのではなくて、あくまでも「パートナー」であり「人と人を繋げてくれる存在」として描こうとしたところにこの映画が「ポケモン映画」として素晴らしい理由が凝縮されているように思えました。
きっとポケモンに救われた、助けられた経験がある人にとって、この『名探偵ピカチュウ』という作品は、琴線に触れる内容になっていると思います。
やはり「ミュウツーの逆襲」は偉大だ
日本映画の中でアメリカで最もヒットした映画は、『ミュウツーの逆襲』であり、この記録はいまだ破られていません。
それ故にハリウッドで「ポケモン」が実写化されるにあたって『ミュウツーの逆襲』のプロットに多大な影響を受けたことは、容易に推察することができます。
この偉大な作品のメインテーマとされているのが「自己証明」なんですね。
ポケモンたちがミュウツーの作り出したコピーポケモンたちと「自己証明」のために壮絶な戦いを繰り広げるという何とも悲しい展開が描かれていました。
この作品の脚本を担当した首藤剛志さんは次のように語っておられます。
喧嘩なんてものは、結局、互いの自己存在の証明の暴力的な表現である。それが口喧嘩、論争にしても、本質は同じである。
「自分とは何か」などは、自分で思えばいい事で、それだけで、自分は存在している。
それがいつしか自己存在を証明したくて、「お前とは違う」「お前より強い」になり――現代なら「お前より名誉を持っている」、いや、なにより「お前より金持ち」が存在を決めるのか?――相手の存在を互いに認め、自分の存在だけをまっとうすれば、喧嘩も、バトルも、さらには戦争もないはずである
本来、生き物は、そうやって生きてきた。
人間に似ている生き物のポケモンも、そこは人間よりも生き物だった。
(「首藤剛志「第180回 ポケモンの涙とミュウツーの記憶抹消」)
当ブログ管理人も子供の頃に鑑賞したんですが、当時は正直怖くて泣いてしまったんですよね。
この作品にどんなメッセージが込められているかなんてところに思い至るはずもなく、ただただポケモンが傷ついて壮絶な戦いを繰り広げる光景に恐怖感を隠せませんでした。
ただ作品の中でサトシがとった行動ってまさしく、子供らしい純粋さ故ですよね。
これは脚本を担当した首藤剛志さんも意図していたところのようですが、ポケモンマスターを目指しているという、ポケモンをバトルさせることに情熱を持っているサトシが、バトルを止めるという行為はある種の自己矛盾なんです。
それでも彼はまだまだ子供で、そういう行動をとることの矛盾にも気づいていなくて、だからこそそこにミュウツーの心を突き動かした人間の根底にある「善」を垣間見ることができました。
さて、今作『名探偵ピカチュウ』のヴィランは一体どんな考え方を持っていて、どんな行動をとったのかを考えてみましょう。
彼は、ライムシティの長で、ポケモンと人間の共生を謳っていたわけですが、その実態は全くの正反対でした。
ポケモンを人間の力で増強したり、コントロールする技術を開発し、挙句の果てには人間がポケモンの身体を乗っ取って、その力を手に入れてしまおうという発想にたどり着きます。
それこそが、首藤さんが『ミュウツーの逆襲』の中で描いた「自己証明」が引き起こす戦争にも通ずるものであったことは間違いありません。
人間はいつだって、自分たちが世界の、地球のルーラーなのだと証明したいという野心を持っています。それこそが人間の「自己証明」なのです。
自分たちに無い優れた戦闘能力や知能を持っているポケモンという存在は、そのルーラーとしての立場を脅かします。
だからこそ人間こそが支配者なのだという「自己証明」をするために今作のヴィランのようなポケモンの身体を乗っ取るという発想に至ったのでしょう。
というよりもポケモンを自分たちが「自己証明」するためのツールとしかとらえていないヴィランとも言えるでしょうか。
そのため、今作に登場するミュウツーもまた「人間は悪だ。」という悲しい発言をしています。
そこに現れるのが、『ミュウツーの逆襲』のサトシ同様、純粋なる善を心の内に秘めたティムという青年です。
彼はひょんなことから人間の言葉を話すピカチュウと出会い、ポケモンと心を通わせることに成功します。
つまり彼は、ポケモンが人間に似ている生き物であることを、というよりも人間と同様に主体性を持った生き物であることを悟ったとも言えます。
自分たちに「自己」があるように、ポケモンたちにも「自己」があります。
だからこそそれを虐げることがあったはならないのだと悟り、ヴィランと対峙し、その野望を打ち砕こうとしたのでした。
このように『名探偵ピカチュウ』のメインプロットやテーマは、単にミュウツーが登場するというだけでなく、もっと根底の部分で『ミュウツーの逆襲』と繋がっています。
どちらも作品も「自己証明」への欲求が争いを生み出すことを描いており、そも問いかけに対する帰結を描こうとしていました。
『名探偵ピカチュウ』が一歩先へ進んでいたのは、人間の「自己証明」に巻き込まれるポケモンを描いたことであり、そこにポケモンにも「自己」があると確信した親子が立ちはだかるという構造を作り出せたことだと思います。
これは1つ『ミュウツーの逆襲』の主題性をアップデートした形と言えるでしょう。
さて、映画の終了後にわざわざ予告編を放映していた日本の『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』はきちんと前作をアップデートして、あの作品で出せなかった答えにたどり着くことはできるんでしょうか・・・?
