みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『mellow』についてお話していこうと思います。
これまでは予告編を見て、作品を見るかどうかという感じだったんですが、最近は今泉監督の名前を見ると、とりあえず完了予定リストに入れるようになりました。
それくらいに私としてはお気に入りの監督なので、今回の『mellow』についても予告編すら見ずに、ポスターだけの前情報で鑑賞してまいりました。
街の小さな花屋を中心にした切なくも温かい人々の恋愛模様を、他人の恋バナを立ち聞くかのようなテイストで見せてくれる本作は、見終わって、じんわりと心に沁みる素晴らしい作品でした。
主演こそ今が旬の田中圭さんですが、脇のキャスト陣はあまり映画やドラマへの出演経験がない人も多く、演技的に粗削りな部分も見られるのですが、その不安定さもまた愛おしく思えるようなそんな作品です。
公開規模がかなり小さいというのもあるので、個人的には、ぜひ多くの人にご覧いただけるよう、応援していきたいところです。
本記事は作品のネタバレになるような内容を若干含んでいる感想・解説記事となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『mellow』
あらすじ
街で1番オシャレな花屋「mellow」を営む夏目誠一は、穏やかな毎日を過ごしていた。
そんな彼の花屋を中心にして巻き起こる恋愛模様を優しく温かいタッチで切り取っていく。
父親から受け継ぐも廃業寸前のラーメン屋を経営する木帆。
母親の美容室のための花を買うために頻繁に「mellow」を訪れる女子中学生の宏美。
宏美に好意を寄せるバスケットボール部の後輩の女の子たち。
「mellow」から月2回ほど、自宅の花を取り換えに来てもらっている主婦の麻里子。
時々学校に行けず「mellow」で勉強をしている小学生の女の子、さほ。
それぞれの抱く「片思い」を言葉にすることで、少しずつ物語が動き出していく・・・。
スタッフ・キャスト
- 監督:今泉力哉
- 脚本:今泉力哉
- 撮影:水口智之
- 編集:相良直一郎
- 音楽:ゲイリー芦屋
- 主題歌:並木瑠璃
『知らない、ふたり』『パンとバスと2度目のハツコイ』などこれまでにも多くの「片思い」映画を世に送り出してきた今泉力哉監督の新作がいよいよ公開となりました。
過剰にエモーショナルにすることなく、登場人物に近づき過ぎない絶妙な距離感で物語を切り取ろうとする彼の視座は他の恋愛映画とは一線を画していて、だからこそ「彼の撮った」恋愛映画を見たいと思わされてしまうのでしょう。
近年は『愛がなんだ』や『アイネクライネナハトムジーク』などの原作有の作品が増えていましたが、ここに来てオリジナル映画が2週続けて公開ということで非常に楽しみです。
撮影監督には『ここは退屈迎えに来て』などで独特の長回しを披露し、ひそかに注目を集めた水口智之さん、編集にはこれまでの今泉監督作品にも携わってこられた相良直一郎さんが起用されました。
音楽には、『愛がなんだ』のゲイリー芦屋さんが起用され、主題歌は並木瑠璃さんの『花になる』となっています。
- 夏目誠一:田中圭
- 古川木帆:岡崎紗絵
- 浅井宏美:志田彩良
- 水野陽子:松木エレナ
- 原田さほ:白鳥玉季
- 青木麻里子:ともさかりえ
パッとキャスト一覧のお名前を拝見した時に、主演の田中圭さんしか知らなかったんですが、映画を見ると、本当に全員の名前を覚えておこうと思うくらいに魅力的な役者ばかりでした。
ドラマなどで最近、注目を集めている岡崎紗絵さんが演じた木帆は少し社会に対して冷めた視座を持っているような人物なんですが、そんな彼女が後半にかけて、髪型を変え、少し表情や雰囲気が変化していく感じも非常に良く伝わってきました。
あとは志田彩良さんが単純に自分の好みのタイプだったというのもあり、ずっと目で追ってしまっていましたが、彼女も初々しい片思いとそれを伝える時の緊張感がスクリーン越しにもひしひしと伝わってきました。
他にも子役の白鳥玉季さんも良かったです。彼女は『永い言い訳』にも出演していましたね。すごく巧いなぁと思っていたので、覚えていました。
より詳しい情報を知りたいという方は、映画公式サイトへどうぞ!
