みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね、本日公開になりましたリメイク版映画「オリエント急行殺人事件(2017)」についてお話していこうと思います。
(C)2017Twentieth Century Fox Film Corporation 映画「オリエント急行殺人事件(2017)」より引用
何か毛量がえげつないですし、生え方もおかしいですし、髪や眉毛の色と違いますし・・・。
これを見ていると、実写版ハガレンの主人公エドのウィッグがあからさますぎる!金髪なのに腋毛が黒いといった主張を思い出しました(笑)
良かったら最後までお付き合いください。
目次
『オリエント急行殺人事件』
あらすじ・概要
1974年にも映画化されたアガサ・クリスティの名作ミステリーをケネス・ブラナーの製作・監督・主演、ジョニー・デップ、ミシェル・ファイファーら豪華キャストの共演で新たに映画化。
トルコ発フランス行きの寝台列車オリエント急行で、富豪ラチェットが刺殺された。
教授、執事、伯爵、伯爵夫人、秘書、家庭教師、宣教師、未亡人、セールスマン、メイド、医者、公爵夫人という目的地以外は共通点のない乗客たちと車掌をあわせた13人が、殺人事件の容疑者となってしまう。
そして、この列車に乗り合わせていた世界一の探偵エルキュール・ポアロは、列車内という動く密室で起こった事件の解決に挑む。
主人公の名探偵ポアロ役をブラナー、事件の被害者ラチェット役をデップ、未亡人役をファイファーが演じるほか、教授役にウィレム・デフォー、家庭教師役にデイジー・リドリー、公爵夫人役にジュディ・デンチ、宣教師役にペネロペ・クルスが配されている。
(映画com.より引用)
キャストの中でも面白いのが、セルゲイ・ポルーニンですね。この人を知っているという方も多いと思います。
今や世界的に有名になったウクライナ出身のバレエダンサーなんですよ。そんな彼がダンサー役で出演しているのは、なんだか笑える一幕でしたね。
彼のドキュメンタリー映画である「ダンサー セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣」が今年日本でも公開されて話題になりました。
私自身も鑑賞させていただいて、才能に恵まれながら、才能に絶望し、家族の愛に飢えたバレエダンサーセルゲイ・ポルーニンのリアルな姿に感激しました。
彼がダンスを披露している“Take Me to Church”のMVを以下に掲載しておきますので、ぜひぜひご覧ください。これを見れば、あなたもセルゲイの虜になること間違いないなしです。
また監督兼主演のケネスブラナーにも注目ですね。
マイティソーの第1作目の監督は彼、ケネスブラナーなんです。
あとはディズニー実写映画の「シンデレラ」の監督を務めたのも彼です。
そして今年ですと、映画「ダンケルク」に俳優として出演していましたね。
よかったら彼が出演している過去作もチェックしてみてくださいね!
予告編
いろいろあるよ「オリエント急行殺人事件」
原作
アガサクリスティが著した不朽のミステリー小説ですね。彼女が著した名探偵ポアロシリーズの中でこの作品が最も有名だと思います。
シドニールメット版映画
「オリエント急行殺人事件」の映画としてマスターピースとの呼び声が高いのが、このシドニールメット版の映画です。これは今回のリメイク版を見た方も見ておいて間違いない一本です。
イギリスドラマ版「名探偵ポアロ/オリエント急行の殺人」
イギリスの人気ドラマシリーズ「名探偵ポアロ」の「オリエント急行殺人事件」回です。
これは後に詳しく語りますが、原作に大胆な新解釈をもたらした革新的な「オリエント急行殺人事件」でした。
三谷幸喜版「オリエント急行殺人事件」
見てません(笑)。どんな感じでしょうかね?
