みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『新聞記者』についてお話していこうと思います。
もちろん自主制作やインディペンデント系の制作で超小規模上映という形で公開されているものはありますが、ある程度の規模でその手の映画が公開されることがほとんどありません。
その大きな理由としては、やはりスポンサーがつきにくいからであったり、製作したとしてもメディア批判を含む本作のような作品はテレビや新聞等で宣伝してもらうことが難しくなるからであったりが挙げられます。
アメリカではアカデミー賞に『バイス』のようなブッシュ政権の堂々たる批判と、トランプ政権への警鐘を描いた作品がアカデミー賞にノミネートされるような政治映画の土壌があります。
日本映画界でもいずれはそんな映画が作られる土壌を作り上げてはいけないはずです。
だからこそ今の日本に対する警鐘を込めて、藤井監督を初めとするスタッフがこの映画を作り上げたことに、まずは敬意を表したいと思っています。
この映画に続く作品が現れて、どんどんと大きな流れを生み出していってくれることを切に願うばかりです。
さて、本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『新聞記者』
あらすじ
ある日、東都新聞社会部の吉岡エリカの下に「医療系大学新設」に関する機密文書がリークされる。
この国の首相までもが絡んでいる一大プロジェクトであることは明白だが、誰が送ってきたのかはわからない。
彼女は早速、許認可先の内閣府を洗い始め、そこに神崎というキーパーソンがいることに気がつく。
一方その頃、外務省から出向組で、内閣情報調査室で働く杉原拓海は情報操作やマスコミ操作ばかりが業務の大半を占める内調の仕事に辟易していた。
そんなある日、彼は自分の外務省時代の尊敬する上司であった神崎俊尚がビルの屋上から飛び降りる現場を目撃してしまう。
神崎の死因を探り始めた彼は、そこに「医療系大学新設」のプロジェクトが関係していることを知る。
ジャーナリストと官僚。吉岡エリカと杉原拓海。
それぞれの立場と正義が交錯しながら、「医療系大学新設」に纏わる衝撃の事実が明かされていく・・・。
スタッフ・キャスト
- 監督:藤井道人
- 原案:望月衣塑子&河村光庸
- 脚本:詩森ろば&高石明彦&藤井道人
- 撮影:今村圭佑
- 照明:平山達弥
- 編集:古川達馬
- 音楽:岩代太郎
『青の帰り道』や『デイアンドナイト』といった話題作を次々に世に送り出している藤井道人監督が満を持して送り出した新作が『新聞記者』ということになりますね。
そして原案となる作品を著したのが望月衣塑子さんですね。
新書なので、お察しかと思いますが、この作品は小説ではなく望月衣塑子さんの新聞記者としての経験を綴ったエッセイのようなものです。
この方は、良くも悪くも有名な方で、「菅官房長官の天敵」としても知られている新聞記者です。
安倍政権に賛同している方からすれば、良く思われていないでしょうし、逆に安倍政権に批判的な人から見ると、自分たちの声の代弁者であると感じることでしょう。
そんな日本でも賛否ある人物をモデルにした作品と言うことで、物議を醸すことは避けられないとは思います。
また、撮影や編集を初めとするスタッフ陣にもこれまでの藤井監督を支えてきた面々が集結し、映画としても完成度が高いものに仕上げてきました。
- シム・ウンギョン:吉岡エリカ
- 松坂桃李:杉原拓海
- 本田翼:杉原奈津美
- 岡山天音:倉持大輔
- 北村有起哉:陣野和正
- 田中哲司:多田智也
望月衣塑子さんをモデルにした主人公の吉岡エリカを演じているのが韓国人女優のシム・ウンギョンさんです。
映画ファンの間では『サニー永遠の仲間たち』で主人公を演じたことでおなじみだと思います。
映画の製作陣も主人公に蒼井優さんをキャスティングしたいという目論見があったようですが、やはり望月衣塑子さんをモデルにしているという部分で難しいところがあったのかもしれません。
結果的に日本での女優活動を活発にしていきたいと考えていたシム・ウンギョンさんに白羽の矢が立ったということになるわけです。
映画を見ていて、間違いなくこの作品に必要な女優だったと確信していますが、やはり韓国人女優が望月衣塑子さんをモデルにした役を演じるという事実は一部の層から批判的に受け取られる可能性は高いと見受けられます。
そして官僚の杉原拓海役には今、その演技力で高い評価を獲得している松坂桃李さんが抜擢されました。
「新聞記者」を見て、日本一半開きの口がエロい俳優は松坂桃李さんだと確信しました! pic.twitter.com/AJSeQY2xeA
— ナガ@映画垢🐇 (@club_typhoon) 2019年6月29日
とにかく松坂桃李さんって表情の演技が抜群に良くて、今作でも見ている我々までその感情が真に伝わってくるような演技を幾度となく披露してくれました。
彼の役者としての素晴らしさを改めて感じることができた作品だと思っています。
その他にも豪華キャスト陣が集結し、重厚な人間ドラマを構築しています。
より詳しい作品情報を知りたいという方は映画公式サイトへどうぞ!!
