目次
はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね、アニメ映画「GODZILLA(ゴジラ)怪獣惑星」について語っていこうと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
アニメ映画「GODZILLA(ゴジラ)怪獣惑星」
あらすじ・概要
日本が誇る「ゴジラ」シリーズ初の長編アニメーション映画。巨大な怪獣たちが支配する2万年後の地球を舞台に、故郷を取り戻すべく帰還した人類の闘いを描く3部作の第1部。
20世紀末、巨大生物「怪獣」とそれを凌駕する究極の存在「ゴジラ」が突如として地球に現われた。
人類は半世紀にわたる戦いの末に地球脱出を計画し、人工知能により選ばれた人々だけが移民船で旅立つが、たどり着いた星は人類が生存できる環境ではなかった。
移民の可能性を閉ざされた船内では、両親の命を奪ったゴジラへの復讐に燃える青年ハルオを中心とする「地球帰還派」が主流となり、危険な長距離亜空間航行を決断。
しかし帰還した地球では既に2万年もの歳月が流れており、ゴジラを頂点とした生態系による未知の世界となっていた……。
「名探偵コナン」シリーズの静野孔文と、「亜人」の瀬下寛之が監督をつとめ、「PSYCHO-PASS サイコパス」の虚淵玄がストーリー原案と脚本を担当。
「シドニアの騎士」「亜人」などセルルックの3DCGアニメーションを多く手がけるポリゴン・ピクチュアズが制作。
(映画com.より引用)
予告編
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アニメ「GODZILLA(ゴジラ)」関連記事
前日譚小説「GODZILLA(ゴジラ)怪獣黙示録」の記事も書いておりますので、良かったらそちらもご覧ください。
正直言って、この前日譚小説を読まないと、映画「GODZILLA(ゴジラ)怪獣惑星」を100%楽しみきれないように思いますので、ぜひぜひ購入して読んでおくことをお勧めします。
また続編の『GODZILLA 決戦機動増殖都市』の記事も併せてどうぞ!!
そして完結編『GODZILLA 星を喰う者』の解説・考察記事も書いておりますのでぜひに!
アニメ映画「GODZILLA(ゴジラ)怪獣惑星」感想・解説
ポリゴン・ピクチュアズってなに?
(C)2017 TOHO CO.,LTD. 映画「GODZILLA(ゴジラ)怪獣惑星」より引用
普段から深夜アニメを見ない人だと、ポリゴン・ピクチュアズというあにめ制作会社を聞いてもいまいちピンと来ないと思うんですね。
ということで今回は、最初に簡単にではあるんですが、このポリゴン・ピクチュアズについて解説していこうと思います。
まず最初にこの制作会社は3DCG、つまり今回のゴジラでも使われた奥行き感のある3DCGモデリングされたキャラクターを扱うアニメーションを製作しているんですね。
ただこの3DCGのアニメーションっていわゆる日本的なアニメキャラクターにはミスマッチと言われています。
というのも、日本のアニメーションってあくまでも2D志向で続いてきたわけですから、すごく不自然なキャラクターデザインになってしまうんですね。
ポリゴンピクチュアズと双璧を成す、日本の3DCGアニメ制作会社サンジゲンが制作した「蒼き鋼のアルペジオ」という作品の特報映像を引用してみましたので、キャラクターモデリングを見てみてください。
こういった視覚的な違和感が原因で、3DCGという技術はまだまだ日本では浸透していないんです。
一方のポリゴン・ピクチュアズが制作したディズニーアニメ「トロン:ライジング」の映像を引用しましたので、ぜひご覧ください。
素晴らしい映像ですよね。ポリゴンピクチュアズはこの「トロン:ライジング」でアニメのアカデミー賞であるアニー賞に多数部門でノミネートされたのです。
このように海外のキャラクターデザインは3DCG向けに作られているので、違和感が少ないのです。海外では2Dアニメよりももはや3DCGアニメが主流になっていますね。
そんな今の日本のアニメ業界で3DCGを普及させようと先頭に立っているのが先ほど名前を挙げたサンジゲンとそしてポリゴンピクチュアズなんですね。
ポリゴンピクチュアズは、深夜アニメに参入してからも「シドニアの騎士」や「亜人」といった作品のアニメーションで非常に高い評価を獲得し、サンジゲンの「蒼き鋼のアルペジオ」と並んで、日本における3DCGの市民権獲得に大きく貢献しています。
キャラクターのモデリングにはやはり一抹の違和感を抱えていますが、それ以上に圧倒的な戦闘シーンですよ。
これを2Dで表現しようとすれば、とんでもない人員と予算が必要になります。これを比較的コストを抑えて作ることができるというのも3DCGの強みです。
そして、日本アニメ界においてどんどんと存在感を増してきたポリゴンピクチュアズが満を持して挑むのが今作「GODZILLA(ゴジラ)怪獣惑星」というわけです。
