みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですねいよいよ公開になりました超実写版『ライオンキング』についてお話していこうと思います。
いやはや当ブログ管理人も最初、サンシャイン池崎のノリなのかな?とか思っていたんですが、これはちゃんと意図して作られた言葉のようです。
「超実写版」というのは、フル3DCGの実写を超えた美しさを誇る映像美を誇るという意味でつけられているようです。
確かに言われてみれば、実写映像ではなくて、CGで完全に映像を作りこんでいるわけですからね・・・。
そして北米大手批評家レビューサイトRotten Tomatoesでは、以下のような評価になっています。
- 批評家支持率:53%
- オーディエンス支持率:88%
当ブログ管理人の私見ではありますが、オーディエンス支持率が高ければ、とりあえず大外れはないという印象です。
今年の6月に公開されて、日本でも興行収入100億円超えを記録した実写版『アラジン』も批評家支持率は芳しくありませんでしたが、オーディエンス支持率がかなり高かった作品です。
さて、そんなアメリカ本国でも大ヒット中の作品を早速見てきました。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
超実写版『ライオンキング』
あらすじ
プライド・ランドの王として君臨するムファサと王妃サラビとの間に王子シンバが誕生した。
シンバは生まれながらにして将来、王として国を治めていく未来が宿命づけられた。
一方で、そんな王子の誕生を快く思わないライオンがいた。
彼の名前はスカー。ムファサの弟で、第2王位継承権を有していたが、シンバの誕生で第3位に降格してしまったのだ。
スカーは何とかして兄を超えたいと願い、国の外れに住むハイエナたちと結託する。
ある日、彼はシンバを谷の底へと連れ出すと、ハイエナたちを利用し、バッファローたちを扇動して、命の危険にさらす。
そこにムファサが颯爽と現れ、命からがらシンバを谷の底を救い出すことに成功する。
しかし、崖をよじ登り切れずにスカーに助けを求めたムファサは、スカーに裏切られ、谷の底へと転落する。
バッファローの大群が消えた後、父の亡骸にすがるシンバにスカーは「お前が父を殺したのだ!」と告げ、プライド・ランドから出ていくようにけしかける。
ハイエナに追われながら、何とか逃げ切り、シンバは王国の外の世界へと飛び出していく・・・。
スタッフ・キャスト
- 監督:ジョン・ファブロー
- 脚本:ジェフ・ナサンソン
- 撮影:ケイレブ・デシャネル
- 美術:ジェームズ・チンランド
- 編集:マーク・リボルシー&アダム・ガーステル
- 音楽:ハンス・ジマー
- 歌曲:ティム・ライス&エルトン・ジョン
今回、超実写版『ライオンキング』の監督を務めたのは、MCUにハッピー役で出演していたり、『アイアンマン』の監督も務めたジョン・ファブローです。
彼がこの映画の監督に抜擢された理由は割と明確ですよね。
ディズニーが2016年に公開した実写版『ジャングル・ブック』を成功させたのが他でもない彼だからでしょう。
批評家からも絶賛が相次ぎ、興行的にも大成功を収め、その圧倒的な映像美とVFXで再現された動物たちの表情や動きに世界中が度肝を抜かれました。
今作『ライオンキング』は人間が全く登場しない作品なんですが、3年前の『ジャングル・ブック』から更に進化した映像を見せてくれました。
脚本には『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』や『ターミナル』などの名作の脚本を手掛けたことでも知られるジェフ・ナサンソンが起用されました。
ただ、細かく見ていくとアニメから超実写版に変更するにあたって、微細な工夫が凝らされているので、その点は評価すべき点だと思います。
そして音楽には、ハンス・ジマー、ティム・ライス&エルトン・ジョンらオリジナル版のメンバーたちの名前がクレジットされています。
彼らの作った音楽を映画館で聞けるというだけでも本当に貴重な経験ですし、本当に鳥肌が立ちました。
- シンバ:ドナルド・グローバー
- ナラ:ビヨンセ・ノウルズ=カーター
- プンバァ:セス・ローゲン
- ティモン:ビリー・アイクナー
- サラビ:アルフレ・ウッダード
- スカー:キウェテル・イジョフォー
- ムファサ:ジェームズ・アール・ジョーンズ
主人公のシンバには、グラミー歌手のドナルド・グローバーが起用され、ナラにはなんとビヨンセ!!