『新聞記者』感想・解説(ネタバレあり)
あくまでもフィクションである
今作『新聞記者』はあくまでも望月衣塑子さんの経験を綴った同名の小説を原案にしたフィクションです。
確かにこの作品の中では、間違いなく昨今の日本の政界で起きた問題にインスピレーションを受けたであろう出来事が多く登場しています。
- 「医療系大学新設」プロジェクト→加計学園獣医学部創設問題
- スキャンダルで信用を失墜させられる大臣→前文部科学事務次官の前川喜平氏
- レベル4の医学実験施設設立により軍学医の癒着→加計学園にレベル3の施設を創設(長崎大学にレベル4の施設を創設)
- レイプされ海外のメディアで取り上げられた女性に対する印象操作→BBCで取り上げられた伊藤詩織さん
原案である望月衣塑子さんの著書にもモリカケの問題について取材をした時のエピソードが詳しく綴られていたので、その点でこういった事象に影響を受けていることは間違いないでしょう。
ただやっぱりこの映画を見る時に大切にして欲しいのは、この映画も少なからずバイアスがかかっているものであるという視点です。
例えば、この映画って前文部科学事務次官の前川喜平氏をモデルにしたであろう人物を、内調によって証言の効力を貶めるためにスキャンダルを捏造された人物であるかのように描いているんです。
望月衣塑子さんのジャーナリストとしてのスタンスをご存知の方は、こういう描き方になっていることには何の疑問も抱かないとは思います。
ですので、前文部科学事務次官の前川喜平氏について必ずしも内調によって貶められたという見方で見てしまうのは危険ですし、この人には「信用できない」と感じさせる側面も多々あったことを忘れてはなりません。
大切なのは、この映画を見て、ここに描かれていることが全て真実なんだと受け取ってしまわないリテラシーを持つことです。
日本ではポリティカルムービーがこれまでほとんど作られてきていないということもあり、欧米諸国と比べてこの手の作品に対するリテラシーがまだまだ涵養されていない状況にあると思います。
かく言う私もまだまだ勉強を重ねて、そういったリテラシーを成長させていかなければと常々思っております。
ハリウッド映画界は民主党寄りな思想が強くて、だからこそ先のアカデミー賞でもブッシュ政権時の副大統領ディック・チェイニーを題材にしつつトランプ政権への批判も込められた『バイス』が話題になりました。
この映画が何とも面白いのは、本編の最初にこういうテロップを表示するんです。
これらは真実の話だが、不完全ではある。
なぜならディック・チェイニーは秘密主義だから。
(映画『バイス』より引用)
この作品を撮るに当たって、実は製作陣は実名を出して登場させているディック・チェイニーらに許可を取るというプロセスを経ていないんですよ。
監督は、この映画の製作に際してチェイニー本人に許可を取りに行けば、彼の指示に従う必要性が出てくることを懸念し、事実を徹底的に調べ上げた上で映画を世に送り出しています。
ただ、本人に許可を取っていない、承認されていないということは、やはりどこか「不完全さ」を残した事実であるということもこの冒頭のテロップが仄めかしています。
実はこの「不完全さ」を前提としてポリティカルムービーを見るという姿勢はすごく大切だと思っています。
かつて映画と言うメディアはナチス政権下でプロパガンダの道具として使われていたこともあったりするように、それ自体に情報操作や印象操作としての装置が内包されていたんですよ。
映画監督を初めとするスタッフ陣も人間であり、そして思想があります。本作で言うと、原案を著した望月衣塑子さんの思想が色濃く反映されていることは間違いありません。
それ故にこういう作品を見る時に、あくまでもここで描かれているものが作り手の思想やフィルターを越しに描かれたものであることを自覚し、情報を取捨選択するリテラシーが重要なのです。
映画『新聞記者』の中で描かれたことの中には、当然事実もあるでしょうし、同時に穿った見方や脚色も混交しています。
そういう意味でも、この作品はポリティカルムービーとして至極正当な作られ方をしています。
この作品がきっかけになり、日本でも現代政治を題材にした作品が多く作られていく流れになれば、これほど嬉しいことはありません。
