みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『きみと、波にのれたら』についてお話していこうと思います。
前作『夜明け告げるルーのうた』でアヌシー国際アニメーション映画祭の最高賞を受賞した湯浅監督の次なるオリジナル映画作品が公開されました。
『カイバ』を見た時に、心をわしづかみにされた私ですが、何と言っても彼のアニメーションの世界観は独特で、見ていると不思議なトリップ感があるんですよね。
異世界の物語が展開されているというわけでもないのに、どこか現実離れしていて、ポップで、それでいてキテレツなビジュアルが視覚的な快感を呼び起こします。
今回の映画『きみと、波にのれたら』はどちらかというと、予告編の段階では湯浅監督らしさがあまり目につかなかったので、不安もありつつ鑑賞してきました。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『きみと、波にのれたら』
(C)2019「きみと、波にのれたら」製作委員会
あらすじ
サーフィンが大好きな大学生の向水ひな子は、小さな港町に引っ越してきて、大学に通い、花屋でアルバイトをし、暇を見つけてはサーフィンを楽しむという生活を送っていた。
そんなある日、彼女の住むアパートの横の廃墟ビルに不法侵入した若者たちが打ち上げ花火を乱発し、引火騒ぎを起こしてしまう。
思ったよりも火の回りが早く、逃げ場を失ったひな子は、屋上へと駆け上がる。
そこに現れたのは消防士の雛罌粟港(ひなげしみなと)だった。
その一件をきっかけにして距離が近づいた2人は、休日に共にサーフィンをするために出かけるようになる。
そして自然な流れで恋人同士になり、港は「ひな子がおばあちゃんになってもずっと一緒にいる」と誓いを立てます。
ある日、ひな子が何気なく言った「雪が降った次の日の波に乗れたら願いが叶う」という言葉を真に受けた港が冬の海へと繰り出していってしまう。
そこで溺れそうになっている人を見かけた港は救助しようとしたのだが、逆に彼自身が命を落としてしまう。
ショックを受けたひな子は何もする気が起きなくなってしまった。
そんな時、ふと彼との思い出の曲を口ずさむと水の中に港が現れるようになった。
周囲の人からは「現実を受け入れなよ。」と諭されながらも、彼女は水の中の彼と再び輝く毎日を取り戻していく。
港が再び彼女の前に現れた理由とは何だったのだろうか?
スタッフ・キャスト
- 監督:湯浅政明
- 脚本:吉田玲子
- キャラクターデザイン:小島崇史
- 総作画監督:小島崇史
- フラッシュアニメーションチーフ:アベル・ゴンゴラ
- 美術監督:赤井文尚
- 色彩設計:中村絢郁
- 撮影監督:福士享
- 編集:廣瀬清志
- 音楽:大島ミチル
まず監督を務めるのが冒頭でもご紹介した湯浅政明さんです。
『カイバ』や『四畳半神話大系』、『ピンポン』など個性的なアニメーション作品で知られる今や日本を代表する映画クリエイターの1人です。
個人的には『カイバ』が大好きなのでおすすめしておきます!
