みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画『AWAKE』についてお話していこうと思います。
皆さま本年も当ブログをご愛読いただきまして、ありがとうございました。
2021年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、この『AWAKE』という作品ですが、正直全くのノーマークだったんですよね。
12月25日は楽しみにしていたアニメ映画が多数公開されたという事情もあり、そちらに気を取られていて、あまり情報を仕入れていませんでした。
ただ、公開されて見ると、Twitter等での評判も上々で、個人的に信頼しているレビュワーの方々もかなりおすすめしていたのです。
そうした事情もあり、これは絶対に年内に見ておかなければという思いにさせられましたし、将棋には多少なりとも興味があったので、余計に気になり、劇場に足を運びました。
結論から申し上げますと、本当に見ておいて良かったと思っております。
邦画大作にありがちな説明過多や過剰な演技等は一切なく、淡々と映像で物語を見せていくアプローチに感動しました。
また、劇中の効果音や劇伴音楽が生み出す作品のリズムが心地良く、色彩感覚や編集の妙で2人の主人公の物語を対比させながら見せていく手法は本当に素晴らしかったです。
残念ながら、公開規模があまり大きくないですし、私が見た回も劇場はガラガラであまり動員は芳しくないような印象を受けました。
ただ、見ておいて損はない映画ですし、将棋やAIに興味がない方にも楽しんでいただけるように計算された作りになっています。
ぜひとも、多くの方にご覧いただきたい、そんな思いをありつつ記事を書いている次第です。
さて、ここからは『AWAKE』について個人的に感じたことや考えたことを綴っていきます。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事です。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『AWAKE』
あらすじ
本作は、2015年に開催された将棋電王戦FINALの5回戦「阿久津主税八段VS AWAKE」に着想を得て作られたフィクションとなっております。
幼少時から棋士を目指してきた英一だったが、降格のかかった大事な対局で同世代の天才棋士・陸に破れたことでプロの道を諦めてしまう。
将棋を辞め、大学に入るも打ち込むべきものを見出せない日々。
さらに、ずっと将棋しかしてこなかった彼は周囲と関わりを持つことが苦手で、なかなか友人ができずにいた。
そんなある日、彼は父が自宅のコンピュータで将棋のゲームをしているのを目撃する。
コンピュータ将棋に魅力を感じた英一は、大学のAI研究会に加入することを決めるのだった。
先輩である磯野の指導を受けながら、英一はプログラム開発にのめり込み、次第に将棋のプログラムを形にしていくのだが…。
スタッフ・キャスト
- 監督:山田篤宏
- 脚本:山田篤宏
- 撮影:今井哲郎
- 照明:酒井隆英
- 美術:小坂健太郎
- 音響効果:渋谷圭介
- 視覚効果:豊直康
- 音楽:佐藤望
彼は乃木坂46アンダーガールズの『13日の金曜日』のMVを担当するなど、MVのクリエイターとしても知られています。
2010年に『ハッピーエンド』という映画を製作しているのですが、今回の『AWAKE』が商業映画デビュー作になるようですね。
本作の撮影監督には、『新・鮫島事件』など数多くのホラー映画を手掛けてきた今井哲郎さんが起用されています。
ホラー映画的なアングルも多く見られ、それが物語の中でしっかりと機能していたのは素晴らしかったですね。
劇伴音楽には実写版の『映像研には手を出すな!』にも楽曲を提供した佐藤望さんがクレジットされています。
- 清田英一:吉沢亮
- 浅川陸:若葉竜也
- 磯野達也:落合モトキ
- 中島透:寛一郎
- 磯野栞:馬場ふみか
- 山崎新一:川島潤哉
- 山内ひろみ:森矢カンナ
主演の吉沢亮さんは、今作の役作りのために、かなり増量し、姿勢を猫背気味にするのを意識していたそうですね。
インタビューでは、「ラーメンとビール2本を寝る30分前にあえて体に流し込んで寝る生活をしていた。次の日の体調の悪さはハンパなかったけれど……」と語っています。
そうした外見的な役作りだけでなく、表情や仕草の作り込みも圧倒的で、セリフが少ない役どころながら、それを感じさせないほどに雄弁な演技を見せてくれました。
主人公のライバル役には、若葉竜也さんが起用されています。
今年はメインどころの役ではないですが『罪の声』や『朝が来る』なんかにも出演されていましたね。
その他にも寛一郎さんや馬場ふみかさんらが出演していましたね。個人的に馬場ふみかさんは好きなのですが、出番が少なめだったので少し残念でした。
もう少し物語に絡んできてくれても嬉しかったのですが、そうなると「恋愛要素」を足すことになりそうなので、そういう意味ではこれで良かったような気もします。
『AWAKE』感想・解説(ネタバレあり)
音と光で楽しむ映画の真髄
(C)2019「AWAKE」フィルムパートナーズ
さて、今作『AWAKE』の何が素晴らしいって、やはりその音と光の使い方なんですよね。
まずは「音」の方からお話していきます。
今作は、目を閉じてその「音」を聞いているだけでも心地よい印象を受けると思います。
