みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね『ヴァイオレットエヴァーガーデン外伝 永遠と自動手記人形』についてお話していこうと思います。
いわゆるOVA上映の立ち位置で、上映期間も3週間となっております。
ただ90分程度の映像作品ながら、本当に密度の濃い仕上がりで、OVAの枠に留まらず、「劇場版」と評しても十分な出来栄えだったように思います。
『ヴァイオレットエヴァーガーデン』シリーズはどちらかというと、元々書籍が大好きで、上巻と下巻も持っております。
その後、テレビCMで圧倒的な映像美ということでこの『ヴァイオレットエヴァーガーデン』が話題になり、後にテレビアニメシリーズとして放送されることとなりました。
テレビシリーズは、原作と若干エピソードエピソードが変わっていたり、エピソードの順番が違ったりしております。
そこが公開は延期になってしまいましたが、劇場版の方で補完されてくるのではないかと原作を読んでいた人間としては思っています。
ちなみにテレビシリーズや原作について書いた記事がありますので、良かったらこちらもご覧ください。
そして本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『ヴァイオレットエヴァーガーデン外伝 永遠と自動手記人形』
あらすじ
名家の子女のみが通うことを許される女学園で1人の少女が生活していた。
イザベラ・ヨークと呼ばれるその少女は、学園を「牢獄」と呼び、その閉塞感と名家に嫁ぐために淑女になるべき学ぶことのみに執心する毎日に嫌気がしていた。
そこに彼女の儀父母の依頼で、ヴァイオレット・エヴァーガーデンが家庭教師としてやって来る。
イザベラは当初、彼女を嫌悪していたが、飾らない性格と献身的な姿勢、そして背負った哀しい過去に触れ、次第に心を通わせていく。
2人は「友達」同士になっていたが、いよいよヴァイオレットの家庭教師としての最後の務めである舞踏会の日がやって来る。
別れを前にしたイザベラは彼女に1通の手紙の代筆を依頼する。
その手紙はテイラーという1人の小さな女の子に宛てられたものだった。
そしてイザベラがヨーク家にやって来た理由、そして彼女とテイラーの過去が明かされていく・・・。
スタッフ・キャスト
- 監督:藤田春香
- 監修:石立太一
- 原作:暁佳奈
- シリーズ構成:吉田玲子
- 脚本:鈴木貴昭 浦畑達彦
- 総作画監督:高瀬亜貴子
- 美術監督:渡邊美希子
- 色彩設計:米田侑加
- 撮影監督:船本孝平
『ヴァイオレットエヴァーガーデン』のテレビシリーズでは、『境界の彼方』の石立太一さんが監督だったのですが、彼は現在制作中の劇場版の方に注力しており、こちらのOVAには藤田春香さんが監督に抜擢されたようです。
彼女は本作のテレビシリーズを含め、様々な京都アニメーション作品で活躍されてこられました。
とりわけ「演出」という立場で作品に携わることが多いようで、『響け!ユーフォニアム』や『境界の彼方』といった作品でも演出を担当されていたようです。
インタビューでもかなり自由にやらせてもらえたと語っていた彼女でしたが、演出が非常に丁寧で、1つ1つのシーンの積み上げが感動を生む美しい映像の構成になっていました。
そして脚本にもテレビシリーズで吉田玲子さんと共に、何話かの脚本を担当していた鈴木貴昭さん、浦畑達彦さんが起用されています。
その他、同作の美しい映像の世界観を構築してきた主要なスタッフは基本的に続投しており、非常に完成度の高い仕上がりとなっていました。
- ヴァイオレット・エヴァーガーデン:石川由依
- イザベラ・ヨーク:寿美菜子
- テイラー・バートレット:悠木碧
- クラウディア・ホッジンズ:子安武人
- ベネディクト・ブルー:内山昂輝
- カトレア・ボードレール:遠藤綾
- エリカ・ブラウン:茅原実里
- アイリス・カナリー:戸松遥
主要キャラクターたちはテレビシリーズのキャストをそのままに、新キャラクターのキャストが加わりました。
寿美菜子さんは「牢獄=女学園」の中で外の世界に憧れ、閉塞感に苛まれながら生きる少女イザベラを熱演しています。
お姉ちゃん気質でありながら、心のどこかに弱さを抱えていて、ヴァイオレットに甘えてしまう感じがたまらなかったですね。
またもう1人の新キャラクターで孤児院で暮らしている少女テイラーを悠木碧さんが演じています。
もう1人、今回はクラウディアの物語でもあったということで、子安武人のボイスアクトも冴えわたっていて、思わず惚れてしまいそうでした(笑)
より詳しい情報を知りたいという方は、映画comのサイトの方もチェックしてみてください!