キャラクターのモデリングには、やはり不安を感じる方も多いと思いますが、ゴジラとの戦闘シーンの描写はもう圧倒的と言わざるを得ません。これは本当に3DCGだからなせる業だったんだと思います。
ぜひポリゴンピクチュアズが制作するアニメにこれからも注目して見てください。
君シンゴジラと比べたまふことなかれ
(C)2017 TOHO CO.,LTD. 映画「GODZILLA(ゴジラ)怪獣惑星」より引用
あゝおとうとよ、君を泣く 君死にたまふことなかれ
この一節から始まるのがかの有名な与謝野晶子の反戦歌「君死にたまふことなかれ」である。
ゴジラという存在はそもそも1954年に公開された俗に言う「初代ゴジラ」にその存在意義を大きく依拠してきた。1954年に起こったビキニ環礁での核実験と第五福竜丸の被爆事件がゴジラという怪獣の成立に大きく関与したことはもはや明確だからである。
そのような人類の負の遺産の象徴的存在としてゴジラは形作られたのだ。つまりゴジラと言う存在は、反原発の象徴とも言える。
その後、ゴジラシリーズは社会や人間への皮肉や反骨的な精神を孕みながらも、一般的な怪獣映画シリーズとして長らく継承されてきた。
そして、「初代ゴジラ」の継承という側面を強めて、その内容を現代日本版にアップデートしたのが昨年公開された「シンゴジラ」であったことはもはや言うまでもない。
あの映画はもはやゴジラ映画と呼んでよいのかもわからない。災害映画とも言えるし、ポリティカルサスペンスとも言えるし、まだまだ他のジャンルに当てはめて論じることも出来よう。
ただ、「シンゴジラ」はやはり「初代ゴジラ」にすごく依拠した作品だったことは否定できない。「初代ゴジラ」を知らない今の若い世代に、もう一度あの衝撃を突きつけようというスタンスが感じられた。
だからこそ、一般的にも高い評価を獲得することができたのだろう。
つまり「シンゴジラ」というのは、継承という側面に重きを置いた、ある意味でゴジラを知らない人たちのためのゴジラ映画なのだ。
一方の「GODZILLA(ゴジラ)怪獣惑星」はどうだろうか?本作ないし前日譚小説においてゴジラと言う存在は、もはや反原爆の象徴的なイメージからは完全に解き放たれていることが伺える。
地球上で自分たちの存在を神であるかのように錯覚し、傲慢になってしまった人類に対しての純粋なるパニッシャー的側面を強めていることは言うまでも無い。ただこれだけであれば、今までのゴジラにも共通する部分がある。
では何が革新的だったのか?
それはゴジラが「神」的側面を一段と強めた点なのである。もはや怪獣と言うイメージから解き放たれた異次元の存在として君臨したところに、本作のゴジラの革新性が内包されている。
前日譚小説には、「ゴジラ教」という本作のゴジラの革新性を顕著に表したモチーフが登場する。いくつかのパートを抜粋してみるとしよう。
「あれは黙示録の獣だ。神が人間に裁きを下すために遣わしたのだ。終わりだ。滅びの時が来たのだ。みんな、みんな死ぬ。みんなヤツに殺される。」
突然そんなことを言い出した。今から思えば、彼は世界で最初のゴジラ教信者だったのかもしれんな。あの忌まわしい終末論者ども。
(「GODZILLA(ゴジラ)怪獣黙示録」145ページより引用)
「この滅びは定めなのです。ただ静かに神の裁きを受け入れましょう。」
「核の炎によって浄化された魂に、天の国の扉は開かれる」
そんな「教義」がどこからともなく広がり、・・・・。
(「GODZILLA(ゴジラ)怪獣黙示録」169~170ページより引用)
このように「ゴジラ教」というニヒリズム的、終末思想的な宗教が本作の世界線には存在しているのだ。これは反原発の象徴であったゴジラからは考えられない、ゴジラの新たな側面ということができる。
ゴジラは「神」となり、ある種の信仰の対象にすらなったのである。
前日譚小説に「黙示録」というタイトルがついている点にも着目しよう。ヨハネの黙示録はいくつかのパートに分かれているし、多様な解釈が存在しているので一概に語れない部分はあるが、「最後の7つの災い」ということで神の怒りが7つの鉢を媒介として地に降り注ぐというエピソードが描かれている。
「GODZILLA(ゴジラ)怪獣惑星」の世界線におけるゴジラはまさに黙示録的な神として描かれているのだ。
つまり「GODZILLA(ゴジラ)怪獣惑星」は、拡張と言う側面に重きを置いた、ゴジラファンのためのゴジラ映画なのである。
したがって、「シンゴジラ」と「GODZILLA(ゴジラ)怪獣惑星」では、作品の存在意義がそもそも大きく異なっている。というよりも全く異質な作品と言わざるを得ない。
だからこそ私は言いたいのである。
君シンゴジラと比べたまふことなかれ。と
思ったよりもずっと重要な冒頭のシーン
(C)2017 TOHO CO.,LTD. 映画「GODZILLA(ゴジラ)怪獣惑星」より引用
アニメ映画「GODZILLA(ゴジラ)怪獣惑星」の冒頭に、老人たちを乗せた宇宙船が未知の惑星へと飛び立っていき、そして爆発してしまうシーンがある。