『mellow』感想・解説(ネタバレあり)
他人事を自分事に思える距離感
(C)2020「mellow」製作委員会
今泉監督の作品が、他の方の映画監督の恋愛映画と決定的に違うと感じさせられるのは、視点と被写体となる人々の独特の距離感だと思っています。
この距離感そのものは『知らない、ふたり』の頃から一貫しているように思いますが、今作『mellow』ではそれを全編にわたって散りばめた非常に特徴的な演出になっていました。
登場人物のエモーションに迫りすぎることなく、淡々と固定カメラで会話を長回しで映し続けるその独特の映像は、1人で食べに来たラーメン屋で、隣の席のカップルの恋バナを聞いてしまうようなそんな感触があります。
もう少し遠くなってしまうと、もはや他人事に思えてしまうけれども、そこまで遠ざかってしまうことなく、確かに自分事に感じられる絶妙な距離感で恋愛模様を描き続ける視座が絶妙で、それが逆にグッとくるんですよね。
そして本作を観ていて、強く感じたのは、彼にとっての「長回し」が時間の流れと感情の変化に寄り添うためのアプローチであるのではないかという点です。
『mellow』を見ていて、登場人物が室内で会話しているシーンで、窓の外に注目してみると、非常に面白いことに気がつくと思います。
というのも、そこには人や車の往来があって、確かに時間が流れていることを感じさせるようになっているのです。
映画として切り取ろうとしている登場人物たちの会話が、確かにこの世界のどこかで行われているものであり、映画を見ている私たちの同じ速度で流れている時間の中で起きているものであることを自然と実感できるようになっているんですね。
私の敬愛する映画監督であるヴィム・ヴェンダースは観客に流れている時間と映画の中に流れている時間にズレができればできるほどに、感情移入しにくくなるのではないかという指摘をしていました。
そういう意味でも、『mellow』は作品の中に時間が流れていることが感じられ、しかもそれが映画を見ている私たちの時間の流れと同じ速度に感じられるからこそ、登場人物たちの感情がリアルに感じられるのだと思います。
また、そういった作品内に時間の流れが存在しているために、登場人物たちの感情の変化やその場に流れる気まずい空気感がすごく「リアルに」伝わって来るんですよ。
例えば、誠一が主婦の麻里子から彼の夫も同席している場で告白されるという一幕があったのですが、これは非常に気まずく、彼としては身の置き所の無いシチュエーションです。
今泉監督は、このシーンを徹底した長回しの定点観測的なカメラワークで撮影するため、私たちもその場に同席しているかのように感じられ、気まずさと身の置き所の無さを共有することとなります。
また、宏美が誠一に告白しようと意気込んで「mellow」にやって来るシーンも素晴らしかったですね。
ここでも時間の流れとカメラの距離感が見度とに機能していて、宏美が店にやって来た時にはあった告白することへの勇気が会話の中で揺らいでいき、最終的には告白できずに帰ることになるに至るまでの表情や会話、仕草などを全て映像の中に閉じ込めています。
その感情の変化が、時間の流れに重なるからこそ、私たちは「生きた感情」としてそれを受け取ることができるのだと思います。
こういったカメラと被写体の距離感や作品内時間の構築が、明確にできているからこそ登場人物たちの「閉じた会話」が、自分事に感じられるのだと思いました。
言葉に出さなければ消えてしまう思い
(C)2020「mellow」製作委員会
「恋心」というものは、幽霊のようなものなのかもしれません。
実体もなく非合理なものなのに、確かに自分としては身体の中に存在していると感じてしまうようなある種のオカルトなんですよ。
今作『mellow』は、そんな「幽霊=在らざるもの」を可視化させようともがく男女の物語であったように感じました。
本作の登場人物の1人である木帆は、自身が父から受け継いだラーメン屋を閉店するにあたり、それを告知することに抵抗を感じていました。
それを「言葉」にしたために店に足を運んでくれるお客さんなんて、結局その程度の感情しか持ってくれていないのではないだろうかと疑念を抱いているのです。
