(C)2019 映画「居眠り磐音」製作委員会
目次
はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『居眠り磐音』についてお話していこうと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。(一部原作についても言及しております。)
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
『居眠り磐音』
あらすじ
3年間の江戸勤番を終えた坂崎磐音、小林琴平、河井慎之輔の3人は、佐々木道場での修行も終え、九州の豊後関前藩へと戻った。
しかし、家族や妻、恋人との再会を心待ちにしていた3人に思わぬ悲劇が待ち受けていた。
慎之輔の叔父である蔵持十三が、彼にとある「噂話」を酒の席で持ち掛けてきた。
その内容は、慎之輔の妻である舞(琴平の妹で奈緒の姉)が山尻頼禎という男と不倫行為に及んでいたというものだった。
通常なら信じるに値しない「酒の肴」程度の話だったっが、妻に結納の際に献上した簪を見せられたことで動転し、酒が回っていたことも相まって慎之輔はその話を真に受けてしまう。
彼は屋敷に戻るや否や、舞に「言い訳」をする暇すら与えることなく斬り殺してしまう。
小林琴平は、その話を伝令から聞き、信じられないまま慎之輔の屋敷へと向かうと、そこには確かに舞の亡骸が横たわっていた。
琴平は、怒りと同様を隠せないまま亡骸を引き取って帰ろうとするが蔵持十三の挑発に乗せられ、彼を斬り殺してしまう。
さらに妻を殺害し、叔父を斬り殺されたことで動揺し、琴平に斬りかかってきた慎之輔までも殺害してしまうのだった。
不幸なことにその日は、磐音と奈緒(琴平と舞の妹)の祝言の日でもあった。
藩では、琴平の処遇について話し合われていたが、その折に琴平が山尻頼禎の屋敷に討ち入りをしたという知らせが舞い込んでくる。
磐音は、親友の下へと駆け付け、舞が不貞行為に及んでいなかったという真実を述べ伝え、説得を試みるが、琴平は「もう遅い」と磐音との「尋常」の勝負を望む。
2人の一進一退の攻防の中で、磐音が琴平の背中を斬り裂き、決着が着いた。
親友を自らの手で斬り殺したという感触と、兄を殺した自分がその妹の奈緒と結婚できるはずもないという苦悩から磐音は脱藩し、姿をくらませた。
それからしばらくして、彼は江戸の長屋でひっそりと浪人暮らしをしていた。
仕事のなかった彼は、大家の金兵衛にとある両替商の用心棒を紹介され、請け負うことになるのが、そこで思わぬ陰謀に巻き込まれていくこととなる・・・。
スタッフ・キャスト
- 監督:本木克英
- 原作:佐伯泰英
- 脚本:藤本有紀
- 撮影:安田雅彦
- 照明:はのひろし
- 録音:山本研二
- 編集:川瀬功
- アクションコーディネーター:諸鍛冶裕太
まず、本作『居眠り磐音』の原作を著したのは佐伯泰英さんです。
『居眠り磐音』という時代小説をご存知の方はいらっしゃるかもしれませんが、実はこのシリーズとんでもない長編なんですよ。
マンガで51巻続いているシリーズはいくつもありますが、小説シリーズでここまで長く続いたものとなると、かなり数が限られてきますよね。
今回の映画『居眠り磐音』では、序盤も序盤である第1巻の「陽炎の辻」にアレンジを加えて映像化に挑みました。
そして今作の監督を務めるのが『超高速!参勤交代』シリーズでも知られる本木克英さんですね。
松竹で木下惠介監督のような古き良き日本映画を作り上げた映画人に師事していたこともあるようですが、今作も由緒ある松竹京都撮影所で撮影が敢行されました。
そして脚本には、朝ドラ「ちりとりてん」や大河ドラマ「平清盛」などで知られる藤本有紀さんが起用されています。
長編映画の脚本は初ということでしたが、テレビドラマ的な脚本ながらきちんと2時間の映画としての起承転結が明確で非常に優れた脚本だったように思います。