ハリウッド映画版ポケモンが『ミュウツーの逆襲』のリマインダーとして機能したがために、より注目が集まりますね。
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レジェンダリーのポケモン愛に感激
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今回の映画『名探偵ピカチュウ』にはそもそも原作となるアドベンチャーゲームが存在していました。
まずは、やはり数多くのポケモンコンテンツの中で、映画化する題材としてここをチョイスしてくるあたりにポケモンに対する愛情の深さを感じてました。
そしてとにかくポケモンが人間と共に暮らしていいるんだということを我々に視覚的に印象付けてしまうほどの映像の説得力を生み出せたことが最大の功績でしょう。
そのため、昨今デジタル撮影が主流である中で、今作はフィルム撮影に挑んでいます。
これによりポケモンたちのビジュアルをより自然な形で映像になじませることに成功し、見ている我々に「ポケモン=リアル」なんだと信じ込ませることに成功しているとも言えます。
また、今ネタとして面白いのが、今回『名探偵ピカチュウ』の撮影に使われたと言われているのが、KODAK社製のフィルムですね。
そこまで意図していたかどうかの真偽は不明ですが、これももしかすると日本へ目くばせした小ネタの1つなのかもしれません。(英語ではコダックはPsyduckと呼ばれています。)
また、主人公がピカチュウを持っていて、ヒロインがコダックを持っている向こうっ気の強い少女というのも、初期のポケモンアニメのサトシとカスミを思い出させてくれますよね。
他にもポケモンの設定なんかもきちんと研究されていて、冒頭のカラカラにもきちんと意味があるんですよ。
カラカラは「こどくポケモン」でしかも、亡くなった自分の母親の頭蓋骨を被っているんですね。
この点で、主人公のティムの置かれている境遇と似ていて、それ故に友人は彼にカラカラをゲットするように進言したのだということが分かります。
そしてあとは、ポケモンの世界と我々の世界の関係性にも言及している点が非常に興味深かったように思います。
というのもこの映画の世界にはポケモンカードやポケモンのおもちゃ、そしてポケモンのバルーンなどが存在していて、それが人々の間で親しまれているんです。
それらはまさしく我々が知っているポケモンのあり方です。
一方で、リアルベースでこの作品はポケモンという存在を世界内に具現化しています。
ベトベトしていて確かに不快感があるベロリンガ、ツルツルとしたバリアード、フサフサで少し怖いとも感じさせられるエイパム。
リアルすぎて驚かされることもありますが、確かにこの映画の中にはポケモンが「リアルに」存在しています。
このリアルベースのポケモンと我々の知っているコンテンツとしてのポケモンを1つの映画の世界観に同居させるというアプローチに私はすごく夢を見せられたような思いでした。
というのも、これって近年のヒーロー映画に通じる世界観ですし、とりわけ先日日本でも公開された『シャザム!』の世界観に非常に近いです。
映画『シャザム』の中でも、ヒーローたちが実在している一方で、ヒーローたちのグッズが人気を博していて、アイコンとしても親しまれています。
こういう世界観を作り上げることで、我々は映画の中の世界を自分たちの世界と地続きにあるものではないかと知覚することができるんです。
だからこそ、ただポケモンと人間が共に暮らしている世界を描こうとしたのではなく、ポケモンカードが親しまれている一方ででポケモンと人間が共存している世界を描いたことがこの映画の傑出したポイントでもあります。
私たちは、ポケモンをフィクションの産物ではなく、自分たちの世界に存在しているけれどもまだ発見できていない存在としてポケモンを捉えなおすこともできるわけです。
このアプローチにレジェンダリーの本気のポケモン愛を感じることができたように思います。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『名探偵ピカチュウ』についてお話してきました。
1本の映画として見ると、それほど傑出して優れているというほどでもないのですが、「ポケモン映画」として見るのであれば、すごく愛に溢れたファン心を揺さぶる良い映画になっていたと思います。
『ミュウツーの逆襲』の主題性への言及であったり、ポケモンを我々と地続きの世界に存在させようとする試みには、スタッフ陣の深いポケモンへの理解と情熱を感じさせられました。
先日公開された『アリータ バトルエンジェル』という日本の『銃夢』というマンガの実写版を鑑賞した時にも思ったんですが、これほどまでに本気で予算と人員と、労力をかけて、ハリウッドが日本のコンテンツを大々的に実写化するということがそもそも感慨深いですね。
この規模の映画は、現状日本の映画界では望めません。
もちろん実写版『ドラゴンボール』のようなトンデモ映画もありますが、その一方でそのコンテンツへの愛に溢れたスタッフによって手掛けられた『アリータ バトルエンジェル』や今回の『名探偵ピカチュウ』のような映画も作られています。
とにかくポケモンに救われ、助けられた人間の1人として、この映画を作ってくれたことに感謝の想いです。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。
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