あのシーンは、実は前日譚小説「GODZILLA(ゴジラ)怪獣黙示録」を見ておくと、全く違った視点で見ることができるという点をお話ししておこう。
皆さんは、モニターごしでハルオに対して「もういいんだ。死ぬときは地上で死にたい。」などと言っていたご老人を覚えているだろうか?モニターに彼の名前が表示されていたので注視してみると、そこには「Tani Daichi」という名前がある。
この人物は「GODZILLA(ゴジラ)怪獣黙示録」に非常に印象的な人物として登場しているのだ。ここを抑えておくと、ご老人たちを食い扶ちのために見殺しにしただけのあのシーンは、すごく深い意味を持つシーンであることが透けて見えてくる。
Tani Daichiという人物は、もともと2039年から開始された「オペレーション・エターナルライト」で人類の怪獣たちへの攻勢への転換に大きく貢献した人物である。
彼自身はノルマンディーでのビオランテ討伐に一役買い英雄となった。
さらに言うと、Tani Daichiと言う人物は、本作の主人公であるハルオの父であるアキラと親交のあった人物でもある。
アキラとその妻は、地球からの人類脱出シャトルに乗れずに、命を落としている。
これは上層部がゴジラに関する情報をシャトルのデータベースに持ち込まない決定を下そうとしたがために、シャトルに乗らずに抗議に向かったからである。その際にアキラはこのTani Daichiに息子のハルオを託している。
(C)2017 TOHO CO.,LTD. 映画「GODZILLA(ゴジラ)怪獣惑星」より引用
そう考えると彼は、ハルオにとっては父親代わりのような存在であるわけだ。
さらに「オペレーション・エターナルライト」で人類の反撃に大きく貢献した、対怪獣軍の英雄的存在の1人でもある。
前者の事実は、ハルオがあの宇宙船を飛ばすことに対して抗議したことの一因にもなりうるだろう。
さらに後者の事実は、ゴジラないし怪獣への攻撃に多大な貢献をしてきたTani Daichiを初めとする老人たちを見捨てて、殺してしまうことがそのまま、人類のゴジラへの反骨心、誇り、尊厳の放棄を意味していることを告げている。
だからこそ、あのシーンは泣ける。人類がどれだけ肉体的に、精神的に追い詰められていたかが一目でわかるからだ。
そして、後半でそれを取り戻すために若い世代の人たちが闘うのだから、ここでもまた感涙である。
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故郷と望郷と
(C)2017 TOHO CO.,LTD. 映画「GODZILLA(ゴジラ)怪獣惑星」より引用
- 【故郷】その人に、古くからゆかりの深い所。生まれ育った土地や以前に住み、または馴染んでいた場所。
- 【望郷】故郷を懐かしんで思いを馳せること
故郷。それはハルオたち宇宙船の乗組員にとって地球のことである。
望郷。それは彼らが故郷の地球に思いを馳せることである。
故郷にいた時には、何も感じなかったことが、いざ故郷を飛び出してみると特別に思えたり、懐かしく感じられることがある。そういった時に望郷という言葉が当てはまる。
ハルオを初めとする乗組員たちは暗く、寒く、そして厳しい環境の宇宙船の中で、どんどんと神経をすり減らしていき、いつしか故郷に思いを馳せるようになった。そしてもう二度と故郷には戻れないのだという事実に絶望し、自殺を選ぶ者までいた。
かつては人類が神的存在として君臨していた地球という名の故郷。その故郷には、今はゴジラが神として君臨している。人類がかつて傲慢に好き勝手をしていた故郷では、今ゴジラという怪獣が傲慢に独善的にふるまっているという。
人類はそうして初めて自分たちが「神的存在」にはなり得ないことを知ったのだ。つまり、初めて自分たちを「人間」であると定義づけたのかもしれない。
自分たち人類が「神的存在」として君臨していた時には、その事実に到底気づくことはできなかった。人はその環境の中に自分の身を置いていると、以外にも当たり前のことに気がつかない。
「失ってみて初めて気づく」とはよく言ったものである。
故郷を望郷して見た時に、初めてその真の価値に気がつくのである。
では、なぜ気がつかないのか?それはある種のアイデンティティの喪失に起因するのだろう。故郷というものは人間にとって非常に重要なアイデンティティの1つである。
しかし、故郷に身を置いているときに、それはアイデンティティとして機能する事は無い。しかし、故郷を望郷する立場に身を置いて初めてそのアイデンティティが自分には合ったということと、今や失われてしまったということを同時に実感する。そんな時に、人は無性に帰郷したくなる。
ゴジラに地球という故郷を奪われて、初めて人々は地球から遠く離れた宇宙の片隅で、「地球人としてのアイデンティティ」を実感したのだ。
本作「GODZILLA(ゴジラ)怪獣惑星」は、地球という故郷へと帰郷し、「故郷のアイデンティティ」を取り戻さんとする人類の戦いなのである。
怪獣黙示録の謎の黒塗りはまさか・・・?