撮影・照明を2018年に公開された時代劇映画『雨の首ふり坂』に参加していた安田雅彦さんとはのひろしさんがそれぞれ担当していましたが、これも後程書きますが、素晴らしかったです。
- 松坂桃李:坂崎磐音
- 木村文乃:おこん
- 芳根京子:小林奈緒
- 柄本佑:小林琴平
- 杉野遥亮:河出慎之輔
まず昨年数々の映画賞で男優賞を席捲した松坂桃李さんが主人公の磐音を演じているのですが、もうこれが圧巻の一言です。
時代劇史上最も妖艶でセクシーな浪人だったと言えるかもしれません。
とにかく今作は松坂桃李さんの魅力を引き出すために撮影や照明、編集といったセクションが機能していて、作品全体が「磐音」というキャラクターの魅力に寄与しているという印象すら受けました。
そして2人のヒロインを演じる木村文乃さんと芳根京子さんのキャスティングも絶妙です。
そうなんです。
まず芳根京子さんが演じる奈緒は上品でかつ気品があり、幼さと可愛らしさが漂う女性です。
一方で、木村文乃さんが演じるおこんは「下町の肝っ玉母さん」のような雰囲気で、サバサバとしていて大胆な印象を受けます。
芳根さんの演技が時代劇の淑女チックであるのと対照的に、木村さんの演技が良い意味で時代劇っぽくなく垢ぬけた感じになっていたのもコントラストとして機能していたように思いました。
そして出番こそ少ないですが、柄本佑さんが演じる琴平も素晴らしかったですね。
親友を斬り殺し、不貞の噂を立てた男に復讐を果たし、狂気にとらわれた男の表情をあれだけ真に迫るものとして見せてくれたことに感服です。
『居眠り磐音』感想・解説
原作を再構成し1本の映画として魅せる英断
まず私自身が『居眠り磐音』の原作を読んでいて(51巻全て読破はお恥ずかしながら映画公開には間に合いませんでした・・・。)、感じたのは、この原作をどうやって1本の映画にするのかという点です。
第1巻の内容を映画化すると言っても、『居眠り磐音』の第1巻は本当に序盤も序盤で両替商の一件が幕を閉じるというのみの慎之輔や琴平の一件の全貌すら不明瞭なままで幕を閉じる内容です。
そのため一旦冒頭に3人の身に降りかかる悲劇を取り巻く陰謀を描き切ろうと思うと、第3巻の「花芒ノ海」にまで言及する必要が出てきますので、これでは2時間弱の映画ではとても描き切ることができません。
詳しくは言及を避けますが、第3巻でようやく3人が同士討ちをさせられることとなった経緯が明かされ、豊後関前藩に渦巻く陰謀と磐音の対峙にスポットが当たるというわけです。
ここまでを描けないとなると、映画版としてどうしても両替商の小噺的なエピソードに加えて、代わりになる大きな物語の軸が必要になってきます。
そこで今回の映画版の脚本が、メインプロットとして据えたのが磐音と奈緒の悲しき運命でした。
原作では、3巻のラストに「奈緒が病床の父の身を案じて100両で身売りした」という胸が磐音に伝えられ、彼に手紙が手渡されました。
そして第4巻の「雪華ノ里」では、磐音が奈緒を救うために日本中を駆け巡るというエピソードが描かれます。
奈緒は当初、長崎に売られ、その後小倉、赤間(福岡)、京都、金沢へと次々に売られていき、その度に身請け金(遊女を自由にするために必要な言わば契約解除金)が高騰していきます。
磐音は必死に彼女を追いかけますが、身請け金が高騰していき、もはや自分の手ではどうすることもできないのだと悟りつつありました。
結果的に彼女が吉原に売られる頃には身請け金は1000両を超えていたという次第です。
これが第3巻の終盤から第5巻あたりで描かれていた内容となります。
今回の映画『居眠り磐音』はこのように全51巻もあるシリーズの序盤も序盤の一部分を巧く再構成して1つの物語に仕上げている印象を受けます。
もちろん3人が同士討ちに至った陰謀については明かされることはないのですが、それでも磐音と奈緒の悲しい運命が1本の映画の中できちんと描き切られていて、完結していました。
長編シリーズの中から一部分を切り出して2時間尺の映画脚本にするという作業は、非常に難しいものであると思われますが、今作に関してはその点で非常にスマートな仕上がりになっていたと思います。