しかし同時に『新聞記者』という作品は、ポリティカルムービーを見る側である我々にもきちんとしたリテラシーが必要であることを教えてくれているようでもあります。
その点で今作の制作協力にクレジットされていた森達也さんのドキュメンタリー映画『FAKE』なんかをチェックしてみると面白いと思います。
この作品はドキュメンタリー映画ですらも撮り手の印象や思想に左右されて真実をぼやかしてしまうのではないかという疑念を突き詰めた内容です。
マスコミの情報を取捨選択するのと同様、ポリティカルムービーを見る時も、きちんと自分の頭で考えて解釈するというプロセスは非常に大切なものです。
そういう含みも持たせて、藤井監督はこの映画を敢えて「事実をベースにしたフィクション」という位置づけで作り上げたのかな?とも思っています。
1つの決断を演出する映画としての妙
(C)2019「新聞記者」フィルムパートナーズ
この映画が政治的な側面からどうか?という点に深入りしすぎると、話が逸れていきそうなので、この記事ではしません。
ただそれ以前に『新聞記者』という作品はジャーナリズムや正義をテーマにした映画として一級品だと思っています。
まず、この映画はジャーナリストの吉岡エリカと官僚の杉原拓海の2人の行動の動機、葛藤、決断をすごく明確にかつ深く描くことに成功しています。
吉岡エリカはジャーナリストとして真っ直ぐに真実を追求し、究明していきたいという信念があります。
しかし彼女には、父がかつて政界を激震させるスクープを出したにも関わらず、それを誤報であると政府から圧力をかけられて、自殺へと追い込まれたという過去があります。
それが1つの大きな葛藤となり、自分が父と同じ道を歩むことになるのではないかという不安や恐怖も強く感じている様子が見受けられます。
一方の杉原拓海はこれまで言われた任務を淡々とこなす官僚として勤めてきましたが、尊敬する外務省の上司が自殺してしまったことをきっかけに自分のやっている仕事に疑問を持つようになります。
そして彼は「医療系大学新設」プロジェクトの闇を知ってしまうのですが、彼には官僚としての経歴があり、そして何より家族がいて、新しい命を授かったばかりという状況です。
そんな状況で、自らが情報をリークしてすべてを犠牲にしてまで真実をリークするのかどうかという選択を迫られます。
映画において登場人物の動機や葛藤をきちんと描けていることは物語の推進力に繋がりますし、良い脚本の条件でもあります。
『新聞記者』という作品は演出面ではすごく淡々としていますが、そういった基本的な要素がしっかりとしているので、見る人の心をしっかりと掴んできます。
それでいて、終盤に2人が共闘することとなり、リーク記事を出すに当たって政府が「誤報」という武器を使ってくることを予見して最大の決断を迫られることとなります。
それが「杉原拓海」の実名を記事に出すという決断です。
これは一見杉原拓海自身のキャリアをかけた決断であって、吉岡エリカにとっての決断ではないと思われるかもしれません。
しかし、この決断って実は彼女にもすごくリスクがあることなんです。
望月衣塑子さんの原作の一節を紐解いてみましょう。
相手がかけてくるプレッシャーに屈し、たとえヒント(情報を提供してくれた取材源に関するヒントの意)でももらした瞬間に、記者と取材源との信頼関係は瓦解する。私という一個人の問題ではなく、ジャーナリズムの世界全体を揺るがす事態に発展する。
(角川新書『新聞記者』89ページより引用)
この一節にもあるように、取材源を守るということはジャーナリストにとって鉄の掟なんですよ。
望月衣塑子さんは過去にジョークで取材源を明かすことを仄めかして、上司から厳しい叱責を受け、それをした瞬間に「ジャーナリストを止めろ。」とまで言われたそうです。
だからこそ「杉原拓海」の実名を記事に出すという決断は彼自身にとってのものだけではなく、吉岡エリカにとってもジャーナリスト生命をかけた大きな決断なのであり、東都新聞にとっても社運をかけた決断なのです。
それ故にホテルで3人が密会を行い、記事を世に出すこととそして最悪のケースとして実名を記事に出す決断をするあのシーンは鳥肌が立ちました。