そして脚本には今アニメ界で引っ張りだこの吉田玲子さんが参加しています。
前作『夜明け告げるルーのうた』でも湯浅監督とタッグを組みましたが、今回も非常に素晴らしい仕事をしてくれました。
そして注目なのが、キャラクターデザインと総作画監督として参加している小島崇史さんですね。
彼が参加しているという点には個人的にも注目しているので、後ほど詳しくお話しますね。
撮影監督には、劇場版『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズにも参加している福士享さんがクレジットされていますが、本作の独特の撮影は見応え抜群なので、注目してみて欲しいです。
音楽には湯浅監督作品ではお馴染みの大島ミチルさんがクレジットされています。
- 片寄涼太:雛罌粟港
- 川栄李奈:向水ひな子
- 松本穂香:雛罌粟洋子
- 伊藤健太郎:川村山葵
今作のメインキャストには何と本職の声優がいないという驚くべき事態なのですが、これがなかなか良かったです。
前作の『夜明け告げるルーのうた』でも主人公の声優に俳優を起用していましたし、『夜は短し歩けよ乙女』でも主演に星野源さんを起用していました。
湯浅監督はいわゆる「声優チックな」声ではなく、あえて俳優を起用することで「こなれてない」感を出し、それを作品に還元しようとしているのかもしれません。
俳優陣のボイスアクトって良い意味でアニメっぽさがなくて、すごく自然な掛け合いに感じるんですよ。
その点で、メインキャラクターの4人は会話シーンも非常に多いということで、掛け合いを重視してこのキャスト陣になったのではないかと推察することは可能でしょう。
とりわけ川栄李奈さんは本当に巧いですね。
アニメチックな演技ではなくて、実写俳優ベースの演技なんですが、それでも淡白すぎることもなくダイナミックな画に当たり負けしないボイスアクトを確立させていました。
すごく今作は声優陣の化学反応が起きていた作新だったという見方もできるでしょう。
より詳しい作品情報を知りたい方は、映画公式サイトへどうぞ!!
『きみと、波にのれたら』感想・解説(ネタバレあり)
アニメーター小島崇史について
さて先ほどもご紹介した小島崇史さんについて言及していきます。
これまでテレビアニメシリーズで数々の伝説を残してきた小島崇史さんが何と今作のメインスタッフとして加わっているんです。
有名なのが『輪るピングドラム』第20話のこのランニングシーンですよね。
(『輪るピングドラム』第20話より引用)
今作『きみと、波にのれたら』に実はこの小島崇史さん作画の名シーンと全く同じ構図のシーンがありました。
それが道に迷ったひな子が山葵に道案内をしてもらって、自宅を目指すシーンなんです。
この時、カメラアングルはひたすら空の方向を向いていて、自転車をこぐひな子の胸部より上のみをフレームに含める独特のカットで映像を構築していました。
また、小島崇史さん原画の伝説と言えば『四月は君の嘘』の第5話なんですが、この回では橋から川に飛び込むシーンが扱われます。
(『四月は君の嘘』第5話より引用)
橋の上でひな子が歌いながら川に飛び込み、水の中で港と戯れるシーンがありました。
このシーンは『四月は君の嘘』の第5話を強く思い出させてくれる映像でした。
上記の2つ以外にもこれまでに小島さんが担当した作品で使われた演出や構図が用いられています。
そして今回彼がキャラクターデザインを担当したのも1つ大きなポイントかなと思いました。
(C)2019「きみと、波にのれたら」製作委員会
上記の画像を見ると分かりやすいんですが、今作のキャラクターのプロポーションって実写ベースと言いますか、すごく「足」が長く描かれています。
加えて近年より繊細なキャラクターデザインが好まれる一方で、今作ではかなりキャラクターの書き込みを少なくして単純化しています。
さて、この2つが本作にどういう影響を与えるのかというと、「運動」をよりダイナミックに見せることができるという点です。
足が長ければ走るシーンであっても、サーフィンのシーンであってもすごくキャラクターの動きがダイナミックに見えるという効果があります。
そして登場人物の書き込みを控えめにしたことで、動きの多いシーンをガンガン使っても作画カロリーを抑えることができるんですよ。