『ヴァイオレットエヴァーガーデン外伝 永遠と自動手記人形』感想・解説
多様な生き方に向き合った物語
(C)暁佳奈・京都アニメーション/ヴァイオレット・エヴァーガーデン製作委員会
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』という作品は、これまでも主人公のヴァイオレットの視点を通じて、多様な人物の生き方を描いてきました。
人は1通の手紙や1人の女性との出会いに感銘を受け、時に人生を変えるような行動を起こす生き物です。
そして誰かの誰かに宛てた手紙を代筆するという行為を通じて、「愛」を知らない彼女が少しずつ温かい感情を獲得していくという物語でもありました。
そうやって手紙というメディアを通じて、多様な生き方を描いてきたシリーズの最新作として、今作も多くのキャラクターたちの生き方ないし「花道」にスポットを当てました。
今回の『ヴァイオレットエヴァーガーデン外伝 永遠と自動手記人形』が非常に丁寧だと感じたのは、ホッシンズのC・H郵便社で働くキャラクターたちの生き方にまできちんと言及しようとしていた点ですね。
何と言っても、今作でフォーカスされたのはベネディクトでしょうね。
自動手記人形ではなく、郵便配達人として日々走り回っている彼は、配達の仕事が毎日の繰り返しであると感じており、少しずつ嫌気が差している様子でした。
そんな彼の前に、彼が昔手紙を届けたテイラーという少女が現れます。
彼女はかつて自分に手紙を届けてくれたベネディクトから「幸せ」を受け取ったとして、郵便配達人に憧れていました。
そして彼女に仕事を教え、さらには彼女が自分の姉のように慕っているイザベラに手紙を届けるべく協力します。
テイラーと関わる中で、ベネディクトは忘れかけていた手紙を届けるという役割の尊さと意義を思い出します。
届かなくて良い手紙なんてない。
そう言葉を紡いだ彼は、大切な人の思いが込められ、そして届けた人を幸せにする手紙という愛を運ぶ仕事にもう一度情熱を取り戻すのです。
また、C・H郵便社の他の面々にも少ない時間ながら丁寧にその「生き方」について言及してくれていたことにスタッフ陣の愛を感じました。
というよりこのあたりの描写は、「時代の変化」というテーマを『ヴァイオレットエヴァーガーデン』という作品の中で描くにあたって、女性クリエイターらしい目線で持ち込まれたもののように感じました。
作中で、ルクリアという自動手記人形の女性が結婚するのではないかという話題になって、その時に、「かつては自動手記人形は結婚して引退することが花道だった。」と語られています。
しかし、そういった考え方が変化してきていて、ルクリアのように結婚しても自分の仕事を続けようとする女性も増えてきているのだと指摘されていました。
この「女性の生き方の多様化」について言及していたのは、非常に女性監督・スタッフ目線だと思いました。
ただ、私が今回の『ヴァイオレットエヴァーガーデン外伝 永遠と自動手記人形』に感動したのは、従来的な生き方に従って生きる女性たちを否定していないことなんだと思います。
昨今、世界のアニメーションを牽引する存在であるディズニーは、近年「女性の解放」にスポットを当てた作品を多く世に送り出していますが、如何せん雑なんですよね・・・。
というよりも強引にこれまでの生き方を否定して、「女性の解放」とそして確立された自己として生きることだけが正しいことなんだと言わんばかりの「手のひら返し」が目立つのです。
それ故に、今作の女学園の生徒たち(とりわけアシュリー)の描写やイザベラの描写にもすごく優しいメッセージと多様な生き方を肯定する包容力を感じました。
冒頭ではイザベラの口から女学園は、「監獄」であり、権力にしか目がなく、名士に嫁ぐことしか頭にない少女ばかりが通っているというような内容が仄めかされていました。
しかし、アシュリーのようにそういった派閥や権力に関係なく、1人の少女として純真に生きようとしている人もいるんだという点をきちんとこの作品は描いてくれています。
こういった描写があるからこそ、女学園で暮らす生徒たちのような、淑女の礼儀を身に着け、名家に嫁いでいく運命にある人たちを時代遅れの産物であるとか悪しき生き方であるという風に感じずに済みます。
彼女たちは彼女たちなりに自分の人生をきちんと選択して生きているんです。
そしてイザベラは学園を卒業し、郊外の豪邸に住む名家のところに嫁ぎました。