ディズニーは実写版『リトルマーメイド』のアリエル役の起用に関してもそうですが、近年「歌重視」というのが顕著になってきているような印象は受けますね。
またプンバァ役には、コメディメイドな役なら何でもお任せなセス・ローゲンが起用されていたりしますね。
注目のヴィランであるスカー役には映画『ドクターストレンジ』でモルドを演じていたことでも知られるキウェテル・イジョフォーが起用されています。
当ブログ管理人は字幕版を鑑賞してきたのですが、どのキャラクターもオリジナル版に劣らない素晴らしい演技でした。
より詳しい情報を知りたいという方は、映画公式サイトへどうぞ!!
超実写版『ライオンキング』感想・解説(ネタバレあり)
一見オリジナル版の完コピなんだけど・・・
今回の超実写版『ライオンキング』はアメリカ本国でも評価が割れています。
というのもストーリーの大筋だけを見てみると、基本的には1994年に公開されたアニメ版と大差がないんですね。
その点で、アメリカの批評家からも批判的な意見が挙がっているんです。
ただ、私としては最近『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』というオリジナル版のクローンじゃねえか!ってレベルの類似品を見たばかりなので、それほど気になりませんでした。
むしろ細かく見ていくと、設定や演出の面で微妙に変化を加えていて、作品としてブラッシュアップされている印象を受けました。
まず、真っ先に挙げたいのは「ミュージカル演出」の違いです。
アニメ版の『ライオンキング』の冒頭の“I Just Can’t Wait to Be King” の演出を思い出してみて欲しいんです。
ここはアニメならではの表現を生かした非常にコミカルなミュージカルシーンになっていて、シンバとナラ以外の動物たちが思いっきり歌ったり踊ったりしていましたよね。
(C)Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.
そうなんです。だからこそ超実写版『ライオンキング』はそのあたりをきちんと計算したうえで、“I Just Can’t Wait to Be King” のミュージカルシーンもあくまでも歌って踊るのはシンバとナラだけにしています。
それ以外の動物たちはあくまでも水浴びをしていたり、草原を歩いているだけという描写になっています。
超実写版のリアルな映像の世界観を壊さないために、こういったところにまで気を遣ってくれているのは素晴らしいですよね。
一方で、映像面の工夫で言うと、やはり超実写版はアニメーションに比べて「表情」を描きにくいんです。
アニメーションだとダイナミックに感情を表現するような動きや表情をつけてしまえば良い話なんですが、超実写版でそれをやってしまうと、どうしても現実感が薄れてしまうこと必至です。
その難しいバランスの中で、今作は見事にキャラクターの性格や特長、心情を精緻に表現することができています。
動物をリアルベースでCG再現しつつ、彼らに演技をさせなければならない上に、演技をさせた上でそれでもリアルを損なわないバランスで仕上げる難しさを想像してみてください・・・。
アニメ版とは違いあくまでも実際の動物の機微も残しつつ、キャラクターのエッセンスも絶妙に加えていき、リアルとフィクションの絶妙なバランスを維持することに成功しています。
このようにストーリーそのものに大きな改変がないからと言って、「完コピ」と断言してしまうのは勿体なくて、むしろアニメ版を「リアルなフィクション」に落とし込むために、並々ならぬ苦労をしたことが伺える内容でした。
とにかくこの圧倒的な映像を映画館で見てくださいと言う他ありません。
アニメ版との違いが際立たせた円環構造
超実写版『ライオンキング』は本国でもアニメ版の「完コピ」じゃないかと言われてはいるんですが、もちろん全く同じというわけではないです。
おそらく一番変更があったのが、スカーの描写や設定だと思います。
(C)2019 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.