それでいて、『四月は君の嘘』なんかでもそうですが小島さんは「表情の作画」も優れています。
そのため、『きみと、波にのれたら』でも登場人物の寄りの画になると、しっかりと書き込み、繊細な感情を見事に表情に投影させています。
前作の『夜明け告げるルーのうた』からもアニメーション面で大幅に進化したように見受けられた今作において、小島崇史さんの貢献は計り知れないものがあるでしょう。
湯浅政明監督と音楽
湯浅監督はここにきてオリジナル映画企画で続けざまに「音楽」を題材にした作品をぶつけてきました。
「ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌」の頃からサイケな映像に音楽を組み合わせる問い手法は多用していたんですが、直近の2作品は「音楽」を主題に据えてきました。
前作の『夜明け告げるルーのうた』では「歌うたいのバラッド」を表題曲としてSFと王道青春譚を融合させたような作品に仕上げました。
彼の作品における音楽の意味を考えていくにあたって、私が最初に遡りたいのは『ピンポン』のテレビアニメです。
この作品は松本大洋原作なんですが、湯浅監督が担当したアニメ版のオリジナルシーンとしてクリスマスのシーンがあるんです。
(アニメ『ピンポン』より引用)
中国からの留学生であるコン・ウェンガが浜田省吾の『ひとりぼっちのクリスマスイブ』を歌っています。
当初はあまり部活になじめている様子がなかった彼が、日本の学生たちと共に盛り上がっているのが印象的です。
こんなオリジナルシーンをなぜ取り入れたのかと考えてみたのですが、湯浅監督は音楽が人と人を繋ぐという様を描きたかったのかもしれません。
コンという周囲となじめなかった孤高の留学生がクリスマスイブに部活の仲間たちとカラオケをしている姿に言いも知れぬ涙がこぼれます。
また、前作の『夜明け告げるルーのうた』では人間と人魚という異なる種族を繋ぐ橋渡しになるものとして「音楽」を扱いましたよね。
音楽が鳴り響けば、人間も人魚たちも同じように踊るという大団円な光景はまさに音楽が起こした奇跡という風に見受けられました。
そして今作『きみと、波にのれたら』でも音楽は重要な要素として扱われました。
まずはこれまでの作品と同様「人と人を繋ぐモチーフ」として音楽を扱いました。
とりわけ今回フォーカスされたのは、生と死を繋ぐものとしての音楽だったように思います。
生と死。2度と会えないはずのひな子と港は思い出の曲を口ずさんでいるほんのわずかな時間だけ「繋がる」ことができるという設定が描かれました。
一方で、『夜明け告げるルーのうた』と今作に通底する考え方ですが、音楽は誰かの背中を押すものであるという認識が見られます。
前作でも主人公のカイは終盤に人魚たちを「応援」するために歌っていましたし、彼は何よりも夢に正直になれない自分自身を奮い立たせるために歌っていたような気もします。
『きみと、波にのれたら』でも、港の死を受け入れられないひな子の背中を思い出の音楽がそっと押してくれるという物語になっていました。
これまで自身のサイケな映像の世界観を引き立たせるためのツール的な音楽の用法が目立った湯浅監督ですが、近年その手法が少し変化しつつあることに気がつきますね。
また、今回の映画では作中で脳に刷り込まれるほど何回も主題歌の『Brand New Story』を聞かされます。
同じ歌を聞かされすぎて、映画を見ている途中で気が狂いそうになった方もいるかもしれませんが、これも実は重要な演出でした。
まず本作は我々がまだストーリーに触れる前のOPの段階で『Brand New Story』いきなり流します。
これは物語を知る前の真っ新な感性の観客にこの歌を聞かせておくという意図があるように思いました。
そして序盤の2人のラブラブなシーンでこの歌が何度もひな子と港によって歌われます。
中盤に港の身に悲劇が起こってからは、この歌は水の中に彼を呼び出すためのツールとなるんですが、そのために何度もひな子の口からこの歌のリフが出てきます。
物語が全て終わると、エンドロールでもこの楽曲が使われていました。