深作欣二監督を想起させる王道の時代劇
深作欣二監督が追い求めてきたもの
深作欣二監督といえば『仁義なき戦い』シリーズが非常に有名な監督ですが、彼はテレビシリーズで『必殺仕掛人』という『必殺』シリーズの第1作の監督を担当しています。
深作監督は、時代劇というある種の定型的なジャンルに実験的な演出を数多く持ち込んでいて、それが陰影のコントラストを強調する照明の使い方であったり、手持ちカメラを使った撮影であったり、顔のクローズアップショットを多用するといったりした演出に現れています。
彼がこういった前衛的な作品を作ろうとする一方で、『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』のような名物ヒーローがお決まりの活躍をするある種の「サザエさん」的な時代劇が人気を博していったという事情もあります。
その風潮が深作監督に実験的な作品を生み出そうという意識を掻き立てたのかもしれません。
その後、1981年に公開された『魔界転生』という作品には有名な燃え盛る火の中での決闘シーンがあります。
この映画の終盤の炎の中での決闘シーンは、何と実際にセットを燃やして撮影したというのです。
この殺陣のシーンの何がそんなにすごいのかを考えてみましたが、個人的には以下の3つが傑出しているからだと思いました。
- 両者が向かい合う「タメ」の時間
- 舞台演出
- 刀の重みが伝わる真剣勝負
まず、1つめの「タメ」については明確だと思います。
天草と柳生が豪火の中で向かい合うシーンでは両者がジリジリと間合いを詰め、隙を伺う「静」の演出がしっかりと出来ています。
この嵐の前の静けさが見る人の緊張感を高め、殺陣の迫力を増幅させるのだと思います。
そして2つ目ですが、これは実際にセットに火をつけて撮影したという「本物の緊迫感」があったからということもあります。
ただそれ以上に、火に囲まれてその憂いもある中で、相手だけを見据えて環境をもろともしない2人の真剣勝負に見る人は心惹かれるのだと思いました。
つまり一騎打ちの場面で、どういうシチュエーションを選択するかは殺陣の演出において重要な要素だと思います。
また、3つ目の刀の重みが伝わってくるという点についてですが、これも非常に重要です。
近年も『るろうに剣心』のようなワイヤーアクションをも駆使したチャンバラ描写や、『散り椿』のようなワンカットで魅せるスピード重視の殺陣など様々な形で刀を用いた戦闘が映像化されています。
これらの映像を見ていただけると、一目瞭然ですが、基本的に刀に「重み」をもたせるというよりは、動きのしなやかさやスピード感を観客に伝えるために、あえて刀身を「軽く」見えるように撮っている節があります。
これももちろん1つのアプローチですが、深作監督は『魔界転生』のあの殺陣のシーンにおいて、一撃一撃の重みを見せることにこだわっていたように思います。
それ故に殺陣の中で手数があまり多くなく、2人が間を取って対峙する時間もかなり長いのですが、その分一手一手にずっしりと「重み」が感じられます。
他にも深作監督の時代劇といえば1995年の『阿部一族』は1つ面白い作品です。
このような編集になって経緯については、佐藤浩市が殺陣の技術的に「長回し」に耐えうるものを持っていなかったからではないかとも言われています。
それ故に短いカットを高速編集でつなぎ合わせることで、役者の技量に依存しない形で、スピード感のある戦闘シーンを演出して魅せたというわけです
ここまで長々と語ってしまいましたが、こういった形で日本の時代劇を常にアップデートしようと努力し、支えてきたのが深作監督だったんですね。
『居眠り磐音』が取り入れた深作監督のエッセンス
さて、話を『居眠り磐音』に戻していくのですが、この章のタイトルにもなっているように、今作には深作監督の遺伝子が刻まれているように感じられます。
まず、撮影と編集に関してですが、今作には以下のような特徴があると思います。
