みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね、映画「gifted/ギフテッド」についてお話していこうと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説となっております。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
良かったら最後までお付き合いください。
目次
「gifted/ギフテッド」
あらすじ・概要
「キャプテン・アメリカ」「アベンジャーズ」シリーズのクリス・エバンスが幼い姪に愛情を注ぐ独身男を演じ、「(500)日のサマー」「アメイジング・スパイダーマン」のマーク・ウェブ監督がメガホンをとったファミリードラマ。
生まれて間もなく母親を亡くした7歳のメアリーは、独身の叔父フランクとフロリダの小さな町でささやかながら幸せな毎日を送っていた。
しかし、メアリーに天才的な特別な才能が明らかになることで、静かな日々が揺らぎ始める。
メアリーの特別扱いを頑なに拒むフランクのもとに、フランクの母エブリンが現れ、孫のメアリーに英才教育を施すため2人を引き離そうと画策する。
母の画策に抵抗を続けるフランクには、亡き姉から託されたある秘密があった。
予告編
『gifted/ギフテッド』感想・解説
幸せの最適解とそれを導き出す方程式
誰もが誰かの幸せを願っていて、でもその思いが強すぎるとそれはエゴになる。
両者は表裏一体で、皆その両方を意識的または無意識的に持ち合わせてる。大切なのは、その思いの質量を擦り合わせていく過程で最適解を導きだすことだ。
人にはそれぞれ大切な人がいる。家族、友人、恋人、子供、隣人・・・。そしてその人たちの為であれば、その人たちの幸せの為であれば、人は何でもしてあげたくなるものだ。
人は自分だけでなく、自分の大切な人の幸せを願い、そして行動できる生き物なのである。
しかし、時にその利他的な思いに自分の主観が反映されすぎることがある。
他人の幸せを自分の価値観でもって決めつけて、それが相手にとっても当然幸せを感じることであると錯覚したままで行動してしまうことがあるのだ。
そういう時に、誰かの幸せを願う気持ちはただのエゴへと成り下がる。それは他人の幸せを考え、そのために行動している自分に酔っているだけである。
ただこういったエゴイスティックな考えや行動は単純に批判できるものではないのである。というのも、この類のエゴを持っていない人間などおそらく存在しないからである。
他人の幸せを願う気持ちとエゴは表裏一体の関係なのである。そのため自分の意識の表象的な部分では、利他的に考え、行動していると思っていても、無意識のレベルでは自分のエゴが働いている可能性が大いにある。
(C)2017 Twentieth Century Fox 映画「gifted/ギフテッド」予告編より引用
つまり、このある種のエゴと言うものは、利他的であろうとするが故の副作用なのである。
だからこそ批判することはできない。これを否定することはつまり他人の幸せを願うことそのものを放棄させることとほとんど同義だからだ。
では、どうすれば良いのか?ある人の幸せのために行動する時にどうすればその人の幸せの最適解を導き出せるのか?
それは、周囲の人が持つ純粋なる利他的感情とエゴイスティックな感情、そして本人の思い、それらの質量を擦り合わせていくことである。
大人になれば、自分の幸せは自分で決めるというある種の独善的な行動が可能になる。だが、子供の場合はそれを判断するだけの能力がまだ備わっていない。自分の幸せを自分で決めるだけの能力も知識も社会性も道徳も判断力も何もかもが未熟なのである。
そういった場合にはそれを支える大人たちが介入していく、あるいは導いていくことが必要になる。
だがそれが大人のエゴによる幸せの押しつけになってしまうことは決してあってはならない。
本作「gifted/ギフテッド」の中でも、フランクとイブリンがそれぞれに自分の幸福観やエゴをメアリーに押しつけ、無理矢理に進むべき道を決めようと画策している。そこにメアリー自身の幸福観や思いが内在しなかったのである。
(C)2017 Twentieth Century Fox 映画「gifted/ギフテッド」予告編より引用
しかし、物語を通して2人はメアリーの幸せの最適解を見つけようと尽力する。
フランクにとってのメアリーの幸せ。
イブリンにとってのメアリーの幸せ。
メアリーにとってのメアリーの幸せ。
この3つの質量が擦りあわされ、同じ重さに落ち着いた時に、この映画は完成する。
