目次
はじめに
みなさんこんにちは。ナガと申します。
今回はですね映画「8年越しの花嫁 奇跡の実話」(以下「8年越しの花嫁」)についてお話していこうと思います。
この「8年越しの花嫁」の広報映像を最近劇場でしばしば目にしたのですが、インタビューを受けた方が「泣きました!」「感動しました!」「最初から最後まで泣いてました!」というコメントをリレー方式で述べていく映像でした。
いつも思うんですが、日本ってどうしても「泣ける映画=良い映画」っていう風潮が強いんですよね。
だからこそ宣伝も映画の魅力そのものよりも、「泣ける」というその一点だけを過剰にプッシュするんですよね。
そしてそういう作品がヒットするわけです。
これでは、邦画大作の作品レベルはいつまでたっても向上しないんじゃないか?という危惧すらしてしまいます。
こういう背景がありまして、「8年越しの花嫁」という作品に対する期待値がすごく低かったんですよ。
私は邦画が大好きなので、見に行くことは決めていたのですが、正直期待値は最低水準でした。よくあるお涙頂戴ものだろうと高を括っていました。
しかし、この作品は私の期待値を多く上回る傑作だったと言わざるを得ません。今回はなぜ本作が素晴らしいのか?その魅力について語っていきたいと思います。
本記事は作品のネタバレになるような内容を含む感想・解説記事となります。
作品を未鑑賞の方はお気をつけください。
「8年越しの花嫁」
あらすじ・概要
YouTube動画をきっかけに話題となり、「8年越しの花嫁 キミの目が覚めたなら」のタイトルで書籍化もされた実話を、佐藤健&土屋太鳳の主演で映画化。
結婚を約束し幸せの絶頂にいた20代のカップル・尚志と麻衣。
しかし結婚式の3カ月前、麻衣が原因不明の病に倒れ昏睡状態に陥ってしまう。
尚志はそれから毎朝、出勤前に病院に通って麻衣の回復を祈り続ける。数年後、麻衣は少しずつ意識を取り戻すが、記憶障害により尚志に関する記憶を失っていた。
2人の思い出の場所に連れて行っても麻衣は尚志を思い出せず、尚志は自分の存在が麻衣の負担になっているのではと考え別れを決意するが……。
「64 ロクヨン」の瀬々敬久監督がメガホンをとり、「いま、会いにゆきます」の岡田惠和が脚本を担当。
(映画com.より引用)
瀬々監督の作品は、「ストレイヤーズクロニクル」と「64」しか見たことがなかったので、正直あまり良いイメージは無かったですね。
ただ、本作「8年越しの花嫁」はそんなイメージを一掃してしまうほどに完成度が高かったように思います。
その他にも瀬々監督は生田斗真&瑛太を起用した『友罪』の監督を務めています。
予告編
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「8年越しの花嫁」感想・解説
本作は実話に基づいた映画です
(C)2017映画「8年越しの花嫁」製作委員会 映画「8年越しの花嫁」より引用
本作「8年越しの花嫁」は実話に基づいた映画ということで驚きですよね。
フィクションとしても出来すぎだろうと言われてしまうようなストーリーを実際に辿った1組の男女が実在するということですから「現実は小説よりも奇なり」ということですね。
本作の元になっている夫婦について詳しく書かれている記事を発見したので、以下にリンクを掲載しておきます。良かったら参考にしてみてください。
この記事の中で印象的だった一節を引用させていただきます。
一方、尚志さんはこう答えた。「家族は運命共同体だと思う。いいときも悪いときも、自分のことのように受け止められる存在」
映画の中でも「家族」という言葉はたびたび登場しました。
(C)2017映画「8年越しの花嫁」製作委員会 映画「8年越しの花嫁」より引用
薬師丸ひろ子演じる麻衣の母が尚志に向かって放った「あなたは家族じゃないんだから。」というセリフは特に印象的なセリフでした。
麻衣の母は、尚志に自分の幸せを見つけて欲しかったのだと思います。
悪い時に一緒に居るのは家族の務めで、まだ結婚を正式したわけでもない、法的に家族ではない尚志にそれを背負わせるのは違うんじゃないかと。
それでも尚志は麻衣の下から去ることはしませんでした。
麻衣の「悪いとき」も一緒にいると誓ったのです。
だからこそ彼らは結婚という法的なプロセスを経ずとも、もう「家族」になっていました。
これはまさに家族というものが血縁や法的プロセスに縛られるものではなくて、「運命共同体」なのだという尚志の考えがまさしく奇跡を起こしたのだと思います。
また2人が結婚式を挙げた時の実際の映像を式場側が撮影してYouTubeにアップしているようです。こちらの映像もぜひご覧ください。
BACK NUMBERの「瞬き」に見る幸せとは・・・?