- 殺陣のシーンで短いカット割りが多い
- 殺陣のシーンに役者の表情のクローズアップショットがしばしばインサートされる
- 決闘のシーンでは「間」や「静」が強く意識されている
こういった深作監督が時代劇に持ち込んできた演出技法を作品の中に取り込み、それを磐音というキャラクターのスタイルを引き立たせるために効果的に活用できているんですよ。
磐音の剣法は「居眠り剣法」とも作中で評されていましたが、基本的には「受けて返す」剣筋です。
だからこそ敵が彼に斬りかかってきて、間合いを取りながら、一瞬の隙を伺うという「間」と「静」の空白が非常に重要になってくるわけです。
ここで効果的に使われたのがクローズアップショットの多用と、短いカット割りにした編集です。
深作監督は戦闘シーンのスピード感を演出するために短いカット割りを採用しました。
『居眠り磐音』も確かに殺陣が一流というわけではない松坂桃李さんを主人公に起用しているため、長回しでスピード感を演出することは難しいでしょう。
そのため短いカット割りが役者の手助けになることは間違いないです。
ただそこに役者の表情をクローズアップショットするという手法を組み合わせることで、「間」と「静」を演出することに成功しています。
つまり『居眠り磐音』の殺陣のシーンは、間合いを取るシーンでは長回しで2人を舐めるようなショットを使い、そこに表情のアップを折りまぜて「タメ」を作り、斬り合いが始まると短いカット割りにシフトチェンジしてスピード感と一撃の重みを演出しているということになります。
アクション監督の諸鍛冶裕太さんは今作のアクションシーンについて以下のように語っています。
でも最初にテストで撮った動きを製作サイドに見せたら、最悪の反応だったんです。そういったもの(黒澤明作品などを志向した泥臭い命がけの殺し合いとしての殺陣)を目指していても、どこか新しいものにしたいという欲が出てきて、結果としてアクション過多になっていました。なので、今回はかなり動きを削りましたね。
(映画『居眠り磐音』パンフレットより引用)
まさにこの言葉通りの殺陣のシーンでした。
動きと手数で魅せるというよりも、「タメ」と役者の表情で魅せるというスタイルを志向したからこそ、殺陣そのものの技術が高くなくとも映像に緊迫感と臨場感が生まれました。
このように深作監督の持ち込んだ技法を模倣するというよりも再構築して、きちんと自分たちの作品を生かすための演出にできている点が今作の秀でている点だと思います。
照明が作り出す官能的な時代劇
深作監督が「必殺」シリーズに持ち込んだ照明の使い方は、光と影のコントラストを強調するというものでした。
これは映像を見ていただけると一目瞭然なのですが、とにかく影が濃くて、登場人物の顔半分が真っ黒ということもしばしばです。
登場人物を敢えて「不自然」に見せるこの照明の使い方が当時の時代劇シーンに衝撃を与えたことは言うまでもないでしょう。
しかし、あくまでも時代劇の主流は如何に自然に登場人物が画面に浮かび上がるように照明を当てるかを追求することにありました。
昨年本格的な時代劇として公開された木村大作監督の『散り椿』では、風景を最大限に生かす時代劇ということで、照明にも並々ならぬ工夫が成されていました。
如何にして自然な光の当たり方と、役者の表情を際立たせる不自然な光の当たり方のバランスをとるかという選択において、どちらかというと前者に重きを置いたこの作品は人物が風景に溶け込んで1枚の風景画を構築しているようですらありました。
一方で『居眠り磐音』の照明の使い方は、『必殺』的な影の演出を残しつつも、自然な照明の当て方とのバランスがきちんと意識されています。
特に終盤の磐音と天童の決闘シーンは非常に美しかったです。
(C)2019 映画「居眠り磐音」製作委員会
夜のシーンであるため明るくしすぎることはできないのですが、雪がちらほらと舞っており、その雪の粒に光が反射して仄かに周囲を青白く照らすような柔らかい光になっているのが1つ優れているポイントですね。