しかし、それに対して誠一は、言葉にした方が良い、ふっと消えてしまうと悲しむ人だっているはずだと彼女を諭しました。
このやり取りはまさしく「恋心」にも置き換えられる話で、きっと言葉にしなければ時間の流れと共に、自分の中にあった「幽霊」はなかったことになっていくのでしょう。
そうして「恋心」という名の「幽霊」が自分の中からふわっと消えてしまった時に、悲しい気持ちになるのは、きっと自分自身なんだと思います。
だからこそ、それをなかったことにしないために、人は自分の思いを言葉にして、相手に伝えようとするのでしょう。
今作では、もはや相手が自分の思いを受け入れてくれないことなどは分かっていて、それでも真っ直ぐに思いを伝えようとする人の姿が印象的でした。
あまり映画のレビューでこういう話をしてもなのですが、私自身もまさにこういう経験をしたことがあります。
中学校の卒業のタイミングで思いを伝えようと思っていたのですが、勇気が出ず、その思いをなかったことにしようとして、高校生になったのですが、結局忘れられなくてずっとモヤモヤとしていたんです。
そしてその相手に別に好きな人がいることも知った状態で、自分の思いを形にして、きちんと終わらせるために、電話で告白をしてフラれました。
この告白が誰のためだったのかと考えると、どこまでも自分のためでしかなく、自分の思いにけじめをつけるためだけだったと思います。
だからこそ私は、本作『mellow』の冒頭に、ラーメン屋で別れ話をしていたカップルの男性が、「自分のため」なんですよと苦笑いをしながら話していた気持ちが痛いほどに分かってしまい、思わず涙がこぼれました。
また、今作は様々なキャラクターが自らの片思いを打ち明けていくのですが、その際に必ず「ありがとう。でも、ごめんなさい。」というセリフを告げるのです。
それでも、この言葉のおかげで、自分が少しだけ勇気を振り絞って実体をもたらした「恋心」が肯定されているようなそんな優しい気持ちになります。
今泉監督は、そんな「恋心」という幽霊を物語の中で、言葉にすることで可視化していき、その存在を「ありがとう。でも、ごめんなさい。」という言葉で温かく受け入れてくれようとするのです。
そして本作『mellow』のラストシーンが個人的に大好きなのですが、ここで敢えて「両思い」を成立させないことに私は今泉監督のこだわりを感じました。
まさに「片思い」が「両思い」に変わる5秒前に終わるとも言える本作は、「言葉にしなければ伝わらない思い」を描く映画でありながら、そのラストで「言葉にしなくても伝わる思い」を描いています。
その映画としての余白がまた、見る人の心を鷲掴みにするのだと思いますが、ここで終わらせるからこそ本作『mellow』が「片思い映画」たり得るのだとも感じました。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『mellow』についてお話してきました。
それを言葉にできた人にとっては自分を優しく肯定してくれていると感じる作品であり、出来なかった人にとっては忘れかけていた思いの棘が心をチクリとつつくような作品なのではないかと思います。
もちろん告白をするのは、「両思い」になるためだとは思うのですが、相手に好きな人が分かっていても、他でもない自分自身のためにその思いを形にするということがあっても良いのだと思います。
例え「恋心」が「幽霊」のようなものだとしても自分の中からふわっと消えてしまうのはきっと悲しいものです。
それを伝えられて、不快な気持ちになる人は(状況さえ選べばですが…)まずいないと思います。
「私も好きでした。」「よろしくお願いします。」で始まる「両思い」ではなく、「ありがとう。でも、ごめんなさい。」で終わる「片思い」があっても良いと優しく背中を押してくれるようなmellowな人間ドラマでした。
ぜひぜひ多くの人にご覧になっていただきたいと思います!
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。