(C)2017映画「8年越しの花嫁」製作委員会 映画「8年越しの花嫁」より引用
本作「8年越しの花嫁」の主題歌であるBACK NUMBERの「瞬き」にこの映画の「幸せ」とは何かに関する本質が反映されているように感じました。
幸せとは星が降る夜と眩しい朝が繰り返すようなものじゃなく
大切な人に降りかかった雨に傘をさせることだ
(BACK NUMBER「瞬き」より引用)
これは先ほど引用した尚志さん自身の考えでもありますよね。
幸せとは「良いとき」がずっと続いて、ただそれを享受するということではなくて、大切な人が「悪いとき」に直面した時にそばにいて支えてあげることだと言っているわけです。
この歌詞は素晴らしいですね。この一節だけで涙が出てきます。
本作「8年越しの花嫁」のラストシーンを覚えていますでしょうか?タイトルロゴが出る直前のシーンで、尚志と麻衣が出会った時のエピソードが再度スクリーンに映し出されます。
麻衣はお腹が痛いと言っていた尚志にカイロを差し出しました。
これこそが本作における幸せの象徴とも言えるシーンだったわけです。
難病に冒された恋人のそばにいてあげること
お腹が痛いと言っている人にカイロを差し出すこと
大切な人に降りかかった雨に傘をさすこと
「悪いとき」に直面したとしても、それを大切な人と支え合い乗り越えることができたのならば、それは間違いなく「幸せ」なんだと思います。
ラストシーンからも本作が伝えたかった幸せの本質が見えてきます。
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映像と音楽が紡ぎ出した2人の時間の「解凍」
本作「8年越しの花嫁」は実話をベースにした作品ではありますが、あくまでもドキュメンタリー映画ではありませんので、当然脚色されている部分が多くあるとは思います。
それを踏まえて、この章では、本作の映画的な素晴らしさに迫っていこうと考えています。
冒頭のシークエンス
まず冒頭の一連のシークエンスが素晴らしいですよね。
飲み会で一番遠い距離に座っていた尚志と麻衣という配置も視覚的に彼らが対照的な性格の人物であるという点が明確になっていました。その上で、駅へと去っていった尚志を麻衣が追いかけます。
会話をした後、麻衣はカラオケへと戻っていきます。しかし、カイロを持って腹痛に悩まされる尚志の下に再び現れるのでした。
この麻衣という人物の動線が、本作における2人の運命を実は暗示しているんです。
出会って、付き合い始めてそして婚約に至るのですが、麻衣は難病のために一度は尚志の下から去ってしまいます。しかし、その後にまた麻衣は尚志のところへ帰ってきて、2人は無事結婚します。
ラストシーンで麻衣がカイロを持ってきたシーンを採用したのも、この人物の動線が本作の展開を仄めかしていたからに他なりません。
映像を信じているからこそできた演出の数々
このブログを普段から読んでくださっている方は、私がどんな映画評価基準を持っているかということをなんとなく知ってくださっているかと思います。
私は基本的に、映画を見るときに「映像でどれだけ語れているか?」を重視するようにしています。
これは映画作品が、説明や補足のための回想・イメージ・セリフ、ナレーション、テロップなどに頼らずにどれだけ映像単体だけで見る者に感動を与えられるかということです。
邦画大作は特に説明描写が多く、厚みと深みの無い作品が多いです。
とりあえずストーリーさえ伝われば良いやというスタンスなのかしれませんが、映画とは呼べない「ビジュアルノベル」レベルの大作が数多く世に送り出されています。
一方で本作「8年越しの花嫁」は、作品を見ていても映像で語ろうという気概が伺えましたし、それが作品のモチーフにも反映されていました。
シーンごとで見ると、尚志が麻衣に「もう会うのはやめる。」と告げるシーンの長回しは素晴らしかったですね。
(C)2017映画「8年越しの花嫁」製作委員会 映画「8年越しの花嫁」より引用
20~30秒ほどひたすら土屋太鳳演じる麻衣の表情をノーカットで捉えたシーンがありましたが、このシーンはまさに映像にすべてを託したという印象でした。
自分の恋人だったという尚志。しかし思い出せず、結果的に恋人とは認識できない尚志。
それでも何とか思い出したいと願っていた時に、彼の方から別れを切り出したのです。
そんな複雑すぎる状況から生まれた、言葉にならないような感情を見事にあの映像だけで表現して見せました。
その後の尚志が車の助手席を見つめるシーンも良かったですね。
(C)2017映画「8年越しの花嫁」製作委員会 映画「8年越しの花嫁」より引用
一瞬だけ麻衣の過去の姿を挿入したのがもったいなかったですが、あのシーンも隣に座っているはずの麻衣がいない、
そしてもうここに麻衣が座ることはないのかもしれないという尚志の葛藤と苦しみと、もういろいろな思いが混ざった言葉にできない感情を映像に託しました。
それを実現させた佐藤健と土屋太鳳の演技力ももちろん素晴らしいのですが、このように映像だけで語ろうとする瀬々監督の作家性にも惚れました。
そして彼のそんな姿勢が作中のモチーフにも反映されています。
例えば、時間軸を説明するためにもちろんテロップを使ってはいるのですが、要所でテレビの映像を使って時間軸説明をするシーンがあります。