強い照明で不自然に人物が映像に浮かび上がっているというよりも、雪に反射した月明かりがじんわりと登場人物のシルエットを闇夜に浮かび上がらせていると形容する方が適切でしょうか。
その青白く冷たい光の中に、松坂桃李さんの紅潮した頬や唇、付着した返り血の「赤」色が存在することで、これが強く「生」を意識させているという着眼の仕方もできるでしょう。
また、『必殺』的な影の演出を、「自然さ」を損なわない程度に取り入れていて、それが磐音という人物が背負う悲しき宿命を感じさせるという側面もあります。
このように本作の照明は、磐音ないし松坂桃李さんの「官能的な美」を演出することにこだわりを見せています。
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季節感を取り入れた悲しき恋愛譚
『居眠り磐音』の原作第4巻で磐音が身売りされた奈緒を追って日本中を旅するというエピソードが描かれると先ほども言及しました。
この時に、奈緒が各地に磐音への思いを込めた句を記した扇を残していくという演出があります。
- 長崎:鴛鴦や 過ぎ去りし日に なに想ふ(冬)
- 小倉:夏雲に 問うや男の 面影を(夏)
- 京都:飛べ飛べや 古里のそら 秋茜(秋)
- 金沢:風に問ふ わが夫はいずこ 実南天(秋・冬)
時代小説や時代劇は、やはり日本の伝統的なジャンルということもあり、非常に季節感を大切にしています。
それ故に佐伯泰英さんのこういう機微に富んだ表現は優れた時代小説としての証明とも言えるでしょう。
そして今回の映画『居眠り磐音』もまたすごく季節感を大切にしています。
とりわけ今作のキーになるのが「南天」ですね。
「南天」は初夏に白い実をつけ、秋から冬にかけて赤い実をつけるとされ、これは劇中でも言及されていました。
そして磐音が奈緒と別れたのが、ちょうど初夏のことで2人は、白い南天の実を見ながら別れを惜しむように話していました。
しかし、江戸から藩に戻ると、2人は再会することすらできず、騒動に巻き込まれ、再び別れることとなりました。
物語の終盤に2人が再会した時、手紙にも記されていたように奈緒は「赤い南天の実」として冬の夜道を遊女として歩いていました。
(C)2019 映画「居眠り磐音」製作委員会
磐音は奈緒が3年間の間に南天の実が白から赤に変わっていくかのように、美しい大人の女性に成長するのであろうと思っていたわけですが、そんな想像が思いもよらない形で現実のものとなってしまいました。
奈緒という女性を南天という実に例え、2人の悲恋の物語に季節感を感じさせた点は非常に巧かったと思います。
それに加えて、ラストシーンで磐音とおこんが2人で歩いていくシーンで、白い南天の実を画面に映りこませたのが、また憎い演出です。
これについては原作のその後の展開を知っておくと、すごく深い意味が込められていることに気がつきます。
原作のその後については、ぜひぜひ皆様自身でお確かめいただければと思います。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回はですね映画『居眠り磐音』についてお話してきました。
かつてテレビシリーズとして放送されていたような懐かしい香りのする時代劇を再び劇場で拝むことができたことに感激したというのが率直な感想です。
それだけではなく、深作監督の持ち込んだエッセンスを取り入れ、それを作品の中で再構築することで、懐かしくも新しい時代劇としてしっかりと確立されている印象も強く受けました。
原作もたっぷりとエピソードがありますので、興行的に成功して、せめて原作第3巻の内容まででも映像化してくれると嬉しく思いますね。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。
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