彼女は、心の底では、もっと自由に生きたいという願いを持っているはずです。
しかし、彼女はどこにも行くことができません。彼女はかつて自分が選んでしまった運命からはもはや逃れることはできないのです。
それでも彼女はその生き方を選んだことを後悔していません。
自分が愛し、そして救うことを選んだテイラーというたった1人の妹が、この世界のどこかで幸せに暮らしていてくれたのだとすれば、それだけで彼女の人生は肯定されるのです。
今回の『ヴァイオレットエヴァーガーデン外伝 永遠と自動手記人形』は確かに「時代の変化」にスポットを当てていました。
時代が変化すると、確かに人の生き方は変わっていきますが、必ずしも変わる必要はありません。
それは電波塔が建って、通信手段が発達しても、手紙を書き続けたって良いのと同じことです。
自分が一番愛せる人生を選ぶ。たったそれだけのことをこの作品は、温かく肯定してくれたように思いました。
ヴァイオレットが過去の自分を救うという行為を通じて
今作の中で、ヴァイオレットとそしてテイラーの交流が描かれます。
この2人は、実はすごく似ていて、もっと言うと彼女とギルベルトの関係が、そのままテイラーとイザベラの関係に似ています。
ヴァイオレットとテイラー共に戦争という悲劇が生んだ孤児です。
つまりそのまま生きていたとするならば、きっと誰からも助けてもらえずに、飢えて死んでしまっていたっでしょう。
しかし、彼らには幸運にも手を差し伸べて助けようとしてくれた人がいました。
ヴァイオレットやテイラーが文字が読めない孤児であり、貧困化で生活を強いられていたという背景は、我々が生きている格差社会における貧困問題にも通じる点があります。
家庭の環境や経済状況がある程度、子供の能力や将来の限界値を定めてしまい、ポテンシャルを持って生まれてきた子供たちが、貧困層から抜け出せず停滞してしまうという問題が日本やアメリカでも顕在化しています。
しかし、彼らに手が差し伸べられることはなく、政府は彼らを見捨てて、一部の富裕な人たちにメリットのある社会へと傾倒していっています。
そんな現代に生きているからこそ、『ヴァイオレットエヴァーガーデン外伝 永遠と自動手記人形』という作品が描いた「優しい世界」がどうしようもなく心に沁みました。
ヴァイオレットはギルベルトに出会えたことで、生きる目的を見つけることができ、そして自動手記人形としての活動を始めました。
そういう過去を持っている彼女にとってテイラーはまさに過去の自分そのものに見えていたのかもしれません。
だからこそ、彼女は今度は自分が手を差し伸べる番なのだというように、テイラーをエヴァーガーデン家の養子にし、一人前の郵便配達人になるためのチャンスを与えました。
そしてきっと大人になったテイラーは、再び誰かに手を差し伸べることのできる優しい女性になるはずです。
こうやって「優しい感情」がループしていくという世界を『ヴァイオレットエヴァーガーデン外伝 永遠と自動手記人形』はフィクションとして明確に打ち出しました。
そう思うと、私たちの生きる世界は、誰からも優しくされないから誰にも優しくしない、他人に興味がないといった負の連鎖が起こっているように感じられます。
そんな世界に向けて、この作品はメッセージを投げかけています。
ギルベルトのように、ヴァイオレットのように、イザベラのように、目の前の誰かに「手を差し伸べる優しさ」があれば、世界はほんの少しだけ美しくなるのだと、教えてくれたような気がします。
不在性と空白が描く感情
京都アニメーションの作品ってこれまでもたくさん見てきたんですが、すごく不在性と空白を生かした構図を用いてくる傾向が強いと思うんです。
例えば、映画『けいおん!』の終盤の屋上のシーンですね。
(C)かきふらい・芳文社/桜高軽音部
画面の右から左へと走っていく少女たちの姿を捉えたワンシーンです。
日本の映画やアニメにおいては、右側が過去、左側が未来とされる傾向が強いことからも、このワンシーンが未来へ向けて勢いよく駆け出していく姿を映し出していることは明白です。
そしてこのワンシーンは意図的に画面の右側に1人分の余白を作り出しているように見えますよね。
これは、1人だけ2年生で卒業しない中野梓の存在を空間にぽっかりと空いた空白でもって表現していると解釈することができます。
別の例として『響け!ユーフォニアム2』の第10話を引き合いに出しましょう。