シベリア超特急
タイトルが似ているけど、これは全く別物!!間違って見ないようにね!!(笑)
『オリエント急行殺人事件』感想・解説(ネタバレあり)
目新しさがまるでないリメイク版
(C)2017Twentieth Century Fox Film Corporation 映画「オリエント急行殺人事件(2017)」より引用
最近続編とリメイクにお熱なハリウッド映画業界ですが、また何とも言えない出来のリメイク版を世に送り出してくれました。
個人的にこのリメイクブームはあんまり好ましく思っていないのですが、それでもディズニーの実写リメイクや今年世界中を席巻した「IT」のリメイクなんかは非常に素晴らしかったですし、リメイクをやる価値や意義は十分にあるとは思います。
ただ、リメイクをやる上でただその作品を今の技術で撮影し直しました程度の出来に終始するのであれば、はっきり言ってやる意味はないと思うわけです。
ディズニーの実写リメイクは、必ず現代に通ずるモチーフやメッセージ性を付加した上で新しい形で作品を見せてくれますし、今年大ヒットした「IT」もただのリメイクでは決してなく、原作やオリジナル映画版に新たな解釈を加えたものになっていました。
確かにマスターピースと言われるシドニールメット版には無かった要素が追加されています。
その中でも特筆すべきなのは、「神の視点」「罪と罰」という2つのポイントなのは間違いないのですが、このアプローチって既にイギリスドラマ「名探偵ポアロ」版の「オリエント急行の殺人」でやってしまっているアプローチなんですよね。
このドラマ版の「オリエント急行殺人事件」では、ポワロが敬虔なクリスチャンであるという設定にされています。
そして今回のリメイク映画版の冒頭でイェルサレムのパートがありましたが、ドラマ版ではそこにイスタンブールで起こった2つの事件が挿入されています。これは原作にもありません。
ドラマが始まると、容疑者を前に自分の推理を明かしていくポアロが映し出されます。
しかし、その容疑者のうちの1人が推理を聞くのに耐えかねて自殺してしまうのです。
さらにポアロはイスタンブールの路上で不貞のために身籠った女性が石を投げつけられ、唾を吐きかけられているのを目撃します。しかし、ポアロはこれに関しても現地のルールだからとためらいながらも黙認します。
この2つのエピソードがポアロに対して「善と悪」とは何か?法を順守する、どんな形であれ犯罪は許されないとする自分の信念は正しいのか?という自己のアイデンティティを揺るがすような問いかけを突きつけているのです。
そしてオリエント急行での事件に遭遇することになり、最終的に彼は結論を導き出します。
しかし、彼は最終的な「裁き」を神に委ねてしまうんですね。冒頭の2つの事件が絡み合うことで彼は「法と正義」の間で板挟みになり、苦悩しているわけです。
そしてポアロはラストシーンでロザリオを握りしめて苦悶の表情でうっすらと涙を浮かべながら雪の中を歩いていきます。
この「神」の視点や「法と正義」に対する深い問いかけは一見原作とはかけ離れた解釈に思えるのですが、実はそうではないんですね。
そもそもポアロシリーズの著者であるアガサ・クリスティーは敬虔なイギリス国教会の信者であることで知られています。
そして彼女はそのキリスト教的価値観を作品に散りばめているのです。ですので、ドラマ「名探偵ポアロ」版の「オリエント急行の殺人」はアガサ自身の考え方を極めて深く忖度し、再解釈した極めて革新的な作品だったわけです。
本作の冒頭には、今話題のイェルサレムが登場しています。
なぜ話題になっているのかと言いますと、アメリカのトランプ大統領がイスラエルの首都をイェルサレムであると認定して、商都テルアビブにあるアメリカ大使館をイェルサレムに移すことを支持したからなんです。