まず、彼の最初の歌唱シーンである“Be Prepared”のところに注目してみましょう。
アニメ版では、スカーはハイエナたちより自分が優位の存在であることを仄めかすかのように、クールにかつ囁くような声で歌っていました。
知恵があり、頭の切れる悪役という印象が強まるとともに、ハイエナたちを誘惑しているような不思議なセクシーさがありました。
一方の超実写版の方のスカーの“Be Prepared”は全くその歌い方や挙動が異なります。
ハイエナたちを見下しているというよりは、どちらかというと虐げられた同志として見ているようでもあり、そして誘惑しているというよりは扇動するような歌い方をしています。
また、細かいところで言うと、“Be Prepared”の歌い始めのハイエナたちを「知的障害者」に見立てて、それを揶揄するかのような歌詞が削除されていましたね。
これはディズニーのポリコレ的な配慮であると同時に、スカーがアニメ版と比較すると、それほどハイエナたちを見下しているわけではないということの表れなのかもしれません。
また、スカーをアニメ版以上に「ムファサに敗北した者」として描いているのが印象的に感じました。
これは確かオリジナル版にはなかったと思うんですが、ムファサの妻であるサラビが、かつて兄弟を前にしてスカーを選ばなかったという過去が明かされていました。
もう1つ彼がかつてムファサに挑んで敗北したという点もザズーのセリフの中で明かされていましたね。
アニメ版では、「愛に飢えていた者」としてのスカーを際立たせて描く傾向がありましたが、超実写版では「敗北者」としての彼にスポットを当てていました。
だからこそハイエナたちを見下して“Be Prepared”を歌うのではなく、同じくムファサに虐げられ、敗れたものとして「一生に戦おうではないか!」という呼びかけめいた歌い方をしていたわけです。
加えて、ムファサに敗れたという事実を消したいがために王位を求め、そしてかつては手に入れられなかったサラビを王女に迎えることを願うのです。
そしてこの対立構造にしたことで、作品のテーマでもある「サークルオブライフ」にムファサ、スカーそしてシンバの王位を巡る戦いが綺麗に収まってきているんですよ。
強き者もいつかは自分より弱い生き物の餌食となり、そしてその歴史は何度も何度も繰り返されます。
生態系は弱肉強食であり、ピラミッド型とも言われています。
しかしその本質は「サークルオブライフ」なのであり、一方通行ではなく、むしろ循環しています。
太陽の時代があれば、月の時代もあります。太陽が1日中空に出ているはずもなく、必ず夜になると月が空に現れ、太陽はほとんど見えなくなってしまいます。
アニメ版のスカーは愛に飢えているといった類のウェットな設定を足しこんだことで、妙に感情移入してしまうキャラクターでした。
そこを超実写版では、あえて彼を「敗北者」としてのみ印象づけ、ひたすらにムファサを超えることを渇望するキャラクターとして位置づけたわけです。
これによりムファサとスカー、そしてシンバの勝者・敗者の対立軸が明確になったのが効いていました。
作品全体としてみると、アニメ版とほとんど同じではあるんですが、スカーの設定を微妙に変えたことで、脚本としてはスマートになった印象を受けます。
物語のマザータイプを有した王道エンタメ
(C)2019 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.
これは『ライオンキング』という作品そのもののお話になります。
アメリカの神話学者であるジョセフ・キャンベル氏は世界中のありとあらゆる「英雄伝説」を研究し、その中に物語の「マザータイプ」が存在していることを発見しました。
『オデュッセイア』的な英雄譚が世界中の様々な「英雄伝説」の根底にあると考えたわけです。
そして彼は物語構造の中に3つのポイントを共通項として定めました。
- セパレーション
- イニシエーション
- リターン
まず1つ目の「セパレーション」では、主人公が冒険の旅に出る動機や、旅立たざるを得なくなる経緯が語られます。
『ライオンキング』で言うと、それはシンバがムファサの死によってプライドランドに留まることができなくなり、外の世界へと逃げざるを得なくなるというところですね。
そして次に直面するのが「イニシエーション」ですね。
ジョセフ・キャンベル氏はとりわけ多くの「英雄伝説」がここで「自分が知らなかった父親像や血の系統」を知ることになったり、去ることが躊躇われるような魅力的な「別世界」に出会うと指摘しています。
まず、彼はプンバァやティモンたちと共に緑のジャングルの中で過去を忘れて平和に暮らしています。
そのため、故郷の危機を伝えに来たナラにもここで一緒に暮らそうと提案し始め、自分は故郷に戻る意思がないことを明確にしました。
しかし、彼はそこで「自分の父とそして血統」に直面することになりますよね。
夜明け前の星空に父ムファサの姿を見ながら、彼がいつも自分を見守ってくれていることを自覚したり、自分は自分なのだと覚悟を決めたりするシーンは感動ですよね。
そして同時にそんな「隠された父との再会」が次のステップへと繋がっていきます。
最後に3つ目の「リターン」へと至るわけですね。
つまり英雄の物語の最後は、やはり故郷へと戻らなければならないということです。
シンバは成長した姿で故郷の荒れ果てたプライド・ランドへと戻り、そしてかつて自分とそして父を陥れたスカーと対峙します。
そして彼はスカーをを倒し、故郷を再興させ、新たな王として君臨するのです。
このように『ライオンキング』という作品は驚くほどに「英雄伝説」のマザータイプに忠実な作品なんですよ。
ちなみに映画で言うと、『スターウォーズ』オリジナルトリロジーがまさにこのマザータイプを反映して作った物語だとされています。
世界中で愛される「英雄伝説」の背後にはやはり、国や文化圏を超えて存在し続けてきたマザータイプが確かに機能しているんですね。
なぜ今『ライオンキング』なんだろうか?