その秘密は、劇中の効果音と劇伴音楽の呼応にあると感じました。
佐藤望さんが手がけた劇伴音楽は、比較的シンプルなものが多く、ドラムでビートを刻んでいくだけといったものもあったように思います。
そうした劇伴音楽のリズムやビートが、登場人物たちの将棋を巡る音にリンクしていくことで、美しいハーモニーを作り上げていくんですよね。
将棋の駒が盤に打たれる音、タイマーのボタンを押す音、そしてそこに合わさる劇伴音楽のドラムビート。
将棋の対局を映し出すシーンは、基本的に無言のため、音がなく静寂が続きます。
だからこそ、『聖の青春』や『三月のライオン』といった近年の将棋映画を見てみても、そこにナレーションを入れたり、モノローグを入れたりして補完していました。
しかし、今作『AWAKE』は、そうしたノイズの一切を排し、徹底的に将棋によってもたらされる効果音だけにフォーカスしています。
そうした「音」が、棋士たちの極限の戦いをよりリアルに描写する上で欠かせないものであったことは言うまでもないでしょう。
静寂は緊張感をもたらし、そして小気味よく連続していく駒を打つ音、タイマーを叩く音は、戦いのスピード感を演出しています。
監督の山田篤宏さんも将棋が大好きということですが、本作の映像は将棋の魅力が分かっている人が撮った映像という趣があり、圧倒されました。
また、この映画は、清田英一と浅川陸が将棋電王戦FINALで戦うまでの過程を対比的に描いていきます。
そうした対比の演出においても、「音」は重要な役割を果たしていました。
大人になった清田英一と浅川陸は、それぞれに将棋プログラムの開発と、将棋の対局に打ち込んでいきます。
その中で、キーボードの打鍵「音」と駒を打つ「音」が、似ているのですが、非なるものとして作中にあしらわれていることに感動しました。
この「音」は、2人が全く違うことをしているのに、「将棋」という競技の下で、どこか繋がっているということを仄めかす役割を果たしていたと言えるでしょう。
将棋に打ち込んだのに、プロ入りを諦めた。
それでも捨てきれなかった英一の将棋への思いは確かに続いているのだということを、確かに感じさせてくれたのです。
そこに、「光」の演出が加わることで、2人の対比が際立っていたのも印象的でした。
将棋は盤や駒の木の色とそこに書かれた文字の黒い色だけで構築されています。
しかし、英一が取り組んでいるコンピュータ将棋の世界において、しばしば用いられるゲーミングPCはカラフルないしレインボーな「光」を放っているんですよね。
2人がそれぞれに没頭しているものを、「色」や「光」を使い分けることで、視覚的に対比させるアプローチは巧かったです。
このようにとにかく『AWAKE』という作品は、「音」と「光」にこだわった映画になっており、それが物語や演出において重要な役割を果たしています。
セリフやモノローグの一切を排する代わりに、こうした視覚・聴覚情報で2人の対比を生み出していく手法は、極めて映画的と言えますし、高く評価されるべきでしょう。
ニコ動特有のコメントが観客の思考のトリガーに
(C)2019「AWAKE」フィルムパートナーズ
さて、もう1つ映像演出的な面で触れておきたいのが、本作に登場したニコ動特有の流れるコメントの演出です。
これは、やはりアイコニックなので、近年の邦画でも使われている作品は多く存在しています。
ただ、ニコ動って今やYouTubeに取って代わられていて、もう「今のネット描写」としては古臭いものになりつつあります。
例えば、よく使うのが福田雄一監督だと思いますが、彼の映画のギャグのセンスが古臭く、旧来的であるのも偶然ではないでしょう。
この『AWAKE』という作品が、ニコ動のコメント演出を用いるのは、もちろん2015年に開催された将棋電王戦FINALの5回戦が当時、ニコ動で生放送されていたからです。
そのため、最大の理由は「事実の再現」のためということになります。
しかし、作品を通じて考えてみますと、もう少し意味のある演出だったと思いました。
というのも、あのコメント欄に流れてくるメッセージに注目してみると、2人の勝負の決着後に、清田英一と浅川陸の双方を非難するようなものが多数見られましたよね。
なぜ、ネットの住民があんなコメントを残すのか。
それは清田英一と浅川陸がどんな人間であるのかを知らないがためなのでしょう。
私たちは、この『AWAKE』という作品を見て、清田英一と浅川陸がどんな人間で、どんな経歴を持っていて…ということを知っています。
一方で、コメントを残している人間は、まさしくあの会場で起きた「瞬間」しか目撃していません。
そのため、簡単に2人があの勝負の場で取った行動を否定してしまうんですよ。
このように、ニコ動のコメントを作中に取り入れることで、本作は観客が2人の戦いを見ているというシチュエーションを作中にも再現しています。
その上で、観客が戦いを見ているところを、『AWAKE』という作品の観客である私たちがメタ的に鑑賞しているという状況を作り出したわけですね。
2人の物語を追ってきた人間として、ニコ動のコメントとして流れてきたような感想は、納得がいかないものも多いはずです。
「あんなにすぐ投了って、人としてどうなの?」
「プログラムのバグを使って勝つのがプロなの?」
では、あのコメント欄をも俯瞰で見ている私たちは、あの戦いを、そして2人があの戦いに費やしてきた時間を、そして何よりあの結末をどう評価するのでしょうか?