イェルサレムはイスラエル東部のパレスチナ自治政府にある都市です。
イスラエルはこのイェルサレムを首都であると主張していますが、国際的には認められていない状態でした。一方で、パレスチナ自治政府は将来的に独立した際にこの東イェルサレムを首都にしようと考えていました。
この「2国家共存」の状態が長らく続いていたのですが、ここにトランプ大統領が割って入ったことで火種が一気に火燃え広がった形となりました。
さらにイェルサレムは、本作「オリエント急行殺人事件」の舞台である1930年代より現代にいたるまで異なる宗教派閥が共存する土地でもありました。
というのもイェルサレムにある「神殿の丘」はイスラム教、ユダヤ教の聖地です。
また本作にも登場した「嘆きの壁」はユダヤ教の聖地です。
加えて、イスラム教の神聖な場所である「岩のドーム」や「アルアクサ・モスク」があるのもイェルサレムです。
一方でイエス・キリストの墓があるとされるキリスト教の聖地「聖墳墓教会」があるのもイェルサレムなのです。
つまりイェルサレムという土地は古くからユダヤ教、キリスト教そしてイスラム教の信者にとってそれぞれの聖地であり続けたわけです。
本作「オリエント急行殺人事件(2017)」で冒頭の事件で容疑者に上がっていたのがそれぞれラビ、神父、イマームでしたよね。これらはそれぞれユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖職者なんですよ。
そして本作の冒頭パートでは、自分を「神」であると自称するポアロと異なる宗教を信仰する人々が集合しているイェルサレムという土地が対比的に描かれているわけです。
「法と正義」を神的視点から振りかざして罪人を裁くポアロですが、そこには異なる「神」を信仰している人がいるわけで、それによって法や信条は異なってきます。
(C)2017Twentieth Century Fox Film Corporation 映画「オリエント急行殺人事件(2017)」より引用
つまり今回の映画版も結局は、ドラマ版で既に取られたアプローチである「神の視点」「法と正義」への問いかけをテーマに据えているわけです。
ですので、このアプローチって一見革新的なんですが、既に手垢がついているんですよね。
唯一の目新しさはハードボイルド?
そして唯一目新しいと言えるのが、ポアロのハードボイルド要素ですよね。
日本では「私立探偵小説=ハードボイルド探偵小説」と言うような誇大解釈が一部に蔓延していますが、それは違います。
まあ日本には、世界一のハードボイルド探偵がいますからそれも無理はないんですかね・・・。
アニメ「名探偵コナン」より引用
ハードボイルド探偵というのは、推理主体の思索タイプの探偵小説初期の作品に登場する探偵に対抗する形で登場した、行動的で肉体的に強靭な探偵のことを指しています。
ダシ—ル・ハメットやレイモンドチャンドラーがこのジャンルを確立したと言われています。チャンドラーのフィリップ・マーロウシリーズは有名ですね。
一方の名探偵ポアロというと思索中心の推理専門の探偵なんですね。ただリメイク版の「オリエント急行殺人事件(2017)」では、かなりハードボイルド探偵な仕上がりになっていて、アクションシーンをいくつか取り入れられていました。
この要素は確かに新しいのですが、正直取り入れた意味が全く持って分かりませんでした。
確かに推理パートだけで映画を保たせようとすると間延びしがちですから、作品に緩急をつけるためにアクションシーンを取り入れようとする試みは分かりますが、あまりにも安直すぎます。
しかもアクションシーンに対して意味が無いんですよね。別に無くても作品が成立してしまうというあまりに無意味すぎるアクションシーンでした。娯楽大作映画っぽく仕上げろという要請でもあったんですかね?