前日譚小説では、2042年~2048年までの間の期間の出来事が詳細に描かれていないんですね。
この間に行われたのは、ゴジラをユーラシア大陸に閉じ込める「オペレーション・グレートウォール」が行われたという事実と、日本で対ゴジラ最終決戦が行われて人類が敗北したという事実だけです。
小説の冒頭に年表が掲載されているのですが、2046年の日本での対ゴジラ決戦に関する記述が一部黒塗りになっていたんですね。
を喪失
アニメ映画「GODZILLA(ゴジラ)怪獣惑星」を見終えた今思うのは、ここに当てはまるのは、メカゴジラだったのかなあということですよね。
次回作のキービジュアルでもメカゴジラが前面に押し出されています。
(C)2017 TOHO CO.,LTD.
この黒塗りの謎は次回作まで持ち越しのようですね。
解説:前日譚小説で個人的にまだ明らかにされていないと感じる4つのポイント
ロシアの人工衛星墜落とドゴラの出現の因果関係
これはもう映画版で描かれるかどうかも分からないですね。
ただ怪獣たちの出現が人為的なものであったという虚淵玄のステレオタイプ的な展開に向かうのであれば、このエピソードはすごく重要な意味を孕んでいる可能性もあります。
褐色の妖精
アマゾンの奥地でブラジル人学生が、飛行機の墜落で意識を失っていた時に、褐色の妖精が彼を救助したんですね。
彼女は鱗粉を纏っているという描写があったので、私は、モスラの妖精をイメージしていました。
アニメ映画「GODZILLA(ゴジラ)怪獣惑星」のエンドロール後に登場した褐色の少女。
もしかすると、何か関係があるのかもしれません。
2046年の日本における対ゴジラ最終決戦
この戦いは先ほどの黒塗りの件も含めて、すごく人類にとって重要な戦闘だったと思うんです。
今後の展開で、何か重要なポイントがあるのかもしれませんが、現時点ではベールに包まれています。
サカキ夫妻は情報隠ぺいを阻止できたのか?
「GODZILLA(ゴジラ)怪獣黙示録」の最後の章で、サカキ夫妻が軍のゴジラに関するデータ削除決定に抗議をしに行くとだけ述べられているのですが、実際にどうなったのかは知る由もありません。
もし仮に情報の削除が行われたのだとしたら、ゴジラが人為的な災害であるという可能性が再浮上してくることになります。
この辺りも今後描かれて欲しいポイントですね。
おわりに
いやはやアニメ映画「GODZILLA(ゴジラ)怪獣惑星」もう感激感激感激の内容でしたね。
まさにゴジラファンのためのゴジラ映画という感じで、最高だったと思います。
冒頭の人類の歴史ハイライトで、ゴジラシリーズのマニアック怪獣たちをさらっと紹介しちゃうところとかもう最高にグッときましたね。
そして続編のタイトルは、「GODZILLA(ゴジラ)決戦機動増殖都市」ということで2018年5月に公開されるということです。今からもう楽しみですね。
「シンゴジラ」で原点回帰を果たした日本産ゴジラが踏み出した新たな一歩がこのアニメ映画「GODZILLA(ゴジラ)怪獣惑星」だと思うと、非常に感慨深いものがあります。
特にあのハルオの演説シーンは泣けましたね。何だか「インデペンデンス・デイ」のかの有名な演説シーンを想起しました。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。