だからこそ映画「gifted/ギフテッド」は幸せの方程式なのである。
映画「gifted/ギフテッド」という名の方程式が導き出した幸せの最適解をぜひとも一人でも多くの方に見ていただきたい。
素晴らしい作品であったことに疑いの余地はないだろう。
「gift」それは才能。それは贈り物。そしてあるいは・・・。
(C)2017 Twentieth Century Fox 映画「gifted/ギフテッド」予告編より引用
“gift”と言う英単語の意味を聞かれて、答えられない人はそう多くはいないと思う。
“gift”は「贈り物、才能、恵み」といった意味を持つ単語である。
つまり本作のタイトル「gifted/ギフテッド」というのは、「才能を与えられた」とか「天賦の才をもった」という類の意味になるだろう。
giftedという言葉で、先天的に高い知能を持つ人のことを総称することもある。
ただ、”gift”という単語には興味深い事実がある。英語と同じゲルマン語系の言語であるドイツ語における”Gift”という単語を見てみると、英語とは全く異なる意味で使われているのだ。
何と「毒、毒薬、有害なもの」といった意味で使われているのである。
これに関しては、16世紀頃に医学において薬品を投与することを”Gift geben”と言い表すようになったことから派生して、「毒、毒薬」という意味で定着したということが定説として存在しています。
映画「gifted/ギフテッド」の中でもフランクのセリフの中で「毒」という言葉が登場していた。
つまり、本作「gifted/ギフテッド」が我々に訴えかけているのは、「才能」は周囲の人次第で「贈り物」にも「毒」にでもなるということだと思う。
一般的な話をすると、科学者なんかはその典型だろう。
周囲の人次第で、才能ある科学者は多くの人を救う発明もできるし、一方で多くの人の命を奪う発明もできる。「才能」はその周囲の環境、人々、時代によってまさに「恵み」にも「毒」にでもなりうる。
映画「gifted/ギフテッド」に登場するメアリーはまさに天賦の数学者の才能を持ち合わせた天才である。その育て方によっては、人類の未来を切り開く偉大な数学者になるだろう。
しかし、育て方を誤れば、才能がメアリー自身を押しつぶし、不幸な結末を招くかもしれない。
子供にはそれぞれに多様な才能が備わっている。それを育てていくのは、両親を初めとする周囲の人々だ。そして、その「才能」は育て方によって、その子を支える「贈り物」にもなるし、逆にその子を滅ぼす「毒」にも成り得る。
親と言うものは、まだ精神的にも未熟な子供の”Gift”を大きく左右する第一義的責任を背負っているということを常に心に留めておかなければならない。
“Gift”は周囲の人の支えがあって、初めて「才能」へと昇華するのだ。
監督とキャスト陣を簡潔に紹介
クリス・エヴァンス(フランク)
(C)2017 Twentieth Century Fox 映画「gifted/ギフテッド」予告編より引用
彼は、アメコミ映画を見ている人であれば、マーベルの映画シリーズを見ている人であれば、知らない人はいないであろう俳優です。
マーベルシネマティックユニバースでキャプテン・アメリカを演じています。
そのため、どうしても彼を見ているとキャプテン・アメリカのイメージが強くなってしまいます。
ただ本作の彼の演技は傑出したもので、抑えた演技ながらもメアリーの幸せを願う熱い思いを持つ男を見事に演じ切りました。
彼の演技とは、少し関係ない部分にはなりますが、個人的に注目してほしいのが彼の手のクローズアップショットなんですよね。
彼が演じるフランクは船舶の修理をしています。本編の彼の手の爪の部分をよく見てみてください。船舶の修理の際に付着したであろう黒い油が爪の隙間に付着しているんですよ。
こういう細部までこだわった映画というものにはどうしても好感を持ってしまいますよね。
こういうほとんど誰も気がつかないような細かい部分では、意外と手抜きをしている映画って多く存在します。そして大抵の場合、その類の手抜きは気づかれません。
ただ、見ている人は見ているんですよね。だからこそ、映画の隅々まで配慮が行き届いた作品は素晴らしいのです。
爪の隙間に溜まった、あの黒い油に6年間メアリーを男手一つで必死に支えてきたフランクの苦労が結晶されているように感じて、すごく感激したのでした。
本作をこれから見る人はぜひクリス・エヴァンスの手元に注目です。
マッケナ・グレイス(メアリー)
(C)2017 Twentieth Century Fox 映画「gifted/ギフテッド」予告編より引用