その他のパートは改変されたポイントはいくつか挙げられますが、総じて目新しいものではなく、むしろただ劣化しただけという印象でした。
正直、わざわざリメイクするほどのものだったのだろうか?という疑問は拭いきれません。
称賛すべきポアロの新設定
(C)2017Twentieth Century Fox Film Corporation
本作「オリエント急行殺人事件(2017)」を見ていて、唯一なるほどと頷かされたのが、あるポアロの新設定なんですね。
それはポアロ自身がアームストロング家に関与しているという設定です。これって実は今までに無かった新設定だと思うんです。
ポアロはアームストロング家から依頼の連絡を受けていましたが、彼が依頼に気がついた時にはもう時すでに遅しだったということでした。
「オリエント急行殺人事件」において最も重要なのが、法を正確に順守することこそが正義であるとする信念への懐疑です。
そして今回は、イギリスドラマ版と同様「神」という視点を取り入れて、この懐疑を描こうと試みました。
さらに、このポアロの新設定が効いてきます。本作の容疑者は全員アームストロング家に関わりがありましたが、何とポアロもアームストロング家に関与しているわけです。そして彼も13人の罪を見逃すという「罪」を犯したわけです。
これによりリメイク版の「オリエント急行殺人事件(2017)」ではポアロがある種「14人目の共犯者」のように描かれているのです。
彼もこの「罪」を犯したことで、アームストロング家を救えなかったことへの贖罪をしているという点が何とも興味深いですね。
劇伴音楽の使い方が不味い
シドニールメット版の劇伴音楽の使い方って本当に素晴らしんです。これは作品を見た方には共感していただけると思います。
まず、オリエント急行の走行シーンを外観から捉えたシーンでは基本的に明朗なファンファーレ調の音楽を流しています。
原作を読んでいて、この劇伴音楽にしようと考えた方は天才だと思うんです。
一見暗いミステリー映画であるにも関わらず、その殺人現場である急行電車を俯瞰で捉えたカットに明るい音楽を合わせようなんて発想はまず生まれないと思います。
(C)2017Twentieth Century Fox Film Corporation 映画「オリエント急行殺人事件(2017)」より引用
加えて、それとは対照的に車内での犯行に関連したシーンでは、観客の緊張感を煽るような音楽を適度に取り入れて、作品を間延びさせないようにしています。
そして一番特筆すべきなのが、ラストのポアロの推理シーンや彼の迷いを描いたシーン、つまり本作において最も重要なパートではあえて劇伴音楽を使っていないんですね。これがもう天才的ともいえる演出だと思うんです。
普通強調したいパートに劇伴音楽を使うと思うんですが、重要シーンにあえて劇伴音楽を使わないことで、逆にそのシーンに深みと重厚感を与えることに成功しています。
だからこそその緊迫感から解放された後に、12人の容疑者たちが互いをたたえ合うシーンで希望に満ちた音楽が流れ始め、我々も一気に安心感を覚えるわけです。
シドニールメット版の「オリエント急行殺人事件」は音楽だけを抽出してみても、とんでもない完成度なんですね。
一方のリメイク版「オリエント急行殺人事件(2017)」の劇伴音楽の使い方は絶望的と言わざるを得ません。
オリエント急行の外観からのショットでは、ルメット版同様のファンファーレ調の明るい音楽が使われました。そして犯行に関係するシーンでは、これまた緊迫感を煽る音楽が使われていました。ここまではほとんど同じでした。
ただ大きな差をつけたのが、終盤での劇伴音楽の使い方です。ポアロの推理シーンでも彼の葛藤のシーンでも総じて大音量の劇伴音楽が垂れ流しで、全然緊迫感が無かったんですよね。
何というか娯楽大作っぽい安い仕上がりと言う他ありませんでした。
ポアロに「法と正義」という深い問いかけをしたわけですから、終盤はもっと劇伴音楽を抑えて、シーンに厚みと重みを出してほしかったと思います。
駄目な大作邦画がやりがちなミスを、ハリウッド大作映画がまんまとやってしまったという印象です。
「最後の晩餐」を思わせる画作りが素晴らしかった
(C)2017Twentieth Century Fox Film Corporation 映画「オリエント急行殺人事件(2017)」より引用
終盤のポアロの謎解きシークエンスで、12人(今回は13人か)の容疑者が横並びで座っているカットが登場しますよね。
映画を見た方はお気づきかとは思いますが、この構図はレオナルドダヴィンチの「最後の晩餐」をモチーフにしていると考えられます。
ただ、あそこにいるのは全員が「裏切り者」でしかもイエスはいません。では、イエスは誰なのかと言うとそれはポアロのことになります。
そしてポアロは全ての推理を明かした後で、ピラールエストラバドスに銃を渡して、自分を撃って真実を闇に葬り去るかどうかの決断を迫るわけです。
つまり、彼らに「ユダ」になるのか?どうかと問うているわけです。
結局彼らは「ユダ」になることを良しとはしませんでした。作品に「神」というモチーフが関係しているからこそ取り入れられたシーンでしょうし、このあたりの画作りはさすがですね。
エジプトのナイルで事件・・・?