前作『夜明け告げるルーのうた』では、複数の曲を取り入れていましたが、今作では、もう完全に『Brand New Story』の1本勝負という状態でした。
ここまで徹底的に繰り返し同じ曲を流したのは、ひな子の心情の変化によって同じ曲であっても聞こえ方が変わってくるんだということを伝えたかったのではないでしょうか。
湯浅監督は常に映像と音楽をリンクさせて作品を作り上げてきた監督です。
そしてこれまでの作品ではとりわけ音楽が映像に寄与する形で作品の雰囲気や空気感を作り出している印象があります。
一方で今作『きみと、波にのれたら』は、映像が音楽に寄与するような構造が垣間見えます。
映像や物語が変化することで、『Brand New Story』という1つの楽曲がその意味合いを様々にしていきます。
その点で今回の作品は、湯浅監督と音楽という文脈で見ても新しい作品と言えるのではないでしょうか。
本作に影響を与えた作品たち
湯浅監督が先日「好きな恋愛映画」として以下の作品たちを挙げておられました。
- 『あの夏、いちばん静かな海。』
- 『クライングゲーム』
- 『ゴースト』
- 『恋する惑星』
- 『エターナルサンシャイン』
- 『ガールファイト』
- 『juno』
- 『街の灯』
- 『エマニエル夫人』
この中でまず『きみと、波にのれたら』に大きな影響を与えることが間違いないのは、『あの夏、いちばん静かな海。』でしょうね。
サーフィンをする男性が命を落とすというシチュエーションは完全に共通していますが、シーン単位で見ても、港の死を「浜辺に打ち上げられた折れたサーフボード」で演出するなどオマージュが随所に見られます。
また車に乗って隣町までしに行くという展開や、そもそも港がサーフィン初心者であるという設定そのものもこの映画に影響を受けているように思われます。
その次の『クライングゲーム』という作品は1992年の映画でアカデミー賞脚本賞を受賞した作品でもあります。
今作からの影響が垣間見えるとしたら、ひな子と港、そして山葵の3人の関係性ということになるでしょうか。
あとは有名なジェリーザッカー監督の『ゴースト ニューヨークの幻』ですよね。
プロットに関しては、かなりこの映画の影響を強く受けているように見受けられました。
この作品ではサムとモリーという男女がいて、サムは序盤に命を落としてしまい、ゴーストになってしまいます。
ただモリーの身に危険が迫っていることを察知し、それが心残りとなって天国へと向かうことができません。
それ故に彼はゴーストとして彼女を見守り、助けようと必死に働きかけます。
このプロットの大筋を聞いただけでも2つの作品が凄く類似していることはお分かりいただけるかと思います。
そして『ゴースト ニューヨークの幻』と言えば有名なキスシーンがありますが、『きみと、波にのれたら』にほとんど同じシチュエーションのキスシーンが登場します。
(映画『ゴースト ニューヨークの幻』より引用)
そしてウォンカーウェイ監督の『恋する惑星』ですが、この作品との共通点はとりわけ音楽が重要な役割を果たすラブストーリーという点だと思います。
とりわけ663号とCAの2人が部屋でイチャイチャするシーンで「What a difference a day makes」という楽曲を使用しているんですが、こういう音楽の使い方が『きみと、波にのれたら』の前半部分での『Brand New Story』の使い方に近いものを感じます。
そして今回挙げられていた作品の中ではおそらく一番有名であろうミシェル・ゴンドリー監督の『エターナルサンシャイン』ですね。
とにかく映画ファンの中にもファンが多いこの作品ですが、個人的には『きみと、波にのれたら』に通じる点が多い作品だと思っています。
今作もひな子が港のことを忘れるの?忘れないの?という葛藤を描いていますしね。
このように、湯浅監督が自身の好きな恋愛映画として挙げられている作品は、どれも出来が良いですし、それでいて今作に影響を与えています。
気になった方は合わせてチェックしてみるのも良いでしょう。
当ブログ管理人も『ガールファイト』と『juno』は見たことがなかったので見てみようと思います。
水と火という対極の物質が導き出す結末
湯浅監督は『夜明け告げるルーのうた』でもすごく水と火というモチーフを印象的に扱っていたような気がしました。