2010年の年末のシーンでは、テレビでいきものがかりがその年のヒット曲である「ありがとう」を歌っています。また、2011年の秋ごろのシーンでは、東日本大震災の被害とその後についてのニュースがテレビで放映されています。
このようにテロップだけでなく、作中のテレビ映像に時間軸の説明を託していた点も面白かったです。
そして何より注目したいのは、尚志が撮っていた映像が2人の止まった時間の「解凍」に大きく貢献したという点です。
先ほど引用した記事を読んでいますと、どうやら実話の方では、麻衣が尚志を思い出すきっかけになったのは、予定帳であったり、2人で撮ったプリクラだったみたいなんです。
(C)2017映画「8年越しの花嫁」製作委員会 映画「8年越しの花嫁」より引用
つまりこのケータイに尚志が撮り出めていた映像で麻衣が彼への愛を悟るという演出は、映画ならではの脚色だと思うのです。
こういう場合、手紙や写真、はたまた王子のキスが記憶を取り戻させるのが定番なのですが、あえて映像ないしビデオレターにしたのは監督の映像の力を信じるという姿勢の表れでしょう。
映像こそが「奇跡」を起こすのだということです。
劇伴音楽の使い方が素晴らしい
邦画大作を見ていると、劇伴音楽の使い方が下手くそすぎる作品が散見されるんですよね。
あらゆるシーンでなりふり構わず劇伴音楽を使って、魅力を半減させている映画も少なくありません。
ただ本作は、きちんと明確な意図をもって劇伴音楽を使っているということが伺えます。
前半部分の2人の出逢いから婚約までのプロセスでは軽快で明るい音楽が大きめのトーンで使われていました。
しかし、麻衣が倒れた時を境に、劇伴音楽がすごく控えめになって、使われる頻度も少なくなるんですね。そのため普通なら音楽を使いそうなシーンでも、あまり使われていないんです。
そして後半部分、特に麻衣がケータイのロックを解除して、尚志が送ってくれていた数々の映像に気がついた瞬間に、再び劇伴音楽の存在感が増してきます。
それはまるで2人の止まっていた時間が再び動き出したかのようでした。
その後の麻衣がフェリーで携帯電話に残された映像を見るシーンや小豆島で2人が再会するシーンでも劇伴音楽がそれまでとは打って変わったように大きめのトーンで使われました。
本作において劇伴音楽は「時間の流れ」を表していたように思います。
その点を明確にしたうえで、劇伴音楽を使うタイミングや、メロディ、トーンを絶妙に設定していた点は素晴らしかったと思います。
まさに音楽でもって2人の時間の「解凍」を描き出していました。
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本作最大の評価ポイントはラストシーン~エンドロール
(C)2017映画「8年越しの花嫁」製作委員会 映画「8年越しの花嫁」より引用
実はをベースにした映画あるあるだと思うのですが、その映画のベースになった実話に関連する写真やテキストをエンドロールでさんざん語ってくるんですよね。
それが良いか悪いかという話は個人差があるとは思いますが、個人的には映画への余韻が減りますし、映画と現実の境目が明確になってしまうので止めて欲しいなぁと常々思っております。
本作のラストシーンは尚志と麻衣の結婚式のシーンでした。
そしてエンドロールに入ると、シンプルに写真とテキストで2015年に2人の間に子供が生まれたことだけが明かされました。その後のエンドロールでは、実際の写真ではなく、劇中の写真が流れてきました。
確かに本作「8年越しの花嫁」も実際の写真とそれに関連するテキストをエンドロールの冒頭に付けてはいるんです。ただ本作に関してはその使い方が上手すぎるんです。
映画本編で描かれたのは、タイトルの通りで麻衣が「8年越しの花嫁」になるまでの物語でした。映画本編はここで完結してしまいます。
しかし、本編以降も2人の物語は紡がれていくわけです。そして2人の間に生まれた子供というのは、2人の新たな始まりの象徴的な存在です。
だからこそ結婚式という夢を叶えるところまでを映画として完成させ、エンドロールの頭で2人の子供のトピックをサラッと扱うことで、この映画が現実でこれからも紡がれていく2人の物語へと緩やかに繋がっているんですね。
これは本当に憎い演出でしたよ。そして流れるエンディングテーマがBACK NUMBERの「瞬き」ですからね・・・。ここで号泣ですよ・・・。
おわりに
いかがだったでしょうか?
今回は映画『8年越しの花嫁』についてお話してきました。
すごく期待値が低い作品だったんですが、本当に良い意味で裏切られました。個人的には、今年の邦画大作でナンバー1の作品だったと思います。
中でも映像とそして音楽のコンビネーションでもって2人の止まった時間と、そしてそれが再び動き出す瞬間を演出した点は本当に素晴らしかったです。
これからもいわゆる「お涙頂戴邦画大作」は数多く作られることになるとおもいますが、どうせ作るなら、ぜひともこれくらいのクオリティで仕上げてもらいたいところです。
私も大切な人が一番つらい時に支えになれる人間でありたいです。
多くの方にご覧になっていただきたい作品です。
また当ブログでは同じく瀬々監督の『友罪』の考察記事も書いております。
今回も読んでくださった方、ありがとうございました。
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