本作のラストでポアロがエジプトへ向かう描写が描かれましたね。
これはアガサの「ナイルに死す」への布石であると考えられます。
つまり続編を製作するとしたら、「ナイルに死す」が扱われるということでしょう。
ポアロの宣言の意義
(C)2017Twentieth Century Fox Film Corporation 映画「オリエント急行殺人事件(2017)」より引用
ポアロがラストシーンで「私が名探偵ポアロだ!」と高らかに宣言するシーンがありました。
これも原作を知っていると面白いです。
実はポアロは、オリエント急行殺人事件以降、法を順守することが正義であるという信念を一層強いものにするんですね。
つまり「名探偵」であるという宣言は、オリエント急行での事件で揺らいだ自分のアイデンティティや信念を再び取り戻したという宣言に言い換えることもできると思います。
おわりに:総評
いかがだったでしょうか。
今回は映画「オリエント急行殺人事件(2017)」についてお話してきました。
ポアロの設定やラストの推理シーンの画作りは素晴らしいと思いましたが、それ以外に関しては総じて過去の「オリエント急行殺人事件」で既出の解釈であったり、その劣化版的要素の連続でした。
さらには、娯楽大作映画に仕上げたいという意図が丸見えの、キャスト配置ですとか、劇伴音楽のエモさ優先の使い方ですとか、安直なアクション描写ですとかに溢れていて、正直言って映画として良いかと聞かれたら、否です。
端的に言うなれば、中の中くらいの出来の大作邦画レベルの映画でした。
洋画大作としては中の下クラスですね。
リメイク映画ですからヒットを求められるでしょうし、娯楽大作路線に舵を切らざるを得なかったのかもしれませんが、もう少し2017年にこの作品をリメイクした意義をしっかりと見せて欲しかったと思います。
今回も読んでくださった方ありがとうございました。
いつも拝見しています。
取急ぎお知らせしたいことがあり、コメント欄を使わせていただきます。
今回の文中2ヵ所にアガサ・クリスティを指す代名詞がありますが、どちらも彼女ではなく、彼となっています。文字変換の際の間違いでしょうが、2ヵ所となるとアガサ・クリスティを女性だと知らなかったという誤解を招いてしまうかも知れません。せっかくの力作がこの代名詞の間違いで台無しともなりかねません。
(他にお知らせの手立てがなく、幸いコメント承認制とのことでしたので、この欄に書き込みました。どうか一刻も早く訂正なさってくださいませ)
ロケラニさんコメントありがとうございます。ご指摘感謝しております!!(^ ^)
オリエント急行やっと見ることができました。退屈することなく画面に釘付けだったのですが、その割りにはな〜て感じで、やや消化不良。
シドニールメット版にはなかった、冒頭のエルサレムのシーンでは、これは!とかなりワクワクしたのですが、
単に「神と自分」について強調したかったとしたなら、期待はずれ、あのシーンに関してもっと発展させて欲しかったが中途半端なのでは、
登場人物をアレンジしてたので、多人種、多宗教の共存なんかもっと突っ込めなかったかなあという気がしました。
1974年版では地味な役を演じたイングリットバーグマンが印象てきでしたが、今回は憎まれ役のジョニーデップが印象的でした。
@パインさん
コメントありがとうございます!
” 登場人物をアレンジしてたので、多人種、多宗教の共存なんかもっと突っ込めなかったかなあという気がしました。”
冒頭のシーンもありましたし、もう少し踏み込めましたよね。
ただのハードボイルドポアロになってて残念でした…