彼は『キテレツ大百科』の「ひんやりヒエヒエ水ねんど」に参加した経験から固形の水という独特の演出を試みるようになりました。
インタビューの中ではこう答えています。
人魚達が使う水は、超常的であるのをはっきり示すために、自然ではないキューブ状としました。 キューブリックの映画『2001年宇宙の旅』(1968年)で、月面の四角いモノリスが観客に異質感を与えるのと一緒。水のようにほんらい形のないものがきちっとした形を与えられていると、そこに何らかの力が加わっていると感じますよね。
(『夜明け告げるルーのうた』公式サイトより引用)
彼の作品に置ける「水」とはやはりすごく意味があることはこの発言からも明白です。
というよりも映画『2001年宇宙の旅』のモノリスを挙げるということは、むしろ新しい価値観や世界をもたらすものとして捉えているように見受けられます。
その点で『夜明け告げるルーのうた』はそんな彼自身の考え方が如実に反映された水の描写になっていたと思います。
その一方で、『デビルマン crybaby』という作品でも湯浅監督は「水」と「火」を対照的に使い分けていました。
『デビルマン crybaby』より引用
とりわけ「火」は人間の攻撃性や愚かさを象徴するもの、命を奪うものとして描かれ、涙として描かれた「水」はとりわけ他人を思う人間らしさの象徴として描かれていました。
そしてラストではデビルマン(明)から了(悪魔)へと「涙」という水のモチーフのバトンが手渡されます。
悪魔という存在が誰がを思い涙(水)を流すというラストは、悪魔という存在に水のモチーフが新しい価値観や概念をもたらしているという点で湯浅監督らしさに裏打ちされています。
さて、ここから『きみと、波にのれたら』に話を移していくわけですが、今作では明確に「水」と「火」の対比が行われています。
まず対比されていたのは、港とひな子の出会いのシーンですね。
- 港は幼少期に海(水)に溺れて生死の境を彷徨ったがひな子に助けてもらった。
- ひな子は火事で屋上に追い詰められたが港にはしご車で救出された。
ひな子は忘れていただけで、幼少の頃に彼に出会っているんですが、お互いが出会いだと認識していた2つのシーンは実に対比的に描かれています。
ただひな子は港と恋人関係になっていくにつれて、彼にずっと守ってもらうという発言からも分かるように、彼に寄りかかって生きるようになります。
何気ないシーンですが、重要だったのがこのシーンです。
(C)2019「きみと、波にのれたら」製作委員会
ひな子は自分のサーフボードを飛び降りて、港のボードに乗り移ります。
つまり、彼女はあの出会いのシーンが象徴するようにいつだって彼が自分を助けてくれ、守ってくれるんだという考えに囚われているんですよ。
そんなシンデレラシンドローム的な彼女の考えが「火」のイメージに結び付けられて印象付けられているわけですね。
一方で、港が命を落とすと、今度は彼が「水」の中に現れるようになりますよね。
ただそういう状況になって、再び願いとは裏腹に、ひな子は彼への依存を強めてしまうんです。
つまり彼女は未だに冒頭の「火事」の中から彼が助けてくれたイメージから抜け出せていないんです。
そこで本作はそんな「火」のイメージを書き換えるということをやってのけます。
まず、ひな子はかつて自分が港を「水」の中から救ったことを知りますよね。
これは言わばひな子にとっての2人の出会いのシーンの印象を明確に書き換えています。
そしてラストの塔からの脱出シークエンスですが、ここでは冒頭の火事からの救出シーンと対比的に描かれています。
港はひな子の呼びかけに応じて助けに来るのですが、彼はあくまでもひな子が自分の力で助かるための環境を整えるに過ぎないんです。
塔に広がった火を彼の水が消していき、そしてその波に乗ったひな子が洋子と共に地上を目指します。
命を落とし、一緒に入られなくなってしまった彼は、ひな子に自分の波に乗って生きて欲しいと願い、そして水と共に現れて、その手助けをしました。
これで完全に冒頭の火事からの救出シーンのイメージが払拭されたとも言えますね。
『デビルマン crybaby』もそうでしたが、湯浅監督の作品では「バトン」という言葉が凄く印象的です。