1994年に公開され、既に世界中で多くの人に認知されている『ライオンキング』の物語。
それを超実写版にして敢えて2019年の世界に再び送り出す意義とは何かを考えてみました。
今、2015年の国連サミットで採択された「SDGs」という取り組みが世界的に注目されています。
これは「Sustainable Development Goals」の略称で、持続可能な開発目標という意味になりますね。
ここで5つの基本方針と17の目指すべきゴールが設定され、2030年に向けて各国が取り組みを始めています。
ただこの「持続可能な開発目標」という考え方自体はそれ以前から存在していて、「MDGs」とも呼ばれた目標が存在していました。
この「MDGs」と「SDGs」がどう違っているのかというと、前者は政府や機関の目標でしかなかったのに対して、後者は私たち1人1人が取り組むべき目標として定められています。
取り組みの数も前者が8つの目標だったのに対し、後者は17の目標にまでが拡大されました。
まず「SDGs」の考え方の中で1つ重要とされるのが、5つの「P」とされています。
- People 人々
- Prosperity 豊かさ
- Planet 惑星
- Peace 平和
- Partnership パートナーシップ
この5つのキーワードのもとに計17個の目標が定められているわけですが、「SDGs」の考え方が革新的だったのは、17個の目標を個別に解決されうるものとしてではなく、すべてがリンクしているものだと捉えた点です。
「人々」が「惑星(地球)」で「豊かに」そして「平和に」暮らしていくために「パートナーシップ」を結んで取り組んでいかなければならないという話なので、17個の目標はすべて連動させて考える必要があるのです。
つまり極端に言えば、私たちの社会に垣間見える男女の差別や不平等といったものが、大きな視点で世界を捉えた時に環境問題とも繋がっているという話ですよ。
さて、近年ディズニーは世界的な影響力を誇る企業として、2017年の段階で既に社内外における成果や取り組みの模様を発信するなど「SDGs」に積極的に取り組む姿勢を見せています。
また彼らの作り出す作品の中でもこの考え方が息づいているのが分かります。
近年のディズニー映画は、過去に自分たちが製作したアニメ映画の実写版が多いのですが、その際に古い価値観をアップデートさせ、現代の世界に適応する形で送り出すことを強く意識しています。
とりわけプリンセスを題材にした作品が多かったディズニー映画の中ではジェンダー観がアップデートされて実写化されるものが非常に多いように思います。
先日公開された実写版『アラジン』もジャスミンのキャラクター像をアップデートし、現代に蘇りました。
そんな中で、『ライオンキング』は超実写版というリアルベースでの再現にはなりましたが、比較的プロットは大きく変わることのないままで公開されました。
その理由を当ブログ管理人的に考えてみたんですが、1994年に公開された『ライオンキング』が、アップデートする必要がないほどに先進的な作品だったから変える必要がなかったのではないかという結論に落ち着きました。
ナラだってアニメ版の時点で十分に自分の存在を確立し、シンバをも凌駕する女性です。
そして本作はそれ以外にもSDGsの考え方に繋がる要素をたくさん含んでいます。
顕著なのが、シンバが物語の途中に暮らしていた緑のジャングルとスカーが支配したプライド・ランドの対比ですよね。
前者の世界では、動物たちが平等に暮らしています。
動物たちが他の動物を食べることはせず、生きるのに最低限必要な分だけ昆虫を食べて生活をしています。
そんな動物たちの行動のおかげでジャングルは豊かさを保つことができていますし、水も自然も美しく、そして平和な世界が続いているのです。
後者の世界は緑のジャングルとは対照的です。
ハイエナたちが自分たちの好きなだけ他の生き物たちを食い荒らし、スカーは雌のライオンたちを支配し、不平等な社会を形成しています。
その結果として、動物たちは消え失せ、美しい緑も、綺麗な飲み水も何もかもが消失してしまい荒野と化しています。
SDGsの考え方が目指すべきゴールは前者のような世界であり、対照的に後者はそこからは程遠い世界でもあります。