まさしく、このことを『AWAKE』という作品は問うています。
コメント欄のある種の「決めつけ」めいた意見が作中に描かれることによって、私たちは思わずそれを「否定」したくなる思いに駆られます。
だからこそ、このニコ動のコメントの存在は、私たちが『AWAKE』という作品の主題について考えるトリガーにもなっているわけです。
「プロ」として戦うとは何か?
(C)2019「AWAKE」フィルムパートナーズ
さて、最後に本作『AWAKE』のテーマ的な部分に言及していこうと思います。
とりわけ私が本作の主題だったと感じたのは、「プロとして戦う」とは何たるか?です。
2人の子ども時代、つまり奨励会時代のパートで、英一が将棋の指導者から「君はプロじゃない。」と叱責される一幕がありました。
英一は、自分が「詰み」の状態になっているにもかかわらず、「投了」しなかったために叱責を受けることになったわけです。
では、あの指導者は何を彼に伝えたかったのか。
それは「負け」を認められることもまた、紛れもない「プロ」としての素質だということだったと思うのです。
英一は、将棋電王戦FINALの舞台でも当初、自分のプログラムのバグが見つかり、動揺し、ルールを破ってでも、その修正を認めてくれるよう懇願していました。
彼の「負け」を認めることができない気質は、子どもの頃から変わっていなかったのです。
しかし、いざ陸がプログラムのバグを誘発するような手を打ち始めると、英一は納得したような表情を見せていました。
それは確かに自分の「負け」なのだと。心からそう認めることができたのでしょう。
だからこそ、かつて英一を指導していた山崎は、試合を振り返って、彼のあっという間の「投了」を立派だったと評するのです。
それは、英一が「プロ」になれた瞬間だからなんですね。
一方で、陸が将棋電王戦FINALで取った行動も、やはり「プロ」としてのものだったと思いました。
もちろんプログラムのバグを突いて勝つというのは、「人間がAIに勝つかどうか?」というトピックにしか関心のないやじ馬からすれば、物足りないものでしょう。
しかし、陸の関心は、あくまでも「目の前の相手に勝つこと」だけなんですよ。
だからこそ、観客の見世物になることを拒絶し、あくまでも目の前の相手に勝利するための最善を尽くした彼は、やっぱり「プロ」だったのです。
こうしたコンテクストを、セリフやモノローグで表現するのではなく、あくまでも2人の「投了」後の視線で物語らせていたのは、本当に痺れる演出でした。
お互いを「プロ」だと認め合うようなその視線。
きっとそこには、あの場で相まみえた2人にしか理解できない思いがあるはずです。
それを観客に共有することなく、あくまでも2人の間に留めておくという選択も素晴らしいものでした。
本作『AWAKE』のラストシーンでは、そんな勝負の世界でしか相まみえてこなかった2人が、遊びとしての将棋の場で対面します。
「プロ」として視線を交わした、穏やかな表情で、笑い合いながら盤を囲む光景。
これもまた「対比」の演出です。
そうして、子どもの頃から真剣勝負の場でしか対面することを許されなかった2人が「子ども時代」を取り戻すかのように将棋を指す光景に、思わず涙がこぼれました。
目の前の相手にとにかく勝つこと。そして目の前の対局をとにかく楽しむこと。
「プロ」として向き合う将棋だけでなく、将棋という競技が内包する本質的な「楽しさ」にも言及しつつ、作品を締め括ったのは素晴らしかったと思います。
将棋映画として、長らく語り継がれるような名作だったと言えるでしょう。
おわりに
いかがだったでしょうか。
今回は映画『AWAKE』についてお話ししてきました。
邦画は、演技過剰、説明過剰だと揶揄されることも少なくないですが、こうした視覚情報で訴えかけるような素晴らしい映画も多く作られています。
また、この映画に関しては、とにかく主人公の吉沢亮さんの演技が凄まじかったですね。
セリフが少ない役なだけに、表情や姿勢、立ち振る舞い、仕草で多くを語ることが要求されましたが、それを見事に表現してくれました。
動員的にも上映が早めに終わってしまいそうな気もしています。
興味のある方は、ぜひ劇場でご覧になっていただきたいです。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。