©武田綾乃・宝島社/「響け!」製作委員会 「響け!ユーフォニアム2」より引用
久美子が先輩のあすかを吹奏楽部に引き留めるべく、彼女に詰め寄るシーンなのですが、このカットは斬新ですよね。
このシーンの解釈については別記事にて解説しておりますので、良かったら読んでみてください。
話を戻していくのですが、今回の『ヴァイオレットエヴァーガーデン外伝 永遠と自動手記人形』も非常にこの不在性と空白を強調する演出を多くの場面で施していました。
例えば、テイラーとエイミー(イザベラ)が別れるシーンのカットを引用しましょう。
まず、別れを悲しむテイラーを捉えたカットは以下のようになっています。
(C)暁佳奈・京都アニメーション/ヴァイオレット・エヴァーガーデン製作委員会
画面左側に、テイラーを配置し、右側に空白を作り出し、そこに向かって手を伸ばすような形ですね。
このワンカットがなぜ、素晴らしいのかというと、それはその直前に印象的に登場した2人がベッドで眠っているシーンがあるからこそです。
(C)暁佳奈・京都アニメーション/ヴァイオレット・エヴァーガーデン製作委員会
このシーンで、左側にテイラーを配置し、右側にエイミー(イザベラ)を配置することで2人の位置関係をある程度定めているのです。
だからこそ先ほど引用した別れのシーンでテイラーの右側に空白の空間を作り出すだけで、そこに「いたはず」のエイミー(イザベラ)がいないという不在性を強調しているのです。
ちなみに2人の別れのシーンにおけるエイミー(イザベラ)のカットも見ておきましょう。
(C)暁佳奈・京都アニメーション/ヴァイオレット・エヴァーガーデン製作委員会
といった具合に京都アニメーションはこの類の演出を非常に良く使いますし、さらにはそれが作品に深みをもたらします。
その演出をより輝かせることになったのは、シネマスコープ比率でしょうね!
『ヴァイオレットエヴァーガーデン』はテレビシリーズでは、16:9のアスペクト比だったんですが、劇場スクリーンで公開するにあたって、今回2.3:1に近いシネマスコープ比率にコンバートされています。
これにより非常に横の広がりが大きく見える映像になり、そういう性質を知ったいたからこそ、今回上記のような演出が非常に効果的に作用したのだと思います。
そしてその不在性と空白を生かそうとする傾向は、映像だけではなく脚本にも宿っています。
とりわけ今作のラストシーン、つまりテイラーとエイミー(イザベラ)の再会のシーンの演出は完全に『パリ、テキサス』だと思っています。
おそらく普通に物語として感動のカタルシスをもたらしたいのであれば、今作の2人の再会のシーンは涙の再会で十分ですよ。
ただ、『ヴァイオレットエヴァーガーデン外伝 永遠と自動手記人形』がそこよりも一段高いレベルに到達しているのは、そういう安易な「再会」を演出していないことです。
というのも今作は2人の再会を描いてなどいません。
テイラーは茂みからベネディクトが自分の手紙をエイミー(イザベラ)に渡しているところを見ているだけです。
(C)暁佳奈・京都アニメーション/ヴァイオレット・エヴァーガーデン製作委員会
そして、エイミー(イザベラ)は彼女が茂みにいることには気がついておらず、そしてただただ彼女の手紙を読んで涙を流します。
2人は確かに再会していません。
しかし、「手紙」を通じて2人のお互いに対する思いは確かに再び通じ合ったのだと思います。
2人がお互いに向き合っているわけではないのですが、確かに2人が再会を果たしたことをイメージさせるようなこのラストの演出は見事だと思いました。
このように、映像や脚本で明確に描き切ってしまうのではなく、あえて余白を残しておくことで、鑑賞する側のイメージの受け皿を用意してくれているのが本当に高等テクニックだな~と思いながらしみじみと噛み締めておりました。
手と手を重ねて
今回の『ヴァイオレットエヴァーガーデン外伝 永遠と自動手記人形』を見ていて、映像面で感じたのは、同じ構図、同じ動作のシーンをキャラクターを変えて繰り返しているという点です。
とりわけ以下のようなシーンはヴァイオレット、そしてテイラーとエイミー(イザベラ)の3人の間で繰り返されました。
- 一緒にお風呂に入る
- 髪に触れる(乾かす・結ぶ)
- 一緒に寝る
- 手を重ねる
例えば、髪に触れるという行為については、まずイザベラがヴァイオレットの髪型を変えて遊ぶという一幕がありましたよね。