1994年の時点で、今まさに私たちが取り組んでいる目標を落とし込んだプロットが作られていたことに驚きますよね。
それは、この作品を見る人たちに、よりリアルベースでSDGsの取り組みについて考えて欲しいという願いを込めているからなのかもしれません。
この記事の冒頭でも指摘しましたが、超実写版『ライオンキング』は映像表現・演出的な面でもリアル志向を貫いています。
だからこそ私たちは、本物の動物たちが繰り広げているドラマかのように錯覚してしまいますし、この物語が私たちの世界と地続きのどこかで本当に起こっていると思わせるほどの説得力があります。
リアルを追求したからこそ、『ライオンキング』の世界観やメッセージを、より観客の身近なものとして感じさせることに成功していたと思います。
スカーやハイエナたちのように自分たちの欲望を優先して、好き放題に資源を消費し、不平等を看過してしまうと、いつしか世界を崩壊させてしまいます。
そうならないためにもアクションを起こしていかなければなりませんし、ディズニーは映画を通じて人々とりわけ子供にSDGsについて考えて欲しいと願っていることでしょう。
インタビューの中でジョン・ファヴロー監督は以下のように語っています。
特にライオン社会を詳しく描きたいと思いました。というのも、現実社会におけるライオン社会ではメスのライオンの働きが欠かせません。
たてがみがあるからオスが偉いという表現は避け、実際にその社会を支えているメスにもスポットライトを当てたいと思いました。舞台でもそうでしたし、『ライオン・キング』に大きく影響を与えたハムレットでも同じです。
本作の中で、僕はサラビがもっと注目されるべきだと思いました。
確かにアニメ版と比較すると、超実写版では、よりムファサの妻であるサラビにスポットが当たっています。
女性の活躍を印象的に描いたのも、SDGsに絡めた改変の1つではないでしょうか。
そして先ほども書きましたが、ハイエナの描写について監督が以下のように言及しています。
ハイエナに対しても、彼らが嫌われている理由が単純にハイエナだからということにしたくありませんでした。
そこで、ハイエナは常に空腹が満たされず、死肉があればそれをすべて食べつくしてしまうから他の動物たちから疎まれているという最もらしい理由を与えました。
彼らを悪役にするにあたって、ハイエナという動物だから悪い、ではなく行動が原因で悪者だと思われているとしたかったのです。
これは持続可能な社会に対する疎外となるからこそハイエナは悪なんだという理由付けをしているとも言えますよね。
このように全くそのままアニメ版のプロットを踏襲しているわけではなくて、微妙に時代に合わせた変化をつけてあって、個人的にはすごく丁寧だと思いました。
緑のジャングルのような世界を作るために、そして『ライオンキング』の中でこれからシンバが作っていくであろう明るい世界を私たちも作っていくために、1人1人が何ができるのかを考えていく必要があります。
ストーリーが大きく変化したわけではないですが、より私たちの身近に感じられるようにということで「超実写版」という媒体で蘇った『ライオンキング』は間違いなく大きな意義があったと私は思っています。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は超実写版『ライオンキング』についてお話してきました。
とにかく、本作のあの名曲たちを映画館で体感できるというだけでもすごく価値があると個人的には思っています。
また、ディズニーがフルCGで再現した映像がもう圧巻としか言いようがありません。
リアルベースで作られた動物だけでドラマを展開するなんて普通に考えれば無理な話なんですが、それを技術とアイデアで可能にしてしまったところが凄いですよね。
また風景の描写の作りこみも圧巻で、真っ赤な夕日や綺麗な星空がスクリーンいっぱいに広がる瞬間は、冗談抜きで鳥肌が立ちました。
「超実写版」というジャンルがここまで来たんだという1つの到達点をぜひ劇場で確かめてみてください!
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。