そしてそれが「水」(『デビルマン crybaby』では涙)という形で提示され、受け継がれていくのも1つ特徴的と言えるかもしれません。
そういう意味でも湯浅監督が自身の作品における「水」というモチーフを映画『2001年宇宙の旅』のモノリスと表現するのはすごく納得がいきますね。
『きみと、波にのれたら』はラブストーリーではありますが、水を媒介として人と人の間に大切なものが確かにバトンとして受け継がれていくという「継承の物語」でもあったと思います。
湯浅監督らしさが表面的には少し見られなくなったように感じられた方も一らっしゃるかもしれませんが、細かく見ていくと、むしろ「らしさ」は深化しているのではないでしょうか。
吉田玲子脚本が演出する喪失感
今回の『きみと、波にのれたら』は吉田玲子脚本となっています。
彼女の脚本作品と言えば昨年の秋に公開された『若おかみは小学生!』が大きな話題になりました。
この作品も「喪失感」という言葉が1つ大きなキーワードになっています。
主人公のおっこは両親を失ったのに、ひたすらにその記憶を押し殺し、明るく気丈にふるまって生きてきました。
しかし、物語の後半に、彼女に両親の死を強く想起させる出来事が起こり、せき止めていたダムが決壊し、感情が爆発します、。
(C)令丈ヒロ子・亜沙美・講談社/若おかみは小学生!製作委員会
この吉田玲子さんの脚本が描き出したのは、「喪失感」というのは、ゆっくりと自分の無意識の領域で成長していき、そしてふとしたきっかけで意識に上ってくるものだということです。
おっこも両親が亡くなった時、きっと悲しいけれども、「喪失感」をあまり強くは感じていなかったように思えます。
ただ、両親の死を強く想起させる出来事が起こり、自分の両親が死んでしまったという事実を改めて突き付けられた時に、その喪失感に感情が抑えられなくなります。
この「タメ」と「爆発」の緩急が絶妙で、一気に物語に引き込んでいくのが吉田玲子脚本の凄いところだったように思います。
そして今作『きみと、波にのれたら』でもそんなせき止めた「喪失感」を爆発させる物語構造を意識しています。
そしてまた巧いのが、『若おかみは小学生!』と同様で洋子と山葵のカップルの存在が「喪失感」を引き出すトリガーとして機能している点ですね。
彼らが1年前の自分たちの姿を見ているかのようにタワーへと向かって行く背中を1人見つめるひな子の姿に言いも知れぬ切なさを感じます。
そしてタワーから流れるメッセージが彼女に突き付けるのは、まさに「港がいるはずだった今そして未来」ですよね。
彼は当然1年後も彼女と一緒にいるつもりで、タワーのメッセージを予約したんですよ。
しかし、メッセージは届いたのに、彼は死んでしまったここにはいなくなってしまいました。
それでも彼女はそれを受け入れて、思い出の曲と共に生きていきます。
「喪失感」を爆発させ、そしてそこから前を向く希望を描くというビタースイートな脚本は、非常に吉田玲子さんらしさが溢れたものになっていたと思います。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『きみと、波にのれたら』についてお話してきました。
アニメーションや演出面での湯浅監督らしいトリップ感のある世界観はあまり感じられない作品になっていましたが、その一方で音楽の使い方やこれまでの主題の掘り下げという点でもすごく進化(深化)している部分を多々感じる作品でもありました。
そういう意味でも今回は湯浅監督にとっても実験的で、挑戦的な1本だったと言えると思います。
水の表現もこれまでの作品とは一線を画し、非常に美しいものになっています。
この映像美は映画館で体感する価値のあるものです。
ぜひぜひ劇場でご覧ください!!
そして劇場を出た後、何気なく主題歌の『Brand New Story』を口ずさんでいたとしたら、あなたはこの映画の虜になっているということです(笑)
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。
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