(C)暁佳奈・京都アニメーション/ヴァイオレット・エヴァーガーデン製作委員会
無論、このシーンは2人の関係性が徐々に深いものに変わっていることを仄めかすシーンなのですが、後にこれに近いシチュエーションでヴァイオレットとテイラーの関わりが描かれます。
それがテイラーが、C・H郵便社へとやって来て宿泊することになったシーンですが、風呂に入った後に、ヴァイオレットが彼女の髪を乾かします。
(C)暁佳奈・京都アニメーション/ヴァイオレット・エヴァーガーデン製作委員会
この手で触れるという行為が象徴的に描かれていて、さらにここで生きてくるのがヴァイオレットが義手であるという設定です。
彼女の義手とは、戦争の悲劇の象徴であり、そして彼女の非人間的な部分を体現する設定でもありました。
しかし、この3人がお互いに手で触れあう行為の中に、自然にヴァイオレットの義手を溶け込ませたことで、義手という冷たい無機物に血が通ったような温かさを感じられるようになっているのです。
(C)暁佳奈・京都アニメーション/ヴァイオレット・エヴァーガーデン製作委員会
「手と手を重ねる」という行為だけを聞くと、すごく愛と温もりを感じると思います。
では、このワンシーンの切り取りを見て見てください。
テイラーの手にヴァイオレットの義手が重なっているシーンなのですが、静止画で見ると、すごく無機物的で冷たいシーンに感じませんか?
しかし、そこに血を通わせ、温もりを与えるのが京都アニメーションのマジックです。
この作品は、ヴァイオレットとイザベラが手を重ね合うシーンや、イザベラとテイラーが手を重ね合うシーンを作品の中に散りばめ、それが愛と信頼の表象であることを私たちに印象づけています。
だからこそ、ヴァイオレットの義手がテイラーの手重なるシーンを見た時に、そういった映像が重なり、そして冷たく見える無機物の塊に生命が吹き込まれるのです。
こういった映像を繰り返すことで、ヴァイオレットの義手という設定を生かすという手法も非常に優れていたと思います。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は『ヴァイオレットエヴァーガーデン外伝 永遠と自動手記人形』についてお話してきました。
OVA上映という形ではありますが、その辺りの劇場版なんて圧倒してしまうクオリティで衝撃を受けました。
こういう常に本気で見てくれる人々をの納得するものを作り続けようとする姿勢が、京都アニメーションに対する信頼と評価に繋がっているのだと当たらめて感じました。
劇場版の方は、公開が延期になってしまったということですが、何とか体制を立て直して、時間はかかっても良いので、再び私たちをあっと言わせるような作品を世に送り出してくれるのを楽しみに待っています。
京都アニメーションありがとう。そしてこれからもよろしくお願いします。
『けいおん!』という作品に人生を変えてもらった1人の人間として感謝しかありません・・・。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。
素晴らしいレビューありがとうございました。
昨日劇場で鑑賞してきて余韻に浸っているところ、Twitterよりこのブログに辿り着きました。
心情描写のために意図的に空白を作り出しているというのは、無意識に感じて葉いたと思いますがあらためて文章にされると「なるほど!」と目から鱗でした。
あと、この作品を劇場で良かったと思ったのは、割と頻繁に出てくる夜の場面で彩色を極限まで抑えることで、同じ暗闇の中にいる登場人物と観客の一体感が得られたこと。
TV画面での鑑賞でも部屋を暗くすれば同じような効果は得られたかも知れませんが、細かいところまで見渡せるスクリーンはやはり迫力が違いますね。
余談ですが2-2章の「・・・テイラーをヴァイオレット家の養子にし・・・」はエヴァーガーデン家の誤りですので、可能であれば修正された方がよろしいかと思います。
駄文失礼しました。
Mataroさんコメントありがとうございます。
>割と頻繁に出てくる夜の場面で彩色を極限まで抑えることで、同じ暗闇の中にいる登場人物と観客の一体感が得られたこと。<
素晴らしい分析だと思います。特にヴァイオレットとイザベラが寮で過ごしていた夜の時間の映像の彩度・明度のコントロールは絶妙でしたね。
誤字の件、失礼いたしました。修正させていただいております。