これまで別々の人生を生きてきた3人が全く異なる立場から、異なるリスクを背負って、正義のために1つの「決断」を下したのです。
あの一瞬に映画としての沸点を持ってくるために。それまでの物語展開や演出、音楽の使い方までもが計算されていました。
『新聞記者』は間違いなく1本の映画として完成度が高いです。
ラストシーンが我々に投げかけたもの
(C)2019「新聞記者」フィルムパートナーズ
この作品の中でも最も見る人の意見が分かれるのが、ラストシーンでしょう。
松坂桃李さん演じる杉原拓海が発した「音にならない言葉」は一体何だったのだろうか?という点で議論を呼ぶことは間違いありません。
杉原拓海は内調の上司である多田に呼び出され、明確に圧力をかけられました。
このシーンはまさしく彼がこれからすべてを失おうとしていることを明確にしたと言えるでしょう。
そして内調の廊下を意識を朦朧とさせながら、フラフラと疲弊した表情で歩いていく彼の姿が何とも印象的です。
正義を追求したものが、追い詰められ、疲弊していく。彼もまた自殺するという道を選んでしまうのではないかという危うさを漂わせています。
そして国会議事堂付近の道路で杉原拓海は吉岡エリカと邂逅します。
あの「音にならない言葉」は確かに彼女に向けたものであることは間違いありません。
しかし、映画が映し出しているのは杉原拓海の表情だけであり、その視線は真っ直ぐに映画を見ている我々の方へと向けられています。
つまりあの「音にならない言葉」は、我々への問いかけなんですよ。
彼は正義を追求するという正しい行動を取ったわけですが、同時にその行動により追い詰められ、疲弊しています。
ラストシーンの彼は自身のとった正しい行動に対する達成感や快感を感じているわけでもなく、これから自分に待ち受ける運命に対する不安と恐怖に満ちています。
だからこそ彼は我々に問いかけるのです。
行動を起こすということは決して綺麗ごとでは済みません。
大きな権力に対して反旗を翻し、正義を希求するということは何かを犠牲にすることでもあります。
それでも権力が暴走しようとしているのであれば、誰かが行動を起こさなければなりません。
ボロボロになりながらも、自分の全てを犠牲にしてでも行動を起こさなければ、もっと酷い未来が待ち受けているかもしれません。
映画『新聞記者』は、ラストシーンで敢えてその苦しみの全てを悟った彼から観客へと問いを投げかけます。
それでもあなたは行動を起こせるのか?と。
そのまま映画はエンドロールへと突入し、しばしの無音が劇場を包み込みます。
作中で描かれたことは冒頭でも述べたようにすべてが真実であると断定してしまうにはいささか危険な点もあります。
しかし、今の日本では「形だけの民主主義」の下で確かに私たちの目の届かないところで何かが動いています。
そこから目を背けて生きていくのか、迎合して生きるのか、それとも反旗を翻していくのか。
生き方は自由で良いと思いますが、自由に生きるというのは、自由を盾にして、決断することや、選択することから逃げて生きることではありません。
自分の頭で考え、選択し、生きていかなければ、もし今後何か大きな問題が起こったとしても、あなたにそれを指摘する権利はありません。
どういう生き方を選択しても、どの政党を支持しても、どんな思想を持ったとしても、それは個人の自由です。
大切なのは、きちんと自分の意思で決断して生きることです。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『新聞記者』についてお話してきました。
政治的な映画という側面から見ると、それほど「攻めた」内容だとは思いませんし、かなり偏った見方ではないか?と感じる部分もありました。
それでも日本映画には政治的な主題を据えた作品がもっと必要ですし、その流れをこの映画がきっかけになって作ることができたならば、すごく意義のある作品になるのではないかと思います。
ぜひ、この作品を見て、情報を整理しながら、自分の頭で今の日本について思索を巡らせる機会にしてみてください。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。