ハリウッド映画界では、エマ・ワトソンやエル・ファニングを初めとして次々に子役出身の大物女優が生まれています。マッケナ・グレイスもネクストブレイク必至の子役と言えるでしょう。
彼女はドラマ「フラーハウス」や「I,Tonya」、そして本作「gifted/ギフテッド」などの話題作に出演し、一気にその知名度と人気を高めています。
何と彼女のインスタグラムはフォロワ―数驚異の46万人オーバーとなっています。そちらもぜひチェックしてみてください。
ただ、彼女がブレイクしているのはただビジュアル的に可愛いから、それだけなはずがありません。
本作「gifted/ギフテッド」における彼女の演技を見ていて、素晴らしいと感じたのは「オトナっぽい子供」を絶妙に演じる事ができる技術です。
メアリーというキャラクターは、天賦の数学的才能を持ち合わせていて、人間的にも同じ年のクラスメートたちに比べて随分と成熟しています。
それでも、子供ですからその仕草や言動の何気ないところに子供っぽさを残しているんですよね。そのキャラクターの二面性をこの歳にしてすでに使い分けられる演技技術が卓越しています。
その辺りに注目しながら、ネクストブレイク必至の子役マッケナ・グレイスの演技を堪能してみてください。
マーク・ウェブ(監督)
彼はもともとミュージックビデオの監督を務めていた人物ですが、「(500)日のサマー」をきっかけに映画監督としてデビューしました。
そして「アメイジングスパイダーマン」シリーズの監督を務め、その知名度を一気に高めました。
私が思う彼の作品の素晴らしさは、まず一つに画作りです。ミュージックビデオ監督時代に培った技術なのかもしれませんが、すごく印象的でエモーショナルな画を撮れる監督だと思います。
本作「gifed/ギフテッド」でもその映像だけで、見る人を惹きつけるような印象的なカットが散見されました。
(C)2017 Twentieth Century Fox 映画「gifted/ギフテッド」予告編より引用
もう一点彼の作品に個人的に思うのは、大切なものの喪失を描くのが上手い監督だということです。この点については少し掘り下げて次の章で語ってみましょう。
マーク・ウェブが描く喪失と再生のロジック
マーク・ウェブ監督が初めてメガホンを取った「(500)日のサマー」という作品は、失恋とそこからの再生のロジックを描いています。
主人公のトムはサマーという魅力的な女性に出会い、彼女が自分の人生の中心にまで割り込んでくるわけです。そして、サマーが他の男性と結婚することを知り、失恋してしまいます。
終盤には、トムが失恋から立ち直り、就職活動を始め、新たな女性に出会う再生のパートが描かれます。
そして「アメイジングスパイダーマン」シリーズ、とりわけ第2作目は彼の作家性が強く反映された作品です。ピーターは最愛の女性グウェンとの別れをきっかけにスパイダーマンとしての活動を止めてしまいます。
しかしラストシーンでは、そんな最愛の人の喪失から立ち直り、再びスパイダーマンとして戦う決意をするという再生のパートが描かれています。
このように彼の作品では、自分の人生の中心にあったもの、自分が最も大切にしていた何かの喪失とそこからの再生が1つの円環として描かれているのです。
それは本作「gifted/ギフテッド」でも共通しています。
ネタバレになるので、詳しくは踏み込むことはできませんが、それぞれのキャラクターにとっての喪失とそこからの再生が描かれています。さらに、それが多層的に折り重なることによって、映画の中にカルテットを奏でています。
(C)2017 Twentieth Century Fox 映画「gifted/ギフテッド」予告編より引用
マーク・ウェブが大切にしてきた、彼なりのロジックが本作にも息づいていることを、ぜひ本作を見て、確認していただけたらと思います。
おわりに
いかがだったでしょうか?
今回は映画「gifted/ギフテッド」についてお話してきました。
映画「gifted/ギフテッド」は本当に素晴らしい作品です。私自身も感動の連続で、終盤はハンカチが無いとどうにもならない状況でした。
それぞれのキャラクターたちが絡まり合って、そして最後に紡ぎ出される幸せの最適解をぜひとも劇場で一人でも多くの方に見ていただきたいという風に考えています。
映画「gifted/ギフテッド」ぜひぜひご覧ください。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。
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